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Magic Story -未踏世界の物語-

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貪食

Alison Luhrs / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2017年6月14日

原文はこちら

前回の物語:啓示の刻

 かくして啓示の刻が地に広がり、すべての疑問は、この約束の刻に解けるだろう。そして見よ、来世への門が開き、その輝ける壁の先より来たるものの真の姿が覗く様を。


 ひたひたと打ち寄せるルクサ川の真紅からリリアナは後ずさった。ラザケシュの挑発が耳に鳴り響き、彼女は溜息をついた。

 こんな戯言に乗るほど未熟ではないの。

 彼女は肩を回し、髪を背中へと払いのけた。その時リリアナが感じていたのは恐怖でも興奮でもなかった。あったのは期待だった。考えてもみるに、最初の悪魔二体は容易に打倒できた。悪魔にとっては思いがけない奇襲、それが功を奏してくれた。

 何て幸運なのだろう、多元宇宙でも最高の後ろ盾があるなんて。

『ジェイス、聞こえる?』 かすかに彼女は返答を心で聞いた。

『リリー? 何処にいるんだ! 俺達も来た、人ごみが――』

『――ええ、多すぎる。門の前の岸辺にいるわ。ジェイス、あれはラザケシュ。あいつは――』

「老婆よ、何処におる?」

 悪魔の声が再び響いた。

 周囲で、居残っていた群集がざわめいた。逃げなかった者は根が生えたようにその場に留まり、何が起こっているのかわからないまま恐怖に震えていた。

 リリアナは眉をひそめた。あの悪魔は自分を弄ぶことを好むと知っていた。容易く餌にかかるわけにはいかなかった。

「いるのであろう、リリアナよ......」

 躊躇う人々の間を彼女はすり抜け、水面高くを緩く旋回する黒い影を両目で追った。ラザケシュは開いた門へと飛び、群集を見つめた。

 手が引かれるのをリリアナは感じた。

 驚き、彼女はそれを見下ろした。

 手の動きは......無意識のものだった。

 リリアナは顔に右手を当てた。胸に恐怖の波が襲いかかった。

 意志とは裏腹に、指が顔から離れようとした。

 リリアナは大声で嫌気を露わにし、必死にかぶりを振った。

 これはただの脅しだった。彼女は恐怖を感じることを拒んだ。リリアナは毅然とその手をドレスの左側へ向けた、鎖のヴェールへと。

 門の上の悪魔が笑い声を上げた。

「そこか」

 その言葉に悪寒が首筋から駆け降りた。

 視界の隅に、ゲートウォッチが到着したのが見えた。彼らの衣服は汚れ、身体は闘技場の戦闘で傷を負っていた。ジェイスはリリアナの隣へ向かってきたが、彼女は警告するように片手を挙げた。四人は彼女を取り囲むように立ち止まり、全員が悪魔を見上げた。

「あいつの力がどれほどかはわからない」 低く切迫した声でリリアナは囁いた。「けれど強いわよ。私達は......」

 リリアナは不意に言葉を切った。悪魔が翼を下ろした。その言葉が――滑らかで、確固として、穏やかに――群集に注がれた。

「来たれ、我がもとへ」

 その言葉が耳に届くやいなや、リリアナは肩が引かれて表情が緩むのを感じた。皮膚を迷宮のように覆う文様が悪魔の呼び声に応えて輝き、彼女は心の内で悲鳴を上げた。急き立てても許可してもいなかったが、彼女の身体は血の川へと進み出た。


アート:Titus Lunter

 長い人生の間、リリアナは幾つもの責め苦に耐えてきた。戦い、失い、年老いて、自ら魂の契約へ署名し、そしてそれだけでなかった。だが自身の制御を失うことほど、耐え難く怒り狂うものはなかった。何十年も前に悪魔達と契約を交わした時、その影響は心したつもりだった。だが本気で結果を予想したことはなかった。

 度合にかかわらず、怒りというのはリリアナが好む感情ではなかった。それは熱すぎる浴槽や手に負えない炎、違和感だらけの服がこすれる痒みのようだった。だが悪魔ラザケシュが彼女の身体を前進させると、リリアナは戦旗のように怒りを掲げた。彼女はその煮えたぎる憤怒にふけり、戦い、心の全力をもって自身を取り戻すべく掴まった。

 だが無益だった。心がいくら戦おうとも、彼女の憎悪は全く顔に出なかった。怒りは彼女の筋肉を全く動かさなかった。ずっと自分のものであった身体は、今や一つとしてそうではなかった。

 地獄の底よりも忌々しい!

 内心で毒づいて叫ぶも、意志と四肢の間の制御は断たれたままだった。

 チャンドラとニッサが手を伸ばし、リリアナのさまよう身体を引き戻そうとした。だが屍術のエネルギーが噴き出し、二人の手を押しやった。彼女達は後ずさり、その衰微と腐敗に捕われる前に手を引っ込めた。

 脳内にジェイスの叫びが、耳にギデオンの声が響いていた。だが彼女の注目は目の前のラザケシュに定められていた。

 主のもとへ。それが彼女の身体が聞く唯一の命令だった。鎖のヴェールは仕舞い込まれたままで、悪魔はすぐそこに、そして仲間達は彼女を進ませる力を止められずにいた。

 悪魔の目玉をくり抜いて丸呑みしてやりたかった。リリアナは心の中で下劣な叫びを繰り返し、その怒涛の悪態で悪魔の支配を止めさせられればと願った。

 だが止まらなかった。

 リリアナは血のルクサ川へと踏み入った。熱く、粘つき、とにかく汚かった。身体は歩き続け、川の更に深みへ向かっていった。臀部。腰。胸骨。

 リリアナの思考は怒れる抵抗から終わりのない悲鳴へと変わった。

 水面下の何かの死骸を踏み潰したのを感じた。一匹の魚が肩の隣を漂っていった。ラザケシュの儀式で全てが血に窒息し、川は死んで間もない生物で満ちていた。この血のぬかるみを生き延びたものはなかった。

 ジェイスの声が心の中で消えていった。あまりに遠く離れ、川の深みにまで入ってきていた。

 リリアナは息を止め、水面下に頭が浸かるのを感じた。

 血は鼻について濃く、皮膚には熱く感じた。

 鼓動が早まり、そして怯えた。

 怖がりなんてするもんですか。あいつは私より弱いのよ。生き延びてみせる。

 ある声が心に軋んだ。『生き延びたいのであれば、あれを殺すしかない』

 鴉の男。

 リリアナは悲鳴を上げた。『出ていきなさいよ! 何で今なの! お前の言葉なんて聞きたくない!』

『リリアナ、自由になるには君の悪魔を全て殺すしかない。そうすれば私も君から離れよう』

 それについて考える余裕はなかった。

 息が続かなかった。

 苦しくなってきていた。息を吸いたかった、ただ口一杯に血を飲み込むだけだとわかっていても。だが悪魔による身体の支配は呼吸の衝動すらも上回っていた。

 意識を失ったと思ったその瞬間、彼女の身体は自ら水面へと浮かび、空気を求めて喘いだ。

 彼女は川を渡り、対岸へと這い上がった。顔を上げ、重い睫毛の先を瞬き見ると、来世への門のすぐ向こうに死滅都市の基礎があった。ラザケシュは彼女の頭上、石の台座に立ち、その表情はリリアナが覚えている通りに気取って不快だった。

 心のどこかで、自分の愚かさを感じた。このように自分の身体を支配する力を振るう悪魔はいなかった。操り人形のように自分を操る相手とどう戦えというのだろう? そのような相手に、どんな戦略が通用するのだろう?

 ラザケシュは見下ろした。その顔は爬虫類に似て感情は読めず、だが債権者に遭遇した喜びを見せているようだった。コソフェッドとグリセルブランドは冷ややかだったが、ラザケシュはおどけていた。

「何と嬉しい驚きか」 悪魔は喉を鳴らした。

 悪魔はリリアナを砂から立たせるように手を動かした。躊躇なく彼女の身体は従い、ぬかるみの中に膝をついた。彼女のドレスは身体に張り付き、血は太陽の熱に固まりはじめた。

 この体勢では足を痛めてしまうと彼女は感じ、だが身動きすらできなかった。代わりに彼女は自身のものではない律動に上下する呼吸に集中し、恐慌を決断へと宥めようと試みた。

 悪魔は踏み出し、下僕の様子を観察した。「お前に老齢は似合わぬよ」

 ラザケシュは爬虫類の笑みで目を細めた。リリアナはその顔を引き裂いてやりたかった。

「お前が取引の利益を満喫してくれていることは喜ばしい」 リリアナのドレスを浸す血を見て悪魔は言った。「汚してしまったことは謝ろう。ある親しい友が完遂すべき課題を残していったのでね」

 ラザケシュは副陽を見た。「お前は実に幸運な時に訪れた。素晴らしい見世物に参列できるのだからな! 私自身興奮している。わかるかね、お前が来たというのは私にとっても驚きだ」

 跳び上がれたのであればそうしただろう。心の裏側に、小さな雨音が突然響いた――

『リリアナ! そこだな。今行く!』

 脳裏に届いたジェイスの声に、かつてこれほど安心したことはなかった。ラザケシュは気付いていないらしく、表情の制御が自分のものでないことを僅かに感謝した。

 気付かず、悪魔は彼女を弄び続けた。「リリアナよ、強要したことは謝ろう。だが呼ばれた時に来てくれる犬が私は好きでね。そしてお前は良い犬だ、違うかね?」

 彼は物憂げに指を立て、そして傾けた。

 リリアナは頭が頷こうとするのを感じた。その動きに逆らおうとして筋肉が張りつめ、緩み、だが彼女の頭部は前に傾き、そして戻り、......前へ、......後ろへ。

 ラザケシュは微笑み、手を下ろした。「いい子だ」

 悪魔は黙り、しばしリリアナをじっと見つめた。そして次なる命令を思いつくと、自己満足の笑みが顔面の鱗を引いた。

「吼えろ」

「ウー」 リリアナは太陽も凍らせる冷たい声色で応えた。

 ラザケシュは不愉快そうな声を小さく上げた。

「言わせて貰うが、お前は署名の前に契約文をよく読み込むべきであったな。契約主というのはあらゆる不快な条項をその中に隠すものだよ。他の共著者らは実に率直だが、私は契約においては少々洗練されたものを好むのでな」

 ラザケシュは顎を突き出し、すると何の前触れもなくリリアナの右手が握りしめられ、自身の顔面を殴りつけようとした。それは左目の直前、髪の毛の太さほど前で止まった。彼女の表情は感情なき服従に凍り付き、だが内では悶えていた。

 力を見せつけて満足し、ラザケシュは無言でリリアナに拳を下ろさせた。身体が従うと、リリアナの心は川へと辿り、背後の血の中にどれほどの死骸が窒息したまま埋もれているかを見積もった。

 ラザケシュは背筋を伸ばし、胸を張った。「さて、老婆よ。ここへ何をしに来たのかね」

 感覚が戻り、リリアナの顎がかくんと動いた。彼女はそれを左右に動かした。身体の大部分は今も支配されたままだったが、言葉は再び自分のものになっていた。

 この機会を逃しはしなかった。

「お前はあと五分の命よ」 声に決意を宿し、リリアナは言った。「私がお前を殺す様を見届けなさい」

 ラザケシュは笑った。「五分か。それは正確だな」

 リリアナの表情は変わらなかった。「私は時間に正確なのよ」

「そうかな」

「コソフェッドとグリセルブランドは殺したわ」 リリアナはかすかな笑みとともに返答した。「簡単に」

 ラザケシュはあざ笑った。「間抜けな奴等だ」

 リリアナは微笑んだ。「それは間違っていないわ」

 悪魔は彼女を見つめた。

「お前を殺しはしない、だが使い物にならなくすることはできる」 ラザケシュはそう熟考し、腰のナイフを弄んだ。「自らそうさせることもできる」

 リリアナは顎を突き出した。「あと四分」

 ラザケシュは笑った。

 ジェイスの声が今一度リリアナの心に響いた。

『動くんじゃない』

 内心、リリアナは溜息をついた。『それは冗談?』

 一瞬。『そうかもね』

 リリアナの集中は再び目前に立つ悪魔へ戻った。

 居心地の悪い静寂が続いた。

「お前は本当に、無意味な虚構の脅し以上のものがないのかね? 失望させてくれる」 ラザケシュはかぶりを振ってみせた。

 切迫し狂乱したジェイスの声が、心に突然弾けた。『待て、チャンドラ、急ぐな――』

「四分はちょっと長すぎるかしら?」 リリアナははにかむ笑みで声を上げた。

 悪魔は顔をしかめた。

 リリアナはにやりとした。「そうね......今すぐはどう?」

 ラザケシュの頭部のどこか背後から、炎が噴き出して悪魔を包み込んだ。

 ラザケシュは悲鳴を上げた。

 身体の制御が戻り、安堵がリリアナを浸した。彼女はドレスから川の血を滴らせたまま急ぎ立ち上がると、炎の源を探した。チャンドラが猛火を吹きつけ、ラザケシュは悶えて金切り声を上げていた。炎から脱出しようと苦戦しながら、その尾が荒々しく鞭打った。

 悪魔は翼を広げて宙へ舞い上がった。そして全速力でチャンドラへと降下し、側面から体当たりをした。紅蓮術師は痛々しい鈍い音をたてて死滅都市の縁へと叩きつけられた。

 リリアナは片手を川へ伸ばし、力を引き出し、だがラザケシュは唸り声一つとともに彼女へと振り返った。

「そうかな」 悪魔は吼え、リリアナは肩が自ら外れるのを感じた。

 すぐさま彼女は悲鳴を上げた、半ば苦痛から、半ば憤怒から。そして自身の声が強制的に消されるのを感じた。ラザケシュは立ち、手を広げて額に皺をよせ、再び彼女を支配していた。

 集中する悪魔を、砂と岩と葦がむち打って不意に横から叩きつけた。川の砂でできた巨大なエレメンタルが姿を現した。それが立ち上がると、血魔術に触れられていない真水が細く流れ下った。

 ラザケシュの集中が切れ、リリアナは震えとともに再び自身を取り戻した。

 すかさず彼女はうめき声とともに肩を戻し、そして今一度川へと手を伸ばし、呪文を編むと暗黒のエネルギーが彼女に波打った。

 負傷と驚きに、ラザケシュは慌ててエレメンタルから後ずさると空へと舞い戻った。その背後で、ニッサは片目をエレメンタルに定めたままチャンドラを立たせた。ラザケシュはエレメンタルの上半身から巨大な土塊を引き裂くと、再びリリアナを支配しようと鉤爪の手を振りかざした。

 その奮闘は大した効果を成さず、リリアナの両脚は力を失うも身体は残っていた。

 エレメンタルが再び悪魔を殴りつけ、ラザケシュは全力の怒りをその生物へ向けた。悪魔はその両脇から泥の塊と葦を裂き、唸って吐き捨てると尾で脇腹にひび割れを入れた。そして拳を掲げてとどめの一撃を与えようとするも、再び炎に包まれた――チャンドラが今一度立ち、火球を悪魔へと放っていた。

 リリアナは右半身の力が抜けるのを感じ、地面に倒れこんだ。

 ラザケシュは片手を彼女へ伸ばし、もう片手でニッサのエレメンタルを地面に押さえこんだ。

 リリアナは土の上に喘ぎ、歯に砂を感じた。遠くで、エレメンタルが倒れるのが見えた。ニッサは死滅都市のどこか背後へと撤退した――エレメンタルを動かし続けるだけのマナを保つのが困難なのは明らかだった。ラザケシュは再び舞い上がり、チャンドラの炎をたやすく避けた。

『ジェイス!』 リリアナは心で呼びかけた。

 だがその言葉が心に形を成すと、彼女ははっとした。

 息ができなくなっていた。

 空気を吸おうとしたが、横隔膜は完全に静止していた。

 再び試みたが、息ができないとわかるだけだった。

 ラザケシュは目の前に着地し、リリアナからは顔をそむけてチャンドラを挑発した。

 悪魔の背後、その遠くでチャンドラが狙いを定めるのが見えた。彼女には地面に横たわる自分の姿が見えていない、リリアナはそれに気が付いた。

 息ができなかった。動けなかった。そして紅蓮術師は自分の目の前に立つ悪魔に狙いを定めていた。

『ジェイス!』

 大慌てで取り乱したジェイスの声が再び心に響いた。『左にギデオンが!』

 見えない手が肩を掴むのを感じ、リリアナは身悶えた。自分に近づかせるためにジェイスはギデオンへと不可視の魔法をかけたに違いなかった。

 ギデオンのスーラが視界にひらめき、ラザケシュの背中に三本の太い線を刻んだ。悪魔は苦痛に吼え、リリアナは咳込んで砂混じりの息を必死に深く吸った。彼女は肘をついて上体を起こし、喘ぎながら息を整えた。

 ギデオンの低い声が耳に響いた。「急げ」

「そのつもりよ」 リリアナの声はかすれていた。

 彼女は鮮やかで馴染みない魔法が周囲一体を包むのを感じた。ギデオンがその不死身の力を拡張し、彼女と悪魔との間に安全な障壁を作り出していた。

 一瞬して、周囲の大気が炎に包まれた。

 ギデオンが自分達二人を魔法で取り囲み、自分を庇うようにうずくまるのをリリアナは見た。黄金のドームが二人を業火から守っていた。

 ラザケシュは炎の中でよろめきながらも進み出て、荒々しく悶えている所を二体目のエレメンタルに体当たりされた。エレメンタルは悪魔を地面に押しつけ、ラザケシュは吼え、その皮膚はチャンドラの熱い爆撃に焼け付いていた。

 リリアナは立ち上がり、難攻不落の防護を保ち続けるギデオンを背にして踏み出した。また別の、三つめの魔法の疼きを感じた――ジェイスが自分達をラザケシュの目から見えないようにしてくれたに違いない。

『ジェイス、あいつが私を支配するのを邪魔して欲しいの』

 ジェイスの声が不満そうに響いた。『この十分間ずっと頑張ってるんだが?』

 それを追求する時間はなかった。

『隠れるのはやめて、あいつの気が散ってる間に集中しなさい!』

 ラザケシュの両目が焦点を失った。

『今だ、早く動け』 ジェイスの心の声は張りつめきっていた。

「行くわよ、ギデオン!」 リリアナは命令するように言った。

 リリアナは炎の壁へと歩き、身体から滴った血が地面で焦げた。ギデオンの手が肩に置かれ、二人を守る魔法を強化した。

 難攻不落の障壁を隔てて、業火の熱は心地良い温かさで届いた。快適と言ってもよかった。リリアナはその光に目を狭め、目の前のラザケシュの姿を確認した。悪魔は周囲の火災に皮膚を黒焦げにしながら、ニッサが作り出した砂と水の巨大なエレメンタルと格闘していた。

 リリアナはドレスから鎖のヴェールを取り出した。

『それは要らないだろ』 ジェイスの声が届いた。『君を傷つけるだけだ――』

 リリアナはジェイスの介入に顔をしかめた。

 だが、そう......彼の言う通りだった。

 このためには必要なかった。

 悪魔に見届けさせよう、自分がこの手で、どれほどの恐怖を振るうのかを。

 リリアナはヴェールを服の中へ戻した。もし状況が悪化すれば、これに頼る必要が出てくる可能性は常にある。だが今は自身の力を試したかった。死にかけの悪魔を目の前にして彼女はどこか、寛大な心を抱いた。

「ラザケシュ」

 悪魔は火傷に覆われ、岸辺に押さえつけられていた。その顔は燃え、焼けただれ、歪み、憤怒にしかめられていた。

 リリアナは顔を高く上げ、ラザケシュを見下ろした。悪魔が自分の存在を感じられるように願いながら。

「お前を殺す様を見ていなさい」

 彼女は両手を伸ばし、その魔力を川へと向けた。

 川は沸き立ち、動きに泡立った。ラザケシュは目を見開いた。

『今だ!』 ジェイスがリリアナの心に叫んだ。近くで、内心の張りつめた大声とともに不可視の覆いが落とされ、その姿が視界に閃いた。リリアナは驚いて彼を見た――精神魔道士は思ったよりも近くに潜んでいた。ジェイスが顔をしかめる中、ラザケシュは再び支配を試みようとした。リリアナは手が痙攣するのを感じた。だが手首の一ひねりで、動物達の死骸が血の川から溢れ出た。魚、亀、蛇、カバ、水鳥、そして溺死した鹿が真紅のルクサから悶える塊となって蘇った。それらは口を開け、歯をひらめかせ、川から飛び出して焦げた悪魔の身体へ殺到した。

 リリアナは自分の身体のようにその群れを動かした。彼女の支配は濃い血の川から弾け出たヒレや鉤爪、歯の一本にまで届いた。計り知れないと感じた――限りなく、広大に、そして蘇った肉体の波に行き渡って。どこが終わりなのか、そして何百もの死が始まったのかは定かでなかった。僅かな一瞬、リリアナは思い出していた。神にも等しい力を振るうというのはどんな気分かを。

 悪魔はニッサのエレメンタルに捕えられ、脱出しようともがいていた。咆哮し身をよじり、悪魔はその掌握を振り解くと翼――それは腐った枠に残る古いカンバス地のように引き裂かれていた――を広げ、再び宙へ飛び上がった。リリアナは悪魔へ向けて屍術のエネルギーをぶつけ、悪魔は大音響とともに落下した。すぐさま、死骸の姿をした窮地が悪魔に殺到し、牙と歯と角がその肉を裂いた。

 チャンドラとギデオン、そしてニッサはその殺戮現場から顔をそむけた。

 だがリリアナの隣で、ジェイスだけが目をそむけられずに見つめていた。

 リリアナは心の隅にジェイスが用心深く触れるのを感じた。覗き見る伺い。リリアナは彼の心の目を受け入れた。『見なさい、ジェイス。私が次に何を考えているのか』

 かすかに、リリアナは自分の背後でジェイスが嫌悪に口を閉ざす声を聞いた。

 ジェイスはすぐさま彼女の心から離れた、だがリリアナは気にしなかった。やることがあった。

 ラザケシュは苦痛に吼え、そして突然、狂乱したように川へと向かった。リリアナは手をひねり、すると屍の鰐が更に二十体ほど、吼え声とともにその身体を川から引き上げた。悪魔の脚は一体の顎に捕まり、ラザケシュは立ち上がって川から這い出ようとしたが、遅すぎた。リリアナは他の生物への支配を解き、エネルギーと精神をその鰐の身体へ注ぎ込んだ。強力な筋肉と鋭い歯。生きた肉を求める不死の飢え。

 目の前の二十体もの鰐の死骸へ意識を分割し、彼女は歯を食いしばって攻撃した。二十の腹が飢え、二十の顎が大きく開かれた。躊躇も慈悲もなく、二十体のリリアナは悪魔ラザケシュの残りの部位を貪った。

 彼女は貪り食い、悪魔は叫んだ。

 鰐は悪魔の残骸を血の川へと引きずり込み、それらの尾が水面を荒々しく叩いて真紅の弧の飛沫を宙へ上げた。そして悪魔の肉体へと群がり、押し合いながら歯を突き立てた。

 リリアナは自身が満たされていくのを感じた。二十の顎が悪魔の四肢をとらえ、ねじり引きちぎった。二十の口が血を滴らせ焦げた肉を貪った。蘇らせるようなものは何一つ残さない。彼女は笑い声を上げ、鰐は一斉に吼えた。アモンケットの呪いがこの屍を手にすることはない。

 残酷な、分かたれた心が悪魔を生きたまま食らう間、無意識に同調して彼女自身の歯も穏やかに咀嚼をしていた。

 彼女は声をあげて笑い、背後にジェイスの溜息を僅かに聞いた。

『リリアナ、もう十分だ。悪魔はもう死んだ。止めてくれ』 それは嘆願だった。

 リリアナは自身の身体で嚥下した。味はなかった。

 疲労に息が荒くなっていた。

 そして精一杯に大きく微笑んだ。

 飽き、安堵し、美味なほどに極悪だと感じた。止めたくなかった。

『リリー、もういいだろ』

 リリアナは手を下ろし、鰐の屍を退散させた。それらはよろめき、一瞬の後、蘇った意志とともに上流へと泳いでいった。放浪の呪いは続いていた。

 三体目を倒した!

 リリアナは笑みを零し、疲労に砂へと倒れこんだ。支配されることも、命令されることもない。それはどんなワインよりも甘く、どんな勝利よりも満たされるものだった。リリアナは感傷的な性質ではなかったが、川の岸辺に横たわり、ヘクマの揺らめく青色を見つめながら、まるで不可能などないかのように感じていた。気に食わない相手や物事からの支配から解き放たれたようだった。ゲートウォッチの助力は目的を果たす手段となってくれた。計画通りに!

 風が吹き、熱い微風が彼女の顔から髪を払った。視界の隅にジェイスがいた。彼は隣に立ち、読めない表情で彼女を見下ろしていた。その背後の地面から、吐瀉物の臭いがした。

「やったわ、ジェイス」

 リリアナは再び笑った。

「あいつを食らってやったの」

 ジェイスは、あからさまに、返答しなかった。

「前の二体はずっと簡単だったわ。あいつらにラザケシュみたいな事はできなかった。そして残るは一体だけ。もうすぐ私は再び自由になれるのよ」

 疲労が襲ってきた。このお喋りに大した意味はないとリリアナは知っていた。彼女はどうにか身体を起こした。

「吐いたの?」 疲れた息で彼女は尋ねた。

 ジェイスは応えなかった。

 ギデオン、ニッサ、チャンドラの三人が用心深く近づいてきた。リリアナが復讐を果たす間、彼らは脇から遠巻きに見つめていた。そして今、戦いに消耗した身体でやって来た。

「手助けをありがとう」 リリアナは息をつきながら、感謝の笑みを浮かべて言った。

 ギデオンは腕を組んだ。「必要だと思ったことをやっただけだ。次はボーラスの到来に集中しないといけない」

「そうね」 リリアナはそう言って、ドレスの紐を解いて髪をまとめた。「まず、少し休憩しないと」

「休んでいる時間はないわ」 ニッサの声には漠然とした不安があった。「感じるの、ラザケシュが唱えた血魔術が何か幾つも続く魔法を起動したって。ニコル・ボーラスの帰還を伝える『刻』が動き出したに違いない」

 リリアナは震える脚で立ち上がった。それを支えようと手を貸す者はいなかった。

「ラザケシュがいなくなって、戦う準備がしっかりできる筈よ」 リリアナは言った。

「それは同意する」とギデオン。「だが君を守るために介入した、悪魔の存在を黙っていた君をな」

「でも上手くいった、そうでしょう?」 リリアナは言い返した。

 チャンドラは両手を突き出してその会話を押し留めた。「起こったことを議論してる余裕はないでしょ。手分けして、これ以上人死にが出るのを防がないと」

「私も......そう思う」 ニッサが言った。彼女はジェイスを見て、そして二人は押し黙って精神的な会話を続けた。

 静寂の中、ギデオンが率先して声を上げた。

「戦力を結集し、かつ温存する必要がある。できるならば、ニコル・ボーラスの到来に備えて待ち伏せをしたい。逆に不意打ちをしてやろう」 ギデオンは辛辣にリリアナを見つめた。

 リリアナは目をそむけた。悪魔を倒した方法を恥じてはいなかった。それでも皆が自分を見つめる様子に冷たさがあるのは否定できなかった。ギデオンは苦々しい表情を我慢しきれていなかった。チャンドラは重圧に口を固く閉じていた。ニッサはあからさまに顔をしかめていた。ジェイスは誰よりも、よそよそしく見えた。

「有利な場所を見つけて、ニコル・ボーラスの到来を待とう」 ギデオンの言葉に全員が踵を返し、ナクタムンへと続く門の境をまたいだ。

 ジェイスだけが残り、不可解な表情でリリアナを見つめていた。

「そんな目で見ないで」

 ジェイスは瞬きすらしなかった。「もし君がまたあんなふうになったら、俺は隣にはいられない」

「必要なことだったのよ」 リリアナは肩をすくめた。

「やりすぎだ」

 リリアナは笑みとともに嘲った。「必要なことをしただけ」

 彼女は背を向け、髪をきつく引っ張って顔から払いのけ、皆に合流した。

 ジェイスは少しの間立ち尽くしたままでいた。彼はルクサの岸辺を汚す血を見て、午後の熱と額に滲む汗にもかかわらず、寒気に震えた。


プレインズウォーカー略歴:リリアナ・ヴェス

プレインズウォーカー略歴:ジェイス・ベレレン

プレインズウォーカー略歴:チャンドラ・ナラー

プレインズウォーカー略歴:ギデオン・ジュラ

プレインズウォーカー略歴:ニッサ・レヴェイン

次元概略:アモンケット

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