HALL OF FAME
八十岡 翔太 Shota Yasooka
選出 | 2015年 |
---|---|
出身 | 日本、東京 |
プロツアー・デビュー | プロツアー・バルセロナ2001 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 408点 |
プロツアー・チャールストン2006での優勝を含め、プロツアー・トップ8入賞2回。グランプリではグランプリ・神戸2011優勝を含めトップ8入賞19回。2006年度プレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得。青いコントロール・デッキのビルダーとして数々の伝説を残し、常に青と黒の呪文を使うことで広く知られている。
PROFILE プロフィール
プロツアー・チャールストン2006。日本の八十岡 翔太はこの大会で頭角を現し、決勝ではウィリー・エデル/Willy Edelと対峙した。八十岡にこれまでのキャリアで最高の瞬間を尋ねるとこの大会での優勝を挙げたが、「一匹狼」としての評価を確立させたプレイヤーの最も思い出深い瞬間が3人チーム戦での出来事とは、ユーモアを感じずにはいられない。八十岡は鍛冶 友浩、齋藤 友晴とともに結成したチーム「Kajiharu80」の一員として戦い、優勝を成し遂げたのだ。
八十岡がマジックを始めたのは中学生の頃、クラスメイトに紹介されてこのゲームと出会ったという。八十岡はマジックの競技的な面に心惹かれていたものの、真剣にプロツアーの舞台に挑戦するようになるのはそれから5年後、同じ日本のプレイヤーたちが大活躍する姿を見たのがきっかけだった。
「いつも競技の舞台で戦うプレイヤーになることを夢見ていましたが、日本人プレイヤーが世界選手権2005で活躍するのを見てさらにその想いは強くなり、真剣に取り組むことを決めました」 そう語る八十岡はその後6回ほどプロツアーに出場し、そして2006年に開花のときを迎えた。彼はこの年、チーム戦プロツアー優勝に加えプレイヤー・オブ・ザ・イヤーも獲得したのだ。
初めて参加したプロツアーでは幸先の良いスタートを切った八十岡だが、望み通りの結果にはならなかった。
「あのときの結果はよく覚えています――3連勝からの4連敗でした」と、八十岡は言う。「2日目進出を目標にしていたんですが、あえなく初日敗退でしたね」
八十岡はマジックをひとりで戦うものだと考え、カードを引き続けてきた。日本の先人たちに続きたいと思いながらも、自分ならではの戦い方で成功したいという想いを胸に、他者の真似をすることは決してなかった。
「たしかに他の人とはあまり関わりませんでした」と彼は認める。だがもちろん、最高峰の戦いを繰り返しながら世界中を旅するうちに生まれる仲間意識を八十岡が楽しんでいなかったというわけではない。「2006年から2007年にかけて、齋藤や中村(修平)、津村(健志)とともに世界中を旅しました。あの経験はかけがえのないものです」
いつもデッキビルダーとして衆目を驚かし、プロツアーで安定した好成績を出し、何度も2日目の最後まで上位に名前を連ねてきた八十岡だが、プロツアー・トップ8入賞については昨シーズンのプロツアー『タルキール龍紀伝』で自身2度目を達成したばかりだった。彼の活躍で最も印象深いのは、完全オリジナルのローグ・デッキで準優勝を記録したプレイヤー選手権2012(現在の世界選手権)だろう。また、彼の活躍は卓上ゲームのマジックに留まらない。2009年には「Magic Online Player of the Year」のタイトルも獲得しているのだ。
「最も誇りに思えるのは、Magic Online Player of the Yearを獲得したことです」キャリアを振り返って最も大事な実績を尋ねると、八十岡はそう答えた。
八十岡は今年の殿堂入りに期待していなかった。だから選出されたと知らされたときはとても驚いたという。とはいえ今シーズンは無理でも、いつかは必ず殿堂入りすると彼は考えていた。
「プロツアー殿堂というシステムが発表されたときに、マジックを続けていればいつかは殿堂入りできると感じました」と、プロツアー・チャールストン2006王者は語る。「これまでの実績が認められて嬉しく思います」
そして殿堂入りに際して特に感謝した人物を尋ねると、八十岡は簡潔に、はっきりと答えた。「私に投票してくれた方全員に感謝を伝えたいです」
八十岡がマジックを始めたのは中学生の頃、クラスメイトに紹介されてこのゲームと出会ったという。八十岡はマジックの競技的な面に心惹かれていたものの、真剣にプロツアーの舞台に挑戦するようになるのはそれから5年後、同じ日本のプレイヤーたちが大活躍する姿を見たのがきっかけだった。
「いつも競技の舞台で戦うプレイヤーになることを夢見ていましたが、日本人プレイヤーが世界選手権2005で活躍するのを見てさらにその想いは強くなり、真剣に取り組むことを決めました」 そう語る八十岡はその後6回ほどプロツアーに出場し、そして2006年に開花のときを迎えた。彼はこの年、チーム戦プロツアー優勝に加えプレイヤー・オブ・ザ・イヤーも獲得したのだ。
初めて参加したプロツアーでは幸先の良いスタートを切った八十岡だが、望み通りの結果にはならなかった。
「あのときの結果はよく覚えています――3連勝からの4連敗でした」と、八十岡は言う。「2日目進出を目標にしていたんですが、あえなく初日敗退でしたね」
八十岡はマジックをひとりで戦うものだと考え、カードを引き続けてきた。日本の先人たちに続きたいと思いながらも、自分ならではの戦い方で成功したいという想いを胸に、他者の真似をすることは決してなかった。
「たしかに他の人とはあまり関わりませんでした」と彼は認める。だがもちろん、最高峰の戦いを繰り返しながら世界中を旅するうちに生まれる仲間意識を八十岡が楽しんでいなかったというわけではない。「2006年から2007年にかけて、齋藤や中村(修平)、津村(健志)とともに世界中を旅しました。あの経験はかけがえのないものです」
いつもデッキビルダーとして衆目を驚かし、プロツアーで安定した好成績を出し、何度も2日目の最後まで上位に名前を連ねてきた八十岡だが、プロツアー・トップ8入賞については昨シーズンのプロツアー『タルキール龍紀伝』で自身2度目を達成したばかりだった。彼の活躍で最も印象深いのは、完全オリジナルのローグ・デッキで準優勝を記録したプレイヤー選手権2012(現在の世界選手権)だろう。また、彼の活躍は卓上ゲームのマジックに留まらない。2009年には「Magic Online Player of the Year」のタイトルも獲得しているのだ。
「最も誇りに思えるのは、Magic Online Player of the Yearを獲得したことです」キャリアを振り返って最も大事な実績を尋ねると、八十岡はそう答えた。
八十岡は今年の殿堂入りに期待していなかった。だから選出されたと知らされたときはとても驚いたという。とはいえ今シーズンは無理でも、いつかは必ず殿堂入りすると彼は考えていた。
「プロツアー殿堂というシステムが発表されたときに、マジックを続けていればいつかは殿堂入りできると感じました」と、プロツアー・チャールストン2006王者は語る。「これまでの実績が認められて嬉しく思います」
そして殿堂入りに際して特に感謝した人物を尋ねると、八十岡は簡潔に、はっきりと答えた。「私に投票してくれた方全員に感謝を伝えたいです」