MAGIC STORY

ローウィンの昏明

EPISODE 05

第5話 影にすぎない我ら

Seanan McGuire
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2025年12月12日

 

 マラレンを追って、サナールとタムは宮殿の外れまで走った。そこから地面に落ちたなら死が待ち受けている。マラレンは下を一瞥し、そして長く湾曲した一本の茎へと生徒たちを導いた。その先端には牛のように大きな丸い蕾がついている。「あなたたち、どちらでもいいけれど剣は持っていますか?」

 サナールとタムは彼女をじっと見つめ、やがてタムが返答した。「私たちは野外実習に出た学生なんです。武装なんてしていません」

 「わかりました。妖精の群れを呼んで助けてもらうわけにはいきません。ライズが追ってきてしまいますからね!」マラレンは鋭く言い放った。その肩に乗っていた妖精が、この上なく楽しんでいるかのようにくすくすと笑う。

 「あのツボミを落とせばいいの?」サナールの質問にマラレンは頷いた。するとサナールはポケットの奥底から中身を漁り始めた。土の欠片、葉の残骸、潰れた交錯花、そしてメイジタワーの入団試験案内チラシ。彼はそれらをひとつにまとめて押し潰し、やがて泥と植物から水分が出てチラシはすっかりふやけてしまった。それが終わると彼はその紙を蕾の根元に押し込み、後ずさった。

 「何をしているのです?」マラレンが尋ねた。

 「プリズマリ流さ」

 タムはそれだけで察した。彼女は耳を塞いで身を屈め、だがマラレンは困惑した様子で立ったままでいた。サナールは口に二本の指を突っ込み、吹き鳴らした。

 何も起こらなかった。

 マラレンは眉をひそめた。「何が……」

 その瞬間、蕾が爆発してねばつく塊が辺り一面に飛び散った。樹液が3人へと跳ね、マラレンは困惑と嫌悪の悲鳴を上げた。

 「わざわざ爆破する必要はあったの?」タムは尋ねた。

 「まあね」

 蕾が取り除かれると茎の様子が見えた。内部は柔らかな中空の管になっており、地面へと続いている。マラレンは宮殿を振り返り、そして勢いよく茎へと駆け込んだ。「さあ、一緒に来て」

 サナールは嬉々としてマラレンに続いた。タムは振り返り、躊躇し、だがふたりの後を追った。

 茎の内側は滑らかでねばついており、緑という概念が生を得たような匂いがした。3人は暗闇の地面へと転げ落ちた。あの滝からそう遠くない場所だった。マラレンが滝を突っ切るともうふたりも続いた。水の流れに洗われて汚れはすっかり落ち、彼女たちは光り葉の森へと駆け込んだ。

 マラレンはワンダーワインへ続くあの支流へふたりを導いた。川岸に着くと彼女は屈み込み、水辺に生えた木々の露出した根をかき分け、隠されていた木製の小舟を引っ張り出した。

 「逃げる備えを前からしていたんですね」観察しながらタムが言った。「自分が生きていてはいけない世界をご自身で作り出したのですか? だからライズさんに頼み事をして、けれどそれが実行されようとした時に逃げたと」

 「私は……私を創造したのはウーナでした。そして同じ力を持っていたとしても、私は創造主と同じであってはなりません。ローウィンとシャドウムーアに、ウーナが復活する懸念があってはなりません。私は私です。ウーナの一部が私の内に生き続けていたとしても、私はウーナではありません。ライズにはそれを理解させなければなりません」マラレンは小舟に乗り込んだ。「一緒に来なさい。私が次に何をすべきかが分かるまで、安全な場所を探さなければなりません」

 「私たちをアルケヴィオスに帰してくれる方法がわかるまで、ということですか?」タムが尋ねた。彼女が乗り込むと、小舟は少し沈んだ。「帰る方法を見つけないといけないんです」

 「それに友達を見つけないと」サナールが言い、ふたりの横に腰を下ろした。マラレンは小舟の底から竿を一本取り出し、それを用いて岸から船を押しやった。船は回転し、やがて流れに乗ると速度を上げながらワンダーワインへと引き寄せられていった。 「皆さんの帰る場所への道がどこにあるかは私にもわかりません。ですがここを離れ次第、全力を尽くして探します。約束します――ですので今は逃げることに集中しても宜しいですか? ライズは狩人であり、追跡者であり、非常に危険な敵なのです」

 「だとしたら、彼をその約束から解放すればいいのでは?」タムが尋ねた。

 マラレンは溜息をついた。「ライズは一介のエルフです」

 「はい?」

 「エルフの寿命は一瞬です。生まれてきても、完全とは言えないものに至る前に命を終えます。ライズは私が知る限り最も長命のエルフですが、それは彼が私と確固たる誓いを交わしたために他なりません。ライズと私とが繋がれている限り、私の魔法がライズを生かし続けます。ライズに約束をさせても、守ってくれるかどうかはわかりませんでした。ですので、誓いを以って拘束する方が賢明だったのです」

 タムはマラレンをじっと見つめた。「それって……」

 「ライズは私が……朝の歌のマラレンが、妖精の夢ではなく一介のエルフであった頃を知る者です。そんな彼に、ずっと傍にいてもらう方法はそれしかありませんでした」マラレンは瞬きもせず、タムを見つめ返した。

 ローウィンにゴルゴンはいるのだろうか? タムは訝しんだ――マラレンは自分と目を合わせてもひるまなかったのだ。アルケヴィオスで出会った生徒のほとんどもそうだった。ゴルゴンの視線は恐れるべきものだということを知らなかったのだ。それは奇妙な経験だった。故郷では、師ですらひるむことがあった。師を傷つけるなど考えられもしないというのに。

 やがてマラレンが視線を離すと、タムは力を抜いた。一行は水流に身を任せ、サナールは小舟から身を乗り出して指先で水面に触れた。


 流れは一行をワンダーワインへと優しく連れて行った。水はまるで、その小舟が貴重な積荷を運んでいると知っているかのようだった。小舟は回転こそしたものの大きく揺れることはなく、濡れたのはサナールの指だけだった。ワンダーワインは流れ続け、小舟もそれに乗って旅を続けた。

 そのまま数時間が過ぎた。太陽は頭上の空を動かず、岸辺には暗闇が時々現れた。イシルーが通過した場所だ。マラレンは戸惑ったように目を見開いてそれを見つめたが、何も言わなかった。タムとサナールも黙ったまま、マラレンが新たな現実を受け入れる邪魔をしなかった。小舟はひたすら流れ続け、やがて太いマングローブの樹幹を通過し、陽光が照らす沼地の影の中へと漂っていった。

 岸から伸びてきた一本の蔓が小舟を捕らえ、優しく陸へと引き寄せた。タムは驚いて立ち上がり、その勢いに小舟が揺れた。マラレンは彼女に座るよう合図した。

 「ここがひとまずの目的地です。私の友がいるのです。ここはボガートが住む臭汁飲みの巣。アシュリングがここにいるはずです、最後に連絡を貰ってからそのままであれば」

 「アシュリング?」サナールが尋ねた。

 「彼女もまた、私がかつての私であった頃からの付き合いになる相手です。このワンダーワインの源流であるタヌフェル山で生まれた炎族のひとりです。敵同士でもあり、友達同士でもありました。彼女もまた、他者から名指しされて悪であると決めつけられることの辛さを知っています。そして、ライズを近くに置いている私のことは愚か者だと思っています。私を殺す相手なのですからね。エレンドラ谷で彼女にあまり会わないのはそれが理由です。もし皆さんのお友達や、皆さんをここに導いた路について何か知っている者がいるとすれば、それはアシュリングです。彼女は川を上っては下り、物語や秘密をあの山へと運んでいます。一度歩き始めた巡礼の道は、そうたやすくは中断できないものですから」

 小舟は岸に衝突し、激しく揺れたが3人を放り出すほどではなかった。マラレンは立ち上がり、転ばないよう両腕を広げて小舟から降りようとした。

 滑らかなガラスでできたような黒い4本の指がマラレンの手首を掴み、陸へと引き上げた。タムとサナーは驚いた――その手と同じ物質でできたしなやかな姿がひとつ影の中から踏み出し、マラレンを立たせた。

 マラレンはその姿に温かい微笑みを向けた。「アシュリング!」

 「マラレン」アシュリングも応えた。その顔も身体と同じ黒色のガラスでできており、燃え盛る炎の髪が冠のように輝いている。喉元や関節からも多くの炎が漏れ出ており、まるでその身体に地獄の業火をかろうじて封じ込めているかのようだった。彼女は燃え上がりながら、サムとサナールの方を向いた。

 「わあ」サナールは小舟から急いで降り、アシュリングを見つめた。「きれいな人だなあ」

 「サナール」タムが叱りつけるように言った。

 「何で? きれいじゃん。火がきれいなのは当たり前だけど、人の姿になるって決めた火は特別な種類のきれいだよ」

 それは趣味が悪い、タムはそう説明しようとした。だが新たな音が聞こえてきて彼女は動きを止めた。

 アシュリングは笑っていた。彼女は笑いながら生徒たちを小舟から引き上げ、水辺から離れた臭汁飲みの巣の影へと一行を連れていった。

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アート:Ilse Gort

 「ボガート」とは、ローウィンにおけるゴブリンだとわかった。身長はサナールと同じほど。友好的で好奇心は旺盛、皮膚はまばゆいばかりの様々な色彩を帯びていて賑やかなお喋りの一片のような、時に奇妙な芳香を放つ野花のよう。一行がしばし巣穴に滞在するとわかるや否や、ボガートのひとりがサナールにウナギ釣りを教えようと連れだした。とはいえマラレンはあまり長く滞在するつもりはなかった。ライズに追いつかれてしまう。

 今、彼女はアシュリングと共に珪化木の破片で作られた卓についていた――ほくちと火打石に挟まれているようなものだ。マラレンの物語は毒入りの蜂蜜のようにあふれ出た。それはふたりの間の卓をねっとりと覆い、まるで目に見えるようだった。タムは隅でその様子を見ていた。

 「……そういうわけでここに来たの」彼女はそう言い終えた。「川を下ってゴールドメドウまで行くには、もっと上等な船が必要だわ。タムちゃんとサナール君がここに辿り着いた道への入り口まで連れて行かないといけないし、イシルーが陽光の地を闊歩している様子もできる限り調べないと」

 「エルフと高位完全者モーカントも気づいてるね、あの夜の獣が歩き回ってること」とアシュリング。「エルフたちはイシルーを殺す計画を練っていて、そのために必要になるかもしれない毒を探してるってところ」

 「それは良いことではないのですか?」タムが尋ねた。「失礼ですが、この世界は昼の方が良いように思えます。友好的だった方々も、夜になると私たちを敵視しました。もし夜を永遠に止めることができれば、世界を完璧なものにすることができる。その方が良いのではありませんか?」

 「全くもって良いことではありません」マラレンが返答した。「ローウィンは不動のまま存在すべき世界ではないのです。シャドウムーアがもたらす均衡が――真の、変容の夜が必要なのです。イシルーとエイルドゥは均衡のとれた力であり、あらゆる点で対等です。どちらか一方が欠けたならどうなるか、私たちは既にそれを見てきました。私は死にたくはありません。この夜を永遠に終わらせることに同意したなら、私にはライズが約束した死がもたらされるべきでしょう。永遠の昼はウーナの道であり、私の道ではありません」

 「イシルーは元に戻るだろうし、均衡も時が経てば回復するでしょうね」とアシュリング。「ウーナはオーロラを作り出した時に大エレメンタルを二体とも殺した。でもオーロラが消えたら、両方は新しい均衡を見出した」

 「だからといって、ローウィンとシャドウムーアの自然秩序が攻撃されているのを容認できるわけではないわ。それを取り戻したばかりなのだから」マラレンは鋭く言い放った。

 アシュリングはひどく冗談めかして言った。「つまり、エルフどもを止めてやらなきゃいけないってことね。船を調達してきてあげる。私も一緒に行くから」そして立ち上がると扉へ向かった。

 外では笑い声が響いていた。サナールがボガートたちに煽られながら、つるつると滑るウナギを捕まえて水から引き上げようとしていた。注目を浴びていることを彼は明らかに喜んでおり、そのまま奮闘を続けた。

 アシュリングとマラレンが話をしていた部屋の外、とある枝の上にひとりの妖精が休んでいた。青と緑、ローウィンとシャドウムーアを素早く切り替えるその姿はまるで光が点滅しているようで、どちらの姿をとっているのかを瞬時に見分けるのは困難だった。妖精は陽光の中に座したまま首をかしげ、困惑に顔をしかめて部屋の中の会話へと聞き耳を立てていた。

 やがて翼をはためかせて妖精は飛び立ち、速やかに枝の間へと姿を消した。


 巨岩の門の程近くで、一筋の閃光が闇を切り裂いた。その光は白く逞しい姿へと変化し、黄金のたてがみのアジャニが現れた。辺りには途切れない夜が重く立ち込め、昼の光は遠くでゆらめくオーロラのとばりの向こうにきらめいて見える。夜と昼がぶつかり合う場所。アジャニは慎重に辺りをぐるりと見渡した。行方不明の生徒4人の姿はどこにもなかった。

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アート:Greg Staples

 アジャニは顔をしかめ、巨岩の門へと歩み出した。すると蛇に似た生き物が一体、背後に現れた。ヤスデのような関節の足をずらりと生やし、口を大きく開けて毒が滴る牙をむき出しにしている。襲いかかってきたそれをアジャニは斧の刃で防いだ。苦心して身に着けた反射神経が成せる技だった。その戦いは決して長く続くものではなかった――その蛇は巨大で恐ろしいが、ただ本能にのみ従って動いている。対するアジャニは偉大な戦士であり、もっと強大な敵との数多の戦いを生き延びてきた。斧で払いのけ、傷つけずに撃退しようと彼は全力を尽くした。だが蛇は構わず攻撃を続け、やがて倒す以外に選択肢はなくなった。

 息を切らしながらも怪我はなく、アジャニは巨岩の門へとたどり着いた。門に損傷はなかった。血はついておらず、欠けてもいない。彼は屈み込み、地面を注意深く観察した。そしてこの次元ではおよそ見られない独特な靴跡を見つけた。明らかに、ストリクスヘイヴン製の精巧な靴。それらは門から離れるように続いていた。生徒たちは明らかに何かから逃げていた。

 アジャニは足跡を追いかけ、シャドウムーアの蛇との戦いで土に残った傷跡を過ぎ、日光が差し込む草原の外れまでやって来た。そして陽光の中に足を踏み入れるや否や、猪にも似た生き物が体当たりをしてきた。それは草に覆われた大きな背中から野花やキノコを生やし、苦痛と困惑の悲鳴をあげていた。

 突然の昼夜の変化に、シャドウムーアとローウィン両方の獣が攻撃的になっているのだ。こんなことはおかしい。アジャニは猪を追い返そうとしながら、この次元の不調和を感じ取った――そしてこの次元の不幸せも。

 止めなければならない。


 ボガートたちが用意してくれた船は、小舟に比べたなら大きく豪華ではあった。上甲板と下甲板があり、実際に機能する舵輪も付いていたので、船の扱いを知っていれば操縦も可能だった。だがマラレンはそうではなく、タムもサナールもだった。同行するアシュリングも操舵の方法は知らなかった。結局、数人のボガートが同行してワンダーワイン川を下ることに同意した。乗客たちをゴールドメドウの近くで降ろし、その後で巣に戻るのだ。

 マラレンは上甲板に立ち、手すりをしっかりと掴んでその木材の鋭い切り口をじっと見つめていた。触手の髪を揺らして絡ませながら、タムがその傍に近づいた。ふたりは沈黙したまま立ち続け、やがてタムは尋ねた。「何を見張っているのですか?」

 「ライズを。エレンドラ谷の外に、私の友はそう多くはありません。私が真っ先にアシュリングを訪ねるだろうと思い当たるでしょうし、間違いなく追ってきているはずです」

 「友達は大切です。けれどその存在が自分の弱みになることもあります」タムは振り返った。サナールが手すりから身を乗り出し、青い片手を水に浸している。

 「ええ。その通りにならなければいいのですが」

 「私がここに来たのは想定外の出来事です。私たち全員がそうです。仲間を見つけなければいけませんし、そして――」

 「タミラさん、ご自身で仰ったでしょう」妖精の女王は優しく言った。「危険すぎます。このすべてが終わってイシルーが再び眠りについたなら、お友達と合流できるよう取り計らいます。約束します」

 タムは顔をしかめた。「女王様が逃げているのは、ライズさんが約束を守ろうとしているからですよね。ですので、素直にその約束を信用していいのかって……すみません」

 「彼に約束を求めた時、私は本気でした。ですが……あなたは当時のことを知りませんし、状況も変わりました。ウーナの行為から世界がどれほど立ち直れるかは、私にもわからなかったのです」

 「マラレンの言ってることは真実よ」隣にアシュリングがやって来た。「前女王のウーナは昼と夜との間に自然に輝くオーロラを捕らえて、それを編んでひとつの巨大なオーロラを作り上げて、この次元を何世紀にもわたってひとつの状態に固定していたの。夜が訪れることも、日が高く昇ることもなかった。私たちは均衡の生き物。夜と昼を行き来すべきなのよ、エイルドゥとイシルーがそうするように。けれどウーナは私たちを停滞の中に留めていた。ローウィンはシャドウムーアを覚えていないし、シャドウムーアもローウィンを覚えてはいない。けれど自分が半分しかない時は、生き物にはそれがわかるものなのよ」

 「ウーナは世界を壊したのです」マラレンが付け加えた。

 「それがどうして、女王様の責任になるのですか?」タムが問い質した。「そのウーナが戻ってくるかもしれないからといって、女王様が死ななければいけないのはおかしいですよ」

 「ウーナが私を創造したのです」

 「それでですか? ウーナが母親だからといって……」

 「母親ではありません。ウーナが私を創り出したのです。花弁をむしり取るようにウーナは自らの一部を摘み取り、私を創り出したのです」

 タムは黙り、相手を見つめた。マラレンは自嘲するように笑った。

 「そんな話は聞いたこともないのでしょう、可愛らしいよそ者さん? すべての生命が、愛のこもった抱擁と家族の歓迎から始まると思っているのですか? 私のそれはウーナの木陰で、花弁から、幼虫のように始まりました。周りの妖精たちとは違って未完成で、ウーナに幼年期を終わらせてもらうのを待っていました。私はウーナの化身、ウーナの一部となるはずでした。自意識よりもウーナの意識を優先するはずでした。ウーナは私に蜜を与えました。蜂の幼虫を次の女王蜂に育てるためのそれです。そして私の肩に羽が伸び始めると、ウーナはそれをむしり取りました。ウーナは私を子供ではなく、武器として育てました。世界に広がる不穏な空気を、力を取り戻そうともがく昼夜の周期を予見していたのでしょう。そして世界が必然的にウーナへと反抗する時が来たなら、私はウーナになる運命にありました。ですがウーナは、私の創造主にして母はふたつの間違いを犯しました。私はそのひとつです」

 「もうひとつは何?」不意に興味を抱き、アシュリングが尋ねた。

 マラレンは振り返って聞き返した。「え?」

 「ウーナは間違いをふたつ犯したって。私が知っているウーナの化身はマラレンだけよ。もうひとつの間違いは何だったの?」

 「ああ」マラレンは身震いをした。「ウーナは私を創造し、形作り、そして時が来ると、朝の歌のマラレンというエルフの抜け殻の中に私を滑り込ませました。ウーナはローウィンを統治するために、私をひとりのエルフにしたのです。ですがウーナは、エルフの心と希望が自身の綿密な計画にどう影響するかを考えもしませんでした。見せかけの姿と結婚させられた時に、私は別の存在になったのです」

 「それがふたつめの間違い?」

 「いえ」マラレンは水面へと視線を向けた。「私の創造はウーナが犯したふたつめの間違いです。最初のそれは私の兄です。私が創造されたのは、ウーナが女王の座を保てなくなった時のためでしたが、そのための最初の選択肢ではありませんでした。シャドウムーアの光にさらされた時、自身の記憶を保持しておけるかどうかをウーナは確信できませんでした。そのため私よりも先に、シャドウムーアの次期王子とすべく兄を創造したのです。私と同じように、兄も不完全なものとして創造されました。世界の半分に仕えるためだけの存在だったからです。もう半分はウーナ自身で満たすつもりでした。冷酷に、残酷に、ウーナだけからなる世界を作りたいという欲望とともに。同じ花弁のもう半分から私を創造することを選んだ時には、兄は失敗作だったとウーナは認識していました。兄はウーナと戦い、ウーナを否定し、自然の周期に従ってシャドウムーアを統べることを求めたのです。私がマラレンとなる以前の記憶は元々ウーナから受け継いだもので、ウーナ自身の経験によって色付けされています。兄と激しく戦い、宮殿が陥落するのではと恐れたことを覚えています。兄は兄自身になりたかったのです。ウーナのものではなく、自分自身のものに。兄はとある巨人と友誼を結びました。エイルドゥとイシルーの物語を知る賢者です。当時その二体は伝説、生けるこの世界には存在しませんでした。兄はその巨人を父と呼び、善い息子でいると固く約束しました。ウーナは激怒しました。そして私たちの目の前でその巨人を殺すよう命じ、兄に告げました――父親から学ぶべき唯一の教訓、それは『父親は必ずお前を見捨てる。父親は必ず倒れる』だと。兄は……打ちのめされ、決してウーナを許さないと誓いました。ウーナのいかなる部分も、どれほど未完成であろうとも。それ以来、私は兄には会っていません」

 「お兄さんをウーナは痛めつけたのですか?」タムは尋ねた。

 「いいえ。ウーナは私を連れ去ってマラレンへと変えました。自分が何者だったかを思い出した時には、もう兄はいませんでした。森の中へと姿を消したと妖精たちは教えてくれましたが、ずっと会ってはいません。私が知る限り、ウーナの残滓はすべて私の中に生きています。私を通してウーナは戻ってくるかもしれません。だからこそライズはその目覚めの兆候を監視しており、それを察したなら私を殺す覚悟でいるのです。おわかりでしょう、これは私の過ちなのです。ウーナがすべてを壊した時、私はウーナの一部でした。私は、世界が癒えゆくのを終わらせてしまうかもしれません。ライズはそれを阻止しようとしているだけなのです」

 「そんなの、おかしいですよ」タムは頑として言った。「たとえ女王様がウーナの一部だったとしても、自分が存在する前の出来事について責められるのはおかしいです。何も手出しのしようがなかったのですから。女王様の責任ではありません」

 卓の端にあの妖精が卓の端に腰かけ、翼を半分ほど広げて困惑の表情でマラレンを見上げた。そして何か言おうとするかのように口を開き、だが船が岸に激突して急に止まったためにひるんだ。何が起こったのかと、アシュリングとマラレンは操舵手のボガートたちに駆け寄った。

 騒ぎの中、妖精は困惑した表情を浮かべながら飛び去っていった。

 船首にて、老ボガートが叫び声の中で身を乗り出して叫んだ。「川を見ろ! どんな新しい経験ができても、巣まで持ち帰れないんじゃ意味などないぞ!」

 マラレンとアシュリングも顔を向け、そしてその光景に息を呑んだ。

 すぐ前方の川に、夜が確固たる線を描いていた。その縁にはオーロラがきらめき、向こう側には闇だけがあった。ワンダーワインがシャドウムーアに呑み込まれていた。

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アート:Adam Paquette

 「船はここまでだ」そのボガートが言った。

 マラレンは嘆いた。「どうすればいいの?」

 「歩きましょ」とアシュリング。「私の記憶も壊れはしないから。あなたと同等にね」

 マラレンは眉をひそめた。「どんなことを覚えて――」

 「エレメンタルの接触を受けて、いくつか得たものがあるのよ。私の姿は昼から夜に変わるかもしれないけれど、心はもう変わらないわ」サナールが甲板を駆け、彼女たちのもとへと向かってきた。アシュリングが彼へと振り返った。「私の光の中にいる限り、昼の本質を幾らか保っていられるはずよ」

 「オレたちがいた所だと、夜と昼間で変わる奴はいないよ」サナールが言った。

 「なおさら良いわ」アシュリングは船首のボガートに頭を下げると一行を連れ、梯子を下りてオーロラの虹が輝く岸辺へと向かっていった。

 シャドウムーアは狩りをする捕食者のように、静かに待ち構えていた。


 「ぼくたち、どこへ向かってるの?」エルフの絹に両手を拘束されたまま、キーロルは尋ねた。それでさえも妥協の成果だった――高位完全者はキーロルの足も縛りたがったが、アケノヒカリを集める最中に何かに襲われたなら逃げられないとルーウェンが主張したのだった。モーカントは不服だったが、アケノヒカリを手に入れる前にその吸血鬼を死なせてしまうのは良いことではないと同意した。

 「お黙りなさい」モーカントは鋭く言った。

 ルーウェンが近寄り、声を低く保って言った。「夜ははっきりと線を引いているわけではない。この光り葉の森に、イシルーが奪った木立がある。必要な花はそこに生えているはずだ。その中に入って花を摘んでくるのがお前の仕事だ」

 「簡単に言うねえ」キーロルは不満を隠さなかった。

 「いかにも簡単です。花を摘んでくるだけです」モーカントが振り返って視線を向けた。キーロルはたじろいだ。

 「お黙りと言いました」彼女は冷たい声で言った。「わたくしに仕える者には服従を求めます」

 「こんな状況に陥ってるのって、そもそも花を採りに行ったのがきっかけなんだけど!」

 槍で背中を突かれ、キーロルは傷ついたような視線をルーウェンに投げかけた。ルーウェンは懇願するような表情を浮かべてモーカントへと顔を向けた。キーロルは溜息をついて口を閉ざした。もしもっと早く黙ってさえいれば、利用されはしなかったかもしれない――自分は記憶を失うことも、「シャドウムーアの自分」に変身して慌てることもなく昼と夜を行き来できる、それを知られはしなかったかもしれない。

 一行はそれからも沈黙したまま歩き続け、前方にオーロラの境界線が現れると足を止めた。「よそ者はそのまま歩かせなさい」モーカントが命令した。

 「この者は理解しておりません――」

 「わたくしに異を唱えるのですか?」その声は毒々しいほどに心地よかった。「なんとも魅力的な選択ですこと」

 「とんでもありません、高位完全者様」肩を落としてルーウェンは答え、再びキーロルへと向き直った。「お前は行かねばならない」

 キーロルは青ざめた。「ねえ、なんでボクがやらなきゃいけないんだよ。わからないし……何も知らないし……」

 「さあ、行け」ルーウェンはそう言い、キーロルの背中を押して前進させた。

 キーロルはよろめきながら虹の線をまたいだ。意気消沈した様子で振り返り、光の中に立つエルフふたりを見る。ルーウェンが槍で合図すると、キーロルは踵を返して木立の中央へと向かった。モーカントはアケノテブクロの特徴を説明してはくれなかった――ただ見ればわかる、と。それらしきものはないかと地面を注意深く見つめながら、キーロルは歩き続けた。

 そしてそれが目に入ってきた時、キーロルは呼吸をするのも忘れた。

 アケノテブクロの花が小さな群生を成していた。桃色、紫色、青みがかった白の輝きはまるで夜明けの光を蒸留したようで、あまりにも、ありえないほどに美しかった。キーロルは一輪を摘み取ろうと、縛られたままの手を伸ばした。そして学校支給のハサミがあればと切実に願った。花弁一枚さえ傷つけたくなかった。

 背後で枝が踏み折られる音がした。キーロルは緊張し、吸血鬼の鋭い聴覚がとらえた――炎が燃えながら、遠くからゆっくりと近づいてくる音。振り返ると暗い輪郭が見えた。人の姿、だが積み上げられた炭が燃えているかのように、抑えきれない熱を放っている。暗闇の中では、その姿を見分けるのは困難だっただろう。その存在は弱弱しい種火程にしか見えなかった。キーロルは飛び退いて逃げ出し、燃えがらは追いかけてきた。

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アート:Evyn Fong
 
 

 幾度となく、キーロルはその熱が皮膚に触れるのを感じた。それでも、たとえ適切ではない靴を履いていたとしても、でこぼこした地面を燃えがらに追いつかれることはなかった。やがてキーロルはアケノヒカリを手にしたまま虹のとばりを突き抜け、土の上に膝をついた。

 「キーロル、よくやった!」ルーウェンはそう言うとキーロルの手からアケノテブクロを恭しく受け取り、モーカントに見えるように掲げた。「だがあの燃えがらは……」彼はとばりの夜側にいる姿を不安そうに見つめた。それは昼の側まで追いかけてくる様子はなく、暗闇の中で燃えていた。

 「その少年は一度逃げ切りました。もう一度できるでしょう」モーカントが言った。「もう一度送り込みなさい」

 「ボクは『少年』じゃないよ」キーロルは立ち上がりながら言った。「それに、断るよ。もう行く気はないからね。きみたちのために死ぬつもりはない」

 「あなたをどう呼ぶかは関係ありません。わたくしのために命を賭けてもらいます。アケノテブクロはもっと必要なのです。行きなさい。ルーウェン、その少年を行かせない」

 「できません」とルーウェン。「そのような死に方をさせてはいけません」

 「ルーウェン――」

 「お断りします」

 モーカントは睨みつけた。そして彼女が無理を押し通そうとしたその時、木々の間から白い何かが飛び込んできてふたりの間に着地した。手には双頭の巨大な斧を持ち、肩の毛皮は逆立っている。その姿がオーロラの境界線へ威嚇のうなり声を上げると、燃えがらは引き下がっていった。次にその白い姿はモーカントに向かって唸り、彼女も唸り返した――獣らしさは少なく、ただしもっと傲慢に。

 そしてその男はキーロルへと向き直った。キーロルはルーウェンの前に移動し、このエルフの狩人を守ろうとしていた。だがライオン男が口を開いた。「迷子の生徒さんですか? ヴェス教授の所の」

 安堵の波に、キーロルは完全に押し流されてしまいそうになった。「そうです! ボク迷って、友達ともはぐれて、今は高位完全者のモーカントさんって人に……」そのエルフを指さして続ける。「アケノテブクロをもっと採ってこいって言われたところです。助けて下さい、帰りたいんです」

 「そのつもりだ。私の名はアジャニ。さあ、行こう」彼は高位完全者モーカントを睨みつけた。モーカントは睨み返したがとても敵わなかった。アジャニはキーロルの背中に手を触れ、連れて行こうとした。

 ルーウェンは瞬時の決断を迫られた。キーロルとアジャニ、そして怒り狂うモーカントを順に見た後、彼は駆け出した――主に止められる前に、彼はふたりの後を追った。その姿が森に飲み込まれると、モーカントの顔は怒りに歪んだ。


 アシュリングはシャドウムーアに踏み入った。青い光がその皮膚を駆ける。奥深くに蓄えられた内なる炎が融け、凍りつき揺らめく何かへと変化していく。まるで学舎で、暴風区画の上空に時々踊っている磁力の光のように。サナールは息を呑んだ。タムは歩みを止め、じっと見つめた。アシュリングはふたりへと向き直り、変わり果てた顔に小さな笑みを浮かべた。

 「夜になると、私はいわゆる『凍炎族』になるのよ。記憶はそのままだから怖がらなくて大丈夫」

 マラレンは全く恐れる様子もなく近づき、アシュリングの腕を取った。タムとサナールも近寄った。4人は揃って、夜の側に変化してしまったゴールドメドウを目指して歩き始めた。

 目的地まで半分も進まないうちに、地面に矢が突き刺さっているようになった。一同は更に身を寄せ合って前進を続けた。アシュリングは不吉な青い輝きに燃え、マラレンは困惑の叫びを発した。そして、月の目をした者たちが、槍やナイフを手にして周囲の茂みや藪の中から現れた。ゴールドメドウの住民たちの、シャドウムーアでの姿。変容したブリジッドが彼らの先頭に立っていた。

 「戦えないわよ、傷つけちゃうから」燃え続けながらアシュリングが言った。「どうするの?」

 サナールが気づいた。「オレたちをどっかに連れて行きたいみたいだけど」

 キスキンは一行を包囲し、街を過ぎた。防御を張り巡らせたその様相は威圧するようでいて潜むようで、静寂の中の危険として立っていた。そのまま彼らはシャドウムーアの奥深くへと向かった。地面は漆黒の沼と化した。光るキノコや花々が点在し、まるで夜空が足元にもあるようだった。そのまま彼らは歩き続けていたが、ある時タムは立ち止まると身震いをした。

 「どうしました?」マラレンが尋ねた。

 「何だか……寒い夜に温かいお茶を飲むような気分。もうすぐ霜が降りる、けれど暖かな暖炉といい本がある時みたいな気分。どうしてこんな?」

 「あの洞窟の中がそんな感じだったよ」とサナール。

 マラレンはもはや同行者たちではなく、その背後の彼方を見ていた。「わかります」

 全員が振り返った。キスキンたちさえも。するとイシルーが静かに向かってくるのが見えた。月を戴いたその頭のすぐ前を、小さな緑色の点がひらひらと舞っている。マラレンは息を呑み、口を手で覆った。

 「どうしたの?」アシュリングが尋ねた。

 「あの……あの妖精。私、知っているの。あれは……」

 「学校の森で見たやつだよ!」サナールが言った。

 「……兄さん」マラレンはそう言い終えた。「わ、私……シャドウムーアの姿しか、ウーナの記憶からしか知らないけれど、それでもわかるの」

 「シャドウムーアは嘘をつくわ」アシュリングは警告するように言った。「お兄さんは、あなたが信じているような者じゃないかもしれない」

 だがイシルーが迫り、シャドウムーアのキスキンたちは畏敬の念に凍りついた。タムはマラレンの袖を掴んだ。

 「今なら逃げられます。彼らが気を取られている間に。お願いです、逃げましょう」

 地平線に、森が途切れて野原が始まる所に、松明の光が一列に現れた。

 マラレンはそれが何なのかわかった。「エルフだわ」

 「エルフだって?」ブリジッドが詰問した。「私らの畑にあんたたちよそ者ってだけでも最悪だってのに。入っては来させないよ」

 キスキンたちは身を寄せ合って松明の列を見つめ、槍を掲げて弓に矢をつがえた。その間にもイシルーは歩みを止めなかった。沈みゆく昼の名残の上に、生ける夜が歩みを進めていた。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)


※本稿のタイトルに用いた「影にすぎない我ら」は、シェイクスピア『夏の夜の夢』第五幕第一場(『新訳 夏の夜の夢』河合祥一郎 訳/角川文庫)から引用したものです。

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