HALL OF FAME

ベン・ルービン

Ben Rubin

選出 2008年
出身 アメリカ合衆国、カリフォルニア州サンディエゴ
プロツアー・デビュー プロツアー・ロサンゼルス1998
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 279点

15歳で迎えたプロツアー・デビュー戦で、デイヴ・プライス/Dave Priceに続く準優勝を果たしたことでマジック界に衝撃を与えた。プレイ中の集中力は随一で、マスターズ優勝2回やプロツアー・トップ8入賞4回という成績につながった。デビュー戦のトップ8入賞を懸けた試合でランディ・ビューラー/Randy Buehlerを相手に見せたブラフは、最も有名なものとして歴史に刻まれている。

PROFILE

ベン・ルービンは2007年度の殿堂入りを惜しくも逃した。それは、投票者たちが「彼は自分が投票しなくても勝手に殿堂入りするだろう」と考えた結果のことであり、同じ理由で殿堂入りを逃したプレイヤーが7人いた。ベンが力強くプロ・シーンに踏み出したのは10年前、当時15歳の彼はプロツアー・ロサンゼルス1998にて決勝の舞台まで登り詰め、デヴィッド・プライス/David Priceと対峙した。ルービンはその年の世界選手権でも準優勝を記録し、鮮烈なプロツアー・デビュー飾ることになった。その後現在に至るまでに4度のプロツアー・トップ8入賞を達成しているルービンは、優勝こそないものの決勝ラウンドまで進出した大会の結果は第4位を下回ったことがなく、活躍した期間は最も恐れられるプレイヤーのひとりであった。マスターズでは2度の優勝を経験している彼だが、その道のりの中でかの「ジョニー・マジック」ことジョン・フィンケル/Jon Finkelを2回打ち破っていることも見逃せない。またグランプリでも6回のトップ8入賞を積み上げ、うち2回は優勝している。中でも、決勝で土地なしの手札をキープしたというエピソードは特筆すべきだろう。

 あのフィンケルをもってして「大事な試合で当たりたくない」と言わしめるほどのプレイヤーにも関わらず、ルービンは殿堂入りに恐縮していた。

「昨年殿堂入りを逃し、今年は求められる票の基準が上がったため、厳しくなることは理解していました。まさかすぐに殿堂入りできるとは思っていませんでしたよ」と、ルービンは言う。「私がマジックに注いできた時間、情熱、創造的なエネルギー(それから実績)では、殿堂入りに届かないと考えていました。殿堂リング(それから記念カードも)をいただけるのは、身に余る光栄です」

「本当に素敵なことです――今もまだ喜びに浸っていますよ」ルービンはそう続けると、メンフィスで行われる世界選手権はもちろん、今後もときどき競技の世界を味わいに行くつもりだという計画を明かしてくれた。

「実は1年ほどマジックに復帰してみたんですが、つい夢中になり過ぎてしまうと思い、また離れました」と、ルービンは語る。「もっと効率的に練習できる環境を整えて、またときどき戻って来ようと思います。その意欲は変わりませんよ」

 プロツアー・ロサンゼルス1998で華々しくデビューを飾ったことについては、彼の中でどのような思い出になっているのだろうか?

「グランプリ・サンフランシスコ1997で、残り2試合のうちひとつ勝てばトップ8入賞というところでケイジー・マッカレル/Casey McCarrelとライアン・フューラー/Ryan Fullerに当たり、惜しくも入賞を逃しました。その後プロツアー予選(PTQ)で参加権利を獲得したんです」と、ルービンは当時を思い返す。「自信はありませんでしたが、とても楽しみだったのを覚えています」

「そしていざ蓋を開けると、私のマジック人生最高の結果が出ました」と、ルービンは続ける。「使用したデッキはプロツアーの基準に満たない弱いものでしたが、使い込んでうまくプレイできたため準優勝という成績を残せました。プロツアー・ロサンゼルス1998の会場となった客船クイーン・メリーは、私の曽祖父であるステファン・ピゴット/Steven Piggotが設計したものでした。決勝が始まるのを待つ間クイーン・メリー内を散歩して過ごした15歳のあのときが、一番の思い出です」

 ルービンはグランプリ・アナハイム2003で優勝を記録しているが、そのとき彼は「レッド・デック・ウィンズ」を操るネイサン・サンダース/Nathan Saundersとの決勝の舞台で「土地なしかつ1マナ域のカードなし」という手札をキープする強気の決断を見せた。またこのときルービンが使用したデッキは彼が「ダンプカー」と呼んでいたお手製のものであり、この大会で彼はデッキ構築の技術と決断力の高さを見せつけたのだった。

 これまでのキャリアを振り返って、ルービンは感謝したい人物としてひとりの名前を挙げた。「ダン・クレッグ/Dan Cleggとはそこまで多くの時間を共有していませんが、それでも私が競技の世界で成功できたのは間違いなく彼のおかげです。私が突然プロツアーで成功して、彼とは疎遠になってしまいましたが、私の成功は彼が私に教えてくれたことの多さを証明していると思います。彼自身も同じくらい若かったのに、マジックの世界にある無数の扉をたくさん開けて見せてくれたのです」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・ロサンゼルス1998:準優勝(ブロック構築)
世界選手権1998:準優勝(混合フォーマット)
プロツアー・ロンドン1999:第4位(ブースタードラフト)
プロツアー・ニューヨーク2000:第3位(ブロック構築)
グランプリ グランプリ・ピッツバーグ2000:優勝(チーム・リミテッド)
グランプリ・コロンバス2001:第3位(チーム・リミテッド)
グランプリ・ヒューストン2002:第4位(エクステンデッド)
グランプリ・ボストン2003:第5位(ブースタードラフト)
グランプリ・アナハイム2003:優勝(エクステンデッド)
グランプリ・オークランド2003:第6位(ブースタードラフト)
マスターズ マスターズ・ニューヨーク2000:トップ8入賞(エクステンデッド)
マスターズ・シカゴ2000:優勝(ブースタードラフト)
マスターズ・バルセロナ2001:優勝(ブロック構築)

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