HALL OF FAME
中村 修平 Shuhei Nakamura
選出 | 2011年 |
---|---|
出身 | 日本、東京 |
プロツアー・デビュー | プロツアー・サンディエゴ2002 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 431点 |
プロツアー・トップ8入賞5回。2008年度プレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得。グランプリ・セントルイス2006とグランプリ広島2006の連続優勝を含め、グランプリ・トップ8入賞17回。2005年度より5度にわたり、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー・レースで5位以内に入る成績を収める。生涯獲得プロ・ポイント400点以上を記録する6人のひとり。大型イベント出場のため世界中を旅して回り、日本のマジック・コミュニティの発展に寄与している。
PROFILE プロフィール
中村 修平が初めて招待されたプロツアーは、プロツアー・ニューオーリンズ2001であった。しかし、彼は金銭的な理由でこれを辞退。続くプロツアー・サンディエゴ2002の招待も受けた中村は、そこから数シーズンにわたり少しずつ大会に参加し続け、ついに次へとつながる一歩を踏み出した。サンフランシスコで開催された2003-2004年シーズンを締めくくる世界選手権で、50位以内の成績を残したのだ。その年は団体戦でも藤田 剛史、津村 健志の両名とチームを組み、世界選手権史上最強の代表チームと言えるほどの印象を与えた。
初めてのプロツアーの旅を振り返り、中村は日本のプレイヤーがプロツアーで結果を出し注目されるようになる前と後、ふたつの時代を渡り歩いた経験を語る。
「初めてのプロツアーでは、2日目に残れませんでした。まだ日本人がプロツアーで活躍できていなかった時代のことですから、そこまで気を落とすことも動揺することもありませんでした」と、プロツアー・サンディエゴ2002を思い返す中村。「初めてのプロツアーから家に持ち帰ったのは、『プロツアーはいつか乗り越えてやりたい壁だ』という想いでした。他に思い出として残っているのは、本当に素晴らしい人物と出会えたことですかね――ユージン・ハーヴェイ/Eugene Harveyという男に。今考えてみると、ちょうど彼も同じときにプロツアー・デビューを果たしているんですよね」
その後、日本のマジック・プレイヤーに追い風が吹く。このときすでに藤田 剛史がプロツアー決勝進出を経験しており、プロツアー・ヴェニス2003では鹿島 彰浩がトップ8、そして森田 雅彦、黒田 正城、森 勝洋の3人がその年のマスターズを制覇したのだ。
世界選手権2004での活躍に続き、中村はプロツアー・コロンバス2004の準優勝を皮切りに躍進を遂げる(この大会では日本人が3人トップ8入りした)。中村は世界選手権2005でもトップ8入賞を果たし、そのシーズンを締めくくった。横浜で開催された世界選手権2005は日本勢が席巻し、個人総合優勝、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー、団体戦優勝と、すべてのタイトルを獲得した。
「日本のプレイヤーたちが自分たちのやり方で花開くことができたのは、地理的な、そして言語的な距離によって長い間海外とのやりとりが控えられていたことが、むしろ利点になっていたからだと私は思います」と、中村はそう分析する。「時間はかかりましたが、藤田さんと、それから鹿島さんがトップ8入賞を果たしました。彼らがみんなを引っ張ってくれたんだと私は感じています。その後、私たち日本人プレイヤーが強いと知られるようになりました。国外で知られていないプレイヤーたちも、トップ8に進出し始めたんです」
まったく驚くに値しないことだが、中村は殿堂入りの資格を得た最初の年に得票率トップに立った。プロツアー・トップ8入賞5回、生涯獲得プロ・ポイント400点以上(しかもそれは現在も増え続けている)、2008年度プレイヤー・オブ・ザ・イヤーとこれだけ材料が揃えば、殿堂入りに何の疑問もないだろう。それでも中村は、投票の集計を待つ間は落ち着かなかったという。
「もし今年殿堂入りできなかったら、二度とできないと思ったんです」喜びに満ちた様子で中村がそう言った。「殿堂に選出されたことを知らされたとき、何よりも安心しました。周りから散々冷やかされましたからね」
中村のことを「アクティブなプレイヤー」だと表現するのは、控えめに過ぎるというものだ。彼は過去数シーズンそれこそ毎週のようにプロ・ポイントを追い求め、プロ・プレイヤーズ・クラブ「レベル8」のステータスを連続で獲得してきたのだ。この度の殿堂入りで「大会巡りの旅はもう少し余裕を持ったスケジュールになる」と彼は認めたが、今後についてはすでに考えていたようだ。
「プロツアーとの接し方を変えることについては、もともと考えていました。今こうして殿堂顕彰者の仲間入りを果たせたので、今後は変わると思います」中村はそう述べると、まだ終わっていない仕事がある、と付け加えた。「プロツアー優勝は目指しますよ」
2005年、最初の殿堂顕彰が行われた日を振り返る中村。世界選手権のその日、中村は殿堂顕彰を見守る側にいた。そしてその週末に、彼はふたつ目のプロツアー・トップ8入賞を成し遂げた。しかしその時点では、プロツアー殿堂という場所にジョン・フィンケル/Jon Finkelと並び立つまでの道のりは、遠く離れているように感じられた。
「10年前は、まさかこの日を迎えられるとは想像もしていませんでした」と、中村は打ち明けた。「6年前には、いつかそんな日が来るのかもしれないと意識しましたが、まだまだ先のことだと思っていました。3年前に、この日をはっきりと目標にしました。殿堂入りは、私のマジック人生のひとつの到達点です。願わくは、私の人生で成し遂げる偉業のひとつであってほしい」
日本人でふたり目となる殿堂顕彰を受けた中村だが、彼はそのための道を拓いてくれた人物に感謝したいと述べた――日本人初の殿堂顕彰者に。
「藤田 剛史という男には感謝しなければ」と中村。「長年にわたってマジックを続けてこられたのは、彼の影響がほとんどなのですから」
初めてのプロツアーの旅を振り返り、中村は日本のプレイヤーがプロツアーで結果を出し注目されるようになる前と後、ふたつの時代を渡り歩いた経験を語る。
「初めてのプロツアーでは、2日目に残れませんでした。まだ日本人がプロツアーで活躍できていなかった時代のことですから、そこまで気を落とすことも動揺することもありませんでした」と、プロツアー・サンディエゴ2002を思い返す中村。「初めてのプロツアーから家に持ち帰ったのは、『プロツアーはいつか乗り越えてやりたい壁だ』という想いでした。他に思い出として残っているのは、本当に素晴らしい人物と出会えたことですかね――ユージン・ハーヴェイ/Eugene Harveyという男に。今考えてみると、ちょうど彼も同じときにプロツアー・デビューを果たしているんですよね」
その後、日本のマジック・プレイヤーに追い風が吹く。このときすでに藤田 剛史がプロツアー決勝進出を経験しており、プロツアー・ヴェニス2003では鹿島 彰浩がトップ8、そして森田 雅彦、黒田 正城、森 勝洋の3人がその年のマスターズを制覇したのだ。
世界選手権2004での活躍に続き、中村はプロツアー・コロンバス2004の準優勝を皮切りに躍進を遂げる(この大会では日本人が3人トップ8入りした)。中村は世界選手権2005でもトップ8入賞を果たし、そのシーズンを締めくくった。横浜で開催された世界選手権2005は日本勢が席巻し、個人総合優勝、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー、団体戦優勝と、すべてのタイトルを獲得した。
「日本のプレイヤーたちが自分たちのやり方で花開くことができたのは、地理的な、そして言語的な距離によって長い間海外とのやりとりが控えられていたことが、むしろ利点になっていたからだと私は思います」と、中村はそう分析する。「時間はかかりましたが、藤田さんと、それから鹿島さんがトップ8入賞を果たしました。彼らがみんなを引っ張ってくれたんだと私は感じています。その後、私たち日本人プレイヤーが強いと知られるようになりました。国外で知られていないプレイヤーたちも、トップ8に進出し始めたんです」
まったく驚くに値しないことだが、中村は殿堂入りの資格を得た最初の年に得票率トップに立った。プロツアー・トップ8入賞5回、生涯獲得プロ・ポイント400点以上(しかもそれは現在も増え続けている)、2008年度プレイヤー・オブ・ザ・イヤーとこれだけ材料が揃えば、殿堂入りに何の疑問もないだろう。それでも中村は、投票の集計を待つ間は落ち着かなかったという。
「もし今年殿堂入りできなかったら、二度とできないと思ったんです」喜びに満ちた様子で中村がそう言った。「殿堂に選出されたことを知らされたとき、何よりも安心しました。周りから散々冷やかされましたからね」
中村のことを「アクティブなプレイヤー」だと表現するのは、控えめに過ぎるというものだ。彼は過去数シーズンそれこそ毎週のようにプロ・ポイントを追い求め、プロ・プレイヤーズ・クラブ「レベル8」のステータスを連続で獲得してきたのだ。この度の殿堂入りで「大会巡りの旅はもう少し余裕を持ったスケジュールになる」と彼は認めたが、今後についてはすでに考えていたようだ。
「プロツアーとの接し方を変えることについては、もともと考えていました。今こうして殿堂顕彰者の仲間入りを果たせたので、今後は変わると思います」中村はそう述べると、まだ終わっていない仕事がある、と付け加えた。「プロツアー優勝は目指しますよ」
2005年、最初の殿堂顕彰が行われた日を振り返る中村。世界選手権のその日、中村は殿堂顕彰を見守る側にいた。そしてその週末に、彼はふたつ目のプロツアー・トップ8入賞を成し遂げた。しかしその時点では、プロツアー殿堂という場所にジョン・フィンケル/Jon Finkelと並び立つまでの道のりは、遠く離れているように感じられた。
「10年前は、まさかこの日を迎えられるとは想像もしていませんでした」と、中村は打ち明けた。「6年前には、いつかそんな日が来るのかもしれないと意識しましたが、まだまだ先のことだと思っていました。3年前に、この日をはっきりと目標にしました。殿堂入りは、私のマジック人生のひとつの到達点です。願わくは、私の人生で成し遂げる偉業のひとつであってほしい」
日本人でふたり目となる殿堂顕彰を受けた中村だが、彼はそのための道を拓いてくれた人物に感謝したいと述べた――日本人初の殿堂顕彰者に。
「藤田 剛史という男には感謝しなければ」と中村。「長年にわたってマジックを続けてこられたのは、彼の影響がほとんどなのですから」
THE RECORD 戦績
プロツアー | プロツアー・コロンバス2004:準優勝(エクステンデッド) 世界選手権2005:第7位(混合フォーマット) プロツアー・プラハ2006:第3位(ブースター・ドラフト) プロツアー・ヴァレンシア2007:第4位(エクステンデッド) プロツアー・ハリウッド2008:第3位(スタンダード) |
---|---|
グランプリ | グランプリ神戸2001:準優勝(ブロック構築) グランプリ福岡2002:第8位(ブースター・ドラフト) グランプリ名古屋2002:準優勝(チーム・ロチェスター・ドラフト) グランプリ宇都宮2002:準優勝(ロチェスター・ドラフト) グランプリ横浜2003:第6位(ブロック構築) グランプリ・シアトル2005:第3位(エクステンデッド) グランプリ松山2005:第6位(ブースター・ドラフト) グランプリ・トゥールーズ2006:第3位(ブースター・ドラフト) グランプリ・セントルイス2006:優勝(ブースター・ドラフト) グランプリ広島2006:優勝(ブースター・ドラフト) グランプリ・シュトゥットガルト2007:優勝(ブースター・ドラフト) グランプリ・コペンハーゲン2008:第4位(スタンダード) グランプリ・リミニ2008:準優勝(ブロック構築) グランプリ・ロッテルダム2009:第3位(ブースター・ドラフト) グランプリ・ヒューストン2010:第5位(エクステンデッド) グランプリ・フィレンツェ2010:第3位(ブースター・ドラフト) グランプリ・プラハ2011:第3位(ブースター・ドラフト) |