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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

『基本』的な働き

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『基本』的な働き

Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru

2013年7月8日


 しばしば、セットが発売になると、私はカード・セットを縦覧して、それらのカードそれぞれについての話をする。だが、ほんの数週間前にもそうした話をした(モダンばなし その1 その2)ところなので、今日はカードを縦覧しながら何か別のことをしようと考えた。今回は、選んだカードについてなぜそのようにデザインされたかについて検証していくことにする。検証するカードごとに、なぜそのようなデザイン上の決定がなされたのかという話をしていこう。これは我々がいかにしてデザインをしているかについてを知る助けになるはずだ。


「なぜこれがソーサリーなのか?」

 まず最初に、そもそもなぜソーサリーが存在するのかについての私のコラムを読んだことがない(「なぜ全ての呪文がインスタントじゃダメなの?」)諸君には、2004年のソーサリー特集で私が書いた記事(リンク先は英語)を呼んでもらいたい。読みたくない諸君に一言で告げるなら、「ソーサリーは重要なゲームデザイン上の道具である」とまとめておこう。そして、このカードはその好例なのだ。

 元来、このメカニズムは青のものであり、もっとも有名なのは、《命令の光》と呼ばれるカードだった。

 アルファ版に《支配魔法》や《秘宝奪取》があった通り、盗むということは当初からカラー・パイにおける青の領域だった。《命令の光》はクリーチャーを一時的に盗むもの、として登場したのだ。これによって青は、攻撃クリーチャーを盗んでブロック・クリーチャーにするという防御的トリックとして使えるインスタントを手に入れた。2体のクリーチャーを1つの呪文で除去できる(うまくやれば、その2体のクリーチャーを相打ちにさせることもできるのだ)。面白いことに、この能力が最初にカード化されたのは青ではなく赤で、『Legends』時代のことだった。

 実際の所、初期のマジックを見直してみると、何かを盗むということにかけては赤が2番手だったのは間違いない。青が操作寄りなら、赤は策略寄りだった。これが取り上げられたのはずっと後、開発部がカラー・パイのバランスを取ろうと考えているときのことになる。赤はあまりにも弱く、青はあまりにも強かった。そこで、私は赤には盗むという伝統があるので、《命令の光》を赤に移すべきではないかと提案した。この際に、我々は永続的な盗みと一時的な盗みを切り分けることにした。操作する青は永続的に何かを盗むのが得意で、感情を操る能力に長ける赤はクリーチャーを短い時間だけ支配することができるのだ。

 ここで1つだけ問題が残っていた。《命令の光》は、攻撃よりも防御で有効な呪文だ。攻撃に使おうと思って使えないことはないが、構えておいて攻撃してきた相手を潰す方が普通だった。赤は防御的な色ではない(防御的になろうとする色ではない、というべきか。直接火力は防御的に使うこともできる)ので、赤が《命令の光》を得るべきかどうかについて議論が交わされた。結論は簡単だった。攻撃的に使わせたければ、ソーサリーにすればいいのだ。そうすれば、防御的に構えることはできなくなる。

 こうして、《反逆の行動》はソーサリーになったのだ。


「なぜ《血の幼子》は自分を生け贄に捧げられないのか?」

 かつて、クリーチャーを生け贄に捧げられる全てのクリーチャーは、自身を生け贄に捧げることができた。そういうものだったのだ。あるとき、デベロッパーのエリック・ラウアー/Erik Lauerがこんな質問をした。「起こりえない効果のために自身を生け贄に捧げられるというのは混乱を招かないだろうか?」

 ここで《血の幼子》を例に挙げよう。クリーチャーを生け贄に捧げると、《血の幼子》が+2/+2の修整を受ける。しかし、この生け贄に捧げるクリーチャーがそれ自身であった場合、この効果は発生しない。生け贄に捧げることのメリットは? ああ、必要に応じて自分で自分を片付けられる(たとえば、奪われそうになったときとか)。我々は、混乱を招く危険性を重視し、そういった小さな利点は無視することにした。

 この混乱が何の問題になるのか? 消費者調査から、カードがプレイヤーの理解できない何かをすると、プレイヤーはそのカードが実際に何をするのかを見失う、ということが示されている。「このクリーチャーを生け贄に捧げたら修整を得られなくなるのになぜ生け贄に捧げて修整を得られるんだ? 多分、読み間違えているに違いない」

 そこで、開発部は判断した。クリーチャーが自身を生け贄に捧げて何らかの効果を生み出す場合、それ自身を生け贄に捧げることができる。しかし、そのクリーチャーが存在しなくなっていることによってその能力が無効になる場合(そのクリーチャーへの修整がほとんどだろう)、「他のクリーチャー1体を生け贄に捧げる」と書くことにする、と。


「この2つめの能力は、赤なの?」

 一言で言うと、「今はそうだ」。

 その理由を説明するには、Blogatogというものについて説明する必要がある。Tumblrを訪れたことがない諸君のために言うと、Blogatogとは私が毎日プレイヤーからの質問に答えているブログの名前だ。そして、そのブログでよくやることの1つに、プレイヤーからの質問を読者に問いかけるということがある。その1つに、赤のカラー・パイでの役割が他の色よりも小さいのではないかという質問があった。そこで、私は、赤でないものの中で赤であるべきだと感じるものがあるかどうか問いかけた。

 (私が Question Marks と呼んでいる)プレイヤーたちから、かなりの量の返事が来た。その中で秀逸だったのは、赤にもっといろいろな能力を与える代わりに、その効果が短くなるというものだった。言い換えると、赤は効果を生成することができるが、すぐその場で使えるものだけである。赤はいつも刹那的なのだ。

 他の色の領域を荒らすことなく赤のカラー・パイを広げることができるので、私はこの考えを気に入った。赤は赤なりのこれらの効果を持つことができるのだ。最初にできたのはカードを引くことだった。古いプレイヤーは《エルキンの壷》というカードを覚えていることだろう。

 私は《エルキンの壷》が大好きだったので、長続きしない効果を考えていたときに浮かんだのが《エルキンの壷》った。一方その頃、どういう星の巡り合わせか、開発部のメンバーの何人かは『基本セット2014』でチャンドラを強くするための方法を探していた。これはチャンドラの4種類目であり、これまでのチャンドラよりも強いものにする必要があった。それまでのチャンドラは最高級のプレインズウォーカーとは言えなかったが、今回、彼女は『基本セット2014』の顔だったのだ。

 私は、「使うか失うか」というカードを引く効果を提案した。私は赤を助けるために何をしているかを説明し、誰もが私の提案を気に入ったので、こういう形になったのだ。

 この効果を赤で見るのはこれが最後だろうか? まさか。


予言
「なぜプレイヤーを対象にしないのか?」

 詳細な説明が必要な諸君は、それに関する私の記事Latest Developmentの記事を呼んでくれたまえ。短くまとめると、我々が基本セットのためにカードをデザインする場合、できる限り単純に、掴みやすいものにしようとする。エキスパンションの場合は、そのカードがそのセットの存在する環境に相応しいかどうかが優先されるのだ。

 そのための重要な作業が、カードに記された一語一語を吟味し、その語にどのような価値があるかを検討することである。もちろん、このカードが『基本セット2010』のためにデザインされたとき、「プレイヤー1人を対象とする」という語も吟味されることになった。

 争点になったのは、この単語が複雑さを加えているかどうかだった。否派は、「プレイヤー1人を対象とする。そのプレイヤーはカードを2枚引く」よりも「カードを2枚引く」のほうが単純で理解しやすいと主張した。肯定派は、「プレイヤー1人かクリーチャー1体を対象とする。[カード名]はそれに3点のダメージを与える」は既に存在しているので、カードを引くことについても理解できる、とした。プレイヤーは、カードで自分のしたいことをさせられると仮定している。直接火力なら対戦相手に、カードを引くなら自分だ。

 最終的に、単純さを重視して、このカードのカード文章には5語ではなく3語だけが書かれるようになったのだった。


「なぜ1度しか起動できないの?」

 《ルートワラ》はテンペストのデザインの時に初登場した。マイク・エリオット/Mike lliottの手がけたそれは「チャクワラ」という名前だった。ちなみに「チャクワラ」というのは実在するトカゲの一種である。そのカード名が変更になったのは、アーティストが架空のクリーチャーだと思い込み、チャクワラとは違うものを描いてきたからであった。そのため、カード名は今の《ルートワラ》になったのだ。

 マイクは《巨大化》をもともと持っているクリーチャーという考えをこね回していた。いわゆる影や火吹き(何回も使えるもの)ではなく単発型能力らしい何かを持つものにしたかったので、その能力は1回だけ使えるようにした。この能力は緑に他の色とは違う形でサイズを変更するというマナの使い道を与えた。これが非常に巧く行ったので、「ルートワラ能力」は名前こそ付いていないものの常磐木能力となったのだ。

 カラー・パイの重要な役割の1つに、色ごとに異なる感じを持たせるようにするというものがある。開発部は色と色の違いを定めるためにかなりの時間を費やしているのだ。白はタフネスを強化でき(最近そう多くは存在しないが)、青は+N/−Nや−N/+Nでき、黒は影を強化でき(パワーとタフネス両方を強化する)、赤は火吹きができる。そして、緑はルートワラ能力を手に入れたのだ。


「なぜこのカードは『デーモンでない』クリーチャーを選ぶの?」

 「デーモンでない」の初出は、『ディセンション』の《穢すものラクドス》というカードだ。

 ラクドスは本来、攻撃するときに自分のコントロールするパーマネントの半数を生け贄に捧げ、戦闘ダメージを与えたときに相手のコントロールするパーマネントの半数を生け贄に捧げさせるというものだった。問題は、相手が半数を生け贄に捧げる前に自分が半数を生け贄に捧げなければならず、また相手が生け贄に捧げるのは戦闘ダメージを与えられた時だけ(とはいえ7/6でトランプル持ちの飛行クリーチャーなので、大抵ダメージは通るけれども)だという2点で自分の方が不利になるということだった。

 私の解決策は、「デーモンでない」パーマネントの半数を生け贄に捧げるようにすることだった。これはフレイバー的にも良く、他のデーモンをデッキに入れることを推奨し、そしてたった1語をルール文章に追加するだけでこの問題を解決してくれるものだった。デザイン・チームの残りのメンバーもこれを気に入ったので、この変更が採用されたのだ。

 時は流れてイニストラード。プレイテストの時に、私は《深淵からの魂刈り》をプレイしていた。毎ターン攻撃して、対戦相手がチャンプ・ブロックを繰り返し(相手は大量の飛行クリーチャーを出していたのだ)、そしてもう1体クリーチャーを屠る。これが、相手のクリーチャーが1体になるまで続けられた。私は攻撃し、彼はブロックし、そして、次のような会話が交わされることになった。

:そのデーモンを殺してよ。

:え?

:私のクリーチャーが死んだから、クリーチャーを1体殺さないとダメでしょ。

:ああ、でもなんでデーモンが自殺するんだ?

:知らないよ。他に殺す相手がいなくて落ち込んだんじゃない?

:そんなナンセンスな。

:知らないって。カードにそう書かれてるだろ。


 私はペンを取り、《穢すものラクドス》のことを思い出してカードに「デーモンでない」と書き足した。

:そりゃないよ。

:効果がスタックにある間にデザインを改良したのさ。


 この話は《影生まれの悪魔》に繋がる。開発部のメンバーが何らかの手法を手に入れたら、我々はそれを繰り返すことが多い。「デーモンでない」は評判も良くプレイ感も上々だったので、再利用することになった。


「なぜこの3つの能力は強さがバラバラなんだ?」

 起動型能力のパワー・レベルを考える一番簡単な方法は、仮に呪文だとしたときのマナ・コストを決めてみることだ。3/3トークンは{2}{G}、クリーチャー1体に+1/+1カウンターを3個置くのは{1}{G}から{2}{G}あたり、ライフを3点得るのは{G}ぐらい。なぜこう不均衡なのか?

 答えは2つある。まず、いくばくかの無作為を含むカードを面白くする方法の1つに、多様性を持たせることがある。《原始の報奨》が戦場にある場合、カードを引くごとに緊張が走る。起こりうることの幅があればあるほど、この緊張は高まるのだ。全ての効果が有利になるものなので、悪いことが起こることを恐れることなく起こることを楽しみにすることができる(これについては「無作為はともだち」という無作為性についての記事に詳しく書いた通りだ)。

 2つめに、美学の重要性がある。美学というものについて聞いたことのない諸君のために説明すると、美学とは、脳が物事をどう受け止めるかということに関する科学である。「美の科学」と呼ばれることもあるらしい(これについては「Zen and the Art of Cycle Maintenance(リンク先は英語)」というコラムで書いた)。人間の脳はパターンを見いだして安堵するもので、美学を用いてデザイナーはカードをプレイヤーが気付きすらしないままにプレイヤーにとってさらに心地よいものにすることができる。そのためのよく使われる技法が、同じ数字を複数回使うというものである。

 《原始の報奨》の3つの能力は、どれも3という数字を使っている。パワー的に均衡が取れないかもしれないが、どの能力も(しかもこの能力は3つある)3という数字を使っていて、カードはさらに心地よいものになっているのだ。美学が存在しない場合、逆の効果が発生する。その好例がこれだ。

 《グリセルブランド》のルール文章中で出てくる数字が全て7なのに点数で見たマナ・コストが8だということを不快に思ったプレイヤーは多いのだ。


「なぜ《漸増爆弾》は「以下」じゃなく「に等しい」ものを見るのか?」

 《漸増爆弾》は、『ウルザズ・デスティニー』の《火薬樽》というカードのリメイクである。

 つまり、この質問は「なぜ《火薬樽》は『以下』でなく『に等しい』ものを見たのか」という質問ということになる。答えは、「等しい」のほうが良いゲームプレイをもたらすからである。それぞれの場合にどういうことが起こるか検証してみよう。まず最初に「以下」の場合だ。

 毎ターン何をするか? カウンターを載せる。なぜ? カウンターを増やすほうが絶対的に有利だから。カウンターを増やせば破壊できるカードが増える。つまり載せるか載せないかは本質的には選択肢ではない。

 では、「等しい」場合。

 毎ターン何をするか。《火薬樽》にどれだけカウンターが乗っていて、戦場にどんなパーマネントがあるかを見て判断する。この場合には自動的な答えというのは存在しない。これによって対戦相手のプレイも変わってくる。カウンターが増えていれば、その数よりも点数で見たマナ・コストが小さいパーマネントを使うことができるのだ。

 私がウルザズ・デスティニー当時に《火薬樽》をデザインしたとき、この同じ議論を他のデザイナーのマイク・エリオットとしていた。幸いにして、デベロップ・チームは私の作ったものの方が面白いゲームプレイに繋がるということに同意してくれたのだ。


「なぜこのスリヴァーは他のスリヴァーに能力を与えないのか?」

 このカードはテンペストの《メタリック・スリヴァー》の調整版である。

 ところでこのカードは「銀のスリヴァー」という名前になるところだったが、届いたイラストが銀色でなく青銅色だったのでカード名が変更されたのだ。

 さておき、《メタリック・スリヴァー》も《スリヴァー構築物》も他のスリヴァーに能力を与えないようになっているのは、これらが本当のスリヴァーではないからである。これらはスリヴァーに似せて作られた構築物なのだ(テンペストではかつてのマジック界の悪役、ヴォルラスの手によるものだった)。これによって、彼らはスリヴァーを欺いて能力を得ることができたが、スリヴァーの集団意識に分け与える能力は得られなかったのだ。


「これは白の能力なのか、それとも青の能力なのか?」

 白は相手を遅れさせる色である。クリーチャーをオーナーのライブラリーの一番上に置くのは、1ターン(あるいはそれ以上)の間そのクリーチャーを除去するためのうまくて単純な手段だ。青はバウンス(何かをオーナーの手札に戻すこと)の色である。クリーチャーをライブラリーの一番上に置くというのは、超《送還》のようなものだ。どちらの色にも相応しく思えるが、開発部はこの重複をよしとはしなかった。2色で出てきていいほど頻繁に使われるような能力ではない、ということで、この問題は「カード技術」に持ち込まれることになった。

 「カード技術」は中核デザイナー、中核デベロッパー、クリエイティブの面々が集まって技術的問題について話し合う週例会議である。「クリーチャー1体を対象とし、それをオーナーのライブラリーの一番上に置く」の運命は、まさにここで議題に上るような話なのだ。

 白組は、青には《送還》がある、と主張した。違いをつけるために効果を分けるべきだ(青は手札に戻し、白はライブラリーの一番上に戻す)と言うのだ。

 青組は、この能力が白にあるのはおかしいと言い、遅延させるというフレイバーは超《送還》というフレイバーよりも不明瞭だと言った。また、青組は、白には他にもいくらでもクリーチャーを遅らせる手段があり、このメカニズム空間は不要だと主張したのだ。

 「カード技術」での議論の結果、この効果を細かく切ることにはならず、「クリーチャー1体を対象とし、それをオーナーのライブラリーの一番上に置く」は白というよりも青らしい、という結論になったのだった。


「なぜ切り上げでなく切り捨て?」

 私がこのカードをデザインしたのは、『オデッセイ』の時期だった。このブロックは濃い墓地テーマがあり、墓地にカードを送るライブラリー破壊も自然とテーマの一環となった。私は超墓地破壊カードを作りたかったが、一方で、ライブラリーを完全に枯渇させるのは難しいようにもしたかった。

 知らない諸君のために添えると、私はパズルのファンだ。《心の傷跡》はなぞなぞからヒントを得ている。科学者が新技術を導入してスーパーカーを作った。目的地を入力すれば、10秒でその半分まで行けるというのだ。さて、3000マイルを旅行したいとして、そのためにはどれだけの時間がかかるだろうか?

 答えを見る前に、ちょっと考えてみて欲しい。

「なぜ? 我々が諸君を好きだから」

 今日はここまで。カードの働きの裏にある理由を諸君が楽しんでくれたなら幸いである。いつものとおり、メール、掲示板、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+)で待っている。

 それではまた次回、第600回目のこのコラムでお会いしよう。

 その日まで、なぜそのカードがそう働くのかを考える時間があなたとともにありますように。

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