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Magic Story -未踏世界の物語-
イニストラード最後の希望
イニストラード最後の希望
Doug Beyer / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2016年6月29日
前回の物語:エムラクール、来たる
ナヒリの策謀により、エルドラージの巨人エムラクールがイニストラードに解き放たれた。その一方、ヴェス邸の塔にてリリアナは鎖のヴェールの力と苦痛に満ちたその反動を調査していた。ジェイスとの口論以来、リリアナは悪魔との対峙に向けて頼るべきは自分自身だけと決めていた。
鎖のヴェールの尖端から、細い金属糸が垂れ下がっていた。その糸から続く幽霊ガラスの器に、窓台に置かれた魔女封じの宝珠の格子造りの中に、そして窓の外へと抜けて屋根の上へ続く導管に、リリアナは自身の鏡写しが見えるようだった。ヴェール越しに、彼女の顔の模様がわずかに見えていた。皮膚の模様は外の嵐雲が発する脅かすような光と実に合っていた。合わせて稲妻が閃いた。
もう二体の悪魔を殺さねばならない。だがそれらとの対峙に持ち込めたとして、自分の死を確実に防がねばならなかった。鎖のヴェールは有効な武器だが、その持ち手にとっても極めて危険となりえる。もしこれが上手くいけば、ヴェールを安全に使えるようになり、狂気じみた謎解きに固執して州を駆けずり回るあの精神魔道士を頼る必要もなくなり、そして多元宇宙に広がる債権者を完全に片付けてしまえるだろう。
「準備はできたの?」 リリアナは尋ねた。
《鎖のヴェール》 アート:Volkan Baga |
共にその塔にいる者達はあの外套の坊やよりも明敏さで遥かに劣っていたが、十分と思われた。霊魔道士ディールクは器具の名前を小声で列挙しながら、宝珠に一連の噴出口と固い締め金を取り付けていた。ディールクの助手ガレドは窓の傍に立ち、手頃な寸法のレバーを手に、その大きな片目は師の装置と外の雷雲とを行き来していた。
「リリアナ様、電極が上がりました」 その霊魔道士が言った。「嵐は最高潮に達しています。ですが稲妻の嵐の力をもって、そのアーティファクトへと莫大な量の霊エネルギーを......」
「私に警告はいらないわ」
「......直接流さなければならない、そう言わせて頂きます」
「ええ」
「それを身につけながら」
「わかってるわ」
「お顔に、です」
リリアナは目を丸くした。「この宝珠を通る霊エネルギーの流れは一種の霊的受信装置のように作用し、対象が起こす反動を所有者から逸らし、大気中の無害な静電気へと昇華し、あらゆる反動を迂回させることでそのアーティファクトの自由な利用が可能となります」
ディールクはガレドを一瞥し、手袋をはめた指先で自身の口元を叩いた。「......という理論です」
「ねえ、ディールク。幽霊の振舞いについて詳しいから、って私のお友達はあなたを推薦してくれたのだけれど。そうなの? それとも違うの?」
「勿論よく存じております、リリアナ様」 思わぬ問いにディールクは驚いたが、答えた。
「なら――?」
「ですので、続行しましょう」 ディールクは目にゴーグルをはめた。「付け加えますが......これは痛みを伴うと思われます」
「痛みは一時的」 椅子に座り直し、リリアナは言った。鎖のヴェールを吊るす尖端から金属糸が垂れ下がっていた。「それに、ガレドでこれを試したって何もわからないのだし」
ガレドは歯を見せて笑った。大きい側の目が一瞬閉じられた、まるで爬虫類のそれのように。ディールクは助手へと頷き、そして大きなレバーを勢いよく下げた。
アート:Adam Paquette |
魔女封じの宝珠がうなり、指針盤が動いた。リリアナは顔面の曲線にヴェールの環が触れるのを感じた。
ディールクが言った。「起動しました。あとは、近くに稲妻が落ちるのを――」
閃光。
そのうねりが来ると、リリアナは思わず歯を食いしばった。屋根の上の電極から伸びる鋼線にエネルギーが投げ縄のように現れ、死者の霊が即座に続いた。管の中で霊が悲鳴を上げ、宝珠と強化窓ガラスを電気と霊の絶叫で満たした。火花の飛沫が装置から弾け出て、だが回路は耐えた。
吼えたけるエネルギーの爆発がヴェールの中を巡った。リリアナはヴェールの環が重力に逆らい、頬からわずかに浮かび上がるのを感じた。
彼女はもう二人を見た。ディールクは締め金と開閉器の調整を諦めて壁に背中をつけ、両腕で顔を覆っていた。ガレドはむち打つエネルギーの渦へ指を伸ばし、触れては引っ込めていた。二人の間、装置の中にリリアナは自身の印が輝いているのを見た。悪魔によって刻まれた契約の文様が周囲に散乱光となって姿を成していた。
これこそ、リリアナが最も素晴らしいと感じるものだった――他者を怖れさせる力を振るおうという瞬間。
彼女は椅子の肘掛けを掴み、ヴェールの力に呼びかけた。
反動は直ちに、全力で返ってきた。ヴェールの中に住まう何千もの魂が力とともに彼女を満たし、だがその力は苦痛と共にあり、その苦痛は忌々しい毒だった。それが与える魔力からは抜け出せなかった。霊の循環は反動を全く逃がせていなかった。
ビーカーが弾け、電極が焼き切れた。
「止めます!」 ディールクはレバーへと手を伸ばした。
「駄目」 リリアナは言った、その声は鋭い短剣だった。ディールクは手を引っ込めた。
部屋が震えた。リリアナは椅子を掴んだ。部屋を鎮めるように、必死に発したくなる絶叫を押さえつけるように、苦痛だけを見るように。痛みは一時的なもの。
もはや抑えきれなくなった時、彼女は叫んだ。信管が焼き切れ、塔は暗くなった。霊の咆哮は小さくなり消え、やがてリリアナ自身の消耗した息遣いだけがあった。
ガレドがマッチをすり、角灯を点けた。研究室は惨たんたるものだった。装置は破壊され、雨粒が窓台で激しく音を立てていた。
リリアナは鎖のヴェールを頭から滑らせるように外した。契約の印からは血が染み出していた。
「僭越ながら、この危険についてはお伝えしておりました」 ディールクが言った。
この霊魔道士の皮膚を萎れさせてその骸骨の顎に「申し訳ございません」と言わせることを想像し、彼女は睨み付けた。だがそうはせず、彼女は顎で扉を示した。「出てお行きなさい。その宝珠を持ち主に返すのよ」 名残の雷鳴がその言葉を締めくくった。
ディールクは消耗した魔女封じの宝珠と幾つかの器具を素早く鞄に詰め込み、立ち去った。足音のこだまが螺旋階段を降りていった。ガレドはガラスの破片の山を足でそっと除け、だが立ち去りはしなかった。
リリアナは鎖のヴェールを衣服のポケットへ仕舞い込んだ。イニストラード最上級の明晰さを持つ者すら何の役にも立たなかった。秘本と霊的治療の魔導書が傾いて座していた。オリヴィアが知る最高の霊の専門家でもヴェールを手懐けることは叶わなかった。
皮膚の印をハンカチーフで拭いながら、リリアナは窓の外のステンシア地方を暴れる嵐を見た。スレイベンは遠くの蝋燭のように輝いていた。
誰かに頼るというのはひどく嫌なことだった。
けれどあの外套の坊やを必要としているわけじゃない、彼女は自身に言い聞かせた。自分を必要とする者がいれば、その代わりに自分と尊大な二体の悪魔王との間に立たせることのできる、血の通った身体が手に入るのだから。
あいつが、何かして私に借りを作ればいいのに。
階下から男の悲鳴が上がり、唸り声と乱闘と破壊音がそれに続いた。
リリアナは真紅の染みがついたハンカチーフを投げ捨て、螺旋階段を駆け下りた。
目で見るよりも先に、それは耳と鼻に届いた――不快な唸りと、飢えた犬が涎を垂らすような鳴き声。血の悪臭よりも強い、湿った毛皮の悪臭。
アート:Joseph Meehan |
狼男。リリアナの玉座の間が蹂躙されていた。
そしてその姿は――病んでいるよう、いや、正確には歪んでいた。まるで皮膚と骨が何か不自然な変異の力を受けたかのように。手足の先端は奇妙な様子に歪み、まるで幅広の海藻のように折り畳まれて皺が寄っていた。
だがそれでもそれらは狼男であり、鉤爪を持っていた。ディールクは床に横たわり、その胸は切り開かれていた。彼の鞄と胸骨の内容物が床のそこかしこに共に散らばっていた。その顔は青白く、驚愕に目を見開いたまま固まり、そして風船から空気が抜けるように最後の息を吐いた。
狼男らはリリアナへ顔を向け、鼻を鳴らした。一体が吼え、それは舌があるべき所に目があった。
極めて危険な呪文を一揃い、それぞれ目の前の狼男一体一体に――そう呼ばれていたものに彼女はあつらえた。それぞれを片付けるのに十分な、そして邸宅の扉への道をあけさせるだけの力で。
「ガレド!」 リリアナは肩越しに叫んだ。「あなたの上着を持って来なさい」
鎖のヴェールはポケットの中で微動だにしなかった。
数時間して嵐は止み、だがステンシア地方は歪んだ動物園と化していた。あらゆる通行人の姿形が何かに作り変えられていることにリリアナは気付いた。さまよう吸血鬼の身体は間違った影を描き、その姿は常に何かが少なく、もしくは多すぎた。解剖学的にありえない旅人は傾いてよろめきながら、石と海の予言を彼女らへとまくし立てた。
だがやがて、リリアナとガレド、そして躓きながらもディールクは、その堂々とした扉の前に到着した。
ルーレンブラム要塞は岩の斜面から直接突き出した純然たる絶壁の城塞で、彼女らの頭上にそびえていた。その実用本位の建築は高所では和らぎ、鉛製の凝った装飾を抱く窓となって伸びていた。窓の一つ一つにきらめく蝋燭のシャンデリアが浮かび上がり、その多くの中からは先祖代々の輝く鎧をまとう吸血鬼が彼女らを見下ろしていた。
リリアナはガレドへ、扉を叩くよう促した。
ガレドは口を開けて背の高い扉を見つめ、尋ねた。「お館さま、本当にここの女主人さまをご存知なのですか?」
ディールクはというと、ゴボゴボと音を立てていた。その男の首は折れて頭は奇妙な角度に落ち着き、喉は瘤だらけに見えた。だが少なくとも両脚はついており、両腕は消耗した魔女封じの宝珠を持ち運べていた。ガレドの長い上着はディールクの胴体にきつく縛りつけられ、死んだその男の内臓を内に留めるべく最善を尽くしていた。リリアナがわずかに片手を挙げるとディールクは肩を強張らせたが、彼の頭部は未だ片側に傾いていた。乾いた舌は完全に口の中に入り切れておらず、彼が発する雑音に貢献していた。リリアナは肩をすくめた。
「力を振るうのは誰なのか、私は必ず把握しているの。あの人もね」
ガレドは扉を強く叩き、そして下がった。
扉が開き、華麗なガウンをまとった堂々とした女性が――あるいは堂々としたガウンをまとった華麗な女性が――姿を現した。彼女は司祭の杖を持っており、熱い石炭のように輝くそれをリリアナの顔に向けた。
「ご主人様は人間の客とはお会いになりません」 女性は言い、牙をひらめかせた。その光彩はくすぶるような黒い淵だった。
《血の間の僧侶》 アート:Mark Winters |
「そのお方の持ち物を返しに来たのですけれど」 リリアナは言った。
その女性は思案し、ディールクと彼が運ぶ消耗した魔女封じの宝珠をその目で見た。「ここに置いて行きなさい。そしてこの館から立ち去りなさい、私がお前達へ呪文を放つ前に」
その吸血鬼司祭に向かってガレドが動きかけたが、リリアナは触れて制した。吸血鬼で満ちた城塞では、甘言を弄する機会があるうちは戦うべきではない。「オリヴィア様と直にお話したいのです、リリアナ・ヴェスが会いに来たとお伝えください」
「言いました、ご主人様は定命を受け入れはしないと」
「定命!」 リリアナは声を上げて笑った。「あなたの血の通わない心臓に幸あれ」
その吸血鬼司祭は杖を掲げ、先端のぎざぎざの紋章が大気を熱で歪ませた。
「ああ、リリアナ! ようこそ!」 突然、オリヴィア・ヴォルダーレンが扉から姿を現すと、短くだが危険な囁きでその司祭を下がらせた。その司祭は端に立って頭を下げ、だがその視線はリリアナを追った。
オリヴィアは黒色の半身鎧を壮麗にまとっていた。普段どおり、その足は床に触れていなかった。「あなたも吉報をお祝いに来てくださったの?」 客人らを案内しながら彼女は尋ねた。「こちらですわよ! いらっしゃい!」
「宝珠をお返ししに参っただけです」 リリアナは言った。「霊魔道士さんも。それと、私の知人の所在をご存知ないかと思いまして」 彼女は喜ばしい笑みを司祭へ向けて通り過ぎた。「お祝いというのは具体的に何をですか?」
オリヴィアはリリアナの腕をとり、彼女の隣に浮いたまま城塞の奥へと引いていった。「もちろん、長い長い待ち時間が終わったことですわ! ご存知ない?」
彼女らは広々とした歩廊へと入った。そこでは優雅な吸血鬼があらゆる階段に、あらゆる踊り場に立ち、もしくは浮いていた。オリヴィアが彼女らを連れて要塞低部の広間へ向かう中、何百もの目がリリアナとその従者を見つめていた。ヴォルダーレンの名を頂くあらゆる吸血鬼がこの建物内にいるようで、彼らは揃って苦い顔をしていた。
《甘やかす貴種》 アート:Anna Steinbauer |
リリアナは密かに片手を動かした。霊魔道士ディールクの屍が身を引きずって古めかしく華美な椅子まで動き、それに崩れるように座り、膝の上に宝珠を乗せて力を失った。身体の中央を縛る上着は濡れて音を立て、その内容物を精一杯押し留めていた。
オリヴィアは思わせぶりに近寄り、リリアナの腕を掴んだ。「あの大天使ですわ! ふふっ!」 そして高い声で続けた。「スレイベン大聖堂の染みになり果てて! ああ、ただただ、何て喜ばしいこと!」
「アヴァシンが死んだ?」 ジェイスについての小さな懸念が彼女に降り立った、まるで蛾が髪の毛にとまったように。最後に会話を交わした時、彼はアヴァシンを追っていた。
オリヴィアは腕を大きく振った。「我ら夜の者は祝いの時です、世界は再び我らのもの! あのお粗末な罠から出てきたと聞いた時には、心から残念に思ったものでした」
リリアナはごく僅かに眉を吊り上げた。
「ですがようやくソリンが悟って下さって、自作のあの天使を倒しました。そして今は私が思うに、全ては順調に動いています。そうではなくて?」 オリヴィアは笑った。彼女はリリアナを連れ、歩廊を一つまた一つと過ぎた。ガレドは迷路の中で姿を消した。
リリアナはオリヴィアについて進んだ。「そして今、軍を立ち上げていると」
《血統の呼び出し》 アート:Lake Hurwitz |
「そうですわ、可愛い人、獄庫を開いたのが誰だったとしても――」
リリアナは極めて冷静な表情を保った。
「――解き放ったのはあの大天使だけではなかったのですから」 オリヴィアは続けた。「それに......あなたの悪魔のお友達以上のものを。また別のものが放たれました。飲みます?」 彼女は近くの吸血鬼へと合図をした。「そこのあなた、客人に飲み物を」
一体の吸血鬼がワインの――本物のワインの――グラスをリリアナの手に押しやり、先祖代々の華麗な鎧一式を鳴らして離れた。
無論、獄庫を開かせてその内容物をイニストラード中に放ったのは、リリアナ本人だった。あの悪魔グリセルブランドを殺し、そしてその解放がもたらす他の結果については何ら重要ではなかった。この件の何かしらを吸血鬼の社交仲間が知る理由は何も見いだせなかった。
「そして、今や自由となったその子は極めて不機嫌ですが」 オリヴィアは続けた。「咎めることはできませんわ。先程言いました通り、私は以前は落胆しました。ですが全てを解放した者が誰なのかを知ったこの喜びこそ、我が感謝の証ですわ!」
他に獄庫を脱した可能性があるのが誰なのか、オリヴィアにとってそこまで重要なのが誰なのか、リリアナは知るよしもなかった。だがそれは彼女がイニストラード中で見てきた異変に繋がっていると直観した。館に侵入したあの歪んだ狼男。この地方のよじれた吸血鬼と狂乱した予言者。
あの興奮した外套の坊やと同じだった。リリアナにはただ、死んでほしい数体の悪魔がいるだけだった。だがあるいは、実のところこの二つは繋がっているのだろうか。
彼女らは分厚い絨毯の敷かれた広い応接間へ入った。長い上着をまとった、長身で白髪の吸血鬼が背中を向けて立ち、高い窓から外を見つめていた。
リリアナは鉤爪が腕に食い込むのを感じた。「知っておりますのよ、それはあなただって」 不意にリリアナの耳元へと浮かび上がり、オリヴィアは意地悪く囁いた。「知っておりますのよ、あなたが放ったと」 そしてはっきりと付け加えた。「そうですわよね、ソリン?」
ソリン・マルコフが振り返り、二人に対峙した。彼は艶やかな制服のように憎悪をまとっていた。
《ソリンの渇き》 アート:Karl Kopinski |
「お前が」
「客人をお連れしましたわ」 オリヴィアは言った。その声は再び優美な礼儀正しさを完璧に備えていた。「ソリン、リリアナ・ヴェス嬢をご存知でしたわよね?」
「お前の仕業だ」 ソリンは言った。「あの石術師を放ち、今の事態を招いた」
リリアナはオリヴィアから腕を振りほどき、集中した。彼女はソリンへ近づき、頭から足先まで彼をじっくりと眺めた。そして含み笑いとともに彼の袖口から塵の欠片を摘み上げた。「用件がありましたので。もし貴方の私室が骸骨だらけだったとしても、私の責任ではないでしょう」
「何の権利があってここにいる」 ソリンの言葉は一つ一つが砥石の上の刃のようだった。
「ソリン、あなたと私も別の用件がありますけれど」 二人の周囲を漂いながら、オリヴィアが口を開いた。「ですがあなたがた二人の再会の機会に出しゃばったりしたら、それは気が利かないというものですわね。そうではなくて?」
ソリンはリリアナに顔を近づけた。「全てお前の所為だ。石術師は放たれ、今や私達はあれと対峙せねばならない」
「あなたは吸血鬼の全軍を招集して」 リリアナは言って、彼へとにやけてみせた。「それとも――私が思うに――むしろ防御のための軍勢? あなたはその人に力で劣る、そうなのかしら?」
ソリンの牙が閃いた。「言った筈だ、ここでのお前は只の子犬に過ぎないと。イニストラードは私のものだ。私の用事に干渉するなら、殺す」
リリアナは彼と目を合わせ、その指を腰に隠した鎖のヴェールの環に伸ばし、触れた。皮膚の文様が輝きはじめ、わずかに髪が浮き上がった。「ソリン、イニストラードはあなたの領域かもしれませんけれど」 彼女は囁き、そして彼の腕を軽く叩いた。「『死』は私のもの」
ソリンは歯をむき出しにして唸り、腕を振り払うと額をリリアナのそれに押し付けた。その視線が一瞬、リリアナの首筋へと走った。
「さあ、お二方!」 オリヴィアは明るく笑い、二人の間に割って入った。「私の応接間でお互いを引き裂き合うのは少し浮つきすぎではありませんかしら......ソリン、時間が来たようですわよ。外で合流しましょう。ナヒリさんがお待ちかね」 彼女は夜の中、高い窓へ合図した。
窓ガラス越しに見たものに、リリアナは呆然と立ち尽くした。雷雲の残骸と思われたものは、今やネファリアの海岸上空を渦を巻いて覆う雲のうねる塊と化していた。霧の触手があらゆる方向に伸ばされていた。歪ませられたのは数体の狼男や吸血鬼だけではなかった。一体どのような力がやって来たのか――それはイニストラード全土を引き裂こうとしていた。
オリヴィアは鞘から剣を抜いた。「リリアナさん、可愛いお人。お貸しした霊の名人と幽霊の玩具でお疲れかもしれませんわね。ですが宜しければあなたも参加しませんこと? 何と言いましてもあなたはナヒリさんを解き放ったお人なのですから。感謝すらされるかもしれませんわよ」
リリアナはただ雲を見つめていた。これは世界を歪めて復讐に至る、深く古い魔法。「その人がこれを?」
「二流の魔道士の二流の行動だ」 ソリンは呟いた。「心得違いの正義感に急かされてな」
「つまり、あなたがこの全てを起こしたのね」 リリアナは言った。「復讐されるような事をしたと!」
「そして今、私たちは再び彼女に復讐するのですよ」 オリヴィアは言った、牙を見せて笑いながら。
要塞の窓に縁どられ、その大気のような塊は緩やかに移動していた。ネファリア沿岸上空の元の場所からガヴォニー州へ、そしてその煌びやかな高地都市へと身体を傾けて。空は皺が寄って引き裂かれたようだった。あの狼男のよう、リリアナはそう思った。それはまるで次元そのものが――ソリンの故郷の世界そのものが――目的をもって汚され、地平線の果てまで歪められたかのようだった、ソリンが愛するものだからという理由だけのために。ナヒリというのが誰かはともかく、リリアナは関わらねばならなくなった――彼女は物事を途中で終わらせたことはなかった。
「あなたはその人がイニストラードにどんな復讐をしようとしているか、何も気にならないの?」 リリアナは尋ねた。「ジェイスが......」 そう言いかけて彼女は姿勢を正した。「......何千もの人々がいるのに!」
「この世界は破滅に向かっている。あの娘がそう仕組んだ。君のジェイスくんもスレイベンにて、一緒に死ぬだろうな」
「ソリンが言いたいことはですね」 オリヴィアが晴れやかに言った。「ナヒリさんを止めるということは、その方が持ち込んだ不快なものを確かに止めることになるのです。私達は英雄的な任務へと向かうのですよ」
リリアナは外を一瞥し、そして今や恐怖を抱かせるような優しさを放つオリヴィアを再び見た。「ああ、可愛いお嬢さん」
ソリンは鞘から剣を抜いた、物憂げに、まるで今思いついたかのように。「行くぞ、オリヴィア」彼は背を向け、それ以上の言葉を発することなく応接間から、そして館から歩き去った。
オリヴィアは浮かび上がって彼の後に続き、そしてヴォルダーレン一族の吸血鬼の群れが追い、彼らの鎧の音が広間にこだました。
リリアナも彼らを追った。ガレドと合流した時、彼女は言った。「ガレド、上着を」
ガレドは悲しそうに自分の上着を見て、それをディールクから取り外す作業を開始した。
二人は夜の中に出た。今や風はうなり声を上げ、大竜巻が空を切り裂いていた。その雲の膨れ上がった腹部に沿って、血の色をした別世界のような輝きが浮いていた。
リリアナは髪を顔から押しやり、それは左右にはためいた。ガヴォニーの遠い丘を見つめると、巨大な影がその上にのしかかろうとしていた。ジェイスはこれを止めようとしていた......
吸血鬼達とともに合流すると、ソリンは一瞬だけ肩越しに振り返り、剣先を前方に向けた。「さあ、オリヴィア」 彼は風に負けないよう声を上げた。「君が約束を果たす時だ」
オリヴィアは愉快に微笑み、宙へ舞い上がった。吸血鬼軍が剣と槍と赤熱した司祭の紋章を高く掲げ、丘を駆け下った――霧の中へ、ナヒリとの戦いへ。
ナヒリがこの世界にもたらした恐怖との戦いへ、ではなく。心ここにあらずのジェイスを助けに、でもなく。
ならばこの世界は死の運命にある。その庇護者が何もかも諦めたのだ。別れを言う時が来た。「さようなら、ヴェス邸」
空が不可解な音を発し、リリアナの骨を震わせた。遠くにスレイベンが輝いていた、地平線に落ちた星のように。「さようなら、外套くん」
だが気が付くと彼女は丘を下っていた、吸血鬼達とは別の道を。気が付くと街道を進んでいた。罪人が中に横たわり、その永遠の刑が終わる時を待つ絞墓にいた。手を伸ばし、屍が地面から這い出た。彼女は歩き続け、屍は追った。
気が付くとまた別の墓所を通過していた、そしてまた別の。路肩の小さな廟、鉄柵で塞がれた呪いの戦墓、栄誉ある聖戦士の霊廟。その度に、彼女は手を伸ばした。その度に、死者は従い、その休息から身をよじらせて出るとよろめきながら彼女の背後についた。
アート:Joseph Meehan |
スレイベンへ向けて歩みを進めつつ、彼女は腰へと手を伸ばした。鎖のヴェールの中から霊の精髄が群れをなして冷笑する声が、詠唱が聞こえるほどだった――従順によろめき、足を引きずって彼女の背後に続く死者達の足音よりも高く。
ソリンとオリヴィアは、ナヒリがもたらしたこの惨害には何もしないのだろう。そして事態を理解できるであろう唯一の人物は――あいつとその壊れて腹立たしい、底知れない頭脳は――好奇心のままに、取り散らかってよじれてほぼ確実かつ逃れられない死を追いかけている。
自分が彼を必要としているのではない。ただ、自分を必要としている誰かを、彼女は必要としていた。
「さあ、ガレド」 彼女は風の中、声を上げた。
そして両腕を掲げた、まるで熱い血管のように、皮膚に文様を感じられた。
「刮目なさい、私は......」
屍術に従い、後につくよう命じられて更に十体程のゾンビが地面からよろめき出た。
「......この世界の......」
その屍は歪んでいるようには見えなかった――少なくとも、土の中で年月を経て乱れていた骨以上には歪んでいなかった。眠らぬ死者はその影響を気にしないようだった。リリアナは得意の笑みを浮かべた。
「......最後の希望よ」
アート:Anna Steinbauer |
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