MAGIC STORY

マジック・オリジン

EPISODE 04

ジェイスの「オリジン」:欠けた心

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ジェイスの「オリジン」:欠けた心

Kelly Digges / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2015年6月24日


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ヴリン

 ジェイスは階段の最後の一続きに足をかけた所で立ち止まった。

 彼の一家は現地民がシルモット交差廊と呼ぶ魔道士輪の最上階、その輪を我が家とするもっとも貧しいマナ坑夫達が住まう、集合住宅群の一角に住んでいた。彼と家族は帰宅する度、がたつく昇降機械に金を払うか二十三階分の階段をとぼとぼと上るしかなかった。持ち金は少なく、そのためジェイスは階段を上った。

 背後には二十二階分の階段。あと一階。


アート:Chase Stone

 ここまで近づいたところで、彼は躊躇した。きっと家の扉を開けるや否や、揉め事に突入するだろう。とはいえ彼は今でも自分が何か間違ったことをしたとは思っていなかった。

 鈍いんだよ、馬鹿。

 大柄な男が彼を後ろから追い抜いていった。

 ジェイスは全く同感だった。

 断言します、ベレレンさんの子は......

 ジェイスはようやく階段の頂上に到着した。彼は一つ深呼吸をして集合住宅に足を踏み入れた。

 我が家。

 果たして、そこには父がいた。彼は台所のテーブルに着き、難しい顔をしていた。ガーヴ・ベレレン、汚れて禿頭の彼は疲労以上の何かとともにジェイスを認識した。

 この子が普通だったなら。

 父の思考はいつもと同じだった。

「学校から知らせが来た」

 ジェイスはその知らせが自分よりも早く家に着いたことに驚かなかった。幻影は階段を上る必要はない、そして彼は必ずしも急いだわけではなかった。父は座るように促した。

「正直に言え、何があった?」

 ジェイスは座った。彼は肩をすくめ、テーブルをじっと見つめた。

「追い出されたくはないだろう? 教育はここを出て、もっといい生活をするための切符だ」

 坑夫よりもいい生活の。いつも父はそう続けた。

「わかってるよ」 ジェイスは言った。

 そうだとは思えん。

「ただ、お前がやったのかどうかを知る必要がある。お前の口から聞きたい」

 ジェイスはテーブルを凝視したままでいた。

 彼はマナ力学の試験を受けた。どう解き始ればいいかもわからない問題で一杯だった。自分は勉強してきた、準備をしてきたと思っていた。だが問題を見ると、彼の頭の中は真白になった。そして解答がただ......彼の中にやって来た。彼は公式を知っていた。彼は成果を示した。彼は完璧に回答し、それが完璧だと知っていた。

 とはいえ、最初は問題なかった――彼はその試験に備えてきた――だがそれらは要領の要る問題だった。彼が答えを知っているとは想定されていなかった。可能な限り解答に迫り、知る限りを示すだろうと想定されていた。だが彼は知り過ぎていた。

「わからないよ」 彼は言った。

「わからない? 一体それはどういう意味だ? いかさまをしたのか?」

「してない」 ジェイスは言った。「俺はただ......答えがわかっただけで」

「お前は六ノードマナ圧力方程式を暗算で解いたと彼らは言っている。それが本当なら、お前は授業を受けるんじゃなく調節チームを監督できるってことだろう」

 ジェイスは再び肩をすくめた。「そうかもしれないよね」

 図に乗るな。父は拳をテーブルに叩きつけた。

「部屋へ戻れ。母さんが戻ってきたらまた話す」

 ジェイスは立ち上がり、扉へと向かった。

「どこへ行く気だ?」

 何でお前はいつもそうなんだ?

「外だよ」 ジェイスは言った。そして父が止める前に駆け出した。

 彼はこの時は階段を駆け上った。群衆を押しわけながら輪の曲線に沿って、監視局よりも更に上、輪の頂上を目指して。人々の思考はうるさく不機嫌に、彼自身の思考に入り混じった。彼は非常昇降口へと続く梯子を昇り――輪の住人はその存在を知るよしもない――我が家と呼ぶ巨大構造物の屋上へと踏み出した。


アート:Jaime Jones

 彼は眼下の谷間から数百フィート上空、輪の外郭を形成する錆びた急角度の金属板の上に立っていた。風に外套がはためき、彼は顔まで襟巻きを引き上げた。輪の居住区域から遠く離れたここで、彼は邪魔されることなく思いにふけることができた。他人の思考は遠いこだまで、風鳴りの音だけが聞こえていた。

 彼の頭上には誘導輪の弧がそびえていた。幅は優に四十フィート、だが輪そのものと比較すれば極小だった。彼は湾曲した装甲を注意深く下り、風上の側の端に座った。眩暈が彼を圧倒し、それを味わった。少なくとも彼自身のものだと確かな感覚を。時折、落ちる者がいる。通常は誰かがそれを目撃する。通常は。

 魔道士輪の列が緩やかなカーブを描きながら、遥か彼方へと伸びていた。三つの輪が下り、それらはまた別の列に合流して一つの経路を成していた。シルモットの交差廊。近隣の輪にも同様の名前がつけられていた。交差廊を過ぎると、その緩やかな曲線はスパロウ河の銀色の流れを横切って続き、また別系統の流れを追っていた。

 彼の背後どこかに、エネルギーを輪のネットワークへと繋げる巨大なマナ収集所があった。そして向こうに、彼の前方、地平線を越えた先に、大陸の全エネルギーを集め、精鋭の魔道士達が使用する――分離主義者達がその流れを再び強奪しない限り――中核府が、輪のネットワークの中央に座していた。輪の者達は表向きアンプリン同盟に属しているが、いついかなる時でも受取り人のために働いている者達の事など彼らは決して知るよしもない。そして彼らは本当に気にかけもしなかった。マナが流れ続ける限り、誰も気にすることはない。

 頭上の誘導輪がエネルギーの閃きとともに音を立て始めた――最初は断続的に、そして精力的に。ジェイスは幸運だった。彼は微笑んで背負い袋に手を伸ばした。食事無しで寝台に追いやられることを予測し、彼はそこに幾らかのミートパイを隠していた。夕食と見せ物だ。

 風の咆哮を越えて、かすかな鐘の音が遥か下で響いた。始まろうとしていた。彼は生温いミートパイを一齧りした。悪くない。

 咀嚼しながら見ていると、誘導輪が――主要輪よりも小型だがずっと敏感な――来たるマナの脈動に反応した。第二シフトに就く輪の労働者が皆、彼の遥か下で急いだ。監視局では監督官が来たる脈動の強度を測定し、マナの流れが安定するよう、輪魔道士を輪全体の各所に割り当てていた。


アート:Jung Park

 監視局の調整者達が熱心にマナ圧力方程式を計算していることは疑いようもなかった。彼らの輪には十二のマナ調整ノードが存在し、それぞれに六人の輪魔道士が就き、それぞれのマナの脈動に独自の圧力と回転と内的力学がある。指図表があるとはいえ、その数学は彼の試験で出たものよりも凄まじく難しいだろう。だが監督官達はやり方を知っていた。

 ジェイスはパイをもう一齧りした。もし誰かが彼に、それを解くように尋ねたなら? 彼はそれもまた、どういうわけか知っているとわかるのだろうか? 彼は咀嚼し、熟考した。もしかしたら、多分、そう思えた。

 一瞬で、彼の下の空気が揺らめく白青のエネルギーに満たされた。マナの流れが輪の中央に弧を描いて通り、上下した。輪魔道士達は安定した圧力を得るためにその魔法をマナのノードへと繋げた。

 絶景だった。傑作だった。

 マナの流れの荒々しい力が輪の物理的構造に繋がり、流れが正しい位置に固定されると輪はうめき、軋んだ。

 変人があそこにいるぞ。

 その噛みつくような思考はジェイスが感じた唯一の兆候だった。

 彼は急ぎ立ち上がって振り返ったが、遅すぎた。学友が三人、彼と非常昇降口との間に立っていた。


アート:Kieran Yanner

「よう、ベレレン」 三人でも最も大柄の学友が言った。その大声は風に勝った。タック。ジェイスよりも一つ年上の十四歳で彼よりも頭一つ大きく、体格は荷積みのドックのようだった。

 もう二人はタックの見栄えを良くするあばた顔の子供カーデンと、短気な少女ジレット。彼女は強面の男子二人が理解している以上に彼らを支配していた。かつて幼年学校にいた頃、彼女はジェイスを押して一階分落としたことがあった。

「もう行こうと思ってて」 ジェイスはそう言って、タックとジルの間を通り抜けようとした。

 ジルは彼を元の場所に押し戻した。

「冷たいこと言うなよ」 タックは言った。「この眺めをお前と一緒に楽しもうと思ってさ」

「家に帰らないと」 ジェイスは言った。彼は三人全員を迂回しようと踏み出したが、タックが太い腕を突き出して彼の肩を掴んだ。

「喋ってこうぜ」 タックが言った。「先生はお前がインチキをしたって思ってる、でも違うんだろ?」

 ジェイスはタックの手を振りほどこうとしたが、自分よりも大柄な少年に手を触れようとはしなかった。

「お前はインチキよりももっとたちが悪い」 タックが言った。「お前は変人だ」

 ジェイスの肩の骨がタックの手の下で押し込まれた。

「お高くとまった、知ったかぶりの変人」

 タックは掴み続けた。ジェイスはそれ以上動くこともできず、足元を見つめた。

「いいよ」 ジェイスは言った。「どうせそうだし」

「じゃあそう言えよ」 タックが言った。彼はにやついていた。

「俺は変人だ」 ジェイスは囁き声で言った。

 タックは彼を引き寄せた。

「悪いなあ」 彼は言った、「聞こえなかったんだけど。カーデン、お前聞こえたか?」

「さっぱり」 カーデンも言った。

「俺は変人だ」 ジェイスは言った、今度はは大声で。

「ね、わかったでしょ?」 ジルが言った。「変人は自分が変人だってわかってるんだから」

「さて」 タックが言った。「変人と何をするんだっけ?」

 彼はジェイスの腹部を拳で殴った、強く。ジェイスは両手をついて倒れ、......そしてタックの心の、ぎざぎざに混乱した回廊の中を垣間見た。

「すごく怖かったんだろ」 ジェイスは言った、錆びた装甲に向けて。

「何だって?」 タックは足元へとジェイスを引っ張った。

「怖かったんだろ、て言ったんだ」

 タックはにやにや笑いを止めた。「何?」

「あいつが家に帰ってくるのを待ってろ」 ジェイスは言った。

「誰のことよ?」 ジルが尋ねた。

「あいつは酔っ払っているって知ってる」 ジェイスが言った、「お前をまた殴るって知ってる」

「黙れ」 タックが罵った。彼はジェイスの喉元を掴んだ。

「お前は寝たふりをするんだろう」 ジェイスは息を切らしながら言った。「ベッドの中に、ちっぽけなナイフを持って。そしていつも――」

「黙れ!」 タックが大声で叫んだ。彼は縮こまっていた。

「いつも......お前は自分に言い聞かせるんだ......やり返してやるって」 ジェイスの視界がかすみ始めた。タックの両眼を通して、彼はぼやけて見えた。

「タック?」 カーデンが言った。

「でもお前は一度もやり返した事なんてない」 ジェイスが囁いた。

 黙れ! タックはジェイスを押し、彼を魔道士輪の屋根、その滑らかで冷たい金属板の端まで滑らせた。

 ジェイスは装甲をひっかき、勢いを殺そうと試みた。だが掴むものは何もなかった。ジェイスは端を越え、片手を屋根の縁に掴んでぶら下がった。彼の両足は何もない宙に揺れ、指はただちに感覚を失った。

 風が唸った。

 彼の下で、マナの流れが鳴っていた。もし彼が落ちたなら、何が起こったのかすら知ることはないだろう。この地域数百エーカーを担うマナの電位が捕えられて一本の流れに繋がれている......彼は十中八九、蒸発してしまうだろう。

 彼の指が震えた。

 彼はもう片方の手を挙げたが、屋根の縁は突き出していた。手段はなかった。助けが必要だった。

 怒りと苦痛の表情で、タックの顔が彼の頭上に迫るように現れた。

「誰も知らねえ」 彼は不快そうに囁いた。「誰もだ。この野郎が死んでも、それっきりだ」

「タック、そいつ落ちちまうよ」 カーデンが言った。

 ジェイスの腕を痙攣が走った。握力は限界だった。

「こいつに頭を掘り返されたいのか? ジリーがいない時にお前が何を言ってるか、ばらされちまってもいいのか?」

「ちょっと?」 ジルは言った。

「黙ってよ、タック!」 カーデンが言った。

「俺がどう思ってるかわかったよな」 タックはジェイスを見下ろした。その両眼は荒々しかった。「もう会うこともねえ、ベレレン」

 彼は片足を上げた。

 助けて。

 ジェイスの視点がよろめき動いた。彼はカーデンの両眼から自分自身を、タックを見下ろしていた。

 カーデンの両手が動いた。ジェイスがそれを動かした。どうやったのか、何故なのか、もしくはカーデンが今まさに何を見ているのかも知らなかった。彼は本当に気にかけもしなかった。


アート:Kieran Yanner

 カーデンを制御しながら、ジェイスはタックの肩を掴むと彼を端から引きもどして、そして自身へとぎこちなく片手を差し出した。

 自分はなんと小さく見えるのだろう、音を立てるマナの遥か上、絶望的にぶら下がって。なんと弱く見えることだろう。嫌だ、そう思った。

 自身の頭に戻り、ジェイスはカーデンの手を掴むと、自身を引き上げた。

 彼はそこに立って、震えた。脚の下には硬い装甲があった。生きている。半ば信じられなかった。三人の学友を見た。

 カーデンの足元がふらつき、彼の両眼からは青いエネルギーが弾けていた。タックは憤怒に顔を紅潮させていた。ジルの両眼は見開かれていた。

 カーデンの両眼の輝きが消え去った。彼は白目をむき、どさりと音を立てて装甲に倒れこんだ。

 ジェイスは怖がるジルとタックを急いで通り過ぎ、カーデンの心の虚無を過ぎ、階段を降り、逃げた――何処かへ、ここではない何処かへ。


 ジェイスは心を決めた。

 所持品を全て小さな鞄に詰め込み、それは寝台の上、彼の隣にあった。中に入れるものは多くはなかった――少しの着替え、日誌、幾らかの干し肉。今は、夜が来るのを待つだけだった。

 部屋の扉を叩く音がした。

 あれから一日半が過ぎており、彼は部屋から出るのを必要最小限に留めていた。母は時折部屋の前に食事を置いていたが、今のところ彼女は親切にも彼と話そうとはしていなかった。父親は最初試みたが、それもジェイスが彼を疲労させるまでの事だった。

「向こうに行ってよ」 ジェイスは言った。「話したくないって言っただろ」

 部屋の中では、彼は世界の全てをほとんど忘れられた。彼は他者の精神の切れ端を払いのけた――両親、近所の人々、通りがかる風魔道士――だがこの距離から彼が感じるのは完全な形の思考ではなく、その印象のみだった。

「ジェイス」 扉の向こうから母の声がした。「あなたが心配なの」

 母は近くにいた。望むならその心を読めるほどに近くにいた。彼はそうしなかった。二度と他者の心を見ようとは思わなかった。その真に暗い秘密を掘り返したくはなかった。彼らを支配しようとも操ろうとも思わなかった。そして何よりも、彼らの目を通して自分自身を見たくなかった――小さく、ぎこちなく、弱い自分を。

「いいよ」 彼は言った。「入って」

 彼女はわずかに扉を開け、ジェイスへと微笑みかけた。思考を読まないままでは、その笑みが本心からなのか作りものかはわからなかった。だからといって、何か言えるわけでもなかった。

 彼女は寝台の上、ジェイスの隣に座り、詰めた鞄を一瞥したが何も言わなかった。ラーナ・ベレレンは緊急時に備える治療師だった。彼女は遥かに悪いものを見てきた者の穏やかな忍耐を持ちながらも、全ての苦痛が本物だと理解していた。

「あいつらは何て言ったの?」 彼は尋ねた。

「あなたの口から聞かせて」

「タックは俺を殺そうとした」 ジェイスが言った。「それは聞いた?」

 彼女はかぶりを振った。

「あいつらはまた俺をあげつらった」 彼は言った。「俺はどうしたらいかわからなくて、だから......じゃなくて、わからない、ただ......タックの秘密を見つけて、喋り始めた」

「その子は言っていたわ、あなたに心を読まれたって」

 ジェイスは両膝を抱えた。「どうやったのかはわからない」 彼は言った。「俺は......聞こえるんだ、皆の考えが。時々、考えているのは俺なのか俺じゃないのかもわからなくなる」

「あなたはテレパスなの?」 母は言った。彼女は背筋を伸ばして座り直した。

 輪が回転するのがジェイスには見えた。彼は母が何を思っているのかを知りたかったが、踏みとどまった。彼は待った。

「あなたはテレパスなのね」 この時は疑問ではなく確信だった。「私の息子はとても聡い子。母親が抱擁を求めている時を、彼の愛を求めている時をいつも知っている子。私の子はテレパスなのね」 彼女は微笑んだ。

「俺が変人だって思わないの?」

 彼女はかぶりを振った。「あなたは完璧な子よ。あなたを愛してる。あなたが何者でも」

 ジェイスはそれが本心だとわかった。自分が能力を使ったかどうかは、わからなかった。

「カーデンはどうなの?」 ジェイスは尋ねた。「聞いた?」

 母は唇をすぼめて言った。「まだ意識が戻らないって」 彼女は言った。「治療師も、どうしたらいいのかわからないの」

「あいつを傷つけるつもりはなかったんだ」 ジェイスは言った。

「わかってるわ」


 ジェイスは居間に出て目をこすった。テーブルの上には彼の分の朝食が、冷えていた。

 母との会話の後、彼はもう少しだけ留まり、もしも状況が好転するかどうか見極めようと決めた。時折彼は部屋から出て、両親とともに緊張と沈黙の食事をとった。だが彼と父は互いに会話する雰囲気にはなく、彼はあえて集合住宅を離れてもいなかった。三日が経過した。

 三本の油ぎったソーセージと皿に半分の冷えた卵を飲み込んだ所で、彼は両親が共に居間に立ち、彼を待っているのに気が付いた。父は苛立ちを、母は心配を放っていた。

 ジェイスは緊張して髪を直し、二人へと向き直った。「どうしたの?」

 父が口を開いたが、最初に話したのは母だった。「あなたに会わせたいお方がいるの」 彼女は言った。「あなたを助けてくれるお方よ」

 ジェイスは周囲を見た。

「観測デッキの外だ」 父が言った。「あの方はここには入りきらない」

 ジェイスは父親の精神を除き見たいという衝動に抵抗した。両親が見つけたという助力はどんなものか、自分達の集合住宅に入らないというのは何者か。彼はそのつもりはなくとも、今も両親の思考の欠片や通行人の気持ちの残像を察知していた。だが彼は目的をもっては何もしていなかった。あの事件以来、そして何もしないように努めていた。

「誰?」

「調停者だ」 ジェイスの父が言った。「あの方の職務は戦争を終わらせるための交渉、だがあの方はまた......ま、魔道士でもある、お前のように。あの方は御存じだ、どうやって......」

「その方は、あなたが自分の能力を制御する方法をご存知なの」 母が言った。

 他の子供達は学校に行っており、ジェイスと両親が観測デッキへと向かう中、少なくとも彼らはジェイスを見ることはなかった。だが今やシルモット交差廊の誰もが、何が起こったかを耳にしているらしかった。彼らが上っていくと、人々は彼を見つめ、もしくは急いで逃げ、もしくは口元を手で隠して互いに囁き合った。

 それで俺を止められるかのように。

 彼らはジェイスを憎んではいなかった。怖れていた。当たり前の話、そうだろう? 自分はタックの記憶を掘り起こして彼を傷つけた。そして命の瀬戸際に自分は躊躇することなくカーデンの頭の中に押し入ったのだ。

 ジェイスと両親は輪の一区画、壁が開いて手すりが据え付けられた観測デッキへと続く最後の階段を上った。そこに立ち、その巨体を休めていたのは......スフィンクスだった。


アート:Slawomir Maniak

 彼はジェイスの上にそびえていた。堂々として髭をたたえた顔。巨大な前足、そして黄金と鏡のような銀の精巧なマントを纏い、羽毛の翼が背中に畳まれていた。

『私の名はアルハマレット。そして君がジェイス・ベレレンだね、並はずれた才能を持つ精神魔道士君』

 ジェイスは確信とともにわかった。この思考は、自分のものではないと。

『どうして......? え?』

『どうか、楽に答えてくれればいい。できるならば』 轟く声が頭の中に響いた。

『こんなふうに?』 ジェイスは考えた。

『そのとおり』

『「精神魔道士」?』 ジェイスは考えた。『でも、魔道士は呪文を使うんじゃ? 俺は何の呪文も知らないです』

『君が行っているのが呪文の使用だ』 アルハマレットは言った。『君は教えられるのではなく直感で、難解な呪文を知っている』

『じゃあ、もし俺が呪文を使っていて、そして、......あの、あなたは俺を止めるためにここに?』

 アルハマレットは微笑んだ。『違うよ。私は君を訓練したいんだ。だから君は止めることはない』

『訓練って、どこでです?』 ジェイスは両親をちらりと振り返った。『ここで?』

『いや』 アルハマレットは言った、『才能ある精神魔道士を訓練する機会というのは稀だ。だが私の他の義務を放棄するほど稀というわけでもない。私と共に来るといい、私の弟子として』

『どのくらいですか?』

『数年間だ』

 疑いの視線、囁き、怖れ。その全てから離れられる――両親の愛と支えからも。

『父と母は、その事は知っているんですか?』 彼は尋ねた。

『ああ、それについては話している。彼らは君にとっての最良を求めている。そしてこの場合、最良とはこの地方の僻地から君を連れ出すことだ。そうすれば君の真の潜在能力を成長させられる。君の才能は稀な贈り物だ。それをここで浪費させてはいけない』

 ジェイスは再び両親の顔を見た。母は勇気づけるように頷いた。父は少なくとも安堵していたに違いない。教育はここを出るための切符だ。

 ジェイスはアルハマレットへと振り返ることはしなかった。

「俺、行くよ」 彼は言った。

 ジェイスが荷物をまとめ、別れを言うと、アルハマレットは身体を低くしてジェイスへと背に登るように頷いた。ジェイスは登り、両脚で銀の外套をしっかりと挟んだ。そのためにあると願って。

 ジェイスは両親と集まった群衆を見下ろした。タックとジルも厳しい目つきでそこにいた。既に、シルモット交差廊の人々は小さく遠く見えた。

「きっと帰ってくるから」 彼は両親へと言った。「約束する」

 彼はタックの目を見つめた。『それと、もし俺の家族に何かしてみろ。お前の心をばらばらの小さくて汚い記憶だけになるまで引き裂いてやるからな』

 タックはひるんだ。

 ジェイスの両親は手を振った。アルハマレットは立ち、身体を伸ばし、観測デッキから飛び立った。

 飛ぶ! 彼は風魔道士に掴まれて多少飛ばされたことはあったが、これは全く違うものだった。彼らは風景の上を舞い、魔導士輪の跡からジェイスが考えたこともなかった方角へと向かっていた。彼が十三年間を過ごした家は後退し、小さな点となり、遠くに消え去った。

『あれは宜しくないな』 アルハマレットが言った。

 ジェイスはひるんだ。

「あなたは......? え?」 彼は止めた。アルハマレットは彼へと普通に話すことを許可していなかった。そしてどのみち、この風では口頭でのやり取りは不可能だった。『聞いていたんですか?』

『勿論』 アルハマレットは言った。『これは君が順応しなければいけないものだ。今の時点で君は、事実上、この世界に存在する唯一の精神魔道士だ。君は他のテレパスとやり取りすることの意味ついて考えたことはなかっただろう』

『気をつけます』 ジェイスは言った。

『私は君がその力を制御するための訓練を行う。それを研ぎ澄まし、それができると夢見たことすらなかったテレパスの能力を完成させるのを助けたい。隠された情報を深くから収集し――そしてその全てを、誰も傷つけることなく行うために。もし君がその能力を故意に、相手を害するために用いるなら、それは君の訓練の終わりを意味するだろう――......そしてもしかしたら、その危害の度合によっては、君の命も。理解したかね?』

『はい、完全に』 ジェイスは言った。『俺はただ、あいつを怖がらせたかったんです』

『その方針は注意深く選択するように』 スフィンクスは言った。『次第に、君は自分が想像するよりも恐ろしい存在になっていくだろう。そして怖れというのは、一度触発されてしまったら、簡単には収まらないものだ』

 彼らはしばしの間黙って飛んだ。眼下の風景は高地のステップから緩やかな平原と広大な浅い沼地へと移ろった。魔道士輪の跡だけが、何マイルも離れて、馴染み深く見えた。

『ここは分離主義者の領土ですよね?』 ジェイスは尋ねた。

『そう、この土地はトロヴィア人が権利を主張している。「分離主義者」は政治的な非難を含む用語だ』

『そして、あなたは調停者なんですよね?』

『その通り』 アルハマレットは言った。『では何故戦争は今も続いているのだろうか?』

 ジェイスの顔が赤くなった。それは彼の次の質問だった。精神魔道士とはこういうものか!

『戦争は一世代前から続いている』 アルハマレットは答えた。『調停者は数年毎に平和を交渉する、両勢力がそれを求めるほどに消耗した時に。そして片方が休戦協定を破り、戦争は続く。我らは最早永続する平和をわざわざ求めることはしていない――もし敵対がここまで長く続くと両勢力が最初から知っていたならば、ずっと単純で公平だったのだが』

『どうして片方に勝たせないんですか?』 ジェイスは尋ねた。

『アンプリン同盟とトロヴィア人は「核」の支配を巡って争っている』 スフィンクスは言った。『だがどんな時でもそれを所持するのは片方で、その勢力は魔道士輪の魔力網の利益を独占する。ならば何故魔道士輪は損なわれないのか? 何故、アンプリンが核を支配した時、トロヴィア人はアンプリンのエネルギー源を断つべく魔道士輪を破壊しないのか?』

 ジェイスはそれについて考えたことはなかった。『それは......それは、彼らが「核」を手に入れられると考えているから。そしてそうなった時には、魔道士輪が無事な状態で欲しいから』

『まさにその通り』 アルハマレットは言った。『いずれの側も勝てると思いこむ限り、均衡は保たれ、魔道士輪は残る。都市は破壊されるのではなく、無傷のまま放棄される。道や橋は見捨てられるが、後に修復される。もしもこの常なるものが変化したなら――もしどちらかの勢力が、その存在の危機に瀕したなら――その側は退却する際に全てを破壊するだろう、敵に与えないために。ヴリンの民は復興に数世紀を要するだろう――もしそれが起こったなら』

 ジェイスは唐突な眩暈に襲われた。

『それは』 アルハマレットは続けた。『単なる命の損失ではない、それこそが調停者が防ごうとしているものだ。いつも、物事というのは見た目ほど単純ではないのだよ』

 夜になると彼らは進むのを止め、アルハマレットは事実上中立地帯の魔道士輪に宿を確保した。それはジェイスの家の輪とは違っていた――もっと大型で、最近修理が行われていた。両勢力とも輪を損なうことは望んでいないが、副次的な損害は避け難かった。

 数日後、彼らは目的地へと到着した。なだらかな平原にそびえ立つ岩壁。アルハマレットはその力強い翼を全力で羽ばたかせ、更に高く飛んだ。彼は広い着陸場に降り、翼を振るうと身体をかがめてジェイスを下ろした。

『我が家へようこそ、ジェイス・ベレレン』

 我が家。ジェイスはそこがそうなることを願った。


 ジェイスは階段の最後の一続きに足をかけた所で立ち止まった。

 彼はスフィンクスの弟子として二年を過ごし、自身の精神が持つ全能力を――そして限界を――学んでいた。十五歳となり、背は伸び、機敏になり、そしてかつてよりもずっと強くなった。彼は眠る衛兵の心から軍事機密を剥ぎ取った、その者の家族について何も学ぶことなく。思考を曇らせて心変わりをさせた、全く傷つけることなく。彼は両親が誇りに思うだろうと願った。テレパシーを研鑽することが訓練の最優先であり中心だったが、アルハマレットは魔術の他の分野も軽視はせず、ジェイスは有能な幻術使いに成長していた。

 彼は当初予測していた、自分の訓練は主として交渉に向かい、大使の心から読み取ることを学ぶことから成るだろうと。そして彼はアルハマレットの対話に同行し、後にスフィンクスは彼へ、交渉人の思考から読み取ったことを尋ねた――それは全く何も面白いことではなかった。何故両勢力がテレパスを伴う交渉に同意するのか、ジェイスは訓練の初期にそう尋ねた。

『互いの誠意を保つためだ』 スフィンクスは目をひらめかせて説明した。『彼らは大昔に学んだのだ、大声で喋りたくないことを知る者を送り込まないようにと』

 スフィンクスの図書室では、長い時間をかけて魔術理論を学んだ。離陸場の外では精神の練習試合を行った。問題の絶え間ないぶつけ合い、挑戦、謎かけ、試験。細工箱に暗号、現実と幻影の訪問者、時折、罠すらあった。そしてジェイスはアルハマレットの思考をほんの僅かすら読めなかった。人生で初めて、ジェイスは本気で勉学に挑戦した。幻影の訓練の最中のある時、彼自身の幻影があまりに現実を主張し、彼の精神を圧倒したために意識を失うことすらあった。


アート:Yohann Schepacz

 数ヶ月前からアルハマレットはジェイスを外へ送り出し、情報を集めさせていた。アルハマレットは「訓練任務」と呼んだが、それらは極めて現実的だった。闇の覆いと幻影をまとって、ジェイスは片方の陣営の宿営地へと潜入した。そこで彼はテレパシーか平凡な探偵調査をもってその軍の戦略を知り、そして戻るとアルハマレットへと報告した。

 当初彼は抵抗したが、それらの任務から学んだ情報はアルハマレットが平和を保つ助けになった。しばしば、大きな会議で戦略に言及するだけで前線を一、二ヶ月は沈黙させるのに十分だった。

 ついに、アルハマレットの導きで、ジェイスはその能力で人々を助けたのだった。そして先程の任務はとりわけ良い成果に終わった。

 彼は階段を上り、アルハマレットの研究室に入った。

 アルハマレットは巨大な円形窓の外を凝視していた。彼はジェイスが入ってきても振り向かなかった。彼らは滅多に目を合わさず、そして時折異なる部屋越しに会話をしていた。とはいえジェイスの精神が届く範囲は今もスフィンクスのそれよりもずっと限られていた。

『おかえり』 アルハマレットが言った。『何を知ってきたのかな?』

 ジェイスはアルハマレットの心を読むことはできず、そして礼儀としてアルハマレットは招かれない限り彼の心を読まなかった。ただ、精神防御を訓練している時は別だった。ジェイスはもはや無力ではなかったが、彼の師は今も容易に彼の精神防御を破ってのけた。

 質問への回答として、ジェイスは特定の記憶の塊をアルハマレットの精査へと公開した。トロヴィア人は春に奇襲攻撃を計画している、そうジェイスは分離主義者の高官から学んでいた。彼らは雪解けの前に白霜湿地帯を横切り、アンプリン同盟の核へ攻め入ることを計画していた。それは両陣営にとっても厳しい作戦となり、これまで無傷であった市民の領域へも争いをもたらし、やがては中核府にあるアンプリンの要塞を破壊してしまう可能性がある。そしてジェイスはこの情報を、トロヴィア人に自分が誰かを知られることも、何を集めているかを知られることもなく手に入れていた。


アート:Cynthia Sheppard

『素晴らしい仕事だ』 アルハマレットは言った。『これを言及した時のトロヴィア大使の顔が予想できるな。この次の交渉は......愉快なものになるだろう』

 スフィンクスは振り返り、湾曲した段を足で降りてジェイスを追い越した。『来てくれ』 彼は言った。『君の記憶が新鮮なうちに地図を調べたい。そして正確な経路を記しておきたい』

 その部屋はシルモット交差廊の無価値な図書室とその収蔵品とは似ても似つかなかった。使い古したマナ力学の教科書、時代遅れの歴史書、そして時折ある下手くそな創作小説。だがアルハマレットのその部屋に書物はなく、透明の球が置かれた棚があった。彼の巨大な前足では頁をめくる事はできず、そして彼の図書室には魔道士輪一つを本で満たしたよりも多くの情報があった。

 アルハマレットは幾つかの巨大な、パイプオルガンのそれのような踏み板を動かし、記録球の一つを投影機に据えた。白霜湿地帯の地図が図書室の中央に広がった。

 ジェイスはその地図に幻影を描き、計画されている軍勢の動きを示した。そうしながら、彼の心は散漫になった。

 疑いようもなく、彼は更に強く成長した。トロヴィア人の宿営地へ入るために戦ったが、その後には相手の記憶を綺麗にしてきた。向かった先でも目撃されたが、自分を見たであろう者は誰もそれを思い出そうとはしない。そして永続的な損害は一切与えていない。数ヶ月前ですら、こういった任務は彼の手に余るものだった。すぐに、彼はもっと優れた精神魔道士になれるだろう。誰よりも優れた......

 スフィンクスは気を逸らしていた。更に多くの地図を取り出してジェイスの情報を記し、トロヴィア軍の中核地域への経路を追っていた。

 ジェイスはアルハマレットの防御を長いこと試していなかった。

 勿論、気付かれるだろう。アルハマレットはジェイスが読もうとした時は常に気付いていた。ジェイスは適度に論じられる、それは訓練の一部だと――対象の防御が弱まっていることを判断するための。

 彼はアルハマレットの心を覗き込んだ。

 スフィンクスの思考は巨大で強力で、打ちのめす精神の力から成る暴風だった。ジェイスの短時間の探検は常に壁のようなそれに跳ね返されていた。だがこの時は、奮闘とともに、彼はその心の中に滑りこんだ......

 感情と記憶の奔流が彼をさらった。

 彼は自分自身を見下ろしていた。幻影を練習し、強く集中して少しの光と音の塵を制御しようとしている。彼はとても幼く見えた。

 何かが間違っていた。青と白のエネルギーが彼の瞳に走った。幻影は彼の周囲に渦を巻いた、速く、更に速く。

 そして

 彼は

 消え始めた......

 渦巻く幻影の中、ジェイスは完全に姿を消した。


アート:Ryan Barger

 アルハマレットは複数(!)の世界の間を満たす虚空へと霊気の触手を伸ばし、その少年を引き戻した。

 プレインズウォーカー。

 ジェイスは身動きをした。上体を起こした。何が起こったのかを訪ねた。

 そしてアルハマレットは若者の心からその事件を拭い取った。

 図書室。彼自身の瞳。真のアルハマレットが彼を見つめていた、鋭い目で。

『ジェイス?』

『います』 ジェイスは言った。地図の一区画を照らしながら。『すみません』

『君は疲れているな』 アルハマレットは言った。『無謀なことはしない方がいい。休むんだ』

 ジェイスは自室に戻り、隙間もないように扉を閉めた。アルハマレットは気付いただろう。以前にやった事は無いのだろうか。彼がジェイスの記憶を再び消してからどれ程が経った? これは以前にもあったのだろうか? 知る方法はあるだろうのか?

 プレインズウォーカー。

 それが何かはともかく、アルハマレットはジェイスがそれだと考えているようだった。ヴリンの向こうの世界がある。ジェイスはそこへ旅することができる。

 彼は試した。何も起こらなかった。

 彼はプレインズウォーカーとして覚醒し、霊気の中へと滑り出た。だがそれを思い出せないなら......どうやって再びやればいい?

 アルハマレットはその最高の興味を心に秘めている。いつの日かあの年老いたスフィンクスはきっと、告げることを計画するのだろう。欺瞞を謝罪し、単純にジェイスにはまだ様々な備えがなかったと説明して。もしくは純粋に私欲から、アルハマレットはプレインズウォーカーの弟子を切望したのだと。

 ジェイスの脳内にこの情報がある限り、アルハマレットはそれを読むことができる。そしてもしアルハマレットが読んだなら、彼はジェイスの精神を再び拭うだろう。そしてジェイスは真実を学ぶ機会を永遠に失うかもしれない。彼は自分の心を守らねばならなかった。だがどんな試みも、通常から逸脱した振舞いが疑念を呼び起こすだろう。疑念は精査を呼び、そして精査は彼の秘密を明かしてしまうだろう。

 彼は机から一切れの紙を取り出し、書き始めた――もしスフィンクスが見つけたとしても読めないであろう、小さく窮屈な字で――彼が見たものを、どうやって見たかを。彼は可能な限りの詳細を含め、もしアルハマレットが見つけたら何が起こるかを自身へと警告した。終わると彼はその上に日付を書き、紙を注意深く折り畳み、机の引き出しに隠した。

 そして、ゆっくりと、注意深く、とても注意深く、ジェイスは見たものを忘れさせた。それを書いたことを忘れさせた。忘れたことを忘れさせた。

 頭痛がした。

 それからの数週間、彼は数度その紙を発見した。その度に彼は憤った。その度に彼はどうすべきか迷った。そしてその度に、それをアルハマレットから守るために、彼はそれを発見したという記憶を取り除いた。


 今回はアンプリンの宿営地での任務だった。

 彼らは仰々しく立っていた。訓練中の兵士を避けるのは彫像に隠れて進むようなものだった。一人の精神を覗き見て、監視の予定を知り、すっと中に入る。

 彼が推測したよりも多くの兵士がいた――重要度の低い宿営地にしては多すぎた。重要人物が訪れている。

 それは更なる危険を意味した。彼は一度アルハマレットへと戻り、時を改めて試すべきだろう。

 けれどそれは更なる情報をも意味する、そうじゃないか?

 彼はもう数人の兵士の心を覗き、新たな目的を把握した。ある将軍が前線を訪れている。白髪交じりで勲章を身に付けた古参兵。その将軍は精鋭の護衛二人を連れてきており、その二人が常に将軍の天幕の入り口を守っていた。

 闇の覆いの下でも、天幕の中の灯火はともされていた。ジェイスは眠る二人の門衛をまたいで入った。


アート:Cynthia Sheppard

 天幕の中には三人がいた。ジェイスは二人を眠りの腕の中に送り、将軍へと向き直った。彼は衛兵を呼ぶべく口を開けたが、声は出なかった。

「どうも、将軍」 ジェイスは言った。「少しお時間を頂きます」

 彼は飛び込んだ。

 その将軍は強い意思を持つ男で、ジェイスの調査に多少抵抗した。だが彼は精神魔道士ではなく、魔法使いの類でもなかった。ジェイスは彼の天然の防御を突破して見た......

 来たる戦役におけるトロヴィア人の全戦略、それが彼の前に浮かんだ。わずかな詳細まで土地の等高を再現した幻影の地図。彼らの計画は大胆不敵だった――そして正しい対応策無しには、それは上手くいくと思われた。

「これが本物というのは確かか?」 その将軍は尋ねた。

「自信をもって」 フードを被った人影が言った。「私達の情報源がこれまで貴方がたを欺いたことがありますか?」

「無いな」 彼は言った。「裏切り者もいない、それは確かだ」

「これが本物というのは確かか?」 その将軍は尋ねた。

「自信をもって」 フードを被った人影が言った。「私達の情報源がこれまで貴方がたを欺いたことがありますか?」

「勿論です」 その人物は言った。「求められるものが情報であるなら、評判が命です」

「勿論だ」 彼は言った。

 そのフードの男は――実際には少年だった、ひょろ長くうぬぼれの強い――彼が言おうとしていること以上を知っていた......この情報源の正体であるように。アンプリンのためにはこの若者を捕え、この情報源の名を彼から引きだし、そして......

「そんな事をしても、何も良いことはありませんから」 その子供は言った。「あの方は私に多くを言っていませんし」 その少年の目がフードの下できらめいた。

「良いだろう」 彼は言った。「報酬を持って去れ。そして出所へ言うといい、重要機密を持ってきたならもっと渡してやれると」

「伝えましょう」 その子供は言った。彼は金をポケットに仕舞うと背を向け、将軍は彼の顔を垣間見た......

 かすかに、外の世界から、ジェイスは大声を聞いた。長くかかりすぎた。

 彼は罠にはめられた。一つの精神にはめられ、一つの記憶にはめられ、凍りつき、その前後関係すら彼には謎の会話の中、忌々しいフードの後ろにある彼自身の顔を見つめていた。

 彼は引き抜き......

 ......そして出た。

 将軍は彼の目の前で昏倒した、虚ろな目で。

 走ってくる足音。天幕の布が開かれた。ジェイスは振り返った。

 衛兵が三人。彼は手を動かし、幻影が彼らを取りまいた。

 将軍は息をしていたが、その心は空白だった。

 ごめん。

 ジェイスは天幕を飛び出して夜へと走り去った。そしてそれ以上行けなくなるまで走り続けた。


 ジェイスはアルハマレットの住処へと戻ると、まっすぐに自室へと向かい、私物を詰めた。何処に行こうとしているのかはわからなかった。気にもしなかった。

 荷物を詰めながら、彼は覚え書きを見つけた。それは自分の字でアルハマレットの欺瞞を、自分の性質を明かすことについてを警告していた。

 今一度の憤慨。今一度の嘘。

 ジェイスはその紙にもう数行を書き足し、それをポケットへと詰め込むと、再びその記憶を拭った。この紙は持ち続けるべきかもしれないと。

 彼は自身の思考を可能な限り硬く閉じ続けた。もしアルハマレットが彼の精神に何があるかを知りたがっても、それをこじ開ける必要があるだろう。

 彼は図書室と研究室を確認した。誰もいなかった。

 去ることはできる。彼はスフィンクスの遊戯の駒でいることはもう望まなかった。

 だが彼は知らねばならなかった。

 彼は離陸場へと向かった。アルハマレットはそこにいて、腰かけて彼を待っていた。

『おかえり』 アルハマレットは言った。『何を知ってきたのかな?』

「教えてよ」 ジェイスは言った。スフィンクスに僅かな公開すら与える気は無く、言った。彼は知る限りの精神防御を固めた。

『ああ』 アルハマレットは言った。『君は不快なことを学んでしまった、そう取っていいのだね』 頭の中に響くスフィンクスの声は今や大きく、強要するようだった。

「全然」 ジェイスは言った。「でもしばらく精神対戦をしてませんよね?」

『そうだな。君は今や更に強くなった。自分自身を傷つけもできるだろう』

「あなたを傷つけるつもりでも?」

『それは無理だな』 スフィンクスは言った。

「そしてもし俺が敵の精神魔道士の手に落ちたなら? テレパスは俺たちだけじゃない、そうですよね? 俺を試してよ。俺の限界を示してよ。俺から情報を探り出してよ」

 アルハマレットは立ち上がった。その精神波は嵐の暴風雨の如くジェイスを直撃した。


アート:Lin Yan

 ジェイスはそれを侵略のように、相いれない力のように感じると予測していた。だがそれは一つの圧倒的な存在、彼のそれを遥かに勝る思考と感覚の嵐だった。アルハマレットはジェイスの精神を引き裂くことができる。だがそのためには、彼はそれを読まねばならない。そして読んだ時、ジェイスもまた同じことができる。ついにジェイスはこの二年間の本当の姿を、自身がずっとぶら下がっていた危険な端を見た。

 アルハマレットはジェイスを玩んでいた。彼はジェイスを仲介人に用いて情報を集め、運び、運ぶ中で更に知った。そしてその度に彼はジェイスからその記憶を拭い去り、金を手に入れ、そして戦争を続けさせていた。もし平和交渉が仕事ならば、それを実際に成し遂げたなら利益はどこにある?

 今やアルハマレットは全てを知り、ジェイスの心の奥底へと目的を定めた。可能ならばその不愉快な記憶を消し、有用な財産を回収するために。そして不可能ならば、破壊するために。

 ジェイスが先に打って出た。

 スフィンクスは更に強かった。だがここでは、ジェイスの脳内では、その過程で自身の心に損傷を与えることを厭わないのであれば、彼はまた隙だらけでもあった。そしてそれが可能と考えるには、アルハマレットはとても尊大でとても臆病だった。

 ジェイスは自身が落下するのを感じた。前方へ、上方へ、外へ。彼は故郷を忘れ、母の顔を忘れ、自身の名の響きを忘れた。だがスフィンクスはもっと深刻なものを忘れた。

 アルハマレットは呼吸の仕方を忘れた。

 彼は前方へと倒れ、息を求めてあえいだ。その頭部の形が、彼が最後に見た

 世界の断片

 だった

 そして

 離れた......


アート:Eric Deschamps

ラヴニカ

 彼は地面に激突した。背中を強くぶつけた。そこは眩しく、煩く、賑やかだった。

 頭痛がした。

 周囲で何かが動くものが人々となり、音は声となり、頭痛は彼のものではない思考となった。

「見張ってて」 一つの声が言った、その持ち主が彼の周囲を歩きながら。

 ボロスに報告すべきですね、無謀な瞬間移動だと。

 ボロス?

「こっちだ!」 別の声が上がった。そして彼が見上げると、幅広く流れるような角を持つ、毛むくじゃらの獣か何かが蹄の音を立てながら、荷車を引いて小路から出た。

 何処からともなく現れました。恐らくは、イゼットの可哀想な実験体でしょう。

 彼は急ぎ立ち上がった。人々が彼をじっと見ていた。彼は自分で感じるほどに悪く見えた。汗まみれで蒼白で汚れていた。彼は顔の周りに襟巻きを引き上げると道の端へと駆けた。

 俺は実験体じゃない。俺は......俺は、......

 俺は困っている。

 そうだ。落ち着こう。

 彼は可能な限り、だが急いでいるようには見えないような速足で歩いた。彼は注意深く周囲の精神へと触れた。それは不協和音、狂乱した声のもつれ、そしてその半分は人間ですらなかった。

 浮浪者。泥棒。かわいそうな子。哀れな奴。

 頭痛が悪化した。

 それでも、彼は薄闇から意味の小片を幾らか把握した。ここは衣料品を売る界隈、そして彼の衣服は――「輪の者」の服装、彼の埋もれた一部がそう告げた――周囲に比較してぼろ服に見えた。ラウク・チャウフと呼ばれる何かの祝日がもうすぐ来る。「オルゾフ」と呼ばれる一団がこの地域を所有している、もしくは政治的に支配している、もしくはその中間。何百もの精神、そしてその一つとして街の外については何も考えていなかった。奇妙だろうか? だがもしかしたら、都市の人々とはそういうものなのだろう。

 彼は法を執行する局を別個で少なくとも二つ確認し、彼らの視界から極力外れるよう努めた。人々の注意を引かない何処かが必要だった。彼は最も見苦しく、最も汚れた思考を、最も彼のような衣服をまとう心を掴み、一本の糸をたどるようにそれらを追った。

 十分程で彼は何処かに辿り着いた。小路が更に狭く影は更に暗くなり、そして誰もが自分自身の仕事に集中していた。

 彼は不意打ちに気をつけながら歩いて入り、助けになる情報の断片を求めて周囲の心に触れた。

 ついに、汚れて空腹の少女の心の中、そこに宝物のように抱かれたものを彼は見つけた。

 イマーラ・タンドリス。

 その女性は迷い子を受け入れる。だが何処だ?

 オーヴィツィア。

 よし。


 扉が勢いよく開かれると、長く尖った耳をした優美な女性が姿を現した。優雅な服装に、乳白色の瞳。彼女の思考は迷宮のように、表面から奥深くに隠されていた。

 綺麗な女性だった。

「もし私を褒めに来ただけなら」 彼女は言った。「残念だけどあまり時間はないの」

「心が読めるんですか?」 彼は言った。そして直ちに後悔した。

 そのエルフは微笑んだ。「いいえ。あなたはまだ子供ね」

 彼は赤面し、一瞬、彼女の目に移った自身を見た。汚れて、ぎこちなく、疲れ目をして、そして本のように読みやすかった。

「俺は、......」 街の外から来た、そう言いかけたが彼はまだ、その言葉がこの場所で何を意味するかがわからなかった。「別の地区から来ました。寝る場所が欲しいんです。俺みたいなのを受け入れてくれるって聞いて」

「時々ね。あなたの名前は?」

 彼は周囲の思考を窺い、目立った響きのない現地の名を探した。

「ベリム」 わずかに長い空白の後、通り過ぎた召使の心の名前を引き抜いて彼は言った。「ベリム、です」

 それは無害な嘘に思えた。そして真実を認めるよりはずっと良かった。彼が知る限り、それは真実だった。

「いらっしゃい、......ベリム」 イマーラは言った。「新しい服を用意しましょうか」


 彼は安全だった。身綺麗になった。空腹は満たされた。そしてようやく考える時間を得た。何かを思い出せるのだろうか?

 彼は宙に幻影をなぞった。考えを助けるように形を手当たり次第に。しみ、線、輪。

 シルモットの交差廊。

 そびえ立つ円形の構築物のイメージを伴って、その思考は何処からともなく湧き出した。それが自身の思考である唯一の理由は、周囲の誰もそれを持っていないということだけだった。

 ある形が彼の目の前に凝集した――延びた輪、底が開き、その中央に浮かぶ円。それが意味するものが何かはわからなかった、もし意味があるのだとしても。

 ジェイス。

 俺の名前はジェイス・ベレレン。

 そう、そこには何かがあった。彼が掘り出してくれるのを待っていた。

 そしてジェイス・ベレレンとは? 良い人物なのか? 親切なのか?

 彼はその形を払って座った。独り、想像したこともない程に故郷から遠く離れて。

 しばらくは、成り行きを見守ろう。


アート:Jaime Jones
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