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マジック・スポットライト:FINAL FANTASY

マジック・スポットライト:FINAL FANTASY 優勝者 平林 和哉選手インタビュー

平林選手は、グランプリ仙台2001の準優勝やグランプリ北九州2007のベスト8などの戦績を持つ古豪プレイヤー&デッキビルダー。先日のプロツアー『マジック:ザ・ギャザリング――FINAL FANTASY』で優勝した行弘賢選手が、「お世話になった人」として最初に名前を挙げた方です。
そんな平林選手の優勝は、まるで弟子の活躍を見た師匠が戦線に復帰するようなストーリー性が“エモい”と話題になりました。
配信でのインタビューでもマジックへの積もる思いを語って下さいましたが、そのあと昔の話も交え、お話を伺いました。

昔話とプロフィール
――まずは15年ぶりのプロツアー出場ということで、おめでとうございます。プロフィールから軽く振り返らせていただきたいのですが、マジックを始めたのは?
平林「1997年の『ビジョンズ』が出たころですね。高校の通学路のゲームショップに、『第4版』の入門セットが置かれてたんです。マジックの名前はもちろん、カードゲームだということすらわかっていたかどうかあやしいんですが、そのファンタジーっぽい絵柄がめちゃめちゃ気になっていたんです。そのとき名古屋から滋賀に引っ越しが決まったタイミングだったんですね。それで、これも何かの縁だからと名古屋の思い出に買って、弟とやってみたのが最初です」
――当時の説明書を読んでルールを理解できましたか?
平林「デッキが作ってある入門セットなので、そこまで難しくはなかったんですけど、『第4版』当時のルールが書いてあったので、僕はアンティ(※)が正式ルールだと思ってました(笑)」
※アンティ:マジック初期のルール。ゲーム前にお互いのライブラリートップのカードを「アンティ」としてゲームから取り除き、ゲームに勝利したプレイヤーがその所有権を得る

平林「やってみたら、このゲームすごく面白いなと。マジックを始めて3か月めくらいに、よくわかんないけどこの日本選手権名古屋予選というものに出てみるかと。それが最初の大会で、弟や高校の友達以外の人と初めての対戦でした」
――そのときに「アンティルールはないんだ!」って知ったんですか?
平林「いや、さすがにその前にルールは把握してました。とはいえルールミスはいろいろありましたけどね。かなりデッキも弱かったですし。赤緑のステロイド(※)だったんですけど、当時の定番だった《エルフの射手》や《スークアタの槍騎兵》が入っている一方で、《根の壁》や《暴走するヌー》みたいな、当時まだなかったスチューピッド・グリーン(※)みたいなカードも入っていて」
※ステロイド:赤の火力と緑の大型クリーチャーを組み合わせたビートダウン(アグロ)デッキの総称
※スチューピッド・グリーン:《暴走するヌー》の能力で「戦場に出たとき」の能力を使いまわす緑単デッキ
平林「当時『ドミニアへの招待』とか『ディープマジック』(※)とかをいろいろ読んでいたので、情報としてはちょっと古いんですけど、《イラクサの牙のジン》(、4/4、アップキープにコントローラーに1点ダメージ)が強いらしいぞ』ってことだけ知っていて、『じゃあ4/4より強い5/5をサイドに入れておけばもっと強いはずだ』と思って《巨体のサイクロプス》(
、5/5、このクリーチャーではブロックできない)を入れたりしてましたね」
※「ドミニアへの招待」とか「ディープマジック」:1996~7年ごろに出版された、マジックのガイドムックと翻訳書
――懐かしいカード名がたくさん出てきました(笑)
平林「強いのか弱いのかよくわかんないデッキだったわりには、4勝1敗くらいだったのが成功体験になって、滋賀のショップに行ったんです。『ゲームプラザ元気302』っていう、今もあるところなんですけど。そこは京都からも近いので、フジシュー(藤田修)さんが来てたり、あと日高歩さん……って言って伝わります?」
――フジシューさんと同じく、京都の強いプレイヤーさんですよね。
平林「はい。そういう人たちと一緒にやったりしてました。そのあと受験でちょっと空くんですが、受験が終わったあと、久しぶりにマジックちゃんとやるかと思って、エクステンデッド(※)のプロツアー予選にメグリムジャー(※)で出ました(笑)」
※エクステンデッド:モダン・フォーマット制定以前に存在した、古いカードが使えるフォーマット
※メグリムジャー:《偏頭痛》と《記憶の壺》の2枚コンボで1ターンキルが可能なコンボデッキ。禁止になるまで、わずかな期間しかプレイすることができなかった
平林「会場で《記憶の壺》を4枚集めたんですけど、すぐ禁止になっちゃったので、その翌週くらいの予選はハイタイド(※)で出ました」
※ハイタイド:《満潮》を利用して大量のマナを出すコンボデッキ
――すごい、歴史の生き証人感があります。
平林「今思うと、そのころ最新のエクステンデッドの情報をどうやって得ていたのか、よくわからないんですよね。1999年だから、インターネットもそんなにはやっているわけでもないし、海外のデッキレシピが参照できるわけでもないので」
――風のうわさなどから「きっとこういうデッキだろう」という感じで作り上げていたということでしょうか。
平林「そうですね。正確なレシピはわからないまま、聞いた話とかをもとに組んだんだと思います。競技プレイヤーっぽくなるのは、大学に入って東京に出てからです。DCIトーナメントセンター(※)に行くようになって」
※DCIトーナメントセンター:渋谷にあった、公式のデュエルスペース
――プロツアーにも出場するようになるわけですね。
平林「名古屋の予選で権利を取って、2000年のプロツアー・ニューヨークに出たのが最初ですね。初日6-0-1して、当時日本人の構築戦最高記録だったんですが、オリジナル寄りのデッキだったこともあり、そこそこ名前も売れたというか、話題になりました。まあ、2日目は2-5したんですが(笑)。あとそのとき大きかったのが、中村聡(※)さんと知り合ったことですね。プロツアーの権利を取ったけど海外にも行ったことないし何もわからないので、面識のない中村聡さんにいきなりメールして一緒に連れて行ってもらったんです」
※中村聡:通称「NAC」「ハットマン」など。個性的なデッキビルドやビジュアルで、マジック黎明期からの有名プレイヤー
平林「その後ちょくちょくプロツアーに出るようになっても、中村さんにずっとお世話になりっぱなしというか、むしろ一緒にドラフトの練習をしたりという仲になりました」
――平林さんは行弘さんの師匠という話がありましたが、さらにたどると平林さんの師匠が中村さんということに?
平林「マジックの師匠ではないと思うんですけど、プロシーンの師匠ではありますね。本当にお世話になったので」
――(場内の工事の音が激しくなり、電源も落ちる)会場の撤収が佳境なので、すみませんが端折らせていただかないといけないのですが……行弘さんの師匠だったのはいつごろの話ですか?
平林「2007年から09年くらいかな? 当時まだ実家は滋賀だったんですが、1年の1/4くらい福岡に行ってた時期があって、そこで『行弘っていうやる気のある新しいプレイヤーがいるよ』って紹介されたのかな? コミュニティに来て、僕や(加藤)一貴とドラフトを一緒にやったり、もうあまり記憶にないんですが、マナー的な面で叱ったりしたこともありました」

行弘選手の昔の写真(グランプリ北九州2009)

平林選手の昔の写真(グランプリ北九州2007)
――配信のほうでは「弟分のような存在」というお話もありましたね。そんな時代も経て、先日は行弘さんのプロツアー決勝戦を現地で見られてたんですよね?
平林「(職場の)晴れる屋で、半分旅行・半分仕事のような感じでみんなで行くことになり、僕もHareruya Prosのマネージャーとして、現地でプロプレイヤーたちの取材をフォローしたりしていました。そしたら行弘が勝ってると。観光とかはいつでもできるけど、行弘の決勝はさすがに今しか見れないってことで見に行きました」
――あの瞬間に立ち会えてよかったですね。長いこと競技の前線からは離れていたと思うのですが、マジックとのかかわりは持ち続けていたんでしょうか?
平林「うーん、『MTGアリーナ』はやってますし、ドラフトもまれに……年1回、浅原連合(※)の忘年会のあとにみんなでドラフトするくらいは。コロナ前のグランプリも全然練習しないで出るレベルだったので、マジックに触れはしても、競技的なマジックとは相当離れてましたね。
※浅原連合:浅原晃の名前を冠した、関東のプレイヤーグループ
今回のデッキ選択について
――それでは、この「スポットライト」大会に出ようと思った理由は?
平林「まず、グランプリっぽいということですね。もともと国内のグランプリは欠かさず出てた時代もありましたし。グランプリが復活するっていうなら、さすがに出てみるかと。僕のスタンス的には、出たいときに出られるように、エントリーはしておくんです。もちろんそれで出られなくて参加費をフイにしたこともあるんですが……。このイベントに向けての練習も何もしてなかったんですが、行弘も優勝したしなぁと。ただカードを持ってない(笑)。友人に借りたんですけど6割くらいしかなくて、残りをどうしようかと思ってたら、デッキを丸ごと貸してくれる奇跡の人が現れました」
――その人に感謝ですね。せっかくなのでお名前を伺っても?
平林「丸ごと貸してくれた晴れる屋のハマダさんも恩人だし、使わなかったけどその前に6割貸してくれた風太郎も恩人です」
――確かに。ではイゼット果敢を選択したのはなぜですか?
平林「理由はいくつかあって、まず強いこと。『MTGアリーナ』ではちょこちょこ回していたこと。あと、《手練》や《選択》、《食糧補充》が入っていて、こういうデッキが好き。という理由からです。ゼロックス(※)タイプのデッキは昔から好きではあるんです。それこそ《熊人間》を育ててた(※)ころから《手練》と《選択》を使ってましたし」
※《熊人間》を育てる:土地が少なく、軽いスペルとスレッショルドのクリーチャーで構成された「ミラクルグロウ」デッキ
※ゼロックス:土地が絞られ、ドローやキャントリップ呪文で回すタイプのデッキ
――ああ、そうでした!
平林「《手練》撃ってるだけで、「このゲーム、脳にいい!」ってなるんですよ(笑)。果敢や《コーリ鋼の短刀》がなくても、1ターン目に《手練》撃てば「このゲーム、気持ちいいな」って(笑)」
――それは相当ですね。メタゲーム予想的にはどうだったのでしょうか。
平林「プロツアーで多かったイゼット果敢と赤単は、グランプリでもある程度多いだろうけど、もう少しデッキタイプは散るだろうなと思ってました。そうなると当然地力が高く、安定しているデッキが強いので、イゼット果敢がいいだろうと。自分で回していて、スタンダードというよりパイオニアやモダンにも差し掛かっているくらいのスペックを感じる強さなので」
――デッキパワーと安定性が第一だったんですね。
平林「今回のレシピは、プロツアー5位の完コピなんですよ。上位のデッキをいろいろ見て、一番性に合いそうなものを選びました。ただサイドプランは全然やってなくてぶっつけですね」
――ちゃんとサイドボードしたのは昨日だとか。大会当日、実際の戦いを経る中で強くなっていったと。
平林「僕はだいたいそんな感じです」
――フィーチャーマッチでも、時々相手のカードテキストを読んでいましたよね。
平林「デッキの概要は多少わかってるんですけど、カードの詳細な能力はわかってなくて。昨日は2-1で勝つ試合が多かったんですけど、そのおかげで学習効果が高かったです(笑)」
――2-0で勝つより学びが多いですからね。

――デッキのMVPカードを挙げるならどれですか?
平林「トップ8プロフィールでも聞かれた質問ですが……1枚に絞るならやはり《手練》です。何枚でも引きたい。初手には欲しいじゃないですか、1ランドキープもできるし。果敢の誘発にもなるし。手札が切れてくるとチェインさせる必要が出てくるので、キャントリップ呪文をトップデッキしたいと思う瞬間は相当多いんですよね」
――序盤中盤終盤、いつでも引いてうれしいカードだと。
平林「このイベントを通じて、《食糧補充》をよく引いたなとか、《嵐追いの才能》が初手によくいたなというのはありますが、あれらのカードはそれだけでは勝てない。でも《手練》は、いつでもどれだけでも引きたいカードです。僕が《手練》を好きすぎる可能性はあるんですけど(笑)」
大会を振り返って
――今大会の勝因は?
平林「このレシピがほんとに強かった。最初は少し気になるところを変えようかなとも思ったんですが、やってないのに変えてもしょうがないだろうと思ってそのままにしたら、やっぱりすごくいいレシピで。メインに1枚だけ《この町は狭すぎる》が入っていて、サイドボードに2枚目があることとか、何が何枚ということに意味が感じられる、いいレシピだったと思います」
――最初は変えたいと思ったところも、実戦で身をもって「このままでよかった」となったわけで。そうすると、プロツアー5位の人(デイヴィッド・ルード/David Rood選手)も恩人ですね。
平林「ほんとにそうです。逆にほかのレシピはしっくりこなかったので、しっくりくるレシピがあってよかったです。決勝の最後もあんな勝ち方になるとは思ってなかったですし。ハンド弱すぎて、99%あきらめてました。使い道のないバウンスと熊パン(《巨怪の怒り》)ばっかり来るし。でも『あれ? これもしやワンチャンあるのでは?』って」
――全部かみ合ったわけですね。そのへんはカバレージで詳しくご覧いただくとして。そのほか、思い出深い試合はありましたか?
平林「予選ラウンドずっと無敗で来て、負けたあとすごく不安になりました。というか、こんなに勝てるとは思っていなかったので、ここまでができすぎで、やっぱり負けるのか……みたいな思いがないわけではなくて。ただ15ラウンドとかもそうですが、対戦相手に気さくな人が多かったので、リラックスしてプレイできたのがよかったと思います」
――配信などでも言われていましたが、ある程度ブランクがあっても、環境のデッキを熟知しているわけじゃなくても、基礎力があれば勝てる、というのがマジックなんでしょうか。
平林「それはすごく感じます。あと、僕が今回勝てたのは、ほぼ確実に『MTGアリーナ』のおかげですね。競技マジックに真剣にコミットしていなくても、マジックとの接点が持てて、トップメタのデッキを回してスタンダードを遊べるというのは大きいです」
――ただ、オンラインでずっとやっていると、リアルでの果敢のカウントとか、わけがわからなくならないですか?
平林「ダイスは多いしトークンは多いし、昨日はけっこう時間切れになりそうな試合が多くて、リアルでやってない弊害だなとは思いました。ただ、プロツアーで果敢の管理をどうやっているのかとか、見ることで理解はしていたので」
――ああ、それも観戦から学んでいたんですね。

次の目標
――最後に、賞金の使い道は?
平林「今回権利を獲得したプロツアーがモダンなので、モダンのカードの準備に充てると思います」
――では次の目標はそのプロツアーということになりますか?
平林「僕がプレイヤーとして未練があったのは、プロツアートップ8とグランプリ優勝なんですね。今回、図らずもグランプリ優勝をクリアしてしまい、プロツアーも『また出れたらいいな』の夢が叶ったので、そうなったらプロツアーベスト8も……次回じゃなくても、いつかどこかで取りたいですね」
――そうですね。15年前の忘れ物を取りに行くということで。
平林「僕の後の世代であり、会社的には一応僕の部下である原根(健太)さんと一緒にプロツアーに出られるというのも楽しみです。応援してきたけど、次は同じフィールドに立てるので」
――はい、さらなる“エモ展開”に期待しています!

『マジック:ザ・ギャザリング――FINAL FANTASY』で好きなカードをお聞きしたところ、「やっぱり《迷える黒魔道士、ビビ》」とのことでした。
このあともオンライン大会「マジック:ザ・ギャザリング ジャパンオープン2025」やカジュアルなお祭りイベント「マジック大戦祭 GoGo!! MAGIC: THE GATHERING」など、さまざまなイベントが続きます。またどこかでお会いしましょう!
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