HALL OF FAME

リード・デューク

Reid Duke

選出 2019年
居住地 アメリカ合衆国、ニューヨーク州シュガー・ローフ
プロツアー・デビュー プロツアー・アムステルダム2010
生涯獲得プロ・ポイント 530点

5歳からマジックを始める
2011年のMagic Online Championship優勝
ミシックチャンピオンシップ(プロツアー)・トップ8入賞4回を含め、6度にわたり最終日へ進出
チーム「Ultimate Guard」の一員として、プロツアー・チームシリーズ優勝に貢献

PROFILE

 2019年度の殿堂投票では、リード・デュークただ1人だけが殿堂に選出された――マジック・プロツアー殿堂の15年にわたる歴史の中で、殿堂顕彰者として選出されたのが1人だけというのは初めてのことだ。他の候補者については投票が分散する中で、デュークの存在感はひと際大きく、明確だった。得票率は実に94.28%まで伸び、かのカイ・ブッディ/Kai Buddeをも抑えてプロツアー殿堂史上第3位の記録を打ち立てたのだ。(これを上回るのは、ジョン・フィンケル/Jon Finkelの97.1%とルイス・スコット=ヴァーガス/Luis Scott-Vargasの95.6%のみだ。)

 ニューヨーク州シュガー・ローフに居を構えるデュークが産まれたのは、1990年のこと。彼は5歳のときに兄のイアン・デューク/Ian Dukeとともにマジックを始め、イアンが『アイスエイジ』のスターターパックを、そしてリードは『第4版』のスターターパックをそれぞれ買ってもらった。それ以来、2人ともマジックのカードから離れたことはない。スターターパックに付いていた小さなルールブックを読み解きながらプレイしていた兄弟には、目の前にあるカードの束がどれほど自分たちの人生を変えることになるのか、知るよしもなかった。

 マジック人生の第一歩から、導師として、チームの一員として、そして殿堂顕彰者として活躍の幅を広げる現在までを振り返り、リード・デュークは次のように語る。

「私のすべては、このゲームと何かしら結びついています。誠実さやスポーツマンシップ、自己研鑽、そして公平さに対する私の価値観はすべて、マジックをプレイし続ける中で育まれてきたのです。このゲームを通して素晴らしい人たちと出会い、仲間たちとの絆を深めてきました。注目を集める側になった今、私も若いプレイヤーたちの模範になるときが来たのかもしれません。マジックとともに歩んだ私の人生は、単にゲームをプレイするというだけのものではなくなっています」

 デュークの覚えている限り、彼は子供のころから競争心が強く、マジックの大会でプレイすることに夢中だったという。地元の大会では常連だったデュークだが、しかし彼が現在戦いの舞台としている世界規模の大会へ一歩踏み出すのは、10代になってからのことだった。そのキャリアが本格的に始動したのは、高校も卒業した後、デジタル版のマジックを始めてからだ。

「高校生の頃に2、3回は兄や友人たちとグランプリへ行きました。その体験は最高でしたが、現実的に行きたいだけ行けるものではありませんでした」と、デュークは言う。「大きく道が開けたきっかけは、大学生のときにMagic Onlineを始めたことです。その後MOPTQやMOCSが整備され、他では決して味わえない競争を楽しめる機会に恵まれました」

 そして彼は2010年の後半にMOCSで優勝し、初めてプロツアーに参戦した。その大会でリード・デュークは、のちに彼のトレードマークとなるものの片鱗をいくつも見せている。例えばそのとき彼が使用したデッキは、「ジャンド」だった。

「いやはや、お笑い草ですよ」と、デュークは口角を上げる。プロツアー初参加の洗礼を受けた彼だったが、それでも心は折れなかった。「開幕から6連敗しましたが、それでもまだ終わりじゃないからと、残り2戦で勝つために全力を尽くしました」

 キャリア序盤は単発で6回ほど最高峰の舞台に上がったものの、ハイレベルな戦いでデュークは思うように結果が出せていなかった。潮目が変わったのは、サンフランシスコで行われた世界選手権2011――デュークの6度目の挑戦でのことだった。彼はそこで初めて勝ち越し、プロ・プレイヤーズ・クラブのゴールド・レベルに達するプロ・ポイントも稼ぎ、初めて連続で参加権利を手にしたのだ。そしてその週末は、すべてが変わるきっかけである「Magic Online Championship」も開催された。彼はそこで見事に優勝を果たしたのだった。

「MOCS優勝は私が初めて手にしたタイトルであり、他の人にはない強みだと感じています。この優勝をきっかけに、ただの『たくさんプレイしている人』から脱せたのです。また、あまり話すことではありませんが、金銭面の安定を初めて得られた大会でもありました。ここでの成功のおかげで、私はマジックの目標をより自由に追い求められるようになったのです」

 Magic Onlineでのプレイは、デュークのキャリアにおける多くの部分を占めている。そのことは、2010年のMOCSでのインタビューで語るように、キャリア序盤から彼自身も自覚していた。彼の仲間たちの多くは、プロツアーへの参加権利を得るためにGPやPTQなどのテーブルトップのイベントを頼りにしていた。一方、大会へ遠征する手段がないデュークにとって、オンラインでのプレイは参加権利獲得の頼みの綱であるだけでなく、ハイレベルな戦いへの飽くなき欲求を満たすための食餌であった。

「Magic Onlineは私にあらゆるチャンスをくれました……ひたすらにマジックに打ち込み、練習を重ねて多くのことを学ばなければ、私は成功できません。Magic Onlineのおかげで、自分でスケジュールを立てて好きなだけ練習できる環境に身を置くことができたんです」

 ゴールド・レベルに達し、初めてのタイトルを獲得し、そして世界選手権2013で準優勝を記録したデュークだが、2012-2013年シーズンに追い求めながらも達成できなかったこと――プロツアー・トップ8入賞を果たすべく、挑戦を続けた。そして2014年、プロツアー『ニクスへの旅』で、彼の努力は実を結んだ。プレイヤーとしてのキャリアが始まる以前からプロツアーのカバレージを追ってきたデュークは、プロツアー・サンデー未経験のまま満足することなど到底できなかった。プロツアー2日目の最終盤で、彼はフィーチャー・マッチ・エリアでの戦いに臨んだ。自身初のプロツアー・トップ8入賞を懸けた大一番、最後のボスはギョーム・ワフォ=タパ/Guillaume Wafo-Tapaだった。

「ギョーム・ワフォ=タパとの『勝てばトップ8』の試合に勝ったときは、友人たちやチームメイトたちがみんな見守ってくれていました。勝負が決した瞬間、全員から次々と祝福の言葉やハグを受けました。私の人生で特に思い出深い瞬間のひとつです。その瞬間を迎えるまでに費やした多大な労力と、その道のりの中で抱えてきた強烈なフラストレーションにさえも感謝したい気持ちでした。人生を懸けて挑んできた目標をついに達成したのですから」

 その後も彼の勢いはとどまるところを知らなかった。プロツアー・トップ8にはさらに3回入賞し、グランプリ・トップ8入賞回数は優勝を含め数え切れないほどにのぼった。そしてチーム「Ultimate Guard」の仲間とともにプロツアー・チームシリーズ優勝も果たした。だがデュークの殿堂入りは、それらの優れた成績だけによるものではない。彼はコンテンツ・クリエイターとしても、マジックというゲームの教師としても、コミュニティで愛される人物としても、広く知られているのだ。

「一番自信のある創作物を挙げるなら、今でも(英語)公式サイトで読める『Level One』シリーズですね。連載中はかなり大変で、その1年は大会の結果も散々でしたが、それでもやる価値がありました。20年にわたって蓄積してきたマジックの知識を書き残すことができて、もっと上手くなりたいと思う読者の皆さんに伝えられたことに満足しています」

 これらすべての要素が合わさり、デュークはほとんどすべての投票者から第一投票先に選ばれるほど、殿堂顕彰者にふさわしい人物になった。しかし彼自身は、友人やチームメイトから「殿堂入り確実だ」と言われてもなお、自分のことを殿堂リングにふさわしい人物だと驕ることなく、ベストを尽くし続けた。

「最後の最後にできたのは、これまでの10年間に想いを託すことだけでした。あとは投票者の皆さんにすべてを任せよう、と。私自身も毎年のように殿堂投票に参加してきましたが、本当に真剣に、責任を持ってベストな投票先を考えていましたから」

 そして、ついに電話がきた――スコット・ララビー/Scott Larabeeからの唯一無二の電話が。いつも模範的な返答をするデュークが、言葉を失った。

「彼に聞いてしまいましたよ。『こういうときみんな、なんて返しているのかな?』と。マジック・プロツアー殿堂に選ばれて、本当に言葉もありません」と、デュークは語る。「私にとっての殿堂顕彰の意味を尋ねられても月並みなことしか言えませんし、何を言っても本当のところは到底伝えられません。20年にわたって見上げてきたマジック界の伝説たちに並んで、私の写真が飾られますね」

 殿堂インタビューでは、いつもこのタイミングで「殿堂顕彰者になったことで、今後のマジックへの姿勢が変わるか」を尋ねている。だが今はマジックというゲーム自体が大きな変化を迎えており、デュークは殿堂セレモニーを楽しみにしながらも、その「変化」に心残りもある様子だった。

「私が何年にもわたって愛してきたものが消えていくのを見るのは、かなり寂しさを感じます。それでも私は、マジックの未来を楽観的に見ていますよ。新たな殿堂顕彰者として、このゲームの素晴らしい歴史の上に立つ自覚を持ちながら、これまで以上の輝かしい未来へ導けるよう精進します」

 とはいえ、彼のプレイヤーとしての仕事はまだ終わっていない。もちろん「ミシックチャンピオンシップ優勝」は誰もが目指すタイトルだが、デュークにはそれ以上に追い求めている優勝トロフィーがある――2013年にあと一歩のところで逃したものが。

「残る目標で一番大きいのは、世界王者になることですね。これまでの人生でずっと夢見てきたタイトルですが、2013年に準優勝で終わってからはその想いが一層強くなりました」と、デュークは語る。「世界選手権にはこれまで6回参加していますが、毎回それが最後だと思って挑んでいます。世界選手権2019にも参加できるよう、持てる力をすべて尽くしますよ」

 こうして殿堂顕彰者になるまでのキャリアを通して出会ったチームメイトや友人、対戦相手、大会主催者など、すべての人に感謝の気持ちを伝えたいと前置きした上で、マジックを始めた頃に体験を共有した家族なしには何も語れないとデュークは言う。

「私がここまで来られたのは、本当に人生を懸けて私を支えてくれる友人や家族、チームメイトたちみんなのおかげです。それでも、どうしても絞らなければならないなら、兄のイアンといとこのローガン/Loganだけは外せません。私はキャリア序盤に苦しい時期を過ごしました。2人はそんな私とともに、一歩ずつ階段を登ってくれたのです」

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