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Magic Story -未踏世界の物語-
復讐作戦
復讐作戦
Ari Levitch / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2016年7月6日
前回の物語:イニストラード最後の希望
千年を経た遺恨。今、機は熟す。
ソリンにとって、それは先祖代々の故郷を歪められたこと。アヴァシンの破棄。エムラクールの到来。
ナヒリにとって、それは友の裏切り。獄庫に捕われた千年間。不在の間に荒廃したゼンディカー。
古のプレインズウォーカー二人の決闘を、次元そのものが感じ取る。
手掛かり・トークン アート:Cliff Childs |
彼らはその女性を先触れと呼んだ。その呼び名は間違っていなかった。彼女がイニストラードで計画を進める中、狂人と狂信者達は数を増しながら彼女の後に続き、この場所へやって来た。彼らはその身をナヒリへと捧げていた。この破滅に向かうしかない世界で価値あるものはただ一つ、彼女の復讐だと信じて。
何百人もの狂信者の物憂げで支離滅裂な詠唱が広間に響き渡る中、彼女はその吸血鬼の顔を凝視した。醜悪な存在。唇の端を歪め、見るも恐ろしい、尖って無慈悲な牙を見せつけていた。二つの目、墨溜めに泳ぐ琥珀の欠片が彼女を、もしくはその先を睨み返した。ナヒリに言えることは、この血吸いは豪奢に装っており、そして、周囲の何十もの同類と同じく、壁に埋め込まれて死んでいるということだった。その全員が死んでいた。彼女の手によって。
マルコフ荘園、この場所が憎らしかった。この次元の多くと同じく、ソリンの匂いを放っていた。砕かれ、よじられ、形を変えられようとも、彼女がそうしても、この場所が放つ彼の雰囲気を清めるには足りなかった。だがここに彼女はいた。準備は成され、その成果を確認せねばならなかった。
それは複雑な作業、復讐、だがナヒリにはそれを考える千年の時間があった。
千年。
それは復讐を練るに十分な時間だった。あらゆる角度、あらゆる深さから展開し、調整し、再び展開する、全てが上手くはまるまで――一つの計画となるまで。
そして今、マルコフ荘園の節くれ立った骨の中を歩きながら、彼女は自身にわずかな笑みを許した。何もかもが完全に位置についた、自分がそこにはめた――ソリン以外の全てが。そして彼もまもなくここにやって来ると思われた。
この時は一つ、特別なものを持ってきていた。彼女に対峙すべくソリンが軍を動かしているという知らせが届いて以来集めていたものを。そう、彼女には狂信者がいるが、復讐においては感傷を抱く余裕などない。
最初に到着したソリンの軍勢は旗手だった。磨かれた板金鎧に身を包む吸血鬼騎士が、黒い木の棹の先に年代物の布を掲げていた。その背後、荘園と向かい合う低い丘に何百という吸血鬼の軍勢が広がっていた。
アーチのかかる荘園入口から、ナヒリはその行進を見つめていた。吸血鬼軍の先頭にようやくソリンが現れた時、ナヒリは歯を食いしばった。ソリンは傍の吸血鬼に何かを言ったが、それが何かはナヒリにはわからなかった。
アート:Igor Kieryluk |
だが彼が何を言ったのかは問題ではなかった。この全てが今終わるのだから。剣を手に、ナヒリは日中の鈍い光の中へ、壊れた舗装路へ進み出て、ソリンを迎えた。
絶命した吸血鬼の華麗な胸当てから刃を引き抜くと、戦いの騒音を切り裂いて金属が悲鳴を上げた。その屍は彼女を緩い半円に取り囲んで横たわるものの一つに過ぎなかった。息を上げながら、彼女は命なき塊を跳び越え、新たな攻撃者の群れに対峙した。
あまりに多すぎた。
だが目指すは一人だけだった。
真紅の蒸気をなびかせながら、斧の黒い刃が振るわれた。ナヒリはそれが届かぬよう避け、右に入ってきた更にもう一人の攻撃者の喉を剣先で裂いた。自由な片手を下向きに押しつけると、彼女の目の前の地面が突然沈み、再びの攻撃を試みた斧は弧を描き、沈み込みの端をかすめた。その衝撃に石の破片が飛び、ナヒリはそれを魔力で受け止めると斧の持ち主の無防備な顔へと走らせた。
別の吸血鬼達が彼女を取り囲んだ。その一体、白づくめの板金鎧に身を包んだ女性が、中から進み出た。彼女は剣を低く構え、ナヒリが見るとその武器はねじれて螺旋を成す二本の刃で、一つの危険極まりない先端で一つになっていた。ナヒリから目を離すことなく、その吸血鬼は口を開いた。「逃げることは叶いませんよ」
ナヒリは顔を上げ、片眉を釣り上げた。「逃げる?」
白づくめの吸血鬼は続けた。「これが終わったなら、貴女の血を――」 だが大理石の梁が口の中に突っ込み、その異様な歯を粉みじんにすると彼女は静かになった。ナヒリは頭上に浮いたままの瓦礫からそれを引き抜いたのだった。お喋りは沢山だった。白ずくめの吸血鬼が床に倒れると、ナヒリは切り出したばかりの重い石を放ち、傍にいた数体の血吸いを玉突きにし、それらの頭蓋骨と胸骨を砕いた。それらが動かなくなると、血まみれの瓦礫は宙で回転し、赤い滴が四方八方に飛び散った。
ナヒリは手を休め、その匂いを拭った。自分を事前に疲労させるのがソリンの計画だとしたら、それは愚かな考えだ。獄庫での千年は人生数度に及ぶ休息に値した。対峙するまでに血吸い全員を始末することになるとしても、既に幸先は良かった。
彼はどこかにいる、それはわかっていた。周囲、記憶では館の大広間だったものの中で、乱戦が広がっていた。その部屋は今や吸血鬼と狂信者で埋め尽くされ、全員が陰惨な殺戮を繰り広げていた。彼女の視線はその混乱の中に素早く射られた、流れる白髪を見つけられればと、もしくは......
あの残酷な黄色の瞳を。そして鼓動一つ、うねる騒乱に飲み込まれる前にそれは彼女を凝視していた。
ナヒリの喉が唐突にかすれた。胸骨の中で心臓が高鳴り、千年分の怒りが湧き上がり、彼女はかろうじてその名を声に出した。「ソリン!」
ナヒリは傾いた石の床、その巨大な敷石の一つ一つに意志を触れ、鋭く引いた。両手を上に向けると、彼女の両脇には二枚の壁が平行に、床から十フィート程持ち上がった。石と石がこすれ、それが止まった時、殺戮の主戦場を切り裂いて広間を貫くように伸びて道らしきものとなった。彼女はその端に、ソリンはもう一方の端に立っていた。
二人の間には戦闘が薄く切り取られて伸びていた――吸血鬼の群れと少なくともその二倍の狂信者。全てが未だ戦いの中にもつれていた。吸血鬼の一体がナヒリに迫ったが、復讐がここまで近づいた今、そのような邪魔は無意味だった。彼女は指をひねり、石の槍が不意に床から飛び出した。それは武装したその血吸いの胸当ての上から腹部を、そして肩の磨かれた赤い鋼まで甲高い音とともに貫いた。吸血鬼はその場に崩れて石の軸にゆっくりと沈み、ナヒリは彼をまたいで進んだ。
「ソリン」 彼女は再び呼びかけた。その声は強く冷たかった、彼女が振るう石のように。そして更なる石の軸を弾けさせ、吸血鬼も狂信者も構わず貫きながら前方へ駆けた。まっすぐに、着実に。
そして、二人だけが残った。
最後にソリンに会った時、それは獄庫の孤独に貪られる前、彼女が世界で最後に見たものだった。今、十歩ほど離れて見つめる彼は記憶のままの姿で、とはいえ前回の遭遇で見せた弱々しさは無かった。彼は同じ鎧をまとい、だがそれは血の斑に汚れ、胸当てを飾る赤い宝石に残酷な輝きを加えていた。彼の剣もまたその殺戮の証拠を抱いていた。彼女がよく知るいつもの皮肉な笑みは無く、見たことのない厳しい皺を刻んでいた。彼がここまで苦々しい表情をしているというのは喜ばしく感じられた。
「こんな沢山のお友達を連れて来てくれて」 血まみれの杭二本の間から踏み出し、ナヒリは言った。「ですが、全員は来てくれませんでしたね」 アヴァシンについて言及すれば彼は苦しむと彼女はわかっていた。だが皮肉は返ってこなかった。ソリンはただ青白い手を掲げ、漆黒の煙のエネルギーが煙となって染み出した。その影の軌跡には死があった、ナヒリに向けられた死が。今の彼は感情を隠さず、そして正式な決闘などという詩心も何ら望んでいないということだった。ただ相手が死ねば良い。彼女はソリンがそこに立ったまま、その残酷な指を自分に向けて伸ばす様子を見つめた。
だがその指が触れることはなかった。不意に死の煙は千々に乱れて幾つかの方向に流れ、宙に不可視の輪郭をなぞった。ソリンが二発目の死魔術を放った瞬間、乱れた第一波がねじれた奇跡でその源へ戻り、高い唸り声を上げて直ちに激突した。ソリンは片膝をついて苦悶に唇を噛み、そして胸当ての間、見えざる傷から黒い蒸気が上がった。
「それが効くとお考えですか。私の事を何もわかっていないんですね」 死魔術の塊が再び術者を叩くとナヒリは言った。「魔法は力線に沿って流れます。力線は石を通っています。そして、ええ、私達両方とも、私がそれで何をできるか知っています。ですからソリン、是非ともその無益な技をもう一度試してごらんなさい」 今や彼女はソリンの周りを回っていた。「エムラクールをあなたの玄関口に連れてきました。それでも私がまだ子供だとお考えですか」
一瞬、どちらも無言だった。六千年以上の歴史が二人をここに導いた。ソリンの両目を見据え、彼も同じことを考えているのだろうかとナヒリは思った。自分達は友人同士、かつてそう信じていた。そして今......今、彼女は復讐を成そうとしている。やがて、ナヒリが口を開いた。「千年です、ソリン。あなたは私を千年間も閉じ込めた」
「それでもまだお前はここにいるのか」 ソリンは咳こみ、宙に黒い霧の渦巻を吐き出した。「帰るのだな」
「そうしました。ゼンディカーへ帰って、エルドラージに蹂躙されていたのを見ました。あなたの所為です」 彼女は剣を持ち上げ、ソリンの喉元へと突きつけた。「私と私の世界に償いなさい」
「ゼンディカーに巨人どもを捕えた時、お前も同意した筈だ。奴等の逃走はありうると」
「取引をしましたよね」 ナヒリは皮膚が熱くなるのを感じた。「もし奴等が逃げたなら、あなたとウギンは来ると。ですがあなたがたは何処にもいなかった。以前のように、三人一緒のはずでしたのに。ですが私だけでした。ずっと、私一人しかいませんでした」
「だからお前はこの次元に仕返しをしようというのか」
「私は牢番を続けました。そしてゼンディカーはもう二度と牢獄にはさせません。エルドラージは何処かへ行くでしょう。あなたのおかげで、簡単な決断になりました」
「ソリン、私はこの展開がとても気になるのですけれど」 上空から女性の声がした、音楽的で辛辣な。ナヒリが見上げると一体の吸血鬼がいた。優雅な黒の甲冑に身を包み、同じように着飾った十体以上の吸血鬼の先頭に浮いていた。兜はなく、そして青白い顔と鮮やかで豊かな赤毛が黒い金属に映えていた。優美な雰囲気を放ち、そしてソリンに近しい力をナヒリは認識した。この女は古の血統に連なる血吸いだった。
「だろうな、オリヴィア」 ソリンは片膝をついたまま言った。
オリヴィアは黒色の鋼を鍛え上げた優雅な剣でナヒリを示した。「この娘ですね。いただきますわよ」 同意を待つことなく、彼女はごく自然にナヒリへと挨拶した。「ソリンのどのような行動があなたの怒りを招いたのかはわかりませんが、彼がそれを受けるに値することは保証しますわ。ですが彼は私の助力も受けるに値しますので、あなたの復讐を見過ごすことはできません」
「ソリン、また別の守護天使ですか? ちょっと急ごしらえすぎると思いますよ」 ナヒリは言った。そして片手を振り払うと、目の前の敷石が赤熱を始めた。
オリヴィアは微笑んだ。「いい娘ですね、ソリン。そう言わざるを得ません。ですがそれはそれとして......」 彼女の合図で、吸血鬼達がナヒリに殺到した。
石術師の目の前の石は白熱し、そして血吸い達の手が届くよりも早く、彼女は融けた石の中へと命じ――四本の刃が現れた。彼女が振るうものと全く同一であり、石鍛冶術の魔力に脈打っていた。彼女は一本を握り、両手それぞれに剣を構えた。他は彼女の頭上に、まるで不死鳥の羽根のように浮いた。
アート:Chris Rahn |
「私の復讐を邪魔させはしません。私の権利です。ソリンは私のものです」
「忘れるな。私がお前を生かしたに過ぎない。獄庫は私からの特別の計らいだ」
「特別の計らい」 ナヒリは繰り返し、指を動かした。ソリンを粉々にしてやりたかった。「あれほど長く私を閉じ込めていた恐怖――あれは私のものになりました」
最後の言葉とともに、ナヒリは剣先を敷石の一つに沈めた。拳を握りしめ、そしてその武器が振動を始めた。その震えは床に反響し、広がるごとに強さを増していった。低い羽音だったものは轟音となって周囲の構造を震わせた。魔力の鮮やかな帯が速い脈動とともに両手から走り、剣を駆け下り、館全体に発散し、荘園のあらゆる石へと届いた。
数個の脈石が彼女を囲んで外向きに広がった、まるで星を描くように。
そして、荘園全体が傾いた。彼女とソリンを共に隔離した壁は落ち、建築全体からその広間が切り離されて回転を始めた。それとともに、まるで永き眠りから目覚めた古の神の関節のように、基礎が軋んだ。耳をつんざく音は耐えられないほどだった。
すぐに別の音がナヒリの聴覚に忍び寄った。広間の回転とともに、その音は増していった。狂信者の詠唱に似ていないこともない、方向性を持った耳障りな音だった。だがそれは人間に向けた音でも、人間が発した音でもなかった。
アーチのかかる入口も巨大な広間とともに動いており、荘園の門へと続く壊れた通路にはもはや繋がっていなかった。回転が止まった時、入口は特徴のない石壁の前に落ち着いていた。別世界的な音が大きくなった。石の軋みはなく、音が和らぐこともなく、彼女はそれを歯の根で感じた。だが潮時だった。ナヒリが魔力で触れると、壁の層が別々の方向へ滑り落ちた。
最後の層を宥めるまでもなく、爆発とともに瓦礫が弾け、そしてそれらが現れた。かつて人間や動物であった名残を僅かに残す、膨れてねじれた怪物の群れ。今やエムラクールのものとなり、そのエルドラージの巨人に触れられたことで姿形はねじれ、皮膚は筋ばってもつれた格子となってその上に伸びていた。
アート:Darek Zabrocki |
彼女はエムラクールの到来からこれらを集め、手製の獄庫に閉じ込めていた。それは古い友人への贈り物だった。
ナヒリはそれらが暗き牢獄から湧き出し、広間に群れを成して自分へと向かってくる様を見守った。だが彼女はひるまなかった。悪夢には慣れていた。彼らは迫り、そしてその恐怖の軍勢が衝突しようとした瞬間、彼女の前で分かれた。その怪物らにナヒリは見えなかった、脈石の環の中にいる彼女が。謎の石、彼女は狂信者達がそう表現するのを聞いていた。とはいえそれらは謎めいてなどいなかった。エルドラージはあらゆる世界にあるマナの流れ、力線を追う。六千年前にゼンディカーで成したように、ナヒリはそれらの石を作り上げてイニストラードの力線を意思のままに曲げた。この怪物達にとって、彼女は現実の中の空隙として受け取られていた。存在していないのだ。
だが吸血鬼達はそうではなかった。エルドラージは彼らに殺到し、そして従僕を引き連れた赤毛の吸血鬼はためらうことなく、怒り狂う仲間全員とともに怪物の群れへと向かった。
アート:Karl Kopinski |
ナヒリはその混乱から下がり、そして後退する一歩ごとに館の瓦礫が滑るように所定の位置に動き、間に合わせの階段を作っていった。それは荘園の高層部へと螺旋を描き、ナヒリも吸血鬼の刃と格子の肢が切り裂きむち打つ上空へ向かっていった。ソリンは仲間とともに自分を打ち倒すことを考えていたのだろうが、ナヒリは身構えていた。ソリンはその死魔術で自分を倒そうとしたが、ナヒリはそれにも身構えていた。
だが、ソリンの方では身構えていたのだろうか?
彼女はソリンの視線を感じた。そして眼下の騒乱の中にその姿を見つけた時、彼は見上げていた。血がその顎を流れ下り、手からは一人の狂信者が力なく垂れ下がっていた。彼が食事をする様を見るのは初めてではなかったが、だとしても、ここまで怪物らしく見えたことはなかった。そしてこの姿こそ真の彼だった。一体の怪物。
ソリンも階段を上り始めたが、その視線は彼女から離れることはなかった。彼はよじれた壁を稲妻のように駆け、宙に静止した瓦礫を越え、手にしたままの命なき狂信者は激しく振り回された。彼は狩りをする猫のように、敏捷で確かな足取りだった。館の天井に漂う残骸の中をナヒリが駆けている頃には、ソリンはすぐ背後に迫っていた。
だが何といっても、ナヒリはゼンディカーのコーだった。正確な地点から地点へと跳ぶことは第二の天性だった。彼女はまた石術師でもあり、無数の破片に砕かれて一面に散らばる支柱と尖塔と翼壁の中では、本領を発揮できた。彼女は重力に逆らって高く宙に浮かぶ壁の破片、そこに取り付けられた狭い窓台に立ち止まった。剣は頭上を回転して刃の冠となり、ここは自分の領域だと示した。ソリンがついて来ているかを見る時だった。
「さあ、ここで決着をつけましょう、誰にも邪魔されることなく」 ナヒリは下のソリンへと呼びかけた。彼は幅広の階段の踊り場に優雅に着地し、立ち上がった所だった。階段の残骸には赤く長い絨毯が今もしがみついたまま、まるで死んだ動物の舌のように何もない空間へと垂れ下がっていた。
「そんなに死にたいのか?」 ソリンは言った。「前回、私は極めて弱っていた。今回のお前はそこまで幸運ではないだろうな」 彼は狂信者の屍を、まるで湿った布のようにナヒリへと投げつけた。それが隣の石に叩きつけられると、死骸の中で何かが砕ける音がした。「そして私はお前を殺すことだけを考えている」
「私を怖がらせたいのですか?」
「まだそうでなければ、そのつもりだ」 彼の両目は純粋な、そして古よりの残酷さを帯びていた。
「決着がつくまでは帰りません、ソリン」
「悪い子だな。だがその点では同意見だ」
悪い子。何も言わず、ナヒリは片手に握った一本を残して剣を飛ばした。ソリンは素早く避け、剣の一本一本がその足元の石に深く突き刺さった。そして彼が体勢を立て直すよりも早く、ナヒリはその意志で踊り場の基礎を掴み、ひっくり返した。
一瞬、彼は掴まるだろうとナヒリは考えた。だがソリンの指は手がかりを掴めず、落下した。
だが重い赤絨毯がその動きとともに振れ、ナヒリはソリンの指が布地を掴むのを見た。そして不意に、彼は落ちるのではなく揺れた。
ナヒリは踊り場を構成する敷石を引き、完全な構造を解きほぐした。それが崩れ落ちる中、ソリンは手を放し、浮遊する梁へとその勢いのままに飛び移った。そして砕けた壁へ、次に宙に斜めに横たわる別の梁へと跳んだ。その全てが鼓動一つの内に繰り広げられ、ナヒリは彼の動きを追うのがやっとだった。
そして見失った。ソリンはあまりに素早く、下での動きを追うべく体勢を変えた時には彼は消えていた。
少しの間、彼女の両眼は激しく周囲を行き来し、あらゆる動きの兆候を探った。そして、銀の閃き一つがあり、ナヒリはかろうじて壁そのものの中に滑り込み、同時に耳をつんざく音とともにソリンの刃が跳ね返り、石の中にしばし反響していた。
石に包まれながら、ナヒリはソリンのくぐもった、だが毒に満ちた言葉を聞いた。「ナヒリ、ナヒリ、獄庫の中の時間は終わったのではないか? それでもお前は石の中が恋しいか」
そして大きなひび割れ音があり、熱い火かき棒のように苦痛が脇腹に走った。石は割れ始めていた。彼女はそれを、そして身体に刺さった鋼を感じた。削り取る音とともに刃が退き、だが再び攻撃が来るよりも早くナヒリは自ら壁の掌握を離れ、そして不意に、何もない宙を落下していた。熱い脇腹に触れると、その手は濡れた。
欄干の欠片が幾つか近づいてきた。それを掴もうとしたが、血に濡れた彼女の手は滑り、身体が弾んでまた落ちた。両眼が震え、世界が回転し、そして大きく開いた天井を横切る、巨大な尖塔の表面に激しく叩きつけられて彼女は止まった。
動ける程にまで体力を取り戻すと、ナヒリは足に力を込めてゆっくりと立ち上がり、尖塔の表面から突き出した石細工に背中を預けた。呼吸は荒く、血の味を感じながらも口内は乾いているような感覚だった。
目の前で靴音があり、視線を上げるとソリンが着地し、立ち上がった所だった。彼はナヒリへと進み出て傍に立ち、脅すように剣を掲げた。ちょうど千年前、彼が彼女を獄庫へ送り込んだ時のように。だが今回、獄庫はなかった。
「私を殺せた筈だったな、未熟者。だがその機会を手放した」 ソリンの言葉に満悦は無かった。それは師が弟子へと伝える教えだった。最後に授ける教えだった。
「そうかもしれません」 ナヒリは言った、むしろ自身に向けて。彼女の剣は力なく手からぶら下がり、剣先は地面に触れていた。身体の内から苦痛が広がった。自由な手で傷を押さえ、そして震えるそれを彼女は一瞥した。
これほどの血が。
だから、もう少し。彼女は深呼吸をし、口を開いた。「ここで何が起ころうとも、私がここから去っても去らなくても、私の勝ちです、ソリン。周りを見て下さい」 荘園全体を示すように、ナヒリは弱々しく手を振った。「気を付けてよく見て下さい、あなたが所有を主張するものに、私が何をしたか」 彼女は自身の左方向を指差した。遥か遠く、スレイベンの都市、エムラクール。「今回、あなたのお気に入りの天使は助けに来ませんよ」
ソリンの剣がひらめき、ナヒリの剣を虚空へと叩き落とした。「お前は私からアヴァシンを奪った。私はお前から血を奪おう」 筋肉を強張らせるよりも早く、彼女はソリンの歯が首筋を裂くのを感じた。身体の血が全て流れを変えた。ソリンはそれを自身の内へと呼び込み、それは彼女の血管の中で燃えていた。彼は貪欲に飲み、そしてナヒリはこの瞬間を待っていた。
彼女は背中から石の中に身を傾げ、そしてそれは両脇で広がって彼女の願いに答えた。心拍の一つ一つが激痛だったが、彼女はそれを押して囁いた。「ソリン、私は噛みつき返せます。あなたよりも大きな歯で」
二人を取り囲むように石が轟き、そして尖った石の牙が列を成し、ソリンを両脚から肋骨まで裂いた。剣が手から落ち、そして苦悶の悲鳴が彼の唇から弾け出た。ナヒリは身体を押しやるように離れて固い石を抜け、ソリンだけがその中に残された。石は握り締めるように彼を押しつけ、内部から圧迫した。ナヒリが作業を終えた時、ソリンは宙に浮いたまま、彼女の術に掴まれていた。ここから次元を渡ることは不可能だった。石の歯は彼の内部を噛み、この場所を去るための集中が叶わないよう絶え間ない苦痛を与え続けていた。
そしてナヒリはソリンを石ごと回転させ、マルコフ荘園の下に広がる緩やかな平原に対峙させた。ナヒリは石の繭に登り、ソリンは言葉を発そうとしたがそれは理解不能な水音にしかならなかった。彼が何を言おうとも問題ではなかった。自分の言葉を聞かせられれば良かった。片手で石の先端を掴み、ナヒリは降りてソリンの耳に囁いた。「あなたを生かしました。『特別の計らい』のお返しです」
アート:Cynthia Sheppard |
遠くに、湧き上がる雲の天蓋の下に、エムラクールがいた。
そして次の瞬間、ナヒリはソリンを世界の運命に託し、イニストラードから去った。
地平線はエムラクールだった。ソリンにできる事は何もなかった。イニストラードの終末が緩やかにガヴォニーを横切り、スレイベンへ向かう様を見守るしかなかった。その下に住まう人々は今や問題にもならないが、イニストラードは彼のものであり、スレイベンはアヴァシンを創造して守護させた場所だった。その破滅の瀬戸際を見つめながら、彼の内部を噛み砕く石術の歯よりも心が酷く痛んだ。
それを耳にするよりも僅かに早く、ソリンは感じた――石に金属が当たる音、石棺の背後を底から上へと動く、長くゆっくりとしたこすれ音。
「良い一振りですわね、もしかしたら私のものよりも」 嘲りに満ちた声がした。そしてオリヴィアが降りてくると、その先の混乱を彼の視界から遮った。彼女はソリンの剣を持っていた。
「オリヴィア」 ソリンは歯を食いしばって言った。「出してくれ」
「それができたとしても、何故です? アヴァシンは死にました。ナヒリさんは去りました。私達の取引も終わりました」 彼女は残酷にほくそ笑んだ。「これは勝利と呼べますね。どうぞ楽しんで下さいませ。何と言いましてもマルコフ荘園はあなたのものですから。私としては」 そしてソリンの剣を掲げ、その刃を吟味した。「『イニストラードの君主オリヴィア』、良い響きですこと」
絶望がうねり、彼が保持していた忍耐の最後の一片は不意に投げ捨てられた。この世界は終わった。オリヴィアは彼の唯一の脱出手段だった。「見ろ!」 頑固な石の中で身体を強張らせ、ソリンは言った。オリヴィアは肩越しに振り返ったが、何も言わなかった。ソリンは続けた。「見ただろう。あれが来るんだ! あの娘がやった事を見ただろう、あの娘に何ができるかを」 今や彼は早口でまくし立て、その声はかすれていた。「あれとやり合うには私の力が必要になるぞ!」
そう喋る自分を見るオリヴィアの様子は嫌なものだった。彼女は一匹の蜘蛛、そして彼は蠅だった。「話を聞け! 明日無くなるかもしれないものに何の意味がある!」 彼は再び説得を試みた。
「アヴァシンは死にました。そしてあなたは」 ソリン自身の剣先を彼の頬に押し付け、オリヴィアは言った。「あなたのいるべき所に。とても快適だと思いますわよ」 そしてオリヴィアは視界から消えた。エムラクールとそれが約束する終末が再び視界を満たし、ソリンはそれを見つめていることしかできなかった。
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