MAGIC STORY

ダスクモーン:戦慄の館

EPISODE 11

サイドストーリー おしまい

Seanan McGuire
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2024年8月29日

 

 朝が訪れ、西の空から孤独に昇る矮陽は、留まり続ける薄闇を打ち払おうと微力を尽くしていた。巨陽は、街から発生したあの恐ろしい……もの……に飲み込まれ、何か月も消えたままだった。街の影響から逃れた者たちによると、元々それは何かおかしな感じはするものの、単なる一軒家だったという。それにはかつて壁があり、天井があり、窓があり、屋根があった。それは悪夢のように絡み合った蔓と膨張した図体の中にあって、まだ家であったのかもしれない。おそらくそれにはまだ、街の民が見れば「家」だと呼べるようなものすべてが、すべての要素が残っているのだろう。しかしそうだとしても、館はもはやそれらを見せつけてはいなかった。

 いや、館に窓はあった。その図体に呼応して開閉するガラスの目が、自然世界に残された狭い保護区を監視しているかのようだった。それに壁もあった。あるものと別のものを分けるのが壁だろう? 適切な見方をするなら、皮膚は壁だ。

 シェバラはブナ林に生えている立派な古木の高所に立ち、周囲を見渡して矮陽の弱々しい光を反射する窓の数を数えていった。館は沈黙し、威圧的な静けさをもって彼女を見つめた。誰もそれが動いているところを見たことはなく、それが監視者を必要とする理由だった。夜になると烽火を上げても全方位から監視するのは難しいため、この巨大な建築物を見張れない。しかし日中であれば、いくつかの観測地点と監視塔を相互に使用することで誰かが見張り続けられる。そして館の皮膚に埋め込まれた窓の数を数えることで、それが日の光の下でどこを目指そうとしているのかを推測できる。

 すべてはあっという間の出来事だった。ほんの数年前にすべての始まりが起こったとき、ロトゥルーの森のエルフたちはこれを街の病とみなしていた。街は自然界に対する罪を抱えている。その罪が病となって街を飲み込もうとしているのだと。街と森の境から監視していた膨れ上がる恐怖は、それを生み出したものを食い尽くしたなら止まるに違いない。絡み合う古木の森に近づくことすらないはずだ。

 そしてしばらくの間は、まさに予想通りに物事が進んでいった。それは街を飲み込み、郊外へと広がって、道路や線路や公道を辿ってより豊かな餌場へと向かっていった。だが他の森のエルフたちの領土で初めて館が目撃され、それが山々を覆ったときや、海を喰らい尽くしたとき、他の森のエルフたちが連絡してきた。ロトゥルーのエルフたちに何度も何度も警告してきた。「君らは安全ではない」と。館が迫っていた。

 徐々に警告は止み、空からの使者は消え、出した便りは戻ってこなくなった。ロトゥルーのエルフは、まだ館の壁の外で生きている最後のエルフかもしれない。その考えは恐ろしく、シェバラは窓の数を忘れてしまいそうになるほど震えあがった。自分たちは世界で最後のエルフかもしれない……それは想像を絶する恐怖であり、耐えがたいほどに恐ろしい思いつきだった。

 しかし彼女はその重圧に耐えなければならない。ロトゥルーのエルフすべてが耐えなければならない。もし自分たちが自然世界に残った唯一の存在なのだとしたら、堂々と顔を上げ、最後には必ず生命が勝つのだと心に留めておかなければならない。死と腐敗は自然の事象であり、そこから新しい生命が始まるのだ。その循環を守り通す限り、館は自分たちを倒せない。

 シェバラにとって籠城戦としか思えない状況が1年ほど続いた。そのころ館は、どれだけ成長した木よりも大きくて雲を突き抜ける高さを持つ、ガラス張りで細長い見た目をした恐ろしい塔を空に向かって伸ばしていた。その塔には地上からでも見えるほどに大きい窓があり、目いっぱい開いていたそれが勢いよく閉まると、巨陽は消えた。そして単独で輝くことはないはずの矮陽だけが残された。

 館は常に変化し続ける、変幻自在の存在だった。しばらくの間は、巨陽の光は塔の壁を透かしてあたりを照らしていたが、徐々に塔は地上へと引き寄せられ、館の巨体へと取り込まれていく。そしてついに、ある日、塔は消え、巨陽の光も消え、残された永遠の薄闇が森を覆ったのだ。

 まさにその日、街からの最後の避難民がやってきた。傷つき息を切らしながら、何とか確保した僅かな資財を両腕にしっかりと抱えて、足を引きずり安全な森の中へと歩いてきた。一族の指導者たちは、この保護区のしきたりについて説明するためにそこで避難民を出迎えた。

 「どのような荒廃であろうが、これは街が自ら招いたものである」と王は言った。かつて張りのあったその声は、何か月もの恐怖と困窮によってしわがれて弱々しかった。作物は巨陽の光がなければ育たず、森で狩りをしても獲物は痩せ細っており、捕えること自体も難しくなっていた。資源は底をつき、王は弱った者たちの後でしか食事を摂ろうとしなかった。「機械は許されぬ。そなたらの狡知による創造物は許されぬ。我々の森の中を通らせるわけにはいかぬ」

 これまでの受け入れ時でもよくあったことだが、避難民の中には抗議する者もいた。彼らはその便利さと創意工夫の証を愛していた。周りの世界よりも優れていると感じるのが好きだった。だが、その愛が何をもたらした? 王はいつものように断固として譲らず、結局、森の端にがらくたを捨て置くよりも館に飲み込まれる危険を選ぶ者はほんの一握りだった。それ以外の者たちは禁じられた機械を放棄し、薄れゆく緑の中でエルフに加わった。彼らからは館について多くのことが判明した。彼らはその狩猟場で最も長く生存した者たちだからだ。

 それは菌類が熟した果実をまるごと食い尽くすように、周囲の世界を飲み込んでしまった。まず皮を覆い、それからより深く食いつき、そこにあったものが一切残らなくなるまで。その最初の浸食は、時に建築的かつ奇妙なものだった。扉などあるはずのない場所に扉があり、木の枝に窓枠が絡まり、壁のないところに幅木が生えている。しかしこれら館の染みは周囲へと部屋を成長させはじめ、取り囲んだ中を館のものとしていくのだと。

 他の兆候はそれらほど明確ではないが、危険であることには変わりない。錦織のような、あるいは雪の結晶のように複雑な模様の翅をもつ蛾が真昼に飛ぶこと。どこからともなく現れる、誰に見守られることもない人間の子供たち。手拍子で囃し立てて縄跳びで遊んでいるが、その掛け声は身の毛もよだつ残虐さで満ちている。避難民によると、子供たちは何よりも悪い兆候だという。子供たちを見てしまったら、館はもうすぐあなたの元にやってくるよ、まるですでに絡めとっている獲物を誘惑の光で誘わずにいられない鮟鱇毒蛇のように、と。

 シェバラは窓を数え終えた。数は昨夜と同じだが、少し北に集まっていることに気づき、彼女は枝から枝を自在に渡って地上へと降りていった。ロトゥルーは世界で最後の自由な森かもしれないが、今なお美しい森のままだった。木々は地面へと届く光のほとんどを常に遮っていた。そこで成長する植物は元から暗闇の中で成長するもので、花を咲かせて果実が実るときも影に包まれていた。猟の獲物はまばらで僅かとはいえ、十分に得られる。ドルイドたちがそれを保証するだろう。森はこれまでと同じように恵みを与え、館は何も残せず、苦い思い出へと枯れていくだろう。

 地面から枝数本分まで降りてきたところで、律動的で聞きなれない手拍子の音が聞こえた。シェバラはうなじの毛が逆立ち、腕の筋肉は硬くこわばった。身震いをしながら、さきほどまでよりゆっくりとした動きでその音へと向かう。私はロトゥルーの戦士だ。一族に対しての責任がある。

 下を覗き込むと、人間の子供たちが小さな輪になって集まっているのが見えた。全部で五人。今の寒さには薄着すぎる夏服を纏い、真剣な面持ちで集中した様子のまま、両隣のふたりと掌を合わせて複雑な形式の手拍子を鳴らしていた。

ないしょの扉をコン、コン、コン
ないしょの扉をみいつけた
命をもらうよ、にい、さん、よん
ないしょの扉が追いかける

はらぺこ扉をコン、コン、コン
これでおしまい、鬼ごっこ
中には何があるのかな
はらぺこ扉を開いてみてよ……

 子供たち。恐怖が身体へと実際に影響したかのように、シェバラは寒気を覚えた。ここに子供たちがいるならば、館は森にやって来たということ。私たちは何かを見逃していたのか。監視者たち、あるいは毎日境界を巡視していた者たちが何かを見逃していた。

 シェバラはすぐ隣の枝を掴んで木の上に身を乗り上げると、静けさよりも速度を重視して木々の間を駆け抜けていった。折れる小枝と擦れる葉の音が、彼女がロトゥルーの中心に向かって進んでいることを示していた。そして彼女は長老たちの輪のそばに降り立ち、すぐに敬意をもって身を屈める。片方の膝を正真正銘の大地に押し当て、もう片方の膝に額を乗せて休ませた。彼女は森を前に祈り、森が自身を守ってくれることをただ願った。

 「シェバラ?」王の声は柔弱で不安げだった。「娘よ、わが前に跪くとは? 何があった?」

 「館です」彼女は面を上げる。「館が森にやって来ました。西側の森の境界付近にある空地で、手拍子遊びに興じる子供たちを見ました。私たちは何かを見逃しています。館はここに来ています」

 「館にそのようなことはできぬ」と王は否定し、彼女を立ち上がらせるために手を差し出した。「我々は木々に愛されている。そして館による街の種の類はいずれもこの奥へは運ばれておらん」

 「私たちは何かを見逃したのです。館は来ています」シェバラはそう主張し続けた。

 「落ち着くのだ、我が子よ。まずは落ち着きなさい」王はため息をついた。「他の偵察隊が戻ってくるのを待ち、誰かが館を見たか確かめるのだ」

 「しかし王よ――」

 「待つのだ」

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アート:Josu Hernaiz

 王はシェバラを輪の中に引き入れたが、彼女は見たものについて理解して義務を果たしたにもかかわらず、その褒賞が静観であるという結果が分かり不機嫌そうに座っていた。彼女の周りの絡み合った藪草が、突然何とも説明のつかない形で満たされたように見えた――扉の外枠、鋭い形の四枚窓に。身震いした彼女は両腕で体を抱きかかえて目をそらした。

 ひとりまたひとりと、他の斥候たちが帰還してきた。誰もシェバラが報告したようなものを見ていなかった。誰もが落ち着かず尻込みした様子で、寒気を追い払うかのように腕をさすりながら、背後を振り返っていた。若い狩猟者のひとりがシェバラの近くで立ち止まったので、彼女は近寄って尋ねた。「本当に、何も見ませんでしたか?」

 彼は怯えた仔馬のように見開いた目で彼女を見ると、他の者たちと一緒に去るために急いでその場を離れた。

 王は遺憾の表情を浮かべながら彼女の元へと戻ってきた。「シェバラ……」

 「何を見たのか、私は分かっています!」彼女は、高さが権威をもたらすかのように立ち上がって声を張った。「館は来ているのです!」

 「館は決してここには来ない」と彼は告げた。「我々にはお守りくださる強い木々があり、枝の下に街の汚毒はない。悪夢を口にせず、冷静になるのだ」

 今は理解を得られないだろう。これ以上王に無礼をはたらかないよう、これ以上恥をかくことがないよう、シェバラは拳を握りしめて顔を背けた。

 昼の斥候隊は持ち場についていた。夜明けの斥候隊は全員呼び戻された。彼らが夜の報告を始めたとき、彼女は絡み合った藪の中へと静かに立ち去った。彼女は自分が見たものが何かを理解していた。何が起こるかを理解していた。しかし誰も耳を傾けなかった。

 しばらく歩き回ったのち、彼女は見た。誰に見守られることもない、また別の人間の子供たちの輪を。それらは木々の間から差し込む薄暗い陽光を仰ぎ、目を閉じたまま、はっきり見えないほどの速さで手拍子を鳴らしていた。

昔は隣におうちがあった
今はどこにもおうちはないよ
ダスクモーンは休まない ダスクモーンは手をのばす
怖さ追いかけ 怪しさ追いかけ
おうちが釘ごとぜんぶを食べた
窓 壁 ぜんぶを食べちゃった
お屋根も食べて――突き抜けて、
歯をむきだしてわたしも食べた
あなたもすぐに飲み込んじゃうぞ

 歌が終わると同時に、それらは一斉に目を開いて木々の間に黙って立っていたシェバラの方を向いた。彼女はひるみ、再び手拍子の音が聞こえると同時に踵を返して逃げ出した。

 彼女が長老たちの輪へと戻ると、そこは静まり返っていた。狩猟者たちと王は目を閉じてうずくまり、彼らの髪には蛾が群れて止まっていた。シェバラは王の元へと駆け寄り、半狂乱で蛾を叩き落としていった。蛾を振り払うと、王は彼女の腕を掴んで顔を上げた。

 「シェバラ?」彼は困惑した様子で尋ねた。「何が――?」

 「館はここに来ています」彼女は半ば観念して言った。蛾が髪に止まっているまま動かない周囲の狩猟者たちを身振りで示す。「もう遅すぎるのです。私たちは、世界最後の森は、負けたのです。ロトゥルーは陥落しました」

 王はすっくと立ちあがり、彼女の背中が自分の胸に向くようにして彼女の腰へと腕を回し、しっかりと抱きしめた。その間、周囲の木々から伸び始めた薄銀の木による繊細な透かし細工が、彼らの頭上で尖塔のように連なっていった。蔓の隙間はすでに窓ガラスで埋まりはじめていた。その中に最後のエルフたちを住まわせたまま、館は温室を作り上げたのだ。ガラス越しの日光が人工的な夏を作り出すのだろう。冬はもはや訪れないのだろう。循環は砕かれ、世界は敗れ、館が勝利した。

 壁は強固になった。ガラスは分厚くなった。ロトゥルーのエルフたちは他の生存者たちと合流し、館の壁の中で生き延びるために必死で戦った。館は世界だ。世界はあの廊下、あの部屋の中に、無慈悲に掴みかかる手のようなものに掌握されていた。

 館が矮陽を奪ったときは、誰もそれに気づかなかった。

 外からそれを見るものはいなかった。


(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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