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Making Magic -マジック開発秘話-
世界のどこで?
読み物
Making Magic
世界のどこで?
Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru
2013年7月29日
世界選手権特集へようこそ! 最初は過去の世界選手権すべてを振り返る内容にするつもりだったが、それは前回の世界選手権特集(2009年、「Around the Worlds in Fiftreen Years(リンク先は英語)」という記事)でやっていた。私がプレイヤーとして参加した唯一の世界選手権、最初の世界選手権について掘り下げる......っと、これも既に書いていた(「A Different Worlds(リンク先は英語)」)。じゃあ、私が世界選手権で行われるチーム戦に関して大きな関与を見せた2回目のマジック世界選手権......も、書いたことがある(「ホワイトボードに刻まれた数」)。それじゃ、多くの世界選手権に基づいたトリビア・コラムを書こう。最近こういったトリビア・コラムは書いていない。まだやってないね? よし!
諸君すべてが世界選手権のトリビアに詳しいわけではないから、問題と関連する物語を組み合わせることにしよう。それではスタートだ。
第1問:世界選手権の初期の頃は、アメリカがチーム選手権で圧倒的で、7回目までのチーム選手権のうち6回優勝している。さて、この期間にアメリカに勝った唯一の国はどこ?
答え
カナダ。1997年、ゲーリー・クラコワー/Gary Krakower、マイク・ドネ/Mike Donais、エド・イトウ/Ed Ito、ガブ・サング/Gab Tsangからなるカナダ・チームがチーム選手権を制した。
こぼれ話としては、私はこのイベントでESPN2のビデオ撮影に協力して尽力していた。そう、当時マジックのイベントはESPNで放送されていたのだ(いや、今もメインのチャンネルじゃないけれど放送されてるよ)。後に国別王者になったジャスティン・ゲーリー/Justin Garyの率いるマジック・チームは、チームの結束を見せるような統一した格好をせずに現れた。他のチームは、例えばチームの制服などをあつらえてきていた。
このときもアメリカがチーム戦で優勝すると見られていたので、この番組のプロデューサーは見栄えがよくないのではないかと心配し、そしてどこかでアメリカの国旗の入ったシャツを手に入れるよう指示した。可哀想なのは言われた女性で、街中を走り回って探していたよ。
ようやくシャツが見つかって、アメリカ・チームはそれを身につけた。その後彼らは負けてしまい、決勝進出もならなかったんだ。興味深いことに、優勝したカナダ・チームはおそろいのホッケージャージを着ていたよ。
第2問:世界選手権のチーム戦で優勝したチームのメンバーのうち5人が、マジック開発部で働いていて(1人だけはインターンだ)、全員がデザイン・チームに所属したことがある。その5人とは?
答え
まずはさっきの問題でも出てきたマイク・ドネ。彼は1997年、カナダ・チームで優勝した。マイクはマジックとダンジョンズ・アンド・ドラゴンズの両方で働いており、いくつものデベロップ・チームにも所属していたが、『オンスロート』でデザイン・チームの一員だった。
2人目(時系列的には1番目だが)が、ヘンリー・スターン/Henry Sternだ。彼は第2回マジック世界選手権で開催された、史上初のチーム選手権に(マーク・ジャスティス/Mark Justice、マイク・ロング/Mike Long、ピーター・ライハー/Peter Leiherとともに)優勝している。このチームはあまりにも圧倒的に強く、チームの平均でもこのイベントのトップ8を決める足切りをクリアする成績だった(スターンとジャスティスはどちらも残った)。ヘンリーは長年にわたりデベロップの重要な役目を果たしてきていて、いくつものデベロップ・チームでリーダーを務めている。『ウルザズ・サーガ』や『ウルザズ・レガシー』といった数多くのデザイン・チームにも名を連ねており、『ポータル三国志』ではデザイン・リーダーまで務めているのだ。ところでここでおめでたい話を一つ。ヘンリーにアランという息子が生まれたんだ。
3人目はマット・プレイス/Matt Placeだ。デニス・ベントレー/Dennis Bentley、ジョージ・バクスター/George Baxter、マイク・ロング/Mike Longとともに1996年の世界選手権チーム戦に優勝している。マットもまた長年にわたるデベロッパーで、いくつものデベロップ・チームでリーダーを務めてきた。そして『第10版基本セット』『次元の混乱』『アラーラの断片』『ゼンディカー』『ワールドウェイク』『ミラディンの傷跡』『新たなるファイレクシア』といったデザイン・チームにも所属していた。
4人目はズヴィ・モーショヴィッツ/Zvi Mowshowitz、1999年にカイル・ローズ/Kyle Rose、ジョン・ハンカ/John Hunka、チャールズ・コーンブリス/Charles Kornblithとともにチーム戦を制している。後にプロツアー殿堂顕彰者にもなるズヴィは、6ヶ月の間デベロップでインターンを務めていた。また、『未来予知』のデザイン・チームにも所属していた。
5人目、(現在の所)最後の世界選手権優勝チーム・メンバーである開発部員が、現在のマジック開発部ディレクター、アーロン・フォーサイス/Aaron Forsytheだ。アーロンが優勝したのは2000年、ジョン・フィンケル/Jon Finkel、クリス・ベナフェル/Chris Benafel、フランク・ヘルナンデス/Frank Hernandezがチーム・メンバーだった。アーロンは『シャドウムーア』『ゼンディカー』『新たなるファイレクシア』のリード・デベロッパーで、『ディセンション』『ローウィン』『アラーラの断片』『基本セット2010』『基本セット2011』のリード・デザイナーを務めた。
マイク・ドネ、ヘンリー・スターン、マット・プレイス、ズヴィ・モーショヴィッツ、アーロン・フォーサイス |
現在の所、開発部にはプロツアーの優勝者は何人も所属している(ランディ・ビューラー/Randy Buehler、マット・プレイス/Matt Place、スコット・ジョンズ/Scott Johns、マイク・チュリアン/Mike Turian、デイブ・ハンフリー/Dave Humpherys)が、世界王者は1人も所属したことがない。
第3問:世界選手権に行く途中で車が壊れ、その世界選手権で世界王者になったのは誰?
答え
第1回世界選手権のザック・ドラン/Zak Dolan。1994年世界選手権は、ウィスコンシン州ミルウォーキーで開催されたアメリカ最大のゲームの大会、Gen Conで行われた。Gen Conに参加するための移動中、彼の車はエンストを起こし、それきりエンジンをかけることができなかったので彼は車を捨て、他の方法で会場に向かった。彼が会場に着いたときには、その不運が払拭されていたのは明らかだね。
第4問:1995年世界選手権の決勝で、決勝に残った選手2人が、どちらも流暢に話せる英語以外の言語で会話する許可を求めるということがあった。その言語とは?
答え
フランス語。その2人のプレイヤーとは、優勝したスイスのアレクサンダー・ブルンケ/Alexander Blimkeと、準優勝となったフランスのマーク・ヘルナンデス/Mark Hernandezだった。
ヘルナンデスとブルンケ |
このことは、マジックがどれだけグローバルなものになったかを示す重要な出来事だとして思い出される。このイベントに関して言うと、私はこの許可を求められた相手だった。1995年世界選手権で、私は決勝でコメンテーターに情報を渡す司会者としてステージに立っていた。まだ私はウィザーズで働いてはいなかったが、このイベントには手伝いとDuelist誌のレポートのために派遣されていた(その記事はここ(リンク先は英語)で読むことができる)。この質問がされたのは決勝の第1試合の開始時のことだった。私はマイクでこう言ったのだ。「ヘルナンデスとブルンケは、フランス語で会話させてもらえると楽だと言っています。どうですか、問題のある方はいらっしゃいますか?」
第5問:1996年世界選手権は他とは違うある場所で開催された。それはどこ?
答え
ワシントン州レントンにあるウィザーズ・オブ・ザ・コーストの本社。何があったかというと、ちょうど新しいビルに引っ越したばかりで場所が余っていたので、1996年世界選手権を開催できる広い場所を探そうと思ったときに、誰もがすぐそこにあると閃いたのだ。
イベントは混沌としていたが、今まで参加した中で最も都合のいい世界選手権だった。決勝までとんとん拍子に来たトップ・プロのマーク・ジャスティス/Mark Justiceが、決勝で新人のトム・チャンフェン/Tom Chanphengに敗れるという大波乱もあった。ところで、このイベントのトップ8には、後に開発部入りするヘンリー・スターン、マット・プレイス、スコット・ジョンズの3人が入っていた。
第6問:1996年世界王者のトム・チャンフェンは唯一無二の賞品を手に入れた。それは何か?
答え
〈1996 World Champion〉というカード。これは世界に1枚しか存在しない、世界で最もレアなマジックのカードの1枚である(もう1枚、〈Shichifukujin Dragon〉というカードが世界に1枚しかないカードである)。このイベントの中で、印刷されたシートにあった〈1996 World Champion〉のカード全てを破壊するシーンがビデオで流された。そして、このカードはチャンフェンの優勝トロフィーの中に埋め込まれた。後に噂で聞いたが、チャンフェンはこのトロフィーを一流のマジック・コレクターに売却したらしい。
第7問:国別王者になった年に、世界王者と世界選手権チーム王者の2冠を達成したのは誰?
答え
殿堂顕彰者、ジョン・フィンケル/Jon Finkel。これは2000年の出来事だ。1998年、1999年にもジョンは好成績を残しており、プロツアーで1回優勝と、数回トップ8入賞を果たしていたが、2000年の夏、彼は本気を出すと宣言した。その結果、その夏は凄まじい成績を残すことになった。同年の11月、彼はマジック・インビテーショナルにも優勝し(そして《影魔道士の浸透者》を作る権利を得て)いる。
ジョン・フィンケル、2012年プレイヤー選手権にて |
第8問
ジョンは世界選手権とマジック・インビテーショナルの両方で優勝したことがあるが、これを達成したのはもう1人いる。それは誰?
答え
殿堂顕彰者、カイ・ブッディ/Kai Budde。彼は1999年の世界選手権と、2001年のマジック・インビテーショナルで優勝している(その結果、《非凡な虚空魔道士》を作る権利を得た)。
1999年の彼の優勝に関するこぼれ話と言えば、当時、彼はそう有名ではなかった。彼はヨーロッパのグランプリを巡って(2位、1位、1位、1位という成績を残して)いたが、プロツアーではトップ8に入賞したこともなく、ほとんど知られていなかった。
当時、世界選手権はプロツアーで実績を残していないプレイヤーが優勝することがよくあるといわれていた。ブッディが優勝したとき、今回もまたそうなるか、という心配がなされたのだが、ヨーロッパのプロたちと話してみたところ誰もがブッディを高く評価していたので、私は「その心配はない、カイ・ブッディは本物だ」と言ったのだ。その後の歴史が、私が正しかったと照明してくれている。
もう一つ、カイ・ブッディの決勝戦に関するこぼれ話を。ESPN2の放送のために撮影が行われていた。決勝で、彼はマーク・ル・パイン/Mark Le Pineと対戦したが、どちらも赤単色の超速攻デッキだった。決勝戦はすぐに終わってしまい、先攻後攻を決めるダイスロールからル・パインが投了を示す握手をするまで全部のシーンを流したところで、30分のテレビ番組を作るには充分な量にはならなかった。
第9問
(訳注:7大陸のうち)これまでに世界王者を輩出している大陸はいくつある?
答え
5つ。
- アジア: 彌永淳也、三原槙仁、森勝洋(日本)、ユーリ・ペリグ/Uri Pelig(イスラエル)
- オーストラリア: トム・チャンフェン
- ヨーロッパ: アレクサンダー・ブルンケ(スイス)、カイ・ブッディ、ダニエル・ジンク/Daniel Zink(ドイツ)、アンドレ・コインブラ/Andre Coimbra(ポルトガル)、アンティ・マーリン/Anti Malin(フィンランド)、ギョーム・マティノン/Guillaume Matingnon(フランス)、ジュリアン・ナーテン/Julien Nuitjen、トム・ファン・デ・ロト/Tom Van De Logt(オランダ)、ヤコブ・スレマー/Jakub Slemr(チェコ)
- 北アメリカ: ザック・ドラン/Zak Dolan、ジョン・フィンケル、ブライアン・セルデン/Brian Selden(アメリカ)
- 南アメリカ: カルロス・ロメオ/Carlos Romao(ブラジル)
人の住んでいる大陸の中で、アフリカ大陸だけはまだ世界王者を輩出していない。ジョン・フィンケル、スティーブン・オマホニー=シュワルツ/Steven O'Mahoney-Schwarts、ダニエル・オマホニー=シュワルツ/Daniel O'Mahoney-Schwartsは南極代表/Team Antarcticaを名乗ってチーム戦プロツアーに参加(して、トップ4入賞)したことがある。
第10問:最年少世界王者は何歳だった?
答え
15歳。2004年世界王者、オランダのジュリアン・ナーテンである。
ジュリアン・ナーテン |
マジックができてから生まれた人が世界王者になるのはいつか、と開発部では長年話題になっている。今、マジックは20周年を迎えたので、それより若い世界王者がいつ誕生してもおかしくないのだ。(訳注:今年の世界選手権で19歳のシャハール・シェンハー/Shahar Shenharが優勝して実現しました。)
ナーテンの優勝は、1つの国から2人目の世界王者が生まれるというのの3例目だった(2001年の世界王者、トム・ファン・デ・ロトもオランダ出身だ)。アメリカには3人の世界王者が(1994年のザック・ドラン、1998年のブライアン・セルデン、2000年のジョン・フィンケル)いて、ドイツにも2人(1999年のカイ・ブッディと2003年のダニエル・ジンク)いた。後に4つめの国となるのが日本(2005年の森勝洋、2006年の三原槙仁、2011年の彌永淳也)だ(なお、渡辺雄也が今年世界選手権に改称されたイベントである昨年のプレイヤー選手権で優勝している)。
第11問:自国で開催された世界選手権で優勝して世界王者となったプレイヤーが4人いる。それは誰?
答え
1人目は最初の世界王者ザック・ドラン。アメリカ人で、この世界選手権はウィスコンシン州ミルウォーキーで開催された。
2人目もアメリカ人で、ブライアン・セルデン。ワシントン州シアトルで開催された1998年世界選手権の優勝者である。
3人目がアメリカ以外からの初の達成者、ドイツ人のダニエル・ジンク。2003年、ドイツのベルリンで開催された世界選手権で王者となった。
4人目が日本の森勝洋。2005年の世界選手権は日本の横浜で開催されている。
惜しかった(自国開催の世界選手権で準優勝となった)プレイヤーは、アメリカ人のマーク・ジャスティス(1996年)、ベン・ルービン(1998年)、パトリック・チャピン(2007年)、ジェイミー・パーク(2008年)だ。
ザック・ドラン、ブライアン・セルデン、ダニエル・ジンク、森勝洋 |
他にこの偉業を達成しそうだったのは殿堂顕彰者のガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassif。世界選手権の開催地はフランスのパリだった。何もかもがナシフにとって巧くいっていて、もっとも名高いフランス人プレイヤーが自国開催の世界選手権で世界王者になると見られていた。しかし、準決勝で当たった相手がこの選手権で優勝することになる三原槙仁。ナシフは考えたあげくの賭けに出た。デッキ相性ではナシフが圧倒的で、三原は最後のターンに手札を揃えられなければ負けとなる状況だった。しかし、そのターン、三原は必要だったカードを引き当て、そしてナシフを打ち倒したのだった。
第12問:1つの国から最も多くのプレイヤーが残った世界選手権トップ8はどれ?
答え
ワシントン州シアトルで開催された、1998年世界選手権には7人のアメリカ人がいた。アメリカ人以外の決勝ラウンド進出者は、フランス人の殿堂顕彰者、ラファエル・レヴィ/Rapheael Levyだった。この年は、プロツアー全ての優勝者がアメリカ人(プロツアー・シカゴのランディ・ビューラー、プロツアー・マインツのマット・プレイス、プロツアー・ロサンゼルスのデイブ・プライス/Dave Price、プロツアー・ニューヨークのジョン・フィンケル)であり、また、史上初めて流出したチーム戦王者のタイトルをアメリカが取り戻した年でもあった。
第13問:トップ8に残った大会で解説も務めた唯一のプレイヤーは?(これは世界選手権の出来事だ)。
答え
クリス・ピキュラ/Chris Pikula。これは今話題に上げたばかりの1998年の世界選手権で起こった。この世界選手権と私の妹の結婚式が重なって、私は世界選手権の1日目と2日目を終えたところでオハイオ州のクリーブランドに行き、3日目と4日目を向こうで過ごしてから5日目に戻ってきて決勝戦のカバレージを作ることになった。
クリス・ピキュラ |
当時、カバレージ・チームにはブライアン・ワイズマン/Brian Weissman(単に「The Deck」と呼ばれる、史上初めて公開されたデッキを作った古参プレイヤーとして知られる)とクリス・ピキュラ/Chris Pikulaがいた。クリーブランドで、私は世界選手権に関してはピキュラがトップ8に残るかどうかだけを気に留めていた。私はクリスの代わりとなる解説としてランディ・ビューラーという男を試すよう連絡を入れたのだ。ランディは後にプロツアーのメイン解説者になることになる。
ピキュラが準々決勝で敗れたので、私は彼に連絡を入れ、準決勝と決勝のブースに呼び戻したのだった。
第14問:世界王者と最優秀プロ・プレイヤー賞の両方を同年に取った唯一のプレイヤーは誰?
答え
殿堂顕彰者、カイ・ブッディ。カイがこの偉業を達成したのは1998?99年のプロツアー・シーズンのことであった。カイはその後3回最優秀プロ・プレイヤー賞を獲得することになる。最優秀プレイヤー賞を複数回取っているプレイヤーは、彼の他には(2009年と2012年の)渡辺雄也だけである。ジョン・フィンケルは世界王者と最優秀プロ・プレイヤー賞を獲得しているが、世界王者は2000年、最優秀プロ・プレイヤー賞の受賞は1998年である。
カイ・ブッディ、渡辺雄也、ジョン・フィンケル |
第15問:世界選手権トップ8が全員違う国からの選手になったことが1度だけある。それは何年?
答え
イタリア・ローマで開催された2009年世界選手権。8ヶ国からのプレイヤーが集まったのが初めてというだけでなく、プロツアーの中でトップ8にアメリカ人も日本人も残っていないのも初めてのことだった。そのメンバーは、
- アンドレ・コインブラ/Andre Coimbra(ポルトガル)
- デビッド・ライトバウアー/David Reitbauer(オーストリア)
- テリー・ソー/Terry Soh(マレーシア)
- ブラム・スナップヴァンガー/Bram Snepvangers(オランダ)
- ウィリアム・カバリエリ/William Cavaglieri(イタリア)
- マニュエル・ブシェ/Manuel Bucher(スイス)
- マーリン・リバート/Marijn Lybaert(ベルギー)
- フローリアン・ピルス/Florian Pils(ドイツ)
この年の世界選手権についてのネタは持ち合わせていない。この年、私は世界選手権に行けなかったのだ。
世界選手権祭り
諸君が今回のトリビアと話を楽しんでくれたなら幸いである。機会があれば、世界選手権やワールド・マジック・カップのオンライン・カバレージも楽しんでもらいたい。
それではまた次回、マジックが死にかけたときの話をしよう――20回ほど!
その日まで、あなたがトリビア集めを楽しめますように。
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