MAGIC STORY

マジック・オリジン

EPISODE 08

巻き返し

Kelly Digges
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2015年7月22日

 

(※本記事は2024年5月18日に一部再翻訳版として掲載されました。)
 

前回の物語:ギデオン・ジュラ--「限界点」

 精神魔道士ジェイス・ベレレンは、多くの人々にとって多くの物事を意味する。彼の現在の義務の中でも最優先事項を占めるのはギルドパクトの体現者、都市次元ラヴニカにおけるギルド間紛争を調停する魔法的権限としての役割を果たすこと。だが彼は他にも多くの約束をしてきただけでなく、多くの問題を背負ってきた――そしてそれぞれが彼の心に、未解決の謎として引っかかっている。

 その幾つかは、もしかしたら、他よりも深刻に。

 ジェイスは固い笑みを浮かべながら、ゴルガリの代理人が部屋をよろよろと出ていく様を見ていた。彼は素早く呪文を呟き、尊敬を受ける大使とそのゾンビの随員たちが漂わせる菌類の腐臭を一掃した。

 彼らの背後で扉が閉じられると、ジェイスの笑みはただちに消え、彼はようやく置くことのできた大きな木製机へと倒れこんだ。その机は軋み、彼は顔をしかめた。座り込むための上等で大きな椅子が必要だった。革製の、高価なものを。

 「これで今日は終わりだと言ってくれ」

 「例え貴方の命令であろうとも、私は自身を偽証することはありません」彼の行政官、ラヴィニアが答えた――思うに、悪戯っぽい口調で。

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アート:Jaime Jones

 ジェイスはうめいた。仕事が困難なためではない。その正反対だった。仕事はとても多く、そして極めてやりがいのないものばかりだった。

 「ですが」彼女は続けた。「折よく、今回の場合私は嘘偽りなく言えます。本日の約束はこれで最後です。言うまでもありませんが、明日の請願につきましても既に予定は定められています」

 ギルドパクト庁舎の高い窓からはもはや陽光は差していなかった。最後に食事をとったのはいつだろうか?

 「待ってもらえないかな。その人たちの問題は全部解決できるとは思う、だけど俺も一日でそれを全部はできない」

 彼はラヴィニアへと向き直った。いつも変わらない、引き締まった態度。ジェイスは顔をしかめた。

 「君は疲れてもいないんだろう? ジェイス・ベレレンの行政官は幻影だって噂が流れてるかもな……人間が12時間も儀礼用の鎧を来たままで、疲れた様子さえ見せないなんて」

 彼女もジェイスへと向き直り、頭から爪先までを眺めた。

 「時々運動をなさって下さい。お判りでしょうが、そうすればもっと長時間を耐えることができます」ラヴィニアは微笑んだが、それは彼女が本気ではないことを意味してはいなかった。

 「考えとくよ」

 彼は部屋を出て行こうとした。

 「ギルドパクト」ラヴィニアの声に彼は振り向いた。「休息をとって下さい」

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アート:Willian Murai

 「コーヒーを」ジェイスはそう言った。「コーヒーは休憩に値する代用品であるとギルドパクトの体現者は定めるものである。詳細は……小項目かどこかに」

 鍛えられているラヴィニアは、呆れた目をジェイスに向けはしなかった。だが彼が部屋を出て行くとかぶりを振った。

 湾曲した回廊をしばし下り、ジェイスは自身の住居へと続く秘密の玄関口をくぐった。その入り口は彼とラヴィニア以外に知る者はなく、そして彼女ですらその開き方は知らない。墓所や居城の秘密を守るために建築家を始末した、あるいは舌を切り落としたという暴君の伝説が多くの次元にある。ジェイスは建築家の心からその知識を完全に削除した――遥かに優しい、自身にそう言い聞かせて、とはいえそう感じたことはなかった。

 彼の住居は図表、進行中の計画、食べかけの食事で散らかっていた。ゼンディカーの面晶体の幻影が浮遊し、その魔法文字は嘲るように解読を跳ねつけていた。様々な次元の世界儀や地図にピンが刺されて重要な地点を示していた。そして退屈なアゾリウスの法令の複写数枚の上には、オナッケのオーガの角が横たわっていた。

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アート:Adam Paquette

 ジェイスに従者はいなかった――危険すぎる、そして気詰まりというのもあった。だが時折、通常は来客を予期した際には雑用のための幻影を呼び出してこの場所を掃除させていた。そしてこの住居を秘密にしてはいるが、ジェイスは時折そういった来客をもてなしていた。実のところその扉はイゼット製の瞬間移動装置であり、逆側の出口は定期的にその所在地を変更している。思うがままに行き来でき、客すらも迎え入れることができる。そしてギルドパクトの体現者がまとう神秘性はただ深まるだけだった。

 彼はかすんだ目で瞬きをした。何をしているんだっけ?

 そうだ、コーヒー。

 扉を叩く音があった。

 いや、正確には違う。だが第七地区のどこかの扉を叩く音があり、ここの扉に通じるポータルを通って彼の耳に届いた。そしてあらゆる点で奇妙だった。

 彼はフードを引き上げて顔を隠し、マナを集め、注意深く戸口へと近づき、必要とあらばそのポータルを解呪する呪文を構えた。だがまずは、扉の向こうを見るための呪文を唱えた。

 この偏執的なまでの準備はきっと必要ないものだろう。多分、ただ慌てたどこかの市民が第七地区の間違った扉を叩いたのだろう。最悪でも、たぶん――

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アート:Karla Ortiz

 ……リリアナ?

 彼は息をのんだ。

 弄ばれていたと知ったその日から、リリアナ・ヴェスとは長いこと会っていなかった。そして避けてきた――命の危険、友人の死、文字通りの拷問、そんな物事があった後では会えずはずもない。その全てが、少なくとも部分的には彼女のせいだったのだから。リリアナは道徳観念に欠ける利己的な死の魔道士であり、あのドラゴンのプレインズウォーカー、ニコル・ボーラスの命令で自分に接触していた。だが同時にリリアナは彼が初めて、本当に恋をした相手だった。別れて以来、彼女を恋い焦がれないように努めていた。そうしない方がいいことはよくわかっていた。

 その屍術師は数マイル離れた人目につかない扉の前に立ち、ジェイスが見る限りひとりきりだった。物腰は誇らしかったが、時折周囲をちらりと一瞥していた。まるで何かに怯えているかのように。もしくは用心しているかのように。

 もしくは自分を欺くために。またも。

 幻影だろうか? ポータルを通しての判別は困難だった。もしそうだとしたら、実に出来がいい。苛立った様子で左足をそわそわさせる仕草までも。

 この呼び出しに応えるべきではないのだろう。本物であろうとそうでなかろうと、これはほぼ確実に罠だった。例えリリアナがまた自分を裏切ろうとしてはいなくとも、この女性と関わる人生はすぐに堕落へと向かう。応えるべきではない。

 ジェイスは溜息をつき、不可視の呪文を唱え、自身を不可視にして、幻影の映し身を呼び出した。そして念動力で扉を突き、映し身がそうしたように見せかけた。

 「リリアナ?」映し身の顔に驚きの表情を浮かべさせ、ジェイスはそう言わせた。「何が――」

 彼女は幻影のジェイスに向かって歩き、何でもないという様子で通過した。

 そして肩越しに振り返って言った。「入ってもいいかしら?」

 ジェイスは顔をしかめ、扉を押して閉じ、不可視状態と混乱した様子の幻影の映し身を、加えて瞬間移動門も解呪した。そしてリリアナを急いで追いかけた。

 「駄目だと言ったら?」

 「言わなかったでしょう」

 ジェイスは彼女の前に出て進路を遮った。リリアナは彼の先、住居の中を眺めた。

 「いい所ね。なのにそんなに散らかして」

 リリアナは全く変わっていないように見えた。そう、そういうものなのだから。四体ものデーモンとの契約がそう見せているだけ、その完璧な肌に堕落の魔法文字を彫り込んで。ジェイスは以前からその魔法文字が嫌いだった。そして気をつけていた――触れないように。

 ようやく、リリアナはジェイスと目を合わせた。

 「元気にしていたかしら、ジェイス」

 ジェイスは人々の目から感情を読み取ることに慣れていなかった。相手の意図を読むためにそうする必要はないのだから。会話をする時に目を合わせることを学びはしたが、それらに注意を払うことまでは身につけてはいなかった。だがリリアナの瞳は覚えていた。年月を経た、紫がかった灰色、確かな危険が満ちている。ジェイスは彼女の凝視を受け止めようとしたが、それがかき乱す思い出に耐えられなかった。彼の視線はやがて相手の鼻へと落ち着いた、ある種のぎこちなさを感じさせない唯一の場所に。

 「何を言っても、俺に信頼させることはできないよ。俺を欺いたんだから」

 リリアナは視線を動かした。彼女の香りが届いた。ライラックとシナモンが、腐敗した奇妙な何かのわずかな痕跡を覆い隠していた。

 「約束をすっぽかしたのはあなたでしょう」

 「ああ。君に裏切られたんだからな!」

 「昔の話じゃない」リリアナはそう言い、オナッケの角を取り上げて弄んだ。「私はもうボーラスのためには動いていないし、あなたを嫌な目に合わせる気はないわ」

 「で、俺はそれを確かめればいいのか?」ジェイスはそう尋ね、彼女から角を取り上げて元の位置に戻した。「それともまだあのつまらない守りをつけてるのか?」

 初めて出会った時、ジェイスは彼女の心を読んだつもりだった。だがリリアナはいかにしてか、彼のテレパス能力を欺いていた。ジェイスは疑念を抱いた。そして事実、リリアナは当時自分たちが働いていた組織の主のために秘密裏に動いていたのだった――齢一万歳を超えるドラゴンの大魔道士のために。

 リリアナは何も言わず、だがゆっくりと、ジェイスの顔へと手を伸ばした。彼はその接触から身を引きたくもあり、正反対の事をしたくもあった。ジェイスはじっと動かずにいると決めた。だがリリアナは彼には触れず、ただフードの端を二本の指で掴んでそれを脱がせた。そしてしばしの間、値踏みするようにジェイスを見つめた。

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アート:Jaime Jones

 「大人びたわね」

 「それはどう受け取ればいいんだよ」

 「あなたの歳にしては、ってこと。褒め言葉以外の何でもないわよ」彼女は首をかしげた。「髪を整えるようになったのかしら?」

 彼は照れるように手で少し髪を梳き、そして手を引っ込めた。その通りだった。いや、リリアナは自分の髪が目的なのではない。彼は顔をしかめた。

 「なあ。ただ俺の見た目を批評するためだけに来たわけじゃないだろ。ここを見つけるには相当な厄介事があったはずだ。だから本題に入らせてもらう。どうやって俺を見つけた? 誰か他に知っているのか?」

 リリアナはわざとらしい溜息をついた。

 「凄く高いお金を払って、凄く優秀なスパイを雇ったのよ。そして他には誰も知らないわ。だって今頃そいつの屍は第七地区で私を探してよろめいているから」

 「どういうつもりだ! 君はラヴニカの一市民を」

 「悩むことはないわよ。そうなるのが当然のような奴だったから。あなたにとってもね。新プラーフにはそいつに関する書類があるだろうけれど、きっとあなたの腕くらい分厚いわよ。殺人、放火、窃盗、恐喝――他にもアゾリウスが知りもしない色々なひどい事。評議会のあなたのお友達の役に立ってあげたのだけど」

 「令状は裁判を行うよう定めているんだ。即決の処刑じゃない! 俺は今、そういう事も考えないといけないんだ。俺は法だ――文字通りに法なんだ。全く、どうして君は笑ってるんだよ?」

 「ラズロ・リプコー」

 彼は歯を食いしばったまま、ひとつ息を吸い込んだ。

 「あー、ああ。あれは本物の屑だ」

 「屑だったわ」リリアナは得意そうに笑った。

 ジェイスは溜息をついた。

 「わかったよ。俺だって、法の外で動いたことがないわけじゃない。ギルドパクトになってからも」

 ふたりはまだ玄関口に立っていた――少々接近しすぎたまま。

 「もういいかしら? 取り調べは終わり?」

 「まだだ。野生語りのガラクに何をした?」

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アート:Chase Stone

 「ああ、あれね」

 「あれだ」

 「とりあえず、座ってもいいかしら?」

 彼は肩をすくめ、テーブルを囲む背もたれの高い椅子のひとつを示した。だがリリアナはテーブルを迂回し、彼の寝椅子にどさりと座り込んだ。立ったままでは迫るようになる、かと言って隣に座りたくはない。ジェイスはテーブルから椅子を引いてきて座った。リリアナは期待するようにジェイスを見つめた。

 ジェイスは促すように言った。「ガラクだ」

 「ガラクね」彼女は眉をひそめた。「言うべきことはそんなに多くないわ」

 「じゃあ言えよ」

 「あいつは私に襲いかかった。そして私が勝った。思うに、恨みを抱いてるんでしょうね」

 「それじゃない」

 彼女は歳経た紫色の瞳をまたたかせた。

 「それじゃない?」

 「鎖のヴェールのことだ」

 「ああ」リリアナは視線を外した。「あれね」

 彼は待った。

 「あなたが知っていることを教えてくれるなら、話は簡単なのだけど」

 「俺にとってはそうしない方が有益だ」

 実のところ、ジェイスは鎖のヴェールについて多くを知っていた。その特性を、ガラクとのリリアナのいざこざを。だが彼はリリアナがどれだけ自分に明かすかということに興味があった。そして心から正直に言うなら、彼女の苛立ちを見て楽しんでいた。

 「いいわ。鎖のヴェールはとても強力な、遥か古代のアーティファクトで」

 「邪悪でもある」ジェイスは割って入った。

 「そうね。ありがとう」リリアナはちらりとジェイスを見つめた。「デーモンの債権者の一体が、それを探せって私に命令した。私は服従するしかなかった。けれどそれを使って自由を手に入れようと決めた。大変な道よ」

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アート:Jakub Kasper

 「四体のデーモンを倒せるって、本気で思って――」

 「二体よ」

 「え?」

 「二体は倒したの」彼女は指を二本立て、にやりと笑った。「だからあと二体」

 「ああ、それは……事情が変わってくるな」

 「そうでしょう?」

 ずっと以前、ジェイスは心に抱いていたことがあった――リリアナが契約を逃れる方法を探す助けになろうと。彼女が真に何者なのかを、その自暴自棄と嘘の下にあるものを知るために。だが今や、自分の手がなくともリリアナはその道半ばにある……そして何かもっと悪いものにはまりつつある。

 「君はガラクに何をしたんだ?」

 「ヴェールは呪われていたのよ。それは誰かを、遠い昔に滅びた種族の再生の器にさせるために創造された。けれどそれはひとつの魂が持つには大きすぎる力で、たぶん使う方にも強さが足りなかったら、殺されてしまうでしょうね」

 「『でしょうね』?」

 「私に何が言えるっていうの? ずっとデーモン殺しで忙しかったのよ。図書館に行く時間なんて全然なかったのだから」

 「そうか。君は死んではいないな」

 「当然よ」リリアナは瞳をひらめかせた。「私はとっても強いもの」

 「で、殺されなかった者がどうなるかも知ってるんだろう?」

 リリアナの表情に影がさした――もしかしたら、ここに来て彼女が初めて見せた、正直な感情かもしれない。

 「知ってるわ。デーモンになるのよ」

 ヴェールの力は圧倒的で、その最強の所有者すらも怪物へと変えてしまう。

 「そしてガラクはそうなろうとしている。なったかもしれない、もしかしたら。けれど君は違う」

 「私は違う。それが契約のせいなのか屍術のせいなのかはわからない。それとも、あのヴェールを手に入れてすぐ、自分への呪いをあいつに渡したのかもしれない。原因はともかく、あいつは怪物になろうとしていたわ。そして私は違う。何にせよ、私はずっと私なのよ」

 「いいだろう。君はまだ生きていて、まだ人間のままで、二体の悪魔を倒した。じゃあ、何が問題なんだ?」

 彼女は片眉をつり上げた。

 「問題があるって誰が言ったの?」

 「リリー、ここに何をしに来た?」

 彼女は唇を尖らせた。

 「昔の友達にただ会いに来たらいけないの?」

 「やめてくれ」ジェイスは素早く言い放った。「俺たちの間には色々あった。けど友達だったことはない」

 そして、沈黙。リリアナの視線が強張った。

 「俺は――」

 「やめて」

 彼は口を閉じた。

 「そうよね。こんなことを言っても仕方ないのはわかっているけれど、ごめんなさい。あなたを巻き込んだことを。ガラクに起こったことも謝るわ。それがあなたの気休めになるのかどうかはわからないけれど」

 リリアナは椅子の柔らかな背もたれに頭をもたれ、溜息をついた。

 「わからないのよ、ジェイス。もしかしたら望んでいるのかも。私たち……やり直せないかなって」

 リリアナは顔を上げた。彼女の瞳がジェイスのそれをとらえた。

 「やり直すなんてのは、俺が学んだ最初のいかさまだ」ジェイスは作り笑いをして言った。彼は片手を挙げてそれを輝かせた。精神魔法を唱える際に、記憶を消去する際にしばしばそうするように。「そんな言葉は……」

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アート:Chase Stone

 「やめて。そういうのは」

 リリアナは顔をしかめて両手を広げ、無力そうに肩をすくめた。それが正真正銘の狼狽だと信じるには、ジェイスは辛すぎる時を過ごしてきた。だがそれが演技だとしたら、とても真摯なものだといえた。

 「ただ……少なくとも、この会話は。やり直せないかしら?」

 「いいよ、とはいえ俺の家に入る所から始めるにはもう遅い時間かな」

 「そうね。なら、どこから始めましょうか?」

 「俺の家に押しかけてきたのを謝る所から、かな?」

 リリアナの態度が一変した――取りすまして悔いる様子で、両手は控え目に膝の上に組み、表情は用心深く。だがその両目はおどけていた。

 「こんなふうにあなたの所に押しかけて、本当に申し訳ありませんでした」仰々しい礼儀正しさで彼女は言った。「街に来て、立ち寄りたくて我慢できなかったんです。最後に会った時の喧嘩を、心から後悔しています。そして、新しく始めることができればと願っています」

 それは遊戯。リリアナとは全てが遊戯、そして遊ぶことにはうんざりだった。どうすればいいかはわかっていた。だがリリアナが何を目論んでいるのかを見つけ出さない限り、別の方法で揉め事に巻き込まれるだろう。そして遊戯を楽しむのは彼女だけではない。

 「なんて嬉しい驚きだ! 再び君に会えるなんて――少しも疑ってなんてないし、嬉しくないわけないだろ。新しく始めるって君は言うけれど、どんなのを考えているんだ?」

 リリアナは邪な笑みを浮かべた。

 「夕食をご馳走してくれません?」

 ジェイスは嘲るように鼻を鳴らした。

 彼女は穏やかに微笑んだ。

 「本気か」

 リリアナは歯を見せて笑った。

 「私はいつだって本気」

 更なる遊戯。更なる欺瞞。

 どうすればいいかは、よくわかっていた。

 ふたりは腕を組み、ラヴニカでも流行に敏感な第二地区をそぞろ歩いていた。暖かな夜で、街路は混雑していた。

 「どんな感じなの?」リリアナが尋ねた。「ギルドパクトっていうのは」

 「疲れるよ。誰もが俺の一部を欲しがってる。一度に十の方向へ引っ張られてる」

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アート:Dave Kendall

 「ぞっとする響きね。四つでも十分大変なのに。忌まわしいわ。どこかへ引っ張られるってことだけで、十分以上に大変だわ」

 「ギルドは俺の主人じゃない。むじろ……依頼人だ。今はテゼレットの連合にいた時よりも自由だってのは確かだな」

 「けれど、あなたは王様じゃないでしょう。法は作らない。法に縛られている」

 彼は肩をすくめた。

 「王様になりたいとは思わないよ。だけどそうだな……閉じ込められてるような」

 「そこのお兄さん!」薔薇の籠を持った、小柄で肉付きの良い女性が声をかけた。「お兄さん! 恋人さんにお花はいかがですか?」

 「そんなんじゃ――」

 「そんな事は言わないものですよ、お兄さん!」目配せとともにその女性は言った。「女性はいつも一輪の花という贈り物を喜ぶものですよ」

 「だから違うって――」

 リリアナは彼の脇腹に肘を入れた。

 「勿論です」ジェイスはその女性に1ジノを手渡し、釣りはとっておくようにと言い、その薔薇を仰々しくリリアナへと差し出した。

 「そこのあなた!」その女性は既にジェイスたちの背後の二人連れへと声をかけていた。「あなた! 彼氏さんにお花はいかがですか?」

 リリアナは薔薇の花をそっと受け取り、見つめた。瞬時にそれは萎れて乾き、黒い枯草となった。彼女は漆黒の髪にそれを差し、ジェイスへと微笑みかけた。

 「素直じゃないことに疲れたことはないのか?」

 彼女は目が眩むような笑みをひらめかせた。

 「一度も」

 ふたりは到着した。

 「ミレーナズ」は第二地区でも最高の料理店のひとつであり、座席はすべて予約制だった。ジェイスは小声の数語を給仕長と交わした――ヴァルコという名の、ネズミのようでありながらも有能な小男。そしてギルドパクトの体現者とその同伴は蝋燭を灯されたテラス、二人用の席に案内された。

 「あなたが職権を濫用しないような人でもないとわかって嬉しいわ」

 ジェイスは椅子を引いてやり、リリアナは座った。

 「俺は一日に十時間、縄張り争いと被害の話を聞いて過ごしてる」ジェイスも座りながら言った。「人目の少ない、美味しい料理店の座席。この街も少なくともそのくらいは返してくれないとな」

 リリアナは物欲しそうにメニューを見た。「それで、こんなお金はあるの?」

 「いつもは無料にしてくれるよ」彼はきまりが悪く聞こえるように言った――主に、実際にそう感じているという理由で。だがギルドパクトの務めは簡単ではなく、安全でもなく、そしてその仕事の数少ない役得を恥じてはいなかった。何にせよ頻繁に使うわけでもない。

 「そうよね。少なくともそのくらいはしてもらわないと」

 ふたりは注文をし、リリアナは遠慮しなかった――彼女がそうするとはジェイスも思わなかった。高額なカサルダ赤ワインのボトル、滑らかな万年紀ヴィンテージ。そしてジェイスは素早く静寂の呪文を唱え、周囲の耳から少々隠れた。

 「私たちが隠れるのに使っていたどん底とは似ても似つかないわね。あの狭くてひどい場所は何て言ったかしら。ビターエンド?」

 ジェイスはグラスを掲げた。

 「さようならを……過去は過去に」

 リリアナは一口飲み、素早くグラスを置いた。

 「あなたがしてくれた事は聞いてるわ。ガラクを止めようとしたって」

 「ああ、そうだけど」

 「危険だったはずよ。私のためにそうしてくれるなんて思わなかった」

 「君のためにやったんじゃない。ガラクはあらゆるプレインズウォーカーにとっての脅威になってたんだ」

 「自分が何を言ってるのかわからないの?」リリアナはかぶりを振った。「ジェイス・ベレレン、多元宇宙の守り手。文字通り誰もかれもを気にかけているなんて嘘ぶかないと、私を気にかけてくれているって認められない人」

 「君のことを気にかけた方がいいって言うのか?」

 リリアナの表情が怒りに曇り、彼女はスカートの腰の部分へと手を伸ばした。ジェイスは狼狽して一瞬、対抗呪文を唱えようと構えたが、そこでリリアナが何をしているかを把握した。

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アート:Volkan Baga

 彼女が取り出した物こそ、鎖のヴェールに違いなかった。ほんの一瞬、顔をそむけるまでの間、難解な不協和音の囁きが脳裏に満ちた――それが何かはともかく、リリアナの問題であって自分のではない。その繋ぎ目は磨かれた黄金、精巧な細工で優雅かつ巧みに作られたもので、表面は絹のように滑らかだった。どこか重々しく、料理店の薄暗い明かりの中で不自然に輝いていた。美しく、魅惑的で、危険。

 ほとんど反射的にジェイスの手が伸ばされた。リリアナは唐突かつ見苦しい動きで彼の手が届かない所へとヴェールを遠ざけた。

 「俺に取られるのが怖いのか?」半ば混乱しながら彼は尋ねた。

 彼女はジェイスと視線を合わせた。束の間、ジェイスはその古き瞳に苦痛と怖れと懇願を見た。

 「怖いのは、これがあなたに何をしてしまうかってこと」リリアナは声を落として言った。「それと何にせよ、あなたがこれを奪うことはできないわよ。例え私がそうして欲しがったとしても。これがどういうことかわかるかしら?」

 できない? 鎖のヴェールは何らかの形でリリアナと結びついているのだろうか? それとも、単にリリアナを強く捕まえて離さないのだろうか? どちらも信じられる仮説だった。

 「わかり始めたところかな」

 蝋燭の明かりがそれにゆらめく様子は、どこか不吉なものに見えた。

 「俺に見せびらかしたいのでなければ、仕舞ってくれないかな。皮膚がぞわぞわする感じだ」

 彼女はそれを再び仕舞い込んだ。

 「私もよ」リリアナは囁き声で言った。

 蝋燭の炎が揺らめいた。

 「まるで、色々なものがきちんと制御されていないような、そんな感じ」

 リリアナがやって来た理由を、今やジェイスは理解した。自分の感情と好奇心を一度に刺激して。リリアナは困り果てており、そして解かれていない謎がある――ジェイスがそのふたつの物事を拒否するのは難しいと彼女は知っている。そしてもしかしたら、もしかしたら、リリアナの思惑通りかもしれない。

 だがジェイスは彼女から言わせるつもりだった。

 リリアナの瞳は暗黒の淵だった。

 「ジェイス、私……」

 料理店の前、テラスが街路に面している所で騒動があった。ジェイスは鋭く振り返り、六つ程の防護魔法を唱えられるよう身構えた。

 長身で肩幅の広い男が道に立ち、ヴァルコと口論をしていた。使い込まれてはいるがよく手入れのされた鎧をまとい、血と土と何か正体不明の汚れにまみれていた。その男はジェイスを指さした。テレパスが容易に届く距離ではなかったが、唇の動きと表面的な思考がその男の言葉をジェイスへと伝えていた――「ギルドパクトに伝えなければいけない事があります」。

 男はボロスの印章をひらめかせ、狼狽する給仕長を押しのけ、ふたりの卓へとやって来た。ジェイスよりもかなり背は高く、黄褐色の肌と印象的なほどに鮮やかな瞳をしていた。

 「ジェイス・ベレレンさんですね。貴方の助力が必要なのです」

 その男は、ラルから聞き及んでいたプレインズウォーカーの描写に一致していた。尋常でない規則正しさをもってラヴニカへと次元を渡って来ては去るという。

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アート:David Rapoza

 ヴァルコがその男を追いかけてやってきた。

 「ギルドパクト様。申し訳ございません。この方がギルドの用件だと――」

 「いえ、言ってはいません」その男が返答した。「私は印章を見せただけです」

 「今は勤務時間外です」ジェイスはそう言った。プレインズウォーカーであろうとなかろうと、この男の揉め事は自分が解決するものではない。「朝になりましたらギルドパクト庁舎に来て頂き、予定表に記入をして、数日中に――」

 「ゼンディカーという地の件です」

 リリアナは釘を飲み込んだような顔をした。

 「お客様」ヴァルコが言った。「用件が何であろうと、当店の規定としてお客様の服装は容認できるものではありません。私は断固として――」

 「いや、ここにいてくれていい」ジェイスが言った。「もし見た目が問題なら、私がこの卓全体に不可視の呪文をかけよう」

 「それは、お料理を運ぶことが著しく困難になるのですが」

 「どのみち匂いは隠せないけれど」リリアナが言った。

 「埋め合わせはするから」ジェイスはそう言ってヴァルコを退散させた。

 「私はどうしろと?」リリアナが尋ねた。

 「ギデオンと申します」男はそう名乗り、リリアナを一瞥した。

 「彼女はわかっています。座って下さい」ジェイスが答えた。

 「いえ、立ったままで構いません」

 ジェイスは立ち上がったが、それは失敗だった。立ってなお、彼はギデオンと目を合わせるために見上げなければならなかった。そして今や互いの体格の差は明白だった。自分は小さいと感じるのは嫌だった。とにかく嫌いだった。

 「さて、私は夜のひと時を台無しにされてしまったわけですが。用件とは何ですか?」

 ギデオンは睨みつけるように目を狭めた。

 「ゼンディカーへ実際に行かれたことはありますか?」

 「あります。良い旅とは言えませんでしたが」

 「海門が陥落しました」

 「何だって?」ジェイスは驚いて言った。「いつです? 一体何が?」

 「数時間前です。そこまで経っていないかもしれません。私は終わる前に離れましたが、あの場所にもう望みはありません。原因は……エルドラージはご存知ですか?」

 「私が最後にそこにいたちょうどその時、奴らは現れました。離れる直前に一体を見ました」 ジェイスはそう言ったが、『一体を見た』は言い方のひとつに過ぎなかった。『故意ではなかったが、それらを何千年という虜囚から解き放ち、ゼンディカーを恐怖に陥れた』――別の言い方をすればそうだった。ギデオンはそれを知っているのだろうか? 「海門の学者に何人か知り合いがいます。言伝はありますか?」

 「彼らの記録は失われました」ギデオンは言った。「私が貴方の所に来たのはそのためです。海門の学者たちは打開策に迫っていました。エルドラージに対抗できる何かが面晶体にあるというのです。そしてジェイスさん、貴方は謎を解くことに定評がおありです」

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アート:Peter Mohrbacher

 ジェイスは素早く目の前の男の精神へと潜り、その言葉が真実であると確かめた。

 「面晶体のネットワーク? そこにどんな打開策が?」

 「わかりません。彼らはそれを『力線の謎』と呼んでいました。そしてそれがエルドラージに繋がっていると。私と共に来て、それを解いて頂けませんか?」

 「力線!」ジェイスは叫び、思わず覚書に手を伸ばそうとした。だが言うまでもなく、それは住居に置いてある。「面晶体と力線を繋げて考えたたことはなかった。そのふたつに……関係があるのか」

 ジェイスは額をこすった。ある意味、エルドラージは自分の責任だった。あの時以来それらを、そして面晶体を調査してきた。けれど責任は他にも沢山ある!

 「もしゼンディカーをご存じで、エルドラージを見たというのでしたら、これがどれほど深刻な状況かはお判り頂けるかと思います。貴方は正しい判断をして下さる方です」

 リリアナはグラスを空にし、椅子を引き、ジェイスの横を通り過ぎた。

 「リリー、待って……」

 彼女は歩き続けた。

 ジェイスはギデオンへと声をかけた。「ちょっと失礼します」

 ジェイスは彼女を追いかけて走り、その歩調に追い付いた。その腕を掴もうとしない方がいいと彼はよくわかっていた――癒し手の所に行く羽目になる。

 「リリアナ!」

 彼女は足を止め、ジェイスに対峙した。怒りに両目が輝いていた。

 「久しぶりにあなたを探して、あなたに何もかもを明かして。そして今、こうして一緒に過ごせたのに、あのサンホームから来た生焼けの牛肉みたいなのと一緒に行こうっていうの? ただ頼まれたっていうだけで?」

 「ゼンディカーに起こっていることは……ある意味、俺のせいなんだ。故意だったわけじゃないし、何かの思惑に使われたんだと思う。けど事実は変わらない。俺が理解もなしに何かに足を踏み入れたせいで、エルドラージは解き放たれた」

 「それで、今すぐそこに飛び込んでいくつもりなのね。何をぐずぐずしているの?」

 「俺たちと一緒に来てくれないか」

 「何ですって?」

 「一緒に来てくれ。君の力を、本物の怪物と戦うために使ってくれ。もしかしたら、あのギデオンっていう男は君の味方になってくれるかもしれない」

 「嫌よ。ただでさえ揉め事を幾つも抱えているのに、更に背負い込むのは」

 「俺は朝まではこの世界にいる。考えておいてくれ。もし考えが変わったなら、庁舎まで来て欲しい」

 「嫌」

 「なら、ラヴニカで俺を待っていればいい。あの男が何を調べて欲しがってるのかはともかく、長くはかからないと思う。俺は戻ってくる。話は続けよう。そして君がここに来た理由を言う気になったなら、先のことも話し合えると思う」

 「気は確かなの? 私には殺さないといけない悪魔がいるのよ」

 「そうか。幸運を祈るよ。それとリリアナ?」

 彼女は次の言葉を待った。

 「あの男は、俺にきちんと頼んだだろ」

 リリアナは枯れた薔薇を髪から引き抜き、それをジェイスの足元へと投げ捨て、背を向けて歩き去った。

 ジェイスは身を屈めてその萎れた花を拾い上げた。ギデオンの重い足音が背後に近づいてきた。

 「終わりましたか?」

 辛辣な言葉を浴びせようと思いながらジェイス振り返った。だが真剣そのもので疲れきったギデオンの表情に、ジェイスは怒りを奮い起こすことができなかった。何にせよ、リリアナがやって来たこと自体が悪い知らせなのだ。どうするべきかはわかっていた。

 

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アート:Michael Komarck

 「終わりました。来て下さい。腕のいい癒し手を知っています。貴方の手当をしなければ」

 「時間が無いのです。行かねばなりません」

 「俺は朝まではこの次元を離れません。引き継ぎをして、資料を持って来ないといけません。それと貴方も! 疲れて死んでしまったらゼンディカーは救えません。少しでも休んで下さい!」

 しばし、ギデオンは自身の姿を見下ろしていた。

 やがて彼は頷いた。「その通りですね。その癒し手さんの所へ連れて行って下さい」

 「エルドラージについて教えてくれますか」ジェイスはそう尋ねた。

 彼は一歩踏み出し、だがギデオンはジェイスの肩に手を置いて引き留めた。ジェイスは手を伸ばし、慎重にギデオンの手を外した。

 ジェイスは枯れた薔薇の花を今なお指の間で弄んでいた。ギデオンはそれを一瞥して尋ねた。「本当に宜しいのですか?」

 「勿論です。知っていることを全部、教えて下さい」

 彼は枯れた薔薇を敷石に落とし、ギデオンの隣に並んだ。

 どうするべきかは、よくわかっていた。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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