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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

こぼれ話:『フォーゴトン・レルム探訪』 その1

Mark Rosewater
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2021年8月2日

 

 各セットごとに、私は1回か2回、セットに関する諸君からの質問に答える一問一答記事を書くことにしている。私がツイートしたのはこんな内容だった。

現在、『フォーゴトン・レルム探訪』の一問一答記事を書いている。この新セットに関する質問があれば、1問1ツイートで送ってくれたまえ。#WotCStaff

 いつもの通り、可能な限り多くの質問に答えようと思うが、以下のような理由によって答えられないこともある。

  • 文章量の都合で、答えられる質問の数には限界がある。
  • すでに同じ質問に答えている場合がある。最初に来た質問に答えるのが通例である。
  • 私が答えを知らない質問もあるし、正しく答える資格がないと思われる質問もある。
  • 将来のセットのプレビューになるなど、さまざまな理由で回答できない話題もある。

 それではさっそく質問に入ろう。

クラス・エンチャントに部族がないのはなぜですか?

 ほとんどの場合について、我々は部族というカード・タイプを廃止している。(ただし、部族・テーマ、つまりクリーチャー・タイプを含むテーマはよく扱っている。)『モダンホライゾン2』では、《ウルザの物語》のサブタイプをうまく「Urza's Saga」にできるように例外を設けた。これは、熱心なプレイヤー向けのサプリメント・セットであることで認められたものである。

 二度と部族・カードを作らないと断言するわけではないが、それは非常に、非常にまれなことになるだろう。それ以上に、すべてのクラスがクリーチャー・タイプと同一なわけではない(《ファイター・クラス》など)ので、一部のクラス・カードだけに部族をつけるという奇妙なことになってしまっただろう。

クラス・カードを作るにあたっては、一度限りのメカニズムになるという前提でしたか、それともカード・タイプとして将来の製品に拡張できると考えていましたか?

 クラス・エンチャントには2つの側面がある。1つ目は、クラスの特別なフレイバー。2つ目は、時間をかけてプレイヤーを強化するエンチャントの構造である。この1つ目は狭く、デザイン空間はそう残されていない。もちろん、マジックにはD&Dに存在していないクラスが存在しているので、その分のデザイン空間はある。2つ目は、それよりずっと有望である。

 もし、このメカニズムの未来について最大の機会は何かと問われたら、プレイヤーが時間とともに強力になっていく、何らかの別の方法としてフレイバー付けすることだろう。そのとき、サブタイプはクラスのままかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、フレイバー付けがどうなるかによるだろう。

なぜクラスはエンチャント(プレイヤー)でないんですか? そのほうが、フレイバーを表現する助けになったと思います。

 デザイン・チームはそのことを検討した。そうすることの最大の問題点がこの2つだ。

  1. 文章欄はすでに一杯で、エンチャント(プレイヤー)にはさらなる文章が必要になる。
  2. エンチャント(プレイヤー)をデザインするとき、自分か相手のどちらにつけるのが普通になるかを想定するが、通常、その逆のことをすることもありうるようにデザインされるものである。デザイン・チームは、クラス・カードを相手につけられるようにするいい理由を見いだせなかった。
 

「クラス」というコンセプトをクリーチャー用オーラに組み込むことは検討しましたか?

 クラス・エンチャントは、そもそもデザイン・チームが(『エルドラージ覚醒』の)Lvアップ・メカニズムを再利用できないかを検討したことに端を発する。Lvアップを調整していて、レベルアップするべきはクリーチャーではなくプレイヤーだという気付きに到ったのだ。そのため、クラス・エンチャントを作るという最初の動機から考えると、それに反するのでオーラ版は作っていないだろうと思われる。

他のダンジョンは出ますか?

 『フォーゴトン・レルム探訪』およびそれに付随する製品には、3種類のダンジョンが存在する。(《狂える魔道士の迷宮》《ファンデルヴァーの失われた鉱山》《魂を喰らう墓》)

 なぜ3種類だけなのか。主な理由は2つある。まず1つ目がデザイン空間だ。漸増する効果の数には限りがあり、それぞれのダンジョンごとに違う雰囲気を持たせたかったのだ。2つ目はプレイデザインだ。ダンジョンが増えると、ダンジョン探索は強力になる。初めてダンジョン探索をするとき、3種類の効果の中から選ぶことができる。新しいダンジョンを作れば、その選択肢は増え、ダンジョン探索が強力になるのだ。

 さて、将来、追加のダンジョンを作ることがありうるかについて。作る未来は想像できるので、ありえないとは言わないが、しかしその壁は高いと強調しておく。まず、そのセットにダンジョン探索が入っていなければならないのだ。

 また、存在しているダンジョンは非常にD&Dテーマのものなので、将来ダンジョン探索を使うセットもまたD&Dテーマのものでなければならないだろう。

 最後に、ダンジョンを増やすことによってこのメカニズムが強化されることになるので、おそらくそのときにはスタンダードを離れていて、再録されるのはサプリメント製品においてになるだろう。結論としては、可能ではあるが、そうありうる話ではない、ということになる。

Q: 緑と宝物についてです。緑はマナを扱いますが、宝物はそう緑っぽくはありませんよね。質問です。宝物がマナを出すということ以外に、宝物の2種色が緑な理由はありますか?

 宝物・トークンの1種色が赤なのは、一時的なマナ加速をもっとも扱う色が赤だからである。2種色が緑なのは、緑がもっともマナに関連する色で、他の色のマナを扱えるようにするのがもっともかんたんないろだからである。メカニズム的には、緑は宝物・トークンがすることについて大きく差を開けての2番手なので、2種色になっている。

 それでは、おそらくこの非関連性のもととなっている、フレイバーの問題を検証してみよう。宝物を、金貨などで表すことが多いことはわかっている。しかし、宝物という言葉はより広く、さまざまなフレイバーに適用できるものだ。例えば、自然は恐怖心から価値あるものと考えられているものに満ちあふれている。確かに緑は印刷された紙幣に興味はないだろうが、人々が価値を感じる自然のものを理解し尊重する色である。緑は宝石や金属などの、人々が利益を得る可能性がある自然のものに問題があるわけではない。緑が宝物・トークンを生成するのは、他の色が宝物・トークンを使うのとは違うフレイバーを持つが、緑はそれをメカニズム的にもフレイバー的にも使うことができるのだ。

 これを踏まえて、我々は宝物・トークンを、海賊など、セット内で特定のフレイバーを強調するときに使うことが多いので、他の色での使用はそのセットでの需要に大きく依存しているのだ。

タイプ分析において広いデザイン・メモはありますか? ドラゴンやゴブリンを広げてドラゴンボーンやゴブリン系クリーチャーを扱っているのに、(アズラやキスキンでなく)ティーフリングやハーフリングを使うのは少し恣意的な気がします。

 これは『フォーゴトン・レルム探訪』に関してもっともよくある質問の1つだ。我々が、ある場合にはマジックの既存のクリーチャー・タイプを使い、またある場合には新しいクリーチャー・タイプを使うのはなぜか。ケースバイケースで様々な繊細な問題があるが、ここでは我々が選ぶ大きな方針を説明しておこう。

 まず第1に、D&Dとマジックに同じ用語が使われていた場合、可能な限りそれを使おうとする。例えば、マジックとD&Dの両方にエルフ、ドワーフ、オークはいるので、それらのクリーチャーではそのラベルを用いている。

 第2に、D&DがD&D内でマジックの既存のクリーチャー・タイプと関連づいている用語を用いているなら、これも使おうとする。例えば、ホブゴブリンやバグベアはD&D内でゴブリンと関連しているので、新しいクリーチャー・タイプを作るよりもゴブリンを使うほうがフレイバー的だと考えたのだ。ドラゴンボーンも同様のケースだ。ドラゴンは既存のクリーチャー・タイプである。ドラゴンボーンはD&D内で当然ドラゴンと関連しており、ドラゴンボーンをクリーチャー・タイプとして用いることはあらゆるドラゴン部族カードで混乱を招く(そしてドラゴン・ファンを悲しませる)ことになるので、クリーチャー・タイプとしてはドラゴンを使うことにしたのだ。ドラゴンボーンは、レオニンが猫人間でありロクソドンが象人間であるのと同じようなドラゴン人間である。

 中には、マジックが独自に作ったクリーチャー・タイプも存在している。マジックにはハーフリングはおらず、いるのはキスキンだ。ティーフリングはおらず、いるのはアズラだ。これらの場合、マジックの用語でD&D世界の存在を指すのは奇妙に感じられるので、D&Dの用語を採用することにした。例示の通り、キスキンはいろいろな面でハーフリングと似ているが、はっきり異なった存在でもあるのだ。ハーフリングをキスキンと呼ぶのは、クリエイティブ的に明らかに異なるのだから、不快に感じられるものだ。

 こうすることによって、カードにD&D語を増やすことができた。もちろん、可能なときにはマジック語を使ったが、そうできないときはD&Dの用語に寄せたのだ。そこには個人的意見が入っていたことは認めよう。実際、ビホルダーは眼なのかという話し合いでは、充分違うものでありD&Dの象徴的なものだと決め、D&Dの名前を使うことにした。

今回成功したら、D&Dテーマのセットをまた作りますか?

 私がブログでよく使っている言い回しがある。「成功は再演の母」。これはつまり、何かをして、それがいい反応を得たら、それを再びする大きな推進力になるということである。このセットの反響は今のところ非常に良いものなので、いい兆しである。

 もう1つ大きな利点が、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストがダンジョンズ・アンド・ドラゴンズを作っているということである。許諾製品の場合、最も重要な判断において2社の契約が必要になるので複雑になる。マジックとダンジョンズ・アンド・ドラゴンズはひとつ屋根の下にあるのでいくらか簡単なのだ。

 つまり、作る、と断定することはできないが、『フォーゴトン・レルム探訪』が成功を収めたなら、D&D・マジックの製品の可能性は高いと言える。

d20を振ることをメカニズムとして黒枠セットに採用することに関してのチームでの議論について説明してもらえますか? 私はサイコロが加えられたことが嬉しいんですが、ゲーム外の特定の物品を必要とするメカニズムを追加することに関しては議論があったと思うんです。

 サイコロを振ることを黒枠製品に採用することがいいことかどうかについて、多くの議論があった。最大の懸念は、それによって振れ幅が明らかな形で増え、そして競技プレイに集中しているプレイヤーにとって、それが技術を減らすと感じられるのではないかというものだった。(振れ幅に対応する技術はいろいろとあるが、それはまた別の記事で話題にしよう。)

 この問題への解決策は2つあった。1つ目は、サイコロの結果による変化幅に注意することだった。サイコロがどうあれ、カードはそのカードがすると思われていることを(ほとんど)するのだ。確かに、結果がよりよいものになることはあるが、最悪の結果であってもそれに頼ることができるのだ。2つ目は、どのカードでサイコロを振るメカニズムを使うかに注意することだった。競技プレイヤーはサイコロを振ることをまず楽しまない人たちなので、我々はこのメカニズムを競技寄りのカードから意図的に離したのだ。

 また、質問にある通り、我々はゲームの部品を増やす場合その物理的な扱いを常に意識している。可能なら、そのゲームの部品を、トークンやパンチアウト・カードの形でブースターに入れる。市場調査の結果、使うことをプレイヤーが受け入れることが多い外部のゲームの部品には2種類あることがわかった。

 1つ目は、カウンターである。これはおそらく、必要なのが小さなものであり、ガラス玉を準備しようがポケットの小銭を使おうがそう大きな負担にはならないからだと思われる。

 2つ目は、サイコロである。サイコロはゲームの中核的なものであり、ほとんどのマジックのプレイヤーはサイコロを簡単に準備することができるのだ。実際、多くのプレイヤーはカウンターや乱数生成のためにサイコロを持っていることが多い。20面体サイコロは6面体サイコロに比べて負担が大きいが、20面体サイコロはD&Dのまさに中心的なものなので、問題ないと判断したのだ。ただし、その検討には時間がかかっている。

フレイバー語は今後も使われますか?

 フレイバー語とは、能力の前に別字体で書かれている、その能力がフレイバー的に何を意味するのかを表す表記である。なぜこれがD&Dセットで有用なのは、なにか特定のことを再現しようとした時にそれを理解できるようにするのが難しいことがあるからなのだ。カード名、アート、フレイバー・テキストを可能な限り活用することはできるが、再現しているものを具体的にする助けとしてフレイバー語が必要だとわかったのだ。

 通常のマジックのセットでは、ゲームの必要性に合うようにフレイバーを作り上げるので、それほどこの必要性は高くない。そのため、これが通常のマジックのセットで常磐木的なものになることはないと思われる。しかしながら、これは、D&Dと同じくマジックのカードで描写するためにデザインされたものでない知財を再現しようという『ユニバースビヨンド』では有用な道具になると確信している。つまるところ、フレイバー語は再登場するだろうが、少なくともマジックの多元宇宙の中の製品セットにおいて常磐木的なものになることはないだろう。

おそらくフォーゴトン・レルムを再訪することはないと思われますが、なぜダンジョン探索をこんなに孤立的なものにしたんですか? 再訪する予定があるなら孤立的メカニズムもいいんですが、1回限りの次元で使うべきではないと思います。

 その質問に答えるために、まず、その質問の前提となっているいくつかの誤解を解かなければならない。

 さらにその前に、「孤立的メカニズム」という語を聞いたことがない読者諸君のために、その意味するものを定義しておこう。孤立的メカニズムとは、そのセット内(あるいはブロックがあった時期にはブロック内)にあるカードと相互作用した時にだけ有用なメカニズムのことである。これは、「後方互換性」、つまり既存のマジックのカードとうまく噛み合うもの、の反意語である。孤立的メカニズムの例としては、『神河物語』ブロックの連繋(秘儀)が挙げられる。このメカニズムを使うためには、サブタイプ「秘儀」を持つインスタントやソーサリーを持っていなければならない。これは『神河物語』までは存在していなかったので、連繋(秘儀)を持つカードはこのブロック内のカードと組み合わせなければ作用しないのだ。

 さてそれでは、その思い込みを解いていこう。

思い込み#1:その世界を再訪する予定がある場合にしか孤立的メカニズムを使うべきではない

 孤立的メカニズムは、とても楽しいことがある。実際、スリヴァーはマジックの中でも最も人気のクリーチャー・タイプだが、非常に孤立的である。『テンペスト』ブロックで初登場したとき、再訪するかどうかはまったく保証がなかったが、ユーザーはスリヴァーを気に入ってくれた。セット内に孤立的メカニズムが多すぎれば問題になるが、メカニズム1つが孤立的であってもそれ自体が問題だということはない。

思い込み#2:ダンジョン探索が孤立的である

 まず、孤立的、というのは条件によるものではなく比較によるものであるという話をしよう。ダンジョン探索は、どちらかの端にあるのではなく中庸に位置している。非常に孤立的だ、とは言えない理由は、これの要素であるダンジョンはデッキ内の他のカードではなく、ダンジョン探索をしたときに自動的に手に入るゲームの外部のものだからである。一方、私が連繋(秘儀)を引き、秘儀呪文を引いていなかったなら、使うのは難しい。

 メカニズムの孤立性を評価するにあたって、我々はまずこの質問をする。「デッキにこれを1枚だけ入れて使えるか?」ダンジョン探索に関しては、これを1枚だけ入れておけば、使う時に3種の効果のどれか1つを得ることができる。これが後方互換側に振り切っていない理由は、このメカニズムは最大の利益を得られるようにするためにこのカードを多く入れたいと考えるようにしているからである。ダンジョンの奥深くに進むほど能力は強くなるので、組み合わせてプレイすることで戦略的有利が得られることになる。

思い込み#3:再訪することはありえない

 先にも言ったとおり、D&Dテーマのセットがまたあるとももうないとも断定はできない。

 さて、それを踏まえて、質問に答えよう。我々は、ダンジョン探索を『フォーゴトン・レルム探訪』にまさにふさわしいフレイバーだと考えている。最終的にこれを使うのがこれ1回限りになったとしても、プレイヤーは楽しんでくれるだろう。そして、これは、あなたが考えていると思われるような孤立的メカニズムではない。

「時間切れ」

 本日できる回答はここまで。いつもの通り、今日の各回答や『フォーゴトン・レルム探訪』そのものについての諸君の感想を聞かせてほしい。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrInstagramTikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、さらなる回答をする日にお会いしよう。

 その日まで、あなたがフォーゴトン・レルムを掘り下げることを楽しみますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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