HALL OF FAME

ブラム・スネプヴァンジャーズ

Bram Snepvangers

選出 2010年
出身 オランダ、ハウテン
プロツアー・デビュー 世界選手権1997
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 317点

プレイヤーとしてだけでなく、ジャッジとして、イベント主催者として、オランダのマジック・コミュニティを支えた。プロツアー・トップ8入賞4回、グランプリ・トップ8入賞8回。1999年にプロツアー・デビューを果たして以来、64回行われたプロツアーのうち62回に参加。プロツアー決勝ラウンドでカイ・ブッディ/Kai Buddeを下した初のプレイヤー。オランダのマジック・コミュニティに向けて、自身の名を冠した招待制イベント「Bramvitational」を開催している。

PROFILE

ブラム・スネプヴァンジャーズのキャリアは、世界選手権1997から始まった。オランダ選手権で4位に入賞し、オランダ代表チームの一員として出場したのだ。スネプヴァンジャーズは次のプロツアー出場権利獲得に必要な32位以内の成績を目指し奮闘したが、しかしそこには手が届かず終わり、それからプロツアー・シカゴ1999まで彼がプロツアーの舞台に姿を見せることはなかった。

「当時はルールがかなり厳格でしたね」と、スネプヴァンジャーズは初めて参加したプロツアーを振り返る。「解決された《砕土》を墓地に置いてから土地を探そうとすると、探さないことを選択したように扱われました。結果は64位以内にも届かず。チーム戦は悪くありませんでしたが、私は何も得られませんでした。次のプロツアーにも参加するために、32位以内に入りたかったんですが……」

 しかしスネプヴァンジャーズはその後再びプロツアーの舞台へ戻ると、世界選手権1999を除いてプロツアー・神戸2004まですべてのプロツアーへ出場した。彼が復帰したプロツアー・シカゴ1999からプロツアー・アムステルダム2010までの間に64回のプロツアーが開催されているが、スネプヴァンジャーズは、そのうち62回に参加しているのだ。彼はプロツアー・ロサンゼルス1999で32位以内に入る成績を残し、64位以内にもたびたび入った。プロツアー・ロサンゼルス2001では、トップ8入賞まであと一歩となる10位の好成績を収めた。

 スネプヴァンジャーズがプロツアー・サンデーの舞台に初めて立ったのは、『オデッセイ』ブロック・ドラフトで行われたプロツアー・ニース2002でのことだった。そこでの優勝は逃したものの、彼は恐らくそれ以上に価値ある勝利を成し遂げた――史上初めて、プロツアー決勝ラウンドの舞台でカイ・ブッディ/Kai Buddeを下したのだ。「ジャーマン・ジャガーノート」と呼ばれたブッディは、プロツアー・サンデーまで進出すればそこから敗北したことがなかった。ブラムは3ゲーム連取の完全勝利を果たし、決勝まで進出したのだった。

 スネプヴァンジャーズの2度目のプロツアー・トップ8入賞は、プロツアー・シカゴ2003で達成された。そのときのトップ8には、現在の殿堂顕彰者の名前が4人連なっている(ジョン・フィンケル/Jon Finkel、カイ・ブッディ、ニコライ・ヘルツォーク/Nicolai Herzog、スネプヴァンジャーズ)。再びリミテッド・プロツアーでトップ8入賞を記録したスネプヴァンジャーズだが、この流れは続き、3度目の入賞となるプロツアー・神戸2006のフォーマットもリミテッドであった。

 こうして驚くべき戦績を積み上げてきたスネプヴァンジャーズだが、彼が殿堂資格を得てから数年は、投票者たちの心を動かすには至らなかった。しかし彼がローマで行われた世界選手権2009でトップ4に入賞したのをきっかけに、状況は変わった。続くシーズンの殿堂投票で、彼の歩んできた軌跡は真剣に議論された。スネプヴァンジャーズを取り巻くオランダのマジック・コミュニティが積極的に投票を呼びかけ、スネプヴァンジャーズの存在を世界中の投票者へ知らせる草の根運動が活発化した。

 スネプヴァンジャーズはプロツアー・トップ8入賞4回にグランプリ・トップ8入賞8回という優れた成績を残しただけでなく、イベント主催者やジャッジとしてオランダのマジック・コミュニティを支える柱となっていた。彼は個人的にジャッジを指導・支援し、当時のレベル5ジャッジの大半を輩出した。また、キャリアを通して4000試合に迫る数の認定試合でプレイしてきたと同時に、700回を超える数の認定イベントを主催してきた。さらに非公認ながら「Bramvitational」という招待制イベントも毎年開催し、スネプヴァンジャーズが考えた特殊フォーマットでオランダのコミュニティを盛り上げ、優れたプレイヤーたちに挑戦しがいのある場を提供した。

「昨年の世界選手権でトップ4に入賞したとき、殿堂入りの可能性が現実味を帯びました。そのときが近いな、と期待しましたよ」と、2010年度の殿堂入りの可能性について問われたスネプヴァンジャーズは答える。「この結果には本当に満足しています。殿堂入りが決まったときは安心感が心を占めました。私にとって殿堂入りは本当に大きな意味があります――特に尽力してくれたオランダのマジック・コミュニティの皆さんには深く感謝しています」

 プロツアーに参加するために何年にもわたって激戦を繰り返してきたスネプヴァンジャーズだが、今後永久に参加権利が確保されるようになった今、これからもすべてのプロツアーに出場していきたいと意欲を見せてくれた。とはいえ、プロツアーへの参加権利を心配する必要がなくなったため、グランプリへの参加は減るかもしれないと彼は言う。

「グランプリには、プレイヤーとして参加したりジャッジとして参加したり、そのときどきで変えていこうかと思います」と、今後すべてのプロツアーへの参加権利を得たスネプヴァンジャーズは予定を語るのだった。

 長いキャリアと多くの顔を持つスネプヴァンジャーズの「感謝したい人物リスト」が長くなるのは、驚くことではないだろう。新たな殿堂顕彰者は、これまでのキャリアを振り返って感謝の言葉を述べた。

「いつも素晴らしい大会を開き、私の殿堂入りに際してはオランダのマジック・コミュニティの先頭に立って尽力してくれたテウン・ゼイプ/Teun Zijpへ!」最も感謝したい人物を尋ねると、スネプヴァンジャーズはそう答えた。「それから、いつもプレイ・スペースを用意してくれたユトレヒトの『The Joker』やアムステルダムの『2 Klaveren』にも感謝を。チーム『Angstschreeuw』として多くの大会をともにしたヨス・シュクレアス/Jos Schreursとメノ・ドルストラ/Menno Dolstraへ。同じく多くの大会への練習をともにしたオランダのプロ・プレイヤーたちへ。そして、オランダのプロたちがマジックから離れたときに私を受け入れてくれた、ロベルト・ファン・メーデフォールト/Robert van Medevoortにも感謝を伝えたいです」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・ニース2002:準優勝(ブースタードラフト)
プロツアー・シカゴ2003:第7位(ロチェスター・ドラフト)
プロツアー・神戸2006:第6位(ロチェスター・ドラフト)
世界選手権2009:準優勝(混合フォーマット)
グランプリ グランプリ・アムステルダム1999:第5位(ブースタードラフト)
グランプリ・カンヌ2000:準優勝(チーム・ロチェスター)
グランプリ・フィレンツェ2000:準優勝(エクステンデッド)
グランプリ・トリノ2001:第3位(チーム・ロチェスター)
グランプリ・ロンドン2002:第3位(ブロック構築)
グランプリ・カーディフ2006:第6位(ブースタードラフト)
グランプリ・トリノ2006:第3位(ブースタードラフト)
グランプリ・リヨン2010:第4位(ブースタードラフト)

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