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ストーリー

Magic Story -未踏世界の物語-

真夜中に

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真夜中に

Alison Luhrs / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori

2016年11月30日


 前回の物語:領事府の思惑

 改革派の台頭を抑えるべく、ギラプール領事府は都市の発明家からあらゆる未登録の装置を強制的に押収した。エネルギー源の入手は徹底的に制限され、そして夜間外出禁止令が公布された。

 霊基体の社交士にして博愛主義者ヤヘンニは、まもなく死を迎えようとしていた。その時に共に過ごす者を心から求め、ヤヘンニは消灯後に無人の街路へとさまよい出た。あらゆる霊基体が必ず行うであろう一つのものを求めて......臨終のパーティーを。



アート:Jonas De Ro

 死ぬ時には、誰かに傍にいて欲しい。肩であったものを一つに留めてくれる手を。私が存在し、そして存在しなくなったという事実を見届けてくれる誰かを。優しい囁き声を。「大丈夫だ、心配はいらない。ヤヘンニ、心が決まったなら、行くんだ」 そんな誰かを。誰でも。

 それで死ぬことになるとしても、誰かを探したかった。

 辺りは暗く、速接会地区の軒下をよろめき歩いているのは私だけだった。大通りは無人で、露店は閉鎖されて放棄されていた。私の身体から発散される光が唯一の明かりだった。発明家はおらず(緊急法令#89-A)、霊気もなく(同#89-B)、私はまるで酔っ払った猫猿のようにここで無駄に誰かを探し求めていた――死を祝してくれる誰かを。私は自分の館にあまりに長く閉じこめられており、そして緊急法令#89-Cが公布されたことで、私に会いに来る者は誰もいなくなった。

 この街路で一つだけ存在を感じた。飢えたグレムリンが一匹、私の左に駐車されている車の下に横たわり、夜の中に瞳孔を開いて腹部は飢えに凹んでいた。それはこの二十分間ずっと私をつけてきていた。私は目をそむけた。私もそいつも、死の匂いを放っている。

 あらゆる霊基体が直前パーティーを楽しむが、この数日は誰も何も祝ってなどいなかった。

 私は左手の甲が霊気の雲へと消散するのを感じた。緊張を和らげる穏やかな発散。残る身体も同じように消えられればと願った。とても楽なことだろう。

 私は潰れた配達用霊気装置の破片につまずいた。足の一部がそこに残された。あのグレムリンが駆け寄り、霊気装置の殻に残された私の貧弱な一片にむさぼりついた。霊基体の間にはありふれた警告がある。グレムリンは狩りはしない、だが快く待つのだと。

 私はよろめいた。残された時間は十五分。

 生命を得る前の私は何だったのだろう? 導管の中を浮いて無限の時を過ごしていた? 霊気として都市を動かしていた? グレムリンを太らせていた? 死んだなら、どんな平凡な永遠が待っているのか――

 その考えは即座に私を打った。列車が静かな衝撃とともに到着した。

 私は独りで死につつある。

 狂乱から私は更に早足でよろめいた。どこへ向かうのかもわからなかった。感覚を開くと(それは、実に奇妙なことだが、今までにない程に鋭かった――壊死のおかげとは!)人々が自宅に隠れ潜んでいるのを感じられた。その誰もが不安の酸味を発していた。まばらに、そして閉じこもって。最高の不夜城であった地区は板を打ちつけられ、明かりを消し、都市全体に発せられた夜間外出禁止令に従って固く閉ざされてしまっていた。この街路に響くのは、何らかの集まりらしきものをよろめき探す私の足音だけだった。どんな法令も私の生得権を奪えはしない。最後の祝祭を。それで死ぬことになろうとも。

 振り返ってグレムリンを見ると、それは飢えた目で私を見つめ返した。私は狂乱に襲われた。

 それは現実になりつつある。私は独りで死につつある。

 独りで死ぬ。

 独りで。

 形を留めている方の手を建物の壁につけて平衡を保ち、私は足を速めた。皮膚は私の形を緩く留めていた......まとわりつく煙の粒子と崩れる灰で私は姿を保っていた。足を止めて感覚に集中した。遠くに感じたのは湿った羊毛の絶望、鉱物の苦味の決心、タマリンドの溌剌――

 待て! あのタマリンドは!

 その共感的な香りへと私は向かった。数区画先だった。


 歳を経るに従い、残された寿命が次第に正確にわかるようになっていった。きっと内臓や有機組織を持つ者らが空腹や体調不良や排泄の必要性を感じるようなものだろう。生後数週間の頃、自分の寿命は四年程だと知っていた。一歳の頃には三年と一か月だと。そして少し前には、正確に二十二日だと。今、残された時間は十二分。それを知っている、恐ろしいことに。

 タマリンドの香りが強まってきた。前方に発明博物館の壁が見えた。ここ数週間に渡って壁は何十枚もの領事府の旗で覆われていたが、建物の正面の旗は切り裂かれて壁が見えていた。その場所に......何かがあった。そこへ向かうと、暗闇の中、星明りでかすかに光っている真新しい絵を見つけた。


気ままな芸術家》 アート:Viktor Titov

 それは改革派の象徴――領事府の象徴を逆さにして、底から迸り出る入念な線を加えたもの。彼らはそれを漏霊塔と呼んでいる。霊気が人々へと返されるようにという、希望の象徴。

 道の先に、その落書きを仕上げている一人の人間がいた。

 心が歓喜に震えた――あの者を知っている! ニブド、我が最高の宴会係!

 ああ、ニブド。何ということだ! 発明博覧会前のパーティー以来、彼を目にしていなかった! 贅沢な立食、心尽くしの馳走......ニブドに料理できないものなどない。私は直前パーティーに彼を呼ぼうと......

 悲嘆の波が私を襲った。この通り、私は自身の直前パーティーを中止せねばならなかった。自分の直前パーティーを。

「ニブド!」 私は近くから叫ぶように囁いた。ニブドは驚きに飛び上がり、目を見開いて私を見た。その顔は汚れ、手首からは即席の肉切り装置が下げられていた。嬉しかった。何だあの姿は、街のごろつきではないか!

 彼は指を唇に当て、静かにするよう促した。騒ぐのは後だ。私は息を切らしてよろめき近づいた。あと七分。ニブドに近づくと両脚が参った。声がうわずった。話すことすら困難で、だがとても重要だった。最後に会う相手となるかもしれない、そして、謝るべき時だった。

「ヤヘンニ様? まさか?」 彼は素早く最後の仕上げを加えながら尋ねてきた。そして私の傍の地面に膝をついた。

「ヤヘンニだった者だ」 惨めな冗談だった。「公的な義務を果たす君に会えて嬉しい」

「そのお体は――」

「もう長くない。ニブド......謝りたいことがある」

「謝っていただくことなど......」

 苦悶の波がまたも私を襲った。残された時間はあまりに僅かだ。言葉すら限られている。私はニブドの肩に手を置いた。

「すまなかった......中止する......もう一日もないが......パーティーを......」

「......本気ですか?」

 身体が衰弱と憤慨に震えた。「私はもう死ぬのだ! 本気に決まっているだろう!」

「ご冗談を――」

「中止に対しては礼を尽くそう」

 突然、私達の空間に感情的な悪臭が乱入してきた。

「動くな!」 威圧的な声が曲がり角の先から響いた。

 何故感じられなかったのだろう? 領事府の屈強な執行官が(「名誉の砦」の者だ、畜生!) 武力用自動機械を伴って博物館の角から現れた。それらの目はニブドを見据えていた。「器物破損と破壊容疑により逮捕する!」


アート:Joseph Meehan

 ニブドは駆け出そうとしたが、その執行官は肩から一体の装置を投げつけた。近くの柵から四つの球体が降りてきて青く眩しいエネルギーの火花を放った。ニブドは悲鳴を上げ、身体を掴み、倒れた。

「ニブド!」

 突然のざわめく感情が漏れ出た。私の身体が――ニブドの身体が?――刺すように痛み、心には刺激臭の恐怖が満ちた。我が友の焦げた衣服からは物質的な煙が上がった。この共感に私は死んでしまうかもしれない、友の(私自身の?)恐怖のもや越しに、かすかにそう考えた。

 私の叫びを無視し、領事府の執行官は歩いてくるとニブドの傍に立った。私は執行官とその心の匂いをとらえた。その存在はまるで深い裂け目の淵に立っているかのようだった。突然の欠乏感。我が友を(ギラプール最高の宴会係だ、無礼な事を)威圧するように立つ執行官、その存在は枯れた井戸で、弑逆性と輝く真鍮のかすかな匂いだけで満たされていた。私に走る力はもはや無く、感覚は友が抱く恐怖に溺れていた。

 暗い好奇心で温められた真鍮の匂い。吐けるのであれば吐きたいと思った。この者の心の悪臭を地面に吐き出し、私の内を清められればと思った。

 ニブドがわずかに身動きするのを見た。そして執行官は再びエネルギーの装置をぶつけた。

 何もかもが恐怖の匂いと病的な喜びで満ち、そして私は何もできなかった。

 ニブドは動こうとした。

 助けてくれる者はいない。ここにいるのは私達だけだった。

 執行官は再び装置を起動した。危険な霊気が鮮やかな光とともに弧を描いて我が友の身体へと向かった。ニブドは完全に動かなくなった。

「彼を追いて去れ」 私は弱々しく言い放った。

 その執行官は動かなかった。暗くて見えなかったが、物憂げな笑みを浮かべたのはわかった。そして意識のない身体を再び打った。

「やめろ! 殺す気か!」

 残った力を振り絞り、私はその執行官へ迫ろうとしたが、地面に崩れた。死はすぐそこに迫っていた(あと三分だ)。執行官は振り返って私を見下ろした。手一つほど離れて私は煙り、崩れ、ばらばらになろうとしていた。

 執行官は膝をついて私と目を合わせた。私から放たれる霊気の輝きが、その冷酷な表情を下から照らし出し、虚ろな笑みの表面を歪めていた。「あのヤヘンニ......か? 報告書で見た顔だ」 私は震えた。「改革派の目的に賛同する六人を探している。一人はあのピア・ナラーの娘だ」

 眩暈を感じた。その娘に会った......名前は、チャンドラ、だったか? ほんの数週間前だ。短期間でそこまで領事府の注意を引くとは、彼女とニッサ嬢は何を成したのだろう?

 執行官は立ち上がるとあざ笑った。「知っている事を話せ。でなければこの下郎の命はないかもな」 そしてニブドの動かない身体を蹴った。

 私は総毛立った。

 そしてもうひと蹴り。「おねんね中のこの改革派はお前の何だ、死にかけさんよ?」

 最期の力の一片を引き出し、私は立ち上がった。残った片足は震え、右手は怒りに痛んだ。その領事府執行官と目を合わせ、死の息とともに囁いた――

「我が宴会係だ」


アート:Jason A. Engle

 考えもなく、二の足を踏むこともなく、心によぎる罪悪感を気にもせず、私は右手で掴みかかるとその執行官の首から「引いた」。生命力の眩しい光がその皮膚から漏れ出て、私の手に流れていった。

 領事府の執行官は悲鳴を上げ、そして私は限りない高揚感と、全く同等の苦痛の波に襲われた。

 それと共に弾けるものに、私は叫ばずにはいられなかった。執行官が感じる全てを私も感じた。死にゆく、それは私が死にゆくようで、痛く、惨めで、私は殺す側でありながら殺される側だった。

 執行官の悲鳴の中、ほんの数瞬前にそれが発していた執念深い残酷さを思い出した。

 自分が生き延びるには、これを終わらせねばならなかった。

 永遠にも続くような七秒の後、私は手を放し、領事府執行官は地面に倒れた。その死体はニブドの意識のない身体の隣に横たわった。

 私の全てが疼いていた。狂乱した苦痛の後、不安の泡が内から昇ってきた。何故こんなにも痛むのだろう? 何故この悪しき執行官が死にゆく全ての感覚を私も感じたのだろう? 初めて生命を吸収した時には命の喜びだけがあった。何故これはこんなにも違うのだろう?

 その答えは鉛のように私の心に居座った。初めて生命力を吸収した相手は、人ではなかった。今日、私は一人の人物を殺したのだ。

 ......私は、殺人者となったのだ。

 その考えはどこか他人事のようだった。私の肉体に起こったことに陰ってしまっていた。身体が奇妙に......満たされていた。喜ばしくも確固としていた。両手があった。両足があった。まっすぐに背を伸ばして立っていた。隙間は埋まり、皮膚は少しだけ完全に感じられた。緊急性は収まった。私は......完全なのか? そう思うのか? そして、どれほどの寿命が残されているかを量った。

 満十二日。

 おお。

 数分間を十二日間に伸ばしたのだ、一人の生命を糧に。生き延びるために必要なことをした。自分の生命を守るために殺した。違うか?

 雑音に私は我に返った。感覚を伸ばすと人々が素早くこちらへ向かってくるのを感じた――支援部隊が音を聞きつけたに違いなかった。私はニブドの身体を持ち上げると近くにあった無人の露店の中へと安全に隠した。壁に隠れ、私の心は思考から思考へとよろめいた。

 死ななくても済むとしたら? これが心から求めていた解決策だとしたら? 乗り出せばいい。心穏やかに、気にかけることなく、受け入れればいい。生き延びるために殺す、できれば悪しき人々を。

 ......だが生き延びるためにそう定めたなら、私自身も死に値する人物となる。

 弱音が密かに漏れた。

 弱くあってはならない。たった今、死の必然性を逃れる方法を見つけたわけではない。私はこの悪しき列車が到着し、私を乗せていくのを待つことに飽きたのだ。

 十二日! 十二日もあれば、どれほど多くのことができるか!

 だがこの十二日間で何かを成すのであれば、誇りを持って隣で戦える者を見つけねばならない。彼らと共に動き、悪しき者らを殺すのであれば、仲間も私の罪を否定してくれるだろうか?

 その欺瞞は心地良いものだった。心は決まった。改革派を見つけ出さねば。ある犯罪者の娘を。あの果てのない瞳をしたエルフの娘を。

 この街で、彼女らの隠れ処を私よりも知っていそうな者が一人だけいる。

 ゴンティだ。



豪華の王、ゴンティ》 アート:Daarken

 意識のないニブドを私の館へかくまった後、執行官を避け、路地に潜み、階段を降りて一時間がかりであの悪名高い犯罪王ゴンティの住居へと辿り着いた。我々霊基体は必要性から見栄を張るが、ゴンティの虚栄は天井知らずだった。

 我が些細な名声のお陰で(有名になりたくば、裕福になってその殆どを不幸な経歴の人々へと寄付し、それを告知すればばいい)、私は多くの争いなく隠れ処に通された。この住居は外見こそ倉庫に偽装しているが、実質的には宮殿だった。ゴンティに会いたいと言うと扉の警備員は頷き、中へ入ることを許してくれた。

 歩きながら、私はこの場所の圧倒的な豪奢さに唖然とせずにはいられなかった。執着的と言えるほどで、だが正直に言えばここまで大がかりな浪費はある種尊敬すべきものだった。絢爛豪華な盗品でその住居は満ちていた。幻惑的な金線細工、惜しげもなく金をつぎ込んだ装飾。広大な玄関に入るとその隅には重厚な机が置かれており、私とそれの間には長毛の絨毯が広げられて幾つもの豪奢な寝椅子が置かれていた。その寝椅子にくつろいでいるのは近頃の改革派と、犯罪組織の古株が混じっていた。彼らは茶を口にしながら秘密を交換し、その間にも目は広間を進む私を追っていた。その間ずっと、一体の自動機械が食事を届けて客人らの世話をしていた。夜間外出禁止令の間に閉じ込められるなら、成程ここ以上の場所はないだろう。

 私は玄関に入り、点在するならず者とろくでなし達を過ぎ、華麗な両開きの扉を通り抜けた。その部屋には牧歌的な楽園といった絵が壁一面に描かれていた――葉を茂らせた木々、曲がりくねった小川、そして大導路の天井画が私を見下ろしていた。きらめく檻が壁に並べられ、中には小さな構築愛玩動物がいた。近くの敷物の上では機械の狐と金線の鹿が陽気に跳ねていた。ううむ。この風変りな内装は明らかに私好みではない。どうやっても嫌な気分を隠せない時もある。次の両開きの扉の先では軽業師らが天井から吊るされて、目もくらむばかりの姿勢を披露していた。その次の扉には最高の霊気香油が果てしなく並んでいた。それらを繋ぐ廊下にも棚が列を成し、大量生産品の印のない装置がきらめいていた。全てが秘密、全てが盗品、全てが領事府の熱心な手から安全に守られていた。

 この気前のよい迷路の果てに、曇り硝子の扉が一枚あった。横に立つ警備員は中に入るよう促した。その通りにすると、漂う蒸気が私を洗い、そして広く深い温水のプールが目の前にあった。ジャスミンの霊気香油のような香りの浴槽。壁は叩き出しの銅で、私の姿が無限に映し出されていた。そして私自身と、目の前の温水に浸かる霊基体の輝きがぼんやりと重なっていた。

 ゴンティは温水に浸かって座り、その顔は金線の仮面をまとっていた。胸の中央には金属の不思議な塊が入れられていた。


アート:Vincent Proce

 妙だった。それを見ることになるとは思わなかった。

 ゴンティは共感的な驚きを放って素早く立ち上がり、私の心はうねった。我々の種族にその習慣はない......だがこれは入浴に間違いなかった。窃盗霊気の薄く透き通る輝きへの入浴。長い一日を終えた後で浴槽に浸かり、自分を構成する物質の中で力を抜くというのはどのような気分だろうか。素晴らしいには違いない、更に十本以上の霊気香油がもたらす一時的な寿命延長......身体全体に。ゴンティは裕福なわけだ。このような習慣を持ち続けるには、犯罪組織からの多くの資金が必要に違いない。

 私が独り熟考していると、ゴンティは絶妙に柔らかそうな黒色のローブを身にまとった。

 健康的な霊基体同士の会話というのは、肉体を持つ者から見れば速いものだろうと思う。互いが何をどう考えているのか、先天的な感情理解が議論を導く。費やされるのは僅かな時間、そしてその言葉は散文的なものだ。詩文というのは口にできないことを説明する必要がある人々のためのものだ。

 ゴンティはローブを直し、首を傾げた。

「罪の匂いだな。実に臭い」

 何ということだ。うまく隠せていると思っていた。正直に明かすべきということか。「領事府に追い詰められました。その結果です」

 ゴンティが私を連れてきたのは、先程過ぎてきた毛長の絨毯と寝椅子の広間よりはもっと個人用らしき部屋だった。彼は私自身の感情的な状態を観察し、私はそれを察した。私は好奇心を抱き、追及すべきものか否かを推し量っている。一瞬にして、ゴンティの感情が軽蔑の側へと傾くのを感じた。「お前が保護を求めているなら提供はできん。凡才もがらくたも時間を食うだけだ」

「私達両方にとって有用となりそうなものを探しております」 熱心さを押し出して私は言った。

 ゴンティは興味を抱いた。そして部屋を横切り、美しい彫像の前に置かれた大きな寝椅子へとやって来た。その背後の台に置かれた芸術品は空そのものでできているように見えた。その価値はどれほどものか、知りたいとは思わなかった。ゴンティはその印象的な芸術品の前の寝椅子に腰を下ろした。

 表面上、ゴンティの匂いにあるのは苛立ち、少々の憤慨、だがその下の基礎には自暴自棄があった。酸っぱい不安感。その匂いはかすかな恐怖で終わっていた。

 彼の列車もまた到着しているに違いない。その輝く新しい心臓がどのように機能するのだろうか?

 私はためらいがちの丁寧さを発した。悪戯的なコリアンダーのかすかな香り。

「反逆者を探しているのか?」 ゴンティが尋ねてきた。

「チャンドラ・ナラーとピア・ナラーという人間を」

 霊基体には嘘つきの才能のある者がいる。ゴンティは表面的な感情を読まれぬよう、草生した二律背反のオーラを発した。私を信用していない証拠だった。私は親愛の情とスミレの微風で返答した。「彼女らを助けられたなら、互いにとっても有用な筈です。それに......」

 私は身を乗り出し、外の警備兵に聞こえないよう声を落として続けた。

「彼女らの隠れ場所を教えて頂けましたら、その人工心臓については私の心の内に留めておきます。領事府に詮索されたい類のものではないでしょう」

 草生した二律背反は不安を帯びた酸っぱい胡椒と、愚かな警備兵へのかすかな失望へと蒸発した。

 私は嫉妬の下層流とともに圧倒的な信頼をまとった。ゴンティは頷きと、キマメの香りを放つ自己満足で応えた。

 私が押し出したその嫉妬を合図にゴンティは察した。彼が今、私の皮膚を量っているのを感じた。領事府の報告書で見た私の姿と比較し、どれほどの皮膚が残っているのかを。そして私が何をしたのかを把握し、ゴンティは突然の驚きを爆発させた。

「生命吸収能力者は稀だ。配下にもいたがこれまでに二人だけだ。どうやってわかった?」

「自分で、です。私達全員が自分の心臓を作れるほど幸運ではありません」

 嘘に聞こえたとしても構わなかった。あれは生後四週間の時だった。ドワーフの友人がパーティーへとハイエナを連れてきて......私はそれを撫でて、そしてそれは起こった(間違いなく、あれは偶発的な事故だった。デパラ嬢もそれを理解し、構わないと赦してくれた)。

「勿体ぶるな、ヤヘンニ。どんな気分だったのだ?」

 私ははっとした。執行官との出来事の後、デパラのペットは例外だったと今や私は理解している。一人の人物を殺すというのは全く別物だった。一つの存在のように、その死を感じた。だが同時に、人生を変えるであろう人物へと誰かを紹介する時に似ているとも思った。星空の下で友人達が何時間も踊るように。仕事仲間が取引を交わすように。心から欲した贈り物を私から受け取った若き研究者の、豊かな薔薇の昂揚と感謝に溢れたシナモンの輝きのように。未来の恋人たちが、混み合った部屋で互いを目にして稲妻に打たれるように。

 それはまるで、その全てのようで......そして同時に、比類なき苦しみのようにも感じた。自分の誕生の衝撃。愛するペットを私によって不意に殺されたデパラ嬢の悲鳴。ほとんどの者が生涯に得る以上の金額を一夜にして失った我が商会。共同生活を営む壁越しに共感し経験する、隣人らの憂鬱。死を理解できない若さへの悲嘆。何故ファーラルが、ヴェディが、ドリーティが、ナジムが、我が霊基体の家族が皆、死んでいくのかを――

 二秒間の物思いはあざ笑いに遮られた。「罪の匂いがする訳だ」 ゴンティは窘めるように言った。

「私の身体は関係ない話です」

 私は魅惑的な喜びに当たった。蜂蜜とカシューナッツ――私をそのように風味豊かに考えるのか。

「また殺したいと思うなら、我らが都市の役に立つかもしれぬな。外出禁止令と霊気制限で、我が従業員は仕事の続行能力を著しく妨げられている。無論どうにかしてやるが、領事府の強制的夜間外出禁止令と個人資産の押収が我らが都市の頸木だという事実に変わりはない。ギラプールは力を結集して動く改革派を必要としている。ナラーの居場所は教えよう、その者らと改革派に伝えるがいい。その隠れ処に領事府を送り込むと」

 私は背筋を伸ばした。「何故です?!」

 威圧的かつ攻撃的な沈香。「その者らは行動に移させる必要がある。領事府に対抗させるために警告して来い。奴等が先に攻撃するならば、我が配下も多くが死なずに済む」

 私は静かな応諾で答えた。取引が上手くなければ犯罪王になどなれない。

「ナラーの娘とその連れは彫像庭園の中の隠れ処で見つかるだろう。安全ではないと伝えろ。怯えさせ、行動させろ。お前は今や怪物だ、すなわち脅すことは第二の天性だ。そいつらから吸わぬよう気をつけろ、ヤヘンニ」

 この会話全ては二分間で終わった。



アート:Kirsten Zirngibl

 翌日私はその隠れ処を見つけるべく、固い意志をもって彫像庭園へと歩いて向かった。日中に動くのは夜に隠れ潜むよりもたやすく、だがそれでも領事府の存在は息詰まるものだった。誰も街路に長居はせず、人々は普段よりも足早に急いでいた。自宅から彫像庭園への道は慌ただしくも静かだった。もしもチャンドラ嬢とニッサ嬢(と連れの者ら)が領事府を怒らせる十分な行動をしてきたのであれば、彼女らの力になる価値は間違いなくある。残る日々を有用に費やせるかもしれない。

 彫像庭園はアラダラ駅近くの広大な樹木園だ。優雅に刻まれた金属製の巨大な彫像が二十体以上も歩道に並び、それぞれがギラプールの最も有名な発明家を称えている。不朽の名声を与えられた発明家の伝統はまさにアラダラ一家から始まった――母と息子が力を合わせ、霊気推進式列車を完成させた。この場所に彫像を得るというのは一人の発明家が達成しうる最高の栄誉だ。霊気ブーム直後に列車を発明したアラダラ一家、そして彼らの背後近くには霊気精製過程を発見した者らの彫像が立っている。偶然にも我らが種族の創造をもたらした人々の顔へ薄い雲越しの陽光が輝く様を見つめながら、私は奇妙にも感動に襲われた。

 奇妙なものだった。終わりの日が近づいて以来、私の感覚は十倍にも増加していた。感情の満ち干きはまるで美術館の中を歩いているようだった。質素に並べられた芸術品、そして遠くからもたやすく見ることができる。私はその感覚を用いて友人らの隠れ場所を探そうとした。あるヴィダルケンの発明家の巨大な彫像の上から、不安と頼りなさの揺らめきを感じた。間違いない。

 私は何気ないふうを装ってその彫像へと近づき、背後の梯子を上りはじめた。実に巨大だった。働いていた頃、これほど巨大なものを作ったことはなかった、ふとそう思った。

 金属音。私は凍り付いた。警備用に転用された自動機械が一体、庭園から駅へと向かいながら監視を行っていた。愚かで無感情のがらくたの塊が霊気の私を怖がらせるとは。その機械が私を察知していないことを確信し、上り続けた。

 その間にも身体の内を確認した。残り十一日。生命を盗むごとにどれほどの時が得られるのだろう? 領事府の者からに限れば安全だろうか? この全てが終わったなら、十分な善行を成す時間はあるのだろうか?

 不意に、耐えがたい身体の痛みに打たれた。その力に私は手を放しかけたが、頂上の昇降口はもう近かった。すぐ上から声がした。

「脳のない何かが梯子を上ってきている」

 失敬な。

 その声の人物は石に降り注ぐ雨のようで、そして答えのない数多の疑問を抱いていた。「こんな心は読んだことがない......君達二人を知っているようだけど」 どうやら男性のようで、上の仕切りの中で私には見えない誰かと喋っているようだった。何かの痛みが私の進行を止めた。

「いいから入口を開けなさいよ!」 女性の声。この......マリーゴールドは......?

 雨に濡れた石と好奇心の者が続けた。「犯罪王から送り込まれた者らしい」

「話を聞いてみるのがいいと思う」 知っている! このネロリの香りはニッサ嬢だ!!

「ニッサさん! 私です、ヤヘンニです!」 私はその男性が向ける何かの痛みをこらえて叫んだ。

 頭上で取っ組み合いの音がした。身体の痛みは消え、雨の匂いの声が再び聞こえた。「チャンドラ、その人を入れてくれ」

「ヤヘンニさん!」 昇降口が開きかけると同時にチャンドラ嬢が叫び、私を引き入れた。彫像上の内部空間は奇妙なほどに広かった。隅には五つの仕切りが立てられ、床にはクッションが積まれて間に合わせの寝台となっていた。隅には鞄一杯の装置が置かれ、そして木製の杖が立てかけられていた。

 見慣れぬ人物が更に見慣れぬ外套をまとい、中に入る私をじっと見つめた。その心は好奇心にざわついていた。身なりは良いが非常に詮索好き、私は積極的にそう判断した。

 私は小さく手を振った。「ごきげんよう。ニッサさん、チャンドラさん」

 そのエルフは微笑んだ。彼女は私の記憶そのままに、実に魅力的だった。チャンドラ嬢は近くに立ち、手を振り返した。「どうも、ヤヘンニさん。この前はありがと」

「こちらこそありがとうございました。お母様に再会できたとお聞きしましたが」

「うん、解放できた。今は別の改革派と会いに行ってるの」

 私はかぶりを振った。「あのテゼレットという者とやり合うなどとは。あれは酷い人物です」

「あいつはただの道具よ」 チャンドラ嬢が吐き捨てるように言った。

「私の前では言葉遣いを気にしなくとも構いませんよ。お母様には言いませんので」 チャンドラ嬢はようやく微笑んだ。

 彼女の背後にはもう二人の人間がいた――黒いドレスの女性が(襟飾りは毛皮だろうか? 何と野蛮な。誰があのようなデザインを?)寛いで、だが苛立って椅子に座っている。そして筋骨逞しくもみあげの濃い男性が壁の隙間から外を見張っていた。

「この人はヤヘンニさん。信頼できる人よ」 チャンドラ嬢が私を紹介してくれた。私は喜ばしい誇りとともに顔を上げた。「ヤヘンニさん、こいつはジェイス。こっちがリリアナ。で、隅にいるあの男がギデオン」

「不思議なお友達が沢山いらっしゃるのですね」 私はおどけて言った。

「私達が変だと思うなら、大っきな猫を見たならどう思うかな」

「......猫?」

「今はパースリーさんと一緒に食料品の補給に行ってます」 ニッサ嬢が率直に言った。

「なるほど」

 いや、そうではない。

 私は話を変えた。「時間がありません。ここから離れて下さい。領事府がここに向かってきています。逃げなければいけません」

 その部屋のエネルギーが警戒心で満たされた。四人の人間と一人のエルフが全員、素早く互いの顔を見合わせた。警戒の中にも、彼らの匂いに怖れはなかった。心構えだけがあった。

「ここに来るのなら、戦う準備をしないと」 ニッサ嬢が毅然と言った。

「こちらから打って出るかどうかを決めるべきだ」 ジェイス氏が続けた。

「テゼレットも一緒かもしれないわ」 黒いドレスの女性は苦々しく言った。

 私は断固とした口調で返答した。「皆さんの勝てる類の戦いではありません」

 一団の雰囲気はただちに分かれた。クミンの香りの決断。内心の苛立ちと不満。不安な、だが確信した腐乱死体(待て、それは何だ?)。

「どうして犯罪王はあなたをここへ?」 ジェイスという名の男が私に尋ねた。

 何故それを?「ゴンティはこの都市で私よりも隠れ場所を知る唯一の人物です。そのため皆さんの居場所を探すべく彼のもとへ赴きました。私も改革派に賛同します、そして皆さんを見つけられればと思いました」

 一団の緊張感は晴れなかった。方針を変える必要がありそうだ。

「私の館でしたら安全です。警備も万全ですので皆さん全員が気付かれることはありません。今夜ご案内しましょう、そうすればそこからの行動について話し合えます。ゴンティも領事府も、皆さんが私と行くことは知らない筈です」

「ヤヘンニさんは信用できるわ」 強い確信とともにニッサ嬢が言った。

 他の者らは素早く視線を交わした。ギデオン氏が頷くと、他の者は荷物をまとめ始めた。黒いドレスの女性は寝台から音もなく立ち、私を見上げた。

「あなたのお家には五つ以上の寝室があるのかしら?」 彼女はそう尋ねた。この女性は湿った表土と見事なほどに健全な自意識の匂いがした。

「七つでは下りませんよ」 私はそう返答した。彼女は認めて頷き、片手を差し出した。

「お会いできて嬉しく思います、ヤヘンニさん」

「お役に立てますように」 私はその手を握った。

 私は共感的にこの彫像区画の周囲に感覚を伸ばした。

「私が最初に降ります。ついて来て下さい」

 昇降口を開け、私は梯子を下りた。他の皆が続くのを感じた。

 風が私のケープをむち打った。昨日の不調の中(吸収する前だ)、死装束として選んだものだった。盗んだばかりの生命が身体に流れているのを自覚し、感傷的な気分になった。ほろ苦い喜びで温かくなった。どのみち、私はこのケープを再びまとうのだ。

 地上までの距離は長かった。彫像庭園は静かだった。いつもここに巣を作る鳥もおらず、歩道を満たす人混みもなかった。

 発明家達の影が不気味に思えた。梯子を下りながら、遠くに偉大な霊基体の発明家ラジュール氏の彫像の輪郭が見えた。非有機的存在への医療技術の開拓者。ラジュール氏は一つの発想を残していた。当代でも最も高名な者の隣に立つことは、常に安心をくれた。霊基体という私達の種族が、私達を生み出したこの街と切り離されて扱われなかった事に私は感謝している。偉大なるラジュール氏の巨大な彫像は、私達が属するものの確固たる肯定だった。彼はただここの他の発明家と同じことを成した......それを、二歳の時に。

 地面までまもなくという所で、頭上の皆が議論しながら降りてくるのを感じた。だが別の感覚が不意に遠くから鈍い雑音を察して私は顔を上げた。梯子をしっかりと掴み、その雑音が何処から来たのかを探った。

 感傷は恐怖へと変わった。

 エンジンの咆哮が急速に近づいてきていた。領事府の車が一台、角を曲がって庭園を横切り、我々の彫像へと近づいてくるのが見えた。私は警戒に身を硬くした。その機体は歩道を逸れて草の上を通ってきた。どういう事だ? 外出禁止の時間はまだだ。危険はない筈だ!

 ゴンティが既に執行官をけしかけたのでなければ。もしそうなら、真にまずいことになる。車の速度と進行方向から、ゴンティが全くもって待たなかったことは痛いほどに明白だった。領事府はこの梯子へとまっすぐに向かってきていた。

 地面に降りたなら、領事府の車から逃げるなど明らかに不可能だ。

 とはいえ戻ったなら、彫像の中に閉じ込められることになる。

 道徳的選択肢を推し量る余裕はなかった。

 車は彫像の梯子を目指していた(その執行官は私達を叩き落す気か?)。

 私は身体全体の向きを変え、足の狙いをつけ、左手で横木を掴んだ(一体私は何をしているのだ)。

 これは悪い考えだ(最悪の考えだ――運動らしきものなど何らやった事はない筈だ)

 右手を構えると、今や馴染みある引力を掌に感じた(彼らが死ぬのを感じるだろう、感じるのだろう。だが他の選択肢は、ない)。

 そして飛び降りた。着地した場所は機体のボンネットだった。


アート:Lius Lasahido

 数秒の苦悶。

 数秒の恍惚。

 彼らの苦痛は私の苦痛、私の昂揚は私だけのもの、まるで溺れているようだった。

 かなりの努力を必要としたが、この時は大声で叫ぶことはなかった。

 車上で執行官が死亡すると、機体は私達の彫像からそれた。

 私は身を丸め、車から転がり出た。

 別の記念碑に衝突する音があった。

 一瞬。私は生きているか? 生きている。生きている、そして一日に二人を殺した。そんな私を皆は何と――

 おお。

 今や私には二十二日の寿命がある。

 驚いた。忌まわしかった。もはや自分が何なのかも定かでなかった。

「ヤヘンニさん! どうしたの、大丈夫!?」 マリーゴールドの女性の声が近くからあった。全員降りてきたのだろう。振り返ると人間が三人とエルフが一人、驚きと心配とともに私を見つめていた。その間に紫色のドレスの女性がいかにしてか、踵の高いその靴で優雅に梯子を下りてきた。

 その機体は近くの別の彫像の横で潰れていた。私が殺した執行官は哀れにその脇にぶら下がり動かなかった。私の手が震えだした。そして心の端で実感した、この人々は今の出来事に全く驚いてすらいないのだと。何でもないのだと。彼らはもっと悪いものを見てきたのだと。

 私は叫びたかった。

 泣きたかった。

 帰りたかった。

「大丈夫です」 応えた私の声はかすれていた。

 一同は緊張を解いて荷物を手にとり、素早く気をとり直した。

 チャンドラ嬢は頷き、背を向け、確固として歩き出した。

 ニッサ嬢は彼女を見て、私を見て、そして私の身体を起こそうと駆けてきた。

 彼女はチャンドラ嬢が歩いてゆく方角を見た。「何処へ行けばいいのか、チャンドラはわかっていないと思う。ただ歩き出しただけ」

 私は立ち上がり、背筋を伸ばし、ケープの汚れを払った。

「ギデオン、チャンドラを呼んでくれる?」 ニッサ嬢がその柔らかな口調でギデオン氏へと尋ねた。

 彼は手を口に当てて叫んだ。「そっちじゃないぞ、チャンドラ!」

 遠くの赤毛が立ち止まり、回れ右をして私達へと向かってきた。私はニッサ嬢がわずかに目を閉じて、チャンドラ嬢が歩いていた正反対を指差すのを見ていた。

「ヤヘンニさんの家はあっち、そうチャンドラに伝えて。ジェイスはアジャニとピアさんとパースリーさんに新しい場所を伝えて」 彼女は普段通りの様子で言った。ギデオン氏は頷き、他の皆へとそれを知らせるべく歩き去った。

 私はニッサ嬢とともに残された。

 彼女はやすやすと私を引き上げ、心配そうに私を見た。「怪我をしたんですか?」

「いえ、身体はどこも」

 心は......と言いたいのか? 私は治しえない傷を感じた。ニッサ嬢は柔らかな共感とともに私を見つめた......だがその心配の下には小さな驚きの残り火があり、そしてそれを無意識化で踏み消すのを感じた。私が誰かを殺して動揺するような人物ではない、認識の水面下で彼女はそう思っていたのだろうか......?

 親身な銅の香り。懸念に彼女の眉が歪んだ。

「何か、力になれませんか」

 肩をすくめたかった。だがそうはせず、沈黙の苦痛のままに私は立っていた。私が感じた残り火は、ニッサ嬢自身の共感の洪水に消された。同情に両肩を起こし、彼女は私に向き直った。「ヤヘンニさん、苦しんできたんですね」

 彼女は目を閉じた。

 遠くに、音のない歌を感じた。足元の何処かから、エネルギーの流れが優しく上がってきた――ニッサ嬢がこれを? そして私の肩の近くのどこかに繋がった。自分を形作った都市の活気が私を通ってゆく、心地良い喜ばしい流れを感じた。傷を癒しはしないが、楽にしてくれる。私が、もっと小さな全体の一部であることを思い出させてくれるもの。

「ニッサさん、私は今日二人を殺しました。他に手段はありませんでした。彼らがまず私を殺そうとしたのです。私は――」 声がかすれた。「もう命を吸いたくはありません。そうすると、私は感じるのです......全てを」

 そのエルフから私の肩へと流れる暖かなエネルギーは愛おしかった。私はすすり泣きをこらえた。

「私は何と矮小な者か、そうお考えでしょう」 彼女よりも、自分自身に向けて言った。「殺人者の家を隠れ処に使いたいと思いますか?」

「友達ですから」 彼女は優雅にそう言った。静かな、だが彼女のまとう雰囲気は、一羽の鳥が種を選ぶようだった。試している。触れて。決めて、そして降り立つ。

 慈悲深いネロリが私達の間を満たした。私は言葉を切り、ニッサ嬢が言わんとしていることを察知しようとした。

 ......彼女もまた過ちを犯していたのだ。

 歩いてくる四人の人間を見た。善き人々。あるいは彼らにもそれぞれの後悔があるのだろう。

 穏やかなエネルギーは私の肩を温め続けた。彼女の優しさは私の心に花を咲かせ、そしてはっきりと理解した。ここにいる皆、私と同じなのだ。

 私はきっとまた誰かを殺すことになるのだろう、彼らが義務感から誰かを傷つけることになるように。だが彼らは、改革派らは......最後には、傷つけた以上に誰かを助ける。私達が苦しむのは必然、だがこの異邦人達のように、私もまたこの世界に悪以上の善を成す素晴らしい力を持っている。そのために動き、見返りとして素晴らしい感情を得られるならば、どうだろうか?

 将来の死を思う。

 残された寿命は二十二日。

 その二十二日で、とても多くのことができる。何と素晴らしい人生だろうか。

 ニッサ嬢の存在は、橙の花が咲く梢のようだった。

「ありがとう、ニッサさん」

「どういたしまして、ヤヘンニさん」

 私は皆へ顔を向け、手を振った。エネルギーの甘く小さな川が足元の大地へ戻るのを感じた。「私の家はこちらです」


『カラデシュ』 物語アーカイブ

プレインズウォーカー略歴:チャンドラ・ナラー

プレインズウォーカー略歴:ニッサ・レヴェイン

プレインズウォーカー略歴:リリアナ・ヴェス

プレインズウォーカー略歴:ジェイス・ベレレン

プレインズウォーカー略歴:ギデオン・ジュラ

次元概略:カラデシュ

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