MAGIC STORY

ストリクスヘイヴンの秘密

EPISODE 05

第4話 差し出せるもの

K. Arsenault Rivera
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2026年3月27日

 

 タムは頭痛に慣れていなかった。頭痛に苛まれるのは勉強の時だけだったが、それでもラヴニカのコーヒーを一杯飲めば追い払うことができた。タムの奨学金のほとんどはコーヒー代に費やされていた。

 けれど、どんなに丁寧に抽出されたエスプレッソでも、どれほど沢山飲んだとしても、この頭痛を治すことはできないだろう。

 タムは瞬きをした。身体の内にうねるアドレナリンに反応し、髪が浮かび上がって揺れる。時々こういうことがある。完全に制御はできないのだ。瓦礫の破片を振り払い、辺りを見る。生徒たちを枝の間から救い出している大柄な人影、あれはキーロルに違いない。ゆっくりと、他の者たちの様子もわかってきた――サナールは切り株を太鼓のように叩いて士気を高めており、アビゲールは墨獣たちを召喚して皆の土埃を払い落す手伝いをしていた。

 そして肩に触れる手があり、彼女はルーウェンの存在に気づいた。「怪我などはしていないか?」

 「そう……思うわ。ここはどこ?」

 「タイタンの墓の中だ。どのような探検記録よりも深い。割れ仮面たちを信用するならば、だが」

 タムは立とうとし、ルーウェンが手を貸した。奇妙なことに、地上ではこの場所の由来となった生物の背骨こそ出ているものの、肋骨の先端は見えない。だがここで彼女はその理由を知った。空そのものを引っかくようにそびえる骨のアーチは、この生物の肋骨の三分の一ほどでしかなかったのだ。残りは地中に埋まっていた。土の中に象牙色の大きな起伏がうねっていた。それらはトンネルの壁に沿って並んでおり、一本一本の幅が教室ほどもあった。頭上には根が絡み合っており、場所によっては三本あるいは四本が一本の根と化していた。タムは思わず、その中に見えるフラクタル模様を辿らずにはいられなかった。一瞬、小さな子供のように圧倒されて動きが止まる。頭をのけぞらせ、触手の髪が頭上に広がるありえない星座へと伸びた。

 だがそこで声をかけられ、彼女は我に返った。

 「山歩き用の靴履いてる?」キーロルだった。にやりと笑いながら、自身の重そうな靴を指さす。

 タムは呆れた顔をしたくなるのをこらえた。「もちろんよ。何に巻き込まれるか予想できていたから」

 キーロルは胸を叩いた。「ボクの助言を聞いてくれる相手がいて嬉しいよ!」

 問題を解決するために最も重要なことのひとつは、いつ諦めるべきかを判断すること。方程式の壁に頭をずっと打ち付けていても、不眠と不理解に辿り着くだけ。そしてキーロルは控えめに言っても、壁のようにしぶとい。控えめに言っても。

 タムはそこから離れた。ルーウェンは彼女に手を貸し、アビゲールはさらに高い所へと飛び上がった。頭痛も絶望も、怠ける口実にはならない。全員がそれをわかっていた。割れ仮面たちは瓦礫の片付けを終えていた。

 チャンドラの生徒たちは賢い。タムはそれを認めざるを得なかった。割れ仮面の3人が力を合わせ、丸鋸のようなものを作り上げていた。巨大な円盤を鋭く研いだもので、彼らの協力の証であるその刃は白熱した炎で縁どられていた。そしてその道具を操っているのは、この集団の首領だった。根や瓦礫の中を、あちこちに角度を変えながら切り進んでいく。結構な力を必要とするにもかかわらず、その人物は微動だにしなかった。身体の脇でわずかに手を動かしているのが見えなければ、彫像だと思ったかもしれない。

 「あの者たちも、悪くはないな」ルーウェンが囁いた。

 タムは頷いた。「でも、どちらの方向へ行けばいいのか分かっているのかしら? それとも適当に進んでいるだけなのか」

 彼女がそう言った直後、アビゲールがふたりの隣に着地した。だが良い知らせを持ってきたわけではないというのは、補聴器の翻訳を介さずともわかった。アビゲールは皆に集合するよう合図した。

 割れ仮面たちはそれぞれの仕事を続けた。

 彼らを信用していいものだろうか? 確かに、割れ仮面たちとチャンドラは自分たちを不意打ちして閉じ込めた。それは最悪の出来事で、とはいえ誰も自分たちに危害を加えはしなかった。せいぜい肘で何度か突かれたり、厳しい視線を向けられたりした程度だ。そして何よりも、彼らはこちらが話せる知識を何でも熱心に学びたがった。

 今、掘削作業を率いている女生徒もそのひとりだった。間違いない。あの頑固さ、動きの無駄のなさ。確か、サナールと話をしていたような覚えがある。

 「スキ、だったっけ?」タムは呼びかけた。

 割れ仮面の少女は、作業から目を離さずに答えた。「はい」

 「こっちに来てくれないかしら。あなたたちが知りたそうな情報をアビゲールが持っているみたいなの。この状況を切り抜けるには、皆で力を合わせないといけないでしょ」

 肩に置かれたルーウェンの手。キーロルの視線。サナールが首をかしげる様子。疑念を抱くのも当然のことだ。オリークは学校にとっての災禍であり、これまでに多くの被害をもたらしてきたのだから。

 けれど、彼らはオリークではない。

 運命の定めとは異なる生き方を選ぶ、その機会を与えるべきなのだ。

 「その通りです。力を合わせなければ」彼女はそう囁いた。

 タムの友人たちにとってはそれで充分だった。

 スキともう数人の割れ仮面が加わった。感謝の頷きを交わすだけで十分だった。それ以上は貴重な時間を無駄にすることになる。それでも、やはり気分は安らいだ。

 “もっと詳しいことを伝えられればいいのだけれど” アビゲールの手話は大振りで表現豊かだった。時折、初めて会う相手に対してはそうするのだ。まるで声を張り上げるように。“今私たちがいるのは、何かの部屋のような場所。それは明白よね。でもここから出る通路は20本以上伸びているわ。もっとあるかもしれない。はっきりと見えるものに限定して数えたのだけど、そのくらいはあったわ。根や岩に隠れて見えない道もあるかもしれない。いえ、きっとあるでしょうね”

 キーロルは眉をひそめた。「地面がすり減ってる道はない? 使った跡とか。鉱山のトロッコとか、昔の文明が出入りに使ってた何かとか、縄を引っ掛けるフックとか」

 “私たちオーリンは視力が良いけれど、そこまでではないの” アビゲールはその手話と、まっすぐな視線をキーロルに向けた。

 サナールが言った。「でもキーロルはいいとこ気づいてるよ。空気の流れを調べてみるのはどう? 息ができるってことは、どっかから空気が入ってきてるってことだからさ」

 ルーウェンは顎に指を当てて考え、そして骨の破片の上に飛び乗った。高い場所は時々、考えるのを助けてくれる――そうタムに言ったことがある。

 「外へ出る道があるのなら、私が見つけられると思う。手分けして行動しよう。私がその道を探す。その間に皆は……」

 タムは溜息をついた。「ひとりで行きたいならそう言えばいいのに。そうでないなら、せめて私たちは何をやるべきか考えておいて欲しかったわ」

 ルーウェンは顔をしかめたが、そこには小さな笑みもあった。「私はかつて斥候をしていたのを忘れたのか? これこそ私の仕事だ。信頼してくれて構わない」

 タムが驚いたことに、答えたのはスキだった。「誰かと一緒に行くのがいいと思います。私や私の友達と一緒にいて不安なのはわかります。そちらのお友達を連れていって下さい。何が起きているのかは私たちもわからないのですから」

 「ボクが行くよ!」キーロルが叫んだ。


 「ねえルールー」

 ルーウェンはうめいた。「何故いつも私をそう呼ぶ?」

 キーロルが顔をしかめる様を見て、ルーウェンはその返答をすぐさま後悔した。道を探し、暗闇の中にふたりの目がひらめく。足元には種類のわからない根や、遠い昔に目的を失った骨が散らばっていた。遠い昔に干上がった何かの動脈網に迷い込んでしまったよう――長く続く空洞を見つめながら、ルーウェンはそんな気分を振り払うことができなかった。

 「寂しくないかなって思って」キーロルは頭をかいた。「だってボクらは仲良しだから。何がどうなってるのかはよくわからないけど、きっと解決できるよ」

 仲良し? 堂々とそのようなことを言う者がいるか? 確かに、キーロルは微笑ましい。そうでなかったら、多元宇宙で最も煩わしい人物だっただろう。とはいえ……キーロルのそういう所をルーウェンは気に入っていた。故郷にいた頃、完璧さを求めていた思春期には、キーロルのような人物は必要とされなかった。

 だが、今の私が送っているこの新たな生活では? 皆が奇妙で個性的で、素晴らしくいられるこの場所では?

 この場所には、やんちゃな友達がいてもいい。

 ルーウェンは肩越しに振り返った。「君は家族について話すことを好まないな。君の学業ばかり気にかけているからか」

 「うん、そうだね。でも聞きたいなら話すよ」

 キーロルのその言葉には、一片のためらいすらなかった。

 胸に何かがこみ上げてくるのをルーウェンは感じた。狩り群れでは、ここまで私のために尽くしてくれる者がいただろうか?

 「キーロル……」

 ルーウェンは立ち止まった。片手が何かに触れた。樹齢千年を経た根か、遠い昔に滅びた獣の巻きひげが干からびたものか。そして友へと振り向いた時、彼はそれらを見た――あの時に見つけた小さな生き物たち。ルマレット。

 数えたところ6体。全員がキーロルの背後、茨の茂みに沿って上手に並んでいた。一番背の高い個体が、輝く苔でできた小さな旗を掲げている。他の個体は羽根をゆっくりと震わせながら、苔の旗を持つ中央のルマレットを指さしていた。ルーウェンの視線に気づくと、両端の個体が飛び跳ねて踊りをはじめた。

 「え?」キーロルは驚いた。「何かボクに言いたいこととか……」

 「外への道がわかったかもしれない」

 ルーウェンはそう言い、キーロルの脇を抜けて森の生き物たちへと近づいていった。そしてその際、友が肩をわずかに落としたことに彼は気づかなかった。

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アート:Olivier Bernard

 頭痛よりも辛いただひとつのことは、じっと座って待つこと。

 タムは辺りを歩き回っていた。ルーウェンとキーロルが出発してから、どれほどの時間が経ったのだろう? サナールとスキはメトロノームから時計を組み上げていた。さほど正確ではないものの、役には立っていた。

 少なくともそれが、髪をむしり取りたくなるような音を発していない限りは。

 カチ、カチ、カチ。

 他の皆は何をしているのだろう? どうして私はここに残ることに合意したのだろう? 一緒に行くべきだった。もし、あのふたりが先にジャズィ様のところに辿り着いたら? そして私たちに構わず行動を始めたとしたら? キーロルはやりかねないし、ルーウェンもついて行くだろう。自分が英雄だと証明することは、他の生徒たちから認められる確実な方法だ。ルーウェンの評判を大いに回復してくれるかもしれない。

 実はもう、私は置き去りにされているのかもしれない。

 カチ、カチ、カチ。

 サナールとアビゲール。スキと他の割れ仮面たち。望めば会話に加わることはできる。だが、どれも自分が招かれているようには感じなかった。

 皆に何か飲み物を用意しようか。もしかしたら、ここに生えているキノコには食べられるものもあるかもしれない。ルーウェンが戻って来ても、その時に動く元気がなければどうしようもないだろう。

 楽しそうな会話に背を向け、タムは暗闇へと向かった。


 どういうつもり?

 ふたりきりになって、あんなふうに振り向いて、それで……そこで話題を変えるとかある?

 怒ってない。ボクが怒るなんてありえない! ルーウェンは親友なんだから。怒ってるわけなんてない。絶対そんなことがあるわけがない。

 それでもキーロルは追いかけた。手を開いては閉じ、胸が熱くなる。言いたかったことを考える。言いたかったけれど、具体的な言葉にするには時間が足りなかったことを。力持ちのキーロルにとっても、それはとても重く感じられた。持ち上げるのは大好きだけど、それでも持ち上げられないような……

 痛い。

 それでもキーロルは追いかけた。暗闇の中、追いかけた。


 水がタムを見つけたのだろうか、それともタムがその水を見つけたのだろうか?

 難しい問題。湖の中にその答えがないことは確かだ。頭の中では、水面に映し身が見えた原理はわかっていた。光る苔とサナールの魔法の炎が暗闇の中で反射を繰り返し、行く先々を照らしていたのだ。そしてその光が水面に当たると、一部だけが反射して残りは反射しない。水面に見えるタムの姿は薄く、歪み、ぼやけた映し身だった。クアンドリクスの2年生ならば誰でも説明できる。まだクアンドリクスを選んでいなくとも大抵が。

 だがそこに見える映し身は、何かが違っていた。

 水面を移動するタムの姿は、波紋に乱されていた。そのタムには、湖上の姿には、内なる思考も感情もない――その顔には影がくっきりと張り付き、輝く両の瞳は黒く塗られていた。そのタムは肩を落とし、打ちひしがれていた。そのタムは、反射光の魔法が作り出したタムは、孤独だった。

 孤独。孤独。孤独。その単語が心にこだまする。こんな考えに固執するのは愚かなこと。不合理なこと。何の意味があるというの? 首筋の毛が逆立つような、胃が締め付けられるような感覚に何の意味があるというの?

 水を汲んで帰る。それだけでいい。それからのことは……その時が来たら考えればいい。

 だが水面に屈み込んだその瞬間、ほんの一瞬、白い閃光が視界を走った。タムは激しく瞬きをしてそれを振り払い、そして視線を再び水面へと、映し身へと落とした。そこから見つめ返しているのは、孤独なタムではなかった。

 それは、白をまとう人物だった。

 喉が詰まった。彼女は声を出そうと口を開き――

 「皆! 助かったぞ!」ルーウェンの声が闇を切り裂いた。

 水面に視線を戻すと、その人物の姿は消えていた。


 ルーウェンは先頭に立っていた。

 いつ以来だろうか? ローウィンにいた頃以来かもしれない。他の者たちを背後に引き連れ、こうでなければという確信が彼を包んでいた。

 こうでなければ。

 曲がりくねって不可解な小道を、若きエルフは堂々と歩いていった。大気には土の香りが漂い、至る所にキノコが豊富に生え、滑らかな闇は外套のよう。前方で、あの小さな生き物たちが歩いていた。舞い散る花弁のようにくるくると回り、踊りながら。

 「あれって名前はあるの?」サナールが声をかけてきた。

 ルーウェンは答えた。「ルマレットだ。彼ら全員の名前だが。個々の名前があるのかどうかはわからない。会うのはまだこれが二度目だからな」

 所々で水たまりが泡立ち、小川が流れていた。頭上から埃や土の塊が落ちてきた。ひとつがルーウェンの肩に当たったが、彼は気にすることもなくそれを払った。内なる誇りが湧き上がり、高揚を止めるものはなかった。

 だが肩越しに友人たちを振り返った時、そこに見たのは感謝ではなかった。

 奇妙だ。一歩進むごとに、どんどん地上に近づいていく。均衡が崩れつつあるというのが耳の奥で感じられる。かすかな風が皆の顔に吹きつける。こうしてできた大切な、新たな仲間たち……だが、何故顔をしかめている? 私に感謝していないのだろうか? 私がいなくなったなら、どうするというのだろうか?

 ルーウェンは歯を食いしばった。なぜ? なぜ今? ようやく自分を証明できたというのに?

 「ルーウェン?」キーロルが呼びかけた。

 「何かあったのか?」彼はそう返した。

 キーロルの大きく重い息遣いが、曲がりくねった小道に反響した。いや、反響というのは正しい表現ではない。ひとつの音の後に、何かがこすれるような音が続く。まるで、爪で石を引っかくと、その音だけでなく粉が落ちる音が加わるような。「胸に変な感じがあるんだ。みんなはどう? 何かが内側から自分のことを引き裂こうとしてるみたいな」

 「ええ」スキが言った。

 「うーん、オレもかも」とサナール。「まさかって思ってたけど。何だか……」

 “とても有害な感情だわ。かさぶたを剥いでかきむしりたいって衝動のような” アビゲールが伝えた。

 「気にしすぎだ」ルーウェンが言った。「皆緊張している。状況を考えれば当然だが。そのような話をして時間を無駄にする理由がわからない」彼は頭の後ろで指を組み、皆に背を向けた。

 タムが言った。「私たち全員がこんなふうに感じているのよ。おかしいと思わない? ルーウェン、フェル教授みたいな言い方をするのね」

 弓から放たれた一本の矢。ルーウェンの我慢は限界に達した。「君はあの偏屈野郎を尊敬しているのではなかったか。ならば私の振る舞いは良いことではないのか?」

 「どうしたの?」とキーロル。「落ち着こうよ」

 ルーウェンはくるりと振り向いた。「この緊張をもたらしたのは君だろう。ルマレットたちを追いかけるだけの楽しい時間だったというのに、君がそれを台無しにした」

 キーロルはルーウェンの襟首を掴んだ。暗闇の中で両目を光らせ、軽々と持ち上げる。「そんなの、いつものキミじゃないよ。ボクたち全員がそんな感じだ。何かがおかしいよ。ここで何かが起こってる。実習で身に染みたことがあるよ。そこにいるだけで自分が歪められちゃう場所もあるんだ。もし油断していたら――」

 「キーロルさん」スキが言った。割れ仮面の少女の声は石のように冷たく、そして断固としていた。反論を許さない声。ルーウェンですら、彼女へと振り返らざるを得なかった。「あの生き物が隠れてしまいましたが」

 何だと?

 だがキーロルに降ろされて見ると、スキの言う通りだった。あの楽天的なルマレットたちは、分厚い茨と根の壁の中へと散り散りに隠れていた。

 「どうした?」ルーウェンは呼びかけた。そしてルマレットの後を追いかける――返答はない。輝く足跡が残っているだけだった。彼は息を呑んだ。「ええと……出口はもうすぐということだろうか?」

 たとえ最良の状況だったとしても、それは説得力のある発言ではなかっただろう。そして今は最良の状況ではなかった。トンネル全体が揺れはじめた。

 「ルーウェン」タムが声をかけた。「私の話を聞いて。キーロルがどうしてあんなことを尋ねてきたのか、わかった気がするわ」

 キーロルはルーウェンの隣に立ち、サナールが更にその隣についた。やがて全員が円陣を組んで互いの背中を守りながら、揺れの原因を把握しようとした。頭上から大きな土塊が落下してきた。足元の地面に黒く濃い霧が流れてきた。大気に悪臭が漂った。

 「アルケヴィオスには、負の感情を食べる生き物がいるんだよ」とキーロル。「一番辛い時に、力が欲しいかって言ってくる怖い生き物が」

 「デーモゴス」スキが言った。

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アート:Raph Lomotan

 おぞましい笑い声がトンネルに響き渡った。暗闇の中に、吐き気を催すような緑色の目が燃えていた。「お前が熟すまで、あと少しという所だったのだが」

 もはや話をする余裕はなかった。不意に、トンネルそのものが全員に襲いかかった――茨が脇腹を叩き、石の塊が叩きつけられ、骨の破片が皮膚を切り裂いた。

 破片が顔をかすめ、ルーウェンは頭を低くして歯を食いしばった。痛みをこらえながら考える。そのデーモゴスとやらはどこに隠れている? 見えない。魔法を用いて根を引っ張ろうとしたが、できなかった。頑丈すぎた。

 「気の毒だが、お前たちは全員ここで死ぬ」哀れむような声が聞こえた。「だがいつかお前たちを探しに来る者が現れる。我は更なる糧を得る」

 蔓がルーウェンの両足首に巻きつき、地面の下へ引きずり込もうとした。タムたちが手を伸ばして掴んでくれなかったら、そのまま落ちていただろう。

 キーロルはルーウェンの腕に自分の腕を絡ませた。「しっかり掴まって! ルールーを置いてはいかないよ!」

 「私たちが掴んでいるから大丈夫!」タムも言った。

 友人たちが彼を引き上げようとしたが、周囲の根が更に絡みついた。息が荒く苦しくなる。肋骨が砕けそうだった。そして耳障りな音とともに激痛の波が襲った。

 「君たちは……行け!」ルーウェンは言った。それが唯一の道だった。彼らが脱出できる唯一の方法だった。デーモゴスは自分を狙っていたのだから。「逃げられるだろうが!」

 「置いてくわけないだろ!」サナールが言った。明かりに照らされ、ルーウェンの目が痛んだ。

 だがルーウェンは答えることができなかった。叫ぼうとしたが、根が伸びて口までも覆ってしまった。アビゲールの爪が肩に触れるのがわかった。引き上げようとしてくれているのだ。頭上にその姿も見えた。だがそこでルーウェンは腰を鉤爪に掴まれるのを感じた。

 彼の視線がタムと、そしてキーロルと交わった。

 行ってくれ。私は平気だ。ローウィンのエルフは、そもそもあまり長生きはしないのだから。

 背後でデーモゴスが甲高く笑い、すると別の奇妙な声が聞こえた――フェル教授? もしかしたら、自分が恐れる者の真似をしているのだろうか。「私が守るものに手を出させはしない。二度と」

 ルーウェンの下から、轟くような恐ろしい声が返ってきた。「デリアン。我と取引をするために戻ってきたか?」

 息は苦しく、視界はぼやけていたが、それでもルーウェンは穴の縁からフェル教授の顔を探した。だがそこで見たのは、生命が弾け出る瞬間だった――地面を草が覆い、黒化した根に緑が芽吹き、大気の悪臭は消えて花々の香りが取って代わった。

 「教授!」タムが叫んだ。「私たち、意図して召喚したわけではありません、誓って言えます!」

 「当然だ。そのような愚か者ではないだろう。ここは私が対処する。どけ!」

 生徒たちは慌てて逃げ出した。ルーウェンは全力で穴の縁にしがみついた。心臓が激しく鼓動していた。

 彼はフェル教授を見上げ、教授も視線を返した。光がちらつく中、教授の目と舌がキノコやカビに覆われる様を見たような気がした――だがそれはすぐに消え去った。

 秘術の身振りひとつで、ルーウェンを拘束していた根が剥がれ落ちた。そして瑞々しい蔓が彼を柔らかな草の地面へと放り投げた。その時、彼は初めてデーモゴスを目にした。初めてでもあり、最後でもあった。

 ルーウェンが見守る中、花々が穴を埋め尽くし、這い上がり、デーモンの身体へと入り込んでいった。不気味な骨格からはマロウの花が咲き、穢れた血からは色鮮やかなキノコの列が生え、眼窩からブドウが、歯から苔が芽吹いた。

 デーモゴスが悲鳴をあげた直後、その頭蓋骨を弾けさせて輝かしい生命が溢れ出た。

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アート:Nereida

 ルーウェンは息をするのも忘れていた。フェル教授は……こんなことまでできるのか? プレインズウォーカーの力というのは、これほどのものなのか? 確かに、ヴェス教授についての話は聞いていたが……

 だが、気になることがひとつあった。今言わなければたちまち消えてしまうもの。デーモゴスと同じように、骨と枝の山へと消えてしまうもの。

 「教授、デーモゴスは何をしようとしていたのですか? 教授はデーモゴスと取引を?」

 フェル教授はルーウェンに手を差し出した。「あの野卑な怪物と? 馬鹿げている。それで私が得られるものは何もない」

 タムとキーロルにも助けられてルーウェンはようやく立ち上がり、土汚れを払い落した。タムは早くも彼の肋骨の具合を確認していた。アビゲールはサナールとスキを連れて先に進んでいた。

 キーロルはルーウェンの肩に腕を回した。「助かってよかった! ボク嬉しいよ!」

 タムが言った。「治療師さんに診てもらえば、きっと大丈夫よ。しばらく痛みは我慢できる?」

 ルーウェンは唇を噛んだ。もっとひどい怪我をしたこともある。とはいえ、今そのようなことは関係ない。「どうしてここに?」彼はフェル教授に尋ねた。

 その大胆な質問に、教授は片方の眉をつり上げた。「その質問をそのまま返したいがな」そして押し黙り、顎を引き締める。「かつて交わした約束を守る方法をずっと考えていた。私の魂という土に深く根を張る、ひとつの約束を」

 辺りには静寂だけがあった――羽根ペンがこすれるかすかな音以外は。アビゲールがメモを取っているのだろうか?

 沈黙を破ったのはタムだった。「だから、教授はアルカイックに興味を持たれたのではありませんか? だからここに。非線形時間とアルカイックとの関係性です。過去に戻って、愛する女性を救う方法を見つけようとしたのですよね」

 フェルは顔をしかめた。「何故そのようなことを知っている?」

 「ジャズィ様が教えて下さいました」タムは小声で答えた。

 教授は何か言いたそうだった。実際、その目つきから察するに、タムの答えは気に入らないらしかった。だが彼はそれについては何も言わず、タムやアビゲールを追い越して一行の先頭へと進んだ。「出口は近い。ジャズィを連れたあの巨大なアルカイックはそう遠くない所にいる。君ら全員に移動できるだけの体力があるなら、追いつけるかもしれん」

 生徒たちは顔を見合わせた。

 「アジャニさんが言ってたことは正しかったんだね、心に傷を受けてプレインズウォーカーになるって」キーロルが言った。「かわいそうだよ。あんな力が手に入るとしても、プレインズウォーカーになりたいって思う?」

 あの途方もない生命の奔流。フェル教授が話す時の、声の震え。執拗なほど、ここで何か新しいものを生徒たちに見つけさせようとしたのは、ひとえに……教授はきっと、何年もかけてこの場所をくまなく探してきたに違いない。そしてあのデーモゴスが手を差し伸べて……けれど拒否したのだ。

 ルーウェンはため息をつき、前に踏み出した。「フェル教授」

 「何だ?」その男は振り返らなかった。

 「先日、私も見ました。アルカイックたちの行動を」

 教授はうなり声で返事をした。反応はそれだけだろうかとルーウェンは一瞬怖れた。「神託者ジャズィが私に話してくれたことは、記録に残るいかなる物事よりも恐ろしい。君が目撃したものも恐らくその結果だろう。ジャズィはもっと情報を持っているかもしれん。だからこそアルカイックはあの女性を連れ去ったという可能性もあるが」

 キーロルはルーウェンの肩へと力を込めた。

 タムも彼の横に身を乗り出した。「話すべきよ」

 ひとつ深呼吸をし、ルーウェンは切り出した。「見たんです。大勢のアルカイックが、マナのもつれを取り囲んでいました。何かの詠唱か、儀式をしていたようです。けれど、一斉に私の方を向いて――」

 フェルは立ち止まった。ルーウェンや生徒たちへと振り返った時、その両目はデーモゴスを殺した草のように輝いていた。「今、何と言った?」

 「何が起こっていたのかはわかりません。ただ、私はそういうものを見たというだけです」

 フェルはルーウェンへと近寄った。「アルカイックがマナのもつれに集まっていたと言ったか?」

 ルーウェンは思わず両手を上げた。「は、はい」

 「タイタンの墓にマナのもつれはない。これまではなかった」フェル教授は視線を鋭くした。「そこへ案内できるか?」

 アルケヴィオスを訪れて初めて、ルーウェンは自分にも貢献できるものがあると感じた。


 「チャンドラ」

 返答はしない。

 「チャンドラ」もう一度呼ばれた。そうすれば何かが変化すると思っているみたいに。まるで最初の呼びかけが届いていなかったみたいに。

 彼女は宙へと手を振った。「聞こえてるわよ、わかってるでしょ? そんなに声を張り上げなくたっていいのよ。こんなトンネルの中だったら、何マイル先でも声は届くわよ」

 邪険にしすぎただろうか? きっと。けれどこれだけ苛立っている時に我慢をするのは難しい。ましてや痛みもあるのだから。心のどこかでニッサの言葉が聞こえる気がした。自分のじゃなくて、相手の立場に身を置いてみること、そうして接すること、それがいかに大切か――ニッサ自身も、時々そうしようと苦闘していた。

 ニッサはもう、多くのことをしてくれていた。しすぎと言ってもいいかもしれない。回復もおぼつかない間、ニッサは辛抱強く付き添ってくれた。誰も自分の話を信じてくれなかった時も、ニッサは隣にいてくれた。

 そして、アジャニからは信じてもらえなかった。その事実は分厚い壁のようだった。辛いこと、けれどもうこの旧友に何を期待すればいいのかもわからなかった。アジャニを見ても、目に映るのは白ではなく赤と白の鎧だった。

 アジャニを信じたいとは思っている。切実に。アジャニ自身のその言葉を、それが本気だということを証明して欲しかった。けれどこちらの話を聞くという簡単なこともできない相手を、信用することはできない。

 「ここにいる間、ずっと私を無視するつもりか?」アジャニが尋ねてきた。今回は良識的に、声を低く抑えて。

 「何か聞く価値のあることを言ってくれるの?」

 チャンドラは根の壁へと近づいた。軽く触れ、一瞬の集中でそれは灰と化す。ニッサやレンならもっと穏やかに、辺りの木をなだめて対処するのだろう。けれど自分はあのふたりではないし、そのふりをするような余裕もない。

 「君は考えていない。ただ行動しているだけだ。軽率に」

 チャンドラはしばし返答せず、その言葉をじっくりと考えた。そうだろうか? 多元宇宙規模の脅威に直面していて、それが見えているのは自分だけ。なのにアジャニの返答は、それは妄想に違いないなどというものだった。

 ふと、ギラプール・グランプリの報道を思い出す――『多元宇宙の英雄、チャンドラ・ナラー』

 ああ。今となっては、何の役にも立たない。

 「あの侵略の時にも、同じことを沢山の相手から言われたわ。でもあの時も私は正しかった。今回もそうよ」

 アジャニは溜息をついた。「ジェイス君の計画とは何だろうか?」

 荒れ狂うような足取りを彼女は少し緩めた。ほんの少し。「アルカイックに関係しているんでしょうね。あの大きなやつに」

 沈黙。足元で落ち葉が軋む音。そして、あの温かく親しみのあるアジャニの声。「彼はそれで何をしているのだろう?」

 「もしかして……それに生まれ変わろうとしているのかも。わからないけど。記憶が、何て言うのか……ごちゃ混ぜになってて。時々、どれが私のでどれがあいつの記憶なのかわからなくなるのよ」ひとつ、簡単に判別する方法はある。とはいえ今の自分がヴラスカについてどれほど知っているかをアジャニに教える必要はない。

 再びの静寂。「それで……君は確信しているのか? ジェイス君は本当に悪に染まってしまったと。多元宇宙の歴史を見ることができる者がいるというのは、それほど悪いことではないだろうに」

 「天使のお友達がいるんでしょう? 次に会った時に、私がどんなだったか聞いてみたらどう」意地悪な言い方かもしれないが、間違ってはいない。

 背後から深い溜息が聞こえた。「何か私に手伝えることはあるだろうか?」

 考える間もなく答えが口をついて出た。「あの巨大なアルカイックを見つけるのを手伝って。ジェイスがそれを利用する前に殺すのも。素早く行動して強烈な攻撃を食らわせないと、あいつは私たちをもっとひどい目に遭わせるわよ。私があなたにしたよりも、あなたが友達にしたよりも」

 胃の奥が不快感にざわめいた。こんなふうになるなんて思ってもみなかった。なって欲しくもなかった。でももしアジャニが最初から話を聞いてくれていたなら、あの時あのアルカイックを攻撃できていたなら……

 普段でも辛抱するのは大変だというのに、今は「普段」でも何でもない。

 「チャンドラ、君を支えよう。とはいえもしも君が間違っているようであれば――」

 「間違ってなんかいないわ」

 「その時は、辺りを炎で一掃する前によく考えると約束して欲しい。君はもうそのような向こう見ずではないだろう。賢く成長したのだから」

 「約束はできないわよ」あのアルカイックを倒せていたなら、今のようなこんな困った状況にはなっていなかっただろう。あの時ジェイスを説得するのではなく倒せていたなら、自分の頭はこんなに混乱してはいなかっただろう。

 アジャニはそれ以上追及しなかった。ふたりは黙ったまま歩いていった。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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