HALL OF FAME

ディルク・バベロウスキー

Dirk Baberowski

選出 2008年
出身 ドイツ、ザルツギッター
プロツアー・デビュー プロツアー・シカゴ1998-1999
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 217点

カイ・ブッディ/Kai Budde、マルコ・ブルーメ/Marco Blumeとともに結成したチーム「Phoenix Foundation」の一員としてプロツアー・デビューを果たし、デビュー戦(プロツアー・シカゴ1998-1999)で見事優勝。「Phoenix Foundation」はその後、史上最強チームとしての名声をほしいままにする。チーム戦プロツアー優勝2回、チーム戦で行われたマスターズ大阪2002優勝。1998-1999年シーズンのルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得。プロツアー3勝以上の偉業を達成した3人のうちのひとり。

PROFILE

殿堂投票が行われるたびに、「今年の最多得票者は誰か」という話題が持ち上がる。過去3回の投票では、それぞれジョン・フィンケル/Jon Finkelとボブ・マーハー/Bob Maher、そしてカイ・ブッディ/Kai Buddeが最も多くの票を集めた。そして4年目となる今回の投票で最も多くの票を集めたのが、ドイツのディルク・バベロウスキーだった。

 バベロウスキーはプロツアー・トップ8入賞5回を記録し、そのうち3回優勝している。プロツアー優勝3回という数字はフィンケルと並んで歴代2位の記録であり、その上には同じ殿堂顕彰者にして同国出身のカイ・ブッディがいるのみだ。また、マスターズでもバベロウスキーはチーム「Phoenix Foundation」の一員として活躍し、マスターズ・ニューヨーク2000ではトップ8入賞、そしてマスターズ・大阪2002で優勝を果たした。さらにグランプリでも3度のトップ8入賞を達成している彼のキャリアの始まりは、10年以上前に行われたプロツアー・シカゴ1998でのことだった。彼はトップ8に入れなかったグランプリで幸運にもこの大会への参加権利を得ると、なんとそのまま優勝し、華々しいデビューを飾ったのだ。

「振り返ってみると本当に不思議な出来事でしたね」と、プロツアー初参加の思い出を尋ねられたバベロウスキーは言う。彼はグランプリで授与されるプロツアーへの参加権利を繰り下がりで手に入れた。

「当時の私は、プロツアー予選(PTQ)を突破したこともないくせに自信に満ちていました。その場にはカイもいましたが、もし32位以内にも入れなかったら落ち込むね、なんて話をしましたよ――当然、仲間の誰かがトップ8に入ると考えていたんです」

 ディルク・バベロウスキーがマジックに関して異常なまでに自己評価が低いことを知っている者なら、それが彼らしくもない自信に満ちた発言だとわかるだろう。だが彼はその言葉通りデビュー戦から決勝の舞台まで登り、ケイジー・マッカレル/Casey McCarrelを破った。前シーズンのプロツアー・シカゴ1997を制したランディ・ビューラー/Randy Buehlerに続いて、シカゴの地での戴冠を成し遂げたのだ。

 この優勝をきっかけに彼はプロツアーへの継続参戦を果たし、続くシーズンには再びシカゴで開催されたプロツアーにて第6位の成績を収めた。個人戦プロツアーのトップ8入賞はこれで最後になったが、この頃からバベロウスキーはカイ・ブッディとマルコ・ブルーメ/Marco Blumeとともにチームを組んで活動するようになった。史上最強チームとの呼び声高い「Phoenix Foundation」の誕生である。「Phoenix Foundation」はチーム・ロチェスターで行われたプロツアーを2連続で制し、他のフォーマットでもトップ4入賞を記録し、さらにマスターズでも優勝1回を含めて3度のトップ8入賞を果たした。

 プロツアー優勝回数においては並び立てるのがフィンケルとブッディしかいないほどの記録を持ちながらも、バベロウスキーは今年メンフィスで行われる殿堂セレモニーに殿堂選出者として行ける自信はまるでなかったという。

「私自身は殿堂入りできると思っていなかったのですが、周りの誰もが殿堂入り確実だと言ってくれて、そのおかげか投票終盤には私も前向きになれました」と、今年の殿堂入りに期待していたかどうか問われたバベロウスキーは答えた。

 そして殿堂入りの知らせを受けた瞬間については「安心した」と言いながらも、次のように言葉を続けた。「マルコ(・ブルーメ)とウィリアム・ジェンセン/William Jensenが入れなかったのは少し残念です。私より先に、Huey(ジェンセン)に殿堂顕彰者になってほしかった」

 バベロウスキーは、メンフィスで行われる殿堂セレモニーと世界選手権に参加する予定だという。

「グレイスランドを観光するのを楽しみにしています。もちろん、出場するからにはきちんと練習して行きますよ。ともに練習する仲間もいますから」と、バベロウスキーは言う。「Magic Onlineもアップデートしました。勝てるとは思いませんが、恥ずかしい思いをしないよう準備はします」

 では、プロツアーへの参加権利を自動的に得られる特典を活かすつもりはあるのだろうか?

「仕事によりますね。今は週末が忙しく、プレイできても1日だけです。週末の忙しさが減ればもう少しプレイ時間を取れるのですが……それでも、ハワイへは行くつもりです。ローマも行くかもしれません」

 再びプロツアーの舞台へ戻ったら、6度目のプロツアー・サンデー進出はできると思うだろうか?

「可能性はあります――もちろん低いですが。このゲームに必要なのは頭脳だけです。数年前のプロツアー・サンディエゴで10位という成績を収めましたが、そのとき私はカードのテキストを読みながら戦っていました。その環境のカードの知識がない私にとっては、プレリリース状態だったんです。それでも当時はマジックをやり込んでいましたから、ゲームそのものへの知識はありました」

「プロツアー殿堂の制度は素晴らしいですが、私なんかが栄えある殿堂顕彰者で良いのかという思いは拭えません」 10年前にプロツアー・デビューを迎えたとき、殿堂入りする自身の姿を思い描いていたか尋ねられると、バベロウスキーはそう答えた。「私ではなく、マーク・ジャスティス/Mark Justiceやマーク・チャリス/Mark Chaliceのようなプレイヤーにこそふさわしいと思います」

続けて今年の最多得票者になったことについて話を聞くと、彼は慌てるように言った。「何かの間違いじゃないですか? とても信じられず少し混乱しています。私は自分のことをカイやジョン、ボブと並べて考えたことは一度もありませんし、今でもそうです。殿堂入りの可能性に期待していたのは事実ですが、最多得票なんて本当にひと握りのプレイヤーが得るものであり、恐れ多いことです」

 そしてこれまでのキャリアを振り返ると、バベロウスキーは最も思い出深い瞬間を今でも鮮明に思い出せるという――それは、マジックをプレイする者なら誰もが体験したい瞬間だ。

「ほぼ完璧なプレイができたときのことは思い出に残っていますね」と、バベロウスキーは回想する。「日本で行われたチーム戦マスターズで、相手はたしか石田 格でした。読みは冴え渡り、本当に最高のプレイができました。キャリアを通して5回くらいはそういう試合があったのですが、中でもあれは全盛期という感じでしたね。そこからはもう下り坂でしたから」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・シカゴ1998:優勝(ロチェスター・ドラフト)
プロツアー・シカゴ1999:第6位(エクステンデッド)
プロツアー・ニューヨーク2001:優勝(チーム・リミテッド)
プロツアー・ボストン2002:優勝(チーム・リミテッド)
プロツアー・ボストン2003:第3位(チーム・リミテッド)
グランプリ グランプリ・アムステルダム1999:準優勝(Nov 96 Type II)
グランプリ・アントワープ2002:第8位(ブースタードラフト)
グランプリ・コペンハーゲン2002:第5位(ロチェスター・ドラフト)
マスターズ マスターズ・ニューヨーク2000:トップ8入賞(エクステンデッド)
マスターズ・大阪2002:優勝(チーム・リミテッド)
マスターズ・ベニス2003:トップ8入賞(チーム・リミテッド)
その他 1998-1999年度ルーキー・オブ・ザ・イヤー

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