MAGIC STORY

機械兵団の進軍:決戦の後に

EPISODE 01

ストーリー第1話 世界を切り開く者

Grace P. Fong
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2023年5月1日

 

 ニッサ・レヴェインは墓を掘っていた。夜闇に紛れて彼女はシャベルをザルファーの地面に突き刺し、額の汗をぬぐう。容易な作業のはずだった。何せ、ただの土なのだから。かつては気の向くままに自然を操ることができたのに、今や心臓の鼓動は激しく、四肢は震えていた。それは回復中の体を酷使したからに違いないと結論付け、この作業を終えたら十分な休息を取ろうと決めた。しかし心に引っかかっている疑問を無視することはできなかった――プレインズウォーカーの灯を失うと、こうなるのだろうか?

 何が起こったのかとニッサは皆に尋ねたが、彼らが説明できたのは戦いと彼女の復活についてだけだった。彼女の魂の中で何が起こったのかは、誰も答えられなかった。チャンドラがそれは復活の副作用ではないかと意見してくれた。カーンは、ファイレクシア人がニッサの心と体を改造したときに損傷したのかもしれないと仮説を立てた。

 しかし、テフェリーはただ耳を傾けて頷くのみだった。「ニッサだけではない」彼はそう言った。

 テフェリーの灯は侵略後いつしか消えていた。コスもまた。この中で、チャンドラは唯一それを保持し続けているようだった――そう、チャンドラとアジャニは。

 酒杯は久遠の闇で爆発した。その威力で次元間の空間に穴があいた。おそらくこれは、多元宇宙のある種の自然な反応なのだろう。灯の大剪定により、かつてそこを満たしていた神秘的なエネルギーを取り戻そうとしているのかもしれない。とはいえ、何が原因かはどうでもいい。理屈でどうこう考えようとも、それはニッサに安らぎをくれはしなかった。

 そのため自らを慰めようと、ニッサは赤色の大地から掘り起こした重い土塊に触れた。だが故郷であるゼンディカーの慣れ親しんだ土のように安心させてはもらえなかった。ニッサは土を握る指に力を込めた。どのように感じているのかこの次元に尋ねてみるが、答えてはくれなかった。おそらく、損傷は灯のみならず、精霊信者としての力にまで及んでいるのだろう。

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アート:Tuan Duong Chu

 しかしながら、ニッサは別のものを聞き取った。魂そのものを揺さぶる、深く響き渡る次元の声ではない。どこか遠くの、活気がある、人間によるもの。音楽だ。ミラディンとザルファーの太鼓がファイレクシアの侵略者に対する勝利を祝っていた。若者時代に排他的なジョラーガの共同体を離れて以来、音楽は彼女のお気に入りの趣味となっていた。だが今は彼女を嘲笑し、胸を痛めるだけのものだ。その火明かりのどこかで、友人たちも祝いに参加しているのだ。

 ちょうど今朝、カーンとコスは新たな村の家屋の屋根葺きをすべて終えていた。ふたりがミラディンの避難民たちと共にやって来た時、ニッサは彼らの目に安堵を――幸福すらも――見た。全員が生存者として団結しているのだ。

 彼らはニッサも加わらないかと誘ってきた。

「私も本当に迎え入れてもらえるの?」ニッサはそう尋ねた。

「もちろんだ」テフェリーは彼女の肩に手を置いて言った。「ここが君の新たな故郷になるだろう。ここを故郷にしようと試すならね」

 そこでニッサは他の生存者たちと共に働き、食事し、語り合った。しかし彼女は皆と同じではなかった。テフェリーは国を取り戻した。コスとカーンは新たな故郷を造り上げていた。ニッサのゼンディカーは、多元宇宙の彼方にあって届かない。

 けれどザルファーは一度たりとて語りかけてくれなかった。五色の太陽もそうだった。それらもまた、ザルファーの空を新たな故郷とした避難民たち。ニッサは孤独だった。ここが故郷だと語りかけてくれる声はなく、多元宇宙で途方に暮れていた。あるいは、自分の声を聞いてくれる次元はもうないのかもしれない。

 皆が灯を失ったが、ニッサだけがまだプレインズウォークしたがっていた。

 ニッサがいなくても友人たちは前へと進んでいるように見えた。それでも彼女はまだ皆の幸福を気にかけていた。なので、祝いの雰囲気を損なわないようにと自らに言い訳をした。自分にできる作業が少なくともひとつある。ニッサはシャベルを地面に突き刺した。

 何度も。

 何度も。

 ようやく、十分な深さの穴になった。その隣では、ファイレクシア人への改造時に身に纏っていた甲殻が埋葬を待っていた。ファイレクシアの先導者が死亡し、ニッサはぎらつく油による悪性の強力な支配から切り離された。そして生存者たちが光素によってそれを浄化してくれたが、不活性になった金属はそのまま残った。その銅製の躯体はひしゃげた棘で覆われており、棘は彼女の友人たちの乾いた血で覆われていた。こすってみると、黒い残留物が指先から剥がれ落ちた。ニッサはそれが誰の血なのかと思いを巡らせた。コスだろうか? それともレン? まさかチャンドラの?

 チャンドラ。

 ニッサはチャンドラを傷つけ、殺しかけた。

 ニッサや他のプレインズウォーカーたちはファイレクシアの侵略者と戦おうとしたが、何人かは敵の兵器にされてしまった。ファイレクシアが打倒された後、友人たちはニッサを許すと言ってくれた。金属の牢獄から切り離し、ファイレクシアの影響を受けた精神を浄化してくれた。彼女が振るう茎の剣から油を取り除いてくれたが、彼女の行いについての記憶を取り除くことはできなかった。

 銅製の胸郭は罠でありながら鎧でもあり、動けなくなるほどの恐怖と心酔させる力からなる構築物だった。それはニッサに、侵略樹の枝を通して呼びかけを発し、多元宇宙のあらゆる次元にファイレクシアの栄光を語る能力を与えた。

 そして今、ニッサは自らを嫌悪していた。なぜなら――友人たちの献身にもかかわらず、チャンドラの献身にもかかわらず――心のどこかで、ニッサはそれらの次元の声をまだ聞きたがっていたために。

 彼女は自分が掘った墓に甲殻を蹴落とそうとしたが、それは重く、シャベルよりも重く、地面より重かった。

 背後で誰かが声をかけてきた。「お祝いからさっさと抜けてたでしょ。何も食べてなかったんじゃないかなって」

 その声はどこででも聞き分けられるだろう。彼女が振り向くと、チャンドラは腕を伸ばして熟したマンゴーの半分を差し出してきた。

 チャンドラの笑顔は暖かかった。自分はそれを向けられるに値しないのに。

 ニッサは首を横に振った。「お腹はすいてないの」

 彼女はチャンドラの視線がシャベルへ、そして空ろなファイレクシアの甲殻へと移動するのを見た。「手伝おうか?」

「大丈夫」

 返答を気にせずにチャンドラは踏み出した。彼女はマンゴーをニッサへと手渡し、手のひらを銅の外殻に当てた。熱がチャンドラの指から放射され、触っている部分から汚れた金属がへこみ始めた。その髪が点火し、炎となって燃え上がった。

 ニッサはその姿を美しいと思わずにはいられなかった。

 棘が熱で折れ曲がっていった。甲殻は柔らかくなり、崩れた鉱滓の塊と化していった。金属が冷える臭いが夜の空気を満たし、ニッサはチャンドラにもうやめてと伝えたくなった。それだけしてくれれば十分なのに。

 しかしそれでも、ニッサはチャンドラに「ありがとう」と伝えるのだった。

「気にしないで!」チャンドラはウインクし、縮こまった躯体を素早い蹴りで穴に落とした。そして躊躇することなく、ニッサのシャベルを指さした。「ふたりでさっさと埋めちゃえば、楽しいお祝いにすぐ戻れるわよ!」

 ニッサは同意せず、チャンドラに手付かずのマンゴーを返した。「終わってから参加するわ」

 チャンドラはマンゴーを放り、ニッサの手首を両手で握りしめた。彼女の手のひらはとても暖かい。「なら後でいいじゃない! ね、行こ!」

 チャンドラは自分たちの勝利に目を向けさせることで元気づけようとしてくれている。それはわかっていたが無益だった。ニッサはチャンドラの掌握からそっと手を引き抜いた。「すぐ終わらせるから。約束するわ」

 しかしチャンドラはその場を立ち去らなかった。彼女は辺りを歩き回り、ニッサが見ていないと思う時には足で土を穴へと押し入れていた。何かまだ言っていないことがあるのだ。

 なのでニッサは尋ねた。「今行かなきゃいけない理由があるの?」

 チャンドラは唇を噛みながら、うつむいて静かに認めた。「遅くなりすぎると、私はもうそこに居ないかもしれないから」

 チャンドラの言葉の意味を理解していくにつれ、ニッサの記憶はザルファーで目覚めた日に遡った。最初に感じたのはチャンドラの暖かい手が自分の手を握っていたことであり、最初に見たのはチャンドラの満面の笑みだった。自分の四肢は力を失った銅金属のせいで重く不自由だったが、自分の思考は自分のものだった。チャンドラの笑顔は自分のものだった。

『私はここにいる』チャンドラはそう言った。『ここにいるから、どこへも行かないから』

 ニッサは、チャンドラに自身の言葉を思い出してもらうために何か言いたかった。だが不満を伝える前に、耐えられない静けさをチャンドラがこぼした声が埋めた。「明日、アジャニを探しに出るの」

 ニッサは返事をしようと口を開いたが、破られた約束に対して何を言えばいいのかわからなかった。ニッサの沈黙はチャンドラをさらに困らせるだけだった。

「ちょっとだけだから! あの人を見つけるまでよ。私はまだプレインズウォーク出来る数少ないひとりでしょ? 私がアジャニを連れ戻せなかったら、誰が? ってなっちゃうし。それにニッサはここにいるから、待っててくれるわけだし――」

 ニッサはここで待ちたいわけではない。だが彼女はプレインズウォーカーではない。選択の余地はなかった。

「キスしてくれたのに」ニッサはそう呟いた。自身で辛うじて聞き取れた小声。

 やっとキスしてくれたのに。

 チャンドラはもじもじと足を入れ替えた。「だから、その、まだ私は行かなくちゃいけなくて――」

 チャンドラが続ける言葉は、ニッサにとって何の意味もなかった。チャンドラはどうしてそんなに自由奔放に、たくさんの相手を好きになれるのだろう? それであっさり私のもとを去るの? 私に欠けているのは灯だけじゃないとか? 確かめなくては。

 ニッサは声を硬くした。「ならはっきりさせて――私のことをどういう風に好きなの?」

 ニッサは不安がチャンドラの中に積みあがっていく間、返答を待ち続けた。それをどんな言葉で何と言えばいいのかチャンドラはわからず、ごちゃごちゃとした考えを文章にまとめようとするかのように彼女の指はあわただしく動き、止まり、また動いた。出てくる言葉は「私……私は……」だけ。チャンドラの両手は力なく垂れ下がった。「ニッサを救わなきゃいけないって思ってた、そんなふうな」

「あなたは英雄、プレインズウォーカー、チャンドラだものね。誰だって救うわよね」ニッサはシャベルを地面に突き刺した。「私も他の皆と変わらないの?」

「そんなことない! それ……それは……説明するのが難しいの――すごく大きくて、大事で、なんて説明すればいいのかわかんない。これじゃだめ? ニッサは私にとって全てだって言っても信じてもらえない? 全部なの!」

 ニッサは眉をひそめた。チャンドラが言っている内容と、チャンドラがやっている内容が一致しないからだ。チャンドラはわかっていると思っていた。ニッサが必要としている愛は、離れていかない愛。それとも、引き離せないチャンドラの軌道に引き込まれ、片思いに捕らわれてしまったのだろうか? 自分自身だけの不滅の太陽に。

「ねえ」とチャンドラは懇願するように言った。「何が嫌かだけでも教えてくれないの?」

 ニッサは黒焦げになった金属骨格を見下ろした。ニッサにとって自身の苦しみは明々白々だが、それを癒すどころか伝える気力さえも残っていない。それはテフェリーにも、カーンにも、コスにも言えなかった。そして今なおチャンドラにも言えていない。ニッサはかぶりを振った。「なら行って、アジャニを探して。私はここで待ってる」

 チャンドラは両手でニッサの頬を包み込み、目が合うまでニッサの顔をゆっくり寄せた。チャンドラは唇を噛み、慰めるように低い声で言った。「戻ってくるから。ザルファーは悪くない場所よ、ニッサ。頑張れば、きっと気に入ると思うの」

 ニッサ・レヴェインは頑張るのがもう嫌になっていた。目に浮かぶ涙を隠すように背を向け、シャベルを手に取った。彼女はチャンドラがプレインズウォークで去るところを見なかった。それでも暖炉から立ち上る最後のわずかな煙のような残り香を感じ取った。


 翌日に目を覚まし、ニッサが最初に感じたのはチャンドラの不在だった。無意識に、彼女はこのなじみのない次元の魂へ慰めを求めて意識を伸ばしたが、ザルファーは無言だった。ドミナリアという故郷から引き離され、この大地も傷ついているのだろうか。またも見捨てられた痛みはニッサの心を刺し貫いた。故郷のエレメンタル、世界魂のアシャヤは今なお自分の呼びかけを認識してくれるのだろうか――ニッサはそう疑問に思い始めた。

 ニッサの異名、シャーヤは、『世界を壊す者』ではなく『世界を目覚めさせる者』を意味していた。

 彼女は寝具の上に横たわったまま、呼吸をひとつひとつ数えた。きちんと瞑想をするのは久しぶりのことだ。ゲートウォッチに加わる前、チャンドラと出会う前は、毎日取り組んでいた。もう一度やってみるのもいいだろう。

 けれどここでではない。テントの外で行われている生活が発するすべての声、音、振動が、自分と友人たちとの間の距離がどれだけ広がってしまったかを思い出させる。それでも、理解してくれるかもしれない相手はいた。

 森に覆われた丘が村を見下ろしており、ニッサは杖を手にそこを登った。ぎこちなくもニッサは地面に身を屈め、脚を組み、レンであった新芽の横に座った。彼女――この芽はザルファーに新たに受け継がれた五つの太陽の光によって育まれ、急速に成長していた。

 ニッサがかのドライアドと会話したのはたった一度だけであり、この苗に話しかけても意味はない。それでも、ニッサ以外に自身を侵略樹に繋いだ唯一のプレインズウォーカーとして奇妙な仲間意識をレンには感じていた。ファイレクシア人だった頃には数多くの醜いものを目にしたが、ニッサの心に鮮明に残るひとつの素敵な瞬間があった。レンがその壊れかけた身体を侵略樹へと編み込んだとき、ニッサの骨身は心に残る美しい音楽に満たされた。それは一曲の樹歌というだけではなかった。力線の弦で演奏され、次元の声がうたう賛美歌だった。

 ニッサは今その歌を思い出そうとした。目を閉じ、ゆっくりと呼吸する。自分の鼓動に耳を傾け、息を吸って吐くたびにそれを落ち着かせていく。自分自身の中、魂の根源に達するように。さらに耳を傾ける。

 静寂の向こう側に、ひとつの歌があった。

 その低音は、アシャヤと出会う前、自身がひとりの精霊信者だった頃のようにニッサの胸の奥深くで鳴り響いた。彼女は心をそちらに向けるが、別のものが聞こえてきた。眼の奥で、静かで小さなひとつの響きが形を成した。

 気にすることなく彼女は次元の魔力に、その歌に集中した。しかしそうすると、その響きが大きくなっていった。呼びかけを大きくすると、その音もまた大きくなった。ニッサの耳は今やむず痒く、ひくつき、熱を帯びていた。

 それでもニッサは再度試みた。心臓の鼓動は激しくなっていた。囁く歌を求め、彼女の魂が悲鳴をあげた。だがその叫びは、ニッサが覚えており軽蔑している侵略者たちの何十という声にかき消された。エルドラージ、ボーラス、そして最も大きな……ファイレクシア。

 音の響きが爆発し、頭蓋を粉砕する雑音へと変化した。強烈で稲妻のような痛みがニッサの筋肉に弾け、背骨を上っていった。暗い視界で色とりどりの火花が弾けた。

 彼女は本当に声をあげて叫んだ。


 目を開けると、ニッサは近くにあったアカシアの木陰で仰向けに横たわっていた。物言わぬ真実が見つめ返していた――彼女の心に触れたすべての存在は、今や彼女の魂に埋もれてしまっていると。ニッサは他者との繋がりに長い時間を費やし、多元宇宙との繋がりを抑え込んでしまっていた。それらの絆がニッサの意志によるものだったかどうかはともかく、次元は彼女を拒絶していた。

 彼女はふらふらと立ち上がった。視界がはっきりしてくると、ひとつの青い光が宙に浮遊しているのが見えた。その輝きは力線の歌の拍子に合わせて脈動していた。その光の輪郭はぼろぼろの布切れのようで、現実という布地をナイフで切り裂いたかのようだった。ニッサは手を伸ばして触ろうとしたが、指先に静電気が走りすぐさま手を引っ込めた。

 雷鳴のような響きを発し、その光が裂けた。

 その勢いにニッサは地面へと投げ出された。彼女は慌てて起き上がり、光の中から飛び出してきた巨大な生物との衝突を間一髪で回避した。見たこともない獣であり、その体躯は熊よりも大きく、渦巻く嵐雲を放つ危険な爪を備えた捕食者だった。筋肉質の身体に金色の稲妻の裂け目が走り、枯草に着火しそうな火花を発した。獣の足元の地面はひび割れ、四肢を振るうと近くの低木が折れて飛んだ。それはニッサを見ると、激怒して咆哮を上げた。

 彼女はこれを村のそばに放置できないと判断した。あまりにも多くの人々が戦争の傷を癒している最中だ。皆は激高した狂暴な動物に対処できないだろう。

 ニッサ・レヴェインはプレインズウォーカーではないかもしれないが、今ここにいるのは自分だけなのだ。

 彼女は地面を転がり、流れるような動きひとつで自身の杖を拾い上げてそこに魔力を込めた。杖の先端が緑色に光り、砂漠の草がニッサの意に従った。それらが束ね合わさり、太い縄となって獣の足に絡みつこうとした。しかしその電気を帯びた皮膚に触れると、植物でできたそれは乾燥し砕けて灰になった。ニッサは続けて根を、枝を召喚するものの、激怒した獣はそれらもすべて同様に引き裂き、塵だけが残った。

 それでも、ニッサは立ち直るための時間を自分で稼いだ。一度深呼吸をし、英雄とはどんな心持ちかを思い出そうとした。この獣に遊戯の駒のように操られるのをやめ、駒を動かす手にならねば。

 ニッサが杖を握りしめると、ねじれた木でできたそれが活気を得た。彼女がその芯から剣を抜くと、緑の蔓が手首に巻きついた。魔力を剣に送り込むと、その刀身が緑色に輝いた。ニッサはそのまま機敏な足取りで前進するが、どういうわけか魔力をほんの少し使っただけで息切れがした。

 獣が突進してくるが、今度はニッサも身構えていた。彼女は跳躍し、獣の背中に乗った。獣は後ろ足で立ち上がり、ニッサは落とされないようにその毛皮をしっかりと掴んだ。しかし炎熱が手袋を貫き、長くは掴んでいられないと理解した。

 獣を傷つけたくはない、だが獣を動けなくする必要があった。彼女は剣を獣の脇腹にある稲妻の裂け目のひとつに突き刺した――深すぎない程度に。これほど大きな獣にとってはわずかな刺し傷だろう。緑の魔力が刃から解き放たれ、棘のある太い蔓となって獣の足を突き刺し、その体を包み込んでいく。獣はニッサを荒々しく振り落とし、足の負傷のため倒れ込んだ。彼女は宙に投げ出されたが、地面に叩きつけられる寸前に受け身を取った。

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アート:John Tedrick

 ニッサは体勢を立て直し、その動物を見た。彼女の武器はまだ脇腹に差し込まれたままだ。その剣に繋がった蔓が再び燃え尽きる様子をニッサはじっと見つめた。獣は身を振るって起き上がり、傷など負っていない様子で更なる怒りを露わにした。剣が無益に地面へと抜け落ち、獣とニッサの目が合った。

 ニッサは両手を大地に押し付け、かつてのように力線へと呼び掛けた。エレメンタルの助力を求め、願い、請うと、掌の下の地面が輝いた。周囲の小石が震え、ニッサの胸に希望が沸き上がった。

 だがそれはすぐに消え去った。

 ザルファーに彼女の声は聞こえていない。

 獣はニッサに向かってまっすぐ突進し、広げた鉤爪で彼女を捕えた。力強い腕の一振りでニッサは獣の前方へと投げ出され、数ヤード離れた地面へ不快な墜落音と共に叩きつけられた。弾けるような痛みが全身を駆けた。

 ニッサが顔を上げると、ぼやけた視界を通して獣の様子が見えた。獣は彼女を殺そうと鉤爪を広げ、背に弾ける稲妻を走らせながら突撃しようとしていた。おそらくこれはありふれた動物ではない。ニッサは力線に繋がろうとしたときの様子を思い返した。もしかするとこれは、ファイレクシアの名のもとに彼女が犯した過ちに報復するため、ザルファーが遣わしたエレメンタルなのかもしれない。

 死にたくはない、けれど自らの罪が死に値することを否定はできなかった。

 ニッサは力なく頭を地面に下ろした。結局のところ、どちらが勝つかは分かっているのに、なぜ世界と戦うのだろう?

 獣は牙を剥き、こちらへ向かって突撃してくる。ニッサは来るであろう一撃に身構えた。

 その時突然、獣は止まった。

 それは攻撃しようと節くれだった鉤爪を構えたまま、時を止められていた。力強く温かな手がニッサを抱え上げて危険から遠ざけた。「間に合ったか」コスの声が聞こえた。

「それを傷つけないで……」ニッサはそう言おうとしたが、誰かに自分の声が届いている自信は無かった。

 テフェリーが杖を差し出し、青く光り輝く呪文で獣をその場に留めている様をニッサは見た。カーンが獣に向かって進み、力強い金属の腕で獣の首を抱え込んだ。

「今から放すよ」とテフェリーが伝えた。

 カーンは頷いた。「大丈夫です」

 時が再び動き出した。獣は鉤爪を振り下ろすが、ニッサがいた場所で空を切るだけだった。獣はカーンともみ合いになったが、その鉤爪は鋼を無益に引っかいた。獣は牙を噛み鳴らすが、頭を回せないようにカーンはしっかりとその首を締め上げていた。

 すると周囲の空気がオゾンの匂いと共に熱を帯び、獣の皮膚から白い稲妻が激しい爆発とともに弾けた。その勢いに四人ともが地面に投げ出された。ニッサが顔を上げたその時、獣は背後に嵐雲をなびかせてどこか遠くへ走り去っていった。

 コスは再び立ち上がり、腕をニッサの下に滑り込ませて彼女が立ち上がるのを助けた。そして杖の形に戻ったニッサの武器を差し出した。「怪我はないか?」

「大丈夫」ニッサは彼に支えられつつよろめいた。全身にずきずきと痛みが広がる中、渡された杖を手に取ると支えにして立った。「どうやって私を見つけたの?」

「レンを尋ねに向かったテフェリーが、丘の上で奇妙な光を見たというんだ。そして調査のために俺たちが集められた。幸い、彼女も無事だ」コスはそう言って、あの新芽を示した。

「これがその奇妙な光か。なるほど」テフェリーの声をニッサは聞いた。彼は獣が出現した場所、現実にあいた穴をニッサが見た場所の前に立っていた。今、その裂け目は巨大なポータルになっていた。この場の誰でも、カーンでさえも通り抜けるのに十分な高さがあった。

「あの生き物」ニッサは説明した。「そこから出てきたような気がするの」

 ポータルがニッサに呼びかけていた。その向こう側の何かが、力線のエネルギーとともに歌いかけていた。それは混沌とした、様々な次元からの旋律を重ね合わせた合唱のようだが、そのすべてを通し、慣れ親しんだ振動をニッサは感じ取った。かすかだが、ゼンディカーのような音だ。たとえ次元がニッサの声を聞けなくとも、ニッサの心は本能的に切望で満たされた。しかし彼女は本能以上のものを必要としていいた。理解する必要があった。そこで彼女は思い切って尋ねた。「これ、どこに繋がってると思う?」

 故郷に繋がっていて欲しかった。

「何とも言い難いな」テフェリーは考え込んで言った。「しかし、あの獣がザルファーに生息していないのは確かだ」

 欲求がニッサの胸をさらに強く締め付けた。「他の次元から移動してきたとか?」

 カーンの巨大な肩がぎこちなく動いた。肩をすくめたのだろうか。「ありえますね。次元壊しは現実の構造に穴を開けましたし、酒杯も久遠の闇の中で爆発しました。それが何を変化させたかは誰にもわかりません」

「私たちがここを通っても大丈夫だと思う?」そう問いかけながら、ニッサの喉が詰まった。

 静寂が一団へと広がり、ニッサは不安になり始めた。皆はただ考えているだけかもしれないし、何か自分が聞かされていないことがあるのかもしれない。

 やがてカーンが首を横に振った。「危険性は計り知れません。もしこれが実際に久遠の闇へと繋がっていたら――プレインズウォーカーの灯がなければ即死してしまうかもしれません」

「でもあの獣は死んでいなかったでしょう!」ニッサは反論した。彼女が紡いできた頼りない希望の糸はどれも、すり切れてちぎれてしまっていた。再び思い知る。これがプレインズウォーカーではないということ。

 テフェリーはニッサの肩に手を置き、落ち着かせようとした。「あるいは、あの獣がプレインズウォーカーだという可能性もある。とはいえそれも無限の可能性の内のひとつに過ぎない。このポータルがどこに通じているのかわからない以上、何が起こるかも断言はできない。しかし踏み込むのは……うん、はっきり言えば一か八かだろう」

 一か八か。

 ニッサは一か八かで行動するような人物ではない。チャンドラはそうだが。チャンドラはそれができる人物だ。考えることすらしない。

 コスが口を開き、皆の分析を中断させた。「あの獣がまだここにいて、迷って怒っていることを忘れない方がいい。ミラディンの民は大きな苦しみを味わってきた。そして俺たちには新たな故郷をさらなる危険から守る義務がある」そしてニッサへと頷いた。「あの獣を捕えてから、探索について相談しよう」

 彼らは同意した。ニッサはポータルを放置したくはなかったが、コスが正しいことも分かっていた。戦争はニッサから多くのものを奪ったが、他の者たちはそれ以上に多くを失ったのだ。彼らの力にならなければ。

 テフェリー、コス、カーンはすでに丘を下り始めていた。ニッサは足の疲れと肋骨の痛みを抱えながら急いで後を追った。だが合流する前、最後にもう一度背後で輝くポータルを振り返った。


 ニッサはいまだ傷ついていた。彼女は自分のテントの寝具に横たわり、来ない眠気を求めていた。護民官ギルドの治療師は疲れ果てているように見えたが、それでも時間をかけてニッサを看護してくれた。どこも悪くはないようだった、身体の方は。そうではあったが、テフェリー、カーン、コスの三人があの稲妻の獣を探しに向かう際、治療師はニッサを待機させた。ある意味では、ニッサはこの休息を喜んでいた。ひとりでいられるからだ。

 彼女は外のくぐもった声を聞いた。人々の日々の暮らし、知らない誰かのうわさ話。ニッサは寝返りを打ち、寝ようともう一度試みた。こういう時はエルフの聴覚がこんなに敏感でなければいいのにと思う。

 しかしその後、外の声は早く大きくなり、悲鳴によって彼女の平穏は打ち砕かれた。雷鳴がそれに続いた。

 静電気が空気を熱し、彼女の髪を逆立てた。疑う余地はない――あのポータルの獣がここにいる。恐怖が彼女の胃へと沈んだ。自分を探しているのだとしたら? 罪を罰するために自分の後を追ってここに来ていたとしたら?

 自分の行動のせいでこの村は無防備になっており、危険にさらされている。ニッサはよろめきながら立ち上がり、杖を掴んでテントから出た。

 やはり自分はプレインズウォーカーではない。今一度、ただの人物になっていた。

 獣は食堂のテントをせわしなく荒らしまわっていた。地面は破れた帆布と鍋からこぼれたシチューで散らかっていた。一番大きな木製のテーブルさえ真二つに砕け、木屑と化していた。ザルファー人とミラディン人の勇敢な戦闘員たちが獣を取り囲んでいるが、ファイレクシアとの戦いを経た彼らの武器は修繕を必要としていることが見てとれた。皆が獣を村から遠ざけるのを手伝わなければ。

 杖の力を借りつつ、ニッサは前方に向けて魔法を唱えた。太い根が地面から何本も現れた。それらは獣の首と四肢の周りに巻き付いて拘束しようとし、少なくとも別の場所へ連れ出そうとした。その奮闘がニッサの足をがくつかせるが、彼女は立ち続けるよう自分に言い聞かせた。

 獣が拘束を焼き払うまであまり時間はないが、その隙を利用することはできる。あそこだ! ニッサは村のすぐ外にある太いバオバブの木に向かって駆けた。

「こっちよ!」と彼女は怒鳴り、怒れる蔓の束を再び放った。

 獣は挑発に怒り狂った。村人たちの剣や槍に背を向けることになるが、この新しく厄介な攻撃の主に比べればちょっとした邪魔でしかない。それは腕を振るい、鉤爪で鎌のように植物を切り倒していく。獣の少し手前で、ニッサは今一度の猛攻撃を繰り出した。獣は獲物を追いかけようと再び突進する。ニッサは何度も蔓を繰り出し、何度も攻撃させ、少しずつ獣を村から引き離していった。

 負傷した住民たちが急いで避難する様子を見て、ニッサは安堵のため息をついた。少なくともひとつ、善いことができた。しかしその奮闘が彼女を消耗させた。杖から緑色の光が消え、彼女は崩れ落ちるように膝をついた。

 そして獣の狙いは今やひとつ――ニッサだけ。

 それは彼女の前にそびえ立ち、鉤爪を振り下ろそうとしている。

 間近で見ると、とてつもない巨体だ。ニッサは防御のために杖を掲げ、衝撃に備えた。

 またしても、それは来なかった。

 ひとつの、燃える人影が獣の前に立ちはだかる。チャンドラだ。

 困りごとが起こっている場面へとプレインズウォーカーが正確に到着できる能力に、内心ニッサは毒づいた。チャンドラは自分たちと獣の間に炎の障壁を張った。獣はほんの一秒前に追いつめた獲物に辿り着けず、戸惑った。

 今、チャンドラは獣に向かって火の玉を次々と放ち、そのため獣はますます興奮していった。それは身を震わせ、毛皮から静電気の火花が飛び散った。「ここから動かすから! 村に戻って!」チャンドラはニッサにそう指示した。

 しかしこの獣を呼び寄せたのはニッサだった。それはチャンドラではなく、ニッサを追ってきたのだ。これはニッサの戦いであり、チャンドラであっても邪魔することはできない。ニッサの杖が緑色の光に燃え上がった。地面から棘付きの蔓が何百本と弾け出た。そのうちの一本がチャンドラの顔に命中しかけた。

「ちょっと! ちゃんと見てよ!」紅蓮術士が叫んだ。

 蔓が獣を鞭打ち、刺すような一撃ごとに咆哮が上がった。そのうちの一本が火の玉を受けて燃え上がる。獣は小さく鼻を鳴らし、炎の鞭から遠ざかった。ニッサはチャンドラがその熱を高めていくのを見つめた。召喚したすべての蔓が炎の爆風に燃え尽きるのを、ニッサは歯噛みしながら見届けた。これではまるで、自分は何もしていないようだった。次に取るべき手を求めて辺りを見回しながら、額に汗がにじみ出た。

 ニッサの視線がバオバブを横切った。バオバブの木があった! その太い幹は炎に強い。動かすことができれば、この巨木は頼もしい味方になるだろう。彼女は魔力を木へと届かせ、枝の一本一本に動いてくれと語りかけた。しかしこれは自分の意志で動くエレメンタルを召喚するわけではない。すべての動きを操作しなければならず、全力で集中する必要がある。呼吸が乱れ、両手は震え、手袋の中で汗がにじんだ。

 繊維の一本一本を、根の一本一本を、ニッサは地面から持ち上げるよう強いた。最後の一押しで、彼女はそれを獣に向かって突進させた。それは獣の脇腹に激突し、草むらへと突き飛ばした。ニッサは疲労を感じているが、つかの間の勝利の感覚を味わってもいた。

 なぜならチャンドラはこれを合図として受け取ってくれたから。「ありがと!」チャンドラはにやりと笑い、さらに熱く燃え上がった。熱すぎるほどに。彼女は獣と木を、一頭の象ほども背の高い炎輪で囲い込んだ。

 ニッサは煙の匂いを嗅ぎ、乾いた草が燃え始めていることに気づいた。「チャンドラ、止めて!」

 紅蓮術士はニッサの言葉を聞いていないか、気にしていないようだった。彼女は炎輪を縮め、獣に近づけていった。獣は炎が迫ると混乱し、せわしなく歩き回った。そして後ろ脚で立ち上がり、鉤爪と歯による攻撃でバオバブを粉々に砕いた。木の中に蓄えられていた水分がチャンドラの高熱の炎に触れてすぐさま蒸発し、白い水蒸気が立ち上った。

 ニッサにもチャンドラにも、獣の次の動きは予測できなかった。獣は息を吸い込んだ。深呼吸一つで、嵐の獣は空から熱い蒸気を吸引した。蒸気を取り入れてその体格は倍ほどに膨れ上がった。いや、倍以上か。今や途方もない大きさとなり、獣は木の破片を遊び道具のように払いのけた。燃える破片が弾き飛ばされ、落ちた場所の草に引火した。

 そして獣はふたりを圧倒するようにそびえ立った。

 ふたりは走るが、獣の一歩はふたりの二十歩に等しい。すぐに、ふたりはその巨大な姿の足元にいた。獣は攻撃しようとしている。

「危ない!」チャンドラはそう叫んでニッサを突き飛ばし、獣の噛みつきは空を切った。そのままふたりはバオバブを根こそぎ引き抜いた穴へと転がり込んだ。

 落下の衝撃が落ち着くと、ニッサは顔を上げた。獣は穴の入り口を引っかいたり牙を剥いたりしているが、その巨体にこの隙間は狭すぎた。ひとまず安全だが、いつまでもつだろうか?

「あああぁーっ!」チャンドラの光る髪が苛立ちに燃え上がった。彼女は両手を獣へと向け、開いた掌に次なる爆炎を溜めはじめた。

 獣はふたりを閉じ込めている。サバンナ全体が燃えようとしている。「止めて!」不満と孤独がニッサの肺を満たし、それは大声となって発せられた。「今は、自分の力で自分を救いたいの!」

 チャンドラの両手から光が消えた。「え?」

 ニッサの心臓は激しく脈打っていたが、今回は疲労によるものではない。彼女は自分に残されたすべての活力を使って、自分の考えを、悲嘆を、悩みを言葉に変えた。「チャンドラ、あなたは約束してくれたのに居なくなった」彼女は声を振り絞った。「私は灯を失ったのに、何もなかったかのように多元宇宙を飛び回るあなたを見て平気だと思う? あなたが戻って来るのを待つだけなのが平気だとでも?」

 チャンドラの髪の炎は自然と消え、温かみのある自然な赤色に戻った。

 喉を詰まらせながらニッサは続けた。「あなたがそんななら戻ってこなくてもいいわ。自分の面倒は自分で見るから」

 チャンドラは黙り込み、何を言うべきか考え、そして小さくうつむいた。彼女は穏やかな声で切り出した。「ううん。わかる。そうだよね、わかってた。色々変わったし、今も変わってるんだよね」温かなその視線がニッサと合った。「それでもニッサのこと、これからもわかっていきたい」

 チャンドラはニッサの両手を握り、ニッサの心臓は喉元まで跳ね上りそうだった。

「ニッサ、本当に、本当に、本当に、本当に、ごめんなさい。灯があってもなくてもニッサはすごい戦士だし、立派なひと。なのに私はそのことを見てなかったんだよね。本当にごめんなさい」

 だがニッサの魂はまだ痛みでうずいていた。許す準備はまだできていない。

 その瞬間、ふたりの頭上に火と土が降り注いだ。届かないと悟った稲妻の獣は、代わりにふたりを生き埋めにするつもりだ。「力を合わせれば、あれを止められるかも」とニッサは言った。

 チャンドラは頷いた。「うん、どうやって?」

 ようやくこちらの意志を尋ねてくれて、ニッサの胸に温かさが満ちた。けれど最強の魔法はもはや使えない。「わからない」ニッサはそう答えるしかなかった。「前に試したことがあるような技は……」

 ニッサは思い返した。いつもは、エレメンタルを操る魔法を苦もなく用いてきた。できて当たり前だと思っていたが、有難いことだったのだと今は分かっている。ニッサは上から降り注ぐ土を払いのけた。

「絶対何かあるはずよ」チャンドラが促した。「ゼンディカーの力線を通して私の紅蓮術を増強した技は? エルドラージだって倒したんだから、ここでもいけるでしょ?」

「でも……」ニッサは囁くような声で打ち明けた。「私……私……もう力線に繋がれないの」

「ええ?」

 ニッサはかぶりを振り、周囲に立ち込める土埃にせき込んだ。「力線は私の声を聞いてくれないの。試したのよ、何度も。でも私が呼びかけると、まるで自分の声じゃないみたいになって。それどころかファイレクシアのものみたいになって、これまで繋がってきたものすべてが集まって私の声をかき消すみたいで」

 チャンドラはいったん沈黙し、そして結論づけるように言った。「ニッサも知ってるでしょ、いい繋がりも沢山あるって」

「どういう意味?」

「確かに――あいつらに捕らわれてる間にニッサは悪いことをしちゃったけど。でもあなたがゲートウォッチとして長年やってきた間に繋がった人たちは、ニッサがまだここにいてくれるだけで嬉しいの。みんなと一緒にいてくれることが」チャンドラは、ニッサに降りかかってきた泥の塊に火を放ち、柔らかな灰の雨に変えた。「私と一緒にいてくれることが」

 ザルファーで目覚めて以来、初めてニッサは笑みを浮かべた。チャンドラ、愛しいチャンドラ、たとえあなた自身が気づいていなくても、あなたはいつも私よりも感情をよく知っていて、わかるように教えてくれる。

 チャンドラは続けた。「ニッサが持ってる繋がりは、ニッサの声をかき消したりしない。ニッサの声を何か新しい、もしかしたらもっと強いものに変えようとしてるのかも。無限の声は、無限の可能性ってやつ?」

 無限の可能性。ニッサはチャンドラへと手を差し出した。「そうね、やってみましょう」

 チャンドラの指を掴み、ニッサは目を閉じた。彼女は自らの内へと入り込み、内なる声へと耳を傾ける。以前よりもずっと難しいが、チャンドラは落ちてくる石をニッサに当たる前に吹き飛ばして彼女の集中を甲斐甲斐しく助けた。

 耳の奥で響く音がニッサを迎えたが、彼女はその響きを拒否しないことにした。自身の繋がりを意識しながら、彼女は雑音を少しずつ拾い上げ、多元宇宙のあらゆる場所のそれぞれの歌から選び取った独自の旋律へと組み替えていく。彼女はそれを配置し直し、調和させ、そしてザルファーへ呼びかけた。この時、彼女の声は合唱によって増幅された。彼女はザルファーに謝罪をした。

 次元は応えてくれた。ザルファーもまた、知っていたすべてのものから切り離され、作り上げた繋がりを失っていた。ザルファーもまた、ファイレクシアによって傷を負い、新たなものへと成長しつつある。ザルファーはニッサを許し、そしてニッサはようやく自分を許すことができた。

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アート:Wisnu Tan

 魔力がニッサの肉体に、血に、骨にあふれた。成功の喜びにチャンドラが笑っているのが聞こえた。

 ニッサはエレメンタルの力を用いて獣への干渉を試みた。それはエレメンタルではあるが、ニッサにもザルファーにもわからない未知の力で生み出されたもの。だがニッサはその戸惑いと混乱を感じ取った。ザルファーの馴染ない魔法によって形ある姿に囚われ、それを作り上げた純粋なエネルギーへ戻ろうと必死にあがいている。先ほどまでの自分のように。これが何なのか、答えがニッサの内に浮かんだ。

「蒸気よ」ニッサが告げた。

「え?」

「これは嵐の精霊、魔力でできた生物なの。でも別の次元のものだから、ザルファーの力をうまく使えないみたい。加熱してあげれば必要な力をあげられると思う」

 チャンドラはウインクした。「加熱? だったら私ができるわね」

 ニッサはザルファーを自身の内へと招き、その力をチャンドラへと向けた。ニッサの視界はまばゆく輝く緑に覆われた。しかし見えずとも、チャンドラの手は自身の両手に感じられる。その手はどんどん暖かくなり、我慢できないほど熱くなるが、ニッサは手を離さずにいた。

 小さな太陽のような炎の魔力がチャンドラの片手に集まり、それはニッサが緑の光越しに見ることができるほどの輝きを放った。ふたりの繋がりは完全なものとなった。ニッサはチャンドラが見ているものを見て、チャンドラが感じていることを感じ取っていた。チャンドラは上を狙い、力強い火柱が稲妻の獣の顔面を捕えた。ふたりは共に、獣が息を吸い込むのを見た。

 チャンドラは獣に熱と魔力を浴びせた。その分子と魔法力はますます振動を速め、その毛皮は蒸気へと溶けていった。身体に走る稲妻の継ぎ目は音を立てて広がり、獣は激しく痙攣してばらばらに砕け、液化して蒸発した。蒸気の噴流は消えゆく姿から抜け出して空高く上昇し、頭上で凝集して轟音を響かせる雷雲となった。あの雲は笑い声をあげて感謝している、ニッサはそう信じたかった。

 ニッサは笑った。視界から緑の光が消えると、チャンドラも髪を燃え輝かせながら笑っていた。

 砂漠に雨が降りはじめた。

 一滴また一滴と、空から降ってくる無数の雨粒それぞれが集まり豪雨となった。そして豪雨は洪水になった。穴に水が満ち、ふたりを浮かび上がらせた。そしてふたりは一緒に浮きながら、雲が去って澄んだ夜空が現れる様を見つめた。まだ炎となって燃えているチャンドラの髪は、まるで水上のランタンそのものだった。

 チャンドラはニッサから一瞬でも目をそらすまいと、熱のこもった目で見つめた。「好きにもいろんな形があるの。私はギデオンのことが好きだったし、ヤヤのことも好きだった。どういう風に好きなのかって聞いてくれたよね。あのときは何て言えばいいのかわからなかったけど」

 ニッサの心臓が高鳴った。「じゃあ今は何て言ってくれるの?」

 チャンドラは話そうとして無意識に手振りを加え、ぎこちない水飛沫を上げた。「説明するのはまだ難しいんだけど。新ファイレクシアでニッサを見たとき、世界を救いたいって気持ちよりニッサを救いたい気持ちのほうが大きいって気づいた。ニッサへの好きって気持ちは……ニッサがゲートウォッチを離れたり、ゲートウォッチに戻ってきたりしたときみたいに――いつも完璧ってわけじゃないけど、頑張りたい」

「わからないわ。どうして好きっていう気持ちが変わるの?」ニッサにとってそれは、魔法と同じく根源的で不変の性質を備えた、まっすぐな感情に思えた。

 チャンドラは顔を隠そうと目をそむけたが、ニッサはチャンドラの頬が炎のように火照っていると気づいた。「ときどきチャンドラは、簡単で当然で自然な行動をとったほうがいいって自分を納得させるわよね……その方が、わからないものに向き合うより楽だから。問題が迫ると皆が期待するような人になるけど。考えるより先に大きな火の玉を投げるでしょう? だけどあなたは迷わない。いつも。そんなあなたが私に勇気をくれた」

 チャンドラがたじたじとなる様に勢いづけられたニッサは、自身の正直な心を奮い立たせた。「でも傷ついたわ。もうひとりにしないで」

「それは……ごめんなさい。今まで生きてきて、馬鹿なことも沢山やってきたけれど、その全部よりもごめんなさい」チャンドラは再びニッサへと向き直った。新たなひとつの約束に、その目は輝いていた。「アジャニを探しに行ったけれど、気付いたの。今は見つけて欲しくないんじゃないかなって。気持ちの整理がついたら戻ってくるんじゃないかな。もちろんすごく気になるけど、ひとりで考える時間もあげないと。それで、気にしてる関係を単に焼き尽くすなんて出来ないなって気づいたの。愛って、その人があるがままでいられる余地を残すものかなって。私も、ニッサのためにそんな余地を残していたい。そうしたいの」

「火が酸素を必要とするみたいに……」ニッサは最後の質問をする。「プレインズウォークできないひとを受け入れる余地はある?」

「うん。やってみる。迷ったり、惑わされたりするかもだけど、やってみたい。どうやっても、炎は燃えようとする。けど頑張れば、その形を作ってあげることはできる。だから頑張りたい。ニッサのために」

 ニッサは一瞬考える。やがて、彼女はうなずいた。「私も、やっていけると思う」

 ニッサはチャンドラへと身体を寄せて首筋に手を回し、紅蓮術士を引き寄せた。ふたりは最後にまた見つめ合い、それから目を閉じ、ニッサはチャンドラに口づけをした。


 突然の嵐によって大水が発生し、テフェリー、カーン、コスは村から数マイル離れた洞窟に取り残された。翌朝になって水が引くと、ようやく三人は戻った。ニッサとチャンドラ、そして村人たちは毛布と暖かいシチュー、それに笑顔で三人を迎えた。その夜遅く、仲間たちはニッサとチャンドラの知的な勝利を祝った。今回は、そのニッサ本人も加わっていた。彼女とチャンドラは今までに食べたことがないほど甘いマンゴーを分け合った。

 最後の篝火が消えると、ニッサはチャンドラの手を引いて村を見下ろす丘の上へと導いた。そしてレンへと手を振ると、あのポータルの前で立ち止まった。

「これが」ニッサは身振りでポータルを示した。「あの獣が出てきたところ」

 渦巻く青い光をふたりは一緒に見つめた。「どこに繋がってるの?」とチャンドラが尋ねた。

「わからない」ニッサは正直に認めた。「テフェリーも、カーンも、コスもわからないって。でも耳を澄ますと、気を付けて聞こうとすると、まだ向こうからゼンディカーの声が聞こえるような気がするの。奇妙で歪んでるけど、多分まだ向こう側にある。全くの思い込みかもしれないけど、またゼンディカーが見られるなら、わからなくても危険でもいい」

 チャンドラは毅然として頷いた。「それに、私も一緒に行くんだからね」

 全てのプレインズウォーカーは望んだ場所に行けるが、チャンドラの放浪癖はそれよりもずっと深いところに根差しているとニッサは知っている。それはチャンドラがチャンドラであることの一部であり、ニッサが愛する人の一部なのだ。だからニッサはこう提案する。「多分、その後なら、もっと色々なところを見て回ってもいいかも。あなたと一緒ならね」

 チャンドラは満面の笑みを浮かべた。「それなら、私がニッサの松明になるね。まずは帰り道を見つけよう! そうだ、ちょっと前にニッサが植えたあの小さな森の様子も見られるんじゃない?」

 ふたりはポータルに歩みを進め、それぞれ片足をその入り口に置いた。ニッサはためらい、チャンドラに向きなおった。そして尋ねた、念のため。「本当に一か八かだけど行ける?」

「一緒にでしょ? ならもちろん」

 手をとり合ってチャンドラとニッサはポータルへと、無限の可能性のひとつへと足を踏み入れた。

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アート:Livia Prima

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(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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