HALL OF FAME

渡辺 雄也

Yuuya Watanabe

選出 2016年
出身 日本、東京都町田市
プロツアー・デビュー プロツアー・横浜2007
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 512点

2012年世界王者。2009年度と2012年度の2シーズンでプレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得。2007年度ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得。プロツアー・トップ8入賞3回。グランプリでは優勝6回を含めトップ8入賞24回。2012年以降、世界で唯一すべての世界選手権に出場している。

PROFILE

実に90%を超える得票率を誇り、今年の候補者たちの中でもトップで殿堂入りを決めたのが、日本の渡辺 雄也だった。彼のプロツアー・デビュー戦は、『時のらせん』ブロック構築で行われたプロツアー・横浜2007でのこと。《神秘の指導》を軸に据えたコントロール・デッキを手に初日4勝4敗の成績を収めたが――当時の基準では2日目へ進出できなかった。初めてのプロツアーで最高レベルのマジックを知った彼は、プロツアーの舞台に再び立つことを熱望するようになった。

 渡辺は過去にもプロツアーへの参加権利を獲得していたが、ジョン・フィンケル/Jon Finkelやカイ・ブッディ/Kai Buddeのようなレジェンド級のプレイヤーと相対することに気後れしていた。彼が最高レベルの戦いへ挑むきっかけとなったのが、グランプリ・京都2007での優勝だ。この勝利で自信を深めた渡辺は、世界へ打って出た。デビュー戦は4勝4敗と控えめな結果に終わったものの、プロツアーに満ちる競技の熱と見事なスポーツマンシップを肌で感じた彼は、またすぐにこの舞台に立つことを心に誓ったのだった。

 グランプリ・京都2007での優勝から10年。渡辺は現在、グランプリ・トップ8入賞24回、うち優勝7回という記録を成し遂げている。2011年シーズンには、グランプリ・カンザスシティ2011、グランプリ・上海2011、グランプリ・ピッツバーグ2011と3連戦に挑み、準優勝、優勝、優勝という前代未聞の活躍を見せつけた。

 京都での優勝をきっかけに頭角を現した渡辺は、勢いそのままにルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。そのとき彼は、ニューヨークで行われた世界選手権の舞台に立っていた。その後またたく間にスターの階段を駆け上がり、プロツアー・オースティン2009で自身初のプロツアー・トップ8入賞を果たすと、2009年度のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーまで手にした。その後もプロツアー・トップ8入賞2回を記録し、2011-2012年シーズンには2度目のプレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞。複数回の受賞は、ジョン・フィンケルとカイ・ブッディ以来となる歴代3人目の偉業だった。

 続くシーズンには「プレイヤー選手権2012」(のちに世界選手権へ改名)で優勝を成し遂げ、それ以降、世界で唯一すべての世界選手権に出場している。殿堂顕彰者、八十岡 翔太との決勝戦を制したことは渡辺のキャリアの中でも特筆すべき瞬間であり、彼自身も最高の思い出を決めるのは難しいようだ。

「プレイヤー選手権優勝が一番の思い出かというと悩みますね。グランプリ・京都2007優勝と迷います――どちらかなんて選べません」5年連続出場となる世界選手権2017の前日、渡辺はこれまでのキャリアを振り返ってそう答えた。「京都で優勝したときは、誰も僕のことを知りませんでした。僕の技術を示す最初の機会だったんです」

 殿堂入りを果たした渡辺だが、その歩みはいまだ衰えを知らず、11年目となる今シーズンも世界ランキング25位以内を維持している。プロツアーや世界選手権の舞台でも、「最も恐るべき相手」としてよく名前を挙げられる。彼のプレイをひと目見れば、かつてのカイやジョンと同様に、誰もが「勝てる気がしない」という印象を抱くことだろう。戦いの場では厳しい表情を崩さない渡辺だが、彼は自身のことを「おもしろおかしいやつ」だと評する。日本では記事や動画、生放送を通して楽しくマジックについて語っているようだ。

 これまでの歩みを支えてくれたすべての人に謝意を示す渡辺だが、とりわけ声援を送り続けてくれた日本のマジック・ファンには一層深い感謝を伝えたいと言う。そして数々の成功を収めた彼だが、まだ手にしていないトロフィーがある。

「ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得したあの日から、自分の中で決めた目標のほとんどを達成してきました。プレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞、世界選手権優勝、殿堂入り……あとはプロツアーで優勝したいです」

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