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MAGIC STORY
破滅の刻
永遠の刻
永遠の刻
Ken Troop / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2017年7月12日
前回の物語:寵愛
王神が帰還し、五つの「刻」が預言の通りに到来している。啓示、栄光、約束の刻がナクタムンへと災害を放ち、そして今、永遠の刻が想像を超えた恐怖を市民それぞれへともたらしている。
今こそ信仰が試される時だった。
これまでナイラはその熱情を、神々への信仰を高々と常に口にすることの必要性を理解したことはなかった。神々は自分達の間を歩き、その神性は目に見えて明らかであり、信じるために信仰などを必要としなかった。手で触れ、耳で聞く。神々の口が発する言葉が街に響き渡り、その神性の重みはどのような矮小な存在よりも確固として真実だった。
彼女は、信仰というもの自体を理解したことがなかった。それは弱さだと考えていた。心の弱い者が敬虔を気取るためのもの。神々がこれほど真だというのに、信仰に何の意味がある?
だが今、彼女は信じた。
王神の帰還については大して考えていなかった。学ぶべきこと、訓練すべきことがまだとても沢山あった。誰もがそうしていたように、最高を目指していた。何よりも試練そのものを熱望しているというのに、試練を通過することを考えて何になる? 恋人もなく、子供もなく、人生において昔からの友人もいなかった。彼女の野望に敵う者はなかった。そう、神々は彼女の崇拝に報い、そして日々の祈りこそが彼女の訓練だった。究極の目標は蓋世の英雄となることだった。その欲望において、彼女に敵う者はなかった。
だが楽園への門が開き、彼女の心ははやった。いつかやってくる日は今であり、永遠はそこにあると知った。彼女は首をもたげ、神聖なる祝福を見届けたいと熱望し......だがその門の先に祝福はなく、あるのは恐怖だけだった。
《王神の信者》 アート:Bastien L. Deharme |
この街の美しさを認識したことはなかった、それが奪われるまでは。かつて夏空のように青かった滔々たるルクサ川は血の赤色に染まり、悪臭を放つ魚の死骸と泡立つ汚泥に満ちていた。羽音を立てる蝗の雲が庭園や木々を裸に食い尽くし、小動物に群がってはその飛跡に骨だけを残していった。
神々ですら死んでいた。強大なるロナス神。賢明なるケフネト神。大望のバントゥ神。美しきオケチラ神。死すべき運命を露わにされ、その神性を引き裂かれて全員が斃れた。
死ぬ神は、神でありえるのだろうか?
不意に、あまりにも不道徳な考えが心によぎった。神々は試練に失敗した。だから死を被った。
一瞬、そしてその奈落が広がり、招いた。私達全員もそう。
最後の考えにナイラは恐怖しなかった。そうではなく、それは彼女の内深くに火をつけた。心地良い温かさは今というものの終わりであり、約束された永遠の始まりだった。街は破壊され、神々は死に、人々は逃げ惑う。そして彼女は心の底から、人生で最も確かな信仰を抱いた。
私達は試されている。試練無くして栄誉はありえない。犠牲無くして栄光はありえない。死無くして生命はありえない。司祭らの教えに心を動かされたことはなかったが、今彼女はその言葉一つ一つにすがった、まるで洪水の川に浮かぶ筏のように。これは私の試練。この恐怖は、私が蓋世の英雄となるべきためのもの。
蓋世の英雄。その名が心をかき鳴らした。
混沌と暴力に介入することなく空から監視していた数体の天使が、突然頭をもたげて腕と翼を広げた。病的な緑色に目を輝かせ、彼らは一斉に叫んだ。「永遠衆よ!」
《王神の天使》 アート:E.M. Gist |
彼女は蓋世の死者が眠る中央霊廟の入口脇に立っていた。天使達がその叫びを繰り返す中、霊廟の扉が開いた。
恐ろしい影がひとつ、開いた門からまっすぐに歩み出た。神ほども長身、闇をまとってスカラベのような姿をしていた。そしてその背後に、容赦ない暗黒の神性の歩みに、一つの軍勢が続いた。
《永遠の刻》 アート:Tyler Jacobson |
何千という数が、眩しく固い金属的な青色に覆われていた。人間にミノタウルス、ナーガにエイヴン。堂々とした、だがそれは磨かれたラゾテプ鉱石、宝石よりも美しい輝きに包まれた腱と骨だけの姿だった。筋肉や皮膚が無くとも、過去の勇者や近頃の試練への挑戦者をナイラは認識できた。バケンプタ、石壁ごと最後の敵へと斧を振り下ろしたミノタウルス。タウェレト、試練において十年に一度の逸材と多くの者が呼んでいた強大な魔術師。そこかしこに見知った勇者と、更に多くの見知らぬ勇者がいた。
全員が鋭くぎらつく武器を持ち、流れるように優雅なその動きは、彼らが皆、その座に至るための敏捷性や力を何ら失っていないことを思わせた。
永遠衆。蓋世の死者。勇者となった者の運命。
ナイラの心臓が嫉妬に高鳴った。この運命こそずっと求めていたものだった。今も求める全てだった。スカラベの神は彼女の存在に気付くことなく通過し、だが神の背後の蓋世の軍はそうでなかった。
目を黄金の炎に輝かせ、恐ろしい笑みを表情に凍り付かせ、彼らは武器を構えた。ナイラは彼らの刃にゆらめく柔らかな薄暮の光を見た。永遠に彼らの一員になることを願い、彼女は恍惚に叫んだ。そして死者達が群がった。
「信じます!」 彼女は熱望する仲間へと叫んだ。冷たく触れるように、刃が一つまた一つと彼女に沈んだ。栄光の先からの歓迎は、想像もできない鋭さだった。感じることしかできなかった。生きることしかできなかった。
信じます。一撃ごとに彼女は思った。仲間が群がり、ひたすらに突いた。信じます。
そして信仰は報われた。
アセヌは敗北に向かっていた。
彼らが自分より上手というわけではない、とはいえ敵はこれまで戦った中でも最高の使い手、死してもその技術を何ら失っていない神の勇者。彼女もまた技術と身体能力の絶頂にある達人だった。
二対一だからというわけではない、とはいえ不利ではあった。複数の敵との戦いにおける有用性から、彼女は二刀流の正確な戦法を選んでいた。そして回避し、旋回し、迎え撃つ動きに彼女は興奮していた。その手首は心の延長、弛緩と緊張を行き交い、今一度の回避、攻撃、呼吸の間を生き続けていた。もう一呼吸。
違う、敗北に向かっているのは自分が人間だから。そして敵はそうではなかった。
肩が痛んだ。肺が苦しかった。両脚は疲労していた。戦術教師の声が思い出された。「お前達愚鈍は、腕や肩や背中の筋肉が最も重要だと思っている。そうではない、脚だ! 脚が疲れれば死ぬぞ!」 彼女の脚はとても、とても疲れていた。
敗北に向かっていた。死に向かっていた。
いずれはそうなる。けれど今じゃない。今すぐじゃない。もう一呼吸。
ほんの数分前、青色の鎧と骸骨の顔をした悪夢のような生物がナクタムンの街路に何百と溢れ、道行く全てを殺戮しはじめた。天使達はそれを「永遠衆」と呼んだ。アセヌは同輩が、門友が、友人が、顔見知りが、永遠衆の刃に倒れるのを見た。
愛してる。誰だっていい、最後に言わせて。みんな、愛してる。
彼女を戦いへと進ませたのはその愛だった。人々は最初の猛攻撃で死に、逃げながら死に、神々に願って死んだ。永遠衆は全員を殺し、その刃には一片の慈悲もなかった。
彼女はその殺戮に飛び込み、永遠衆二人を引きつけた。もっと多くが殺戮を続けるべく通り過ぎていった。けれどこの二人は止められる。
だが、それすら叶わないかもしれなかった。彼らの刃に倒れるわけにはいかなかった。少なくとも簡単には。だが自分を直ちに始末できないならば、打ち勝つに相応しい相手ということだった。周囲の街路で、他の戦士らが更に大規模な戦いに加わった。だがアセヌは彼らの苦しい息遣いを、鋼の激突する音を、くぐもった最期の悲鳴を聞いた。
誰も助けに来てはくれなかった。
それは問題ではなかった。少しでも長く生き続ければ、他の誰かが死ぬことはない。他の誰かがもう少し生きられる。生き延びる瞬間、誰かが安全な場所へ行ける。
そう、どこかに安全な場所はある? きっと......彼女はその思考を殺した。もう一呼吸。
数分前、永遠にも思える前、恐慌が彼女を圧倒しかけた。力と技術に秀でる彼女は日々の訓練の中、数時間続けて戦ったこともあった......だが止まることなく、息をつく一瞬すらなく、自分よりも素早く強く、汗もかかず疲れることも誤ることもない敵と戦ったことはなかった。
その恐怖は胸中で増大し、だがやがて彼女はただ一言だけを頼りに戦うことを見つけた。呼吸は落ち着き、肩の痛みは遠ざかり、肺の内に燃える熱は勢いを弱め、そして全くの意志の強さだけで脚は動き続けた。
もう一呼吸。
アセヌの前方の崩れた壁の背後へと、無傷のまま逃げ込む人影があった。一人、二人、三人。彼らの安全を、もしくは明日の日の出まで生きていられることを願う余裕はなかった。それは呼吸の妨げだった。動きの妨げだった。両脚は疲れきっていた。
もう一呼吸。もう一呼吸。もう――
《英雄的行動》 アート:Magali Villeneuve |
「マカレ! マカレ!」 ゲヌブは赤黒い空へと恋人の名を半狂乱で叫んだ。遠くには青い鎧の殺戮者達がおり、その奇怪な姿は生前のそれらの紛い物だった。それと対峙することは死を意味すると知っていたが、マカレと再会するまで死を迎えるつもりはなかった。
数か月前、口に出すことを禁じられた真の三語を自分達は誓い合った。王神への無礼、司祭らはそう言ったが恋人達は気にしなかった。試練も門友も、王神であろうとも、何も自分達の愛の前では問題ではなかった。
その夜遅く、身を隠す静かな木立で、彼女は自分を見上げた。その大きな茶色の瞳こそ、彼がずっと見ていたいただ一つのものだった。
「ゲヌブ、ずっと一緒にいましょう」 彼女はそう言った。それが可能かどうかはわからなかった。どうやって試練を回避し、一緒に居続けられるか。だが今この時は、そんなことはどうでも良かった。
「マカレ、ずっと一緒にいよう」 彼は応え、その言葉が真実になるだろうと確信を固めた。ナクタムンの何よりも真実に思えた。
そして今、彼女の姿はなかった。オケチラ神が斃れた後、誰かの叫びが聞こえた。安全と思われる古い神殿が街の外れにあると。二人は大きな群集とともに駆け、マカレの手を強く握りながら、ゲヌブの心臓は恐怖に高鳴っていた。
一緒にいる限りは、彼はその考えに必死にすがった。彼女と一緒なら、何でもきっと大丈夫だと。
そして誰かが悲鳴を上げ、剣や斧や鎌を振りかざす永遠衆がそこかしこから街路に押し寄せた。一人、しなやかな動きのナーガがゲヌブとマカレの目の前に着地し、青い炎の呪文を放った。二人の背後にいた数人が消し飛んだ。
《呪文織りの永遠衆》 アート:Jason Felix |
その後何があったのかは思い出せなかった。ただ彼は駆け、駆けた。恐怖だけが思考を占拠していた。そして息をつこうと立ち止まった時、隣にマカレの姿はなかった。
彼女を失ったのだ。見捨てたのだ。「マカレ!」 彼は叫び、その姿を一瞥できればと必死に辺りを探した。
いた! 荒れ果てて壊れた広場を彼は駆けた。茶色の髪と銅色の縞のドレスは見間違えようもなかった。その隣へと駆ける間にも、彼は永遠衆が集まってきて彼女を挟み撃ちにするのを見た。だがこの時彼を止めるものはなかった、その全員と戦うことになろうとも。
彼女の目の前で急停止すると、その顔が向けられた。その瞳、美しい茶色は、冷たく輝く青色に取って代わられていた。見つめる視線に愛はなかった。そしてようやく彼はマカレが手に持つ巨大な斧に気が付いた。刃は血に汚れ、そこで彼はマカレへと背後から囁きかけるナーガの魔術師の姿を見た。
彼女は斧を掲げた。こんな事はありえない、ゲヌブはそう思った。自分の力で、彼女を支配する呪文を破れる。まだ自由になれる。まだ一緒にいられる。
「マカレ!」 この世界で唯一の真実、それは互いへの愛だった。「マカレ!」 呼びかけなければ、破らなければならなかった。「マカレ!」
振り下ろされた斧は速度を緩めなかった。それは彼を傷つけた唯一の、そして初めての刃だった。刃とともにゲヌブが最後に見たのは、恋人の顔に浮かんだ笑みだった。
《不忠の糸》(Hour of Devastation Invocations 版) アート:Yongjae Choi |
オケチラ神が斃れた時、カウィトは諦めてもおかしくなかった。
物心ついた時から、神は彼女の人生とともにあった。その優しさ、温かさ、その存在は常により良い人物になれと促してくれた。オケチラ神を知ることは、崇拝することは、その光に浴することは、空の太陽と同じ程に変わらない真実だった......蠍の尾の毒針に、オケチラ神の光が消されてしまうまでは。
絶望してもおかしくなかった。狼狽してもおかしくなかった。だがそうではなく、彼女が感じたのは怒りだけだった。鮮やかで燃え盛る怒りに、あらゆる疑念と恐怖はその白熱した明晰に燃え尽きた。
神の両目は既に濁った灰色と化しており、血が流れ出るその隣に彼女は跪いた。その広場で生きているのは彼女だけだった。ほとんどは永遠衆の脅威から逃げ、だがカウィトは残った。自らの神を今一度目に収めたいという欲求だけがあった。選定の死者が次第に神を取り囲み、その皮膚に油を塗ると身体に包帯を巻いていった。斃れた神にはどのような運命が待つのだろうか。
死者の只中で、誰も目にとめなかったオケチラ神の矢をカウィトは拾い上げた。その長さは彼女の手にむしろ槍のようだった。矢はもはや神性の光を直接宿してはいなかったが、カウィトはまだその内に響くようなエネルギーを、神の存在の残響を感じた。
彼女はオケチラ神の敬虔な、誇り高く強い戦士だった。ならば今日は、神に復讐を捧げよう。
轟くような破壊音が背後で高まり、振り返るとミノタウルスの永遠衆が長い刃の斧を高く掲げ、全速力で向かってきていた。カウィトは見つけたばかりの槍でその攻撃を受け止めるのがやっとだった。
《弱点消し》 アート:Alex Konstad |
ミノタウルスは槍の先端に激突し、カウィトは力のうねりを感じた。白光が閃いてそのミノタウルスが消滅し、青いラゾテプ鉱石の鎧はオケチラ神の力に、塵と化して崩れた。
怒りが湧き上がる中、彼女はそこで息を切らした。全ての永遠衆を塵へと帰すまで、この怒りが消えることはないだろう。
そして、その姿を彼女は見た。
最初に二本の角、長く湾曲した形はとても馴染みあるものだった。街のあらゆる場所で見られる角。それを持つ存在はただ一つしかありえないと知っていた。
王神だった。
《全知》(Hour of Devastation Invocations 版) アート:Josh Hass |
王神はどの神よりも巨体だった。奇妙な黄金の卵がその蛇のような角の間に浮いていた。そして、ドラゴンだった。彼女の心は一瞬ひるんだ。このドラゴンは侵入者なのだろうか、王神を詐称する邪悪な何かなのだろうか。この偽者が街を壊し、ルクサを血へと変えた? この偽者のせいで自分が愛する、美しい神は死んだと?
怒りが一つの回答をはっきりさせた。呆然とともに彼女は直ちに真実を知った。
このドラゴンは偽者ではない。このドラゴンが私達の王神。人生をかけて仕えてきた存在。胃袋がうねり、頭がかっと熱くなった。
彼女は王神に向けて槍を掲げ、暗くなる空へと挑戦を叫んだ。違う、もうそのような称号で呼びはしない。「殺してやる!」 彼女は駆けた。
その叫びは近くの永遠衆の大集団の注意をひいた。彼らは駆け、滑り、飛んで彼女に立ち塞がった。
オケチラ様、お守りください。そして私に力を。実のところ、誰に祈るべきかカウィトは定かでなかった。だが求めるものはオケチラ神がもたらしてくれる、その確信が減じることはなかった。
そしてオケチラ神は応えた。輝き脈打つ盾が、オケチラ神の力と愛が実体をもってカウィトの周囲に形成された。永遠衆はその盾に激突して跳ね返され、カウィトは無傷のままドラゴンへと駆け続けた。
オケチラ様、どうか敵を射る力を私に。カウィトは槍を宙へと放ち、それは一人では決して成し得ない速度と狙いで飛んだ。槍はまるでオケチラ神の弓から放たれたように空を照らしながら、それに気づかないドラゴンの首をめがけて飛んだ。
《オケチラの報復者》 アート:Anthony Palumbo |
取り囲む永遠衆は力の盾に体当たりを続け、だが無益だった。オケチラの愛が彼女を守っていた。この日、彼女は正義が成されるのを見るだろう。
命中すると思われた瞬間、ドラゴンが飛来する槍へ顔を向けると、矢弾は瞬時に速度も威力も失って空中で停止した。槍は下の地面へと無益に落下し、粗い敷石に当たって二つに折れた。
ドラゴンは折れた槍を少しだけ認め、そして口を開いた。その声は嵐の中に轟いた。「小童よ、異なる世界であったなら、異なる時であったなら......」 ここでドラゴンは言葉を切り、彼女を一瞥した。「有用であったかもしれぬな」 その視線には憎悪も怒りもなく、だが無味乾燥な物思いだけがあった。彼女の存在など忘れ、ドラゴンは背を向けて歩き去った。
その無関心の一瞬は、怒りの雨霰にはできないことを成し遂げた。彼女は無関心の重みに崩れ、人生のほとんど全てを何の感情もなく破壊されたことに呆然とした。怒りから人生を引き裂かれた方がむしろ優しかったかもしれない、そう実感した。
盾が揺らぎはじめても、彼女はその場にほとんど無感情に膝をついたままでいた。盾が揺らぎ、そして消え去った。
永遠衆が迫り、そしてカウィトに叫ぶ以外の力は残されていなかった。
《無慈悲な永遠衆》 アート:Mathias Kollros |
アムナクテは足音を聞いた。柔らかな足音、金属が石に当たる固いものではない。そして言葉を発しても大丈夫と考えた。この数分間、彼は全く何も言えずにいた。
「助けて......」 血がその口から滴り落ち、そして言葉はもつれ、かろうじて聞き取れるに過ぎなかった。ただ死ぬ方が簡単だと考え、だが自分の下に隠れる子供を思い出した。これ以上の殺戮者を引き寄せないよう、今も黙り続けている勇敢で賢い子を。
口から血が流れ出ながらも、それは喉の渇きを実感させた。一杯の水がどれほど癒してくれるだろうか。大丈夫、水がちょっとあればいい。
「助けてくれ」 彼は繰り返した、明瞭に、聞こえるように。その言葉を発するにはその日の何よりも力を要した。とはいえこの一時間を一人で生き延びられるほどには彼は強かった。
誰かが振り返って驚きの声を上げた。彼は救助者を見たが、視界はぼやけていた。わかったのは、彼女は人間であり、街路を満たして目につく者全てを殺す永遠衆の軍ではないということだけだった。
「お願いだ」 彼は咳をし、吐き捨て、更なる血が湧き上がった。「頼む、この子を」
彼は逃げてきた。逃げるだけだった。蝗から、破壊されたヘクマから、神々の死から。重すぎた。自分達の世界は、自分達が世界だと思ってきたものは、今日のこの僅かな時間に引き裂かれた。
だから逃げた。そして「刻」の真の恐怖を、王神の帰還が真に意味するものを知った。永遠衆が溢れた。蝗のようにおびただしく、蠍の神のように残忍に、そして王神自身がそうなのであろう無慈悲さで。刃が振るわれ、呪文が閃き、人々は死んだ。
アムナクテは巨漢で、幅広で強い肩と戦士の胸板を持っていた。だが戦いは上手でなく、決して勇敢でもなかった。逃げれば永遠衆はお前を殺す、留まれば殺す。アムナクテは心を恐怖に占拠され、だがその時、街路の只中で泣き叫ぶその子供を見た。
自分の子ではない、それはわかっていた。数年前、一度だけ自分の子供に会ったことがあった。とはいえ通常であればそのような出会いは無視され、そして認められることはない。それでも彼はその子の幅広の肩と、自分とよく似た豊かな黒髪を見て、知った。この子は俺の子だ。そしてその日、彼の心に誇りがうねった。とはいえその誇りを誰とも共有できなかった。滅多に姿を見ないその子の母親とすらも。
街路で泣くその子は豊かな黒髪でもなく、幅広の頑丈な肩でもなかった。だが何かがアムナクテの心を引いた、自分の子に会ったあの日のように。永遠衆は街路の両側から掃討を始めており、彼らの刃が閃いて金属の足音が敷石へと過酷に響いた。
彼はその子へと跳び、抱き上げて逃げ出した。だが至る所にいる永遠衆から刃が振り下ろされ、その間アムナクテは降り注ぐ刃とその子供の間に入り、あらゆる攻撃から守ることしかできなかった。
私が君の盾だ。
突き刺され、切りつけられる全ての刃を感じた。だが私の肩は広いだろう? 私は強いだろう? 傷を受けるごとに、守る子供を彼は思った。自分を生き延びさせる唯一の希望を。
永遠にも思える一瞬の後、その猛攻撃は終わって過酷な足音はそこかしこへ散っていった。彼は永遠衆が戻ってくる恐れがあるためあえて動くことはせず、だが数瞬の後、動きたくとも動けないことを知った。子供はずっと黙っていた、身動きすらせずに。今も全く動きを感じなかった。とても勇敢だ。とても賢い。君を守ろう。
そして今、この女性に子供を引き渡せる。そして死ねる。
彼女は何も言わなかったが、ひざまずいて彼の手を握った。彼女の手はとても暖かく、柔らかかった。まるで水を飲んだように満たされた。彼はその顔を見上げて、視界はぼやけていたが、美しいとわかった。
「この子を......守ってくれるか?」 奇妙にもその言葉は先程よりも容易く発せられた、血と同じように容易く。女性は頷き、アムナクテは霞んだ目でも彼女が泣いているのを見ることができた。
私のために泣かないでくれ、ただこの子を連れて行ってくれ。そう伝えたかったが、彼の口は動かなかった。
彼女は近寄り、耳元へと優しく囁いた。「その子は......いえ」 そして、すすり泣いた。「守るわ......その子を」
その声は手と同じく、滑らかで温かく、まるで巣から滴った黄金の蜂蜜、その最初の一滴のようだった。視界が暗くなる中、彼はその表情だけを目に収めようとした。その美しい顔を、広大で暗く、果ての無い夜へと沈む太陽の最後の一片を。
HourofDevastation 破滅の刻
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