HALL OF FAME
フランク・カーステン Frank Karsten
選出 | 2009年 |
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出身 | オランダ、アイントホーフェン |
プロツアー・デビュー | 世界選手権2000 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 292点 |
オランダ代表チームの一員として、世界選手権2000でプロツアー・デビュー。このときは17位の成績だったが、その後世界選手権2005と世界選手権2008の個人戦部門でトップ8入賞。複数のフォーマットでその技術の高さを証明した。2006年、2007年と続けて「The Fanatic」部門で選出され、インビテーショナルへ出場。データ分析を最も得意とし、ライターとしての評価も高い。
PROFILE プロフィール
フランク・カーステンは、そのキャリアを通してプロ・シーンで安定した成績を残し続けた。彼はキャリア初期から目覚ましい活躍を見せ、オランダのマジック・シーンを席巻する新しい時代の到来を予感させた。1999年のオランダ選手権で第5位、続けてその年のヨーロッパ選手権で第9位という結果を出すと、カーステンはイェロン・レミィ/Jeroen Remieとルール・ドルズ/Roel Dolsとともに、オランダ代表チームの一員としてブリュッセルで行われた世界選手権2000へ参加するに至った。さらにこの大会の個人戦部門でもカーステンは17位という好成績を記録し、プロ・シーンで大きな躍進を遂げた。そして団体戦の方でもオランダ代表は第4位でこの大会を終えた。こうして、カーステンは世界で最も尊敬されるプレイヤーのひとりになるまでの道を突き進んで行ったのだ。
「ほとんどの人がプロツアー予選でプロツアーの参加権利を得ると思いますが、私はこれまで一度も個人戦のプロツアー予選で優勝したことがありません」と、カーステンはプロツアーの舞台に立つまでの道のりを語る。「オランダ選手権で第5位という成績を収め、ヨーロッパ選手権への参加権利を獲得すると、そこでも第9位に入りました。そのおかげでブリュッセルで行われる世界選手権へ参加することができ、当時16歳の私は初めてのプロツアー参戦に大興奮でした。スタンダード部門では『アングリー・ハーミット』を武器に健闘でき、17位という結果を出しました。団体戦の方はイェシー・コーネリセン/Jesse Cornelissenが参加できなくなったため繰り下がりで私が参加しました。オランダ代表は(トム・ファン・デ・ロト/Tom van de Logtの個人戦トップ8入賞にも奮起し)第4位という好成績を収められました。すべてが期待以上で、このときの経験があったからこそ、私はさらにマジックへのめり込んだんだと思います」
カーステンは続くシーズンも優れた成績を残し活躍を見せたが、プロツアーではプロツアー・ベニス2003で記録した16位からしばらく伸び悩んだ。それでもプロツアー・サンディエゴ2004では10位、チーム戦のプロツアー・ボストン2003では5位、と彼は着実に歩みを進め、そしてついにプロツアー・名古屋2005で自身初のトップ8入賞を果たしたのだった。
カーステンはこの大会で「マッド・サイエンティスト」という評価を確立させた。彼は全カードに独自に優先順位をつけたカードリスト、いわゆる「The List」を手にこの大会のロチェスター・ドラフトへ挑み、結果を出したのだ。彼のことを「マッド・サイエンティスト」だと評する声は、グランプリ・チューリッヒ2004でトップ8入賞を記録した頃からあった(彼のグランプリ・トップ8入賞回数は、これを含めて6回である)。そのとき彼は「親和」デッキに《霊気の薬瓶》を採用し、控えめだったこの1マナ・アーティファクトの評価を一変させたのだった。
カーステンにまつわる、信じられないような話は枚挙にいとまがない。例えばプロツアー・横浜2007では、小脇にバケツを抱えながらプレイしたという。そのとき彼は胃を悪くしており、常に容器が近くになければならなかったのだ。なお、それでも彼はその大会で10位という優れた成績を残したのだった。このように逸話を多く持つフランク・カーステンだが、中でも彼のキャラクターを最も良く表しているのは、やはり世界選手権2008でトップ8入賞を果たした彼のスタンダード・デッキだろう。
その大会に向けてカーステンは「フェアリー」デッキを使うつもりだったが、どのような形にするかは決まっていなかった。するとこの分析家はどこかで勝ったデッキリストを片っ端から試して統計を取り、そしてメインデッキの《思案》1枚と《ロクソドンの戦槌》1枚が特徴的な「複合フェアリー」と呼ばれるデッキを組み上げたのだ。
そのデッキはカーステンの3度目のプロツアー・トップ8入賞を後押しした。世界選手権のトップ8入賞は2回目となるが、世界選手権は彼にとって相性の良い大会だったようだ。彼は横浜で行われた世界選手権2005でも「グレーター・ギフト」を操り準優勝を記録している。さて、このように数々の活躍を見せ生涯獲得プロ・ポイント・ランキングでも11位に入るほどの戦績を積み重ねてきたカーステンだが、彼はライターとしても(まさにこの公式サイトも含め)さまざまなウェブサイトへ記事を寄稿し、マジックに貢献してきた。それらの功績が、彼をプロツアー殿堂へ押し上げたのだ。
彼の詳細な分析と簡潔かつ明瞭な文章、そして鋭い洞察からなる記事は、プレイを改善したい人たちの助けとなるだけでなく、真に偉大なマジック・プレイヤーの思考を垣間見る貴重な機会だったと言えるだろう。
「殿堂入りの連絡を受けたときは、大きな喜びと同時に安心感に包まれました」と、カーステンは言う。「今年は思うように結果を出せていなかったので、投票を集められる自信はまったくありませんでした。だから良い知らせが届いて本当に嬉しかったです!」
殿堂入りによって今後すべてのプロツアーに招待されるようになるカーステンは、これからは「マッド・サイエンティスト」としての名声をさらに高めるつもりだという。
「新しい仕事を始めたばかりなので、これからは以前より自由な時間が減るでしょう。だからすべてのプロツアーに参加するのは難しくなると思いますが、それでも場所と日程によって今の半分くらいは出場したいと考えています」と、カーステンは今後について語る。「殿堂特典のおかげでプロツアーの参加権利は確保されるので、毎回プロ・ポイントを気にする必要はなくなりました。つまり結果ばかり追い求めなくてもよくなったんです。だから今後は、少し弱くてもプロツアーで面白いデッキや楽しいデッキ、特製のデッキを使おうと思っています。次のシーズンで早速、プロツアーの舞台でハイランダー(シングルトン)構築を試してみましょうか。個人的に、すべて1枚挿しのデッキを使っているときの方が楽しいんですよ。ゲーム中の選択肢が増えますし、対戦相手がこちらの動きを予想できなくなりますし、毎回違うシナジーを楽しめますし……楽しむことを忘れずにやっていきます!」
それからプロツアーで一番の思い出を尋ねると、カーステンは彼の代名詞と言えるカードに思いを馳せた。
「プロツアーに付随する素晴らしい体験の数々(世界中を旅して友人と出会えることなど)ではなく、あくまでマジックのゲームに絞って思い出を語るなら、やはり横浜で行われた世界選手権2005ですね」と、カーステンは当時を振り返る。「そのとき私はまさに全盛期を迎えていて、しかも一番好きなカードである《けちな贈り物》をスタンダードで使えました。《けちな贈り物》は、扱うのにかなりの技術が必要なカードです。あらゆる可能性を整理し、また対戦相手がこちらの手札に入れるカードを予想しなければならないのです。《けちな贈り物》はさまざまな使い方ができる1枚ですが、私はこれと《よりよい品物》を用いたコンボ・デッキを組み上げ、変わったサイドボード・プランも搭載しました。《けちな贈り物》や《師範の占い独楽》のようなカードが持つ無限の可能性の中でも、私のデッキは常に思考を止めてはいけない難しいものに仕上がりました。でも私は、そういう刺激的なゲームを愛しているんです」
殿堂入りはマジックのプレイと記事の執筆にかけてきた時間が報われる最高の栄誉だと言うカーステンは、同じく時間をかけて投票先を考えて票を投じたすべての人に感謝の気持ちを伝えた。
「殿堂入りは信じられないほどの栄誉です。マジックはこの10年間、私の人生の大部分を占めていました。このゲームへの献身がこのような形で結実したのだと思います。プロツアーでの実績と書いた記事が認められたというのは、私にとって大きな意味があります。最も影響力があるマジック・プレイヤーのひとりだと評価されて、とても誇りに思います」と、2009年度の殿堂選出を受けてカーステンは言う。「まず、私に投票してくれたすべての方に感謝を。それから、オランダのプロ・プレイヤーたちにも心から感謝しています。彼らがいなければ、プロツアーへの旅がこんなに楽しくなることはなかったでしょう。また、彼らとの練習があったからこそ私は大会で良い成績を残せました。そして最後に、両親の理解と支援に感謝を伝えたいです」
「ほとんどの人がプロツアー予選でプロツアーの参加権利を得ると思いますが、私はこれまで一度も個人戦のプロツアー予選で優勝したことがありません」と、カーステンはプロツアーの舞台に立つまでの道のりを語る。「オランダ選手権で第5位という成績を収め、ヨーロッパ選手権への参加権利を獲得すると、そこでも第9位に入りました。そのおかげでブリュッセルで行われる世界選手権へ参加することができ、当時16歳の私は初めてのプロツアー参戦に大興奮でした。スタンダード部門では『アングリー・ハーミット』を武器に健闘でき、17位という結果を出しました。団体戦の方はイェシー・コーネリセン/Jesse Cornelissenが参加できなくなったため繰り下がりで私が参加しました。オランダ代表は(トム・ファン・デ・ロト/Tom van de Logtの個人戦トップ8入賞にも奮起し)第4位という好成績を収められました。すべてが期待以上で、このときの経験があったからこそ、私はさらにマジックへのめり込んだんだと思います」
カーステンは続くシーズンも優れた成績を残し活躍を見せたが、プロツアーではプロツアー・ベニス2003で記録した16位からしばらく伸び悩んだ。それでもプロツアー・サンディエゴ2004では10位、チーム戦のプロツアー・ボストン2003では5位、と彼は着実に歩みを進め、そしてついにプロツアー・名古屋2005で自身初のトップ8入賞を果たしたのだった。
カーステンはこの大会で「マッド・サイエンティスト」という評価を確立させた。彼は全カードに独自に優先順位をつけたカードリスト、いわゆる「The List」を手にこの大会のロチェスター・ドラフトへ挑み、結果を出したのだ。彼のことを「マッド・サイエンティスト」だと評する声は、グランプリ・チューリッヒ2004でトップ8入賞を記録した頃からあった(彼のグランプリ・トップ8入賞回数は、これを含めて6回である)。そのとき彼は「親和」デッキに《霊気の薬瓶》を採用し、控えめだったこの1マナ・アーティファクトの評価を一変させたのだった。
カーステンにまつわる、信じられないような話は枚挙にいとまがない。例えばプロツアー・横浜2007では、小脇にバケツを抱えながらプレイしたという。そのとき彼は胃を悪くしており、常に容器が近くになければならなかったのだ。なお、それでも彼はその大会で10位という優れた成績を残したのだった。このように逸話を多く持つフランク・カーステンだが、中でも彼のキャラクターを最も良く表しているのは、やはり世界選手権2008でトップ8入賞を果たした彼のスタンダード・デッキだろう。
その大会に向けてカーステンは「フェアリー」デッキを使うつもりだったが、どのような形にするかは決まっていなかった。するとこの分析家はどこかで勝ったデッキリストを片っ端から試して統計を取り、そしてメインデッキの《思案》1枚と《ロクソドンの戦槌》1枚が特徴的な「複合フェアリー」と呼ばれるデッキを組み上げたのだ。
そのデッキはカーステンの3度目のプロツアー・トップ8入賞を後押しした。世界選手権のトップ8入賞は2回目となるが、世界選手権は彼にとって相性の良い大会だったようだ。彼は横浜で行われた世界選手権2005でも「グレーター・ギフト」を操り準優勝を記録している。さて、このように数々の活躍を見せ生涯獲得プロ・ポイント・ランキングでも11位に入るほどの戦績を積み重ねてきたカーステンだが、彼はライターとしても(まさにこの公式サイトも含め)さまざまなウェブサイトへ記事を寄稿し、マジックに貢献してきた。それらの功績が、彼をプロツアー殿堂へ押し上げたのだ。
彼の詳細な分析と簡潔かつ明瞭な文章、そして鋭い洞察からなる記事は、プレイを改善したい人たちの助けとなるだけでなく、真に偉大なマジック・プレイヤーの思考を垣間見る貴重な機会だったと言えるだろう。
「殿堂入りの連絡を受けたときは、大きな喜びと同時に安心感に包まれました」と、カーステンは言う。「今年は思うように結果を出せていなかったので、投票を集められる自信はまったくありませんでした。だから良い知らせが届いて本当に嬉しかったです!」
殿堂入りによって今後すべてのプロツアーに招待されるようになるカーステンは、これからは「マッド・サイエンティスト」としての名声をさらに高めるつもりだという。
「新しい仕事を始めたばかりなので、これからは以前より自由な時間が減るでしょう。だからすべてのプロツアーに参加するのは難しくなると思いますが、それでも場所と日程によって今の半分くらいは出場したいと考えています」と、カーステンは今後について語る。「殿堂特典のおかげでプロツアーの参加権利は確保されるので、毎回プロ・ポイントを気にする必要はなくなりました。つまり結果ばかり追い求めなくてもよくなったんです。だから今後は、少し弱くてもプロツアーで面白いデッキや楽しいデッキ、特製のデッキを使おうと思っています。次のシーズンで早速、プロツアーの舞台でハイランダー(シングルトン)構築を試してみましょうか。個人的に、すべて1枚挿しのデッキを使っているときの方が楽しいんですよ。ゲーム中の選択肢が増えますし、対戦相手がこちらの動きを予想できなくなりますし、毎回違うシナジーを楽しめますし……楽しむことを忘れずにやっていきます!」
それからプロツアーで一番の思い出を尋ねると、カーステンは彼の代名詞と言えるカードに思いを馳せた。
「プロツアーに付随する素晴らしい体験の数々(世界中を旅して友人と出会えることなど)ではなく、あくまでマジックのゲームに絞って思い出を語るなら、やはり横浜で行われた世界選手権2005ですね」と、カーステンは当時を振り返る。「そのとき私はまさに全盛期を迎えていて、しかも一番好きなカードである《けちな贈り物》をスタンダードで使えました。《けちな贈り物》は、扱うのにかなりの技術が必要なカードです。あらゆる可能性を整理し、また対戦相手がこちらの手札に入れるカードを予想しなければならないのです。《けちな贈り物》はさまざまな使い方ができる1枚ですが、私はこれと《よりよい品物》を用いたコンボ・デッキを組み上げ、変わったサイドボード・プランも搭載しました。《けちな贈り物》や《師範の占い独楽》のようなカードが持つ無限の可能性の中でも、私のデッキは常に思考を止めてはいけない難しいものに仕上がりました。でも私は、そういう刺激的なゲームを愛しているんです」
殿堂入りはマジックのプレイと記事の執筆にかけてきた時間が報われる最高の栄誉だと言うカーステンは、同じく時間をかけて投票先を考えて票を投じたすべての人に感謝の気持ちを伝えた。
「殿堂入りは信じられないほどの栄誉です。マジックはこの10年間、私の人生の大部分を占めていました。このゲームへの献身がこのような形で結実したのだと思います。プロツアーでの実績と書いた記事が認められたというのは、私にとって大きな意味があります。最も影響力があるマジック・プレイヤーのひとりだと評価されて、とても誇りに思います」と、2009年度の殿堂選出を受けてカーステンは言う。「まず、私に投票してくれたすべての方に感謝を。それから、オランダのプロ・プレイヤーたちにも心から感謝しています。彼らがいなければ、プロツアーへの旅がこんなに楽しくなることはなかったでしょう。また、彼らとの練習があったからこそ私は大会で良い成績を残せました。そして最後に、両親の理解と支援に感謝を伝えたいです」
THE RECORD 戦績
プロツアー | プロツアー・名古屋2005:第6位(ロチェスター・ドラフト) 世界選手権2005:準優勝(混合フォーマット) 世界選手権2008:第7位(混合フォーマット) |
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グランプリ | グランプリ・ケルン2001:第6位(ブースタードラフト) グランプリ・ロンドン2003:第8位(ブロック構築) グランプリ・バーミンガム2004:第3位(ブースタードラフト) グランプリ・チューリッヒ2004:第4位(ブロック構築) グランプリ・ソルトレイクシティ2005:第5位(ブロック構築) グランプリ・メキシコシティ2005:第3位(ブロック構築) |