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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

奈落と振り子

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奈落と振り子

Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru

2016年11月28日


 私の記事を常々読んでくれている諸君は、私が好む比喩があることを知っているだろう。私は物事をわかりやすく説明するための道具として比喩を用いている。マジックについて常時書き物をしている人間として、マジックに関する多くの比喩を作ってきた。その中で、特に多く使われているものがある。それが、マジックは振り子のようなものだという考えである。


嘘つきの振り子》 アート:Christopher Moeller

 例示を読みたい諸君は、ここをクリックしてくれたまえ。


 今日の記事では、この比喩を掘り下げ、その成り立ちやふさわしさ、そして奈落内外の開発部全員が使う比喩になった理由について語っていく。

嫌いな比喩はしない

 良い比喩というものは、複雑な考えを平均的な人に馴染みのあるものに合わせるものである。こうすることで、受け手の持っている知識を説明の道具として使うことができ、複雑さは減ることになる。ゼロから始めるのではなく、受け手が既に知っている情報を元にすることができるのだ。

 つまり、良い比喩を作るには2つの条件があるということになる。1つ目が、比喩に使うものは受け手が知っているものでなければならないということ。世界最高の比喩ができたとしても、その比喩で使っているものが受け手に馴染みのないものであれば知っている情報というものが存在しないので意味がない。2つ目が、比喩で使うものと実際のものの間に明確な関連を作れるよう、充分な類似性がなければならない。比喩があまりにも曲解したものであれば、受け手は比喩と実際のものの間に繋がりを感じることができず、これも比喩として成立しないのだ。

 私がウィザーズに最初に関わったのは、執筆を通してだった。私は(ウィザーズが発行していたマジック専門誌の)The Duelistに連載しており、社内の様々な部署から様々な入門向け文章を書くことを依頼されることも多かったのだ。その殆どは物事を教えるための文章だったので、私はマジックに関する良い比喩を探し始めたのだった。

 それから1~2年後、私は開発部で働いていた。私はただマジックをプレイする方法を説明するだけでなく、マジックをどのように作っているかの舞台裏についての文章を書くようになっていた。私は再び比喩を探し始めていた。今回は、マジックの内部的な仕事についてのものだった。今年の4月、マジックのデザインにおける中心的な葛藤に関して、私は「押して引いて」という記事を書いた。マジックは常時進化し続けながら同じであり続けなければならないのだ。私は、マジックは常に動き続けながら同じ場所にあり続けているという、この葛藤を表す比喩を必要としていたのだ。

 比喩を探すとき、私は、比喩上のもので表したい部分が何であるかをまず見極めることが多い。マジックのデザインに関して、一体何を表したいのか。重要なポイントは以下の通りだ(導入として大学時代の話をしよう)。

マジックには不変の核が存在する

 大学時代(そして卒業後数年間)、私はスタンダップコメディをよく演じていた。何時間もオープンマイクで演じた後で、私はスタンダップコメディの本質が何なのかを学んだ。本質はジョークではなく、声を放つこと、世界を面白おかしく見るフィルターを表現することなのだ。明確な主張があればジョークも通るだろうが、より重要なことに、観客の心を掴むことができる。面白おかしい個性を作り上げることのできる軸となる核を持つことができるのである。

 マジックが成功しているのは、マジックの生みの親であるリチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldがその主張を掴んでいたからである。マジックはただ単に戦う魔法使いのゲームというだけではない。マジックには原理が存在していた。5つの色それぞれに理念が存在し、それぞれが単独にだけではなく関係性として意味するものがあったのだ。メカニズムもフレイバーも、どちらもそのカラー・ホイールの延長上に位置していた。マジックの個性は、この核を軸として成立していたのだ。

 1993年にマジックが世に出て以来、多くのことが変わってきたが、核は変わっていない。我々は色の理念を微調整し、メカニズム的解釈を調整し、色を視覚的にどう表現するかを調整してきた。しかし、各色が拠って立つ核の部分、各色が何であるか、そして各色が表すものは変わっていないのだ。

 つまり、比喩で使うものはマジックのこの性質、不変の何かを軸に存在しているということに配慮しなければならない。マジックには中心があり、その中心は不変のものなのだ。

マジックは常に直前のものと対照的であり続けている

 これも大学時代の話だが、私は「Uncontrolled Substance」という即興劇グループを立ち上げた。即興劇グループのことを知らない諸君のために説明すると、グループの何人かがステージにあがり、観客にいくつかの話題(関係性、場所、感情など)についてのネタを求め、そしてそのネタを組み込んだシーンを使った寸劇を演じるのだ。即興劇のショーは60分から90分ほどの時間で行われ、その間にいくつもの寸劇が行われることになる。

 グループを運営する立場としてすべきことの1つが、ショーを構造化することだった。私はどういった形式の即興シーンを(どのような質問をするかによってどのような返事が来るかが異なり、どのような寸劇が行われるかが変わってくる)どのような順番で、どのメンバーで行うかを決めなければならなかった。私がすぐに学んだことは、即興ショーを成功させるための鍵は、寸劇と次の寸劇に差をつけることだということだった。

 即興シーンの形式はいくつかの種類に分類できる。お互いに似ている寸劇同士は、離さなければならない。例えば、ある寸劇が観客に1つの話題から様々な提案を叫ばせ(テレビや映画のジャンルなど)、それを書き留めて、その寸劇中に叫ばせるというものであれば、それと同じようなものをその直後にやるべきではない。同様に、寸劇ごとに誰を使うか、さらには何人登場させるかについても差をつけるべきなのだ。目新しさはショーを新鮮に感じさせるための鍵なのである。

 マジックのブロックも同じようなやり方になる。ブロックAがマジックのある側面を取り上げていたなら、その直後のブロックBでは違うものを取り上げるべきなのだ。これはメカニズムだけでなく、クリエイティブ面についても同じである。暗く荒涼とした『イニストラードを覆う影』ブロックの次の『カラデシュ』ブロックが明るく楽しいものになっている理由の1つがこれである。

 焦点が変わり続けることには、目新しさだけでなくもう1つ重要な目的がある。デベロップは、あらゆる新セットから採用されるものがあるようにする一方で、バランスの取れたゲーム環境を作る責任がある。そのため、彼らはM.C.エッシャー/M.C. Escherの「上昇と下降/Ascending and Descending」にちなんで「エッシャーの階段/Escher stairwell」とでも言うべきものを作った。

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 各セットでマジックの何かの要素を取り上げ、それを強化する。各セットがその直前のセットよりも単に強くなるということがないよう、デベロップはマジックの他の何かの要素を弱体化させることでパワーレベルを同程度に保っていく。強力な要素に注目が集まるので、実際はほぼ同じような水準に保たれていても、階段を常に登り続けているような錯覚を与えることができるのだ。

 このことから、比喩で用いるものは、常に変化し続けて止まらないシステムを表すものでなければならない。

マジックは関係的で動的なシステムである

 大学時代に、私はいくつもの劇作を行なった。私は「Stage Troupe」というボストン大学の課外活動グループに参加していた。私は部外者だったので、劇を書くときの金銭的援助はほとんど受けられなかった。学生にオーディションをかけることはできたが、ほとんどの金銭的負担は自分で負わなければならず、大学内の他のグループを回って少しずつの出資を受けるのが常だったのだ。

 そのため、私の予算はいつも厳しいものだったので、制限内で劇を書く必要があった。単純なセット1つを作る分しか予算がなかったので、私の劇では単純な場所が舞台になることになる。演者は無償だったので、必要であれば大人数を集めることはできた。このときに私は「制限は想像の母」という考えにたどり着いたのかもしれない。制限の中で書かなければならないということから、方向を決めることができることに気づいたのだ。

 マジックのデザインも同じような性質を持っている。金銭的に限られているという意味ではなく、直前から変化しなければならないという制限があるという意味でである。これまでに何度も、明白な解決策を知りながらそれを直前のセットで使っていたからという理由で避けなければならなかったことがある。同様に、我々はある方向に動かすのを止めるために特定の方向に動かしているということに気づくこともあった。例えば、スチームパンクに触発された世界を描く方法はいくつもあっただろうが、楽天的で明るい方向に向かったのは悲観的で暗い世界から離れることの直接の結果だったのだ。

 このことから、比喩において、セット間の移動は無作為でなく関係性を持ったものであるということになる。比喩で用いるものは、移動に流動性がある、つまり全ての移動が大きなパターンとして連続性を持つ、ものでなければならないのだ。

マジックの変化できる範囲には限りがある

 再び大学時代の話だが、私は、複数のライターが自分のスケッチを書き、教え、演ずることができるライターのワークショップを立ち上げた(これは私の人生の中で今も生きているテーマである)。私が定めた規則の1つが、各ワークショップでテーマを定める必要があるということだった。そのテーマは緩いものでいいし、ライターはそのテーマを多少拡大解釈してもいいが、そこには限界があり、スケッチがそのワークショップの範疇外であると判断されることはあった。

 テーマを必須のものだと定めた理由は、各ワークショップごとの独自性が必要だと考えたからである。制限がなければ、ショーごとのまとまりがなくなってしまうことはわかっていた。微視的なものに注目すると、選択が大局的にどのような影響をもたらすかを見失うものである(木を見て森を見ず、というやつだ)。私はよく制限がどのように創造性を助けるかという話をしているが、境界を定めることは核から遠く離れてしまうことを防ぐ上でも有効なのだ。

 マジックにおいては、マジックの中心から離れてもよい範囲には限界があるということになる。遠く離れすぎると、マジックのマジックらしさが失われていくことになる。マジックのルールを元にして、マジックだとは誰も思わないようなゲームを作り上げることはできるが、その作ったものは一体何なのか。マジックをマジックだと認識できるようにすることは、プレイヤーが慣れ親しんだものにするための鍵となる要素である。安心できるようにするためには、充分な馴染みが必要なのだ。

 つまり、マジックの変化幅には限界があるということである。従って、比喩で用いるものにもこの限界を意識しなければならないのだ。

揺れとともに

 比喩で使うものを見つけるために、4つの条件を考えた。

  1. 不変の核が存在する
  2. 常に新しい空間に動き続ける
  3. 直前の動きからの連続性がある
  4. 動ける幅には限界がある

 1つ目の条件から、そのものは何かに繋がっている。2つ目と3つ目の条件から、そのものは動く。4つ目の条件から、その動きには制限がある。このことから、一方の端が何かにつながっていて、もう一方の端は自由端であるものということになる。例えば、振り回して動く側をぶつけて打撃を与える武器が当てはまる。スキーのリフトのような、軌道上を動く輸送手段も当てはまる。

 問題は、3つ目の条件だった。私が思いついたものはどれも連続性のない軌道で動くものだったのだ。動きを連続性のあるものにしたければ、どう動こうが変化しない力が必要だった。そこで思いついたのが重力だった。重力は水平方向に偏りを持たない不変のものだ。

 上端を固定して落とし、重力に動きを委ねられるものが必要だった。様々なものを検討した後(ヨーヨーでうまくいけばよかったと本当に思っている)、振り子にたどり着いたのだった。


エッシャーのヨーヨー

 これを上記の4つの条件から吟味してみよう。

不変の核が存在する

 振り子は上端が固定されている。重力が下方向に作用している。つまり、常に中心が存在し、振り子はそこに戻り続けている。

常に新しい空間に動き続ける

 振り子は動きによって定義されている。実際、ほとんどの振り子はその動きを描くための砂などをその下に置いている。

直前の動きからの連続性がある

 振り子は固定された一端と重力によって動いている。最終的には、振り子はその直前に向かったのと離れる方向に向かうことになる。

動ける幅には限界がある

 振り子は鎖の長さ以上に離れていくことはできない。前提として定義されたことから、振り子はその範囲を離れることはできない。

良い考えは広まりやすい

 振り子の喩えを見つけて、私はそれを(記事で)外向きと(会議や内部文書で)内向きの両方で使い始めた。そして、振り子の比喩は比喩の2条件を満たしている、つまりほとんどの人は振り子が何であるかやその動きを知っており、マジックのデザインのあり方と振り子の動きは論理的な関連性を見いだすことができるほど似ている、ということがわかったのだ。

 開発部はすぐにこの比喩を受け入れ、メカニズムだけでなくクリエイティブなどそれ以外のマジックの要素にも適用していった。実際、この公式サイトでこの比喩がどう使われていたかを探したところ、その半分以上が私以外の人の手によるものだったのだ。外部の人もこの比喩を気に入り、そしてプレイヤーがマジックの変化について議論するときにも使われるようになっているのだ。

 さて諸君、これがこの振り子の比喩の成り立ちである。

 今回の記事はいつもと違うものなので、諸君がどう考えたかを聞かせてもらいたい。いつもの通り、メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、「トピカル・ジュース」でお会いしよう。

 その日まで、適切な比喩を見つけ出す喜びがあなたとともにありますように。

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