HALL OF FAME
津村 健志 Kenji Tsumura
選出 | 2012年 |
---|---|
出身 | 日本、広島 |
プロツアー・デビュー | プロツアー・シカゴ2003 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 250点 |
プロツアー・トップ8入賞6回。グランプリ・トップ8入賞は2度の優勝を含めて12回。2005年度プレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得。日本人として初の受賞となる。プレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞後はリミテッドに力を入れ、その後リミテッドで行われたグランプリをふたつ勝ち取る。彼の徹底したスポーツマンシップとユーモア溢れる人柄は、広く知られている。
PROFILE プロフィール
津村 健志がその名を歴史に刻んだのは、2005年のことだった。その年、彼はプロツアー・サンデーに3回(プロツアー・アトランタ2005、プロツアー・フィラデルフィア2005、プロツアー・ロサンゼルス2005)進出するという驚くべき躍進を遂げ、日本人初のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得したのである。その鋭敏なプレイ技術と際立つスポーツマンシップのため、彼はまたたく間に人気プレイヤーとなった。
津村のプロツアー・キャリアは、そこから遡ること数年、プロツアー・シカゴ2003から始まった。彼にとって初めての海外旅行であり、マジック・プレイヤーとしての真価を得られた場だった。
「実を言うと、プロツアーに行く前は2日目進出くらいできると思っていたんです。結果は3勝4敗で初日落ち。結局、5回目のプロツアーまで2日目には行けませんでした」と、津村は当時を思い返した。「カイ(カイ・ブッディ/ Kai Budde)や大礒さん(大礒正嗣)のゲームをいくつか観戦して、気づいたんです。勝つにはもっと上手くならなきゃいけないって。素晴らしい友人とたくさん会えて、彼らと切磋琢磨できたのは本当に幸運でした。マジックで多くの友達ができました。友人、さまざまな経験――私の人生に欠かせないものは、すべてマジックがもたらしてくれました。私にとってはただのゲームではありません。人生そのものなんです」
華々しい成績を挙げたにも関わらず、津村はプロツアー殿堂に選出されることに自信がなく、投票資格を持つ人々が彼と、そして良き友人である大礒のことを忘れてしまっているのではないか、と不安だったそうだ。
「いや、まさか選ばれるなんて思っていませんでした。優れた候補者がたくさんいましたから」と、津村はその思いを吐露した。「殿堂入りは最高の栄誉です。その上親友と一緒に顕彰を受けられるなんて、もう言うことなしですね」
津村はプロツアー・トップ8入賞を6回にわたり達成し、またグランプリでも優勝2回を含むトップ8入賞12回という成績で、強豪として名を馳せている。残るは「プロツアー優勝」。それを目指す彼は今、挑戦するチャンスを得たのだ。
「日本で開催されるグランプリやプロツアーなら、ほぼ間違いなく参加する予定です。海外プロツアーもできれば行きます。プロツアー優勝という夢はまだ失っていませんから――7度目の正直を狙います」 津村はそう言うと、しかし社会人としての生活が頭をもたげたようで、トーンを下げた「でも就職活動があって、来年はいくつかの大会に出られないんですよね」
津村 健志のたどった軌跡は、そのキャリアを通してさまざまな糸が絡み合っており、信じられないようなエピソードも織り込まれている。グランプリの場で、彼は対戦相手が「契約」サイクルのコストを支払い忘れて敗北するのをひとりだけ止められなかった、と心から悔やんだ。何人もの対戦相手に間に合うように声をかけ、アップキープに発生するコストの支払いを思い出させていたというだけでも驚きだが、彼はそれを上回っているのだ。
2005年度のプレイヤー・オブ・ザ・イヤー争いの中で、津村は親友の大磯 正嗣と競い合い、またフランスのオリヴィエ・ルーエル/Olivier Ruelと新たに強い絆で結ばれることになった。3人は最後まで白熱したレースを繰り広げ、世界選手権2005直前のグランプリ・北京2005では3人ともトップ8に入賞した。そして、横浜で開催された世界選手権のスイス・ラウンド最終戦で、津村がプレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得を決めたのだ。
彼の受賞を皮切りに多くの日本人プレイヤーがプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得するようになる中、「来年はリミテッドが上手くなりたい」とその目標を告げた津村。彼が出会った最高のリミテッド・プレイヤーたちに教えを受けると、勢いそのままにグランプリの場へ向かい、その年リミテッドで行われたグランプリをふたつ勝ち取った。その凄まじい結果に裏打ちされた驚くべきシーズンは、圧巻のひと言であった。
津村はそのシーズンに開催されたプロツアー・神戸2006でも、2日目全勝からトップ8入賞を果たした。一度も敗北が許されない状態で彼は快活なプレイングを見せ、危なげなく勝利を積み重ねると、2日目突破を決めたのだった。
殿堂入りを果たした津村は、必ず恩返しがしたいという思いを胸に抱いた。
「もう一度言わせてください。殿堂入りは最高の栄誉です。そして今、マジック・コミュニティに恩返しをするときが来たのだと感じています。今後は殿堂顕彰者としてプロツアーに参加し、それからコミュニティ発展のためにもっと多くの記事を書きたいと思います」
津村は、彼のキャリアを支えてくれた人々に感謝の念を伝えたい、と言った。
「すべてのマジック仲間に感謝します。特に石田 格さん、森 勝洋さん、中島 主税さん、森田 雅彦さん、リッチ・ホーエン/Rich Hoaenさん、そして大磯 正嗣さんには。彼らの助けがなければ、ここまでの良い結果どころか2日目進出もできなかったと思います。それから、家族にも心から感謝したい。決して優秀な学生ではなく孝行息子でもなかった私に家族はいつも暖かく接してくれて、マジックが上手くいかないときも応援してくれました。この想いを余すところなくすべて伝える言葉は見つかりません。ただひと言……ありがとう、と言いたいです」
津村のプロツアー・キャリアは、そこから遡ること数年、プロツアー・シカゴ2003から始まった。彼にとって初めての海外旅行であり、マジック・プレイヤーとしての真価を得られた場だった。
「実を言うと、プロツアーに行く前は2日目進出くらいできると思っていたんです。結果は3勝4敗で初日落ち。結局、5回目のプロツアーまで2日目には行けませんでした」と、津村は当時を思い返した。「カイ(カイ・ブッディ/ Kai Budde)や大礒さん(大礒正嗣)のゲームをいくつか観戦して、気づいたんです。勝つにはもっと上手くならなきゃいけないって。素晴らしい友人とたくさん会えて、彼らと切磋琢磨できたのは本当に幸運でした。マジックで多くの友達ができました。友人、さまざまな経験――私の人生に欠かせないものは、すべてマジックがもたらしてくれました。私にとってはただのゲームではありません。人生そのものなんです」
華々しい成績を挙げたにも関わらず、津村はプロツアー殿堂に選出されることに自信がなく、投票資格を持つ人々が彼と、そして良き友人である大礒のことを忘れてしまっているのではないか、と不安だったそうだ。
「いや、まさか選ばれるなんて思っていませんでした。優れた候補者がたくさんいましたから」と、津村はその思いを吐露した。「殿堂入りは最高の栄誉です。その上親友と一緒に顕彰を受けられるなんて、もう言うことなしですね」
津村はプロツアー・トップ8入賞を6回にわたり達成し、またグランプリでも優勝2回を含むトップ8入賞12回という成績で、強豪として名を馳せている。残るは「プロツアー優勝」。それを目指す彼は今、挑戦するチャンスを得たのだ。
「日本で開催されるグランプリやプロツアーなら、ほぼ間違いなく参加する予定です。海外プロツアーもできれば行きます。プロツアー優勝という夢はまだ失っていませんから――7度目の正直を狙います」 津村はそう言うと、しかし社会人としての生活が頭をもたげたようで、トーンを下げた「でも就職活動があって、来年はいくつかの大会に出られないんですよね」
津村 健志のたどった軌跡は、そのキャリアを通してさまざまな糸が絡み合っており、信じられないようなエピソードも織り込まれている。グランプリの場で、彼は対戦相手が「契約」サイクルのコストを支払い忘れて敗北するのをひとりだけ止められなかった、と心から悔やんだ。何人もの対戦相手に間に合うように声をかけ、アップキープに発生するコストの支払いを思い出させていたというだけでも驚きだが、彼はそれを上回っているのだ。
2005年度のプレイヤー・オブ・ザ・イヤー争いの中で、津村は親友の大磯 正嗣と競い合い、またフランスのオリヴィエ・ルーエル/Olivier Ruelと新たに強い絆で結ばれることになった。3人は最後まで白熱したレースを繰り広げ、世界選手権2005直前のグランプリ・北京2005では3人ともトップ8に入賞した。そして、横浜で開催された世界選手権のスイス・ラウンド最終戦で、津村がプレイヤー・オブ・ザ・イヤー獲得を決めたのだ。
彼の受賞を皮切りに多くの日本人プレイヤーがプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得するようになる中、「来年はリミテッドが上手くなりたい」とその目標を告げた津村。彼が出会った最高のリミテッド・プレイヤーたちに教えを受けると、勢いそのままにグランプリの場へ向かい、その年リミテッドで行われたグランプリをふたつ勝ち取った。その凄まじい結果に裏打ちされた驚くべきシーズンは、圧巻のひと言であった。
津村はそのシーズンに開催されたプロツアー・神戸2006でも、2日目全勝からトップ8入賞を果たした。一度も敗北が許されない状態で彼は快活なプレイングを見せ、危なげなく勝利を積み重ねると、2日目突破を決めたのだった。
殿堂入りを果たした津村は、必ず恩返しがしたいという思いを胸に抱いた。
「もう一度言わせてください。殿堂入りは最高の栄誉です。そして今、マジック・コミュニティに恩返しをするときが来たのだと感じています。今後は殿堂顕彰者としてプロツアーに参加し、それからコミュニティ発展のためにもっと多くの記事を書きたいと思います」
津村は、彼のキャリアを支えてくれた人々に感謝の念を伝えたい、と言った。
「すべてのマジック仲間に感謝します。特に石田 格さん、森 勝洋さん、中島 主税さん、森田 雅彦さん、リッチ・ホーエン/Rich Hoaenさん、そして大磯 正嗣さんには。彼らの助けがなければ、ここまでの良い結果どころか2日目進出もできなかったと思います。それから、家族にも心から感謝したい。決して優秀な学生ではなく孝行息子でもなかった私に家族はいつも暖かく接してくれて、マジックが上手くいかないときも応援してくれました。この想いを余すところなくすべて伝える言葉は見つかりません。ただひと言……ありがとう、と言いたいです」
THE RECORD 戦績
プロツアー | プロツアー・アトランタ2005:第4位(チーム・ロチェスター・ドラフト) プロツアー・フィラデルフィア2005:準優勝(ブロック構築) プロツアー・ロサンゼルス2005:第3位(エクステンデッド) プロツアー神戸2006:第5位(ブースター・ドラフト) プロツアー・ジュネーヴ2007:第3位(ブースター・ドラフト) 世界選手権2008:第6位(混合フォーマット) |
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グランプリ | グランプリ大阪2005:第4位(チーム・ロチェスター・ドラフト) グランプリ・ソルトレイクシティ2005:第3位(ブロック構築) グランプリ新潟2005:第6位(ブロック構築) グランプリ北京2005:第8位(エクステンデッド) グランプリ・トゥールーズ2006:優勝(リミテッド) グランプリ・クアラルンプール2006:優勝(リミテッド) グランプリ・セントルイス2006:第3位(リミテッド) グランプリ・ダラス2007:第3位(エクステンデッド) グランプリ・ストックホルム2007:第3位(リミテッド) グランプリ・モントリオール2007:第4位(ブロック構築) グランプリ北九州2007:第7位(リミテッド) グランプリ静岡2008:第3位(スタンダード) |