HALL OF FAME
ポール・リーツェル Paul Rietzl
選出 | 2014年 |
---|---|
出身 | アメリカ合衆国、マサチューセッツ州ボストン |
プロツアー・デビュー | プロツアー・大阪2002 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 307点 |
エクステンデッドで行われたプロツアー・アムステルダム2010にて「白ウィニー」を操り優勝。プロツアー・トップ8入賞は4回を数える。彼の書いたプロツアー・アムステルダム2010のレポート記事は、現代にも通じる。4度のプロツアー・トップ8入賞はすべて、2009年の復帰後に果たされた。グランプリでは、優勝2回を含むトップ8入賞10回。プロツアー・パリ2011では併催されたグランプリ・パリ2011にも参加し、プロツアーの決勝ラウンドを戦いながらグランプリ・トップ8入賞にも挑戦した。「ボロス」のようなビートダウン戦略の使い手として広く知られている。
PROFILE プロフィール
ポール・リーツェルのマジック人生はふたつの時期に分けられる。前半はマジック史上初のスーパー・チーム「Your Move Games」の一員として楽しい日々を送った。ボストン周辺のプレイヤーで構成されたチームYMGは、他にもロブ・ドウアティ/Rob Doughertyやダーウィン・キャスル/Darwin Kastleデイヴ・ハンフリー/Dave Humpherys、ズヴィ・モーショヴィッツ/Zvi Mowshowitzと4人の殿堂顕彰者を輩出している。
リーツェルがマジックを始めたのは、まさに彼らが頂点を極めていた頃だった。将来有望な子どもは、想像を絶するほど過酷な「地元の大会」に身を投じたのだ。
「以前も話しましたが――あのボストンで揉まれかったら、私はマジックで成功できなかったと思います」と、殿堂入りに至る道の第一歩をリーツェルは語る。「ダーウィン・キャスル、ロブ・ドウアティ、デイヴ・ハンフリー、ジャスティン・ゲイリー/Justin Garyはもちろん、チャド・エリス/Chad Ellisやクリス・マニング/Chris Manning、ブルース・コーリー/Bruce Cowley、ダニー・マンデル/Danny Mandel、クリス・センハウス/Chris Senhouseなど、多くのプレイヤーに大きな影響を受けました。私が子どものころ、アメリカ北西部の大会には錚々たる顔ぶれが並んでいました。そこでプレイできたからこそ、今の私があるのです」
リーツェルのプロ・プレイヤーとしてのキャリアは、ボストンの外で始まった。著名なプレイヤーを多く輩出し厳しい会場のひとつとして知られていた「Brighton Knights of Columbus」にて、エクステンデッドで行われたプロツアー大阪2002予選を優勝したのだ。彼は自信満々でプロツアーに臨んだわけではなかったが、もう一度「Knights of Columbus」で権利獲得のための苛烈な戦いをするのも避けたかったという。
「あのころはプロツアーのカバレージに複雑な思いを持っていましたね」と、リーツェルは回想する。「スーパースターのプレイを見るのは大好きでしたが、自分が一切取り挙げられないことには腹が立ちました。自分もプロツアーの一員として認めてもらいたいという想いが湧き、これで最後になりたくないと思いました」
もちろん、それで最後にはならなかった。おあつらえ向きにも、リーツェルはこのたび殿堂セレモニーが行われるハワイの地で開催されたプロツアー・ホノルル2009で2度目のプロツアー参加を果たし、そのまま自身初のトップ8入賞を達成した。彼はその後も3度のプロツアー・トップ8入賞を記録し、中でもプロツアー・アムステルダム2010では彼の代名詞となるアグロ・デッキで優勝を勝ち取った。
ボロス・デッキを操りプロツアー・パリ2011でトップ8入賞を決めるなど、ゲーム開始から素早く攻撃を繰り出し対戦相手にプレッシャーを与えるタイプのデッキへの造詣の深さから、リーツェルはアグロ使いの希望の星となった。またこの週末はリミテッドのグランプリも併催され、リーツェルはプロツアーの決勝ラウンドが行われる日曜日にグランプリの方でもトップ8入賞を懸けた戦いを続けた。
それはプロツアーの歴史の中で唯一の出来事だった。木曜日と金曜日にプロツアーのスイス・ラウンドが行われ、1日空けて日曜日に決勝ラウンドが行われたのだ。土曜日はリミテッドのグランプリが開催され、プロツアーの参加者も参加できたが、2日目はプロツアーの決勝ラウンドと並行して行われた。リーツェルは日曜日にプロツアーの決勝ラウンドを控えていながら、ハイレベルな舞台で戦う機会を求めてグランプリにも参加し、初日を9勝1敗(3不戦勝込み)の成績で突破した。プロツアーの準々決勝で当たるパトリック・チャピン/Patrick Chapinとの相性はかなり不利なため、すぐに敗退するだろうと考えたリーツェルはグランプリの2日目にも参加したいと懇願した。
プロツアー決勝ラウンドの試合より先にグランプリ2日目が始まり、リーツェルはパトリック・チャピンとの試合が始まるという報告を受ける前にドラフトを終えることができた。チャピンとの試合のためグランプリ2日目の第1試合はマッチロスを受けることになったリーツェルだが、プロツアーの準々決勝は素早く3ゲームを連取し勝ち進んだ。彼はそのままグランプリとプロツアー準決勝の両方で戦う意思を示し、彼が両方のイベントで同じビデオ卓に座れるようフィーチャーマッチエリアが再編成された。結果的に(プロツアーの試合中に受けたマッチロスが響き)グランプリのトップ8入賞は逃したものの、リーツェルはプロツアーの方で決勝まで駒を進めた。のちの殿堂顕彰者ベン・スターク/Ben Starkに敗れはしたが、プロツアー準優勝だ。この週末、リーツェルは合計31回戦もの試合をこなし、24勝6敗1分けの成績を収めたのだった。
「私の人生において最もゲームに狂った週末でしたね。あんなに疲れたことはないし、そしてあんなに気持ちの良かったこともありません」と、リーツェルはパリでの出来事を振り返る。「ベン・スタークがもう2回土地事故を起こしてくれればなお良かったんですけど」
2012-2013年シーズンに入り彼は殿堂入りの資格を得たが、契機となったのはプロツアー『テーロス』で自身4度目のプロツアー・トップ8入賞を果たしたときだった。これをきっかけに、投票者たちは彼の名前を投票先のひとつに含めるようになったのだ。
「可能性はあると思っていました。マジック・コミュニティには親友が何人もいて、彼らが私を支持してくれたり大きな声で投票を呼びかけてくれたりしてくれるという強みがありましたから」と、リーツェルは言う。事実、多くのプレイヤーが彼への投票を熱心に呼びかけていた。だがもちろん、プロツアー『テーロス』でのトップ8入賞という実績を加えたことも追い風になっただろう。「昨年から今年にかけて、プロツアー・トップ8入賞1回、グランプリ・トップ8入賞1回、それからプロツアー16位以内を1回達成しました。私に投票したいと考えていた友人たちの後押しをできたと思っています」
リーツェルはプロ・プレイヤーズ・クラブの「プラチナ」レベルを維持しており、これからも最高レベルでの戦いを続けるつもりだという。だがそれでも、今後すべてのプロツアーに参加できるという特典は、フルタイムの仕事と競技の舞台でゲームをプレイすることのバランス取りに苦心していた彼を安心させるものだった。
「人生のステージが『家庭を持つ』段階に入っていく中、いつでも戻って来られるというのは素晴らしいことです。ときどきプロツアーへふらっと現れてジョークを口にしながらパックを剥けるのですから」
リーツェルは殿堂入りの栄誉にやや恐縮していた――身に余る光栄だと彼は言う。
「たしかに良いパフォーマンスを発揮できるときもありますが、それでも私はキャリアを通してかなり幸運に恵まれてきたと思います。殿堂投票からは、あらゆる行動に意味があることを学びました。マジック人生の中で私がしてきたことは、それが良いことであれ悪いことであれ、すべて誰かの記憶に残り、どこかへ影響を与えているのだと。改めて、マジック・コミュニティの皆さんへの尊敬と感謝の念を大切にします。私は本当に果報者です」
特に感謝したい人物を尋ねると、リーツェルは両親の名前を挙げた。子供の趣味をいつも応援し、車でイベントへ送るだけでなく、ときには一緒に飛行機で旅をしてくれた両親へ。
「それからもちろん、ガールフレンドのケイト/Katにも。私が旅に出ることに理解を示し、支えてくれました」と、リーツェルは続ける。「そしてふたりの祖父にも。キャメロン/Cameronは数学と戦略の上級学位を持っており、非の打ち所がない人柄でありながらユーモアのセンスまで持ちあわせている人です。もうひとりの祖父はゲームを愛する人で、特にカードを用いるものがお気に入りです。彼は私に、人生を毎日楽しむことや勝ち負けではなくその過程が大事であることなどを教えてくれました。彼らに喜んでもらえたら嬉しいです」
リーツェルがマジックを始めたのは、まさに彼らが頂点を極めていた頃だった。将来有望な子どもは、想像を絶するほど過酷な「地元の大会」に身を投じたのだ。
「以前も話しましたが――あのボストンで揉まれかったら、私はマジックで成功できなかったと思います」と、殿堂入りに至る道の第一歩をリーツェルは語る。「ダーウィン・キャスル、ロブ・ドウアティ、デイヴ・ハンフリー、ジャスティン・ゲイリー/Justin Garyはもちろん、チャド・エリス/Chad Ellisやクリス・マニング/Chris Manning、ブルース・コーリー/Bruce Cowley、ダニー・マンデル/Danny Mandel、クリス・センハウス/Chris Senhouseなど、多くのプレイヤーに大きな影響を受けました。私が子どものころ、アメリカ北西部の大会には錚々たる顔ぶれが並んでいました。そこでプレイできたからこそ、今の私があるのです」
リーツェルのプロ・プレイヤーとしてのキャリアは、ボストンの外で始まった。著名なプレイヤーを多く輩出し厳しい会場のひとつとして知られていた「Brighton Knights of Columbus」にて、エクステンデッドで行われたプロツアー大阪2002予選を優勝したのだ。彼は自信満々でプロツアーに臨んだわけではなかったが、もう一度「Knights of Columbus」で権利獲得のための苛烈な戦いをするのも避けたかったという。
「あのころはプロツアーのカバレージに複雑な思いを持っていましたね」と、リーツェルは回想する。「スーパースターのプレイを見るのは大好きでしたが、自分が一切取り挙げられないことには腹が立ちました。自分もプロツアーの一員として認めてもらいたいという想いが湧き、これで最後になりたくないと思いました」
もちろん、それで最後にはならなかった。おあつらえ向きにも、リーツェルはこのたび殿堂セレモニーが行われるハワイの地で開催されたプロツアー・ホノルル2009で2度目のプロツアー参加を果たし、そのまま自身初のトップ8入賞を達成した。彼はその後も3度のプロツアー・トップ8入賞を記録し、中でもプロツアー・アムステルダム2010では彼の代名詞となるアグロ・デッキで優勝を勝ち取った。
ボロス・デッキを操りプロツアー・パリ2011でトップ8入賞を決めるなど、ゲーム開始から素早く攻撃を繰り出し対戦相手にプレッシャーを与えるタイプのデッキへの造詣の深さから、リーツェルはアグロ使いの希望の星となった。またこの週末はリミテッドのグランプリも併催され、リーツェルはプロツアーの決勝ラウンドが行われる日曜日にグランプリの方でもトップ8入賞を懸けた戦いを続けた。
それはプロツアーの歴史の中で唯一の出来事だった。木曜日と金曜日にプロツアーのスイス・ラウンドが行われ、1日空けて日曜日に決勝ラウンドが行われたのだ。土曜日はリミテッドのグランプリが開催され、プロツアーの参加者も参加できたが、2日目はプロツアーの決勝ラウンドと並行して行われた。リーツェルは日曜日にプロツアーの決勝ラウンドを控えていながら、ハイレベルな舞台で戦う機会を求めてグランプリにも参加し、初日を9勝1敗(3不戦勝込み)の成績で突破した。プロツアーの準々決勝で当たるパトリック・チャピン/Patrick Chapinとの相性はかなり不利なため、すぐに敗退するだろうと考えたリーツェルはグランプリの2日目にも参加したいと懇願した。
プロツアー決勝ラウンドの試合より先にグランプリ2日目が始まり、リーツェルはパトリック・チャピンとの試合が始まるという報告を受ける前にドラフトを終えることができた。チャピンとの試合のためグランプリ2日目の第1試合はマッチロスを受けることになったリーツェルだが、プロツアーの準々決勝は素早く3ゲームを連取し勝ち進んだ。彼はそのままグランプリとプロツアー準決勝の両方で戦う意思を示し、彼が両方のイベントで同じビデオ卓に座れるようフィーチャーマッチエリアが再編成された。結果的に(プロツアーの試合中に受けたマッチロスが響き)グランプリのトップ8入賞は逃したものの、リーツェルはプロツアーの方で決勝まで駒を進めた。のちの殿堂顕彰者ベン・スターク/Ben Starkに敗れはしたが、プロツアー準優勝だ。この週末、リーツェルは合計31回戦もの試合をこなし、24勝6敗1分けの成績を収めたのだった。
「私の人生において最もゲームに狂った週末でしたね。あんなに疲れたことはないし、そしてあんなに気持ちの良かったこともありません」と、リーツェルはパリでの出来事を振り返る。「ベン・スタークがもう2回土地事故を起こしてくれればなお良かったんですけど」
2012-2013年シーズンに入り彼は殿堂入りの資格を得たが、契機となったのはプロツアー『テーロス』で自身4度目のプロツアー・トップ8入賞を果たしたときだった。これをきっかけに、投票者たちは彼の名前を投票先のひとつに含めるようになったのだ。
「可能性はあると思っていました。マジック・コミュニティには親友が何人もいて、彼らが私を支持してくれたり大きな声で投票を呼びかけてくれたりしてくれるという強みがありましたから」と、リーツェルは言う。事実、多くのプレイヤーが彼への投票を熱心に呼びかけていた。だがもちろん、プロツアー『テーロス』でのトップ8入賞という実績を加えたことも追い風になっただろう。「昨年から今年にかけて、プロツアー・トップ8入賞1回、グランプリ・トップ8入賞1回、それからプロツアー16位以内を1回達成しました。私に投票したいと考えていた友人たちの後押しをできたと思っています」
リーツェルはプロ・プレイヤーズ・クラブの「プラチナ」レベルを維持しており、これからも最高レベルでの戦いを続けるつもりだという。だがそれでも、今後すべてのプロツアーに参加できるという特典は、フルタイムの仕事と競技の舞台でゲームをプレイすることのバランス取りに苦心していた彼を安心させるものだった。
「人生のステージが『家庭を持つ』段階に入っていく中、いつでも戻って来られるというのは素晴らしいことです。ときどきプロツアーへふらっと現れてジョークを口にしながらパックを剥けるのですから」
リーツェルは殿堂入りの栄誉にやや恐縮していた――身に余る光栄だと彼は言う。
「たしかに良いパフォーマンスを発揮できるときもありますが、それでも私はキャリアを通してかなり幸運に恵まれてきたと思います。殿堂投票からは、あらゆる行動に意味があることを学びました。マジック人生の中で私がしてきたことは、それが良いことであれ悪いことであれ、すべて誰かの記憶に残り、どこかへ影響を与えているのだと。改めて、マジック・コミュニティの皆さんへの尊敬と感謝の念を大切にします。私は本当に果報者です」
特に感謝したい人物を尋ねると、リーツェルは両親の名前を挙げた。子供の趣味をいつも応援し、車でイベントへ送るだけでなく、ときには一緒に飛行機で旅をしてくれた両親へ。
「それからもちろん、ガールフレンドのケイト/Katにも。私が旅に出ることに理解を示し、支えてくれました」と、リーツェルは続ける。「そしてふたりの祖父にも。キャメロン/Cameronは数学と戦略の上級学位を持っており、非の打ち所がない人柄でありながらユーモアのセンスまで持ちあわせている人です。もうひとりの祖父はゲームを愛する人で、特にカードを用いるものがお気に入りです。彼は私に、人生を毎日楽しむことや勝ち負けではなくその過程が大事であることなどを教えてくれました。彼らに喜んでもらえたら嬉しいです」