HALL OF FAME

オリヴィエ・ルーエル

Olivier Ruel

選出 2008年
出身 フランス、リール
プロツアー・デビュー プロツアー・ローマ1998
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 435点

マジックの「旅人」。グランプリ・トップ8入賞は、殿堂セレモニーが行われる世界選手権のひと月前にも2度の優勝を加えて実に25回を数える。生涯獲得プロ・ポイント・ランキングはカイ・ブッディ/Kai Buddeに続く第2位。プロツアー・トップ8入賞は5回。人格者として広く知られ、言語の壁を越えて日本のマジック・コミュニティとの強い結びつきを持った。「Play the Game, See the World」の体現者。

PROFILE

オリヴィエ・ルーエルが築き上げた戦績をひと目見れば、2008年度の殿堂投票で彼が最も多くの票を集めてもおかしくなかったと思うことだろう。しかしたとえ生涯獲得プロ・ポイント歴代2位の記録を持つプレイヤーでも、最近までトーナメント出場停止処分を受けていた者をキャリア再開直後に殿堂入りさせるのはどうか、という声が少なからず上がったのだ。それでもルーエルは、彼を支持する人々からの投票を集め、資格を得た初年度に殿堂入りを果たしたのだった。

 プロツアー優勝経験はないものの、それでも5回にわたるプロツアー・トップ8入賞と、プロツアー・サンデーに進出すれば4位以下にはならないという勝負強さは決して無視できないだろう。さらにそのプロツアー・トップ8入賞5回という輝かしい記録すら影で覆うほどの圧倒的光を放つのが、グランプリ・トップ8入賞25回という凄まじいまでの記録だ。彼は文字通りすべての大陸でトップ8入賞を果たし、優勝も4回達成しているのだ。ルーエルは最近、生涯獲得プロ・ポイントでジョン・フィンケル/ Jon Finkelを上回り、カイ・ブッディ/Kai Buddeが持つ首位の座と今シーズンのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを狙っている。

「殿堂入りできるかどうかは本当にわかりませんでした」と、ルーエルは言う。「投票のゆくえにやきもきしていましたよ。殿堂入りできるとしたら5日より前には知らせが来ると知っていたので、パソコンの前から動けませんでした――30分おきにメールを確認していましたね。するとスコット・ララビー/Scott Larabeeから電話が来て、良い知らせが届きました。安心感と言葉にできないほどの喜びが押し寄せてきましたよ」

 イェルガー・ヴィーガーズマ/Jelger Wiegersmaと同じく、ルーエルがメンフィスで行われる世界選手権に出場することに疑問の余地はない。そもそも彼は今シーズン、ポイント・レースの真っ最中にいるのだ。

「殿堂セレモニーは私のキャリアで最高の瞬間になると思います。そして世界選手権でも良い結果を出せれば、今シーズンのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーも獲得できるかもしれません。プレイヤー・オブ・ザ・イヤーは私にとって、殿堂入りに唯一匹敵するタイトルです。世界選手権に参加しない理由はありませんよ!」

「そしてこれからも、続けられる限りプロツアーへの出場を続けます」と、ルーエルは付け加える。「プロツアー・サンデー進出が目標です。この前あの舞台に立ってから2年半も経ちますから、できるだけ早くまた行きたいですね!」

 そんなルーエルのキャリアは、プロツアー・ローマ1998から始まった。このイベントに参加しようと決めた当時の彼は、まだ自分がこれほどの偉大なプレイヤーになることを知らなかった。

「『テンペスト』ブロック構築で行われたディジョンのPTQ(プロツアー予選)で優勝しました。直前のグランプリでジャン=ルイ・ドント/Jean-Louis D'hontが使用してトップ8に入賞した青単を使いました。リストを正確には覚えていませんが、《貿易風ライダー》や《レガシーの魅惑》、《対抗呪文》、《占有の兜》などのカードが入っていたと思います。それから、大会が始まる直前にカードが1枚足りないことに気づき、《殺人鯨》を加えたことも覚えています。準決勝ではそれで1ゲーム取ったんです!」

「当時はプロの世界を知らず、《High Tide》や《トレイリアのアカデミー》の動きなど知るよしもありませんでした――私がどれだけこの大会に向けて練習したか教えてあげましょうか!」と、ルーエルは笑う。「4つくらい順位が足りず初日落ちしましたが、素晴らしい経験でした。もっとうまくなってもう一度あの大舞台に立ちたいと思えました」

 ルーエルは兄とともに、グランプリ・カンヌ2000を制したチーム「Black Ops」の一員として知られるようになった。このようにはじめはチーム戦で成功したルーエルだが、プロツアー・大阪2002で自身初のプロツアー・トップ8入賞を果たし、勢いそのままにその大会を準優勝で終えて開花のときを迎えた。しかし彼の一番の思い出はこのときではなく、プロツアー・ホノルル2006で兄のアントワン・ルーエル/Antoine Ruel
と揃ってプロツアー・サンデー進出を果たしたときのことだという。

「私は合意の上の引き分けでトップ8入賞を確定させ、兄の応援に行きました」と、ルーエルは回想する。「兄は小室 修とのトップ8入賞を懸けた戦いに挑んでいました。他の試合結果からここで勝てばトップ8入賞の目がありましたが、それでも滑り込めるかは五分五分でした。試合を勝利で終えた兄と私は、友人たちに囲まれてトップ8アナウンスを待ちました。『第8位……フランス』とアナウンスがあった瞬間周りが大騒ぎになり、名前の部分は聞こえませんでしたよ。私たちは抱き合って喜びました。あの瞬間は絶対に忘れられません」

「兄とは子供の頃から一緒に練習し、ハンドボールでも同じチームに所属していました。チームでの勝利にまさる喜びはありません。アントワンと揃ってトップ8に入賞できたことは、私のマジック・キャリアの中で最高の実績として、これからも記憶に残り続けると思います」

 ルーエルがマジックを始めたころは、自分がこれほどの栄誉を授かることは想像もしていなかったという。「マジックで生計を立てられるようになるまで、プロツアーに出続けて3年かかりました。プロツアー殿堂という制度ができてからは、この瞬間を待ち望んでいました。多くの人が『今すでにすべてのプロツアーに出ているのに、殿堂に入る意味あるの?』と尋ねてきますが、殿堂入りはその特典がすべてではありません。それ以上のものがたくさんあるのです。私はマジックに人生の大半を捧げてきました。積み上げた実績や行ってきた活動、そして私という人間が、今認められたのです。何度ミスをしても、努力でそれを埋め合わせてきました。私が心から愛するゲームの歴史の一部になれたのは、本当にすごいことだと思います」

最後に感謝したい人物がいるか尋ねると、ルーエルは「もちろんいますよ!」と声を上げた。

「まずはゲームへの情熱を教えてくれた両親へ。私がプロ・プレイヤーになると、彼らは本当に良き理解者となり、私の人生を進みたい方向へ導いてくれました。それは決して簡単なことではありません」

「それからもちろん、兄のアントワンへ。最高の兄であり、プレイテスト・パートナーです。彼がいなければ、プロツアーの存在自体知ることはなかったと思います。彼の殿堂入りが待ち切れません」

「そして、ルームメイトのアレクサンドル・ペゼット/Alexandre Pesetへ。3年前、彼はパリを離れてマジックの雑誌を刊行しようと誘ってくれました。おかげで私の人生は変わりました。人生が一層楽しくなっただけでなく、雑誌に載せる記事を書くため以前より構築フォーマットを熱心にプレイするようになり、マジック・プレイヤーとしてもさらに成長できました」

「最後に、私に投票してくれた皆さんと応援してくれた皆さんへ。De tout mon coeur, merci à tous! (心から感謝します!)」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・大阪2002:準優勝(ブロック構築)
プロツアー・アムステルダム2004:第4位(ロチェスター・ドラフト)
プロツアー・コロンバス2004:第4位(エクステンデッド)
プロツアー・フィラデルフィア2005:第4位(ブロック構築)
プロツアー・ホノルル2006:第4位(スタンダード)
グランプリ グランプリ・マドリード2000:第5位(エクステンデッド)
グランプリ・カンヌ2000:優勝(チーム・リミテッド)
グランプリ・ポルト2000:準優勝(ブースタードラフト)
グランプリ・バレンシア2001:準優勝(ブースタードラフト)
グランプリ・静岡2001:第4位(ロチェスター・ドラフト)
グランプリ・ビアリッツ2001:第8位(ブースタードラフト)
グランプリ・リスボン2002:第3位(エクステンデッド)
グランプリ・バルセロナ2002:第3位(ブースタードラフト)
グランプリ・ナポリ2002:第4位(ブースタードラフト)
グランプリ・香港2004:準優勝(ブースタードラフト)
グランプリ・ヘルシンキ2004:優勝(ロチェスター・ドラフト)
グランプリ・ボローニャ2005:優勝(ブースタードラフト)
グランプリ・コペンハーゲン2005:第5位(エクステンデッド)
グランプリ・ビルバオ2005:優勝(エクステンデッド)
グランプリ・北京2005:第3位(エクステンデッド)
グランプリ・ドルトムント2006:第7位(ブースタードラフト)
グランプリ・バルセロナ2006:第5位(ブースタードラフト)
グランプリ・トゥールーズ2006:第6位(ブースタードラフト)
グランプリ・シンガポール2007:第5位(エクステンデッド)
グランプリ・クラクフ2007:第4位(スタンダード)
グランプリ・北九州2007:第4位(ブースタードラフト)
グランプリ・静岡2008:準優勝(スタンダード)
グランプリ・ブエノスアイレス2008:第6位(スタンダード)
グランプリ・岡山2008:第6位(ブースタードラフト)
グランプリ・オークランド2008:第5位(ブースタードラフト)

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