HALL OF FAME
イェルガー・ヴィーガーズマ Jelger Wiegersma
選出 | 2008年 |
---|---|
出身 | オランダ、アイントホーフェン |
プロツアー・デビュー | プロツアー・ニューヨーク1999 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 319点 |
オランダ人プレイヤー初の殿堂入り。カミエル・コーネリセン/Kamiel Cornelissen、イェロン・レミィ/Jeroen Remieとともに強力なチーム「Von Dutch」を結成し、プロツアー・シアトル2004を制覇。グランプリ・インディアナポリス2008で5年ぶりに自身2度目のグランプリ優勝を果たす。「安定」を絵に描いたようなプレイヤーであり、プロツアーを賞金圏外で終えたことは滅多にない。常に先を読んだデッキ構築は、数々のメタゲームを生み出した。
PROFILE プロフィール
イェルガー・ヴィーガーズマには、プレイを重ねるごとに強くなっていく印象がある。彼のキャリアが始まったのは10年以上前に行われたプロツアー・ニューヨーク1999でのことで、この大会は不本意な結果に終わり、その後いわゆる「グレイビー・トレイン」に乗り込むまで数シーズンを要した。だが2001年にすべてのプロツアーの参加権利を得ると、その後現在に至るまで「安定」を絵に描いたようなプレイヤーとして着実に実績を重ね、生涯獲得ポイントと生涯獲得賞金ともにランキングを上げていった。チーム「Von Dutch」の一員として成し遂げたプロツアー・シアトル2004の優勝を含め、プロツアー・トップ8入賞は3回を記録し、その他にも多くの大会で32位以内や16位以内の成績を収めている。グランプリでは優勝2回を含めトップ8入賞13回を誇り、優勝のうちひとつは現行シーズンで成し遂げられたものだ。
「殿堂入りできるかどうかは正直わかりませんでした」と、見事な戦績を持ち安定した活躍を見せているにも関わらずヴィーガーズマはそう認めた。「プロツアーで出会った友人たちが私に投票してくれたことは聞いていたので、可能性はあると思っていました。殿堂入りの知らせが届いたときは本当に嬉しかったです。投票が終わったことにも気づいていなかったので、嬉しいサプライズでしたよ」
ヴィーガーズマには、世界選手権へ出場するかどうか尋ねるまでもないだろう――彼はすでに権利を得ていて、もともと行くつもりだったのだ。とはいえ新たな仕事を始めたこのタイミングでの殿堂入りは、ちょうど良かったと彼は語る。「新しい仕事を始めたばかりで、すべてのプロツアーに出場するのは難しいかもしれませんが、今後も可能な限り挑戦するつもりです。行くと決めたら、きちんと環境を整えて十分に練習を重ねますよ。負けるのは嫌ですからね。だからそのうち、プロツアー・サンデーの舞台に再び立てたら良いなと思います。今は勝つ自分がまるで想像できず、たまにうまくいくと驚いてしまうほどなので高望みはしませんが、それでも挑戦は続けますよ」
「初めて参加したプロツアーは、ニュージャージー州のスコーカスで行われた大会でした」と、ヴィーガーズマは初めてのプロツアー参戦の思い出を語る。「その大会のフォーマットはウルザ・ブロック構築でしたが、権利を得たのはエクステンデッドのPTQ(プロツアー予選)でした。当時のPTQにはトップ8による決勝ラウンドがなく、スイス式ラウンドの結果で決まりました。『ポックス』デッキで挑んだ私は最終ラウンドを前にしてタイブレーカーの差で権利獲得圏外にいましたが、幸運にも序盤で当たった相手がプレイを続けていて最後に勝ったため、私のタイブレーカーが上がり権利を獲得できたんです」
「15歳の私がアメリカへの旅に大興奮していたのを覚えています。ノア・ボウクン/Noah Boeken、アレクサンダー・ウィット/Alexander Witt、ロエル・ドルズ/Roel Dols、ブラム・スネプヴァンジャーズ/Bram Snepvangersとの旅は最高でした。本戦の結果は良くありません(たしか3勝5敗で初日落ち)でしたが、なんとしてでもまた権利を獲得してこの舞台に立ちたいと思いました。世界最高のプレイヤーたちとの対戦が本当に楽しかったんです。特にランディ・ビューラー/Randy Buehlerやベン・ルービン/Ben Rubinとの戦いは記憶に残っています」
プロツアー殿堂の先人の多くが選出された頃にはマジックを引退している中で、ヴィーガーズマは直近の世界選手権にも3連続で参加するなど最前線に身を置き続けており、自身のさらなる飛躍を夢見ている。
「これまで他の年の殿堂セレモニーにも参列して、偉大なプレイヤーたちの晴れ姿をこの目で見てきました。そして『いつか私も』という希望を胸に抱いてきました。ですがもちろん、初めてプロツアーに参加した頃はこんなに成功できるなんて想像もしていませんでしたよ。このような栄誉を授かるとは、10年前には思ってもいませんでした。マジックというゲームを知り尽くした方々から歴代最高のプレイヤーのひとりだと認められたことを誇りに思います」
ヴィーガーズマは、その流れのまま感謝の言葉を紡ぎ始め、次のように締めくくったのだった。
「私に投票してくれた皆さんに心から感謝しています。それから、プロツアーで出会った友人たちにも、楽しい大会をともに過ごしてくれてありがとうと伝えたい。プロツアーに関わったスタッフやジャッジの皆さんにも、最高の大会をありがとう。そしてマジック:ザ・ギャザリングを作ったウィザーズへ、最高のゲームをありがとう。」
「殿堂入りできるかどうかは正直わかりませんでした」と、見事な戦績を持ち安定した活躍を見せているにも関わらずヴィーガーズマはそう認めた。「プロツアーで出会った友人たちが私に投票してくれたことは聞いていたので、可能性はあると思っていました。殿堂入りの知らせが届いたときは本当に嬉しかったです。投票が終わったことにも気づいていなかったので、嬉しいサプライズでしたよ」
ヴィーガーズマには、世界選手権へ出場するかどうか尋ねるまでもないだろう――彼はすでに権利を得ていて、もともと行くつもりだったのだ。とはいえ新たな仕事を始めたこのタイミングでの殿堂入りは、ちょうど良かったと彼は語る。「新しい仕事を始めたばかりで、すべてのプロツアーに出場するのは難しいかもしれませんが、今後も可能な限り挑戦するつもりです。行くと決めたら、きちんと環境を整えて十分に練習を重ねますよ。負けるのは嫌ですからね。だからそのうち、プロツアー・サンデーの舞台に再び立てたら良いなと思います。今は勝つ自分がまるで想像できず、たまにうまくいくと驚いてしまうほどなので高望みはしませんが、それでも挑戦は続けますよ」
「初めて参加したプロツアーは、ニュージャージー州のスコーカスで行われた大会でした」と、ヴィーガーズマは初めてのプロツアー参戦の思い出を語る。「その大会のフォーマットはウルザ・ブロック構築でしたが、権利を得たのはエクステンデッドのPTQ(プロツアー予選)でした。当時のPTQにはトップ8による決勝ラウンドがなく、スイス式ラウンドの結果で決まりました。『ポックス』デッキで挑んだ私は最終ラウンドを前にしてタイブレーカーの差で権利獲得圏外にいましたが、幸運にも序盤で当たった相手がプレイを続けていて最後に勝ったため、私のタイブレーカーが上がり権利を獲得できたんです」
「15歳の私がアメリカへの旅に大興奮していたのを覚えています。ノア・ボウクン/Noah Boeken、アレクサンダー・ウィット/Alexander Witt、ロエル・ドルズ/Roel Dols、ブラム・スネプヴァンジャーズ/Bram Snepvangersとの旅は最高でした。本戦の結果は良くありません(たしか3勝5敗で初日落ち)でしたが、なんとしてでもまた権利を獲得してこの舞台に立ちたいと思いました。世界最高のプレイヤーたちとの対戦が本当に楽しかったんです。特にランディ・ビューラー/Randy Buehlerやベン・ルービン/Ben Rubinとの戦いは記憶に残っています」
プロツアー殿堂の先人の多くが選出された頃にはマジックを引退している中で、ヴィーガーズマは直近の世界選手権にも3連続で参加するなど最前線に身を置き続けており、自身のさらなる飛躍を夢見ている。
「これまで他の年の殿堂セレモニーにも参列して、偉大なプレイヤーたちの晴れ姿をこの目で見てきました。そして『いつか私も』という希望を胸に抱いてきました。ですがもちろん、初めてプロツアーに参加した頃はこんなに成功できるなんて想像もしていませんでしたよ。このような栄誉を授かるとは、10年前には思ってもいませんでした。マジックというゲームを知り尽くした方々から歴代最高のプレイヤーのひとりだと認められたことを誇りに思います」
ヴィーガーズマは、その流れのまま感謝の言葉を紡ぎ始め、次のように締めくくったのだった。
「私に投票してくれた皆さんに心から感謝しています。それから、プロツアーで出会った友人たちにも、楽しい大会をともに過ごしてくれてありがとうと伝えたい。プロツアーに関わったスタッフやジャッジの皆さんにも、最高の大会をありがとう。そしてマジック:ザ・ギャザリングを作ったウィザーズへ、最高のゲームをありがとう。」
THE RECORD 戦績
プロツアー | プロツアー・ニューオーリンズ2001:第3位(エクステンデッド) プロツアー・神戸2004:第4位(ブロック構築) プロツアー・シアトル2004:優勝(チーム・リミテッド) |
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グランプリ | グランプリ・トリノ2001:第4位(チーム・リミテッド) グランプリ・リスボン2002:第8位(エクステンデッド) グランプリ・ハイデルベルク2002:第5位(ブースタードラフト) グランプリ・ナポリ2002:準優勝(ブースタードラフト) グランプリ・プラハ2003:第5位(ブースタードラフト) グランプリ・リヨン2003:第8位(ロチェスター・ドラフト) グランプリ・ヨーテボリ2003:優勝(ロチェスター・ドラフト) グランプリ・バルセロナ2006:第3位(ブースタードラフト) グランプリ・トロント2006:第8位(ブースタードラフト) グランプリ・マルメ2006:第5位(ブースタードラフト) グランプリ・山形2006:第3位(ブースタードラフト) グランプリ・バーミンガム2008:第4位(ブロック構築) グランプリ・インディアナポリス2008:優勝(ブースタードラフト) |