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Magic Story -未踏世界の物語-
調停者、不和を撒く
調停者、不和を撒く
R&D Narrative Team / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2018年1月24日
ファートリ
密林を飛び出すと、遠くにオラーズカの黄金の城壁が見えた。ファートリは小声で悪態をついた。
荒ぶるアングラスの姿は前方の深い密林にかろうじて見え隠れしていた。そしてその両脇に、ファートリは見慣れた銀色の鱗を確認した。
「足止めをして!」 瞳を琥珀色に閃かせ、ファートリは宙で拳を握りしめた。半秒後、巨大な恐竜の姿が視界に飛び込んできた。恐竜はアングラスとの距離を素早く詰め、容易くその男を転ばせると足の下に拘束した。
ミノタウルスは憤慨とともに吠え、ファートリは咆哮を返すよう恐竜を促した。
アングラスは黙った。 彼は荒く息をつき、恐竜の重みを受けてうめいていた。
「大人しくさせることはできますか?」 ファートリの背後から年老いた声が届いた。
深い密林の中からティシャーナが歩み出た。その口の端には悪賢い笑みが浮かんでいた。背後には、数十人のマーフォークが待機する影が見えた。
ファートリは頷き、返答した。「ええ、できます。ありがとうございます、ティシャーナさん」
ティシャーナは何気ない様子で立っていた。
ファートリは逸る鼓動を宥めた。あるいはこのマーフォークの長老はまたも先に行ってしまうのだろうか? そしてティシャーナが都を目指すというのであれば、アングラスを恐竜に拘束させたまま自分も共に行くべきだとファートリは半ば確信していた。
「では、私たちの合意については?」 ファートリは変わらぬ口調で尋ねた。
ティシャーナはかぶりを振った。「一族を集めていました。合意は持続しています。今や都は目覚め、標となっています。その光に惹かれて他の者らも集結しようとしています――小さな蛾、あなたがたと同じく」
ファートリはまたも襲いくる頭痛を振り払った。蛾の例えはあまり納得したくなかった。
ティシャーナは懸念とともに近寄った。「具合が宜しくないようですね」
ファートリは肩をすくめてみせた。「大丈夫です。都に近づくほど頭が痛む、それだけです」
「あなたも海賊も同じ流れに浮いているのです」 ティシャーナは謎めいて言った。「とばりの向こうに何を見たのですか?」
「その顔に鎖をくれてやる!」 恐竜の足元でアングラスが声を上げた。ファートリが手首をひねると恐竜はその男を泥の更に深くへ押しやった。
アングラスのくぐもった悲鳴が返ってきたのを無視し、ファートリは振り返った。「他の世界の物語を聞きました」
ティシャーナは片手をファートリの肩に置いた。その表情は穏やかで思いやりに満ち、知啓そのものだった。「そうであれば、あなたがその全てを聞けるように計らわねばなりませんね。戦場詩人さん」
ファートリは不安を感じた。そして今も恐竜の足元から逃げようともがくアングラスの隣に膝をついた。
「アングラス、悪く思わないで下さいね。ティシャーナさんと行きます。先に約束したので」
アングラスは顔を土まみれにしながら、ファートリへ叫ぼうとした。
ファートリは恐竜に片手を触れ、短い命令を与えた。「三十分したら離してあげなさい。ごめんね!」
ファートリが口笛を吹くと、一体の短角獣が雨林の中から歩み出た。彼女はたやすくその背に上ると、ティシャーナと並んで出発した。背後にはアングラスの怒り狂ってくぐもった抗議だけが残された。
ティシャーナは以前と同じエレメンタルに騎乗し、素早く追い付いた。
都へ近づくほどに時の流れが遅くなるように思えた。尖塔は迫り、太陽は頭上更に高くへと這い進んだ。前方と背後の両方に危険があることを意識し、ファートリはアングラスの先を行くべく速度を保った。
都の黄金は太陽の光と熱に輝いていた。しばしの後、ファートリは黄金の都へと続く門をくぐり、目から汗をぬぐった。
オラーズカは壮大で、見渡す限りに輝く壁と圧倒的な彫刻が続く街並みだった。故郷に戻ってくるような気分をファートリは想像していたが、そうではなく遠い親類を訪問するような印象を受けた。知ってはいても異質、迎えてくれはしても自分のための場所ではないような。
ティシャーナとファートリは大通りを進み、無数の路地と横道を過ぎていった。壁は高く、だが前方遠くに中心となる建造物が見えていた。ファートリは心の奥底で、その建物に踏み入る定めにあると感じていた。
視界の隅で、ティシャーナが空を指差した。
空は川底の岩のように黒くなり、オラーズカの尖塔からは分厚い雲が篝火の煙のように立ち上っていた。その光景はファートリを戦慄で満たした。「何が起こっているのですか!?」 尖塔へと続く広場にて、乗騎が黄金の石畳を踏み鳴らす音に負けじとファートリは尋ねた。
前方の塔が空を黒く染めているようだった。そして一つの人影がその塔から落下するのを見て、彼女は驚愕した。
「ああ!」 右でティシャーナが叫び、腕を伸ばして両手を目の前で叩きつけた。ファートリは即座に強い魔術の波を感じた。人影は落下の速度を緩め、凄まじい突風によって完全に停止した。そして塵や落ち葉を毛布のようにまとい、その人物はゆっくりと地面に横たえられた。広場の隅にファートリを放ったまま、ティシャーナのエレメンタルは塔へと歩き出した。
ファートリはティシャーナの名を呼び、だがその声はティシャーナとその落下してきた人物へと駆けるマーフォークらの足音にかき消されてしまった。
ファートリは前進するよう乗騎を促した。恐竜の足音が黄金の石畳に素早い律動を響かせ、心配するマーフォークの集団に近づくと減速した。彼女は最悪の事態に備えた。戦士として、流血沙汰には当然慣れていた。ファートリは無残な光景に身構えたが、目の前の身体は顎の下に血の汚れがあるだけで、大部分は無傷だった。
ファートリは乗騎を降りて近づいた。ティシャーナは地面に横たわる男に囁きかけていた。他の仲間が数人、その男へと治癒魔法を施していた。
「クメーナ、私達です。塔には誰が?」
マーフォークは目を開けた。その肌は生来の色よりもくすんでいた。頭をもたげると、口元から胸へと一筋の血が流れた。その男は小声で返答した。「何だと思いますか?」
ファートリは顔をしかめた。頭上に脈動する暗黒の魔術は、薄暮の軍団が不滅の太陽を手にしたことを示しているに違いなかった。それはつまり、都を手にしたということだった。
ティシャーナは隣のマーフォークへ短い指示を与え、ファートリを振り返った。
「共に取り返しましょう。都の所有権はその後です」
ファートリは微笑んだ。
遠くの騒音が彼女の注意をひいた。重苦しい曇り空の下、塔を目指す雑多な集団がわずかに見えた。一人のセイレーンが頭上を飛び、その下には見覚えのある女性が摩耗したカンバス地を腕一杯に抱えて駆け、先頭には気が狂ったような毛むくじゃらのゴブリンがいた。そのゴブリンは身長よりも長い剣を宙へ振り回し、奔放に叫びながら駆けていた。「タイヨウよこせ! タイヨウよこせ!」
「海賊ですか」 ティシャーナが嫌気とともに囁いた。彼女はファートリの肩を掴み、塔の内部へと続く階段へ彼女を押しやった。
「急ぎなさい!」 その叫びにファートリは従った。
足音を途切れさせることなく、彼女は塔を登っていった。
《制覇の塔、メッツァーリ》 アート:Victor Adame Minguez |
ティシャーナはすぐ後ろにいた。騎乗していたエレメンタルを封じるトーテムはその手に握られていた。階段は無限に続くように感じられ、数歩ごとに暗澹として重苦しい空が細い窓から見えた。ファートリは疲労に激しく息を切らし、必死の精神力で歩調を保った。高く昇るほどに、生きては戻れないかもしれないという思いがますます強まった。
遂に、階段は終わりを迎えた。塔の最上部にある巨大な扉が開いていた。入口はファートリ四人分ほどの高さがあり、しばし彼女は祖先が作り上げた建築物の威厳に唖然と言葉を失った。
「悪党め!」 ティシャーナが吼え、ファートリを追い越してその先の部屋へ飛び込んだ。ファートリが見つめる中、彼女は片手で彫像を投げるともう片手でそれを起動し始めた。
ファートリは現実に引き戻された。感動するのは後、吸血鬼を追い出すのが先決。
彼女も部屋へと続き、辺りの様子を探った。
中は大きく広々としていた。そして都の全てと同様に、常軌を逸した程の精密な装飾が施され、だがここでは床の中央部分を取り囲むように配置されていた。部屋の中央、翡翠の床には円盤が埋め込まれていた。直径はファートリの身長ほどもあり、威嚇する征服者の足元で青白い光を放っていた。その傍には高司祭と思しき別の吸血鬼がおり、杖を構えて臨戦態勢にあった。
「我が名はヴォーナ、マガーンの鏖殺者。不滅の太陽は我ら薄暮の軍団が頂いた!」 部屋の中央に立つ女性が叫んだ。密林で追跡した、あの汗だくの吸血鬼だとファートリは思い出した。
ファートリは吸血鬼の足元を見て驚愕した。そこに、黄金に輝く床にはめ込まれたものこそ、不滅の太陽以外にありえなかった。
ファートリはその様子に唖然とした。「床に、入ってるの!?」
ティシャーナは既に部屋の中の敵を見定めていた。エレメンタルが再び姿をとり、不滅の太陽の上に立つヴォーナへと横から襲いかかった。
ファートリは不滅の太陽の端近くに立つ高司祭と目を合わせた。その男は杖を下ろすと牙をむき出しにし、ファートリも動いた。
重心を低く保ち、彼女は部屋をまっすぐに駆けた。対する吸血鬼司祭は手の爪を見せつけてファートリの顔面を狙い、だがすかさずファートリは勢いをそのままに屈み、翡翠の冷たい床を滑走しながら司祭の足首を切りつけた。
高司祭は唸り声を発した。ファートリはその外套を掴んで引き倒し、そして頭が床に激突する音が驚くほど大きく響いた。ファートリは男を右手で押さえつけ、左手で刃を高く掲げた。
「お前か!」 部屋の奥側から声が届いた。ファートリが驚いて見上げた瞬間、真下から高司祭が胸を蹴りつけた。
ファートリは背中から勢いよく倒れ、鎧が激しく鳴った。彼女は身をよじり、そして見上げるとヴォーナと目が合った。
その征服者はにやりと笑い、爪を尖らせた手を振り上げた。「私は罪人の選定者、そしてオラーズカの征服者!」
黒く、香りのない煙が部屋に渦巻き、ファートリは身体を襲った苦痛の波に悲鳴を上げた。立ち上がろうとしたが、膝と手をついて崩れ落ちた。筋肉が震え、息が詰まった。手を見ると、まるで真新しい打ち身傷のような紫色と茶色をしていた。
恐怖が心に満ちた。ヴォーナは不滅の太陽を用いて血液を操っているのだ。
ファートリはティシャーナの姿を探したが、そのマーフォークも高司祭によって床に倒されていた。
「ティシャーナさん!」 ファートリは叫び、血が唇から流れ落ち、その声は自身の悲鳴にとって代わった。
ヴォーナは笑い声を上げながら不滅の太陽の端まで歩き、ファートリに近づくと膝をついた。
「どうした?」 あの心に残る、抑揚のなさで征服者は尋ねた。「気分が悪いのかな?」
突然、歌が部屋に満ちた。
男性の歌声、柔らかく美しい旋律。
ファートリは凍りつき、動けなくなった。ヴォーナも同じく、そしてティシャーナと高司祭もだった。
美しい歌だった。そして何なのか、何故なのかはわからないが魅惑的だった。そこへ行かなければ。歌声の源へ近づかなければ。ファートリは激しくかぶりを振り、ヴォーナの不器用な掌握から逃れ出た。その吸血鬼すらも歌の源を探そうとしていた。
《セイレーンの略奪者》 アート:Tomasz Jedruszek |
一つの人影が窓のすぐ外に、青い翼を羽ばたかせて宙に留まっていた。その間ずっと、その男性は子守歌よりも安らぐ歌を、祈りよりも貴重な歌をうたっていた。
ヴォーナ、ティシャーナ、そして高司祭はその奇跡の歌を近くで聞こうと殺到した。先頭はヴォーナで、その目は欲望に見開かれていた。その先、開いた窓のすぐ外には羽毛をまとうセイレーン、「喧嘩腰」号の海賊がいた。そしてその首には狂った様相のゴブリンがしがみついていた。
心の隅のどこかで、ファートリは何が起ころうとしているのかを察した。ゴブリンがヴォーナの顔面めがけて飛びかかった。
「戦争ダーーーーー!!!!!」
歌は止み、そのセイレーンは陽気に叫んだ。「短パン、眼をやれ!」
ファートリは呆然自失から脱し、ヴォーナの悲鳴を背後に不滅の太陽へ駆けようとした。
ゴブリンは笑い声を上げながら、吸血鬼の女性の顔を爪で掻きむしった。
そしてその時、床が震えたかと思うと大きな打撃音が響いた。すぐさま誰もがその源へと顔を向けた。
黄金の扉が破られて床に倒され、その上に立ち、激怒に吼えていたのはアングラスだった。
《ミノタウルスの海賊、アングラス》 アート:Chris Rahn |
ファートリが焼けた肉の匂いを感じ取ったその時、アングラスは焦げた恐竜の頭部を投げ捨てた。彼を押さえつけておくよう命令した恐竜のそれだった。頭は鈍い音を立てて床に弾んだ。
「ひどいことを!」 ファートリはアングラスへと叫んだ。
「お前がやったんだろうが! ずっと恐竜に踏まれてたんだぞ!」 彼は吠え返すと、顔面にゴブリンを貼りつけた征服者へと視線を移した。
アングラスは白熱した鎖でヴォーナを狙った。その鎖は「短パン」に巻き付き、ゴブリンは引きはがされて耳障りな叫び声を上げた。だがそして直ちに体勢を整えると、アングラスへと襲いかかった。
アングラスとゴブリンが取っ組み合う中、ファートリはティシャーナを探した。そのマーフォークは天上の亀裂から伸びた蔓で高司祭を束縛した所だった。
ティシャーナはファートリを見た。そして床に埋め込まれた不滅の太陽を、次にそこから引きずり出される吸血鬼を。ファートリはアングラスを見たが、彼はティシャーナを一瞥すると視線を不滅の太陽へ戻した。
全員が動きを止め、そして狂乱の騒動が一斉に弾けた。
全てが同時だった。ティシャーナは飛びかかり、片手で不滅の太陽を打った。ファートリは足を蹴り出してその側面で触れ、アングラスは他を押しのけて中央へ進み、ヴォーナは今一度両手を叩きつけた。
四人全員が、自分達の身を流れる莫大なエネルギーに息を呑んだ。
その素晴らしさに、ファートリは高らかに笑った。
《光輝の勇者、ファートリ》 アート:Chris Rahn |
知覚が都の隅々にまで拡大し、彼女の魂は祖先が築いた都の魔法を薄く覆うように広がった。すぐさま彼女はあらゆる小道を知り、エネルギーのあらゆる流れを感じ、あらゆる建築物の境界と尖塔の高さを知った。けれど最も素晴らしかったのは、都の各隅に感じた五つの巨大な心拍だった。
古の巨竜が目覚めたのだ。その思いに、ファートリの頬に涙が流れ落ちた。古の恐竜の物語は記憶が困難なほど長く、その全てを心に刻むまでに彼女は苦しい二年を要した。古く荒々しく、手懐けることは全く叶わない、最大最強の恐竜。彼女は自らのもとへ古の巨竜らを呼び、その接近に地面が震えるのを感じた。ファートリは歓喜に圧倒され、笑い声は止まることなく......
だがその時、アパゼク皇帝軍の足音が都の境界を越えるのを感じた。求めてなどいなかった軍隊。ファートリの笑みが消えた。愚かだと感じた。皇帝は自分をただ送り込むだけではなかった、そう心しておくべきだったのだ。
彼女は自らの身体を思い出し、塔の頂上へ意識を戻した。
不滅の太陽は四人の下で熱烈に輝いていた。アングラスは不滅の太陽に片足を置き、その身体が発する熱でもう片方の足は黄金の床に沈み込んでいた。ティシャーナは蔓を編み上げて片足を不滅の太陽に固定していた。ヴォーナは慌てながら、黒い煙を呼び集めていた。誰もが武器を構え、視線をそれぞれに走らせていた。
ファートリは刃を掴み、ゆっくりと立ち上がった。その心は都のエネルギーと古の巨竜らへのかすかな手綱にうなっていた。彼女はそれぞれの敵を黙って値踏みした。
ヴォーナは消耗し、処理はたやすい。ティシャーナが僅かに一瞥してきたが、その意図は読み取れなかった。アングラスは変わらず、熱く焼けている。セイレーンと短パンのゴブリンは外に留まっており、中での決着がついた所で海賊らしく乱入する気なのは明らかだった。高司祭は蔓で壁に拘束されたままだった。
ファートリは攻撃すべく腰を落とした。彼女はティシャーナと目を合わせると、ヴォーナを短く顎で示した。ティシャーナはごく僅かに頷き返し、ファートリは飛びかかろうとした。
不意に、セイレーンとゴブリンが揃って驚きの声を上げた。二人は混乱に目を見開いて視線を交わした。
「マルコム、ジェイスの声聞いたか?」 仲間を見上げながら「短パン」が言った。
ジェイス? ファートリは警戒とともに思い出した。あのテレパス?
セイレーンは頷き、懸念が顔によぎった。
何かが来るような静止。
そして、床が崩れた。
ヴラスカ
《法をもたらす者、アゾール》 アート:Ryan Pancoast |
「このゴルゴンが我が捕虜ではないというならば、誰にここへ遣わされた?」 その大仰な自作の玉座から、アゾールは尋ねた。
ジェイスを知るよりも以前、スフィンクスはゴルゴンのような卑しい存在に口など開かない、謎が詰まった石頭でしかないとヴラスカは考えていた。だが今、部屋に満ちる猫の匂いの源を探ることで恐怖を押し留めながら(部屋の隅に見える布地と藁の粗末な巣から、アゾールがこの部屋に長年滞在していることは疑いなかった)、ヴラスカは思った。良いスフィンクスは、図書館の入口で石になって動かないスフィンクスだけだと。
『殺すよりも、聞かなければいけないことが沢山あります』 ジェイスはヴラスカへと心で告げた。
そのスフィンクスがジェイスの防護を詮索しようとするのを感じ、ヴラスカは苛立った。だがそれは強固に留まっていた。アゾールは物憂げにジェイスへと目を向けた。
「そしてギルドパクトの体現よ」 アゾールは得意そうに言った。「ギルド制度を完全な崩壊から守ってくれたとは実に喜ばしい」
「ありがとうございます」 ジェイスは簡潔に返答した。
「礼には及ばぬ」
アゾールは翼を広げると四肢を休めた。背後に尾がゆっくりと揺れていた。ヴラスカは緊張を解くことを拒んだ。
「虜囚ではないというならば、これを求めて来たのだな」 アゾールが言った。「我が牢獄を閉ざすもの。最高の造物」
アゾールは天井を一瞥した。ヴラスカの視線が追い、そして理解が続いた。
《不滅の太陽》 アート:Kieran Yanner |
それこそが、自分達をこの地に留めているものだった。単独の魔法ではなく、次元そのものでもなく。
ヴラスカは愕然とした。何故雇い主はプレインズウォーカーを閉じ込めるものを奪ってこいと言った?
「不滅の太陽を求めて来たとしても、其方にその資格は無かろう」 アゾールの物腰が変化し、不意にヴラスカの背骨を寒気が駆け下りた。スフィンクスの言葉はあらゆる音節に魔力が共鳴していた。「オラーズカの内への不法侵入を禁ずる」
その神聖術はうねってジェイスの防護を迂回し、たちまちヴラスカを襲った。白く輝く魔法文字が彼女の上半身を束縛し、背後の扉へと押し戻した。
ジェイスは驚いてヴラスカの名を叫び、すぐさまヴラスカはジェイスの対抗呪文がアゾールの神聖術を解くのを感じた。ヴラスカは床に倒れ込んだが、更に強力な防護魔法に守られて無事だった。スフィンクスの呪文から解放され、すぐさま立ち上がると彼女は悪態をつきながらアゾールへと駆けた。
「わかるだろ、法魔術で石化は防げやしないよ!」 彼女は叫び、触手が怒りに荒々しく悶えた。「何者なのか言いな、でなければその場で死ぬことになるよ!」
「ゴルゴンよ、そなたに告げることなど何もない」
即座にジェイスは両目を冷たい青色に閃めかせ、片手を伸ばした。アゾールは吼え、頭を抱えた。
「船長と呼ぶんです!」
アゾールは翼を羽ばたかせ、部屋の埃が舞い上がった。そして立腹に胸を突き出し、経験豊かな申立人の口調で話した。
「ヴラスカ船長よ。我は何千年もの間、無数の次元を渡ってきた。未熟で手に負えぬ、暴力と無秩序がはびこる残忍な社会ばかりがあった。これらの民へ、我は神聖術を用いて安定という賜物を授けた。不和を矯正する統治の制度を作り上げた。多元宇宙に善をもたらすべく苦難に身を投じ、我が賜物は狂気と暴力の世界を平和の拠所へ変えたのだ! 我は無数の次元にて無数の統治機構を興し、共同社会をもたらした。我が布告に対する其方の拒絶は極めて無分別である。法は遵守されるべきものである」
アゾールの魔術がジェイスの防護に跳ね返るのをヴラスカは感じた。彼は挑戦的に立ちながら、スフィンクスを睨み付けていた。
ヴラスカが尋ねた。「お前がラヴニカのギルドの仕組みを作ったのは知ってるよ。お前はラヴニカ生まれでもないんだろう。どうしてラヴニカを離れたんだ?」
「法は遵守されるべきものである!」
ジェイスは顔をしかめた。アゾールの法魔術の更に強力な波がジェイスの防護に襲いかかった。それは破城槌の猛烈な打撃のようだった。
「何故ラヴニカを離れた!?」 ヴラスカが再び問い質した。
アゾールは咆哮し、ジェイスの防護を突破することを諦めた。部屋の中は静まった。
スフィンクスは苛立ちに前足を交差させた。「ラヴニカは多くの世界の一つに過ぎぬ。我は責務を終え、去っただけのこと」 彼は翼をぴくりと動かし、別方向からの戦法を試みた。「ギルドパクトの体現よ、其方には才がある。ラヴニカにて責務をよく果たしてきたか?」
話をそらしている。ヴラスカはそう思い、この対立の軌道を戻そうと口を開いた。
「いいえ」 ジェイスはあきらかな誠実さとともに言った。「......とてもそうとは言えません」
ヴラスカは思考を中断させた。ジェイスは精神防護の背後で安全ではあったが、それでも完全に無防備だった。その声色が彼の不安を示していた。「アゾールさん、あなたは一人の人物が理解できる領域を遥かに超えた複雑な魔法で、信じられないほど入り組んだ機構を作り上げた。それだけでなく、定命の存在が安全装置になるようにした。俺に政治の才能があったとしても、課せられた責務を完全にこなすなんてことはできません」
ジェイスは肩を落とした。その告白に何を言うべきか、ヴラスカはわからなかった。アゾールはわずかに胸を張った。
「ギルドは完璧な制度である」
「完璧な制度だったよ」 一言一言に精一杯の毒を持たせ、ヴラスカは訂正した。「けれどギルドはお前がいない間に悪質で残酷になってしまったんだ」
「それは誰の過ちであるか?」 アゾールが尋ねた。「我はラヴニカにギルドを与えた、他の無数の世界に法と統治の理想的な制度を与えたように」
このスフィンクスは自分よりも何千倍も長生きしているのかもしれない。だが愚鈍で、冷酷な古老だった。アゾールは自身の干渉の結果を全く気にかけていなかった。ヴラスカは両の拳を握りしめた。「お前にそれを言える権限があるとは思わないね、お前のものでもない次元に勝手に干渉した挙句、次へ行きたいと思ったら見捨てて離れていっただけの奴に!」
アゾールは姿勢を正し、顎を上げ、鉤爪をごくわずかに伸ばした。「我が機構、我が賜物が腐敗したとしても、それは民の過ちである」
「じゃあこれはどうなんだ?」 ヴラスカは続け、天井の不滅の太陽を指した。「イクサランもお前が何かしたのか?」
アゾールの鉤爪が完全に伸ばされた。
「これは何のためにあるんだ?」 ヴラスカは更に圧をかけた。巨体のスフィンクスと肉体的に対決する準備は完全には整っていない、心に開きつつあるその実感は無視した。
アゾールはその足で玉座を降りはじめた。その接近に、ヴラスカとジェイスは共に張りつめた。
「全多元宇宙における法の管理者兼調停者として、より善きことへと従事するのが我が義務であった。不滅の太陽は、とある敵を幽閉するために創造した。それは触れる者の魔法的能力を増幅し、プレインズウォーカーの次元渡りを禁ずる。あの悪しきプレインズウォーカーを封じる完璧な牢獄! 我は不滅の太陽を創造すべく、灯を捧げた。牢獄の鍵、あらゆる定命への我が最高の賜物である」
「そこまでして閉じ込めたい悪ってのは何なんだ?」
「全多元宇宙にとって脅威となる悪しき存在。当然、我らが計画は完璧であった。だが我が友は失敗した」
「『我ら』? お前は別の誰かとこれを作ったのか?」
アゾールは唸った。「我が友と。計画が首尾よく進んだなら、灯を取り戻す助力となる筈であった、だがそれは――」
「つまりお前の友達とやらは不滅の太陽を作る手伝いだけして、お前を見捨てたのか?」 ヴラスカははっきりと言い、この少し風変りな、そして明らかに不機嫌なスフィンクスから必死に詳細な情報を引き出そうとした。
「あの者は彼方の次元で寄せ餌となり、我は不滅の太陽にて神聖術を強化し、その敵をここイクサランへ召喚する手筈であった。だが不滅の太陽を起動せよという合図が来ることはなかった。同輩の運命はわからぬ」 アゾールは尾をひらめかせて言った。「計画は千年以上前に立てられ、それから百年程して我はイクサランへやって来た。あの者は失敗したのだ。何が起こったのかはわからぬ、だが我が遂行は完璧であった――」
ヴラスカは近くの窓から身を投げ出したい衝動をこらえた。こいつはこの次元に、千年も居座ってたのか。
アゾールは独白を続けた。「不滅の太陽で何をしようという気はなかった。それは我が友の失敗を語るもの。そのため我はこの次元に統治の賜物を与えた。イクサランは不滅の太陽を所持する者が支配する。当初、我は東方トレゾンの修道院へと与えた。だが彼らはそれに値せず、我は不滅の太陽を取り戻して他へ与えた。太陽帝国は値せず、川守りもオラーズカを覚醒させたことから、値せぬとわかった。相応しきは我のみ、そしてこの機構を理想的なものに完成させるべく努めねばならぬのだ」
ヴラスカは大きく身振りをした。「お前が起こした問題で他を責めるのかよ!」
「これは計画なのだ! 今の私は多元宇宙を揺るぎないものにする尽力を続けられぬ、であればここで続けるのみ――イクサランを修復するのみ!」
ヴラスカはアゾールを睨み付けた。「何でお前が起こした問題が見えないんだよ!」
その激昂にスフィンクスはひるんだ。アゾールは両耳を後ろにたたみ、眉をひそめた。
「欠陥は機構ではなく民にある」 冷静な返答。
「イクサランはこの数世紀ずっと、お前のお節介のせいで混乱してるんだよ」 ヴラスカは吐き捨てた。
「私はこの次元を修復し――」
「この次元は壊れてなんていない!」ヴラスカは叫んだ。
アゾールは咆哮し、翼を広げ、彼女へと飛びかかった。
ジェイスは自身とヴラスカに不可視の覆いを張った。二人は身を翻してスフィンクスの攻撃をかわし、ヴラスカは剣を抜くとアゾールの後ろ脚を長く切りつけた。
スフィンクスは痛みに吼えながら着地し、翼で周囲を乱暴に払った。「姿を現せ!」 アゾールは命令し、ジェイスが迷彩を取り払うのをヴラスカは感じた。
ジェイスの両目が魔力に輝いた。彼が心の障壁を伸ばしてアゾールの精神を操作し、スフィンクスの頭へと貫くような頭痛を送り込んでいるのがわかった。
アゾールは喘いだ。
ジェイスは息を止めてヴラスカを見た。『大丈夫ですか?』
『ああ』 彼女は返答した。『けど、またやられる前に石にしてやりたいね』
『死には値しません』 ジェイスは断言した。
ヴラスカは彼を重々しく見た。『罰には値するよ』
彼女はジェイスと並んで歩み出ると、スフィンクスを見下ろした。「お前はずっと、自分が問題だと思ったことに干渉してきた。お前のものじゃない次元に、お前のものじゃない物事に」
「我は法の調停者――」
ジェイスが拳を握りしめると、アゾールは苦痛にうめいた。
「話を聞くんです!」 ジェイスは低い声を上げた。
スフィンクスは頭をもたげようと奮闘したが、ジェイスの呪文によって酷くふらついた。
「不滅の太陽は、この次元で何百年も紛争を引き起こしてるんだよ」 ヴラスカは顔をしかめ、だが熱く続けた。「薄暮の軍団に大陸を征服させた。太陽帝国と川守りに全面戦争を起こさせた。お前が作ったものがこの次元の均衡を乱してるってのに、お前はその責任を負おうとしない」
ヴラスカはアゾールの隣に膝をついた。「お前のせいで、この次元で戦争が起こってる。私がラヴニカでいわれなく苦しんだ牢獄も、私らが服従させられたのも、元を辿ればお前がやったことなんだ」
彼女は更に近寄り、囁き、両目が黄金に輝いた。「罰を受けろ。指導者が責任を放棄するな」
「......船長」 ジェイスが背後から割って入った。その声は穏やかで落ち着いていた。
ヴラスカは彼を振り返った。
ジェイスの表情は読めず、視線は定かでなく、口は堅く閉ざされていた。
「それは、俺の役目だと思います」 落ち着いた言葉。
その意図が読めず、ヴラスカは瞬きをした。「お前が罰したいのか?」
彼は視線を返した。ヴラスカはその顔に不安の気配を、そして決意がよぎるのを見つめた。ジェイスは頷いた。「ラヴニカのために行動するのは、俺の責務です」
ヴラスカは理解した。
「わかった」 彼女はそう言って脇によけ、見守った。
ジェイスが近寄ると、役が代わった。まるで舞台上の演者が台本を交換したかのように。勝者は囚人に、助手は裁判官に。ギルドパクトの体現はアゾリウスの創設者を見つめ、告げた。その知啓と真剣さは、ヴラスカがよく知るジェイスのそれだった。
「ギルドパクトの体現はラヴニカのギルド間の均衡を維持します。アゾリウス評議会創設者、アゾール。貴方はラヴニカに留まるべき存在でありながら、私の居住地だけでなく他の無数の次元へと不和をもたらしています」
ヴラスカはじっと立ち、聞き入った。アゾールは震え、子猫のように怯えていた。戦うことはできたのかもしれない、その場でジェイスへと組みつくこともできたのかもしれない。だがもっと底深い魔法が機能していた。ヴラスカが見ることも理解することもできない強力な神聖術が、スフィンクスを阻止していた。ジェイスが告げる判決はアゾールの動きを止め、彼は目を大きく見開いてその宣告に聞き入った。一方で、ジェイスはアゾールを威圧しようとはしなかった。物理的に支配しようとも、脅そうともしていなかった。その物腰は穏やかで整然とし、目を離さずにいた。それは謙虚そのもの、決して願ったことなどない力を受け入れる行動だった。
ジェイスは続けた。「貴方のものでない地を我がもののように統治しようとしただけでなく、その行動の結果を顧みることもしなかった。イクサランは危機にあり、ラヴニカは貴方の手を離れれば不安定になるだけだった。無数の世界が、貴方の故意の介入に苦しんでいる可能性があります。意図が何だったとしても、貴方はその選択がどう影響するかを理解しようとしなかった」
アゾールは痛みの中、口を滑らせた。「我らが意図は、ニコル・ボーラスを幽閉すること――」
ヴラスカは驚き、唖然とした。
ジェイスを一瞥すると、彼も驚きに凍り付いているようだった。理解に両目を大きく見開き、目の前の宙で指が止まっていた。
その表情は、あの川岸で見たジェイスのそれだった。目は白く、唇は震えていた。
短い映像が彼女の心に走った。
《全知》(Amonkhet Invocations 版) アート:Josh Hass |
ヴラスカは震えた。彼は今まさにニコル・ボーラスを思い出したのだ。そう、知っているのだ。
「アゾールさん......それが何者か、貴方の認識を見せてもらって良いですか?」 ジェイスは尋ねた。他の者からすればその問いは奇妙、もしくは言い間違いだと思うかもしれない。だがそれはテレパスの言い回しだった。ヴラスカの心臓が早鐘をうった。
ジェイスの要求をスフィンクスは熟考し、唇を震わせた。「構わぬ」
ジェイスは目を閉じた。ヴラスカが見つめる中、彼はその感覚をアゾールの心へと穏やかに注入した。彼はアルハマレットの教えを思い出したのだと実感し、ヴラスカは訝しんだ。スフィンクスの心を剥くというのはどんな感じなのだろうか。
ジェイスはヴラスカを一瞥した。彼の両目は魔力に輝き、だが額には混乱と恐怖から皺が刻まれていた。見たものが何であろうと、それは悪い知らせだということが彼女にはわかった。
「感謝します、アゾールさん」 彼はそう言って立ち上がり、少しの時間をとって気を落ち着かせて、見たばかりの物証について考えた。数秒後、彼は震える溜息を吐き出した。
眉をひそめ、顔をしかめたままジェイスは続けた。「貴方の意図は立派なものでした。ですが不滅の太陽がイクサランへともたらした影響は破壊的なものでした。貴方と不滅の太陽はこの次元の均衡を脅かす存在です」
不意に、青い魔力が奇妙なもやとなってスフィンクスの頭部へ流れ、同じように素早く消えた。
ジェイスは一歩下がった。両目の魔力は消え、そしてギルドパクトの威厳をもって告げた。その言葉にヴラスカは首筋に寒気が走るのを感じた。彼の地位がどれほどの力を持つのかを初めて実感した。
「貴方は、役立たず島の主にして管理人となります。今後その島から離れることと、定命の文明へと干渉することを禁じます。ここに不滅の太陽を置いて去るように。ギルドパクトの体現者として、命じます」
ラヴニカの魔術が詠唱され、ジェイスの言葉に力を与えてアゾリウスの創設者を包んだ。ヴラスカは彼の声に、馴染みない法魔術が強く響いているのを感じた。
アゾールは瞬きをした。ヴラスカはこの会合の間ずっと維持していた石化の魔力を揉み消した。
アゾールは王座の間の幅ほどもある翼を広げた。そしてそれを羽ばたかせ、宙へ舞い上がり、ヴラスカとジェイスが入ってきた扉から言葉なく飛び去った。
その影が彼方の梢の上に去り、そしてアゾールは姿を消した。
ヴラスカは不滅の太陽を見上げた。今、これをどのような存在として見れば良いだろう?
「何でニコル・ボーラスは、プレインズウォーカーを閉じ込めるアーティファクトを欲しがるんだ?」 彼女は怖れを抑えて尋ねた。
ジェイスは口を固く閉ざしたまま、戦慄とともに彼女を見た。
「ヴラスカさん」 その声は震えていた。「貴女の雇い主が何者か、知って下さい」
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