HALL OF FAME
アントワン・ルーエル Antoine Ruel
選出 | 2009年 |
---|---|
出身 | フランス、オーベルヴィリエ |
プロツアー・デビュー | プロツアー・ワシントンDC1999 |
生涯獲得賞金 | 【記載なし】 |
生涯獲得プロ・ポイント | 367点 |
弟のオリヴィエ・ルーエル/Olivier Ruelととともに兄弟で殿堂入り。生涯獲得プロ・ポイント・ランキング第6位。オリヴィエとともにチーム「Black Ops」を結成し、プロツア・シーンへ躍り出た。プロツアー・ロサンゼルス2005優勝を含め、プロツアー・トップ8入賞4回。グランプリでは、優勝2回を含めトップ8に18度入賞した。インビテーショナル2006を勝ち取り、《イーオスのレインジャー》を生み出した。
PROFILE プロフィール
殿堂顕彰者たちはみな、そのキャリアにおいてチーム戦が大きな転機になっているように見受けられる。アントワン・ルーエルにとっても、それは例外ではなかった。ルーエルは同じ殿堂顕彰者であり実の弟であるオリヴィエ・ルーエル/Olivier Ruelとフローレン・ジュードン/Florent Jeudonとともにチーム「Black Ops」を結成し、グランプリ・カンヌ2000で優勝を果たすと、史上初のチーム戦プロツアーであるプロツアー・ワシントンD.C.1999(アントワン・ルーエルのプロツアー・デビュー戦)での11位という成績とあわせて「Magic: The Gathering Team Challenge」への参加権利を獲得した。
「初めて参加したチーム戦プロツアーでは、最後はカイ(・ブッディ/Kai Budde)率いるチームに負けて11位でした」と、ルーエルは自身のプロツアー・デビュー戦を振り返る。「カイとの第1ゲームは《マスティコア》にやられました。《マスティコア》の能力によって彼の手札が枯れそうだなと思っていたところに《時のらせん》を撃たれ、押し切られましたね。第2ゲームは、こちらの残りライフ8点の状況でカイの手札はなくなりました。私は全軍攻撃を繰り出し、次のターンに何もなければ勝てるところまで追い詰めました。しかしカイのドローは《時のらせん》。引き込んだ《ケルドのチャンピオン》と《乾燥》でぴったり残りライフを削り切られましたよ。プロツアーの洗礼を浴びましたね。個人戦プロツアーに参加したのは、『レベル』デッキに支配されたプロツアー・ニューヨーク2000です――たぶん自己最低の成績だったと思います。第1回戦からエイドリアン・サリバン/Adrian Sullivanと当たり、最終的に1勝2敗2分で終わりました。『Team Challenge』が行われたのもこの週末です」
「Team Challenge」はプロツアー・ニューヨーク2000で行われESPNで放送された特別なイベントだ。この大会でルーエルたちは比較的無名のチームであり、フィーチャー卓ではロブ・ドウァティ/Rob Doughertyやダーウィン・キャスル/Darwin Kastle、デイヴ・ハンフリー/Dave Humpherys、ジョン・フィンケル/Jon Finkel、アラン・カマー/Alan Comerといった偉大な殿堂顕彰者たちが次々と立ちはだかった。その中で「Black Ops」は見事優勝を果たした。アントワンは決勝でジョン・フィンケルと対峙し、値千金の勝利を収めたのだ。
「プロツアーよりも優勝したいと燃えていました。準決勝は本当に厳しい戦いでしたね」と、テレビ中継された「Team Challenge」についてルーエルは語る。「相手は(アラン・)カマーとブライアン・セルデン/Brian Selden、カート・バーグナー/Kurt Burgner。カマーの存在に私たちは恐れ、私は大きなプレッシャーを受けていました。それでもその試合を乗り越えた私たちは、(ジョン・)フィンケルとスティーヴン・オマホニー=シュワルツ/Steven O’Mahoney-Schwartz、ダン・オマホニー=シュワルツ/Dan O’Mahoney-Schwartzとの決勝に挑みました。優勝できたのは、フローレン・ジュードンのおかげです。彼は私が出会った中で最も上手いプレイヤーのひとりです。彼がいなければ、弟も私も殿堂顕彰者になれなかったでしょう」
ルーエルはチーム戦で行われたプロツアー・ニューヨーク2001でも好成績を収め、そしてこの年、個人戦プロツアーでトップ8入賞を果たした。世界選手権2001で彼は3色の「ネザー・ゴー」デッキを操り第3位という結果を出し、自身初のプロツアー・トップ8入賞を記録したのだ。
その後もプロツアー・サンディエゴ2004で準優勝を記録したルーエルは、プロツアー・ロサンゼルス2005でついに初戴冠を果たした。「サイカトグ」を手に危険に満ちたトップ8・ラウンドへ挑んだ彼は、準々決勝でのちの殿堂顕彰者である藤田 剛史を倒し、準決勝では2005年のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーである津村 建志との戦いを制し、決勝でビリー・モレノ/Billy Morenoを破って優勝したのだ。特に津村との試合でルーエルが見せたプレイは、プロツアー決勝ラウンドの歴史に残る名プレイとして広く知られている。
その試合の第2ゲーム、ルーエルが放った《強迫》に対応して津村は《マナ漏出》を唱えた。このときルーエルは残ったマナで《魔力の乱れ》を合わせることもできたが、彼はあえてそうしなかった。これで安全を確認できたと考えた津村は3ターン目に《サイカトグ》を繰り出し、ルーエルはそれを《魔力の乱れ》で対処したのだ。津村に《魔力の乱れ》はブラフだと思わせる、非常に高度なプレイだった。
ルーエルはインビテーショナル2006でも優勝し、彼のデザインをもとにした《イーオスのレインジャー》にその姿を残している。
グランプリではこれまでに18回のトップ8入賞を記録し、そのうち2回は優勝している。この記録を超えるのは、アレックス・シュヴァルツマン/Alex Shvartsmanと弟のオリヴィエ・ルーエルだけだ。アントワンは弟ほどグランプリ遠征を行っていなかったものの(あのオリヴィエ・ルーエルと比較しては仕方がないだろう)、彼もまた弟と同様に世界中を回り、マジックの伝道師として活動したのだった。
アントワンとオリヴィエは仲の良い兄弟というだけでなく、友人としても特別な絆を築いている。アントワンが記録した最新のプロツアー・トップ8入賞は、彼にとって最も思い出深いものになった。オリヴィエとともに、史上初めて個人戦プロツアーで兄弟揃ってのトップ8入賞を果たしたのだ。そして今、彼らは史上初めて兄弟揃って殿堂顕彰者になった。
「いろいろな想いがあふれてきますが、とにかく光栄です」 殿堂入りを知らされた直後にコメントを求められると、アントワンはそう答えた。「殿堂入りは、マジックで達成しうる最大の実績です。フィンケルやブッディ、そしてもちろん弟のオリヴィエも含め、マジックの偉人たちの列に加われることを嬉しく思います……マジックは最高のゲームであるだけでなく、13年にわたって私の人生の大部分を占めるものでした」
その13年の中でも最も大切な思い出は、やはり兄弟揃ってトップ8に入賞できたことだという。
「やっぱりプロツアー・ホノルル2006のトップ8入賞者が発表されたあの瞬間ですね。私はタイブレーカーで8位に滑り込みました。すでにトップ8入賞を決めていたオリヴィエと飛び上がって抱き合い、大騒ぎしましたよ!」と、ルーエルは回想する。「それからもちろん、プロツアー・ロサンゼルス2005での優勝も忘れられません。『これほど喜んでいる王者は見たことがない』と会場スタッフの方に言われましたよ」
「プレイヤーの実績や貢献を称える『プロツアー殿堂』の制度を作ったウィザーズに感謝を。私はマジックに人生を捧げてプレイを重ねてきました。仲間たちやマジックの偉人たちに認められたことをとても嬉しく、誇りに思います。これまでのマジックへの献身が最高の形で報われました」
「初めて参加したチーム戦プロツアーでは、最後はカイ(・ブッディ/Kai Budde)率いるチームに負けて11位でした」と、ルーエルは自身のプロツアー・デビュー戦を振り返る。「カイとの第1ゲームは《マスティコア》にやられました。《マスティコア》の能力によって彼の手札が枯れそうだなと思っていたところに《時のらせん》を撃たれ、押し切られましたね。第2ゲームは、こちらの残りライフ8点の状況でカイの手札はなくなりました。私は全軍攻撃を繰り出し、次のターンに何もなければ勝てるところまで追い詰めました。しかしカイのドローは《時のらせん》。引き込んだ《ケルドのチャンピオン》と《乾燥》でぴったり残りライフを削り切られましたよ。プロツアーの洗礼を浴びましたね。個人戦プロツアーに参加したのは、『レベル』デッキに支配されたプロツアー・ニューヨーク2000です――たぶん自己最低の成績だったと思います。第1回戦からエイドリアン・サリバン/Adrian Sullivanと当たり、最終的に1勝2敗2分で終わりました。『Team Challenge』が行われたのもこの週末です」
「Team Challenge」はプロツアー・ニューヨーク2000で行われESPNで放送された特別なイベントだ。この大会でルーエルたちは比較的無名のチームであり、フィーチャー卓ではロブ・ドウァティ/Rob Doughertyやダーウィン・キャスル/Darwin Kastle、デイヴ・ハンフリー/Dave Humpherys、ジョン・フィンケル/Jon Finkel、アラン・カマー/Alan Comerといった偉大な殿堂顕彰者たちが次々と立ちはだかった。その中で「Black Ops」は見事優勝を果たした。アントワンは決勝でジョン・フィンケルと対峙し、値千金の勝利を収めたのだ。
「プロツアーよりも優勝したいと燃えていました。準決勝は本当に厳しい戦いでしたね」と、テレビ中継された「Team Challenge」についてルーエルは語る。「相手は(アラン・)カマーとブライアン・セルデン/Brian Selden、カート・バーグナー/Kurt Burgner。カマーの存在に私たちは恐れ、私は大きなプレッシャーを受けていました。それでもその試合を乗り越えた私たちは、(ジョン・)フィンケルとスティーヴン・オマホニー=シュワルツ/Steven O’Mahoney-Schwartz、ダン・オマホニー=シュワルツ/Dan O’Mahoney-Schwartzとの決勝に挑みました。優勝できたのは、フローレン・ジュードンのおかげです。彼は私が出会った中で最も上手いプレイヤーのひとりです。彼がいなければ、弟も私も殿堂顕彰者になれなかったでしょう」
ルーエルはチーム戦で行われたプロツアー・ニューヨーク2001でも好成績を収め、そしてこの年、個人戦プロツアーでトップ8入賞を果たした。世界選手権2001で彼は3色の「ネザー・ゴー」デッキを操り第3位という結果を出し、自身初のプロツアー・トップ8入賞を記録したのだ。
その後もプロツアー・サンディエゴ2004で準優勝を記録したルーエルは、プロツアー・ロサンゼルス2005でついに初戴冠を果たした。「サイカトグ」を手に危険に満ちたトップ8・ラウンドへ挑んだ彼は、準々決勝でのちの殿堂顕彰者である藤田 剛史を倒し、準決勝では2005年のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーである津村 建志との戦いを制し、決勝でビリー・モレノ/Billy Morenoを破って優勝したのだ。特に津村との試合でルーエルが見せたプレイは、プロツアー決勝ラウンドの歴史に残る名プレイとして広く知られている。
その試合の第2ゲーム、ルーエルが放った《強迫》に対応して津村は《マナ漏出》を唱えた。このときルーエルは残ったマナで《魔力の乱れ》を合わせることもできたが、彼はあえてそうしなかった。これで安全を確認できたと考えた津村は3ターン目に《サイカトグ》を繰り出し、ルーエルはそれを《魔力の乱れ》で対処したのだ。津村に《魔力の乱れ》はブラフだと思わせる、非常に高度なプレイだった。
ルーエルはインビテーショナル2006でも優勝し、彼のデザインをもとにした《イーオスのレインジャー》にその姿を残している。
グランプリではこれまでに18回のトップ8入賞を記録し、そのうち2回は優勝している。この記録を超えるのは、アレックス・シュヴァルツマン/Alex Shvartsmanと弟のオリヴィエ・ルーエルだけだ。アントワンは弟ほどグランプリ遠征を行っていなかったものの(あのオリヴィエ・ルーエルと比較しては仕方がないだろう)、彼もまた弟と同様に世界中を回り、マジックの伝道師として活動したのだった。
アントワンとオリヴィエは仲の良い兄弟というだけでなく、友人としても特別な絆を築いている。アントワンが記録した最新のプロツアー・トップ8入賞は、彼にとって最も思い出深いものになった。オリヴィエとともに、史上初めて個人戦プロツアーで兄弟揃ってのトップ8入賞を果たしたのだ。そして今、彼らは史上初めて兄弟揃って殿堂顕彰者になった。
「いろいろな想いがあふれてきますが、とにかく光栄です」 殿堂入りを知らされた直後にコメントを求められると、アントワンはそう答えた。「殿堂入りは、マジックで達成しうる最大の実績です。フィンケルやブッディ、そしてもちろん弟のオリヴィエも含め、マジックの偉人たちの列に加われることを嬉しく思います……マジックは最高のゲームであるだけでなく、13年にわたって私の人生の大部分を占めるものでした」
その13年の中でも最も大切な思い出は、やはり兄弟揃ってトップ8に入賞できたことだという。
「やっぱりプロツアー・ホノルル2006のトップ8入賞者が発表されたあの瞬間ですね。私はタイブレーカーで8位に滑り込みました。すでにトップ8入賞を決めていたオリヴィエと飛び上がって抱き合い、大騒ぎしましたよ!」と、ルーエルは回想する。「それからもちろん、プロツアー・ロサンゼルス2005での優勝も忘れられません。『これほど喜んでいる王者は見たことがない』と会場スタッフの方に言われましたよ」
「プレイヤーの実績や貢献を称える『プロツアー殿堂』の制度を作ったウィザーズに感謝を。私はマジックに人生を捧げてプレイを重ねてきました。仲間たちやマジックの偉人たちに認められたことをとても嬉しく、誇りに思います。これまでのマジックへの献身が最高の形で報われました」
THE RECORD 戦績
プロツアー | 世界選手権2001:第3位(混合フォーマット) プロツアー・サンディエゴ2004:準優勝(ブースタードラフト) プロツアー・ロサンゼルス2005:優勝(エクステンデッド) プロツアー・ホノルル2006:第8位(スタンダード) |
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グランプリ | グランプリ・カンヌ2000:優勝(チーム・リミテッド) グランプリ・ポルト2000:優勝(ロチェスター・ドラフト) グランプリ・アムステルダム2001:第6位(ブースタードラフト) グランプリ・ケルン2001:準優勝(ブースタードラフト) グランプリ・プラハ2001:第6位(ブースタードラフト) グランプリ・モスクワ2001:第4位(スタンダード) グランプリ・ロンドン2001:第7位(ブロック構築) グランプリ・クリチバ2001:第3位(エクステンデッド) グランプリ・サンパウロ2002:第3位(スタンダード) グランプリ・セビリア2003:第4位(ブースタードラフト) グランプリ・仙台2004:第4位(ブースタードラフト) グランプリ・ウィーン2004:準優勝(ロチェスター・ドラフト) グランプリ・カーディフ2006:第8位(ブースタードラフト) グランプリ・トリノ2006:準優勝(ブースタードラフト) グランプリ・アテネ2006:第6位(ブースタードラフト) グランプリ・山形2006:第6位(ブースタードラフト) グランプリ・シンガポール2007:第3位(エクステンデッド) グランプリ・ブリュッセル2008:第4位(ブースタードラフト) |
マスターズ | マスターズ・シカゴ2003:第3位(スタンダード) |