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MAGIC STORY
ストリクスヘイヴンの秘密

第5話 決壊点
2026年3月28日
「暴力が常に解決策になるとは限らないが、それが必要となる時は断固として行動しなければならない。」以前、彼女にそう言ったことがある。
旅において、沈黙とは最悪の道連れだ。
そもそもチャンドラは決して沈黙が好きではない。彼女にとって沈黙とは、何もせずにじっとしていることを意味する。それは言いたいことと言えないことを隔てる空間。胸の中で大きくなる圧迫感、今にも弾けてしまいそうな爆弾。沈黙は、遅かれ早かれ痛みがやって来るということを意味していた。
アジャニは彼女よりもずっと、沈黙をよしとしていた。沈黙と連れ立った旅には慣れていた。友のいない孤独なレオニンとして生きた日々はとうの昔に去ったが、それでも独りの夜は沢山過ごしてきた。数えきれないほど、かもしれない。埋葬された友、絶たれた絆、この手を染める血。沈黙という空間に思考は反響する。
近頃はどうだろうか? 近頃その空間を気に入っているかどうか、アジャニは確信が持てなかった。
プレインズウォーカーふたりが、タイタンの墓の地下トンネルを重い足取りで歩いていく。両者とも、一言も発することなく。
チャンドラはそれを考えた。
話す内容をきちんと考えていたわけではない。計画を立てるのは得意ではない。けれど頭の中で会話の流れを仮定はしていた。少なくとも、できる限りは。だがそれはしばしば鳴り響くような頭痛や過去の記憶に、あるいは記憶ではないものの記憶のように感じられる何かに邪魔をされた。
いつもそうやって私を子供扱いして。確かに私はすぐに熱くなるけれど、馬鹿じゃないのよ。
一歩。
私を信頼してくれたことなんてないでしょ。まだ十分な実力を証明してないっていうの?
もう一歩。
私だって、あなたと同じくらい指導経験があるのよ。
三歩。今歩いているその場所は、もはやアルケヴィオスの地下洞窟ではなかった。どこか別の場所だった。見たことのない、知識にもない場所。大気はエネルギーに溢れ、喉が詰まりそうだった。チャンドラは怯えた。興奮した。死の直前の、誕生の直前の、稲妻に撃たれるような瞬間。
お願い、これだけは信じて。私が「これは本当にまずい」っていうのは本当だってことを。
四歩目で彼女は洞窟に戻ってきた。片足が根に引っかかる。意識が戻り、方向感覚が回復しかけた瞬間、チャンドラはつんのめった。
アジャニが彼女のフードを掴んだ。またもや、言いたい言葉がこみ上げてくる――ありがと、でもそんなことしなくてもいいのに。
だが今回も沈黙が喉を塞ぎ、言葉は出てこなかった。
アジャニはチャンドラを引いて立たせた。そして彼女の肩を軽く叩こうとしたが、途中で手を引っ込めた。その表情が曇っていることは容易にわかった。
チャンドラは服の土埃を払った。前方で道が三本に分かれている。一本は右へと伸びる茨と棘のトンネル、もう一本は巨大な骨の中を通っており、泥のような骨髄が溜まっていた。最後の一本はキノコが階段状に並ぶ道で、さらなる地下の暗闇へと螺旋状に伸びていた。
どれを選ぶべき?
これまでも何かに直面した際、立ち止まって議論しようとしたことはなかった。この深さにいても何も見つかりはしないと直感が告げていた。もし自分があの巨大なアルカイックだったら、自分を傷つけたものから身を隠したがるだろう。
その傷つけたものが私だったとしても。
アジャニはそれを考えた。
それを考えるのは、熟考するのは自分の役目だ。ここでチャンドラの指導者が務まらないのであれば、自分は果たして師と言えるのか? 会話が困難だからといって、会話をする相手の価値が下がるわけではない。チャンドラは明らかに苦しんでいる。そんな彼女を導くのは、なおさら重要なことではないだろうか?
だが先程、それを試みた。そして上手くはいなかった。
今、自分たちはどのような関係なのだろうか? チャンドラは何よりも、対等な存在として認めて欲しがっている。それでも彼女がここで下した決断を尊重することはできなかった。話を聞こうとせず、対話も拒むような相手を対等として扱えと?
チャンドラの頭痛はどのような意味にも解釈できる。幻覚も。未来は常に様々な解釈を受け入れる。曖昧な予言を誤解したために、英雄が命を落としたということは何度もある。それが何者かの仕業ではないと断言していいものだろうか? 例えば、アショクがチャンドラの頭に幻覚を植え付けているのかもしれない。彼女の恐怖を食らっているのかもしれない。
だが、どうすればそれを確信できる?
何としてでも確信を持ちたかった。斧の一振りで切り倒された木が、再び大木となるには百年かかる。戦士は常に確かな心を持たねばならない。またも新たな戦争が、新たな争いが、暴力の激発が起こる――それを思うとアジャニの肩は落ち、背中が痛んだ。
ふたりは暗闇の中を降りていった。チャンドラが先を行き、彼はついて行った。そのことに不満はなかった。チャンドラの髪の炎が行く先を照らしていた。
その表情に影が踊った。ピア。ヤヤ。
彼はチャンドラに話そうかとも考えた。「君を見ているとあのふたりを思い出す」、そのように言われたなら喜ぶかもしれない。だが、既にわかっているかもしれない。
実のところ、道の先を見るために光を必要としたことはなかった。レオニンの視覚はこの洞窟のような暗闇を十分に見通すことができる。長年このような洞窟で生活し、生き延びてきた彼はよくわかっていた。
だがアジャニは何も言わなかった。その温かさと過去の影は、ありがたかった。
アルカイックを目にするよりも早く、その音が聞こえた。タイタンの墓に満ちる濃密な静寂の中、うめき声が響いた。そして鋭く息を呑む音、聞き覚えのある声が続く。「ああ、ほらほら。文明の誕生も終焉も見てきたのでしょう? ちょっとした応急手当くらい大したことはありませんよ」
チャンドラの胸が締め付けられた。既に感じていた――周囲に燃え上がる炎を、揺らめく熱を、そして実体となる時を待つ眩いエネルギーを。
すぐ近くにいる。
またもうめき声、そして何かがぶつかるような音。
「面白い傷跡になるかもしれませんよ。他のアルカイックにはないでしょうね。ただでさえ、あなたは他よりもはるかに背が高くて目立つのに。さ、もうすぐ終わりますよ」
チャンドラはもう一歩を踏み出した。その足が着地した地面は、何故か……元気だと感じた。弾力があり、生き生きとしているような。キノコの階段は終わり、通路が伸びていた。その先を見るために炎は必要なかった。アルケヴィオスは、必要な光をすべて提供してくれていた。
銀色に輝く光の槍が、タイタンの空ろな眼窩を貫いていた。ここで、忘れ去られた巨人の白化した頭蓋骨の中で、今一度の月が見えた。巨大なアルカイックもそこにいた。それは苔むした骨の壁にもたれかかり、座り込んでいた。泡立つ傷口は光を受け、深い影を宿していた。アルカイックの掌の上にジャズィがひざまずき、巨人の肉体に向けて複雑な治癒呪文を唱えていた。荒い呼吸とともに巨大な胸が上下し、指は激しく痙攣していた。
![]() |
| アート:Elliot Lang |
ジャズィとアルカイックに面して、マナのもつれがあった。それとも、マナのもつれに似た何かだろうか。けれどタイタンの墓にマナのもつれのようなものは存在しない、チャンドラの生徒たちはそう断言していた。この不安定なエネルギーの渦が何なのかはわからないが、良いものであるはずがない。そこから触手のように伸びる魔力の先端はほつれ、あるいは物騒に尖っていた。神河の明かりのようにちらつくものもあれば、テーロスの神々の魔法に似て輝くものもあった。ある種の創造と破壊がそこにはあった。織物がほどかれ、再び織り上げられるように。
チャンドラは立ち止まった。静寂を見つめながら、手の中では炎が燃え盛っていた。解き放たれる時を待っていた。
とても簡単なことのように思えた。彼らがここで見つけた平穏を、炎の槍で貫く。アルカイックは身を守ることができないほど傷ついており、ジャズィはそのアルカイックの世話で手一杯だ。もちろん、アジャニが止めようとするかもしれない。けれど問題ない。今なら自分が勝つ。
とても簡単なこと、なのに、どうしてためらっているのだろう?
ジャズィが言った。「ええ、わかっていますよ。こっそり近づいてくる女の子がいるのですよね。もう少し頑張ってもらわなくてはいけませんね。それと覚えておくと良いですよ、炎をまとう者はとても目立つ影を作るということを」
舌が上顎の裏に張り付いた。生まれて初めて、チャンドラは言い返す言葉を失っていた。
「彼女には何度もそう言っているのですが、なかなか耳を貸してもらえないのです」アジャニは答えた。その言葉は感情よりも先に出てきたものだった。心のどこかでは、数時間前に自身を連れ去った相手の手当をするジャズィを奇妙に思っていた。自分だったなら、同じことをするだろうか? そして自分自身も気に入らない、ごく小さな部分は、果たしてその行為に意味はあるのだろうかと考えた。
チャンドラにとっては? 割れ仮面たちに教えを授けることに費やした時間は、その時の彼女にとって本当に価値のあるものだったのだろうか?
そういった疑問の答えを探すよりも、話をする方がずっと楽だった。
老いた神託者は身体を起こし、肩越しに振り返った。「生徒さんというのはそういうものですよ。すべては時間です。時間をかけて、話を聞いてもらえるようにする。そうすれば何年かは聞いてもらえますが、その後はこちらの言うことをすべて無視するようになるのです」
「そういうのじゃないわよ」とチャンドラ。
ジャズィはアルカイックを軽く叩いた。呪文がその肉体へと浸透する。離れていてもアジャニにはその様子がわかった。見事な技だ。これまで様々な治療の術を見てきたが、ジャズィの技の中には彼も知らない精緻なものがあった。「チャンドラ・ナラー、多元宇宙の英雄さん。そうでしょう? あなたの教え子を何人か知っていますよ。あなたのことをとても高く評価していました。あなたのすべてを、ではありませんでしたが」
アジャニは前へと踏み出した。そして振り返り、ついて来るようチャンドラに促す。そうしてくれるかはわからない。だが彼女は彼女の足取りで、黙ったまままっすぐについて来た。それはチャンドラが、ジャズィの言葉の意味を完全に理解していることを意味していた。
アジャニはジャズィに尋ねた。「無事だったのですね? ルーウェン君たちは最悪の事態を怖れていましたが」
ジャズィはそれを笑い飛ばした。「私を参らせるのは、もっとずっと大変ですよ。私のこの友達が、執務のための時間を欲しがりましてね。書類の作成は得意ではないようですが、何とかやりましたよ」
ジャズィは何故そのように平然としていられるのだろう? 研究の途中でさらわれ、タイタンの墓の中を延々と連れ歩かれ、チャンドラの炎に生きたまま焼かれそうになった――なのに不機嫌さの欠片もなく、普段と何ら変わらない。
何故もっと怒っていないのだろう?
「そのアルカイック、一体何を話したかったの?」チャンドラが問いかけた。その声ににじむ焦りに、アジャニは不安になった。
「ジャズィ様に少し休む時間を――」アジャニはそう切り出した。
だがジャズィその人が口を挟んだ。「実のところ、そのお嬢さんの疑問に答えてあげたいのですよ。全部明かした方がいいでしょうね」神託者は小さな水たまりを指さした。「それはそうとして、喉が渇いたのなら、あれは飲めると思いますよ」
プレインズウォーカーふたりは視線を交わした。そしてその水辺に膝をつく。アジャニが飲もうとする前に、チャンドラが指先で水面に触れた。即座に湯気が立ち上り、水が沸騰する。一瞬の出来事だった。
「安全のためよ」チャンドラはそう呟いた。
彼は掌に水をすくい上げた。「ありがとう」草の塊が入った熱湯を好む者はいないだろうが、チャンドラのその親切のおかげで安心して飲むことができる。
ジャズィは感心したようだった。伸びをひとつして辺りを歩き回り、普段通りにゆっくりと、そしてはっきりとした口調で切り出した。
「私たちのこの、新しい友達はアルカイックです。どういった存在であるのかは、アルケヴィオスの出身であれば大抵は知っています。とはいえあなたがたは他所から来たのですし、ヴェス教授の執務室であなたがたを見かけた覚えもありませんので、詳しく説明しましょう。アルカイックとは神託者です、私と同じような。私たちは死ぬと、他の世界や宗教で説かれているような場所へ行くことはありません。放り投げられるように過去に戻され、歴史のすべてを追体験するのです。その過程のどこかでアルカイックの姿へと変わるのです。私もいずれは。楽しみですよ」
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| アート:Nathaniel Himawan |
巨大なアルカイックが轟音を立てた。
「私はこれまでに、沢山のアルカイックと関わってきました。信頼関係と理解を築いてきました。語ろうと思えば、個々のアルカイックについての詳細を語ることもできます。どのアルカイックがどの神託者であったかも、ある程度は仮定できます。本当ですよ。何人かは完全に突き止めました。しかも、私にお金を借りているのですよ」
「でも、ここで私たちに言いたいのはそんなことじゃないんでしょ?」チャンドラが言った。
「話を遮るのが好きなのですね、お嬢さん? そうでしょう。ですが、確かにその通りです。ここまでは重要なことではありません。あなたがたに知っておいて頂きたい、ちょっとした物事に過ぎません。重要なことというのは、このアルカイックが、最後のアルカイックだということです。いつの日か、私の最後の同輩、最後の神託者となります。ですので、苦しむアルカイックたちを見た時に私がどれほど驚いたかは想像できるでしょう」
アジャニにとって、これは好ましい展開ではなかった。
「正直に言いましょう。アルカイックたちの問題こそが、私がタイタンの墓を訪れた理由です。そうでもなければ、神経を逆撫でするようなこの場所に来ることなどありません。土産物屋、舗装された道。どれも真の探索の妨げになるばかりです。町が発展していくのが嫌いというわけではありません。皆そのために頑張り、上手くやっているのでしょうから。とはいえ、そのような変化を起こす際には慎重でなければなりません。目的意識を持たなければなりません。そうでなければ、その変化は波紋のように広がり、気づいた時には……」
ジャズィは溜息をついた。
「先程も言いましたが、ここの友は、私に気づいてもらう最善の手段をとったわけではありませんでした。とはいえそれで私は気づきましたし、もっとひどい目に遭ったこともあります。そしてアルカイックたちの話は、その強引な手段を許して余りあるほど深刻なものでした」
アジャニは額に皺を寄せた。不吉な予感が肩にのしかかる。まるで背骨の突起に槍の穂先が触れているような。「彼らは何と?」
ジャズィはまっすぐにアジャニを見つめた。視線を受け止めたまま、ゆっくりとした呼吸を20回。小柄で老いた体格にもかかわらず、彼女のすべてが手強く、不屈だと感じた。これまでに対峙してきたどのようなドラゴンにも劣らないような。「何かがアルケヴィオスの未来を脅かしている、と」
チャンドラが悪態をついた。彼女はアジャニへと近づき、両目を燃やしてジャズィを指さす。「ジェイスよ! 断言してあげる。それはジェイスよ」
そのような災禍を引き起こすことができる存在は極めて少ない、アジャニもそう認めざるを得なかった。それでも……自分たちが話している内容について、確信を持っていなければならない。
「ありうる」彼はチャンドラへと言った。これ以上彼女を苛立たせるわけには、ようやく辿り着いた休戦状態を台無しにするわけにはいかなかった。「神託者様、一体何故そのようなことが起こっているのですか。何か心当たりはあるのですか?」
ジャズィは首を横に振った。「もし心当たりがあるなら、些事はすべて飛ばしてもう話しています。優れた教育者は、率直な答えを言うべき時を知っているものです」
傍らで、そのアルカイックがすすり泣くような声を漏らした。すると奇妙なことが起こった――さざ波がアルカイックへと広がった、まるで消えかけの幻影のように。とはいえそれは幻影ではないと、少なくともジャズィが維持しているのではないとアジャニは確信できた。背中に苔が垂れる様子、月光がその皮膚を照らす様子、それらを再現するにはあまりにも多くの労力を必要とする。
「見えるでしょう、その干渉の結果が。アルカイックたちが存在と消滅の境目にあるのです。アルケヴィオスに未来がないのであれば、アルカイックも神託者も存在しません。私たちはあるべき姿での存在を止めてしまうのです。燃える炎から、酸素をすべて奪うようなものです。あるいは水から、でしょうか。すべてが……崩壊してしまいます」
ジャズィは下を、そのアルカイックを見た。彼女の顔には苦痛が浮かんでいた。本当に、心からその生物を気にかけているのだ。「想像してみて下さい。あなたはありえない道を歩いています。何度も折り返し、見渡す限り続いています。あなたはその道の始まりも、終わりも知っています。これまでずっとその道を歩いてきましたし、これからもずっと歩き続けるでしょう。ですがある日、あなたが一歩を踏み出すと、足が地面に触れる寸前にその道が変化します。石畳は砂に変わります。果たしてそれは、同じ道でしょうか?」
チャンドラは顔をしかめた。「要点を言ってくれるんじゃなかったの」
「これがその要点です。アルカイックたちはその道を歩んでいますが、道は石や砂でできているのではなく、存在あるいは冷たい虚無でできているのです。そこにあり、そしてそこにはないのです。いつ、どのように、そして自分たちが消えている間に何が起こるのかを予測はできません。戻って来られる保証すらありません。想像してみて下さい。競争のサーキットを駆け抜けている時に、何分間か消えたらどうなりますか。誰かに衝突するかもしれません。瞬きをした瞬間に、残骸の中で我に返るかもしれません。生き延びることはできるでしょうか?」
辺りに静寂が訪れた。ジャズィは話しながらチャンドラに近づいていた。そして、巨大なアルカイックへ向けるものと同じ鋭い視線で彼女を見つめていた。
チャンドラは眉をひそめた。「生き延びられるとは思わないわ。だからこそ、事態がこれ以上悪化する前に止めなければいけないのよ」
「あなたの言う“止める”とは、火をつけることなのでしょう」ジャズィはかぶりを振ったが、そこに非難はなかった。むしろ、かつて似たようなことを考えたことがあるというような、そんな仕草だった。「アルカイックを消し去るのは、症状だけを手当てするようなものです。病気を治療しているわけではありません。別の手段を見つけなければなりません」
「でも、もしそのアルカイックこそがあいつの計画だったら」チャンドラは言い、そしてずっと声を落として続けた。「お願いよ、そこをどいて」
アジャニは女性ふたりを交互に見つめ、そしてアルカイックへと視線を向けた。どうすればいい? チャンドラは自分の解決策にばかり気を取られ、ジャズィが差し出す優しさが見えていない。これまでも、多くの者がチャンドラに同じような機会を与えてきたというのに。
数秒間、ジャズィはチャンドラの視線を受け止めたままでいた。「あなたに、この次元の未来を投げ捨てる覚悟があるのですか? ご自身の心は確かなのですか?」
優れた教育者はまさしく、要点を的確に伝える方法を知っている。チャンドラは押し黙った。
ジャズィは頷いた。「何が燃えることになるかを見分けられるまでは、火をつけてはいけませんよ」そして再び歩きはじめる。「対処しなければならないことは沢山ありますが、今なおわからないことばかりです。何がこれを引き起こしているのか、何故引き起こしているのか。そして、いかにして引き起こしているか。いかにして引き起こされ、どうすれば元に戻せるのか。ひとつの次元の未来とは複雑な問題です。あなたは、お友達がこの背後にいると――」
「もう友達なんかじゃないわ」
「これまで、様々な苦難を共に乗り越えてきたというのにか? 確かに彼は過ちを犯した。それを擁護するつもりはない。だからといって、背を向けるわけにはいかない」アジャニは弱弱しく言った。だがその直後、彼は自分が間違いを犯したと察した。
「誰が友達かを決めるのは私よ。あなたじゃない」チャンドラは側頭部に手を当てた。またもあの偏頭痛の波が襲ったのだ。「ごめんなさい、神託者さん。続けて」
ジャズィはふたりを順に見た。彼女は何か言いたそうな様子だったが、その言葉はアルカイックがまたも発したうめき声にかき消された。アジャニは胸に痛みを感じた。その音はあまりにも高く耳障りで、歯が抜け落ちるのではと思うほどだった。ひどい揺れがひとつ、波のように洞窟に広がった。ひどい……誤りが。一瞬、自分はここで何をしているのだろうかとアジャニは訝しんだ。
――アヴィシュカーで名の知れた扇動者――
――違う、領事府の執行官――
――決して消えることのない復讐の怒り――
――そしてそれは終わり、アジャニは再び空洞の頭蓋の中に立っていた。マナのもつれではないマナのもつれの光が毛皮に踊った。眩暈はまだ残っていた。斧を支えに立ち、呼吸を整える。ふたりに視線を移すと、同じように戸惑っている様子だった。ジャズィは足元をふらつかせ、チャンドラはわずかな鼻血を拭っていた。
彼はジャズィを支えようと手を伸ばした。「今のは……どれほどの頻度で起こっているのですか?」
「ここに連れて来られた当初は、数時間おきに。ですがだんだんと頻繁になってきています」ジャズィの視線がアルカイックに向けられた。巨大な頭部の横で沢山の手がうごめいている。「これが起こるたびに、私たちの未来の何かが変わります。起こるたびに毎回です。それも、ますますひどくなってきています」
「あれが何なのかはわかってるの?」チャンドラは魔法エネルギーの渦へと近づいていった。アジャニが見つめる中、彼女は掌を外に向けて両腕を伸ばした。まるで炎で温まっているかのように。
チャンドラを引き戻したかった。明らかな危険にそのように近づくのは愚かだと言い聞かせたかった。とはいえ自分たちふたりとも、何が起こっているのかもよくわかっていないのだ。
それでも……チャンドラは上手くやれるだけの力を持っている。そうではないか?
「何かが繋がる場所なのでしょう」とジャズィ。「まだ詳しいことは分かっていませんが。何が起こっているにせよ、これがその中心です」
「これは成長しつつあるのですか?」アジャニはそう尋ね、チャンドラの隣に立った。目の前の荒々しいエネルギーは、遠くから見た時にはただ眩しく脈打つ光というだけだった。だが近くで見ると、その内に何かが一瞬だけ閃いているのがわかった。見慣れた世界と、見慣れない世界の映像。認識できるものと、到底認識できないもの。
エネルギーの触手が一本、彼の手首に絡みついた。そしてほんの一瞬、アジャニは兄が隣に立っているような気がした。温かさと心地よさが胸に広がり――光が消えると同時に、冷たい寂しさが戻ってきた。
「ええ」ジャズィは答えた。その声の重みにアジャニは察した。彼女もまた、ずっと抱いていたいと願うような何かを見たのだ。「これ以上、疑問を並べていても意味はありません。少なくとも今は。私たち3人で力を合わせれば、謎を解くことができるかもしれません。ヴェス教授もフェル教授も有能です。あなたがたもプレインズウォーカーなのでしょう、期待していますよ」
「私はやります」アジャニはそう言い、チャンドラを見た。先程の鼻血がまだ流れ出ていたが、エネルギーの渦が発する光を受けたそれは、溶けた金のようにも見えた。「チャンドラ……君にとっては十分な一歩になるだろうか? 私たちが協力すれば……」
彼女の頭に水の雫がしたたり落ちた。すぐに蒸気が音を立てて立ち上る。アジャニはその中にらせん模様を見たような気がした。
「ええ、やれるわ」
アジャニに嘘をつくのはとても辛かった。返答する前から、十分な一歩などではないとわかっていた。それでも辛かった。アジャニは手を差し伸べてきて、歩み寄ろうとしていた。自分にもそれを理解できる賢さはあった。
問題は、これは少しずつ解決していけるようなものではないということだった。ジェイスが関わっているとあれば。チャンドラは心の奥底で、彼の決意を感じていた。たとえ時の流れであっても、あいつを引きずり下ろすことはできないだろう。何を企んでいるにせよ、それは……とても大きいことなのだろう。
チャンドラは深呼吸をした。空気がなければ炎は燃えない――淀んでかび臭いこの場所の空気ではあるが。自分が何を吸い込んでいるのかは考えないようにした。この場所は、かつて何であったのかは知らないが、肉体を持っていた。もしかしたら、その小さな粒がこの場所の壁に今も付着しているかもしれない。もしかしたらその一部を今、吸い込んでいるのかもしれない。自分が壊れてしまうようなものをそんなふうに身体に入れるなんて。やめよう。考えすぎるのは良くない。気楽に、ゆっくりと。肺を思いっきり膨らませて。なるべく沢山の空気が要るのだから。
「一緒にやりましょう。2、3、4……」ジャズィも同意してくれたらしい。3人は呼吸を同調させた。マナのもつれから光が脈打つ。解きほぐそうとする3人の手から、魔法の糸の束はうねりながら離れていった。まるで蛇が身をくねらせて逃げるように。
チャンドラの頭がひどく痛んだ。歯を食いしばる。作戦を成功させるには、手遅れという所までふたりに意図を知られてはならない。
「止めて、2、3、4……」
またも光の脈動、またも激痛。自分の計画も、目的も考えられなくなるほどの痛み。生き続けるだけで精一杯なほどの。膝をつきそうになり、チャンドラはうめき声をひとつ発した。
「吐いて、2、3……お嬢さん!」ジャズィが叫んだ。
「チャンドラ!」アジャニもまた。
ふたりが彼女を見た。苔むした地面に倒れ込むと、憤りと絶望が心に湧き上がってきた。時間がかかればかかるほど、自分は弱っていく。そして弱っている余裕はない。ふたりの目に宿る同情は、この恐ろしい感情の炎をかき立てるだけだった。どうして今になってやっと、私の言葉が大げさじゃなかったってわかったの? 今、ふたりは手を貸してくれている。今、ふたりは理解している。今……
ふたりが自分を助けようと慌てている今こそが攻撃の機会だ。倒れた場所はアルカイックの視界の真下。それを見つめながら、チャンドラは奇妙な親近感が互いの間に漂うのを感じた――弱さ。このままでは、どちらも長くはもたないだろう。目のない巨大な顔を見つめる。生き延びるのは、どちらか片方。
アジャニの手が肩に触れる。背後でジャズィが支え起こしてくれている。世界が激しく回転を始めると、ふたりの手が周囲をせわしなく動いた。アジャニが何かを言っていたが、言葉は聞き取れなかった。聞きたくなかったのかもしれない。それでも、その言葉を聞いていたなら、こんなことをする力は残っていなかったとわかっていたかもしれない。
背骨の底に燃える炎、心臓に燃える炎、喉に燃える炎。それを呼び出すのではなく誘導する。すべてが一瞬で湧き上がり、溢れ出た。チャンドラはそのすべてを右手に集めた。歯を食いしばり、渾身の一撃へと構える。
アジャニの目が大きく見開かれた。チャンドラの手から炎が離れるその瞬間、彼は確かな確信をもって斧の腹を彼女の上腕へと振り下ろした。
駄目!
この時の苦痛の悲鳴は、頭痛によるものではなかった。そして、火球が大きく逸れる様を彼女は見つめた。命中した壁に、ドラゴンほどもある穴が開く。当たってさえいれば……
「チャンドラ、あくまでも君のやり方に固執するというのか!」アジャニは吠えた。「暴力はこの事態を悪化させるだけだ。解決するには、協力しなければいけないんだ!」
チャンドラはよろめきながら立ち上がった。ジャズィの姿は消えていた。自分たちの背後に輝く光と魔法に集中するには、むしろありがたい。「暴力が解決策になるとは限らない。けれどそうなる時は……断固として行動しなければならないのよ」
その言葉は不明瞭だったが、そこに不安はなかった。アジャニがためらう様子に、チャンドラは自分の言葉が相手に刺さったとわかった。「ジェイスに利用される前に、あのアルカイックを殺す。そうする以外にないのよ。間違いなく。ここまで聞いて、それでも私の邪魔をするなら……必要なら、あなたを倒してもやるわ」
苦しむアルカイックを守るように、アジャニは立ちはだかった。「私は力尽きるまでここに立ち続けよう。炎は私の身体を焼くことしかできない」
やがて死したタイタンの頭蓋骨の中、マナのもつれではないその渦の光に、もうひとつの光源が加わった。
(Tr. Mayuko Wakatsuki)
Secrets of Strixhaven ストリクスヘイヴンの秘密
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