HALL OF FAME
ズヴィ・モーショヴィッツ Zvi Mowshowitz
選出 | 2007年 |
---|---|
出身 | アメリカ合衆国、ニューヨーク州ニューヨーク |
プロツアー・デビュー | プロツアー・ロサンゼルス1998 |
生涯獲得賞金 | 141,460ドル |
生涯獲得プロ・ポイント | 236点 |
オリジナル性に富んだ革新的な発想を最も得意としていたプレイヤー。《モグの中隊》を用いたデッキや「ゴジラ」など、環境を定義するデッキを数多く生み出す。「ソリューション」でプロツアー・東京2001優勝。またライターとしても10年以上にわたり活躍し、寄稿先は「The Dojo」、「Mindripper」、「New Wave」、「The Sideboard」、「Brainburst」、「Starcitygames」、「Magicthegathering.com」など多岐にわたる。
PROFILE プロフィール
今年選出されたカイ・ブッディ/Kai Buddeと同じく、ズヴィ・モーショヴィッツのキャリアの始まりはプロツアーのジュニア部門だった。彼の場合はプロツアー・ダラス1996のジュニア部門が初参加となり、続くプロツアー・ロサンゼルス1997のジュニア部門では決勝まで進出したが、これらは公式記録として扱われないため、彼が殿堂資格を得るための10年間という時計の針が動き出したのは、さらに次のシーズンに行われたプロツアー・ロサンゼルス1998からとなった(結果は12位)。ジュニア部門で達成した決勝進出も公式記録には含まれないため、ズヴィのプロツアー・トップ8入賞回数はプロツアー・東京2001での優勝を含め4回となる。彼はまた1999年のアメリカ代表チームの一員であり、またグランプリでも2度の優勝を含めトップ8入賞4回を記録している。
ズヴィはプロ・シーンから引退した時点で、生涯獲得賞金、生涯獲得プロ・ポイントともに上位20人に入るだけの戦績を積み上げていた。このようにプレイヤーとしても驚くべきキャリアを持つ彼だが、恐らくそれ以上にデッキ・デザイナーやコラムニストとしての顔の方が広く知られているだろう。ズヴィは過去にも類を見ない圧倒的な量の記事を書き、「Magic Dojo」を始め公式サイトまで、実にさまざまなウェブサイトへ記事を寄稿した。
ズヴィにキャリア初期のプロツアーの思い出を尋ねると、最初に返ってきたのはライターとしての答えだった。
「初めて参加したプロツアーのトーナメント・レポートを書いたことをよく覚えていますよ」と、ズヴィは笑う。「かつてあったプロツアーのジュニア部門で準優勝して権利を獲得し、クイーン・メリーという客船で行われたプロツアーに出場しました。自信はまったくありませんでしたね。プロツアーでは、マーク・ル・ピーン/Mark Le Pineに始まりダーウィン・キャスル/Darwin Kastleに終わるという風にマジックの偉人たちと次々と対戦することができ、もう不安とかそういうのは全部吹き飛びました。現実とは思えない時間を1日中過ごすことになり、その中で私にできるのは前を向いてベストを尽くすことだけでした」
「デッキも私に自信を与えてくれました」と、ズヴィは『テンペスト』ブロック構築で行われた大会を振り返って続ける。長年にわたってブロック構築を得意としてきた彼が、史上初のブロック構築プロツアーでも活躍できたことを疑う余地はないだろう。「そのデッキは自分ひとりで一から作って、通っていた『Neutral Ground』以外では見ることもなかったはずなんですが、プロツアーでは会場の3分の1もの人が使っていました。つまり私の考えは正しかったんです。勝てるとは思っていませんでしたが、12位という好成績を出せたことには意外と驚かなかったですね」
ズヴィはその後、プロツアー・ニューヨーク1999で躍進を遂げた。『ウルザ』ブロック構築で行われたこの大会で、彼は自身が手がけた「ゼロ・エフェクト」デッキを手にトップ4入賞を果たし、マジックにおけるマッド・サイエンティストとの評価を確立させた。無精ひげを生やし髪はぼさぼさというズヴィの格好も、その評価を固める一助となったことは間違いない。当時はマジックのテレビ中継が行われていたため、彼は決勝ラウンドの放送前に身だしなみを整えさせられたのだ。
「プロツアーの一番の思い出は、プロツアー・ニューヨーク1999で身だしなみを整えさせられたことですね。私が大舞台に立つ前に、ウィザーズは私の格好を何とかしようと決断しました。新しい衣装を用意してもらい、そして理容師3人がかりでひげを剃ってもらった結果、あの有名な『突然のひげ剃り事件』が起きたわけです」と、ズヴィは回想する。「あんな体験二度とできませんよ」
プロツアー・ニューヨーク1999をきっかけにズヴィは開眼し、その年は彼自身想像もしなかったほどマジックに集中した。すると彼は再びニューヨークの地でプロツアー・サンデーの大舞台に足を踏み入れ、殿堂へ至る道をまた一歩進んだのだった。
「競技の世界にいる人たちは、常にベストを尽くし、勝利を掴んで名を残そうとします。ですが、まさかマジックにプロツアー殿堂ができるなんて思いもしませんでした」と、ズヴィは語る。「たとえ私がプロツアーでデビューした年にプロツアー殿堂があったとしても、私が殿堂入りするなんて考えは絶対に出てこなかったでしょう。マジックで成功を収めて生涯獲得賞金で競い合っているうちに、マジックの歴史に自分の名前を残すために戦うプレイヤーがたくさんいることをひしひしと感じました。私たち殿堂顕彰者の最大の功績は、プロツアー殿堂という制度が作られるほどマジックを盛り上げたことだと私は思います。リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldやマジックが目指しているところに、また一歩近づけた気がします。それから、マインド・スポーツが野球やサッカーと同じ地平に立つための一歩でもあると思います」
「自分の殿堂入りについては期待していましたが、当たり前のように入れるとは考えていませんでした」 スーパースター揃いの殿堂候補者たちの中で自身が殿堂入りできる可能性をどう考えていたか問われると、ズヴィはそう答えた。「殿堂入りにふさわしいプレイヤーたちでも、少なくとも2人は落選しますからね。カイはさておき、他に保証されているプレイヤーはいませんでした。殿堂入りの知らせが来た瞬間は、喜びと安心が混ざったような感覚になりました。その感覚に浸るより先に、私は世界選手権の計画と飛行機のチケットについて話をしました。大きな出来事が起きるときは、一気に押し流されるわけではないんですね」
「私にとって、殿堂入りにはふたつの大きな意味があります」とズヴィは続ける。「ひとつは、私がマジックのプロツアーで活躍した歴史に残るプレイヤーであると認められたこと。これは信じられないほど光栄なことです。そしてふたつ目は、今後すべてのプロツアーへの参加権利を得られること。こちらは信じられないほどのチャンスです。プロ・プレイヤーの多くは、すべてのイベントに出場し続けなければならないことの厳しさを忘れてしまいがちです。競技の世界を外から見ている人々のために、私はその厳しさを忘れないよう努めてきました」
カイと同様に、ズヴィは殿堂セレモニーだけでなく世界選手権も楽しみにしているという。「世界選手権にも出ますよ。こんな一生に一度の機会は逃せません。考えるまでもないです。プレイングについても長年やってきましたから、復帰の準備はいつでもできています」
「今後のことは、久しぶりの世界選手権を味わってから決めます。プロツアーがまだ私でも楽しめるものなら、アメリカで行われる大会で私の姿を見かけるかもしれませんね。でも仕事の関係でヨーロッパやアジアには行けないと思います。参加すると決めたら、勝つために行きます――今回も、殿堂セレモニーのあと練習するつもりです! それでも注ぎ込める時間が限られていることは理解していますし、今のトップ・プレイヤーたちの熱意も知っています。私が現役だった頃よりも競争はずっと激しくなっているでしょう。なかなか厳しい戦いになると思います」
最後に、ズヴィは感謝したい人物リストを読み上げていった。その一番上には、マジックの創造主の名前が書かれていた。
「マジック:ザ・ギャザリングというゲームを作ったリチャード・ガーフィールドと、プロツアーを生み出したスカフ・イライアス/Skaff Elias、プロツアー殿堂を創設したランディ・ビューラー/Randy Buehlerへ感謝を伝えたいです。彼らがいなければ、殿堂投票もなく殿堂入りもありません。そして個人的に、スコット・ジョーンズ/Scott Johnsとジャスティン・ゲイリー/Justin Garyには感謝しなければいけませんね。彼らをはじめ、素晴らしいチームメイトたちとともに取り組んだからこそ、私はこんなに素晴らしい成功を収めることができました。最高のマジック人生を楽しめたのも、彼らのおかげです」
ズヴィはプロ・シーンから引退した時点で、生涯獲得賞金、生涯獲得プロ・ポイントともに上位20人に入るだけの戦績を積み上げていた。このようにプレイヤーとしても驚くべきキャリアを持つ彼だが、恐らくそれ以上にデッキ・デザイナーやコラムニストとしての顔の方が広く知られているだろう。ズヴィは過去にも類を見ない圧倒的な量の記事を書き、「Magic Dojo」を始め公式サイトまで、実にさまざまなウェブサイトへ記事を寄稿した。
ズヴィにキャリア初期のプロツアーの思い出を尋ねると、最初に返ってきたのはライターとしての答えだった。
「初めて参加したプロツアーのトーナメント・レポートを書いたことをよく覚えていますよ」と、ズヴィは笑う。「かつてあったプロツアーのジュニア部門で準優勝して権利を獲得し、クイーン・メリーという客船で行われたプロツアーに出場しました。自信はまったくありませんでしたね。プロツアーでは、マーク・ル・ピーン/Mark Le Pineに始まりダーウィン・キャスル/Darwin Kastleに終わるという風にマジックの偉人たちと次々と対戦することができ、もう不安とかそういうのは全部吹き飛びました。現実とは思えない時間を1日中過ごすことになり、その中で私にできるのは前を向いてベストを尽くすことだけでした」
「デッキも私に自信を与えてくれました」と、ズヴィは『テンペスト』ブロック構築で行われた大会を振り返って続ける。長年にわたってブロック構築を得意としてきた彼が、史上初のブロック構築プロツアーでも活躍できたことを疑う余地はないだろう。「そのデッキは自分ひとりで一から作って、通っていた『Neutral Ground』以外では見ることもなかったはずなんですが、プロツアーでは会場の3分の1もの人が使っていました。つまり私の考えは正しかったんです。勝てるとは思っていませんでしたが、12位という好成績を出せたことには意外と驚かなかったですね」
ズヴィはその後、プロツアー・ニューヨーク1999で躍進を遂げた。『ウルザ』ブロック構築で行われたこの大会で、彼は自身が手がけた「ゼロ・エフェクト」デッキを手にトップ4入賞を果たし、マジックにおけるマッド・サイエンティストとの評価を確立させた。無精ひげを生やし髪はぼさぼさというズヴィの格好も、その評価を固める一助となったことは間違いない。当時はマジックのテレビ中継が行われていたため、彼は決勝ラウンドの放送前に身だしなみを整えさせられたのだ。
「プロツアーの一番の思い出は、プロツアー・ニューヨーク1999で身だしなみを整えさせられたことですね。私が大舞台に立つ前に、ウィザーズは私の格好を何とかしようと決断しました。新しい衣装を用意してもらい、そして理容師3人がかりでひげを剃ってもらった結果、あの有名な『突然のひげ剃り事件』が起きたわけです」と、ズヴィは回想する。「あんな体験二度とできませんよ」
プロツアー・ニューヨーク1999をきっかけにズヴィは開眼し、その年は彼自身想像もしなかったほどマジックに集中した。すると彼は再びニューヨークの地でプロツアー・サンデーの大舞台に足を踏み入れ、殿堂へ至る道をまた一歩進んだのだった。
「競技の世界にいる人たちは、常にベストを尽くし、勝利を掴んで名を残そうとします。ですが、まさかマジックにプロツアー殿堂ができるなんて思いもしませんでした」と、ズヴィは語る。「たとえ私がプロツアーでデビューした年にプロツアー殿堂があったとしても、私が殿堂入りするなんて考えは絶対に出てこなかったでしょう。マジックで成功を収めて生涯獲得賞金で競い合っているうちに、マジックの歴史に自分の名前を残すために戦うプレイヤーがたくさんいることをひしひしと感じました。私たち殿堂顕彰者の最大の功績は、プロツアー殿堂という制度が作られるほどマジックを盛り上げたことだと私は思います。リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldやマジックが目指しているところに、また一歩近づけた気がします。それから、マインド・スポーツが野球やサッカーと同じ地平に立つための一歩でもあると思います」
「自分の殿堂入りについては期待していましたが、当たり前のように入れるとは考えていませんでした」 スーパースター揃いの殿堂候補者たちの中で自身が殿堂入りできる可能性をどう考えていたか問われると、ズヴィはそう答えた。「殿堂入りにふさわしいプレイヤーたちでも、少なくとも2人は落選しますからね。カイはさておき、他に保証されているプレイヤーはいませんでした。殿堂入りの知らせが来た瞬間は、喜びと安心が混ざったような感覚になりました。その感覚に浸るより先に、私は世界選手権の計画と飛行機のチケットについて話をしました。大きな出来事が起きるときは、一気に押し流されるわけではないんですね」
「私にとって、殿堂入りにはふたつの大きな意味があります」とズヴィは続ける。「ひとつは、私がマジックのプロツアーで活躍した歴史に残るプレイヤーであると認められたこと。これは信じられないほど光栄なことです。そしてふたつ目は、今後すべてのプロツアーへの参加権利を得られること。こちらは信じられないほどのチャンスです。プロ・プレイヤーの多くは、すべてのイベントに出場し続けなければならないことの厳しさを忘れてしまいがちです。競技の世界を外から見ている人々のために、私はその厳しさを忘れないよう努めてきました」
カイと同様に、ズヴィは殿堂セレモニーだけでなく世界選手権も楽しみにしているという。「世界選手権にも出ますよ。こんな一生に一度の機会は逃せません。考えるまでもないです。プレイングについても長年やってきましたから、復帰の準備はいつでもできています」
「今後のことは、久しぶりの世界選手権を味わってから決めます。プロツアーがまだ私でも楽しめるものなら、アメリカで行われる大会で私の姿を見かけるかもしれませんね。でも仕事の関係でヨーロッパやアジアには行けないと思います。参加すると決めたら、勝つために行きます――今回も、殿堂セレモニーのあと練習するつもりです! それでも注ぎ込める時間が限られていることは理解していますし、今のトップ・プレイヤーたちの熱意も知っています。私が現役だった頃よりも競争はずっと激しくなっているでしょう。なかなか厳しい戦いになると思います」
最後に、ズヴィは感謝したい人物リストを読み上げていった。その一番上には、マジックの創造主の名前が書かれていた。
「マジック:ザ・ギャザリングというゲームを作ったリチャード・ガーフィールドと、プロツアーを生み出したスカフ・イライアス/Skaff Elias、プロツアー殿堂を創設したランディ・ビューラー/Randy Buehlerへ感謝を伝えたいです。彼らがいなければ、殿堂投票もなく殿堂入りもありません。そして個人的に、スコット・ジョーンズ/Scott Johnsとジャスティン・ゲイリー/Justin Garyには感謝しなければいけませんね。彼らをはじめ、素晴らしいチームメイトたちとともに取り組んだからこそ、私はこんなに素晴らしい成功を収めることができました。最高のマジック人生を楽しめたのも、彼らのおかげです」
THE RECORD 戦績
プロツアー | プロツアー・ニューヨーク1999:第3位(ブロック構築) プロツアー・シカゴ2000:第7位(スタンダード) プロツアー・東京2001:優勝(ブロック構築) プロツアー・ニューヨーク2001:第3位(チーム・リミテッド) |
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グランプリ | グランプリ・ボストン1998:第4位(ブロック構築) グランプリ・ワシントンD.C.1999:第4位(ロチェスター・ドラフト) グランプリ・マンチェスター2000:第8位(ロチェスター・ドラフト) グランプリ・ニュージャージー2002:準優勝(チーム・リミテッド) グランプリ・ニューオーリンズ2003:優勝(エクステンデッド) グランプリ・ボストン2003:第7位(ブースタードラフト) グランプリ・ピッツバーグ2003:優勝(チーム・リミテッド) グランプリ・アトランタ2003:第5位(スタンダード) |
その他 | アメリカ選手権1999トップ4入賞 |