MAGIC STORY

ローウィンの昏明

EPISODE 08

サイドストーリー たから騒ぎ

Tobi Ogundiran
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2026年1月6日

 

 さああんたたち、寄っといで。グラブ婆がボガートの知恵を授けてやるよ。あたしの小屋の中をほっつき歩いて散らかすだけなんだから、だったらお話をひとつ聞かせてやろうじゃないか。ひとつだけ。終わったら帰るんだよ? さてと……今日のお話はね、冒険大好きなボガートどもが巨人の住処を漁りに行った話だ……ニトウィック、そこから降りな! 窓からぶら下がったら首が折れるよ! いい子だ。それと、そのウサギの足は見つけた場所に戻しな。あたしが見てないとでも思ったのかい?

  さて、どこまで話したっけね? ああそうだ。ある朝のこと。フリブ、ルーグ、イグリル、ナーンスの4人はぶらぶらしてた。あんたたち若いボガートがみんなそうするみたいにね。


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アート:Karl Kopinski

 コウモリみたいな形をしたでっかい丘に、4人のボガートが腰を下ろしてたよ。目の前には果てしない景色が広がってる。くらくらしそうなぐるぐる模様の草原と、その先で銀色にきらきら光る川と、石の道しるべがたくさん立ってるそのまた東に、巨人が組み立てた岩みたいなものが見えたのさ。その通り、それは巨人が組み立てた岩だ。ボールドウィアのボイーブの大岩――ずっと遠くからでも、でっかい石がアーチの形に組み立てられてるのがわかった。ずぅーんと不気味に立って、「よそ者は近づくな」って言ってるみたいにね。いい子はきちんとそう言われた通りにして、大岩には近づかない。けれどボガートがきちんとそう言われた通りにするわけがあるもんか。

 「やっぱりブレのすみかの方にしようよ。道は見つかるよ、だってさあ……」泣きそうになりながら言ったのはナーンスだ。

 けれどイグリルはそんなこと聞くわけがない。「黙りなよ、ナーンス。その道はもうぜんぶシャドウムーアに入っちゃってるの。アタシはそっちへ行くつもりはない。イーブンタイドに対抗するっていう『ふつぎょうのせいい』もないんだし」

 やり手のボガートなら誰だって、巨人のすみかにはお宝が隠されてるのを知ってるね。そして巨人のすみかを漁って、そんなお宝を手に入れたい。けど本当にやる奴はほとんどいない。巨人のお宝を手に入れようって言いだしたのはイグリルだった。そして豪腕族の巨人ブレのことをみんなに教えたのはナーンスだった。その巨人のすみかは祝福の国のずっと奥にあるんだと。「あの女巨人はおとなしくて、よく長いことすみかを留守にしてる」、ナーンスはその時そう言ったよ。

 けどいざ行ってみたら、シャドウムーアの境目が動いてたのさ。ボガートたちの行く手を邪魔するだけじゃなくて、見渡す限り広がってた。それを見て4人はどれほどがっかりしたことか。豪腕族のブレのすみかは、今やまっくらなシャドウムーアにすっかり沈んでしまってた。フリブとルーグとナーンスは情けない顔で立ってたけど、イグリルはいたずらっぽく笑った。

 「気をつけてよ、みんな。この近くにも巨人がいるんだから!」

 近くにいる巨人、それはボールドウィア族のボイーブだ。ここに来るまでイグリルはそれを秘密にしてたんだ。何故なら臆病者の3人は、それを聞いたら絶対に挑戦なんてしないだろうからね。

 小さい声でフリブが言ったよ。「ボイーブのやばい噂を聞いたことがあるよ」

 伝説によれば、ボイーブはすごく年をとった巨人で、よそ者が大嫌いですごく怒りっぽくて、ボガートを食らってその骨で笛を作ったらしい。もっと悪いことに、宝物を狙ってくる奴らのために罠を仕掛けていて、思いっきり痛めつけるんだと。

 イグリルは馬鹿にするみたいに言った。「ボイーブのやばい噂なんて誰でも聞いてるよ。ただの噂よ、本当のことじゃない」けれどもう3人は信じられなくてもじもじした。イグリルは続けた。「怖がらないの。ねえ、考えてみなさいよ! 私たちはボイーブのお宝を奪う最初のボガートになるんだから! ホープと同じくらい……ううん、ホープよりも有名になるんだから!」

 それは確かにすごいことだ。老いも若きも、生きてるボガートでホープを知らない奴はいない。その一番の手柄を知らない奴はいない。ホープが捕まえて(えらそうに)乗り回してるでっかいスズメバチだ。そう、ホープって名前を聞けばあいつはすごい奴だって誰もが思う。だから若きボガートたちも一瞬だけ考えた。この冒険が上手くいったなら、自分たちの名前はどんなふうに言われるようになるんだろう? そう考えたら、怖さよりもそっちの方が勝った。

 イグリルはルーグに命令した。「あんた先に行ってこのあたりを偵察してきて。何か見つけたら戻ってきて」

 けどフリブはそれが気に入らなかった。ルーグが出発しようとした時、フリブはルーグの前に立って邪魔をした。ルーグは悔しそうな、怒った目でイグリルを睨んだ。ちなみに左目の周りの毛が焦げてその下の灰色の肌が見えてるのは、実験に失敗したせいだ。「ちょっと待ってよ! 何でこいつが偵察に行くんだよ?」

 「オレの方が足が速いからだよ、バーカ」

 「俺の方が速いよ。言ってやれよ、俺の方が速いって」フリブはイグリルにそう言った。

 イグリルは溜息をついた。いつもこの喧嘩ばっかりでうんざり。今そんな喧嘩をしてる場合じゃないのにさ。

 「まあそうね。ふたりで行ってくれる? ふたりはひとりよりいいし、お互いに気を配れるし」

 もちろんルーグは文句を言おうとした。けどもうフリブは走り出してたから、ルーグも大声をあげて追いかけた。


 そうだね、ニトウィック。叫んだりしたら恐るべきボイーブに気づかれちゃうだろうね。偵察としてはダメもいいところさ。何だって? 恐るべきボイーブに食べられたら大変なことになるだろうって? ニトウィック、お前は本当に鋭いしよく思いつくねえ? 褒めてるわけじゃないよ、けどありがたく受け取りな。さ、婆の話の邪魔をしないでくれよ。それからどうなったかを話すからね!


 ルーグとフリブは戻ってきて、このへんに危険はないと言った。そしてボガートたちは巨人のすみかへそろりそろりと出発した。先頭はイグリルとフリブ、フリブは大鷲のマーリャを連れてた。これにたづなをつけて乗ってきたのさ。手に入れたお宝を運ぶために、そしてブレ……のはずだったけどボイーブからお宝を奪うときに手伝ってもらうために。ルーグとナーンスはマーリャの隣を歩いた。ふたりはあれやこれやと呪文をかけながら、何か危ないことがありそうならすぐに飛び出せるように気をつけてた。ところでボイーブのすみかに入り込んで盗むのは、殺してくれって言ってるようなもんだ。だから4人はボイーブをおびき出すことを選んだ。ボガートは死ぬのを恐れてるわけじゃないが、無駄に死ぬのはもったいないからね。作戦はこう――まずフリブがマーリャに乗って洞窟の周りを飛んで、大騒ぎして巨人をからかう。すると巨人はよくも馬鹿にしてくれたな、よそ者! と怒り狂って出てくる。そこでフリブは高く飛ぶ、できればボイーブに捕まる前に。ボイーブはフリブを追いかけるだろうから、その隙にイグリルとルーグとナーンスで巨人のすみかのお宝をできるだけ沢山かっさらう。すばらしい作戦だ。上手くいかないわけがあるかねえ?

 (そうだね、ニトウィック。けどこれは反語ってやつだよ)

 今やすっかりボイーブの縄張りの中だった。そしてここがボイーブの縄張りだと示すものがすぐ先にあった――とある木の枝に、ボガートの死体が7つも吊り下げられていたのさ。

 「あ……ああ……」フリブはがたがた震えてぐすぐす泣きはじめた。

 死体はどれも腐ってたけれど、腐り具合はそれぞれ違った。右のはじっこの奴なんかは黄色っぽい骨が肉から飛び出してた。顔も下の半分が腐ってなくなってて、歯を見せてにやあって笑ってるみたいだった。吊られ方はてんででたらめで、首を縛られて吊られてるのも、手や足を縛られて吊られてるのもいた。まるで他でもないボイーブが、用事に出かける前に慌てて吊るしたみたいに。死体は笑ってるみたいにも見えた。ものすごく不気味で、ボガートたちは一気に怖くなった。

 マーリャが死体を見て頭をぶんぶん、足をどたどた鳴らした。

 ナーンスがイグリルに言った。「戻った方がいいよ。なあ言っただろ、巨人の中でもボイーブは最悪だって」

 マーリャのたづなを引いて移動させながら、フリブも言ったよ。「そうだよ、戻ろう――」

 「シーッ!」イグリルは黙らせるために片手を挙げた。怖がる3人もイグリルを見た。

 「何? 何なの?」そう聞いたのはナーンスだ。

 「これ聞こえる?」

 イグリルに言われて、全員が静かにしてよく耳を澄ませた。低くて深いところで何かが鳴ってるみたいな音がする。まるでこのあたりで地震が起こってるみたいな。そして狭いすき間を風が吹く音がした。ゴロゴロ、シューッ。ゴロゴロ、シューッ。

 「あいつ、寝てる!」音の正体がわかった! イグリルは興奮した。

 けれど3人はすぐにはわからなかった。だからイグリルは説明したよ、巨人の眠り方はボガートとは違うってことを。「名の眠り」といって、突然何がが大きく変わった時にそれになるのさ。すごくショックな出来事とか、すごくいいことがあった時とかだ。イグリルとしてはすごくいいことであって欲しかった、お宝が沢山あるかもしれないからね。ともかく、やるなら今しかないとイグリルは思った。巨人を名の眠りから起こすのはすごく難しい、つまり滅多なことじゃ起きないってことだ!

 (おや、どうしてイグリルが名の眠りについてそんなに詳しいのかって? それはね、イグリルは婆たちの言うことをきちんと聞いて、その教えを守っていたからさ。ニトウィック、聞いてるかい? 婆たちの言うことを聞いてたからだよ)

 「本当に大丈夫なの」とルーグは聞いたけれど、イグリルはもう森を飛び出して巨人のすみかへ向かってた。そして大きな洞窟が見えてきた。草が沢山生えた丘のふもとにそれはあった。入り口の周りには赤や青や黄色の蔓が飾りみたいにぶら下がってる。太い煙突からは黒い煙がぷかぷか上がってて、空に浮かぶ石まで届いてたよ。洞窟の入り口はひとつだけで、扉がついてた。木でできてて大きくて丸くて、ちょっとだけ開いてるじゃないか。そしてそこからボイーブのいびきが聞こえてきた。扉までは草ぼうぼうの階段が5段あったけれど、それぞれが壁みたいに高かった。だからイグリルは飛びついてよじ登っていった。振り返ると、仲間たちも慌てて追いかけてきた。

 「さあ、行くわよ!」とイグリルは叫んだ。大きな声で叫んだ。そして用心するのも忘れて洞窟に入っていった。それは愚か者の行動だったかもしれないね。


 イグリルは走った。そしてボールドウィアのボイーブの前で滑って止まった。巨人は簡単な寝床に寝ていて、まるで小さな山みたいだった。フリブとルーグとナーンスも洞窟に入ってきて、イグリルの隣で巨人を見た。大きさはそれほどでもなかった。まあ確かに大きいし、このボガートたちが巨人を見るのはこれが初めてだった。それでもボイーブは怖くて憎たらしい怪物なんかじゃなくて、赤い顔をした優しそうなふとっちょだった。いびきをかいて口ひげが動くと、笑っているのが見えた。幸せそうな夢をみてるみたいに、嬉しそうに笑ってたのさ。

 恐るべきボイーブは、見た目はそんなに「恐るべき」じゃなかった。

 まず確認するのが大事だ。ボイーブは? ぐっすり眠って起きてきそうにない。それからすみかの中をじっくり見よう……ああ、なんてすごい所だろう! 石の床には色とりどりのエレメンタルの毛皮が敷かれてて、暖炉には楽しそうに炎が揺れてる。まるで泡にお日さまの光が当たって、虹色にきらきらしてるみたいに。奥の壁にはものすごく大きな竪琴が置いてあった。弦も縄くらい太くて、音を合わせるペグは骨でできてるのがわかった。

 「あれ、ボガートの骨なのかな」イグリルがそう言うと、全員がうわあとうめいたよ。

 扉の前には銅でできた大きなバケツが置かれてて、すり減った表面にボガートたちの姿が映った。慌ててるのか喜んでるのかわからないくらいだった。ついに、夢にまで見た巨人のお宝が目の前にあるんだからね。

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アート:Jorge Jacinto

 イグリルがすごいと思ったのは、壁に立てかけられたものすごく大きな盾だった。後ろに隠れて、お城を攻めるためのものだよ。その盾の材料はドランの樹皮だ。ドランと同じくらい力が強くなきゃ持つこともできないだろうね。けどさすがに大きすぎて持っていけない、だからイグリルは他のお宝を探そうと思った。払暁の聖遺(シャドウムーアにならないための宝物だよ)、巨人が作った青銅の兜、色々なものが入った瓶、そしてそこらじゅうに散らばった金の糸の大きな束! 布の上にはカタツムリのフンが沢山乾いてて、ナーンスは喜びのあまり変な声をあげたよ。知ってるだろうけど、あれは物忘れの呪文のいい材料になるからね。フリブは部屋の隅に走って、コガネムシの粉の山を見つけるとよだれを垂らしてぶつぶつ呟いた。そんなふうにして、ボガートたちは巨人の洞窟を好きなだけ漁っていった。

 4人はすぐ作業にとりかかった。それぞれ着てた小さな服から袋を作ると、マーリャの鞍に縛り付けた。

 (その通り、ニトウィック。全員服を全部脱いで、全部丸見えになった。けどここでは重要なことじゃないよ)

 そうして作った袋が満杯になるまで4人はお宝を詰め込んだ。ナーンスとルーグはマーリャに乗って、自分たちの巣穴の近くの待ち合わせ場所まで飛んだ。盗んだものの隠し場所がそこにあるのさ。何度も何度も行ったり来たりして、ボガートたちは巨人のお宝を運んでいった。

 その間に、ずる賢いイグリルは沢山の瓶のある卓によじ登った。お宝は全員で平等に分けることになってたけど、イグリルは最高の薬を自分のものにしたかったのさ。じゃあ、最高の薬はどうやって見分けるかわかるかい? それは色とかきらきら具合とか、そして臭さだ。もちろん臭ければ臭いほどいいよ。

 瓶はボガートの耳くらいの大きさだった。ボイーブにとってはものすごく小さいね。だからイグリルは持てるだけ持って、首にかけた袋に詰め込んだ。これを売ったらどのくらい大儲けになるかな……みたいなことを考えてたその時、すみっこの方で何かがきらりと光った。振り返ると、「千年霊薬」って書かれた瓶の中に金色の薬が入ってるのが見えた。何だろうねえ……千年も前にできた薬なのか、それとも飲んだら千年も生きられるのか。イグリルはわくわくしながらぶるぶる震える手を伸ばして――

 「うわあ!」叫ぶ声が小さく聞こえて、イグリルは心臓が口から飛び出しそうなくらいびっくりした。薬をこっそり手に入れようとしてる所をフリブに見られたのか、それともボイーブが起きてフリブを捕まえちゃったのか。けれど下を見るとボイーブはまだ眠ってた。山みたいにでっかいお腹が、呼吸に合わせて上がったり下がったりしてる。そしてフリブはどこにもいなかった。

 イグリルは小さな声で呼びかけたよ。「フリブ?」

 イグリルが立ってる場所からは、ボイーブのものすごくでっかい足の裏がはっきり見えた。けど顔はお腹の向こうにほんのちょっとしか見えない。でもイグリルはボイーブを見てたから、その胸の上に登ってきたものを見逃さなかった。

 それはフリブだった。

 イグリルは怒りたくなって言ったよ。「正気なの? 何してるの! 巨人から降りなさいよ!」

 けれどフリブはにやーっと笑ってあっかんべー! もちろんイグリルはむかっとした。あのバカ! アタシたちを死なせるつもりなの? けどその時、フリブはきらきら光る大きなウロコを頭の上に持ち上げたのさ。

 「見ろよ! これを見つけたんだぞ!」

 そのウロコは少し曲がった三角で、真ん中からぐるぐる模様が広がってる。間違いない、エターナリスクのウロコだ。

 イグリルは思わず悪口を言ったよ。「グレネルの尻尾野郎!」

 間違いなく、お金じゃ絶対買えないようなお宝だ。エターナリスクの数がすごく少ないからじゃない。確かに数は少ないし、高い山に棲んでるから狩りをするのも難しい。けど巨人なら簡単だ。そのウロコが貴重なのは、エターナリスクが死なない生き物だからだよ。エターナリスクの身体はどんな所でも、特にウロコは、癒しの呪文の最高の材料になるのさ。なくなった手や足をもう一回生やすことも、一番どうしようもない病気を治すこともできるってことさね! どんなこともできる……そう考えて、イグリルはよだれをだらだらしながらぼーっと立ってた。

 けれどイグリルが見るにひとつ問題があった。そのウロコはボイーブの首に、縄みたいな太いひもでぶら下がってたのさ。

 フリブはまるでイグリルの心を読んだみたいに、縄を切るための斧を取り出した。

 「きゃあ!」イグリルは悲鳴をあげたよ。「やめなさい……ちょっと待ってなさい!」そうだ。もし手が滑ったら、狙いが外れたら、ボイーブの肉にグサリ! だ。「一緒にやるのよ、気をつけないと!」そう言ってイグリルは卓から降りていこうとした。

 その時とてつもなく大きな、とてつもなく恐ろしい鳴き声が聞こえた。フリブとイグリルは揃って扉の方を見た。そこにいたのは……ものすごく大きな雲山羊だった。扉の外から入る光を背負って、その形だけが黒く見えてる。とにかく、ありえないくらい大きい。頭からはねじれた角が、背中からは翼が生えてる。ボイーブの乗り物に間違いない。巨人が乗れるくらい大きな生き物は雲山羊だけだからね。

 「あんなの、どこにいたんだよ!」フリブは悲鳴をあげたよ。

 ここで4人が知らなかったことを話そうかね。その雲山羊はしょっちゅう草を食べに出ていて、ボガートたちが巨人のすみかに入った時もそうだったのさ。急いで中に入るんじゃなくて気を付けてあたりを観察してたなら、空っぽの小屋があるのに気づいたかもしれないね。ボイーブはよく雲山羊の乳搾りをしてたけれど、名の眠りに突然入ってしまったから何か月もできなくなってた。だからもう乳が溜まりすぎておっぱいがパンパンに腫れて痛くて、かわいそうな雲山羊は起きてこない巨人を起こすために毎日やって来てるというわけさ。大きな翼を飛ぶ時みたいにばたばた動かして、すると風が起こって暖炉の火が大きく燃え上がった。雲山羊はボガートたちを見てたわけじゃない。ただ痛い痛いって鳴いて角をぶんぶん振り回して、ひづめをどたどたしながらボイーブに近づいて、つついて起こそうとしただけさ。でもフリブはそれを見て、雲山羊は自分を刺し殺しに来たんだと思った。怖くて手から力が抜けて、持っていた斧が落ちた……くるくるくるくる、回りながら落ちて……グサリ! イグリルが恐れていた通りに、斧はボイーブの肉に深く突き刺さった。

 針にみたいに突き刺さった。

 ああ、確かに巨人を名の眠りから起こすのはなかなか難しいね。それでも起こすことはできる。雲山羊のひどい鳴き声と、うるさい足踏みと、そしてフリブの尖った斧がちくりと刺さった痛み。その3つでボイーブは驚いて目が覚めた。びくっとして巨人は自分の胸をばちん! と叩いた。哀れなフリブは潰されてしまった。

 イグリルは縄を使って卓から降りようとしていたけれど、それを見て慌てふためいた。そこで、手を放して近くにあった銅のバケツへ頭から飛び込んだ。落ちながら悲鳴をあげたけれど、雲山羊の鳴き声がうるさかったからボイーブに聞かれることはなかった。運よくバケツの底には古い山羊乳が少しだけ溜まってて、イグリルはそこに落ちた。そうじゃなかったら、フリブみたいに血まみれになって死んでただろうね。ああ、哀れなフリブは死んでしまったよ。愚かなフリブは死んでしまったよ。けれどフリブのことを考える余裕なんてなかった。イグリルも悪い夢みたいな状況から逃げ出せそうになかったからね。どうすれば巨人から逃げられるだろう? イグリルは必死になって、バケツから出るための方法を考えた。けれどバケツの壁は高すぎて傾きも急で、よじ登って脱出することはできそうになかった。閉じ込められてしまったのさ。

 ナーンスとルーグが鷲のマーリャに乗って戻ってきたのはその時だった。ふたりはびっくりしたとも! ボイーブが目を覚ましてて、寝床の中で起き上がってるんだからね。ルーグはたづなを思いっきり引いて、すんでのところでマーリャを止めた(そしてマーリャの首を絞めそうになったよ)。ボイーブはゆっくりと見たよ――びっくりしてるボガートたち、胸の真ん中に赤く潰れたフリブ、そして持ち物がいくつかなくなった部屋。すると、眠っている時は優しそうでかわいい顔に見えたふとっちょの赤い顔が……怒った。ものすごく怖い顔に変わった。

 「泥棒! 汚いボガートの泥棒!」巨人は叫んでばっと立ち上がった。

 怖くてびっくりして、ルーグはお漏らしをしてしまった。熱い小便がマーリャの羽にかかった。後にマーリャは仕返しにルーグをしこたまつつくのだけどさ。ルーグはたづなをぶんぶん振り回してわめいたよ。「飛べ!飛べー!」

 言われるまでもない。マーリャは怖がる悲鳴をあげて空へ飛んだ。ボイーブがマーリャを空中で掴もうとしたけれど、ぎりぎりのところでよけた。

 (そいつらは臆病者だって? 大暴れする巨人、特に名の眠りから乱暴に起こされた巨人が相手なら、逃げるよりもいいことはないだろうね)

 ボイーブは追いかけようとしたけれど、マーリャは高く高く飛んで逃げた。雲山羊に乗って追いかけることもできたかもしれないけど、飛べる状態じゃなさそうだった。怒り狂ったままボイーブは洞窟へ引き返して、寝床に座った。

 「出てきた方がいいぞ」少ししてボイーブが言った。もともと低い声が銅のバケツの中でこだまして、イグリルの胸がぶるぶる震えたよ。「ボガートいつも群れで狩る。ボイーブわかる、お前たちまだここにいる。お前の臭いにおい、ボイーブわかる……」

 イグリルは思ったよ。失礼な奴!

 「……だから今すぐ出てこい、でなきゃボイーブお前さがす」

 その通りにしようかとイグリルは真剣に考えた、けど思いとどまった。もし自分から出ていったらどうなるだろう? もう入ってくるなとだけ言われて追い出される? それとも、悪いボガートめってかんかんに怒られる? いやいや。あのボガートたちみたいに、洞窟の外に首か足を縛られて吊るされるだろうね。でもイグリルは決心した――もし死ぬとしても、巨人を困らせてやろう。そこでイグリルはバケツの壁に身体を押し付けてじっと静かにした。

 「出てこないのか? いいだろう、ボイーブ待つ。ボイーブの得意なこと、それは待つこと。ボイーブ……すごく我慢強い」

 ボイーブはああだ、ボイーブはこうだ。自分の名前にこんなに夢中になる奴がいるなんてねえ!

 「ボイーブお前見つけたら、お前ボイーブのものどこに隠したか言う。そしたらボイーブ、お前の腕もいでその中身吸い取ってやる。お前の目玉もくり抜いて、中のどろどろしたのも吸い取ってやる。それからみんなに見えるように、お前を木につるす。お前の友達も見つけてつるす」

 あの死体、木から吊られたボガートたちの死体を、怖いくらいはっきりとイグリルは思い出した。ぶるぶるぶる。

 (叩き潰されるよりバラバラにされて死ぬ方がいいかって? あたしにはわからないよ。何せバラバラにされたことも叩き潰されたこともないからねえ)

 フリブは一瞬で死んでしまった。けれどすねた子供が虫の脚を一本ずつむしるみたいに死ぬよりはずっとまし、そうイグリルは思った。それとルーグとナーンス、運のいい裏切り者たちのことを考えた。自分たちだけ逃げていった、でもイグリルにそいつらを責めるつもりはなかった。もし立場が逆だったら、同じように逃げて絶対に振り返らなかっただろうからね。

 ボイーブはまだ話してたよ。「馬鹿だよ、すごく馬鹿だよ、盗もうとするなんて。本当に馬鹿で失礼だよ。ボールドウィアのボイーブから盗む奴なんていない。特に、汚いボガートは絶対に盗まない」

 もしそこでボイーブを見たなら、暖炉の明かりがその顔をちらちら照らす様子を見たなら、ボイーブは怒ってるんじゃなくて悲しんでるとわかっただろうね。長い眉毛も大きな口もしょんぼりしてた。マーリャを追いかけた時の興奮が冷めて、名の眠りについたそもそもの理由をボイーブは思い出したのさ。ボイーブの父親が死んで、それが悲しくて悲しくて名の眠りについたんだよ。首から下げてたエターナリスクのウロコもね、遠い昔にボイーブがまだ小さい頃、父親が狩りをしてくれたものだ。そしてボイーブが眠りながら笑っていたのは、本物みたいに生きてる父親の優しい夢をみてたから。その時だけは悲しみも苦しみも忘れられたからなのさ。

 痛い痛い、雲山羊が鳴きながらボイーブをつついた。

 巨人は思い出にふけるのをやめて低い声で答えたよ。「わかった、わかった。ボイーブ搾ってあげる。ボイーブ、のどからからだ」

 中から出られないまま、イグリルはそのバケツがずりずりと引きずられるのを感じた。顔を上げると、すごく恐ろしいものが見えた――はちきれそうに大きな雲山羊のおっぱいが、ぶるんぶるん揺れてるじゃないか。桃みたいな色にふくらんで血管が見えるんだよ。そしてすぐにボイーブの手がそれをぎゅーっと搾った。すごい勢いで山羊乳がバケツに流れこんで、イグリルは転びそうになった。洪水みたいだった。天から滝みたいに落ちてきて何もかもを押し流しそうな。白くて濃い山羊乳がばしゃばしゃ波打ってイグリルはもがいた。げほげほ、やっと水面に上がってもまた次の波に飲み込まれる。それがまた続いて、溺れるかと思ったまさにその時、ボイーブが雲山羊の乳搾りを終えた。

 イグリルはあおむけに浮かんでやっと息をした。生きてるって素晴らしい! 雲山羊がお礼を言うみたいに鳴いて、ボイーブがぶつぶつ言う声が小さく聞こえた。そしてひづめの音、扉のギーって音、翼がばたばた羽ばたく音が続いた。やっと乳搾りをしてもらった雲山羊は飛び立っていった。

 ところで、雲山羊の乳搾りでひとつだけいいことがあったよ。さっきまではバケツの底から出る方法はなかったけれど、身体が乳に浮かんでバケツのふちまで手が届きそうだった。逃げられるかもしれない。やっとこのとんでもない場所から逃げられるかもしれない! 希望ができたイグリルはバケツのふちをめざして泳いだ。

 けれど頭の上にボイーブの手がぬっと伸びて、イグリルは山羊乳の中に潜って隠れた。それからバケツが持ち上げられて、ばしゃばしゃ揺れる山羊乳の中でイグリルは振り回された。強い川の流れに揉まれる丸太みたいにね。そして……火が燃えるぱちぱちいう音がした。ボイーブがバケツを炉の上に置いたのさ。

 「えっ、やめてよ。やめてやめてやめて」

 すぐにバケツは温まってきた。山羊乳も温まってきた。ふんふん、ボイーブはごきげんな鼻歌をうたいながら、山羊乳が熱くなるのを待った。

 山羊乳が沸騰したら水よりも熱くなるんだよ。そんなものが入ったバケツの中にいたら身体の中まで煮えて、骨から肉がはがれて落ちるだろうね。そうなることはイグリルにもわかってた。だからばしゃばしゃ水面を叩いて、叫びながら暴れた。

 「ここよ! ここにいるの。お願い、助けて!」ついにイグリルは巨人に聞こえるように叫んだ。

 イグリルの肌はもうやけどでひりひりして、毛皮もはがれて落ちてた。必死になってイグリルは袋を開けて、盗んだ沢山の瓶をぶちまけた。飲めばどれかが効くかもしれないからね。自分が煮えないようにしてくれるとか、やけどを治してくれるとか。瓶はコルクみたいに山羊乳の上に浮いていたから、イグリルはやけどした手で一番近くのを掴んだ。中はどろっとした緑色の薬が入ってる。おや? ってボイーブがバケツの中を覗き込んだその時、イグリルは薬を一気飲みした。

 やけどが痛くて苦しむイグリルを見て、ボイーブは嬉しそうに笑ったよ。「あ、いた。いいね、ボイーブ思ってたよりずっといい! ボイーブ、ボガート煮たことない――」

 そこでボイーブは言葉を切った。ん? 何かがおかしいぞ。

 イグリルはもう痛くて暴れてるんじゃなかった。木みたいにぐんぐん伸びながら、空気をいっぱいに入れられたみたいにすごい速さで膨らんでいった。周りのぜんぶが縮んでくみたいに見えた。あれほど大きいと思ってたバケツも、薄っぺらなブリキの缶みたいに踏み潰した。よじ登った卓は腰くらいの高さになって、ボイーブの寝床は今やイグリルにぴったりの大きさだった! 上を向こうとしたら、煙突の入り口に頭をぶつけた。石が沢山落ちてきて暖炉の火が消えた。うう、イグリルはうめきながらその中から出てきて立ち上がった。そして気が付いたのさ、手も足も重くて動きもゆっくりだって。

 なんとイグリルは……巨人になってたのさ!

 「わああああああ」その声もボイーブみたいに低くてゆっくりだった。

 そうだ、ボイーブはどこにいる? バケツを壊してイグリルが爆発みたいに出てきた時、巨人はそれにぶつかって壁まで飛ばされてたのさ。壁は壊れて、ボイーブはその下敷きになった。でも死んだわけじゃない。壁のがれきの下でその身体が動いた。イグリルが見ると巨人はさっきより大きくなくて、怖くもなさそうだった。巨人はイグリルを見て、それからまわりを見た。

 ボイーブは叫んだよ。「おうちが! お前、何してくれた!」

 イグリルは何か言おうとしたけれど、ボイーブが飛びかかってきた。イグリルは大きくなったばかりでまだ動くのが難しくて、よけられなかった。喧嘩が始まった。掴んで、ひっかいて、殴る! ふたりはそのまま扉から出て、丘をごろごろ転がり落ちた。痛い痛い、熱い山羊乳でやけどをしてたイグリルの肌は、草がこすれるたびにひりひり痛んだ。イグリルは身体をひねってボイーブから離れようとしたけど、足首をがっちり掴まれた。バターン! そのまま転んで地面に顎をぶつけた。いったーーーい、目がチカチカする!

 「待って! ちょっと待って――」

 けれどボイーブはもうそんなの聞いてなかった。怒り狂ってた。ただ静かに暮らして、父親の安らかな眠りを祈っていたかっただけなのに。大切なすみかがめちゃくちゃに壊された……許せない! ボイーブは大きく吠えると、空に浮かんだ石を掴んでイグリルに次々と投げつけた。ひゅん! すごい速さで飛んでくる石を、イグリルはしゃがんでよけた。けれどひとつが当たってイグリルは飛ばされた。草の上に落ちて、緑の丘を転がって、そして止まった所はボガートたちが吊るされたあの木だった、

 すぐにボイーブがまたやってきた。巨人はイグリルの首を掴んで絞めようとした。イグリルはボイーブの腕を叩いて抵抗したけど、岩を叩いているみたいでぜんぜん効いてない。さらに悪いことに、薬の効き目が尽きてイグリルの身体は元の大きさに縮みはじめた。

 「ぐっふぐっ」イグリルはそんな言葉にならない声を出した。

 その時だった。鳥の鳴き声が聞こえたかと思うと、鷲のマーリャがすごい勢いでボイーブに向かってきた。巨人が振り返った瞬間、マーリャは相手の顔に爪を立てた。ぐさっ! 爪は深く刺さって、血がぶわっと流れ出た。痛い! 怒ったぞ! ボイーブは大声をあげた。

 空中のマーリャを捕まえるために、ボイーブはイグリルから手を放した。ああ、息ができる! イグリルが見ると、ルーグとナーンスがマーリャに乗ってるじゃないか。戻ってきてくれた! あいつら、アタシを助けに戻ってきてくれた! イグリルはすぐに立ち上がってボイーブを後ろから掴んで、動けないように両腕を押さえつけた。けれどボイーブの力は強かった。とんでもなく強かった。それでもイグリルは死に物狂いで押さえつけた。怒り狂って泡をぶくぶく吹くボイーブにマーリャが襲いかかって、その爪が巨人の両目をえぐり出した。

 ボイーブの悲鳴はものすごかった。見えない! 痛い! 木や石にぶつかりながら足を踏み鳴らしたけれど、そのうちつまずいて膝をついた。巨人は怒って、悔しくて、泣き叫んだ。

 「汚いボガート! 汚い泥棒ボガート! ボイーブお前見つける! ボイーブお前見つけてやり返す!」

 その辛くて悲しい泣き声は遠くまで、すごく遠くまで響き渡ったとさ。


 若きボガートたちはどうなったのかって? ああ、ニトウィックや。お宝を集めて帰ってきて、巣穴の仲間たちと分かち合った。それとフリブのことを祝った……確かに愚かに死んだけど、何かのための死だったからね。それからその冒険をじっくりと思い出して、ボールドウィアのボイーブから、恐るべきボイーブからどうやってお宝を奪ったかの話をした。というわけで、この物語にはいい教訓がひとつあるね。わかるかい? いや、違うよ、それは教訓じゃない。はあ、あたしは午後をまるまる無駄にしたってのかい? 笑うんじゃないよニトウィック。あたしはあんたが心配なんだからね。

 さ、行った行った。全員出ていきな! グラブ婆にはやることがあるんだからね。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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