HALL OF FAME

パトリック・チャピン

Patrick Chapin

選出 2012年
出身 アメリカ合衆国、ミシガン州デトロイト
プロツアー・デビュー プロツアー・パリ1997
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 217点

プロツアー・トップ8入賞4回。ジュニア部門でのトップ8入賞も経験。長年にわたり他のプレイヤーを導いてきたデッキ構築力から、「ザ・イノベイター」として知られる。また、影響力の大きな記事を多く書いてきたライターとしても名高く、マジックに関する本や歌も発表している。世界選手権2007でのガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassifとのミラー・マッチは、最高の試合のひとつとして人々の記憶に残っている。

PROFILE

パトリック・チャピンは、2012年度の殿堂顕彰者たちの中でもプロ・プレイヤーとして最も長いキャリアを持っており、その始まりはプロツアー黎明期に併催されていたジュニア部門までさかのぼる。彼はプロツアー・ダラス1996のジュニア部門で第3位という好成績を記録し、続く大会でも11位の成績を収め、その後は本戦に出るようになった。才能あるプレイヤーがジュニア部門からプロの舞台を経験しているのだから、その後のプロツアーにおけるチャピンの成功は必然のものだったと言えるだろう。

「黎明期のジュニア部門は本戦より厳しい大会でした。ジョン・フィンケル/Jon Finkelやズヴィ・モーショヴィッツ/Zvi Mowshowitz、カイ・ブッディ/Kai Budde、ブライアン・キブラー/Brian Kiblerなど、強いプレイヤーが山ほどいましたから」と、チャピンは当時を振り返って語る。「プロツアー・ダラス1996で初めてプロの舞台に立ち、私の人生は変わりました。ブライアン・ワイスマン/Brian Weissmanやマーク・ジャスティス/Mark Justiceのような私の中のヒーローと直接会えたことを覚えています。それから、クリス・ピキュラ/Chris Pikulaやブライアン・ハッカー/Brian Hackerのような見事なプレイヤーたちに大きな影響を受けました。彼らと会えたことで私はマジック・シーンを誇らしく思う気持ちでいっぱいになり、自信がついてこのゲームが大好きになりました」

 プロツアー本戦に出場するようになったチャピンは、すぐに結果を出した――リミテッドで行われたプロツアー・ニューヨーク1997でトップ8入賞を果たしたのだ。チャピンのキャリアの大部分は構築フォーマットでの活躍が占めるが、初めて彼の技術が示されたのはリミテッドでのことだった。

「正直に言って、プロツアー本戦でもやれると自信満々でしたね」と、チャピンは認める。「当時本当にドラフトが上手いプレイヤーは世界で40人ほどしかおらず、私もリミテッドのスペシャリストのひとりでした。まだまだ若いころでしたが、高い理想を持っていましたね」

 初めて参加したジュニア部門の大会から数えて4度のイベント参加でトップ8入賞2回と16位以内1回という結果が出ては、自信を持つのも無理はないだろう。そしてそれから2シーズンを経て、チャピンは再びリミテッドのプロツアーでトップ8入賞を記録した。デッキビルダーとして評価されていた彼だが、プロツアー・ニューヨーク1999で難なくトップ8入賞を決め、使うデッキを選ばないことを証明したのだ――会場の外でトップ8アナウンスを聞けるほど余裕のあるトップ8入りだった。

 チャピンのキャリアは2000年代前半に一度途切れ、大きく2つに分けられている。史上初のマジック開発部インターンとして過ごした時期があるのだ。再びプレミア・プレイの舞台に復帰すると、彼は猛烈な勢いでマジックに没頭した。するとまたたく間に戦略記事のライターとして大人気を博し、このゲームの顔となった。そして大会での活躍も彼の言葉に説得力を与えた。ニューヨークで行われた世界選手権2007にて、チャピンは見事プロツアー・サンデーの舞台へ戻った――これは彼自身にとっても特に思い出深い記憶となっている。

「プロツアーで一番の思い出は世界選手権2007ですね。特にナシフとの試合は最高でした」と、チャピンは回想する。「マーク・ハーバーホルツ/Mark Herberholzとガブリエル・ナシフ、そして私の3人は『ドラゴンストーム』で当時の環境を席巻し、私も自身の最高成績(準優勝)を出せました。数年ぶりの個人戦プロツアーを仲間とともに心ゆくまで楽しみました。ナシフとの決戦は歴史に残る名勝負で、あれを題材にした曲まで作ってしまいましたよ」

 チャピンはその後マジックのネット・コミュニティのまとめ役になり、マジック上達のための本を書き、マジックやそれを取り巻く文化をテーマにしたヒップホップ・アルバムを制作し、「StarCityGames.com Open Series」での解説も始めた……同時に、プレイヤーとしてプロツアーの最前線で戦い続けた。

 4度目のプロツアー・トップ8入賞は、プロツアー・パリ2011で成し遂げられた。これをきっかけに、パトリック・チャピンをプロツアー殿堂へという声が集まり始めた。2011年の殿堂投票では惜しくも得票率40%を逃したが、彼は素晴らしい結果を出し続け、コミュニティへの貢献を続けた。そしてついに、今年の殿堂投票で彼の努力は報われたのだった。

「昨年の投票ではあと数票のところで殿堂入りを逃しましたが、競争が激しい年だったので仕方ないと思いました。それから私は複数のグランプリ・トップ8入賞を記録し、アメリカ選手権では9位で涙を呑み、そしてマジック文化の可能性を広げるべく力を尽くしてきました」今年の取り組みとウィザーズ・オブ・ザ・コーストから良い知らせを受けたときの気持ちを尋ねられると、チャピンはそう切り出した。

「やれることはやったつもりですが、今年も厳しい競争になると思っていました。殿堂入りの連絡を受けた瞬間はしばらく呆然としましたね。目の前にこれまでの歩みがフラッシュバックして――それからようやく現実に戻りました。このとてつもない栄誉に信じられない思いでしたが、胸の内には暖かい幸せが広がりました。プロツアー殿堂は私のすべてです。私の人生が形になったものであり、何よりも誇りに思います。人生を懸けた甲斐がありました。マジックを始めたとき13歳だった少年は、32歳になりました。身に余る光栄で恐縮ですが、胸を張りたいと思います」

 一度引退したプレイヤーの殿堂入りは、今後が気になるところだ。チャピンのような熱烈なプロツアー好きの場合、殿堂入りを果たしたことで燃え尽きてしまうのではないかと心配になるだろう。しかし彼は、これで燃え尽きることはないと明言した。マジックにおける目標は変わらず、今後も彼にとって最大の実績を達成すべく全力を尽くすという。

「個人的な目標はプロツアー優勝です」と、今年の殿堂選出者は言う。「ですが大会に向けた練習で優先すべきは、チーム全員がベストを尽くせるよう手助けをすることですね」

 プロツアー・ダラス1996のジュニア部門から今年10月のプロツアー『ラヴニカへの回帰』で行われる殿堂セレモニーまで至る旅を振り返り、支えてくれた人たちに感謝を伝える段になると、当然と言うべきか、彼の「感謝したい人物リスト」は物語に満ちた彼のキャリアと同じくらい長いものだった。

「私のマジックへの情熱とこのゲームがどれだけ私を幸せにしているかを理解し、いつも支えてくれた両親に感謝の気持ちを伝えたいです。それから私を競技の舞台に戻し、私のプレイを次のレベルまで引き上げてくれたマーク・ハーバーホルツとガブリエル・ナシフへ。私に強烈な憧れと影響を与え、『こうなりたい』という姿を見せてくれたクリス・ピキュラとブライアン・ハッカーへ。マジックの記事の書き方を教えてくれたマイク・フローレス/Mike Floresとマイク・ロング/Mike Longへ。ゲーム・デザインについて教えてくれたリチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldとマーク・ローズウォーター/Mark Rosewaterへ。デッキ構築について教えてくれたエリック・ラウアー/Erik Lauerとエリック・テイラー/Eric Taylorへ。マジックに全力を注ぐきっかけをくれたピート・ホフリン/Pete Hoeflingとパム・ウィロビー/Pam Willoughbyへ。マジックの可能性について同じ意見を持ち、ともにアメリカのマジックに再び栄光を取り戻す計画を立てたルイス・スコット=ヴァーガス/Luis Scott-Vargasとブライアン・キブラーへ。子供の頃、『大きくなったらマジックのプロ・プレイヤーになる』と言い放った私に疑いの目を向けた人たちにも感謝を。そして最後に、婚約者のアマンダ/Amandaへ。いつも私の背中を押して、夢を叶える助けとなってくれてありがとう」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・ニューヨーク1997:第8位(ブースタードラフト)
プロツアー・ロサンゼルス1999:第6位(ロチェスター・ドラフト)
世界選手権2007:準優勝(混合フォーマット)
プロツアー・パリ2011:第6位(スタンダード/ブースタードラフト)
グランプリ グランプリ・ミルウォーキー2002:準優勝(スタンダード)
グランプリ・ピッツバーグ2011:第3位(スタンダード)
グランプリ・オーランド2012:準優勝(スタンダード)

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