- HOME
- >
- READING
- >
- Magic Story -未踏世界の物語-
- >
- ローウィンの昏明
- >
- 第6話 嫌な幻想をたっぷり
MAGIC STORY
ローウィンの昏明

第6話 嫌な幻想をたっぷり
2025年12月15日
それは夜明けのように必然だった。イシルーと、マラレンが兄だと主張するあの妖精が近づいてきた。エルフたちもその前進に歩調を合わせ、一列になって地平線上を行進してきた。それはさながら黙示録の前兆のようだった。夜が触れたキスキンたちは武器を構えたまま隊列を組み、矢とナイフを隙間なく構えた密集軍の壁を作り上げた。
![]() |
| アート:Ron Spencer |
「キスキンたちのあの様子、わかる?」アシュリングは低い声でタムに語りかけた。「夜の風下側では、普通じゃない事態への恐怖が彼らにとって有益に働くのよ。外の世界をひとつの敵として捉えるから、ひとつになって行動するの。キスキンは共同体意識が強いけれど、昼間の側はここまでじゃない」
タムは息を呑み、近づきつつある松明の列に視線を投げかけた。「昼と夜について講釈している余裕はないのでは? 今でなくていいでしょう」
「世界が明確な例を見せてくれたのだから、今がその時よ。夜が訪れると、キスキンは団結する。日が昇ると、エルフは陽光の中でよく見えるものだけを信じる。変化は私たちが持つ別の側面を明らかにするけれど、それは単に異なるだけ。どちらかが偉大だとか劣っているといか、そういうわけではないのよ」
イシルーが近づいてきた。翼から長く伸びた先端が地面に引きずられ、土に一本の溝を刻む。するとその土はたちまち、輝く月下美人や星を抱くヤグルマギクで埋め尽くされた。目もくらむような虹のあらゆる色が踊る。あの妖精は獣の頭部を旋回するのを止め、ひらひらと舞い降りてマラレンへと向かってきた。彼女はかすれて詰まった声で笑い、妖精の小さな姿へと両手を差し出した。迫り来る危険でさえ、この瞬間の喜びを曇らせることはなかった。
「兄さん! おかえりなさい!」
だが妖精は顔をしかめ、イシルーのもとへ戻っていった。片手で巨大な獣の首に触れてそこに留まり、夜のエレメンタルに寄り添ってマラレンたちへと近づく。アシュリングは生徒ふたりの前に踏み出し、青い炎を空へ燃え上がらせ、厳粛な面持ちでイシルーを見上げた。
イシルーは燃え盛る凍炎族へと頭を低く下げた。鼻孔はないように見えたが、匂いを嗅ぐ音は少し離れていても聞こえた。アシュリングの炎は揺らめき、獣が吐き出す息は冬の初霜、温めたリンゴ酒、そして落ちたばかりの枯葉の香りを思わせた。どういうわけか、それら異なる香りは調和して存在していた。香りもまたこのエレメンタルの一部であり、それを見上げる者たちの感覚を通して濾過されているのだ。
イシルーが頭をもたげ、前進してくるエルフの軍団を振り返った。アシュリングの輝きはさらに増した。続いてイシルーはキスキンやマラレンたちの周りを、円を描くように歩いた。尾が地面に刻んだ花々の畝から霧が立ち上り、宙で渦を巻く。そしてエルフへと注意を向け、イシルーはうなり声を上げた。サナールは悲鳴とともにタムの背後に隠れた。
「私たちを守ってくれてる」タムは畏敬と困惑の表情を浮かべた。「攻撃が当たらないように。でもどうして、別の次元から来た私たちのことを気にかけてくれるの?」
「夜は不完全なのよ」アシュリングはキスキンのひとりが落とした槍を拾い上げた。「昼もね。どちらも、通常の境界を超えた物事に気を配ることもある」
タムは落ち着かない様子でマラレンの近くに移動した。サナールも無防備にされるのを嫌い、その後についた。
だがそのマラレンは、自分たちが直面している危険をほとんど忘れてしまっているようだった。彼女の両目は、金色の斑点を散りばめた小さな緑の妖精から離せずにいた。「兄さん! 降りてきて! 戻ってきて!」
サナールは顔に疑問を浮かべた。「あれが女王様の兄ちゃんなの? オレの手くらいしかないのに」
「兄はウーナ自身と同じ、多相として創造されました。私たちと一緒にいたあの青い妖精はローウィンの姿をとった兄だったのです。私にもわかりませんでした。今私たちはシャドウムーアの中に立っており、兄がまとうものの下にある真実が私には見えます。私は兄がわかります。兄も私のことがわかるはずなのです。ただ、なぜ兄がこんなにも距離をとっているのかがわかりません」
「今はそんな場合じゃないとか?」サナールは声を緊張させた。「あいつらが来るし」
エルフの長い列が更に近づいてきた。目に見えて武器を持っているのはその半数ほどで、もう半数は松明を掲げていた。その先端には茨と流木でできた聖遺が取り付けられ、奇妙なほどに眩しい光を放っていた。まるで陽光が中に閉じ込められているかのようだった。だがよく見ると、その炎の中で身をよじり、光輪に手を押し付けて逃げようともがく人影がわかった。アシュリングは小声で罵りの言葉を吐いた。
「陽光のエレメンタルだわ。鎖に繋がれて囚われて、夜へ連れて来られたのよ。自由であるべき存在なのに。闇に対抗する道具なんかじゃないのに。こんなのは……下劣よ。よくもそんなことを」
「ローウィンのエルフが、他者を思いやって行動するわけがあると思う?」マラレンが尋ねた。「ウーナが私を妖精の一員に選んだのは、ひとつの理由からよ。朝の歌のマラレンはいかにもなエルフで、利己的で目先のことしか考えなかったから。創造主にとってはさぞかし完璧な仮面だったでしょうね」
「ウーナはご愁傷様。あなたが自分自身でいることを学んだんだもの」
「ええ。そして最高のお手本を見せてくれた相手が帰ってきたのよ。早く降りて来てくれればいいのに」マラレンは毒々しい視線を投げかけた。あの妖精は翼を激しく羽ばたかせながら、今もイシルーを旋回している。「もしかしたら私がわからないのかも。前に会った時は、私はもっと小さかったはずだから」
「ゴブリンの赤ちゃんもそういうことあるよ」とサナール。「さすがにエルフになったりはしないけど、だんだんおっきくなってくからさ」
エルフたちが迫り、アシュリングの炎は高く跳ねて輝きを増した。
「議論は後にしない? 刺されないように気をつけてね」
タムは弱気な声をこぼした。
エルフたちは槍や剣を構えながら、息を止めるかのようにしばし後ずさった。そして銀の鐘が打ち鳴らされ、彼らは突撃してきた。
エルフたちは個々に襲いかかり、キスキンたちは一体となって動いた。弓兵たちが弦を引き、矢を放った。狙うのは陽光が囚われた聖遺の松明を運ぶエルフたち、その腕や肩。すべてではなくとも十分な本数の矢が命中した。標的はひるみ、後ずさり、手に持つものを落とした。聖遺の松明は草に落ちても燃え広がりはしなかったが、中に囚われていた炎たちは束縛を破り、笑い声とともに宙へと飛び出した。彼らはイシルーへと恭しく頭を下げ、昼と夜の境目へ駆けると陽光の地へ帰っていった。
![]() |
| アート:Jabari Weathers |
聖遺を失ったエルフたちは唖然とし、その姿が変化していった。肉と骨が滑らかに溶け、シャドウムーアの姿をとる。背筋は伸び、角も長く伸びて小さな棘に覆われた。彼らは周囲の戦いを恐怖とともに見つめた。逃げようと踵を返した者もいたが、これまでの仲間が襲いかかってくるのを目の当たりにするだけだった。
シャドウムーアのエルフたちは身を守るために武器をとった。そして前進する軍勢を分断し足止めをしたが、ローウィンの同胞たちはなおも進軍を続けた。鎧でキスキンの矢を弾き、剣を手に彼らは近づいてきた。イシルーはマラレンと生徒たちから大きくは離れず、夜空に警告の吠え声を響かせていた。辺りの空気が冷え、苦く容赦ないものへと変化した。
マラレンの兄だという妖精が不意に舞い降りてきて、彼女の髪を強く引っ張った。マラレンは小さく悲鳴をあげて振り払おうとしたが、その動きによって見えたものがあった。平原をぐるりと迂回していたエルフの小集団が背後に接近していた。マラレンは警告の叫びをあげ、すると妖精は手を放して再び飛び去った。
エルフたちは6人おり、全員が完全武装だった。うち3人が聖遺の松明を手にしており、中に囚われた陽光のエレメンタルが造りものの昼間を提供していた。松明のせいで弓を弾くことはできないものの、この近距離であれば剣が同等の威力を発揮するだろう。そしてもう3人は武器だけを手にしていた。
エルフのひとりが矢をつがえ、弓弦を引いた。だが手を放すよりも早く、拳ほどの石がその額を直撃した。矢は無益に空へと放たれ、誰にも当たることはなかった。他のエルフたちも、石はどこから来たのかと振り返った。そして見つけたのはサナールだった。彼はマラレンとタムの前に立ち、両手を握りしめ、肩を怒らせ、息を荒くしながらエルフたちを睨みつけていた。
「引っ込んでろよ! 何が起こってんのか、何で起こってんのかオレは何もわかんないし、あんたらは善玉なのかもしんないけど、オレや友達に矢を向けてるよな? だから誰が善玉なのかなんてどうでもいい。だってオレたちは悪玉じゃないんだから。放っといてくれよ! オレたちは無関係なんだ、ただ帰りたいだけなんだよ」
彼はまた別の石を拾い上げ、先程の弓兵の隣に立つエルフへと投げた。狙いは驚くほど正確だった。石はエルフの手首に命中し、その手が痙攣して聖遺の松明を地面に落とした。
弓兵は即座に反応し、次の矢をつがえながら仲間の背後へと駆けた。松明を落としたばかりのエルフはそれを見つめていたが、暗闇に包まれると驚きの声とともに身を屈めた。角と衣服が変化し、皮膚は月のように冷たい蒼白に染まる――シャドウムーアに支配されたのだ。
明らかに困惑しながら、そのエルフは背筋を伸ばした。そして必死に辺りを見回すも、この場を切り抜けるための明確な手段は見つからない。そのため、剣を抜いて防御態勢を取った。キスキンたちに背中を見せることになったが、明らかに脅威としては小さいとみなしたのだろう。ブリジッドはその離反を合図と受け取ったようだった。彼女は咆哮し、残りのエルフたちへと突撃した。他のキスキンたちもすぐ後についた。サナールは投石を続け、アシュリングは両手から煙を上げながら青く冷たい火球を放っていた。タムは身を翻し、黄色の目を輝かせてひとりの弓兵を気絶させた。
マラレンはこの混乱から後退し、避難場所を求めるようにイシルーの脚へと背中を押し付けた。武器は何も持っていない。身を守るには頭を低くして突撃し、相手に突き刺される前に自身の角で突き刺す他はない。あの妖精は手の届かない上空で翼を激しく羽ばたかせ、旋回を続けていた。
剣戟の音、戦士たちが苦痛に呻く声が辺りを圧倒していた。アシュリングは何かを叫んでいたが、意味のある言葉は戦闘の中で失われていた。キスキンの半数は今なお前進してくる部隊を狙っており、もう半数はマラレンの仲間たちとともに迂回部隊を相手どっていた。後者の方が規模こそ小さいものの距離は近く、差し迫っていた。
タムが悲鳴をあげ、そして沈黙した。サナールは更にふたつの石を全力で投げ、肩越しに振り返った。タムは地面に横たわり、動かなくなっていた。その腹部から一本の矢が突き出ており、触手の髪もまた力なく動きを止めていた。サナールは泣き叫びながらタムへと駆けたが、斃れたエルフにつまずいた。彼はそのエルフの剣を掴み、激しく振り回しながらタムのもとへと急いだ。
すべてが混乱の渦中にあった。騒々しく目まぐるしく、血なまぐさかった。空気さえも赤く、鉄が混じったひどい匂いがした。サナールは駆け、イシルーの股間をくぐってマラレンを目指した。そして不意に現れた人影に衝突しそうになり、更にはその光景を見て彼は恐怖に凍りついた。
足音は戦闘にかき消されており、マラレンが彼の接近に気づくはずもなかった。あの妖精は頭上で旋回するのを止めて見つめた。ライズが彼女へと近づきつつあった。エルフの狩人は物騒に湾曲した短剣を片手に持っていた。銀色の刀身には毒が塗り付けられ、病的な緑色にぎらついていた。
「ウーナ」相手が逃げられないほど近づくと、彼は声をあげた。「お前の後継者との約束を果たす。僕の友との約束を果たす。終わりの時だ。僕からマラレンへの想いよりも、正しき周期の方が重要なのだから」
彼女は振り返り、恐怖に両目を見開いた――だが逃げようとはしなかった。そしてライズが近づいてきても、手を挙げて彼を止めようとはしなかった。
攻撃が届くほど彼が近づいた時、ようやくマラレンは囁きかけた。「ライズ、お願い。あなたが思っているようなものではないの」
「お前よりも世界の方が重要だ、ウーナ」ライズは答え、短剣を振り下ろした。
深くは切らなかった。腕を浅く傷つけただけ、だがそれで充分だった。マラレンは息をついた。それは世界の風が尽きるような音だった。傷口から血ではなく花弁が流れ落ちるにつれ、その身体から力が抜けていった。やがて膝が屈し、彼女は血まみれの地面に倒れ込んだ。ライズは後ずさり、驚いたような様子で目の前の光景を見つめた。まるで両目からヴェールが外され、初めてしっかりと見たかのように。
「抵抗しなかった……」彼は囁き声で言った。「抵抗しなかったし、僕を支配しようともしなかった。数えきれない程の富を約束もしなかった。お前は……君は……」
「ウーナは死んだ。マラレンはウーナではない。私の妹だ」上空を浮遊していた妖精が敵意の声とともに急降下し、ライズと横たわるマラレンの間に着地した。降下とともにその妖精の姿が変化した――身長は伸び、ローウィンとシャドウムーアのエルフよりも、今も火をちらつかせるアシュリングよりも高くなった。着地と同時に翼は消え、その男はライズを睨みつけると怒りを波のように放った。
幅広の肩と鋭い顔立ちがなくても、その長身は威厳をまとっていただろう。尖った耳から一見エルフのようでもあったが、頭頂部の角は実際には角ではなく、ねじれた枝角でできた冠のようなものだった。だがおそらく最も印象的なのは、その上腕と顔の上半分が、凍りついた冬の湖のような青色をしていることだろう。
![]() |
| アート:Kai Carpenter |
服は大部分がぼろぼろで、胸と両腕は露わになっていた。だがそれでも毛皮とベルベットの残骸が両脚と背中を覆っていた。その姿は、先程まで妖精だった異邦の者というよりは亡命の王子のようだった。動かないマラレンを彼は見下ろした。しばしの後、苦しそうながらも彼女がまだ息をしていると確認すると、怯えたライズへと近づいた。
「私が何者かわかるか?」そう問い質す声は非難そのものだった。
「マラレンに兄はいない」ライズは落ち着いて答え、防御の体勢をとった。戦い、そして死ぬ覚悟があるのは明らかだった。
「いるんだよ。そいつがそうだ。オレはわかるよ」
ふたりは振り返った。サナールがタムの隣に屈み込み、片腕をめくり上げていた。彼は繋ぎの服の袖を引きちぎり、刺さった矢をあまり動かさないよう気を付けながらタムの傷口に押し込んだ。そしてそれを取り除きはしなかった。こうすれば栓のように血止めをすることができる。周囲では今なおキスキンとエルフたちが戦っていたが、友を救おうと奮闘するサナールは意に介してなどいないようだった。目の前に積み上げられた石の小さな山だけが、彼が抱える不安を物語っていた。
「何故わかる?」その男が尋ねた。
サナールは答えた。「あんたの名前は知らないけど、誰なのかはわかるよ。だってそうじゃなきゃこの状況の意味がわからないから。マラレンの兄ちゃんなんだろ? この人がマラレンになる前にいなくなったっていう。悪い女王様が作って捨てたっていう兄ちゃん。話はもういいだろ、何かしようよ? タムがひどい怪我なんだよ。ここはウィザーブルームじゃない。どうすればタムの傷を治せるのかわかんないよ……」
男は薄くも恐ろしい笑みを浮かべ、ライズへと視線を戻した。「そうだ。私は惨めな夜の放浪人だ。ウーナはシャドウムーアの統治者とすべく私を創造した。だが私にも妹にも、自主自立を与えるつもりなど最初からなかった。それを理解した私はこの地を離れ、家族という考えを捨てた」彼は「家族」の言葉を、むかつく味がするかのように言った。「あの頃、妹はいなかった。そして戻って来るつもりもなかった。だから、とある旅人に出会って故郷の現状を……ウーナの敗北とシャドウムーアの復活を聞かされた時、私がどれほど幻滅したかを想像するといい。そして帰り着き、母と別れたまさしくその場所で母の姿を見た……少なくとも、そう思った。お前たちがマラレンと呼ぶ女性はウーナによく似ていた。私も、エルフの姿をとって生まれ変わったウーナだと信じたほどだ」
「なあ、タムが……」サナールが切り出した。
「静かにしたまえ、学徒よ」ライズに視線を定めたまま、帰還した王子は言い放った。「私は、妹の存在を知らなかった。だが彼女の仮面の下を見抜き、ウーナの帰還ではないと知った。お前は、友だと主張しておきながら、その半分も見えていなかった。お前たちローウィンの生き物は、光に目が眩みやすい」
「タムが死にかけてるんだよ!」
「私の妹は……私の家族は……それよりも先に死ぬ」この時の「家族」の言葉は優しく、そしてどこか困惑して響いた。「妹に語りかけ、安らかな死を与えてやれたなら、私にとってはせめてもの慰めとなる。君の友は毒を受けているが、オーロラが彼女に到来するまでにはまだ何時間もある。この男は」彼はライズを鋭く指さした。「話を聞かねばならない。その義務がある。私とお前と、両方に対しての義務がある」
「じゃあマラレンを助けろよ!」
「それは不可能だ」王子は弱弱しく言った。「この男のナイフにはツキノテブクロの毒が塗られていた。ローウィンの昼における最強の毒だ。この男が妹の運命を決定づけたのだ」
「マラレンは、変わってしまったのかと……。約束したんだよ、母親の生まれ変わりになってしまう前に安らかな眠りを与えてあげると!」ライズは抗議した。
「私たちは両方とも間違っていたのだ。私は彼女をウーナだと思い込み、嘲り、苦しめた。それでは上手くいかず、混乱をもたらすためによそ者を招き入れた。そして彼女はどうした? 逃げたのだ。自身の世界のために、昼と夜の周期のために。そして私たちの母親などではないと証明したのだ」
「マラレンは……ずっとマラレンだった」ライズに、ゆっくりと恐怖が忍び寄っていた。「ウーナが帰ってくると彼女に信じ込ませたのは君だ。そしてマラレンは意図せず僕にもそう信じ込ませた。そして僕は武器を向けた! これは僕の過ちだ、そして君の過ちでもあるんだよ!」
王子は悲しげにライズを見つめた。だが彼が口を開こうとした時、ひとりのエルフがキスキンの包囲網を破って突撃してきた。その片手には剣、もう片手には聖遺の松明があった。エルフは王子に向かってきていた。王子は相手が近づくのを待ってから素早くその手首を掴み、力を込めてひねった。やがて剣が地面に落ちた。
すると、聖遺の松明が放つ陽光が王子を照らした。波打つような変化が再び起こる――冷たい青色をした顔と手は、夏空のような鮮やかな青へと変わった。顔は尖り、唇は薄くなり、古き悲嘆の重荷が肩にのしかかった。
発した声は先程よりも高く、先程よりも冷酷だった。「お前に用はないよ」彼はそのエルフに告げて片手を聖遺の松明に伸ばし、もう片方の手で指を鳴らした。エルフの姿は消えた。そしてその場所には、一頭のヘラジカが当惑の表情で立っていた……あるいは、捕食される動物が見せる限りの当惑の表情で。ヘラジカは踵を返し、夜闇に濡れた土を蹄でかき乱しながら走り去った。
「ここのエルフはヘラジカ程度の存在だ」全くもって王子には見えないその黒髪の男は言い、ライズへと再び向き直った。「面白いことだとずっと思っていたよ。けれど君は……どちらの姿でも何ら面白くないね。妹は君を信頼していた。君を大切に思っていた。その心に欺瞞なんてなかった、なのに君は妹を殺した。君は信頼を裏切った」
「僕は、マラレンに頼まれていたことを実行しただけだ」
地面に横たわるマラレンはまだ息をしていたが、それは弱弱しいものだった。ツキノテブクロの毒が傷口から紫色の根を伸ばし、毒が血管を流れていると示していた。サナールは聞き取れない叫びを上げ、迫り来るエルフにまたも石を投げつけた。エルフは後ずさりして彼へと矢を放った。
ローウィンをまとうシャドウムーアの王子が、不意にサナールとエルフたちの間に立った。「やめろ」その鋭い口調は、夜をまとう姿の時よりも更に容赦なかった。その分隊に残っていたエルフたちは姿を消し、困惑するウサギたちがその場所に姿を現した。それらは耳を鋭く動かし、辺りを見回すと踵を返して草原へと走り去っていった。
彼は聖遺の松明を投げ捨て、イシルーの脇腹に片手を伸ばした。流れ込む暗闇に包み込まれて安堵の溜息をつき、そしてライズへと振り返ったのはローウィンの亡命者ではなくシャドウムーアの王子だった。「夜と昼はひとつの世界を分かち合うもの、妹と私がそうであるように。妹はローウィンに仕え、私はシャドウムーアに仕える。昼へと武器を向けることは、夜へと武器を向けることでもある」
「僕は、マラレンが願った通りのことをしただけだ」ライズの声は小さかった。
王子は前進した。
ライズは後ずさった。
マラレンとタムは今なお死へと向かっていた。
その先は不可避のように思えた――平原に孤立して味方はなく、医療を施してくれるものは近くになく、エルフの列は依然として丘の上に伸びている。キスキンとの戦闘によってその戦力は削がれていたものの、それでも逃走を阻むには十分な数がいた。だがその時、大きな咆哮が夜を裂き、丘にも森にも響き渡った。動けるもの全員が、サナールや夜のエレメンタルまでも、その音へと顔を向けた。全員が見守る中、大きな白い影がエルフの列を飛び越えた。小さく暗いもうひとつの人影をしっかりと抱きしめたまま、それは平原を横切って向かってきた。
それが誰なのか、何なのかは誰にもわからなかった。だがそれは二足歩行で機敏に動き、放たれた矢も地面の穴も難なく避け、やがてイシルーの側面を回り込むと一行の前へと滑り込むように止まった。白い毛皮のレオニンが、キーロルをその胸にしっかりと抱きしめていた。
レオニンが足を止めたところでキーロルは顔をあげ、鋭い牙をむき出しにして満面の笑みを浮かべた。「サナール! ああ、君の姿を見てこんなに嬉しく思うなんて!」
「キーロル?」サナールは立ち上がった。「本当にキーロルなの?」
「ボクだよ。この人はアジャニさん。ヴェス教授の友達なんだって」そして白いレオニンの腕を軽く叩いたが、「ヴェス教授の友達」と呼ばれて相手が顔をしかめたことには気づいていない様子だった。「もう降ろしてくれて大丈夫です」
アジャニは頷き、キーロルを下ろして立たせた。キーロルはひとつ伸びをすると、倒れているタムにようやく気付いたようでサナールのもとへと急いだ。
「タム? サナール、何があったの? アビゲールはどこ?」
「アビゲールは……アビゲールは川に落ちた。それから見てない。タムはエルフの矢に撃たれたんだ。応急処置の授業を覚えてたから矢は抜いてないけど、きちんと治療しないとたぶん良くはならない。ねえキーロル、オレさ……このままじゃタムはさ……」サナールは言葉を切った。必死に抑え込もうとする恐怖に、耳の先端が震えている。足元でタムが聞き取れない言葉を呟いた。何かを数えているようにキーロルには聞こえた。今のは……素数?
「ボクもこの世界のエルフに会ったよ」キーロルの口調は、嫌なものを思い出したかのようだった。「タムに矢を撃ったなんて、いやタムだけじゃないだろうけど、そんなひどいことある? どうやって逃げたの?」
「逃げたんじゃないわ」近づきながらアシュリングが答えた。「シャドウムーアの王子様が戻ってきて、エルフたちを獣に変えて追い払ってくれたのよ」
「シャドウムーアの王子?」アジャニが尋ね、ライズと王子へ顔を向けた。そして睨みつけるように見つめる。「お会いしたことはありませんね、ですが見覚えがあります」
「『ヴェス教授』と言ったか、その吸血鬼の子は」王子も尋ねた。「もしかしてそれはリリアナのことか?」
「そうです」アジャニは驚いて言った。「どうして……?」
「同じ時代に多くの次元を渡り歩いていたのだ。彼女が知る私の名はオーコという。私はウーナが後継者として作り出した最初の存在だった。シャドウムーアのためにこうして帰還し、妹がいたとわかった」彼は動かないマラレンに身振りをし、それからライズを見た。「妹について私は何ひとつ知らない。その前にお前に殺されたなら、私もお前を殺すほかない」
「妹さんに何が起こったのですか?」アジャニが尋ねた。
ライズは答えた。「僕が間違っていたんだ。マラレンが僕たちの敵だと思って、切りつけた。ツキノテブクロの毒が体内に入ってしまった。治すすべはない」
「ツキノテブクロ……それって、アケノテブクロの仲間とか?」思案しながらキーロルが言った。
「そうだ」ライズは驚いて答えた。「ツキノテブクロはローウィンでしか育たない。最も恐ろしい毒を作り出す花だ。アケノテブクロはシャドウムーアでしか育たない。こちらは毒としてだけでなく治癒にも使えるうえに、壊れたものを修復することもできる。シャドウムーアのエルフたちはアケノテブクロを熱心に守っている。だがどうして君が知っているんだ?」
「ルーウェンっていう狩人に誘拐されて、モーカントって人のところに連れて行かれたんです。すごい自分勝手なのに『高位完全者』なんて称号の。ボクはそいつらのためにアケノテブクロを摘みに行かされたんです。その毒を使ってこの大きなエレメンタルさんを殺すために」キーロルはイシルーを身振りで示した。獣は嫌悪感を露わにして鼻を鳴らし、前脚で地面を掻いた。「その毒は夜のものを壊すらしいです。シャドウムーアのものを、なのかな? でも学校で、魔法植物環境学で教わったけど、魔法の毒は大抵その効果を中和するための同じくらい効く薬が存在するんです。 魔法じゃない毒は必ずしもそうじゃないけど、そのアケノテブクロを見てわかりました。あれは魔法の植物だって」
オーコは素早く振り向き、ライズだけを睨みつけた。「この吸血鬼の言っていることは正しいのか?」
「ボクはキーロル。それと言ってることは正しいですよ」
「正しい……かもしれない」ライズは慎重に答えた。「あいにくだが、僕は確信を持てるほどアケノテブクロについて詳しくはない」
「それでも、可能性はあるのだな」オーコはキーロルへと向き直った。「そのアケノテブクロを見たのはどこだ?」
「エルフに連れて行かれた森の中で。それを摘んで高位完全者モーカントって人に渡したところで、アジャニさんが助けてくれたんです。この戦いを仕組んだのはあの人なんじゃないかな。その隙に夜のエレメンタルに襲いかかるつもりで」
「では私がその者を見つけよう。私が戻る前に妹を死なせるな」オーコはそう言うと宙に飛び上がり、再び小さな妖精に変身した。彼は頭上を一周するように飛び、そして瞬く間に視界から消え去った。
アジャニはそれを見届けるとタムの隣に屈み込み、腹部の傷口に片手を当てた。彼は指を白く輝かせながら矢をゆっくりと引き抜き、すると触れた箇所で傷が癒合を始めた。
キーロルはサナールに目を合わせ、手招きをした。サナールはよろめきながら立ち上がり、そっと近づいた。
「何?」声を小さくして彼は尋ねた。
「ボクたちもそのアケノテブクロを見つけに行こうよ。女王様が死んだら、きっとすごく困ったことになると思うんだ」
サナールは冷淡な表情でキーロルを見た。「今も困ったことになってるけど?」
「うん、すごく困ったことになってる。けどそのマラレンさんとタムが助かれば、ボクたちも何とかなるかもしれない。タムはアジャニさんにお願いできるから、ボクたちは行こうよ。マラレンさんを助けるために。さあ」キーロルはイシルーに近づいた。「大丈夫だよ、今より悪いことなんて起きないって」
サナールは呆れたかったが我慢し、キーロルの後を追いかけてイシルーの脚を回り込んだ。アジャニとライズが傷の手当を続ける中、生徒ふたりの姿は夜へと紛れて消えた。
イシルーは間違いなく、キーロルがこれまでに見た中でも最大の生物だった。ストリクスヘイヴンの創始ドラゴンに匹敵するかもしれないとも思ったが、耳にしただけで実際に見たことはない。キーロルはイシルーの脚を回り込み、腹の下をくぐってその先の平原へと向かった。サナールは両手それぞれに石を握りしめ、すぐ後ろをついていた。
「誰を探せばいいの?」サナールが尋ねた。
「高位完全者のモーカントって人」キーロルは頭を低く保ったまま、周囲を探した。エルフとキスキンの軍勢は今なお平原で戦っていたが、戦力の大部分は依然として介入せず、遠い場所から見守っている。そしてキーロルは眉をひそめた。このような戦いは歴史書で何度も読んだことがある。大抵の場合、これは陽動なのだ。激しい戦いで目を引きつつ、どこかで不意打ちの攻撃が行われている。キーロルはイシルーの頭部を目指した。
そのため、モーカントの姿をそこに見つけてもキーロルは全く驚きもしなかった。彼女は片手に剣を、もう片手には紫がかった金色に輝く薬瓶を携えていた。中の液体は星明かりの葡萄酒のようにきらめいており、キーロルは歯の間から息を鳴らした。
「アケノヒカリだ。あれを奪ってやらないと」
「任せてよ」サナールはそう言って石を投げた。
それは回転しながら飛び、周囲の大気を歪ませ、モーカントの肩に命中した。彼女はすぐさま振り返り、生徒ふたりを見つけて睨みつけた。辺りにはキスキンの矢を胸に受けたエルフの死体が幾つも転がっていたが、彼女はまだ無傷だった。モーカントは剣を振り上げ、泥の中を向かってきた。
「哀れな脱走者さん」モーカントは刺々しく言った。「代わりに戦ってくれる眼腐りを見つけたのかしら? ふたりまとめて、わたくしの庭園で肥料にしてさしあげましょう。この獣は朝の訪れを待たずして死ぬのです」彼女は切りつけ、キーロルはひるんで後ずさった。そしてその瞬間、何者かがモーカントの手首を掴んだ。彼女は動きを止めて振り返り、襲撃者の姿を見た。
ルーウェンがそこにいた。棘を散りばめた角を生やし、シャドウムーアの姿となった彼はモーカントの額をめがけて頭突きをした。骨にひびが入る音が聞こえるほどの威力だった。手首を掴まれたまま、モーカントはよろめいた。ルーウェンは身を乗り出し、彼女の手から薬瓶をもぎ取った。
「受け取りたまえ!」彼はそれをサナールへと放り投げた。
ルーウェンはなおもモーカントの手首を掴んだまま、身を屈めて相手のベルトから何かを引き抜いた。彼女は唖然とし、目に見えて慌てた様子でそれを取り返そうともがいた。ルーウェンは手を放し、革紐に結ばれた瓜のようなものを掲げた。
そして彼はキーロルとサナールのもとへと駆けた。次第にその角は昼間の姿に戻り、一方でモーカントの角はねじれて棘を生やした。彼女は恐怖に震える表情で剣を落とし、詫びの言葉を呟きながらイシルーへと平伏した。
サナールが言った。「何がどうなってんの? ぜんっぜんわかんないんだけど」
「後で考えればいいよ」キーロルはそう言い、ルーウェンの手を握った。「一緒に来てよ、ルールー」
「どこへだ? いや待て、今、私を何と呼んだ?」
キーロルは熱に浮かされたような笑みを見せた。「女王様にお目通りするんだよ」そしてルーウェンを引っ張るように、来た道を駆け戻っていった。サナールもふたりの後を追い、夜の奥深くを目指した。
(Tr. Mayuko Wakatsuki)
※本稿のタイトルに用いた「嫌な幻想をたっぷり」は、シェイクスピア『夏の夜の夢』第二幕第一場(『新訳 夏の夜の夢』河合祥一郎 訳/角川文庫)から引用したものです。
Lorwyn Eclipsed ローウィンの昏明
OTHER STORY その他のストーリー
-
ローウィンの昏明 -
久遠の終端 -
タルキール:龍嵐録 -
霊気走破 -
ダスクモーン:戦慄の館 -
ブルームバロウ -
サンダー・ジャンクションの無法者 -
カルロフ邸殺人事件 -
イクサラン:失われし洞窟 -
エルドレインの森 -
機械兵団の進軍:決戦の後に -
機械兵団の進軍 -
ファイレクシア:完全なる統一 -
兄弟戦争 -
団結のドミナリア -
ニューカペナの街角 -
神河:輝ける世界 -
イニストラード:真紅の契り -
イニストラード:真夜中の狩り -
ストリクスヘイヴン:魔法学院 -
カルドハイム -
ゼンディカーの夜明け -
イコリア:巨獣の棲処 -
テーロス還魂記 -
灯争大戦 -
ラヴニカの献身 -
ラヴニカのギルド -
基本セット2019 -
ドミナリア -
イクサランの相克 -
Unstable -
アイコニックマスターズ -
イクサラン -
破滅の刻 -
アモンケット -
霊気紛争 -
統率者2016 -
カラデシュ -
コンスピラシー:王位争奪 -
異界月 -
エターナルマスターズ -
イニストラードを覆う影 -
ゲートウォッチの誓い -
統率者2015 -
戦乱のゼンディカー -
マジック・オリジン -
モダンマスターズ2015 -
タルキール龍紀伝 -
運命再編 -
統率者2014 -
タルキール覇王譚 -
基本セット2015 -
コンスピラシー -
ニクスへの旅 -
神々の軍勢 -
統率者2013 -
テーロス -
基本セット2014 -
ドラゴンの迷路 -
ギルド門侵犯 -
ラヴニカへの回帰 -
基本セット2013 -
多元宇宙の物語






