HALL OF FAME

アントン・ヨンソン

Anton Jonsson

選出 2011年
出身 スウェーデン、ウメオ
プロツアー・デビュー プロツアー・東京2001
生涯獲得賞金 【記載なし】
生涯獲得プロ・ポイント 206点

プロツアー・トップ8入賞5回。2004年に行われたリミテッドのプロツアーでは、連続でトップ8入賞。グランプリ・トップ8入賞はグランプリ・セビリア2003での優勝を含め9回。リミテッド・プレイヤーとしての評価は極めて高く、誰もが彼を恐れた。2000年台前半のヨーロッパ勢躍進のキーマン。彼のドラフトに対する知識や技術は、コラムや動画を通してコミュニティに共有されている。

PROFILE

スウェーデンのアントン・ヨンソンはプロツアー・東京2001でプロツアー初参加を果たし、その大会で64位以内に入る成績を収めた。デビュー戦から力強く一歩を踏み出したヨンソンだが、彼自身はもっとうまくやれたはずだと感じたという。

「初めて参加したプロツアーは、『インベイジョン』ブロック構築で行われたプロツアー・東京2001でした」と、ヨンソンは回想する。「イェンス・ソーレン/Jens Thorénが『青黒ネズミ』という素晴らしいデッキを作り上げ、仰天したのをよく覚えています――彼自身はプロツアーの参加権利がなかったのに! イェンスはデッキビルダーとしては寡作でしたが、作るデッキはどれも見事でした。おかげで私は64位以内に入ることができましたが、私がひどいミスをしなければ、あのデッキならもっと上へ行けたはずです。とはいえ初めて経験した大きな賞金を懸けて戦う大会はスリル満点でしたし、それからもちろん、私たちにとって神秘的だった日本への旅は最高でした」

 ヨンソンはプロツアー予選でデビュー戦の切符を手にした。彼のデッキ選択にはソーレンが大きく寄与したという。

「ウメオで開催されたプロツアー予選(PTQ)でのことでした。当時まだPTQに参加し始めたころのことで、私は足りないカードをイェンスから借りようと思っていました」と、ヨンソンは語る。「しかし私がPTQの開催を知る頃にはすでに4、5人がイェンスからカードを借りていて、私はストンピィ系のデッキしか組めませんでした。フォーマットはエクステンデッドで、当時は『ネクロドネイト』があったため私はストンピィに懐疑的でしたが、実際に他のPTQで結果を出しており、私も不思議と勝てたんです」

 初めてのプロツアーへ向かうヨンソンはあまり期待し過ぎないよう努めていたが、それまでの順風満帆な道のりを思うと少しはそういう気持ちになるのを抑えられなかった。

「予選で優勝してさらに大きな大会でプレイできることを楽しみにしていました」と、ヨンソンは言う。「ですが無意識のうちに、『いつも通り悪い結果にはならないだろう』と思っていたのは事実です。地元の大会でも、国別選手権やグランプリでも、悪い結果に終わったことはありませんでした。生意気にも、プロツアーもそこまで変わらないだろうと考えていたんです」

 彼は続くシーズン、プロツアー・ニューオーリンズ2001でプロツアーの舞台に戻ってきた。するとそのシーズン中に2度のプロツアー・トップ8入賞を果たし、おまけに世界選手権でも32位以内に入る成績を収め、彼が無意識のうちに思っていたことが正しいことを証明してみせたのだ。ヨンソンは自身の成功の大きな要因として、トミ・ワラミーズ/Tomi Walamiesやトマス・ロショルム/Thomas Rosholm、マシアス・ケティル/Mattias Kettil、マティアス・ヨーステッド/Mattias Jorstedtらが結成したチーム「Punisher」に参加できたことを挙げている。当時、ヨーロッパのプレイヤーがマジック界を席巻する一時代を築き上げた。新世紀の始まりとともに出現したヨーロッパのチームが、マジックの中心を北米からヨーロッパへ引き寄せる大きな力になったと、ヨンソンは感じていた。

「本当に強いプレイヤーたちがみな、強いチームを作ってプロツアーに強いデッキを持って行くのが必要だということを理解したんです」と、ヨンソンは端的に述べる。「カイ・ブッディ/Kai Buddeにはベン・ロナルドソン/Ben Ronaldssonやジョン・オーメロッド/John Ormerodといった仲間がいて、オランダにはカミエル・コーネリセン/Kamiel Cornelissenやイェルガー・ウィーガーズマ/Jelger Wiegersmaが、フランスにはアントワン/Antoineとオリヴィエ/Olivierのルーエル/Ruel兄弟やガブリエル・ナシフ/Gabriel Nassifがいました。アメリカではしばらく前から行われていたことですが、ヨーロッパでもこの時期に突然同じことが起きました。この流れに乗らないわけにはいきませんよ」

「私自身は、チーム『Punisher』の面々と取り組みました。スウェーデンやフィンランドの優れたプレイヤーが集まり、後にはノルウェーのプレイヤーも加わって、他にもデンマークやスイス、オーストリアのプレイヤーにも広がっていきました」と、ヨンソンは続ける。「私が参加したのはチーム結成から1年ほど経ったころでしたが、『カオス』としか言えないプレイテストからたびたび強いデッキを生み出し、大会へ持ち込めました。当時成功できた理由は、お互いに信頼できるメンバーが集まってちょうど良い人数のチームを組めた、というのが一番大きいと思います」

 ヨンソンは昨シーズンに殿堂候補者の資格を得たが、その年はスティーヴン・オマホニー=シュワルツ/Steven O'Mahoney-Schwartzと同じくわずかに票が足りず、千葉で行われた世界選手権での殿堂入りは果たせなかった。こうして昨シーズンは一歩及ばなかったヨンソンだが、2011年度の殿堂投票が始まると100%ではないものの可能性は十分にあると感じたようだ。

「今年は殿堂入りできると思っていました。去年の結果も悪くありませんでしたし、今はStarCityGames.comで連載を持っていますから」と、ヨンソンは言う。「それから、ソーシャル・メディア上で公表された投票先を見ていたら、そのほとんどは私に投票してくれていました。それでも、実際に連絡を受けたときは不思議な気持ちになりました。私の中に、自分の殿堂入りを受け入れている部分と、殿堂入りなんてあり得ないと思っている部分があったんです――あのプロツアー殿堂だぞ、と」

 ヨンソンは将来のことはわからないとしながらも、時間とお金に余裕があり十分に練習できるタイミングがあれば、殿堂顕彰者の資格でプロツアーに参加することを検討しているという。全てが整って参加したら、また日曜日の舞台に立てるか――つまり5度目のトップ8入賞を果たせると思うか尋ねると、彼は次のように答えた。

「毎週日曜日はマジックをプレイしていますが、そういう意味じゃなくプロツアーの3日目のことですよね」と、ヨンソンはジョークを交え、続ける。「トップ8入賞は厳しいと思いますが、勝てると思わなかったら参加しませんよ」

 アントンは、奇しくも同じ年に殿堂入りを果たしたスティーヴン・オマホニー=シュワルツとともに、史上最強のリミテッド・プレイヤーの1人として知られている。2003-2004年シーズン中に行われたリミテッドのプロツアーで2大会連続トップ8入賞という快挙は、マイク・チュリアン/Mike Turianとニコライ・ヘルツォーク/Nicolai Herzogというふたりの偉大な殿堂顕彰者に並ぶ記録だ。彼はそのふたりと同じプロツアー殿堂に加わったのだ。

プロツアー殿堂という制度が告知されたその年に、アントンはプロツアー・名古屋2005で準優勝を果たし、5度目のトップ8入賞を記録していた。そのとき、プロツアー殿堂に対するプロ・プレイヤーの反応を集めていた解説者(にして殿堂顕彰者)のランディ・ビューラー/Randy Buehlerと筆者がアントンに将来殿堂入りできると思うか尋ねたところ、彼はその可能性はあると答えたのだった。

「それ以来、殿堂入りする自分の姿を夢見てきました。ですが実際に殿堂入りを果たした今でも、やっぱり現実とは思えませんね」あの質問を投げかけてから5年が経った今、殿堂入りの意味をアントンに尋ねると、彼はそう語った。「私はもうすぐ34歳になりますが、人生の半分以上はマジックをプレイしているということになりますね。食事や睡眠、呼吸や歩行を除いたら、一番時間を費やしてきたのはマジックです。殿堂入りの意味ですか? 想像していたよりはるかに重く感じます」

 これまでのキャリアを振り返って最も思い出深いものを尋ねると、ヨンソンはとてもひとつには決められないという。「『全部』と答えるのはなしですか? 何千ドルも懸かった決勝ラウンドでの対戦はとても楽しく、今後の人生においても忘れられないと思います。ですがもちろん、友人たちのことや笑った出来事、ドラフトをプレイしたこと、そのとき食べたものや飲んだもの、すべてが忘れられない思い出です」

 そして、感謝の気持ちを伝えたい相手についても同じように絞り切れないというヨンソンは、「チーム『Punisher』の人たち以外で」と前置いた上で、特別なふたりを挙げた。

「いつも私を支えてくれた両親へ」とヨンソンは切り出すと、次のように続けた。「ここで感謝したい人物を挙げだすと本当にキリがありません。マジックにおいてもそれ以外においても、私を支えてくれた皆さんに感謝したいです。プロツアーをこんなに楽しめているのは、皆さんのおかげです」

THE RECORD

プロツアー プロツアー・ニューオーリンズ2001:第5位(エクステンデッド)
プロツアー・ニース2002:第6位(ブースタードラフト)
プロツアー・アムステルダム2004:第3位(ロチェスター・ドラフト)
プロツアー・サンディエゴ2004:第4位(ブースタードラフト)
プロツアー・名古屋2005:準優勝(ロチェスター・ドラフト)
グランプリ グランプリ・オスロ2001:準優勝(ブロック構築)
グランプリ・ランス2002:第8位(エクステンデッド)
グランプリ・セビリア2003:優勝(ブースタードラフト)
グランプリ・プラハ2003:第7位(ブースタードラフト)
グランプリ・アムステルダム2003:第3位(チーム・ロチェスター)
グランプリ・ボーフム2004:準優勝(チーム・ロチェスター)
グランプリ・ヘルシンキ2004:第5位(ロチェスター・ドラフト)
グランプリ・リスボン2005:第8位(ブースタードラフト)
グランプリ・ヨーテボリ2010:準優勝(ブースタードラフト)
マスターズ マスターズ・ヒューストン2002:第8位(ブースタードラフト)

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