HALL OF FAME

カミエル・コーネリセン

Kamiel Cornelissen

選出 2009年
出身 オランダ、エンスヘーデ
プロツアー・デビュー プロツアー・ニューヨーク2000
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 306点

プロツアー・サンデーを5度にわたって経験。プロツアー・シアトル2004では同じ殿堂顕彰者のイェルガー・ヴィーガーズマ/Jelger Wiegersmaとイェロン・レミィ/Jeroen Remieとともにチーム「Von Dutch」を結成し、優勝という最高の結果を残した。自身初のプロツアー・トップ8入賞でそのまま準優勝を果たすと、続く2度目でも決勝まで駒を進めた。生涯獲得プロ・ポイント・ランキング第10位。寡黙なプレイヤーとして知られ、不言実行を貫いた。世界選手権2006ではオランダ代表チームの一員に選ばれた。

PROFILE

カミエル・コーネリセンは、初参加となるプロツアー・ニューヨーク2000で早速トップ8入賞まで迫った。残る2試合のうちどちらかひとつ勝てばトップ8という状況まで来たコーネリセンだが、しかし2試合とも引き分けに終わり、プロツアー・サンデーの舞台には届かない11位でデビュー戦を終えた。彼は続くシーズンに再びニューヨークで行われたチーム戦プロツアーへ、兄弟のイェシー/Jesseとステイン/ Stijnとともに出場した。三兄弟は23位という成績でこの大会を終えたが、カミエルの兄弟たちはその後プロツアーで目覚ましい活躍を見せられなかった。それでも、マジックのプロ・シーンではあまり聞き慣れない「コーネリセン」という名前は、間もなくして世界中のマジック・プレイヤーに知れ渡ることになる。

「初めて参加したプロツアーは『メルカディアン・マスクス』ブロック構築で行われたプロツアー・ニューヨーク2000でした」と、コーネリセンは初めてのプロツアーを振り返る。「参加権利は、当時圧倒的な力を誇っていた『トリックス』デッキでPTQを突破して手に入れました。それからプロツアーに向けて、友人のトム・ファン・デ・ロト/ Tom van de Logtや他に権利を持つオランダのプレイヤーたちとかなり練習を重ねました。デッキ選択についても、その大会で優勝したシグルド・エスクランド/Sigurd Eskelandが使用した『ライジング・ウォーター』にかなり近いところまで自力でたどり着いていました。自信はありましたが、プロツアーで通用するかはわかりませんでした。初めてのプロツアーは本当に良い経験でしたね。対戦相手がみなとてもフレンドリーで、心地よくプレイできました。トップ8入賞まであと1勝足りず終わってしまいましたが、その結果には大満足でしたよ」

 そしてプロツアー・シカゴ2000にてコーネリセンはプロツアー・サンデーの舞台に上がり、勢いそのままに準優勝を果たして耳目を驚かせた。スタンダードで行われたこの大会で、コーネリセンは「カウンター・レベル」を操り10勝2敗2分の成績でトップ8入賞を決めた。そのときのトップ8は、カイ・ブッディ/Kai Buddeやジョン・フィンケル/Jon Finkel、ロブ・ドウァティ/Rob Dougherty、ズヴィ・モーショヴィッツ/Zvi Mowshowitzというのちの殿堂顕彰者たちが揃い踏みの「史上最高」と評されるものだった。その中で比較的無名のコーネリセンは、最終的に決勝でブッディに敗れたものの、フィンケルとドウァティを下して決勝まで進出したのだ。

 さらに次のプロツアーでも、コーネリセンとフィンケルは決勝ラウンドで争うことになった――プロツアー・ロサンゼルス2001、準決勝でのことだった。ここでも「ジョニー・マジック」を打ち破ったコーネリセンは、20歳の若さながらすでに「次のジョン・フィンケル」だと評されるようになった。しかし決勝では、マイク・パストゥルニク/Mike Pustilnikの「史上最強のネズミ」を前に膝を屈した。なおこの大会の直後に行われたインタビューの中で、成功の要因を問われたコーネリセンは長きに渡ってプロツアー予選に出場していたことを挙げている。彼は練習と学習を繰り返し、ミスをなくしていったのだ。

 コーネリセンはプロ・シーンで最も華のあるプレイヤーとは言えないものの、最も安定して着実に結果を積み重ねるプレイヤーのひとりであった。16位以内や32位以内に入った大会は数知れず、生涯獲得プロ・ポイントも300点を超えて歴代10位にその名を残している。しかしそれでも、次のプロツアー・トップ8入賞まではやや時間を置くことになった。彼の3度目のプロツアー・トップ8入賞は、第5位という成績を収めたプロツアー・アムステルダム2004でのことだ。

 そしてそのシーズンに行われたプロツアー・シアトル2004にて、コーネリセンは(のちの殿堂顕彰者)イェルガー・ヴィーガーズマ/Jelger Wiegersmaとイェロン・レミィ/Jeroen Remieとともに「Von Dutch」の一員としてチーム戦プロツアーへ挑み、ついにプロツアー王者の仲間入りを果たした。決勝では同じく世界選手権準優勝の経験を持つ岡本 尋との対戦を制し、コーネリセンはチームメンバーとともにトロフィーと賞金の小切手を掲げたのだった。またこのシーズンは世界選手権2004でもトップ8に入賞し、通算トップ8入賞回数を5回に伸ばしている。

 グランプリでは、2度の優勝を含め6回トップ8に入賞しているコーネリセン。彼が記録したグランプリ優勝のうちひとつは、最近成し遂げられたものだ。グランプリ・ブリュッセル2008にて、彼は半分引退した状態ながらガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassifとの決勝を制して凱旋を果たしたのだった。なおもうひとつの優勝は、2001-2002年シーズンに行われたグランプリ・ハイデルベルク2002でのことで、クリス・ベナフェル/Chris Benafelを破ってトロフィーを勝ち取った。

 コーネリセンは言葉よりも行動で示すプレイヤーであり、殿堂投票で60%を超える得票率を記録したことからも、その行動が彼のことを何よりも雄弁に語っているのがわかるだろう。そんな彼にプロツアーで一番の思い出を尋ねると、世界中を旅したことだという答えが返ってくる。

「プロツアーで一番の思い出は、マジックをプレイしていたおかげで日本やマレーシア、南アフリカ、モスクワ、ハワイなど、素晴らしい場所をたくさん訪れることができたことです」と、コーネリセンは言う。「どこへ行っても愛するゲームを楽しむことができ、素敵な人たちと出会うことができ、マジックがなければ訪れることはなかったであろう場所で遊ぶことができました」

 そしてコーネリセンは殿堂入りの喜びを語り、今後も気が向いたときにプロツアーへ参加するという計画を話してくれた。

「優れたマジック・プレイヤーたちと並んで殿堂入りできたのは、最高の栄誉です」と、殿堂選出を知らされたコーネリセンは短く言う。「今はもうPTQへ参加できるだけの余裕はありませんが、ときどき最高レベルの舞台を楽しみたいと思っていました。だから殿堂特典が嬉しいですね。おかげで現実味を帯びてきましたよ。マジックをプレイする私をいつも支えてくれた両親に感謝します。それから、私と一緒にマジックを始めてくれた兄弟のイェシーとステイン、友人のトムにも感謝を。彼らとともに遊んでいなければ、プロツアーでの成功はなかったと思います。そして、プロツアーへ行くため試験を受けられなかった私のために便宜を図ってくれた、トゥウェンテ大学の先生方にも心から感謝の気持ちを伝えたいです」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・シカゴ2000:準優勝(スタンダード)
プロツアー・ロサンゼルス2001:準優勝(ロチェスター・ドラフト)
プロツアー・アムステルダム2004:第5位(ロチェスター・ドラフト)
プロツアー・シアトル2004:優勝(チーム・ロチェスター)
世界選手権2004:第5位(混合フォーマット)
グランプリ グランプリ・トリノ2001:第4位(チーム・リミテッド)
グランプリ・ハイデルベルク2002:優勝(ブースタードラフト)
グランプリ・アムステルダム2003:準優勝(チーム・リミテッド)
グランプリ・アイントホーフェン2005:第5位(エクステンデッド)
グランプリ・マルメ2006:第6位(ブースタードラフト)
グランプリ・ブリュッセル2008:優勝(ブースタードラフト)

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