MAGIC STORY

ストリクスヘイヴンの秘密

EPISODE 04

第3話 引き裂かれて

K. Arsenault Rivera
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2026年3月25日

 

 「タイタンの墓へようこそ。でも今は……一番いい時とは言えないね。少なくともボクはそう思うよ」

 周囲の音が聞こえずとも、キーロルの言う通りだということはアビゲールにもよくわかった。大気は緊張感で張り詰めていた。生徒たちの宿舎である小屋の間を通って調査現場に向かうだけでも、あらゆる類の視線が突き刺さった。

 “ルーウェンを見ませんでしたか?” 彼女は手話で尋ね、その言葉は補聴器を介してテレパシーで伝えられた。視界の端で誰かが口を開いて叫んだが、アビゲールは謹んでその唇を読むことは避けた。

 「今はまだだめだよ」キーロルが言った。「ボクも色々試した。辺りを探したり、質問したり、やれることはとにかく。でもこんな大騒ぎの中じゃ、誰も話なんてしたがらないよね」

 大騒ぎというのは誇張ではなかった。船着き場を過ぎてすぐ先、調査現場は完全な無秩序状態だった。生徒たちは集団に分かれて言い争っていた。キーロルが見ると、ひとりのエルフがオーリンの襟首を掴んで調査現場の権利について口論していた。配達員たちは物資を山積みにした荷車の横に立ち、受け取り手を探していた。見る限り、責任者らしき者はいなかった。何が起こっているのか、なぜ起こっているのかもわからないまま、辛辣な言葉が浴びせられていた。一度でも魔法が暴発したなら、この場所全体が被害妄想の炎に包まれてしまうだろう。

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アート:Leon Tukker

 キーロルは宙を飛んできた水差しを避け、それを受け止めて中身を一口飲んだ。同時にタイタンの墓の土産物であるシャツをアビゲールへと手渡す。キーロルが着ているものと揃いの柄だ。「ルーウェンはこのどこかにいる。みんなが揃うのを待ってから調べたかったんだよ」

 “私が最後のひとり?”

 「今回は珍しくオレの方が先だったよ」サナールが小屋の屋根から飛び降りた。これ以上の混乱が起きないかどうかを見張っていたのだ。彼もまたタイタンの墓のシャツを着ていた。「オレだって喜んで認めたくなんかないけど、今起こってることは事実だ。まあアビゲールは一番ひどい口喧嘩に居合わせずに済んだってのは運が良かったかもね。それと、スターアーチのアルカイックだ」そして空へと指を突き出す。「もう無駄にできる時間なんてないよ。友達が危ないんだし、状況はしっちゃかめっちゃかだ!」

 アビゲールはふたりを交互に見つめた。溜息をつきながらシャツを着る。“そもそも、何が起こっているのかを私たちは把握しているの?”

 キーロルはかぶりを振り、ついて来るように手招きした。「ルーウェンの居場所と同じだよ。誰も話をしてくれない」

 またも水差しが飛んできた。今回キーロルは宙でそれを叩き落とした。サナールはそれを拾おうかどうかと考えているらしかった。

 “それは心配ね。意思疎通の途絶は、法の崩壊をますます助長するだけよ” アビゲールは手話で返答し、そして思った――大気のざわめきを感じるに、聞こえないだけ私は幸運なのかもしれない。

 「叫んだってなんにもならないのに」とサナール。「けど他にどうしようもないってのはオレにもわかる。ルーウェンが言うに巨大なアルカイックが一体いて、他のも変な動きをしてたんだって? そのスターアーチ付きのアルカイックを見たって情報はその後ないけど、フェル教授もどこにもいないって」

 キーロルが答えた。「いろいろ憶測はできるけどね。ここに来る時、現場に戻る途中のケキア・アコサちゃんにばったり会ったんだ。おじいさんがアジャニさんと友達なんだって。フェル教授が関わってても驚かないって言ってたよ。教授、何かとアルカイックに付きまとってるんだって」

 アビゲールは羽毛を膨らませた。ゆっくりと、力強い手話で意見を述べる。“私、いつかこんなことが起こるんじゃないかって不安だったわ……”

 「大丈夫だよ、簡単」とキーロル。「ジャズィ様を見つければいいんだから。もしフェル教授に捕まってるなら、ボクたちが叩きのめす!」

 アビゲールは呆れたように目玉をぐるりと回した。それを翻訳する必要はなかった。“教授はプレインズウォーカーなのよ。それにルーウェンは、教授が神託者様を捕まえたとまでは書いていなかった。ただ、何が起こったのかを教授は知っているはずとだけ。もし教授が人形使いか何かのように行動しているなら、倒すことができるかどうかは怪しいわ”

 「ボクを信じてくれないの? ならいいよ!」キーロルはふたりへと振り返り、後ろ向きに歩きながら両腕を大きく広げた。拠点は今なお混乱のさなかにある。「いいさ。ルールーを見つけたら、ボクの味方になってくれるだろうし」

 そう言った瞬間、キーロルは肩に大きな手が置かれたのを感じた。

 「詳しく教えて頂けますかね、プレインズウォーカーを倒すことがどれほど簡単かを」低く轟く声はアジャニのものだった。「ぜひとも聞きたいものです」

 元から白いキーロルの顔色が、更に蒼白になった。足が止まった。「どうやって――」

 「君は賢く抜け出したと思ったかもしれませんが、私の方がもっと賢かったということです。どうすれば君が見つかるかはわかっていました。戦いと戦争とは全く別物です」

 キーロルは親指で鼻先をつついた。「そ、そうですね……」

 「怖がることはありません。私はただ力を貸しに来たのですから」

 サナールは笑いをこらえきれていなかった。アビゲールでさえ、翼でくちばしを隠していた。キーロルは水のバケツに落ちた猫のような、情けない表情でふたりを見た。

 「わかりました。行きましょう。時間を無駄にはできませんし」キーロルはそう言った。とはいえ心の底では、また笑うことができたのは嬉しかった。


 アジャニについて行くことで、拠点内の移動はずいぶんと楽になった。誰かが何かを投げつけると必然的にこの巨体の猫に当たるのだが、アジャニは気にかけてすらいないようだった。根拠の薄い推測を口にしながら彼らは歩いていった。未知のクリーチャーが領界路を渡って来てアルカイックのふりをしている、フェル教授が何かを操っている、ジャズィが個人的な理由で巨大なアルカイックと話をしたがっている……

 だがその議論は途切れた。キーロルの視線の先で、煮えたぎる大釜を目の前に置いたダイナが、全力を尽くして周囲の生徒たちを落ち着かせようとしていた。

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アート:Pauline Voss

 「まだ怖いのはそれはそうだし、フェル教授が心底扱いにくい人だというのもわかっているわ。でも、だからといって皆まで大騒ぎする理由にはならないでしょう! お願い、あなたたちはストリクスヘイヴンの生徒でしょう! 世間の模範になりなさい!」

 真摯な訴えへの返答として、土産物のカップがまたも投げつけられた。幸いにもそれはダイナの隣の壁に当たった。彼女はそれを拾い上げ、匂いを嗅ぎ、呆れたような溜息とともに中身を大釜へと投入した。

 「あの、その、何かお手伝いしましょうか?」キーロルが尋ねた。

 「手強いお客さんとやり合うのを」サナールが続けた。

 「いえ……大丈夫」期末試験に向けて取り組む全生徒を合わせたとしても、ダイナの声ににじむ疲労の十分の一にも満たないだろう。真夜中過ぎまで採点と添削に追われた末のその笑顔は、何よりも正直だった。「教授が緊急の用事でいなくなった時は私が責任者になるの。それが院生の務めなのよ。自分は頼りになるということを証明しなければいけないし、それに……どうしたの、そんなにじっと見つめて」

 サナールはアジャニの肩によじ登った。片手で陽光を遮り、もう片方の手で指をさす――遠くで、緑色の煙が立ち昇っていた。「あれ、ルーウェンの合図だよ! きっとそうだ!」


 「緑色の煙って……どういう意味?」サナールは疑問を口にした。

 彼らは揃って森の中を歩いていた。正確に言えば、彼らの大半は。サナールはアジャニの肩に乗ったままでいた。「だからオレ、三色システムを提案したんだよ。そうすればもっと色んな表現ができるからさ。あの煙は腐った緑かな、それとも生きてる緑かな? オレが見るにミントっぽい色だけど。でもルーウェンとタムが無事にやってるって合図でいいのかな?」

 “公的に承認されている信号の一覧に緑はないわね” とアビゲール。キーロルが必死に歩く一方で、彼女は鉤爪と翼で茂みを軽々と飛び越えていた。手話を送りつつも、その速度は全く落ちなかった。

 「拠点を無事に設置したってことかな? 山を背景にして淡い緑色。親しみやすい感じ」とキーロル。その目の前には棘だらけの茂みがあった。少し力を溜め、そして跳ぶ――キーロルはほぼ成功した。ほぼ。

 「今のうめき声、何?」サナールが尋ねた。アジャニがあまりの速度で振り向いたため、彼はしがみつくので精一杯だった。

 ふたりが見たのは、友である吸血鬼が茨に引っかかっている姿だった。そのシャツを棘が貫いている。「これ以上動いたら、シャツが破れちゃうよ……」

 “キーロル、ただのシャツでしょう” アビゲールは手話で伝え、それでも抜け出す手助けをしようと近づいた。

 「ただのシャツじゃないよ!ボクたちの友情の証だよ!」

 「予備はないのですか?」アジャニが尋ねた。彼は屈み込んで引っかかった部分を外そうとしたが、棘だらけの種子が裾に付着しているのを見つけた。「君はもう少し野歩きが上手だと思っていましたが」

 キーロルは口を尖らせた。「予備のはあるよ。でもルーウェンにあげるつもりなんだ。みんなでお揃いにしたいし、ルーウェンが独りぼっちだって感じないように」

 アジャニはキーロルを見つめた。「角の上から着られますかね?」

 生徒ふたりとプレインズウォーカーひとりは、破れた服を嘆く憂いの吸血鬼を助けることだけに集中していた。

 彼らは盛大に騒いでいたため、近くにいれば誰でもその声が聞こえただろう――実際あまりの大声に、仮面の集団が背後から近づいてくることに気づいた者はいなかった。

 アジャニが言った。「煙といえば……ある文化圏では、火葬の際に緑色の煙が昇ることがあります。そのような木材を使用するためです」

 そう言い終えた直後、衝撃波のような魔法が全員を襲った。


 「レオニンの感覚は鋭いことで有名……なのに待ち伏せに引っかかるなんて、あなたも歳をとったってことかしら?」

 アジャニは無事な方の目をこすった――こすろうとした。魔法の太い帯が両手首を拘束していた。突き刺すような恐怖が全身を駆け、続いて不快な熱が胸に広がる。まるで子猫の、若い戦士の反応だ。今の自分はどちらでもない。面倒を見るべき生徒たちがいるのだから。

 彼は歯を食いしばり、眩暈がするほどの頭痛をこらえて立ち上がろうとした。驚いたことに、両脚は拘束されていなかった。話しかけてきた者が誰かはわからないが、慈悲ということだろうか。

 だがどうにか目を開け、再びその声を聞いてその持ち主に気づいた時、彼はあやうく倒れそうになった。

 チャンドラ・ナラーがそこに立っていた。彼女は取り囲まれていた――粉々に割られてから修理されたような仮面をつけ、外套をまとう人々に。ありえない。一体ここで何を? しばし故郷であるアヴィシュカーに帰っていたのでは? プレインズウォーカーが幸せな生活を送る機会は滅多に望めない。何故自分のそれを捨ててアルケヴィオスの森に隠れて動き回り、待ち伏せを仕掛け、そして……その正体不明の者たちに囲まれているのだろう?

 チャンドラとは知り合ってもう長い。そしてアジャニはずっと彼女を見守ってきた。初めて会った時、彼はチャンドラの中に自分自身との共通点を沢山見出した。その気性、意欲、成り行き任せの行動。やり場のない緊張感を荒れ狂うエネルギーで隠していた少女が、多元宇宙の真の英雄へと成長していく様を見守る――それはアジャニの生涯における極めて大きな誇りのひとつだった。そしてその間ずっと、チャンドラは瞳を輝かせ、意欲を欠くことなく、常に動き回り、常に次の行動を探し求めていた。

 だが今目の前に立つチャンドラは、完全に静止していた。戦場であれほど頼もしかった輝きはくすぶっていた。その険しい表情は、どんな言葉よりも彼女の苦痛を雄弁に語っていた。先程の言葉と同じほどに、その表情は彼の心を痛めつけた。

 「チャンドラ、なぜこのようなことを?」

 彼女は動かなかった。「何かがひどく間違っていて、それを止められるのは私だけなのよ。あなたも大丈夫って確信が持てるまでは、そのままにさせておいてもらうわ」

 「チャンドラ、私にはわけがわからない。説明してくれないか」

 「生徒の子たちが心配なのはわかるけど、大丈夫よ。何を見たのか、私の友達が今聞いているわ。こちらに敵意はないから」

 アジャニは周囲を見渡した。死したタイタンの巨大な胸郭の中、目立たないように野営が設置されていた。チャンドラの新たな仲間たちは、寝袋や天幕よりもハンモックや差し掛け小屋を好んでいるらしい。砕けた仮面をかぶった生徒は、数え間違いがなければ28人。直接こちらを威嚇してくる者はいない。4人がチャンドラの両脇を固め、残りの者たちはそれぞれ野営内を動き回っていた――寄り集まって会話をする者、薪を割る者、揃って呪文の練習をする者。

 思った通り、キーロルは薪割りを手伝っていた。サナールは仮面の生徒5人へと真剣に話をしているようだった。アビゲールは呪文の練習を観察していた。驚いたことに、ルーウェンとタムも近くに立っているのが見えた。ふたりも拘束こそされていなかったが、監視はついていた。

 アジャニは尋ねた。「私たちに危害を加えるつもりでなかったのなら、どうして襲ってきた? この者たちは何者だ?」

 「この者たちはオリークだ」答えたのはチャンドラではなく、ルーウェンだった。監視のひとりが彼の脇腹を肘で突いた。

 あのオリーク? アジャニは息を呑むほど驚いた。チャンドラを問い質すどころか、ただ唖然と見つめることしかできなかった。よろめきながらも彼は二歩前に進んだ。二度つまずき、それでも歩みを止めなかった。

 チャンドラは彼を止めようとはしなかったが、ルーウェンを睨みつけた。チャンドラの仲間たちもまた。「『割れ仮面』よ。もうオリークじゃないわ。仮面を見ればわかるでしょ」

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アート:Ashly Lovett

 「装いがそうだというだけで、君はそれを信じるのか?」悲嘆が石のように重く胸にのしかかり、それでもアジャニは言葉を続けた。「彼らは大学の者たちを皆殺しにしようとした。何故そのような連中と手を組む?」

 チャンドラ・ナラーは前に飛び出した。たった一歩にも感じたが、彼女はたちまち距離を詰めた。宙を舞う火の粉をまとい、アジャニを睨みつける。

 「信頼できるからよ。この件には関わっていないってわかってるから。ここの皆は、できるだけ安全に、学べることを学びたいっていうだけ」チャンドラはほんの一瞬、鋭い視線をアジャニへと投げかけた。そしてこの場所の全員へと両腕を広げた。「あなたについては、そうは言えない。確信は持てない」

 「チャンドラ」石の重みが増した。

 「わかるわ、どう思っているかは。長い付き合いだもの。いつもの私みたいに大らかに、受け入れて欲しいって思ってるんでしょ。でもできないの。今は。何故かって……」

 激しい痛みをこらえるかのように、チャンドラは側頭部に手をあてた。一瞬、その表情が歪む。そしてかぶりを振り、彼女は周囲の者たちに身振りで合図を送った。「割れ仮面! 私たちの第一の決まり事は?」

 「割れたものは、鍛え直せばいい!」2人あるいは3人が声をあげた。小さな歓声が響き渡った。

 アジャニは顔を上げずにいた。内なる何かが欲していた――咆哮したい、逃げ出したい。だがそれを実行することを思うのは、両手首の枷よりも気分の悪いことだった。

 彼は歯を食いしばった。チャンドラが自分でこの魔法の枷をはめたはずがない。生徒の誰かの仕業に違いない。これを壊し、保護すべき生徒たちを確保し、逃げることはできるだろうか?

 できない。それは卑怯な考えだ。チャンドラを置いていくことはできない。

 「その通り。そしてアジャニ、今ね、私の信頼はほんの小さなかけらの中にしかないのよ」

 アジャニは息を吸い込んだ。「殺人者たちと手を組む君を見たら、ニッサはどう思うだろうな」

 チャンドラは拳を握りしめ、アジャニの腹へと渾身の一撃を叩きこんだ。だが彼女にとっては不運なことに、アジャニの筋肉は固くびくともしなかった。痛くなかったわけではない。だが彼女も知ってのことだとアジャニはわかっていた。本気であれば、今ごろは痛みにうずくまっていただろう。

 「誰だって、やり直す機会は与えられるべきなのよ」チャンドラは指の関節を鳴らした。「ここの皆に何か教えてあげようって人は誰もいないのよ。何故ってオリークだったから。元々、教えてもらうためにここに来たのに。そうする以外になかったのに。けれど永遠に閉ざされてしまった。アジャニ、ここの皆は誰も学校を襲ってなんかいないわ。拒否したの。仮面を割って、自分には向いてないって結論づけたのよ」

 そして皆を見渡す彼女の表情は、アジャニもよく知っているものだった――誇り。

 「ここの全員が紅蓮術師よ、一人残らずね。ジェイスを探してる時に見つけたの。寄せ集めの小さな集団で、互いに教え合ってて。それで私が守ることにしたの」

 チャンドラが話をするにつれ、さらなる視線がアジャニに向けられた。「私が連れていた生徒さんたちを襲ったというのにか」

 「襲ってなんかいないわよ。あの子たちが何を見つけたのか、知る必要があっただけ。見ての通り、誰も怪我なんてしてないでしょ。それに……正直を言うと、アジャニ。あなたが一緒にいなければ、あの子たちはとっくに解放していたわ」

 アジャニは反射的にうなり声を発した。両手を動かすと魔法の枷が筋肉に食い込んだ。「なぜ私が?」

 「そうだ。何故?」ルーウェンだろうか? きっとそうだ。タムや監視者たちを背後に引き連れ、彼は近づいてきた。若きエルフは壁のように互いの間に立った。「アジャニはアルカイックとは何の関係もない――」

 「そうね、ルーウェン。関係ない。この男が気にかけているのはあなたたち全員の安全を守ることと、あそこの愛すべきお人好しが問題に巻き込まれないようにってことだけ」チャンドラは視線を鋭くした。「でも問題は、この男は私のことをあなたみたいな生徒と同じように考えているってこと。私を守る義務があるって思ってて、そうしようとしているのよ。私を止めようとしているのよ」

 キーロルがそそくさとアジャニの隣にやって来た。チャンドラからの誉め言葉に気をよくしたのか、誇らしげに背筋を少し伸ばす。「詳しいことを聞いてみたらどうかな? アジャニさんはいつもボクたちを助けてくれるんだ。それに、やり直す機会を大切に思ってるなら、そうするのが理にかなってるよね?」

 アビゲールが近づいてくる音はアジャニには聞こえなかったが、翼が起こした微風の音は聞こえた。“このひとに機会を与えずにいるのなら、あなたの主張は説得力を失います”

 一瞬、群衆は黙った。肺を押し潰すような重みが軽くなるのをアジャニは感じた。守るべき生徒たちがこのように助けに入ってくれるというのは気恥ずかしく、だが感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。ナヤの若き戦士、黄金のたてがみのアジャニは夢にも思わなかっただろう――いつか自分はこのように守られ、このように信頼されるなどということは。

 だが果たして自分は、そのような信頼を向けられていい存在なのだろうか?

 あの行いを生徒たちは知らない。この手についた血の量を知らない。自分の姿は、生徒たちが見るその姿と、果たして同じなのだろうか?

 彼は顔を上げた。雲がひとつ頭上を過ぎた。その一瞬、自分がよく知るチャンドラを見たような気がした。

 「そうね」

 アジャニは頷いた。「君はどうしてここに?」

 チャンドラは腕を組んだ。遠くで何かが轟いた。頭上にそびえるタイタンの肋骨を見て、アジャニはそれが眠りの中で身動きをする様を想像した。

 「ジェイスは生きてる」チャンドラはそう言い、制するように片手を挙げた。「何を言いたいのかはわかるわ。ともかく聞いて。アヴィシュカーであいつを見たのよ」

 そしてチャンドラは自身のこめかみを指さした。周囲を漂っていた火の粉が渦を巻きはじめた。

 「あいつ、私に何かしたのよ。私の頭に。エルズペスが気づいてくれなかったら、助からなかっただろうって治療師に言われたわ。家族の前で、故郷の皆の前で、私は死んでいたでしょうね。あいつの、何かの計画のせいで」

 言葉を発するたびに、チャンドラの胸が上下した。アジャニもまた。

 必要とされる者であれ。アジャニの心にその言葉がよぎった――だが今このような状況で、どうすればそうなれる?

 「チャンドラ……」

 「そしてあいつ、まだ私の頭の中にいるのよ。何時間も頭痛が続くし、おかしい夢をみるの。誰が誰なのかわからない夢、知らない顔ばっかりの夢、私は絶対にしないことをする夢。頭痛は日に日に強くなるばっかりで、まるで頭蓋骨の中で痛みの風船が膨らんでくみたい。怖いのよ。それが破裂したら一体どうなるのか」

 「チャンドラ、そう思うのはわかる。だが私もタルキールでジェイス君を見た。彼は多元宇宙を作り直そうとしていたが、失敗した。ただ死んだのではなく、ジェイス君の本質そのものが無に帰した。彼は死んだ。疑う余地はない、ギデオンと同じように」

 その言葉を発した瞬間、アジャニは自分が間違いを犯したと悟った――チャンドラの口がゆっくりと開かれ、小さな声が漏れた。キーロルが肩を落とした。

 それでも、チャンドラをその思い違いに囚われたままにしてはおけない。

 「君の苦痛を疑っているわけではない。何かが明らかに君を苦しめている。だが、それがジェイス君であるはずがない。変装したアショクか、あるいは――」

 「そうよね、理解なんてしてくれないわよね。私を止めようとするわよね」チャンドラの声は震えていた。アジャニから離れるとともに、拳が火炎をまとう。「どうしてあなたばっかり、突っ込んで行こうとしても許されるの? どうして誰も私を信じてくれないの?」

 「信じているとも!」アジャニは一歩前に踏み出したが、その時再び地面が揺れはじめた。今回は彼以外も気づいた。割れ仮面たちが不安な視線を交わす。「チャンドラ、私を解放してくれ。話し合おう。君は冷静に行動していない――」

 彼女はくるりと振り返った。「冷静に行動していないのはそちらの方よ。多元宇宙が危機に瀕していた時、私は正しいことをした。今回もそうするわ」

 地面は揺れ続け、それでもアジャニはチャンドラを追及した。「だが、ジェイス君はここで一体何をしているんだ?」

 「アルカイックを操ってるのよ!」

 その言葉は森に響き渡った。鳥たちは飛び立ち、どこかで獣が吠えた。だが最も恐ろしいのはチャンドラが言った内容ではなく、どのように言ったかでもなかった。彼女がそれを言い終えた直後、まるで斧が頭蓋骨を叩き割るような音が、澄んだ青空を裂いた。

 ふたりは何も言わず、だがそれが何であるかは瞬時にわかった。

 宇宙の壮大さの証であるように、頭上にそびえ立つのはアルカイックだった――それも極めて巨大な。幅広の胸が呼吸をするたび、アルカイックを取り巻くアーチはそれに同調して膨らみ、脈打ち、うねっているように見えた。息を吐くたびに、野営を強風が襲った。目はなかったが、アジャニはそれが自分たちを見つめていると感じた。歯の根まで、骨の髄まで感じた。

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アート:Josu Solano

 私たちの声が聞こえていたのだろうか? これまで感じていた揺れの原因は、このアルカイックの足取りだったのだ。一歩一歩と近づいてくる。ゆっくりとした不可避の運命、巨大すぎる未解決の疑問。

 アジャニはアルカイックを見つめていたが、そこでふとチャンドラに視線を移した。紅蓮術師はゴーグルを下ろしており、両の前腕を炎のらせんが取り囲んでいた。アヴィシュカー次元で見られる霊気のらせん模様に似ていた。前に会った時よりも、はるかに魔法を自在に制御できるようになっている。一瞬、場違いすぎる誇らしさをアジャニは感じた。

 だがその誇りを味わう時間はない。その炎がどれほど美しくとも、チャンドラが全力でアルカイックを攻撃するのを止めねばならない。時間はほんの数秒しかない。

 説得しても無駄であることは彼女の態度から明白だった。叫んでも貴重な空気を無駄にするだけだ。代わりにしなければならないことは。

 アジャニは大きく息を吸い、チャンドラに飛びかかった。

 炎の狙いを定めることに集中していた彼女は、全く気付かなかった。アジャニは体当たりをし、ふたりは地面に倒れ込んだ。チャンドラが体勢を立て直す間もなく、彼は拘束されたままの両腕を振り下ろした。

 「何が起こっているのかもわからないというのに、あれを傷つけるというのなら止めなければならない。済まない――」

 「見ろ! あれの手の上だ! ジャズィ様が!」ルーウェンの絶叫は、チャンドラの灼熱の視線と同じほどに痛烈だった。

 彼女の言う通りだったということか? とはいえ、わかっていることは限られていた……

 アジャニはチャンドラの多くの行動を予測していた――反撃してくる、そのために炎を用いる、そしてそれに反応する時間はほとんどない。

 だがチャンドラが炎の勢いを用いて飛び上がり、そのまま宙返りして着地することは予測していなかった。アジャニは慌てて下がったものの、毛皮が焦げた。燃える炎が絨毯のようにチャンドラの周囲に広がった。

 炎に包まれ、チャンドラは自身の生徒たちに合図を送った。「足止めをお願い。あいつに止められるわけにはいかないのよ」

 火薬樽に火種を投げ込むのは、まさしく紅蓮術師の得意技だ。割れ仮面たちは一斉に炎を放った。野営のそこかしこで炎の壁が立ち上がり、アジャニは生徒たちから引き離された。焦ったが、炎を越えて彼らを守りに向かう余裕はなかった。チャンドラが事態をさらに悪化させようとしているのだから。

 アジャニは膝を上げ、両腕を叩きつけた。枷が粉々に砕け散り、同時に彼はチャンドラを再び掴もうと試みた。

 彼女はアジャニの努力に報いるかのように、炎をまとう拳を突き上げて叩きこんだ。

 「いつになったらわかってくれるのよ、私はもう子供じゃないって!」だがひどい耳鳴りの中、チャンドラの言葉は途切れ途切れにしか聞こえなかった。「私は多元宇宙を救うために行動しているの。あなたに邪魔はされない。二度は」

 よろめきながらもアジャニは立ち上がった。チャンドラは戦いを欲しているのか? ならば欲しいだけ忙しくさせてやろう。

 彼は再び突撃し、今回は肩から体当たりをした。相手がよろめいたところで上着の襟首を掴み、脛で膝の裏を払う。チャンドラは立っていられず倒れたが、その前にアジャニの肋骨へと一撃を見舞った。

 アジャニはうめいた。だが手強い戦いの興奮に、血が湧き上がるのを感じていた。辺りの炎から、懐かしい戦太鼓の音が聞こえてくるようだった。違う、戦太鼓ではない。割れ仮面と生徒たちの戦いの音だ。サナールが相手を惑わすために電池を使ったに違いない。懸命に耳を澄ましたなら騒音の中にキーロルの鬨の声が聞こえ、タムが足止めの蔓を引き裂こうとする様が目に浮かぶようだった。

 チャンドラは目の前の地面に倒れていた。このまま放っておくこともできる。

 だは放っておくわけにはいかない。放っておいていいとは思わない。チャンドラがこのままでいるわけがない。

 体勢を立て直す隙を与えず、アジャニは駆け寄った。焼けるような痛みが脇腹に走り、彼の内なる何かを呼び覚ました。生きていると感じた。彼は片腕をチャンドラの顎の下に差し込み、もう片方の手を彼女の後頭部に回した。

 「攻撃したところでどうなる?」チャンドラが蹴り返してくると、彼はそう尋ねた。「あのアルカイックを追いかけてその意図がわかれば、ジャズィをもっと安全に守れる。君は決着のつかない戦いを始めようとしているだけだ」

 チャンドラがアジャニの腕に向けて放った言葉は、ほとんどの親が青ざめるようなものだった。ピア・ナラーは動じないかもしれないが。

 アジャニは背を反らした。体格差があるため、チャンドラは足がかりを見つけなければ逃れることはできない。このまま抵抗していれば、いずれ気を失う。そうなれば彼女をどこか安全な場所に移動させ、生徒たちとともにこの状況を打開する。もう数秒で……

 だがその数秒を得ることはできなかった。

 チャンドラは動きを止めていたが、それは気を失ったからではなかった。周囲に燃え盛る炎は、アジャニの脇腹を焦がした炎は、すべて彼女の右の掌に集まっていた。

 止める間もなく、チャンドラはそれを頭上高くへと放った。

 「何をして――」アジャニは言いかけたが、無益だとわかっていた。彼はチャンドラを地面に下ろし、当然来るであろうアルカイックの反撃から彼女を守ろうとした。それだけでなく、炎がアルカイックを焼く様子を見たくはなかった。

 その必要はなかった。その音は、アルカイックが発した苦悶の悲鳴は、死ぬまで忘れはしないだろう。アルカイックの苦痛は、彼の胸にあいた大きな空洞に響き渡った。その声に満ちる容赦ない悲嘆を彼はこらえたが、やがて長くは抵抗できないと察した。

 言葉はなかったが、アジャニは非難を聞いた――なぜ私にこのようなことをした?

 このごろ、何度そう問いかけられただろうか? あと何度聞くことになるのだろうか? 地面でチャンドラがわめき叫ぶ中、彼は無理やり視線を上へと向けた。

 炎がアルカイックを焼き尽くそうとする一方で、力場の泡がジャズィを守っていた。苦悶の咆哮の中、その魔法が放つ光は炎を淡く見せていた。

 ほんの一瞬、そのアルカイックはアジャニを見下ろした。チャンドラを。

 そしてそれは手を振り下ろし、地面を裂いた。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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