マジック:ザ・ギャザリング 日本公式ウェブサイト

読み物

Making Magic -マジック開発秘話-

authorpic_markrosewater.jpg

6つの大陸、6つの物語

Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru

2015年5月25日

原文はこちら

 世界のマジック特集へようこそ! 今週は、マジックが世界中でプレイされているということについて語っていく。私が自分の仕事を愛している理由の1つが、仕事で旅行できる可能性があるということだ。私のこの20年の間に、マジックは私を南極以外の各大陸に行かせてくれた。そこで今日の記事では、各大陸から1つずつ、合計6つの物語をお届けしよう。

 最初にお届けする2つの話では、高レベルのイベントの決勝ラウンドで対戦していたプレイヤーの中でも一番体調の悪かった人物2人が登場する。興味深いことに、その2人は親友で、同じチームで長年戦ってきた間柄なのだ。

物語#1 - 体調不良な決勝(南米大陸より)

 第2回のデュエリスト・インビテーショナル(数年後、マジック・インビテーショナルと改名されるイベント)はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、グランプリと同時に、歴史ある建物を舞台として開催された。グランプリは大ホールの上フロアでおこなわれた。ブラジルの盛夏だったので、その旅の間の気温は38℃を超えていた。上フロアの換気は充分とは言えず、さらに、プレイヤーでごった返していた。上フロアに足を踏み入れた時、このイベントはサウナの蒸気室でおこなわれているのかと思ったほどだった。

 一方その頃、我々はその建物の中で唯一空調のあった、階下のガラス張りの部屋にいた。マッチを見ている観客は、外からガラスに顔を押し当てていた。イベントに興奮しているのだと思っていたが、考えてみたらそのガラスは相当冷たかったに違いない。それはさておき、ブラジルのプレイヤーたちはこのイベントが開催されたことにとても喜び、招待されたプレイヤーたちをまるでロックスターのように扱ったのだった。

 15人のプレイヤーが3日にわたり戦い(15人というのは、招待されていたジェイソン・ジラ/Jason Zilaが直前でキャンセルし、その代わりのプレイヤーを探すことができなかったからである。我々は対戦組み合わせ上に彼の名前をそのまま残してあったので、ジラと対戦するというのは不戦勝を意味した)、そして最終的に2人のプレイヤーが勝ち残った。チェコ共和国のヤコブ・スレマー/Jakub Slemrと、アメリカのダーウィン・キャスル/Darwin Kastleである。ヤコブ・スレマーは当時の世界王者でもあった。ダーウィン・キャスルはプロツアーで何度もトップ8に入賞しており、第5回目のプロツアーであるプロツアー・アトランタでは準優勝の結果を収めていた。そして、最初のプロツアー殿堂顕彰者にもなるのである。

 当時、インビテーショナルの決勝では、決勝に進出した2人が5つのフォーマットでそれぞれ対戦することになっていた(詳しくない諸君のために説明しておこう。インビテーショナルは15回戦の総当たりイベントで、各プレイヤーはお互いに1度ずつ対戦する。そしてそのフォーマットは3回戦ごとに変わるのだ)。各フォーマットは2本先取でおこなわれるので、決勝はかなり時間がかかる可能性があったのだ。ダーウィンはとても体調が悪かった。しかし、勝利を何よりも望んでいた彼は諦めることなく決勝に臨んだ。荒れ狂うウィルスも、彼を止めることはできなかったのだ。

 ダーウィンの体調が悪かったと言っているが、ただ咳やくしゃみがひどかったという話ではない。ダーウィンはほとんど倒れる寸前だっあのだ。彼がベッドから出て決勝に姿を見せたことには驚かされたほどだ。問題は、翌日には(休暇を取って彼女と過ごす予定だった私を除いて)全員がこの街を離れるので、決勝を延期することはできない、ということだった。どう見ても無理だと思われたが、ダーウィンはできると言い切ったのだ。

 第1フォーマットの途中で、ダーウィンは私に向かい「プレイ中に休憩を取ることはできますか」と尋ねてきた。その理由を聞いたところ、「吐き気がするので」と答えてきたので、私は彼をトイレに連れて行った。ダーウィンは何度も離席したが、常にプレイから集中を欠くことはなかった。決勝戦は第5フォーマットまで進み、ダーウィンは強い意志の力で5つのフォーマットのうち3つに勝利し、このイベントの優勝を勝ち取ったのだ。優勝特権である彼のカード(後に《なだれ乗り》になる)を提出すると、彼はすぐにベッドに向かった。おそらく、翌日の飛行機の時間までずっと眠っていたに違いない。


《なだれ乗り/Avalanche Riders(ULG)》 アート:Edward P. Beard, Jr.

物語#2 - もう1つの体調不良な決勝(北米大陸より)

 決勝で体調不良なプレイヤーの話はもう1つあって、興味深いことに、ここにもダーウィン・キャスルが登場する。といっても今回は彼が病人だったというわけではなく、体調を崩して物語の主役になる栄誉を得たのは、こちらものちに殿堂顕彰者となるロブ・ドハティ/Rob Doughertyだった。舞台となったイベントはプロツアー・ワシントンDC、史上初のチーム戦プロツアーだ。ドハティは、キャスルと、のちに殿堂入りするもう1人のプレイヤー、デイブ・ハンフリー/Dave Humpherysとともに「Your Move Games」というチームを組んでいた。この名前はドハティの所有していた店の名前から取っており、3人ともそこでプレイしていたのだ。そしてこの3人が決勝で相対したのがチーム「Game Empire」。カート・バーグナー/Kurt Burgner、前世界王者のブライアン・セルデン/Brian Selden、のちに殿堂入りするアラン・カマー/Alan Comerの3人のアメリカ人からなるチームだった。


《リサイクル/Recycle(TMP)》 アート:Phil Foglio

 ドハティが体調を崩した理由は知らない。この週末に多くのプレイヤーが食中毒にかかっていたので、おそらくドハティもそうだったのではないかと思うが、もしかしたら他のウィルスにやられたのかもしれない。といってもこの週末彼は基本的に元気だったので、おそらくは食中毒だろうと思う。理由はともかく、日曜日、ドハティはひどく体調が悪かったのだ。このイベントは『ウルザズ・サーガ』ブロックを使ったチーム・ロチェスタードラフトだのたので、3人のプレイヤーは協力してドラフトする。お互いに協力してピックを決めることも認められていた。ロブはなんとかドラフトに参加していたが、キャスルとハンフリーがすべての戦略を決め、ドハティのドラフトを助けていたのだ。

 デッキ構築中、ドハティは床に倒れていた。ジャッジがデッキを登録し、キャスルとハンフリーが作成した。しかし、決勝戦のマッチはドハティ自身がプレイしなければならない。ドハティのデッキは赤緑で、対戦相手は緑白デッキを使うブライアン・セルデンだった。緑白デッキは伝統的にこのマッチアップで有利なものだが、ドハティは《稲妻のドラゴン》と《高熱のハイドラ》をピックすることができており、有利になっていたのだ。

 これはチーム戦イベントだったので、ドハティが負けたとしても「Your Moves Games」が勝つことはあり得たが、彼はそれをよしとしなかった。最終的には、ドハティはセルドンを倒し、このラウンドで先制打を決めたのだ。ドハティが見ている前でハンフリーが勝利し(なお、このとき観客はキャスルのマッチを見ていた。ハンフリーとアラン・カマーのマッチを待つことは認められていなかったのだ)、抱き合って「Your Move Games」の勝利を喜んだのだった。

物語#3 - フォーマットの誕生(アフリカ大陸より)

 最近ロティスリー・ドラフトが大流行しているので、このフォーマットの誕生について語るのも楽しいだろうと思う。私がマジック・インビテーショナルを立ち上げたとき、私の興味あったことの1つが、そのイベントを舞台にクールでおかしなフォーマットを世界にお披露目するということだった。多くのフォーマットは既存のものだったが、いくつかのおもしろい新作もあった。ロティスリー・ドラフトはその1つである。

 舞台となったのは、南アフリカのケープタウンで開催されたマジック・インビテーショナル(リンク先は英語記事)である。インビテーショナルは5つのフォーマットでおこなわれる。私が使っていた構造は次のようになっていた。

1)通常の構築フォーマット

 構築フォーマットは人々が普通にプレイしているものなので、新しいデッキリストを紹介できる。ケープタウンでは、このフォーマットはスタンダードだった。当時、世界選手権以外のプロツアーではスタンダードはプレイされていなかったのだ。

2)奇妙な構築フォーマット

 このフォーマットは、プレイヤーに少し変わった思考法を求めるものだった。通常、この枠のためには新しいフォーマットを考えるのだが、当時はファイブカラー(後の統率者戦の元になったうちの1つ)が人気だったので、それを採用することにした。

3)デッキ作成の必要のない構築フォーマット

 構築フォーマットを3つ入れるのが好きだったが、プレイヤーに3つの異なるデッキを作らせるのは酷だ。ということで、1つのフォーマットは構築フォーマットだがデッキは我々が作成する、というものにした。この枠は最終的に、長年にわたって○○のオークション、という形になった。17のデッキが選抜され、あるいは観客が作成し、そしてインビテーショナルに参加しているプレイヤーが初期のライフや手札枚数をビッドして取り合うのだ。ケープタウンでは、初めての「人々のオークション」がおこなわれ、観客が特定のクリーチャー・タイプを軸にしたデッキを作成した。

4)デュプリケート・リミテッド

 インビテーショナルがオンラインでおこなわれるようになるまで、このフォーマットはどのインビテーショナルでも用いられていた。16人のプレイヤー全員が、このイベント専用にデザインされたまったく同じカード・プールを受け取るシールド戦である。このケープタウンも含むほとんどのインビテーショナルでは、カード・プールのデザインは私がしていた。

5)技術を試すリミテッド・フォーマット
cards_940.jpg

 この枠で、ブースター・ドラフトやロチェスター・ドラフトといった普通のリミテッド・フォーマットがおこなわれることもあった。しかし、私はこの枠を使って、ソロモン・ドラフトのような高度な技量を必要とする、滅多におこなわれないリミテッド・フォーマットをすることもあった。しかし、今回はファイブカラーをしていたので、新しいフォーマットを投入していないことになる。インビテーショナルでは毎回新しいフォーマットを1つは公開したいのだ。

 私に課せられた任務は、参加者の技量を試すような新しいリミテッド・フォーマットを見つけることだった。加えて、『オデッセイ』が出たばかりだったので、このフォーマットでこの新セットを目立たせたいとも思った。ブレインストーミングをするときに私が心がけるのは、極論を挙げることだ。私が書いた考えの1つが、「セット全体をドラフトする」というものだった。通常、極論を書くのは問題に取り組むための新しい観点を手に入れるためであり、思いもつかなかったような解決策を生むものである。しかし、このときの私はそうではなかった。なぜ、すべてをドラフトする、だけではいけないのか? 私はこの斬新さ、そしてその技量を激しく試すものであるという事実が気に入ってしまった。私は16人を8人ずつのポッド2つに分け、そのイベントでの順位に基づいて席次を定めた。ロチェスター・ドラフトの並び順を用いることにして完成だ。

 あとは、このフォーマットの名前をつけなければならない。新しいフォーマットを作るのは、他のプレイヤーにも試してもらいたいからであり、そのために名前は重要なのだ。他のゲームのドラフト・フォーマットを調べているうちに、ロティスリー・ベースボール・ドラフトに行き当たった。プール全体からドラフトできるという点で一致しているので、私はこの名前を借りることにした。興味のある諸君のために説明しておくと、この「ロティスリー」と言う名前は「ラ・ロティスリー・フランシーズ」というレストランの名前に由来している。このレストランで、このドラフトの開発者たちは昼食を取り、初めてのこのゲームをプレイしたのだ。上記の通り、マジックのロティスリー・ドラフトはベースボール・ドラフトに触発されたものではない。私はそれをプレイしたことは一度もない。このフォーマットは当時人気を博したが、盛り上がるのは10年以上後のことになる。

物語#4 - フィンケルの最高のドラフト(オーストラリア大陸より)

 ケープタウンで史上初の「人々のオークション」をしたという話をしたが、インビテーショナルでおこなった「○○のオークション」はそれが初めてではない。その前年、オーストラリアのシドニーで開催されたインビテーショナルで、「王者のオークション」と名付けたイベントがおこなわれた。それまでのプロツアーや世界選手権に優勝した構築デッキ17個の中からプレイヤーがドラフトするというものだった。そのデッキには以下のようなものがあった。

  1. ザック・ドラン/Zak Dolan (94年世界選手権)
  2. アレクサンダー・ブリュメ/Alexander Blumke (95年世界選手権)
  3. ミカエル・ロコント/Michael Loconto (96年プロツアー・ニューヨーク)
  4. オーレ・ラーデ/Olle Rade (96年プロツアー・コロンバス)
  5. トム・チャンフェン/Tom Chanpheng (97年世界選手権)
  6. ポール・マッケイブ/Paul McCabe (96年プロツアー・ダラス)
  7. マイケル・ロング/Michael Long (97年プロツアー・パリ)
  8. ヤコブ・スレマー/Jakub Slemr (97年世界選手権)
  9. ランディ・ビューラー/Randy Buehler (97年プロツアー・シカゴ)
  10. デイヴィッド・プライス/David Price (98年プロツアー・ロサンゼルス)
  11. ブライアン・セルデン/Brian Selden (98年世界選手権)
  12. トミー・ホヴィ/Tommi Hovi (98年プロツアー・ローマ)
  13. ケイシー・マカレル/Casey McCarrell (99年プロツアー・ニューヨーク)
  14. カイ・ブッディ/Kai Budde (99年世界選手権)
  15. ボブ・マーハー・ジュニア/Bob Maher, Jr. (99年プロツアー・シカゴ)
  16. シグルド・エスクランド/Sigurd Eskeland (00年プロツアー・ニューヨーク)
  17. ジョン・フィンケル/Jon Finkel (00年世界選手権)

 繰り返しになるが、デッキへのビッドは初期手札の枚数、そして初期ライフ総量でおこなう。手札の枚数のほうが優先されるので、6枚20点のほうが7枚1点よりも優先されることになる。そこにあった中で最高のデッキはプロツアー・ローマで優勝したトミー・ホヴィのデッキだと目されていた。しかしこのフォーマットの面白いところは、強いデッキを取ればいいというものではなく、どれだけ安く取れるかも重要なのだ。

 ジョン・フィンケルはこのフォーマットに充分な準備をしており、すべてのデッキをよく知っていて、その対戦の相性まで把握していた。彼はほとんどのビッドに参加し、多くのデッキにアクティブにビッドしたが、落札することなく下りていた。フィンケルがデッキを選ぶ段になって、彼は第1回世界選手権を制したザック・ドランのデッキを選び、7枚15点という低負担で落札した。

 このデッキは、《セイレーンの呼び声》や《草原のドルイド僧》といった奇妙な1枚刺しがあるおかしなデッキだという評判だったが、フィンケルは他に気付いている人の少ないあることに気付いていた。そう、奇妙に組まれたデッキではあるが、このデッキは 1)非常に強力なカードを使えるヴィンテージのデッキである 2)フィンケル曰く「狂ったカードを組み合わせるとうまく動く」。デッキリストを一見すると笑い飛ばせそうなものだが、ザック・ドランのデッキは人々が予想したよりもずっとうまく回ったのだ。

 フィンケルはこのフォーマットで3-0の結果を残した。しかしこのデッキの本領は決勝戦、フィンケルが、同じく後に殿堂入りするベン・ルービン/Ben Rubinと対戦したときに発揮された。ルービンは1998年のプロツアー・ロサンゼルスでデイブ・プライスが使った『テンペスト』赤単デッキを7枚13点で手に入れていた。つまり、フィンケルよりも初期のライフが少なかったのだ。

 決勝の最初のフォーマットは「王者のオークション」だった。第1ゲーム、フィンケルが先攻。《Mox Emerald》と《Black Lotus》を使い、第1ターンに《セラの天使》をプレイした。一方、ルービンはいくら完璧な引きをしてもそのデッキでは4ターン目までは除去できないということがわかっていた。圧倒的だった。フィンケルはドランのデッキで全勝を収め、そのままイベント全体の優勝者となったのだ。彼の優勝者特権が、《影魔道士の浸透者》である。

物語#5 - ミラディンの本当の戦い(アジア大陸より)

Poison_Incoming.jpg

 次の話は、日本の千葉で開催された2010年世界選手権が舞台である。ギョーム対ギョームの決勝戦について語ってもいいし、史上初の年間最優秀選手の同点決勝について語ってもいい。しかしこのイベントについて語りたいことは世界選手権そのもののことではなく、ある夜、私が参加した広報イベントでのことなのだ。

 知っての通り、大イベントではしばしば巨大な、1メートルほどもあるマジックのカードを使った対戦をして見せている。通例、対戦者はどちらもウィザーズの人間で、観客をプレイに参加してもらっている。この対戦では、私はチーム・ファイレクシアを率い、対戦相手はチーム・ミラディンを使ったリチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldだった。この対戦がおこなわれたのは12月のことであり、『ミラディンの傷跡』が出た後、『ミラディン包囲戦』が出る前であった(実際、2つのデッキにはそれぞれこのイベントで公開された『ミラディン包囲戦』のプレビュー・カードが入っていたのだ)。

 カードを引くたびに観客から協力者を募り、そのカードを担当してもらった(つまりそのカードをタップしたり攻撃したりなど、すべての処理をその人にしてもらうのだ)。ゲームが進行している間、別の2人が(ほとんど日本語で)実況解説を担当していた。このフォーマットでは相当量の雑談が飛び交うものだ。さらにこのファイレクシアとミラディンの戦争というフレイバーもあって、状況は白熱していった。

 私率いるファイレクシア軍は序盤に優勢となった。ミラディン軍は巻き返しを図ったが、私は素早くもう一度押し返し、流れをファイレクシア側に引き寄せた。ミラディン軍の敗北が濃厚となって、リチャードは私の側に寝返った。実はリチャードはダブルスパイだったのだ。ジャッジは非常に疑問の残る裁定を下し(えこひいきがあったのは言うまでもない)、ミラディン軍との差をなくした。そうするとリチャードは、なんとトリプルスパイだったという事実を明かし、再びミラディン軍の指揮に戻ったのだ。

 私は、リチャードとジャッジを敵に回しても諦めずに戦い、ファイレクシア軍が勝利を収めた。私はリチャードにとどめとなる巨大な日本語の毒カウンターを手渡したのだった(なお、この毒カウンターは私が持ち帰り、机の横に飾ってある)。マッチの終わりに、私は「すべてはひとつとなる。ファイレクシアの到来だ」と言った。その時点では誰も理解できなかったことだが、私はその時点で明確にファイレクシアがその年の戦争に勝利するのだということを示していたのだ。

 このイベントは本当に楽しかった。すべての世界選手権の中でも一番の思い出だ。

物語#6 - 長いシャッフル(ヨーロッパ大陸より)

 ヨーロッパで開催された最初のプロツアーであるプロツアー・パリは、マイク・ロングがプロスブルームと呼ばれるコンボ・デッキで優勝したイベントである。今回の話にロングは登場するが、決勝よりも前に起こったことだ(決勝の対戦相手はマーク・ジャスティス/Mark Justiceだった)。この話の舞台となるのは準々決勝だった。当時、私は決勝戦のプロデューサーを務めており、どのマッチの映像を収録するかを決めるのは私の仕事だった。準々決勝で最初に注目すべき対戦は明らかに、アメリカのマイク・ロングと同じくアメリカのジェイソン・ゴードン/Jason Gordonとの一戦だった。

 このマッチが興味深いのは、ロングもゴードンも悪評高いプレイヤーで、多くのプレイヤーがどちらがよりやばいのかを楽しみにしていたからである。2人の英雄が対戦することも、2人の悪党が対戦することもしばしばあるもので、これは言うまでもなく後者だった。プレイヤーは悪党に負けろと言うのを好むものなので、しばしば注目を集めることになる。とはいえ、悪党同士の対戦は、どちらの負けを願えばいいのかという魅力的な判断をせまるものだ。


《ボロスの布陣者/Boros Battleshaper(DGM)》 アート:Zoltan Boros

 当時の準備の手順は次のようなものだった。私が解説者と共にブースに入る。私はディレクターに連絡を入れ、どこから始めるか、そして必要に応じて他のマッチに移動する場合の指示を出すのだ。まずはロング対ゴードン。彼らはお互いに相手を信用していないので、熱心にシャッフルしていた。かなりの時間がかかっていたので、私は他のマッチにカメラを動かすことにした。

 ゲームが終わるたび、私はロング対ゴードンのテーブルを確認した。まだシャッフル。カメラを向けていた準々決勝のマッチが終わって......ロングとゴードンはまだ準備が終わっていなかったので、私は次のマッチを見ることにした。そのマッチも終わって、もう一度確認すると、シャッフルについて何か議論が起こっており、ヘッドジャッジが割って入っていた。私は3つめのマッチを見に行った。終わり。そしてロングとゴードンのマッチに戻ったところ、ようやく彼らは準備ができたようだった。

3000語で世界を見れば

 これで、世界中からの話はおしまいだ。マジックが氷浸けのところを除いた世界中の大陸でプレイされているということを見てもらえたなら幸いである。いつもの通り、今回の記事についての諸君の感想を楽しみにしている。こういった短い話を集めた記事はどうだろうか? メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、私が後ろに向かう日にお会いしよう。

 その日まで、世界を回って物語を見つける楽しみがあなたとともにありますように。

前の記事: モダン一問一答 | Making Magic -マジック開発秘話-一覧に戻る | 次の記事: マローの(少しは)秘密のオリジン・ストーリー

トピックス