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Making Magic -マジック開発秘話-
子育て その2
読み物
Making Magic
子育て その2
Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru
2012年11月19日
人生で、親になること以上に世界観を変える出来事はほとんど存在しない。2週前、私は親としての立場から得た教訓がデザイナーとしての私をどう育ててきたかについて語り始めた。今回はそのコラムの第2回である。その1を読んでいない諸君は、この先を読み進める前に必ず読んできてくれたまえ。
教訓#6:失敗はするものだ
前回の最後に、ローラ/Loraと私は双子を授かったと知った。レイチェル/Rachelのときよりも妊娠は重く、ローラは3ヶ月の間ベッドから離れられなかった。そして、アダム/Adamとサラ/Sarahが生まれたのだった。教訓#1で、赤ん坊の世話をするのがどれほど大変かという話をした。そして、赤ん坊が2人いるとなると、1人の時の2倍では済まなかったのだ。その理由は2つある。1つは、2人目の赤ん坊にかかるときには1人目の赤ん坊の相手で疲れているということ。そして2つめに、赤ん坊が2人いると破滅的な相互作用が生じる(1人が泣くと、もう1人も目覚めてしまう)。ただし赤ん坊が成長していくと2つめは変わっていき、赤ん坊2人の相互作用はそれほどでなくなっていった。
双子が生まれたとき、私の母は再び私たちを助けに現れた。彼女自身も双子だったので、私たちに双子が生まれたと聞いてひどく興奮していた。ある日、彼女はアダムの片方の目に何か異常があると気がついた。最終的に眼科医にかかり、アダムは片方の目が小さい、小眼球症と呼ばれる症状を患っていると診断された。ただ眼球が小さいだけでなく、その目、アダムの右目は見えないのだ。この、普通ならうちのめされるような先天性疾患の話を聞いても、生命には関わらないのだからそれほどひどいことだとは思わなかった。
私たちは情報を集め、片目でも両目があるのとそれほど変わらない生活が送れると知った。視野の深さをもたらすこともできると。片目が見えない大人達に話を聞き、それほどの制約はないという事実に安堵した。アダムの人生に影響がないとは言わないが、その影響は大きすぎるものではないのだ。
それでも、私たちは、アダムができるだけ普通に生活を送れるようにあらゆる手を尽くそうと決めた。シアトル在住の最高の小児眼科医、ワーナー先生/Dr. Warnerを見つけ出した(仮名)。私たちはベストを尽くしたが、ワーナー先生は多忙で、約束を取り付けることができなかった。しかし、ワーナー先生の専門は小眼球症だったのだ。アダムが小眼球症だと知って、ワーナー先生は私たちを受け入れてくれた。
ワーナー先生の所には何年も通った。ある日、先生は私たちに、アダムにそろそろ眼鏡をかけさせるべきだと言った。私たちは困惑した。アダムの正常な方の目は100点満点だと診断されていたのに、なぜ眼鏡が必要なのか? ワーナー先生は、視覚上の問題ではなく、正常な目を守るためだと言った。片目が見えている限りは問題ないが、何か事故があって左目が傷ついたら、完全に視力を失ってしまう。それを防ぐために、アダムに眼鏡をかけさせるべきだというのだ。
私たちはその日のうちに眼鏡を購入した。アダムは当時4歳だった。眼鏡をいいものにするために手を尽くし、イカしたかっこいい眼鏡ができあがった。アダムはどの眼鏡にするか選んだが、いざかけるときになって、アダムは眼鏡をかけるのを嫌がったのだった。
私たちはアダムに時間を与え、眼鏡に慣れさせようと計画した。しかし、アダムはまったく眼鏡に興味を示さなかった。アダムは眼鏡を必要としていないのだ。ちゃんと見えるのだ。私たちはアダムが眼鏡を嫌いになることを避けるため、一旦諦めて計画を練り直すことにした。何度も何度も試してみたが、一度も成功はしなかった。
6ヶ月が経ち、私たちが再びワーナー先生の所に行くと、眼鏡について尋ねられた。私たちは、眼鏡を買ったがアダムにつけさせることができていないと答えた。優しいワーナー先生が私たちをしかり飛ばしたのはその時だった。私たちはアダムの親であり、アダムの安全を守るのは私たちの義務なのだと。アダムが眼鏡をかけたがるかどうかに関わらず、アダムは眼鏡をかけなければならないのだ。眼鏡をかけさせるのが、私たちの義務なのだ。
ワーナー先生の言葉は完全に正しく、私たちは反論もできなかった。親としてあるまじきことをしていたのだ。親として失敗をしないように務めてきていた私にとって、これは非常に重い教訓だった。子供達の幸せは危ういものであり、私は常に正しいことをすると決心した。同時に、私が常に正しいことをするとは限らないということを認識し、失敗したとしてもその中でのたうち回るのではなく、それをさらなる挑戦の原動力にしようと。
私たちは家に帰り、それから2週間の間に(私の母の助けもあって)アダムは眼鏡をかけるようになった。ここでの教訓は、完璧を求めるのはバカがやることだ、ということだ。あらゆる活動において、何も失敗しないなどということはない。失敗は生じるものだが、そのあと同じ失敗を繰り返さないようにするための道具として使うことを学ばなければならない。また、失敗は起こるものなので、失敗に打ちのめされてはならないのだ。
この最後の段落は、デザインにもほとんどそのまま当てはまる。セットのリード・デザイナーとして、何もかもをうまく行かせた完璧なセットを作るのは目標だが、失敗はするものであり、それを工程の一つとして受け入れなければならないのだ。それだけではなく、というのはつまり、失敗を工程の一つとして受け入れるだけではなく、失敗が生じることを受け入れられるようにしなければならない。どういう意味かはこれから説明しよう。
失敗を避けるための最善の方法の1つは、知らないところに挑戦しないことである。すでに理解、経験していることにしがみついていれば、失敗する危険性は減る。問題は、特にトレーディング・カードのデザインというものは、未知への冒険を必要とするということである。もし失敗の可能性を受け入れないというのであれば、デザイナーとして踏み込まなければならない場所へ踏み込まないということになる。
失敗は恥ずかしいことだ(ワーナー先生が私たちを叱ったときのことは今でも覚えている)が、失敗こそが人間として、またデザイナーとして我々を育ててくれる。このコラムですでに語ってきた通り、成功は気分を良くしてくれるが、成長させてくれるのは失敗なのだ。
例えば、私が時のらせん・ブロックをデザインしていたとき、ブロックのデザインの境界を押し広げる実験をした。過去、現在、未来という抽象的なコンセプトに基づいてデザインすることに私は非常に興奮していた。そして、私は今日でも誇りに思っている作品を作ったが、同時に私は自分がやっていることが何なのかを見失っていた。私の作り上げたものが複雑すぎて、プレイヤーたちはマジックから離れてしまったのだった。
そこで、ローウィン・ブロックでは、時のらせんの失敗を避けようとした結果、また別の失敗をしでかしてしまった。今回、カードは複雑ではなかったが、戦場が複雑になってしまっていた。シールドに圧倒されたウィザーズの社員がプレリリースから去って行ったことを今でも覚えている。
しかし、この2つのブロックをデザインした経験から、私とマット・プレイス/Matt Placeは新世界秩序(リンク先は英語)を作り出した。プレイには様々な因子が存在するが、私は新世界秩序こそがマジックの成功を導いてくれると強く信じている。参入障壁を低めることで、高いレアリティには経験者向けの複雑さを残したままで新規プレイヤーの参加をずっと簡単にした。新世界秩序は、私が時のらせん・ブロックやローウィン・ブロックで境界を押し広げようとしなければ存在しなかっただろう。これらの失敗なしでは、この重大な進歩は起こらなかったのだ。
親としての立場でも、デザインにおいても、私は失敗するだろう。しかし、私は、それらの失敗からの教訓が私をより育ててくれることを望んでいる。
教訓#7:相手に機会を与えよ
サラは我が家の末っ子だ(ほんの1分差でも、アダムはお兄ちゃんだと主張している)が、彼女はもっともエネルギッシュである。私たちが子供達にしていることの1つに、それぞれが参加したい課外活動を選ぶ機会を与えるということがある。それぞれには義務としての活動がある(すぐに説明する)が、子供達には自分で選んだ何かをする能力を持ってもらいたいのだ。マジックにおける私の立場のおかげで、ローラは家で子供達と過ごすことができ、そして、私が今までにデザインしたどんなセットよりも複雑な計画を立てているのだ。
今、サラは我が家のおてんばだ。彼女は無尽のエネルギーに溢れ、身体的なことをすぐに覚える。5歳のころ、バレエをやりたいと言いだした。最初の授業の時に、先生がサラは今までどこで授業を受けていたのかと尋ねてきて、そしてローラの返事を聞いて硬直した。サラにはバレエの経験は一切なかった。そう、彼女は天性だったのだ。
《蔦の踊り手》 アート:Terese Nielsen |
授業が終わり、私たちはサラにもっとバレエをやりたいかと尋ねたが、サラは否定した。彼女はそのあとも演劇、芸術、ダンス、それぞれをすぐに学び取って有望さを見せたが、すぐにまた他のことをやりたいと言うのだった。次は体操を始め、今回も彼女はすぐにその天性の身体能力で評価を高めていった。体操競技の最終的目標は団体で競技することだ。サラはチームの水準をクリアしたが、楽しくなさそうだった。宙返りやタンブリングをするのは好きだが、競技の厳しさは好きじゃなかったのだ。そして、夏になって、彼女は朝はダンス、昼はチアリーディング、夕方は体操というキャンプに参加した。キャンプの最後に、サラはチアリーディングがやりたいと告げてきた。
ローラと私はこのリクエストについて話し合った。サラは様々な分野で才能を見せている。もし1つだけを選んだなら、それに集中し、その選んだ活動ですごい成績を残すかも知れない。しかしローラは言ったのだ。私たちの考えは間違っている、と。サラにせよ他の子供にせよ、成長させる目標は何かのエキスパートにすることではない。何らかのスキルや能力値を上限まで上げれば良いというようなロールプレイング・ゲームをしているのではないと(このたとえは私がやったもので、ローラがやったものではないが、まあ、諸君にもこのほうがわかりやすいだろう)。
私たちは多才で幸せな子供を育てようとしているのだ。私たちの目標は、サラのために解法を見いだすことではなく、彼女に機会を与えることだ。やがて、サラは自分のなりたい人物像を見付け、人生の焦点を見付けることだろう。私たちはその親として、彼女にあらゆる経験を与えることだ。もし彼女が思いつくままにいろいろなことに手をつけても、それでいいのだ。今の彼女を助けるのが私たちの役目であり、将来なるかもしれない彼女を助けるのは私たちの役目ではない。
マジックのセットもこれとよく似ている。ある日、そのセットは何なのか、焦点が何なのかがはっきりする。しかし、それまではセットの可能性を閉ざしてはならない。しばしば、私はデザイン・チームのメンバーに、私が個人的には成功するとは思わないような提案を求める。そして、もしそれが何か新しいものをもたらしてくれると思ったなら、それをファイルに入れるのだ。それがうまく行くときもあるし、そうでなくても、その発想を出発点にして初めてたどり着けるような何かを見付けることができることもあるのだ。
2週前に話した通り、驚くべきことは常に存在し、そしてそれを起こったままに当てはめようとしなければならない。この教訓は、自分の可能性を閉ざすことなく、それらの驚くべきことが起こるのを受け入れなければならないということである。そして、失敗を恐れてその未知を閉ざしてはならないのだ(そう、これらの教訓はすべてつながっている)。
タイムシフト・カードを提案したとき、時のらせんでそれが何の役に立つのかは私にもわからなかったが、その存在がセットだけでなくブロック全体の形を根本的に変えた。例えば未来予知の特徴になったミライシフト・カードは、時のらせんのタイムシフト・カードがなければ存在しなかった。
デザイナーとして、私は、自分の子供に接するのと同じように、自分のセットにも自由に探求させている。そうすれば、そのセットのあるべき姿はそのセット自身が示してくれるのだ。
教訓#8:相手に耳を傾けよ
子供達には義務としての活動がある、という話をした。その1つが水泳である。我が家のルールとして、プールに落ちても簡単に岸にたどり着けるようになるまで水泳の練習をするというものがある。レイチェル、サラは水泳の才能があり、すぐに水泳の義務から解放された。アダムはそうではなかった。
アダムは多くの子供達と同様、水を怖がった。水遊びは好きだが、足が届かなくなるとおびえるのだ。何年も、私たちはアダムを地元のプールでの教室に参加させた。姉妹が上級クラスに行っても、アダムは入門クラスに残っていて、水に顔をつけることさえも恐れていたのだ。
眼鏡のトラブルから、私たちはアダムが嫌がったからといって身を守る術を学ばせないつもりはなかったので、授業が続けられた。何年も何年も、何も変わらないように見えた。水泳教室の最年少だったアダムは、最年長になっていた。苛立って、ある日私はアダムを座らせ、こんな会話をしたのだった。
私:アダム、なんで水泳が嫌いなんだ?
アダム:水泳は好きだよ。
私:なんで顔を水につけようとしないんだ?
アダム:うーん、嫌いだから。
私:なぜ?
アダム:怖いもん。
私:先生がいても怖いのか?
アダム:うん。
私:なんでだ?
アダム:だって、気にしてくれないもん。
私:どういうことだ?
アダム:大きい人が先生に、僕のことを気にするなって。
私:なんでそんなことを?
アダム:僕が時間を取りすぎてるからだって。
アダムが進歩できないのは、先生が忙しく、彼の求めるだけの注意を払えないからだった。手が足りないので見限られていたのだ。となれば解決策は明白だ。アダムに必要なのは個人レッスンだったのだ。
私が衝撃を受けたのはこの問題への解決策ではなく、アダムが解決のために必要な事実を把握していたという事実だった。アダムに何が問題なのかを聞くということを考えもしなかったために、何年も空回りしていたのだ。年上だからといって、アダムが知っていることはすべて知っていると思ってしまっていたのだ。
私たちはすぐに良い個人教師を探し、アダムはほぼ1年の間授業を受けた。すぐに、というわけにはいかなかったが、アダムは水に顔をつけられるようになり、そして、より重要なことに、喜んで水泳教室に行くようになった。
この教訓はマジックのデザインにもそのまま当てはまる。私がデザイナーに告げることの1つに、「自分のセットに耳を傾けろ」というものがある。プレイテストの際には、特定のカードやメカニズムやテーマが浮かび上がってくるものだ。プレイテスターの話題にのぼるカードであったり、デザイナーの注意を惹くカードであったりする。上に浮いてくるクリームに、リード・デザイナーは注意を払わなければならない。うまくいっていないものも出てくるので、同様にその情報にも注意を払う必要がある。
例えば、ゼンディカーの時、私は土地メカニズムが必要だとわかっていたが、違うところに目を向けていた。土地を出すことをリソースとして捉えるという考えに囚われていたのだが、プレイテストを通して、それは人々を苛立たせる性質を持っているとわかった。したくないことをすることをプレイヤーに強要し、そしてそうしたときに反動があることもあった。この問題への解決は、逆方向に向かうことだった。したくないことを強要するのではなく、したいことをしたときに見返りがあるようにしたらどうだろうか? それが上陸のはじまりであり、セット(やプレイヤー)が望むものに耳を傾けた成果である。
ときおり、子供やセットというものは反抗するものだ(教訓#2参照)が、逆に助けてくれることもある。それに気付くには、相手の声に真摯に耳を傾けなければならないのだ。
教訓#9:ある時点で、成り行きに任せるという判断が必要だ
私が評価する価値の1つに、教育の重要性がある。我が家では大学の話は出たことがないが、当然そうだろう。ローラと私はその同じ評価を子供達にも持たせようとしている。彼らの仕事は、学生になることだと伝えている。彼らは能力の限りを尽くして学ばなければならない。その大部分は家でのことである。
小学校の間を通して、レイチェルは1人の先生に学んでいたので、毎晩の家庭学習を追いかけるのは非常に簡単だった。レイチェルが毎晩しなければならないことが何だかわかっていて、彼女がそれをきちんとしているかどうかを先回りして確認できた。そのようにして、小学校は非常にスムーズに進んだ。
昨年、レイチェルは中学校に進んだ(そう、キャリア・デーに私が講義した学校だ)。中学校は小学校と色々な点で異なる。まず、授業ごとに違う先生が受け持つので、家庭学習に協力するのも非常に複雑な話になる。最初は、ローラと私は小学校の時と同じ方法を採ろうと計画したが、すぐにそれが現実的でないだけでなく不利益をもたらすとわかった。
一歩引いてみると、親であることは子供達が自立するために必要なあらゆる技術を与えることである。親はずっと親であるとはいえ、子供達はどこかで家から巣立っていく。その日が来れば、親は子供達を保護することはできなくなり、子供達自身の活動を信頼するしかなくなるのだ。
この点を掴むことの一つに、子供の問題を全て解決してあげることが子供のためではないと学ぶことがある。成長するにつれて、子供達が自立することを認める方法を見付けなければならない。レイチェルに関して言えば、その最大の第一歩は自力で家庭学習をさせることだった。毎晩何をしなければならないのかを自分で知り、そしてそれをやりぬくのは彼女自身の役目なのである。
私たちはその助けとしてはいて、彼女が助けを求めたなら協力したが、そうでなければただ見守っていた。これはレイチェルにとっての大きな変化であり、いくつかの手違いはあった。しかし時を経て、彼女はその挑戦に打ち勝ち、自らの家庭学習という王国の女王になったのだ。
《高まる混乱》 アート:Dan Scott |
マジックのデザインもこの教訓とよく似通っている。私がセットに取り組む時、私はそのセットがいつか私の手を離れていくということを知っている。私の目標は、そのセットが将来デベロップに、そして世界に出て行くために必要なものを備えられるようにすることである。
私がもっともよく受ける質問の1つに、デザインとデベロップの違いは何か、というものがある。いくつもの答えがあるが、ここでは「デザインはセットの性格、雰囲気、調子を定めることである。デザインは大枠を描き、セットに人格を与える。そしてデベロップはデザインが描いたものを受け取り、それを仕上げて実践的なもの、バランスの取れたもの、使えるものにする。デベロップがその仕事をできるようにするため、デザインはセットの方針を定め、その展望を作る。デベロップはそのセットが目的地に向かう方法を見付けるが、デザインはその目的地をデベロップに伝えるのだ」と答えておこう。
マジックをデザインする中で、私は、デザイナーとしての私の仕事はデザインすることであり、それ以外の部分はそれぞれのエキスパートに任せるということを学んだ。では、セットが私の管轄から離れるまでにしなければならないことは何か? 私は、それがなりたいものを教え込み、それが本質を見いだすのを助け、それが役目をこなすために必要な道具を与えなければならない。そう、私は親のようなものなのだ。
教訓#10:子供達はそのなるべき姿になる。させたい姿ではなく。
親であることの最大の楽しみの一つに、自分と似た部分を子供に見いだすことがある。例えば、レイチェルは天性のパフォーマーで、人々の前に立つのが好きだ。中学校では、彼女は朝の放送のキャスターを務めている(学校の放送が映像で流れているのだ)。レイチェルは監督するのが好きで、よく動画を撮影して編集している。彼女は文章を書くのが好きで、自分の台本を自分で書いているのだ。
私は彼女が試聴しているのを見て、自分の学生時代のことを思い出した。彼女が自分の動画を作るのを見て、私はボストン大学のコミュニケーション学部にいた日々のことを思い出した。彼女が書いているのを見て、私が......思い出したのは、諸君もご存じのことだ。子供が自分と同じ情熱を持っているのを見るのは、本当に楽しいことだ。
アダムはゲーム、特にビデオゲームが好きだ。彼は漫画とスーパーヒーローが好きだ。彼はその鮮烈な想像力のままに物語を作るのが好きだ。子供時代のことは忘れよう。私は今でもそうなのだ。アダムにプレゼントを買うのは、自分が楽しめるようなものを買えばいいのだから簡単だ。毎年、私はサンディエゴのコミック・コンに出かけ、そしてアダムへのクリスマス・プレゼントの詰まった大きなカバンを持って帰ってくる。私の好きなものはアダムも大好きなのだ。
それから、サラだ。上で言った通り、サラはおてんばだ。彼女はとても身体的で、エネルギーに満ちあふれている。彼女はあらゆる運動に秀でているように見える。私の子供時代は(ああ、うん、今も)そうじゃなかった。私は精神的にはともかく、身体的に優秀だったことはない。
サラは音楽に興味がある。私はない。サラはダンスが好きだ。私は違う。彼女の興味は私が子供時代に知っていたことには興味がない。私がここで書いたことは、ほとんどがローラにも当てはまる。彼女はアスリートで、体操やタンブリングが好きだ。そして音楽とダンスが好きだ。サラを見ると、ローラの影響が見える。
しかしさらに深く掘り進むと、サラの中にも私の影響が色々と息づいているのがわかった。少しばかり深く潜みすぎているだけだ。サラはとても感情移入が強く、他の人を助けることを好む。彼女は感情に素直で、自分の感情を表現するのが好きだ。彼女は私の気持ちを暖めるような方法で幸せを受け入れる(私の子供はみんなそうだ。これが、私の親としての最大の楽しみの一つである)。
もし私が自分の子供がどうなるかを予言しなければならなかったなら、レイチェルやアダムのような子供は想像できただろうが、サラのような子供は想像しなかっただろうと思う。しかし、それは現在のサラのすばらしさを少しなりとも傷つけるものではない。私がこの教訓を最後に持ってきたのは、私が親として得た最大の教訓がこれかもしれないからである。
親は遺伝的にも環境的にも子供に影響を与えるものだが、子供達はその成長するように成長するものだ。それをねじ曲げるのが親の仕事ではなく、子供達の成長を受け入れるのが親の仕事である。さらに、子供達がなろうとしているものを見付け、その成長を助けるのが親の仕事である。親としての役割は、子供達を助け、育てることであり、親が望む姿にすることではない。
この教訓はデザインにおいても同様に重要である。リード・デザイナーはセットを好きなようにするものではなく、セットがなるべき形になるように育てるものである。デザイナーの役割は親の役割と似ていて、自分のセットが何なのかを知り、その成育を助ける方法を知るために力を注ぐことなのだ。
これまで、多くのセットがデザインされてきたのを見てきて、リード・デザイナーがセットを自分の思うままにしようとしたときの危険を見てきた。親が自分の身代わりのように子供の進路を定めたときと同じように、デザイナーは本物とは言えない矛盾したセットを手にすることになるのだ。
その1のコメントを読むと、多くの人は私がデザインに直感を与えているかのように感じているようだ。未経験者に説明するのは難しいのだが、デザインの中で自分の無意識をセットの代弁者として受け入れるというのは重要なのだ。パラメーターを定め、そしてセットを動かしてみる。セットの動きたいように動かしてみる。深く掘り下げていけば動かしているのは自分なのだが、しかしそれは自分の意志で直接動かせるようなものではないのだ。
《堕落した良心》 アート:Jason Chan |
私はよく、デベロップは科学でデザインは芸術だなんて冗談を言う。デザインは感覚を掴むことだからそう言っているとも言える。展望を作るには、セットが語りかけてみるまでそのセットで遊んでみることだ。多分、画家が次の一筆をどこにするか決めるときには同じ事をしていると思う。自分で知っていることではないが、自分の感じることなのだ。
いつセットを完成にするのか、よく聞かれる。永遠に弄り続けることもできる中で、どうやってできたと気付くのかと。皮肉屋は〆切が完成を決めるのだなどと言うが、いくつものセットを作ってきている私は、すべてのものが落ち着いたと言えるタイミングが存在するということを知っているのだ。
そこに至るにはどうしたらいいか? セットを、その望む姿にすればいい。「基本根本」に比べて技術的な見方ではないが、親であるのと同じように、そう気付く瞬間が訪れるのだ。
私は自分の生物的な、あるいはマジック上の、子供達を誇りに思っている。そしてそれぞれにおける私の働きは、もう一方の面での私の理解を深めてくれていると強く信じている。
子供っぽく
この2部作を諸君が楽しんでくれたなら幸いである。こういった個人的コラムは私にとっていろいろな意味を持つので、私がこれを書くことを楽しんだのと同様に諸君が読むのを楽しんでくれていたならば幸いである。いつものように(いや、いつも以上に)諸君の(メール、掲示板、Twitter、Tumblr、Google+などでの)フィードバックを期待している。
それではまた次回、何かが墓地に落ちる時――ゴルガリ特集でお会いしよう。
その日まで、あなたが、誰であれあるいは何であれ自分の子供を誇りに思えますように。
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