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Magic Story -未踏世界の物語-
この荒廃に生を受けて
この荒廃に生を受けて
Ken Troop / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2016年1月13日
前回の物語:再生
ゼンディカー最期の時が近づいている。悪魔のプレインズウォーカー、オブ・ニクシリスの策謀がエルドラージの巨人ウラモグを虜囚から解き放ち、同じく巨人コジレックまでもゼンディカーの地中深くから呼び起こした。二体の巨人は今や無数の落とし子らとともに大地を蹂躙しており、エルドラージを止めようと懸命に動いたプレインズウォーカー達は――ギデオン、ニッサ、ジェイス、キオーラ、そしてチャンドラは――打ち負かされるか、行方知れずとなった。
ギデオンの軍の残党は人間の兵士タズリの手に残った。彼女はかつてのゼンディカー軍司令官ヴォリクの右腕として仕え、そしてギデオンをも同様に支えていた。タズリは勇敢で忠義深い兵ではあるが、それでも異邦人のギデオン・ジュラが成し得たようにゼンディカー人を鼓舞できずにいた。今、並び立つエルドラージにゼンディカーは蹂躙され、タズリの手の内には消えそうなほどに小さな勝機しか残されていない。
失う物などないのなら、希望が裏切られることはない。その思考は何年もの間タズリの慰めとなっていた、特にエルドラージが覚醒してからは。長く緩やかな敗北の中、逆転も惨事も全て悲嘆することなく受け入れられた。勝てると思ったことのない戦いの中に、苦しむ所があるだろうか?
だが彼女はギデオンを数に入れていなかった。ほんの数分前、タズリと彼女の軍勢はギデオンが不可能を可能にする様を驚嘆とともに見ていた。ウラモグ、破壊の巨神は今や束縛され封じられた。私達は、本当に勝ったというの? それはこの長い年月の中で喜ばしい感情に最も近いと言えるものだった。ヴォリクは正しかった。私ではなくギデオンを選んだことは。その考えは苦痛だったが、今もなお彼女は自分達の前に広がる新たな、ありそうもなかった未来に麻痺していた。勝てる。ゼンディカーは生き残れる。ギデオンは皆に勝利を成し遂げさせた。
コジレックが覚醒するまでは。ペテン師の神が最大級の欺瞞を放つまでは。あれはタズリが希望を知るのを待ってから、全てを破壊した。
《連結面晶体構造》 アート:Richard Wright |
コジレックの到来とともに、ウラモグは解放された。両巨人は今や放たれ、ゼンディカー軍の只中を荒れ狂っている。戦略的にではなく反射的に、タズリは崩壊する海門から兵士たちを呼び集めて脱出させた。ここにいては死ぬ。あらゆる準備、あらゆる勝利と犠牲、兵士達が自身に語り聞かせた希望と救済の物語、その全てが今や彼らが骨身にしみて知る純然な真実へと零落した。終わりは常に、お前が思うよりも速く、血に塗れている。コジレックが覚醒し、その足跡に多くの凄まじい終わりが続いた。
海門外の乾ききった坂を遁走しながら、兵士達は惨状と恐怖の中、最低限の統制らしきものをどうにか保ち続けた。軍を再編し計画を練るべく、タズリは内陸の森深い丘陵地帯へと彼らを向かわせた。エルドラージの軍勢が今も空と陸から彼らを追いかけていたが、生き続けるための最大の脅威は、海門に放たれた二体の巨人だった。
背後で巨大な轟きがあった。タズリと兵達は振り返り、その轟きが知らせるものを見た。コジレックの聳え立つ黒曜石の姿が地平線を満たしていた。ありえないほどに巨大に、その巨人は空から光を食らっていた。ごく僅かでもそれを直接目にすることは苦痛を伴い、勇敢にもそうした者の目の奥へと鋭く突く痛みをもたらした。コジレックは彼らへと向かう角度で歩いており、数百フィートの距離をかすめるだろうと判断してタズリは安堵した。
《大いなる歪み、コジレック》 アート:Aleksi Briclot |
だがコジレックが地平線上を動くと、ゆらめく――『何か』の――波が大地に広がった。脈打つような、半透明の波が巨人からあらゆる方位へと発せられた。その波は彼らへと殺到し、衝突してもタズリには悲鳴を上げる余裕すらなかった。
時間が遅くなった。狂気が花開いた。ロモエの皮膚が裏返り、身体そのものも裏返るとその両脇で皮膚が裂けて細かく千切れ、慈悲深い死の寸前に悲鳴が一瞬だけ上がった。その波がマーゲンを過ぎると、彼は目に見えて若くなり、若者へと変化し、子供へと、赤子へと、そして小さな塵へと化して消えた、その全てが僅か数秒の出来事だった。デビンスは背を向けて逃走し、そして突然彼の左半身が消失した。彼の半身は剪断され、何か不可視の力で地面へと平らな四角形に押し潰されていた。むき出しの大地に血の汚れが残っていた。右半身は自由に宙へと浮かび、もはや地面にも現実にも繋がれていないようだった。空高くへと浮かび上がりながらも、潰れていない半分の顔には心からの驚きと恐怖が残されていた。
《現実の流出》 アート:Chris Rallis |
その波がタズリを打った。首周りの天使の輪が黄金の熱に輝いた。時間が、先程は遅くなった時間が、今回は、伸びた。過去と未来の出来事が、行動が、心にちらつき、形を成し、彼女の、今となった。これまでの人生全てが、ちらつき、ちらついて現実と化した。未来の人生までも全てが、ちらつき、ちらついて現実と化した。時と空間が更に伸び、張りつめた。切れた。現実が停止した。
――ちらつき――
「止まれ!」 タズリは片手を挙げ、すると隊商の荷車は轟音とともに停止した。護衛達は皆、西の丘に旋回する鴉を目撃していた。マーヒアは前進しろと言うだろうが、タズリは何かがおかしいと感じた。彼は大切な積荷が遅れるようなら声を上げる、金を払っているのだから。マーヒアは天幕付きの荷車の中から覆いを上げたが、彼女の顔を見ると溜息をついてそのまま覆いを落とした。彼女にとってマーヒアの隊商との旅はこれで七度目であり、護衛隊長となってからは三度目だった。とはいえ彼女は二十歳にも達していなかった。彼がこれまで雇った中で最年少であり、とはいえ無論彼女にそれは伝えていなかった。だが何にせよ彼女は知っていた。そして何かがおかしい時には速度を緩め、注意を払うことを知っていた。
「ゴラミン、リーレム、それぞれ北と南に馬で走って。もし何か妙な事があったら角笛で知らせて、すぐに戻ってきて。戦おうとはしないで。何かがおかしい。ロモエは私と一緒に」 彼らは頷き、ゴラミンは小道を北へ、リーレムは南へとそれぞれ馬を向けた。マーヒアの荷車を動かしていたのは、名もなき双子の護衛の片割れだった。タズリは双子を見分けることができた試しはなく、そうでなくとも二人は彼女の言語を話せなかった。そのため彼女はただ東の高い崖を指差し、見渡す身振りをした。双子の両方とも十分明晰とは言えなかったが、それで意図は伝わったと彼女は思った。彼女は隊商の御者達へと、角笛を持って身構えるよう念を押した。そして自身の馬で西へと向かい、ロモエは彼女のすぐ後ろについた。
通常、タジーム中原の旅は容易なものだった。マーフォークは大体が交流を避け、吸血鬼はグール・ドラズから出てタジームの沿岸を略奪するが、この内陸深くまでは滅多にやって来ない。旅のこの行程で起こる数少ない刺激は通常、暴れるベイロスかもしくは地面に縦穴が開いて落ちることだった。だが鴉達は何か興奮することが起こっていると、もしくは既に起こったと知っていた。タズリは胃袋の酸味を無視して前進した。
《鋭い突端》 アート:Jonas De Ro |
大きな丘陵を一つ越えて平坦な草原に出ると、彼らは最初の屍に遭遇した。それは縦真二つに分断されていた。吸血鬼の死骸以外の何物でもなかった。屍の各半分の端はぎざぎざに焦げていた。剣、大きな剣、そして恐らくは炎。吸血鬼ともう一方と、その戦いにどちらが勝って欲しかったのかはタズリにはわからなかった。
周囲には更に多くの屍があった。タズリとロモエは乗騎を降り、とはいえ手綱は確保したままでいた。馬は怯えていた。吸血鬼の屍がもう五体、とはいえその死に様は先程よりは暴力的ではなかった。粗い切断面の肉を焦がした真二つの屍ではなく、それらの死因は単に首を切られたこと、もしくは失血だった。タズリは一度だけ吸血鬼と戦ったことがあったが、それが四対一でなかったら容易に死んでいただろう。吸血鬼は自分よりも素早く、強く、吐き気がするほど簡単に殺す。炎の剣で六体の吸血鬼を倒せる存在が何かはともかく、彼女はそれと戦いたいとは思わなかった。
彼らは女性の声が奇妙な旋律を鳴らすのを聞き、そして声の主を目撃した。小高い岩の露頭に一人の天使が横たわっており、その身体は半ば変質しよじれていた。片側の羽根は二枚とも完全にむしり取られ、もう片側は折り曲げられ引き裂かれていた。大量の血とわずかな白色の輝きが脇腹から噴き出していた。辺りは血まみれだった。腕と上半身には噛み跡や深い切り傷があり、首筋からは更に多くの血が漏れ出ていた。側には吸血鬼がもう三体死んでおり、一体はその胸を大剣に貫かれ、もう一体は首をほとんどねじ切られていた。その天使は彼らへと顔を向けた。彼女はそこかしこを蹂躙されていながらも、その光輪は今も美しい、光沢のある黄金色に輝いていた。
天使は咳き込み、血と、更に白い輝きを息から胸へと飛び散らせた。まだ生きているの? タズリはこれまでに天使を近くで見つめたことはなく、気絶するような静寂の中にその美と力を認めた。
「助けて......助けて、下さい、ますか」 天使はかすかな一語一語をたどたどしく発しながら、それは更なる咳を、更なる血をもたらし、死をたぐり寄せていた。タズリは、その若い人生の中で何度となく友を殺し、友の死を見てきた彼女が、戦いの中で涙を零したことなどなかった彼女が、声を上げて泣き始めた。
「私達の中に治療師はいません」 マーヒアはそのような高額なものに決して散財しない。「動かしても? ご自身で治癒できますか?」 馬鹿げた質問だとタズリはわかっていたが、九体もの吸血鬼を何者かが殺したという考えも馬鹿げていた。一体の天使にそんなことが可能だと誰が思うだろうか?
天使はかぶりを振った。「私は......死ぬでしょう。数日......中に。助けて下さい」 その天使はタズリが脇に下げた、今も鞘に収められた剣を見つめた。そんな。やめて!
「もし耐えられるのでしたら、私達は助けを探しに行けます、海門か珊瑚兜まで戻って、助けてくれる人を......」 一度、二度、三度、角笛が遠くで鳴り響いた。やめて!
「タズリ...... 」ロモエの声が彼女の意識を引き戻した。
「治せます、誰かを見つけて......」 必死に回答を求め、タズリの心がはやった。
天使の弱々しくか細い声が、静かに彼女の言葉を遮った。「吸血鬼は......戻ってきます。更に多くが。あれらには治療師がいます。あれらは私を......生かすでしょう......長い間。お願いです。助けて下さい。殺して、下さい、私を」 天使は今一度タズリの剣を、そしてタズリを見つめた。二人の目が合い、タズリはその痛みと切望を受け止めた。恐怖と苦痛から逃れることへの切望を。
角笛が再び、一斉に鳴り響いた。
「タズリ、戻らないと。タズリ!」 ロモエの声には焦りが増大していた。
タズリは涙を拭い、剣を抜いた。
「タズリ? 天使を殺すのは駄目だ。やめるんだ。わかるだろう、呪いを受けるぞ。タズリ、行かないと。置いていこう」 ロモエの声はまるで子供のそれのように響いた。
その天使は苦痛に顔をしかめながら、今も彼女を見上げていた。血が口の端から流れ出していた。「彼の......言う通りです。対価を......伴い......ます。私を、殺せば......貴女に。私には......止められません。......ごめん、なさい、お願いです......一思いに。どうか......見捨てないで......」
角笛。三度目の。
タズリは剣を掲げた。天使の光輪が白熱し、燃え立つように眩しく輝き、そしてタズリは脳内に美しい声を聞いた、とはいえその言葉は何も判別できなかった。そしてその光輪がほの暗くなり、輝きは消えた。脳内の声も唐突に静まった。
剣の柄を冷たく感じ、彼女はそれを天使の胸に深く埋めたまま手を放した。天使の表情には小さく、静かな笑みがあった。タズリの胃袋の酸味と不安は消え去り、だが別の何かもまた無くなっていた。何とは正しく名付けられない何かが。彼女は手を伸ばし、鈍い灰色と化した光輪を天使の両目から取り上げた。それは彼女の手で、容易に屍から離れた。美しいものは全て、こんなに簡単に引き裂けてしまう。タズリとロモエは騎乗し、角笛が叫ぶ只中へと踵を返した。
――ちらつき――
タズリは俯いたまま、名を呼ばれるのを待っていた、ここにも長くいることはないと思っていた。噂は隊商とともに素早く道を駆けた。仕事を得るための試みはここ数度、口を開くことすらなく終わっていた。今や彼女は民兵に加わろうと思うまでに落ちぶれていた。以前であればその考えに腹を立てていただろう。今、彼女は長椅子にただ座って待っていた。
「タズリ」 低く深い声に彼女は顔を上げた。その男は中背ながら幅広で力強い体格で、脚と腕もまた逞しかった。戦士の体格だった。立って話す様にすら天性の均衡と力があり、優れた戦士を思い起こさせた。彼女が出会ってきたほとんどの民兵は太っているか老いているかで、隊商の護衛など夢のまた夢だった。聞く所によると、ここの雇われ兵の中でもヴォリクという者は実に有能だということだった。
「そうです。ヴォリク氏にお会いするために」 彼女は自身の声に必死さがにじむ様を嫌悪した。昼食の計画を大冒険のようにみなす、座り仕事の官僚の群れに加わりたいという熱望を嫌悪した。
だが彼女はそれよりも更に、仕事を得られないことを嫌悪した。孤独でいることを。
《城砦化した塁壁》 アート:David Gaillet |
その男は微笑んだ。満面の、心優しい笑顔だった。数年前であったら心臓を高鳴らせたかもしれないような。「私がヴォリクだ。タズリ、君は何故ここに?」
彼女は躊躇した。どこから話すべきか定かでなく、それどころか、どう話すべきかも定かでなかった。彼女はただ彼を見つめ、黙ったままでいた。確かに、別の仕事はある、そうだろう? 海門の隣には別の民兵団がある。彼女は急ぎ心当たりを考えた、他の......
「四年前、君はタジームの街道でも最年少の護衛隊長だったな。才能ある働き手が欲しくてたまらないマーヒアが大切にしていた。だが君は剣で、邪な......」 ヴォリクは彼女の脇をちらりと見下ろした。「......鎚? 乱暴な武器だ。それに上手く扱うのは難しい」
タズリの内に火花が迸り、彼女は立ち上がってヴォリクと目を合わせた。「私は鎚でも邪な行いをしました。見たいように見て下さい。私はもう剣を使うことはありません」
「それならいい」 再びの微笑み、だがこの時彼女はただそれをじれったく思った。かつての人生を、失ったものを思い出させられる必要はなかった。
「そしてマーヒアは君をクビにした。次の商人達五人も、自分達は凄まじく厄介な取引をしていると考えて同じように。驚嘆すべきタズリは、今やそこまで驚嘆する存在でもない。だからもう一度聞こう、タズリ、君は何故ここに?」
彼女は言いたかった。『私はもう夢を見ないんです。見た夢を思い出せないのではなく、ただ、もう見ることはないんです。かつては見ました、護衛の、両親の、戦いの、愛や怖れの夢を。そして今、眠りについて目覚めるまでの間には空白しかなくて、目覚めてもその空白は続いている。今も、いつもその空白はあって、それを満たす方法を私は知らないんです。もう何て呼んだらいいのかもわからない何かを、どうやって埋めろというんですか?』
その全てを言いたかった、だができなかった。だから言わなかった。言うのではなく、待った。
「折よく、私はお喋りでない兵士が好きだ。そして何かを乗り越えるためには時が必要というのも理解している。皆そうだ、タズリ。私は君のような戦士を使える。そして君のような先導者を。君はそうなれると私にはわかる。タズリ、君は再びそんな先導者になれるか?」
彼女は無言で頷いた。もし泣き叫ぶことができたなら、そうしていただろう。だがそうではなく彼女はただ頷き続けた。再びそのような人物になれる希望を必死に持ちながら、とはいえ自分の知るタズリの一部は永遠に失われたと知りながら。
――ちらつき――
「......希望を持っている。それは真実ではないという希望を。ゼンディカーにはまだ生きる道があるという希望を。ギデオン・ジュラ、君がその希望をくれた」
ヴォリクが言葉を発する度に、それは剣のように彼女の胸を切り裂いた。希望。これは彼を救えない無力な自分への復讐なのだろうか?
あなたは私を救ってくれたのに、今、私はあなたを救えない。
そう、彼は自分を救ってくれた。自分はヴォリクのために十五年間働いた。十五年の幸福な年月で、彼女はヴォリクの真の右腕となった。若い頃のような、何もかもが容易かった頃の先導者には決して戻れなかった、あの天使との遭遇以前には。だがヴォリクの助力と、辛抱と、信頼とで、彼女は自身の価値の高さを、有用とされる道を見出していた。
《岩屋の衛生兵》 アート:Anna Steinbauer |
ヴォリクの言葉が彼女の絶望を砕いたその時、彼女は自身の悲嘆という沼の中に迷いこんだ。「......私が死んだなら、君が皆を率いてくれ。海門を取り戻せ、ジュラ司令官」
「いけません」 タズリは息をのみ、精神がよろめいた。裏切られたと感じた、ヴォリクと、自身とに。
どうして私を後継者として選んでくれないのですか?
どうして私は以前の自分みたいになれないの? 私の何が、繰り返しあなたを失望させてきたの?
その二つの思考が彼女を同時に打ちのめした。ヴォリクは話し続けていたが、タズリは自身の激情の中に彼の言葉を全く聞き取れなかった。内なる悲嘆と憤怒に崩れ落ちながら、彼女の口は心と裏腹に動き、抵抗の真似事を続けた。
そして、ゼンディカーも続く。ヴォリクはもうすぐ死ぬ。ゼンディカーはもうすぐ死ぬ。死なないのは、私だけ。私は遠い昔に死んだ。すぐに何もかもが空っぽの虚無になる、私のように。
その恐るべき思考がほんの一瞬、彼女を温め、空白を埋めた。
――ちらつき――ちらつき――ちらつき――
《次元の歪曲》 アート:Daarken |
現実が砕け、タズリは悲鳴を上げた。それぞれの記憶、違う、過去の実際の人生を、今、体験していた。全ての瞬間が同時に起こり、万華鏡のような情景が無限に広がった。首周りの天使の輪は、あの天使の輪は、今や白熱して輝いていた。その熱は燃え盛るようだった。心はちらつき襲いくる過去から逃げ場所を探すも、それは未来から突然......
――ちらつき――
主がその拳にギデオンを握りしめると、タズリは笑みを大きくした。ギデオンは叫び声を上げ、黄金色の盾が彼の周囲に一瞬だけ形を成し、そして消えた。彼女の主は時と空間の王、そして彼はあのような不正を許しはしなかった。
《ゲートウォッチ招致》 アート:Yefim Kligerman |
他の邪魔者達の屍も近くに横たわっていた。ここで彼らは最後の抵抗を決意し、そしてその抵抗は短く馬鹿げたものだった。炎の魔道士はタズリの主に害を成そうという無益な試みの果てに、自身を燃やし尽くして灰の残骸と化した。あのエルフは自身の精髄を世界に融合させ、結果として世界と運命を共にし、吸い尽くされた抜け殻だけが残った。そして手足をもぎ取られた精神魔道士の死骸があった。彼は最後の奇術として何百もの幻影を作り出し、そして自身の幻影が自身に歯向かう様を恐怖とともに見るだけだった。彼らは幻影の剣を振るって精神魔道士の身体を何度も突き刺し、その一撃ごとにその名を口にした、「コジレック」と。
コジレック。その名は彼女の心を満たし、空白を満たし、ついに彼女を完全なものにしてくれた。あのゆらめく半透明の波が自分を打ち、偽りの友を殺し、だが自分を生かしたことは僅かに覚えている、だが他は何も思い出せなかった。意識を取り戻した時に知っていたのは、何よりも涼やかな鐘の音のように心に響きわたる名前だけだった。コジレック。コジレック。コジレック。全てが完全に澄み渡った。彼女はコジレックのために戦い、主の軍勢が敵を一掃し、この輝かしい日に勝ち誇る様を見守った。
《コジレックの帰還》 アート:Lius Lasahido |
ウラモグと彼の同類はどこにも見当たらなかった。もしかしたら殺されたか別れたのかもしれない。それは問題ではなかった。戦場に残っているのはただ、彼女の主の忠実なる軍だけだった。そして最後の敵と。滅すべき最後の、異界からの侵略者。ギデオン・ジュラ。
コジレックに救われる以前の人生において、彼女はギデオン・ジュラが好きではなかった。だが今、彼を憎む更なる理由があった。あんな矮小な存在が振るう抵抗が。あんなにも取るに足らない、もろい器が現実そのものの王に挑戦するなんて、どれほど厚かましいのだろう? ギデオン・ジュラは罰せられねばならない。
コジレックは握り潰し、そしてそれほどの圧力に耐えられる生きた肉体など存在しない。ギデオン・ジュラは弾け、破裂した肉と折れた骨の血まみれの肉袋が遥か下の灰白色の地面へと無力に落下し、友人達の屍に加わった。タズリはこれほどの栄光を見届けた歓喜の絶頂に、歓声をあげて飛び跳ねた。
奇妙なかき鳴らし音がタズリの耳の内で大きくなった。それは宙から来たものではなく、地面からでもなかった。それは彼女の内からだった。そのかき鳴らし音は大きく、深くなり、次第にタズリはその音へと意識を向けた。
それは笑い声のようだった。コジレックの笑い声のようだった。
そのかき鳴らしは世界の至る所に反響した。タズリは主の喜びに浸ったが、そのような歓喜の原因は知覚できなかった。コジレックは片腕を掲げ、すると空間に細波が起こり、ギデオン・ジュラが再び彼らの前に、無傷かつ蘇生して出現した。彼は今一度コジレックの拳に握り締められ、だが彼の恐怖と絶叫は明白に示していた、そのギデオン・ジュラは覚えていると。死んだことを覚えており、そして今再び死のうとしている。コジレックは握り潰し、ギデオン・ジュラは再び死の抱擁に対面した。
タズリは喜びの声を上げた。今、彼女は主の気分を理解した。主は時と空間を操る。その素材を少しだけ操ることで、一人の厚かましい敵が被る結果とは? それも何度も、何度も、何度も。
疼きがもう一度。細波がもう一度。そしてギデオン・ジュラは再び生まれ変わり、その恐怖に満ちた悲鳴は美味で――
――ちらつき――
嵐が猛り狂っていた。不安定な非対称形を締め付けながら、自己相似形の蒼鉛の雲が魔法の面晶体を弾けさせた。
作用しなかった。何も作用しなかった。
コジレックの失踪から一万年の間、タズリは新たな力を用いて再建を試みていた。だがコジレックは貧弱な創造主で、年長の同胞とは似ても似つかなかった。そしてタズリの才能は薄く不完全で、主のそれの紛い物だった。
当初、彼女は才能の、習熟の問題だと考えた。無論、彼女は最初のゼンディカーのあらゆる詳細までは再生できなかった。不可能だった。だが百度目では? 千度目では? もし毎回上達し続ければ、やがては、必然的に、ゼンディカーを創造できるだろう、完璧に。完全に。
《荒地》 アート:Raymond Swanland |
そうすれば彼は戻ってくるだろう。ゼンディカーの再建は彼を呼ぶだろう、最初の時のように。そうでなくてはならない。
ただ時間がかかるだけで、そしてその時間は全て彼女のものだった。
やがて彼女は自身の理論の綻びを知るに至った。彼女は今もまだ、幾千年を経てもなお、あまりにも人間だった。コジレックの栄光ある統治の間に心と身体の大部分に変質を被りながら、その他がとても多く欠陥があり、弱かった。コジレックが失踪した後も彼女の力と支配は莫大であり、自動装置は全階級が彼女の支配下にあった。だが無論、彼女は自分一人の意思ではその探究を達成することはできなかった......彼女は人間だった。
人間が神々の野心を抱くものではない。
《本質を蝕むもの》 アート:Chase Stone |
だがもし変化を導くのではなく、単純に変化のための正しい環境を提供したなら? もし正しい開始状態を単純に提供できたなら、いつかその材料は正しいゼンディカーの姿を成すだろうか、元のゼンディカーが形作られたその時のように。
それもまた、必要とするのは時間だけだろう。
彼女の最近の関心は気候についてだった。だが最も単純な実験ですら全く予測通りに行かなかった。そして更に複雑な方式に手出しをしても、全て直ちに混沌渦巻く無秩序と化した。様式も、美も、ゼンディカーが再び出現する公算もなかった。
彼女は深い溜息をついた――何故そんなにもまだ人間でいるの、息なんて止めればいい、必要ないんだから。そして作業に戻った。
彼に戻ってきて欲しかった。どうして私を置いて行ったのです? 私は良い兵ではありませんでしたか? 私達は勝利しました、あなたは今どこに? 私を覚えていますか? 彼女は彼の笑い声を、気分の休まる存在を再び求めた。今一度、内なる空白を満たして欲しかった。試み続け、上達し続け、理解し続けよう。彼女は奇妙な雨に顔を向け、それが偽の頬に降り注ぐのを感じた。
――ちらつき――
星も太陽も遥か昔に黒く死に絶え、動くものも、揺れるものもなかった。
エネルギーと模様の繭に包まれ、タズリは大地の奥深くに横たわっていた。数十億年前、彼女は可能な限りのエネルギーを蓄え、可能な限り待とうと決意していた。
コジレックは戻ってくる、そうわかっていた。彼が戻ってきたのなら、ここにいなければならない。
ほとんどの時を彼女は眠って過ごし、だが一定の感覚で目を覚ます必要はあった。繭を再調整し、次の長い眠りの間に死んでしまわないように。あらゆるエネルギーを可能な限り節約する必要があった。慰めとして、彼女は物語を自身に語った。やがてそれは彼女お気に入りの物語に定まった......ギデオンが死んだあの日の。
彼女はその物語を繰り返し語った。あの異邦人達の死に様を繰り返し、そしてあの終わりのない日に、全てのギデオンが死を被った様を全て。
その物語を語るにはとても、とても長い時間を要し、そして終わると彼女は再び語り始めた。その度に彼女は言葉を発した。コジレックの笑い声の温かさを思い出せるように、彼の存在が自分をどれほど完璧なものに感じさせてくれたかを思い出せるように。
何兆年の間、彼を目にしていなかった。それでもわかっていた、やがてまた会えると、そして全てが正しくなると。
そしてその隙間の虚無の中に、彼女は眠り、語る。必要なのはそれだけだった、コジレックが帰還するまでは。
「これが、ギデオン・ジュラが死んだ日の物語」
――ちらつき――-ちらつき――-ちらつき――-
タズリの心が重みに崩れた。永遠を一目見て耐えられる生命などあるだろうか? 彼女のどこかが、荒れた心の奥深くが、何故今もまだ崩れていないのかを訝しみながら、広大な虚無へと降伏した。
天使の輪の輝きが増した。
その輝きの中にはどこか......慰めがあった。恐怖を和らげる何かが、狂気の最も辛い痛みを取り除く薬が。その天使の輪の温かさと輝きがなければ、彼女は決して戻れない混沌の奈落へ落ち込んでしまっていただろう。
首周りの輪は脈動し、太さを増し、光はかつてないほどに明るく輝き、ほぼ無限の白色と化して虚無を満たした。
白光が弾け、世界が消え去った。
タズリは立っていた? 浮いていた? 存在していた。姿のない白色の次元に存在していた。兵士も、エルドラージも、ゼンディカーも、何も無かった。
記憶が彼女の心から退いた。未来があった、何か......恐ろしい未来が。まるで熱病のような、戻れない、暗い、終わりのない、恐怖だらけの。タズリはその夢をしっかりと掴もうとしたが、取り戻したいと思った瞬間にそれは消滅した。そして彼女はその喪失に安堵した。
目の前の無限の白色、その小さな一部に皺が寄り、凝集した。最初に顔が現れた。整った顔、そしてその顔の下に身体が形を成した。両腕と両脚、そして大きく広げられた片側二枚ずつ、四枚の素晴らしい翼が。
《天使の贈り物》 アート:Josu Hernaiz |
それは二十年前、彼女が殺した天使だった。『無限の昔に』、何か気まぐれな思考が囁いた。何よりも驚いたのは、自分が声を上げて泣き始めたことだった。
「ここは? どうして......」 彼女は白色の広がりを腕で示した。「こんな事がありうるのですか?」
その天使は微笑み、タズリはその輝きに浴した。更なる恐怖と記憶が彼女の脳から退き、その微笑みの温もりと愛の中に溶けて消えた。その天使の顔も唇も動いていなかったが、タズリは心に優しい声を聞いた。
「タズリ、私達は時の流れの外にいます。コジレックの支配の外です。コジレックの領域の苦悶の中では、あなたのあらゆる時は『今』へと圧縮されます。ほんの僅かな動きで『今』の外に出て、時の流れから自由になれます。ここは安全です」
コジレックの名が言及されると、タズリはひるんだ。とはいえそれが何故かはもはや思い出せなかった。その名は彼女の心の琴線に引っかかり、脳内だけでなく身体中に、骨の芯までかき鳴らされる暗い鐘の音となった。感じているのが凄まじい恐怖なのか、大いなる歓喜なのかはわからなかった。
両方だった。目の前で奈落が再び口を開けて脅かしている、落ちたなら二度と戻れない......
天使の顔が今一度目の前に現れ、その微笑みが、彼女の意識を引き戻した。
「タズリ、貴女は長い間、酷く傷ついてきました。過去から回復する時がやって来ました」
彼女は自身の罪を思い出した。剣を天使へと突き刺し、こんなにも純粋で美しい生物へと死をもたらした――それが罰せられないなどと?
「貴女は癒やされるでしょう......」
「駄目です!」その獰猛な反応にはタズリ自身が驚いた。こんなにも明瞭に、こんなにも純粋に、強く何かを感じたのはいつ以来だろうか?
「それは私への犠牲です! 殺せばどうなるかをあなたは仰った、にもかかわらず私はそうしました。私は対価を払いました、自分の意思で! あなたが奪えるものではありません!」 二十年間、失ってきたものがどれほど莫大か。それが完全な実感として現れた。決して信頼を、欲求を、喜びを知ることはない。現在に没頭することも、より良い未来に向けて奮闘することもない。決して希望を持つことはない。
とても多くを失ってきた。それは私が選んだことなのに!
「タズリ、貴女は永遠を苦しんできました。十分に苦しんできました。貴女は赦されるのです」
「あなたの赦しは必要ありません!」タズリは怒って言った。
「私ではありません。貴女の赦しです」
二十年前、タズリは一体の天使を殺害し、内なる何かが壊れた。今、その何かが、繋がった。再び姿を成した。再び完全となった。涙が迸り出た、そして更なる涙が――何年もの間眠り続けていた感情が何もかも戻ってきた。彼女はその猛攻撃に身をよじった。『こんなものに耐えられるの?』 停止。そして、『あなたはもっと悪いものを耐えてきました』 彼女はその声の内にある信頼から力を得た。そしてただゆっくりと、その声は自分のものだと実感した。
「タズリ、コジレックの領域は貴女を過ぎました。時は動き出すでしょう。そして貴女も」
《抗戦》 アート:Magali Villeneuve |
タズリの心の白い空間へと現実が侵入し始めた。コジレック。ウラモグ。巨人たちは思うがままに荒れ狂い駆けていた。ギデオンと彼の友人達は行方知れずか、死んだか。どうすればゼンディカーは勝てる? どうすればゼンディカーは生き残れる?
「タズリ、コジレックは時と空間に影響を与えます。それは真です。それこそがコジレックの目的です。ですが時と空間はあらゆる視点のうち、ただの二つに過ぎません」
白光が彼女の感覚を満たしながら、その声は消え始めた。現実、真の現実が認識の外枠から現れ始めた。
「そんなこと、わかりません。お願いです、助けて下さい」
「コジレックは、その全力をもってしても、その全支配をもってしても、貴女が二十年前に成したことには何もできません。そのような様相は彼と彼の同類には動かしえぬもの、知り得ぬものです。ですが貴女は違います。貴女、愛された者。決して知ることのない人々へとあまりにも多くを捧げてきた者。死にゆく天使への慈悲を持ち、対価を払う意思を持つ者。時と空間など、愛と慈悲の界の前には貧弱な領域です」その声は今やかすかな囁きと化し、そして白色は二人を取り囲む小さな球にまで縮まった。天使の姿はかき消えた。
「この幕間の多くを思い出すことはないでしょう。思い出すことはできず、ですが貴女は完全であり続けます。これは覚えておいて下さい。貴女は勝てます。貴女は勝つのです。他の選択肢はありません」そしてその美しい声は去り、轟く雷鳴と炎とともに現実が声を上げた。
海門の崩れた堰を取り囲むエルドラージの群れをめがけて、稲妻と炎が空から打たれた。至る所にタズリは友の死体を見た、一秒前には生きて逃げていた屍を。今それらは嵐の後にまき散らされた瓦礫のようだった。何が起こったのかはわからなかった。彼女は大破壊から逃げており、振り返ってコジレックの恐るべき姿を見た......そして空白があった。一瞬の空白が。そして今、兵達は死んでおり、彼女だけが生き残っていた。コジレックの姿を探したが、それは既に自分達から遥か遠くへと歩き去っていた。まるで何か、長い距離を瞬時に移動したようだった。
《終末の目撃》 アート:Igor Kieryluk |
その炎と稲妻に大地の待ち伏せが加わり、平坦だった地面が持ち上がってエルドラージを潰し砕いた。タズリは背後に人影を四つ見たが、その先頭には見知ったマーフォークがいた。ノヤン・ダール。彼が両腕を掲げると、周囲の業火が風に煽られて繋がり、大型のエルドラージを焼き尽くす爆発となった。大型エルドラージの一体が身をよじり、揺らめく領域を作り出して大地の憤怒を遮った。吹き払う大地と炎は揺らめきの中へと消え、ノヤンと配下の乱動魔道士達の背後へ、異なる揺らめく入口から現実へと弾け出た。タズリに警告を叫ぶ余裕はなく、炎と大地は乱動魔道士達を一掃し、彼らは痕跡すら残さず消し飛んだ。
《コジレックの大口》 アート:Daarken |
痕跡すら残さず消し飛んだ......一人を除いて。その殺戮の中から岩と大地の一塊が弾け、ノヤン・ダールを乗せて飛び上がった。彼は宙へと何百フィートも放り上げられ、そして彼の力は桁外れだと知っていながら、タズリはその飛行が致命的に終わる以外の想像ができなかった。彼は手足を振り回しながら垂直に落下し、だが最後の呪文を織り上げようとした時、暗い人影が一つ舞い降りてきて彼を地面すれすれで捕えた。
暗い人影が更に何百と現れ、波のような軍勢が飛び、駆け、エルドラージの落とし子を次々と殺戮していった。タズリは吸血鬼達の恐るべき姿を認め、だが同時に人間、コー、エルフ、マーフォークもいた。ムンダと、見知った数人がいた。そしてノヤンを救った、空を飛ぶ人物は......
《マラキールの解放者、ドラーナ》 アート:Mike Bierek |
ドラーナ。タズリはこの吸血鬼の女王が決して好きではなかった。冷たく傲慢で、その存在は鰐を思い起こさせた。穏やかで落ち着いているが、自身の死に至ってその全ては牙と殺意だと気付く。タズリはドラーナを信頼していなかったが、今ここに吸血鬼の女王が現れてくれたことは呆然とする程に嬉しかった。ドラーナはノヤンを地面に落とすとタズリの目の前に着地した。共に浮かべた憤怒の表情は明白で、だがそこには何か違いもまた存在した。
両者とも確信はなく、躊躇した。コジレック。コジレックはあらゆる釣り合いを引っくり返した。あの揺らめく波に打たれた者が自分以外にもいるのかどうか、タズリには想像できなかった。あの波に打たれたなら、思うに何らかの凄まじい方法で死んだ筈だろう。とはいえタズリは今も、いかにして自身が生き残ったのかを推し量れなかった。もしくは何故その経験について何も思い出せないのかも。だが、コジレックの影響を感じるためにその踏み跡にいる必要はなかった。あらゆる現実はコジレックの前に震えるのだから。
ドラーナとムンダの軍勢が到来し、戦いの潮流は一時的に転じた。ウラモグが束縛を破ってから初めて、ゼンディカー人はエルドラージの恐怖に圧倒されなかった。だが状況は今も致命的だった。彼らはほぼ包囲されており、半数以上が既に死んでいた。明確な戦略無しには、十人に一人が生き残れば幸運な方だろう。そしてゼンディカーは真に失われる。混乱と喪失の最中で、攻撃を指揮する者が必要だった。
疑念の一瞬があった。その先導者になるのは私なのだろうか? そしてその疑念の声は、二十年前に失った声の前に押し黙った。あまりに長い間失っていた声、だがそれは心から馴染み深い声だった。私はタズリ。ゼンディカーのために生まれ、戦ってきた。ヴォリクの下で十五年間鍛えられ、高水準の指揮と動かし方を学んできた。私は私の人々と私の大地のためにここにいる。私はタズリ、それで十分。
彼女の心の奥深くどこかで、甘く、純粋な声がこだました、そして指揮をとることを想定し、タズリは眩暈を感じた。
「ドラーナ、あなたの配下はどれだけ残っている?」
ドラーナは彼女を見たが何も言わなかった。この日の出来事に今も当惑しているのか、タズリの指揮を認めたくないのか。恐らくは両方だろう。
「ドラーナ!」 タズリは大声を発した。怒りはなく、だが明らかに横柄な命令だった。ドラーナは目を狭め、捕食者の笑みがわずかに戻り、だが彼女は返答した。「千ほどだ。力強い戦士達、だがコジレックの落とし子との戦いは容易ではない。力強いだけでは......足りぬ」 ドラーナも同じ、悩むような瞳を見せた。とはいえ獲物を怯えさせるような笑みはその顔から消えずにいた。
「ノヤン、あなたの乱動魔道士は?」 ドラーナは居心地が悪い様子だったが、一方で強大な魔道士ノヤン・ダールは真に呆然としていた。「彼らは......死んだ。ほぼ全員だ。生き残った者も多くの事はできない。私は......」 ノヤンの言葉は涙とすすり泣きに途切れた。タズリは彼とともに泣き、全ての死者を弔いたかった。だが生者に必要なのは違う言葉だった。
「ノヤン、あなたが今彼らにしてやれる事は何もない。私はあなたに約束しよう、死者のための復讐と生きる希望を。ノヤン!」 ノヤンは顔を上げた。
「ああ、タズリ。そうだな。君は私に何をして欲しいんだ?」 ノヤンの悲嘆を憤怒が取って代わった。憤怒と目的が。完璧だった。
「地割れが欲しい。私達と海門をうろつくエルドラージとを隔てるような巨大な地割れだ。今も海門にいる者は死んだか、まもなく死ぬ。彼らにしてやれる事は何もない。だがここに私達は何千といる」
「ああ、やろうじゃないか。だが時間が欲しい、特に私一人で行うのならね」
「あなたを一人にはさせない、だが始めてくれ。ムンダ、軍勢を準備しろ。ここから離れる。もし動けない者がいても置いていく」
ムンダは怒りも苦悩も隠さなかった。「そんなことは......」
《同盟者の援軍》 アート:Matt Stewart |
「置いていく。私はそうする。もしここに留まれば、死ぬ。重傷者の運命は私達が何をしようと同じだ。私達は生きねばならない。ゼンディカー唯一の希望は私達とともにある」 ムンダは立ち止まり、彼女へと目をこらした。彼がここまで強く命令するタズリを見るのは初めてだった。だが彼は彼女の隣で戦ってきた。彼女を知っていた。彼は頷き、準備のために離れた。
「ドラーナ!」 女王は自身の吸血鬼達へと自身の命令を与えていたが、ゆっくりと振り返った。物憂げな笑みを湛えながら。
「飛べる斥候を送り出し、戦える者達がまだ残っているかを見て来て欲しい。特にギデオンを探すように。あの人達が必要だ」
「馬鹿な。あの戦士は死んだ。もしくは間もなく死ぬ」 ドラーナの声からは軽蔑が滴っていた。
「いや、あの人は生きている。きっと見つかる」 周囲の兵士数人が戦意を取り戻し、彼らの目には希望が燃え上がった、それまでは絶望だったものが。タズリは自身がこれほど確信していることに驚嘆した。だが確信していた、ギデオンは生きていると。自分達がこの戦いに勝利するには、ギデオンという筋道通った存在が必要だった。従って、ギデオンは生きている。昨日であったなら、その論理は異様で信じられないと彼女は震えていただろう。道理のわからない確信、それは先導者が人々に与えることのできる最も偉大な恩恵だった。
「斥候を動かしてくれ、ドラーナ」
「ああ、可愛らしい将軍殿、タズリ将軍殿。無論だ! だが一つ質問がある。何故私がお前の言葉を聞かねばならぬ? 誰の意見でも良いのであれば、私こそ最も注目すべき者と断言できよう?」
タズリ将軍殿......軽蔑の込められた言葉、だがタズリはその響きが気に入ったことを認めた。賽を振る時だ。彼女はドラーナへと近寄り、その唇を吸血鬼の耳に当て、囁いた。
「ドラーナ、あなたは私よりも強い。恐らくは私達の誰よりも」 ドラーナの笑みは取り澄ましたものへと変わった。「ドラーナ、あなたの民から聞いた。私達はあなたが成したこと、あなたが何をできるかは知っている。だが判るだろう、グール・ドラズの吸血鬼はあなたに従うが、他のゼンディカー人は決してそうはしないと。吸血鬼への怖れは、あなたへの怖れはあまりに大きい。だから私が導く。望むなら、私の事はお飾りだと思ってくれて構わない。殺し合いは後でもできる、エルドラージが全て死んでから。だけどエルドラージが死ぬまで、私がこの軍を率いるつもりだ。でも、あなたの力が要る。ゼンディカーはあなたの力を必要としている。頼む」 タズリは息を止めていることに気付き、それをゆっくりと放った。もはや恐怖はない、これからは。
ドラーナはタズリから離れ、彼女を凝視した。その笑みは消え去っていた。タズリはドラーナの瞳に何か古の異質なものの存在を感じた。一時間前であったなら彼女に恐怖で膝をつかせたような、威圧的な視線。私は永劫を生きたの、ちっぽけな吸血鬼さん。あなたのほんの僅かな存在は単なる朝露みたいなもの。その考えが何処から湧き出て来たのかはわからず、その意味すら理解していなかった。だがその考えはタズリを楽にさせ、彼女は微笑みを浮かべた。
ドラーナの表情は次第に不安を増し、彼女は顔をそむけた。
振り向いた時、ドラーナは再び気取った様子で高圧的に、邪悪な笑みを顔一杯に浮かべていた。だがタズリはそれが演技だと知っていた。今は押す時。
「ドラーナ、もう一つ。ノヤン・ダールに魔力を注いで欲しい。彼の手助けをする乱動魔道士はもういない。だから彼の魔力源になってくれ。戦うためには、あなたが必要なんだ」
タズリはドラーナから憤怒を感じ、多くの異なる現実が展開する様を見た。その幾つかは極めて短く血にまみれた、彼女自身の終わりだった。だが彼女は求める結果に、必要とする結果に集中した。
長い沈黙の後、ドラーナは単純に言った。「仰せの通りに、タズリ将軍殿」 両者ともその言葉の真意はわかっていた。『少なくとも今のところは』。
エルドラージは再び海門の前面に集合し始めていた。ウラモグとコジレックは他の何かに集中していたが、生存がますます困難となる程の落とし子が有り余る程にいた。「ノヤン! 呪文をくれ、今すぐだ!」
ウラモグとコジレックは自由に暴れ回っている。ゼンディカー軍の半数は壊滅した。ギデオンの行方は知れない。そしてタズリは眠りの霧の中に命を半ば失いかけ、かつて彼女の全てを対価とした慈悲によって、今日、ようやく救われた。
タズリはその全てに想いを巡らせ、そして捨てた。これこそ、私がなりたかったもの。私がなろうとしていたもの。
ゼンディカーのための戦いは敗北で終わってはいない。ゼンディカーのための戦いは今、真に始まった。そしてゼンディカーは勝つつもりでいる。天使の美しい歌声を聞き、タズリ将軍は微笑んだ。
《タズリ将軍》 アート:Chris Rahn |
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