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Magic Story -未踏世界の物語-
一族の値打ち
一族の値打ち
Alison Luhrs / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2015年11月11日
テイサ・カルロフは都市次元ラヴニカの法廷にて恐るべき力を持つが、更に多くを欲している。ラヴニカの法魔術を驚くべき才覚で駆使し、そして一人のボロス軍人の手を借りて、彼女はついに権力闘争に身を投じる準備を終えた。だが彼女は横柄な、自身の祖先カルロフと戦い続けている。死んですらも何ら衰えることのない......
テイサ・カルロフはこの一日全てを、死者の叫び声を聞き続けて終えた。
この時、オルゾフの幽霊議員はとある債権者に五百年の隷属を課すことが何故法の目にとって問題となるのかが把握できなかった。テイサは喉がかれるまで論じていた。
杖を手にしたまま、オルゾフの大特使は愛用の椅子に座り込んだ。グラッグ兄弟の一人が机を整頓してくれており(彼に感謝を)、目を通すべき書類の山を残していた。テイサ・カルロフは書斎に音を立てる古い暖炉にそれらを投げ込む前に、古い手紙を注意深くより分けて目を通した。
タージクからの地下道掘削の進捗状況。
オブゼダートからの応諾命令。
数週間前の、生けるギルドパクトとの会談の確認書。テイサは歯を見せて笑った。あれは何と楽しいやり取りだっただろうか。
「安全供給及び規制法の内容につきまして、特に第十四項目が存在し、効力を持つ法であると同意されますか?」
「そうですが? ミス・カルロフ、私は極めて忙しいんだ。行かねばならない所があるんです」 ジェイスは断言し、組み合い鉤と旅行用の外套を鞄に押し込んだ。その額には焦りからか汗が流れていた。
「窃盗は違法、そう同意されますか?」
「ええ。どうかご退出下さい」
二十項目以上の細かな法律と法的要件を尋ねて確認した後、生けるギルドパクト自身に外へ蹴り出されただけの価値はあった。その会談は数週間前だったが、今もテイサは彼の可愛らしい苛立ちを思い出しては楽しんでいた。
彼女は手紙の束を炎に投げ入れ、杖の先でつついた。そして快適な書斎にて読書を始めつつ、脳内の確認事項一覧をざっと思い出した。足元で炎がゆらめき、彼女の長らく麻痺している方の脚の皮膚を温めた。
《幽霊の特使、テイサ》 アート:Karla Ortiz |
迷路の事件よりもずっと以前に、彼女は『ラヴニカ全ギルドの公的協定及び指南』を執筆した。ギルドパクトが身体を得て世界のあらゆるものように眠り、食べ、排泄し、そして死ぬようになるよりもずっと以前に。今、その法律書は膝の上にあった。内容を確認するために物理的にそれを読む必要はなかった。だが明日は行動するであろう日。テイサは自身の最も誇らしい創造物に慰めを必要としていた。
遂に自分はギルドを再構築する道具を手にしたのだ。力を貸してくれる仲間を。あの口汚い死人から逃れる道となる抜け穴を。
実のところ、迷路関連の物事で最大の収穫は、敗北だった。炎で身体を温めながらテイサは思い出した。ギルドの勇者達に勝利した生けるギルドパクトをニヴ=ミゼットが試す様子を観察しながら、密かな興奮を実感していた事を。
今やそのギルドパクトは身体を持ち、法は声を持つ。そしてその声が発するのは法。自分はこれを技術的に操作できる、オブゼダートの専制へと挑戦するために。
それは愛おしい抜け穴。
テイサは何よりもまず、弁護士だった。抜け穴には憧れがあった。
「空き時間にすら自分に陶酔するのかね、孫娘よ」
テイサは椅子に座ったまま飛び上がるほど驚いた。太って皺だらけの、死亡した祖父カルロフが閉じられた書斎の窓をすり抜けて現れた。彼女は顔をしかめた。
「物理的に扉を叩けないというのは存じております。ですが私の自由時間を邪魔しないで下さいませんか」 彼女は言い放った。明らかに生前には持っていなかったであろう軽快さで、カルロフはテイサと向き合う椅子へと穏やかに身を収めた。そして孫娘の膝の上に座す自著本に目を向けた。
「可愛い娘よ、自分で書いた文を何故自分で読むのかね?」 生前のカルロフであれば椅子の耐久力を越える程にその身を重く沈めていただろうが、死は多くの利点を彼に与えていた。「自分の文を読むよりも自分の家族の助言に耳を傾けるべきではないかね」
テイサは最近オブゼダートとの間に起こった意見の相違について、脳内にある長い一覧を参照した。そして祖父がどの件に言及しているのかを判読するのではなく、率直に気にしないことを決めた。
その代わりに、彼女は座ったまま背筋を伸ばした。「どんな助言を下さるのですか、カルロフお祖父様?」
「分を弁えぬ行動にかまけぬ事だ」 幽霊は甘く囁き、その大きな手を『ラヴニカ全ギルドの公的協定及び指南』の上に置いた。そしてもう片方の手を孫娘の頬まで上げ、彼女の頬骨に走る大きく奇妙な引っかき跡をかすめた。「そしてお前自身の血について考えることだ。昔の過ちを思い返すことを止めれば、肉体的な人生はずっと早く過ぎ去ってくれる」
テイサは嫌気を飲み込んだ。頬に物理的な接触を感じたわけではないが、胃袋に嫌悪と苛立ちの波を感じた。
テイサは表情を作った。「昔の過ちを忘れないために読んでいるのです。議員は私の法から例外を要求されました。彼らの助言を無視していたのは私の思慮不足でした。大特使という私の地位はあくまでオブゼダートに次ぐものですから」彼女は説得力のある弁舌に安心を取り戻した。「ですが、弁護士として私は多くの文章を読むことを課せられています。それは虚栄心から行えることではありません」
霊は不愉快な顔をした。「お前は今も大特使以上に弁護士であると言い張るのかね?」
「私は与えられた地位と自分で得た地位の両方を主張します。私は法の弁護士として熱心に働いております」
「お前の本の中のものよりも、もっと重要な法が存在するのだよ」
テイサの我慢が限界に近付いた。「そうでは――」
「それこそが我等が道! 私は生前にそれを感じた。死によって更に強く感じた」
「死んでからは何も感じていないでしょう」 彼女は非難した。
カルロフは黙った。
「あなたが感じるのは、生前に感じていたことの終わりない繰り返しでしょう。生前でも太った金食い虫だったのが、死んで更に意地汚くなっただけではありませんか」 テイサは普段は法廷での芝居のためにとっておく毒をまくし立てた――こらえきれず、口から真実が漏れ出た。
カルロフは眉を上げた。無感情に椅子に身を沈めながら、彼の唇がわずかに持ち上がった。「それで何の問題もなかったよ、お嬢さん」
《幽霊議員カルロフ》 アート:Volkan Baga |
カルロフは立ち上がって半透明の手を伸ばした。テイサはそれに向けて唾を吐きたかった。
そうではなく、何世紀も続く生者の服従に基づき、オルゾフの大特使は身を乗り出した。そして議員がはめる薄い指輪の輪郭へと卑屈な口付けをした。その間、彼女は幽霊の太い指を骨まで噛み千切ることを夢想した。自分の強力な腕でその首を絞め、慈悲を乞うまでその肉の顔を平手打ちにすることを。だが物理的な肉体を無くさずに彼へと害を成すことは不可能、彼女は知っていた。
テイサは内なる決意とともに唇を上げた。
「愚かな娘だ」カルロフは笑った。「明日私のスラルに会うといい」 退出しながら、彼は無感情に提案した。 「小遣いをねだるがいい。何か良いものでも買うのだな」
テイサはその硬貨で一本のナイフを買った。
今、彼女はそれを密かに脇腹に下げつつ、仲間であるボロス軍のタージクに枷をはめられて連行されていた。彼は布で身を覆いつつ変装したテイサを連れ、オルゾヴァ聖堂の混み合う街路を歩いていた。必死な様子の顧客の群れが二人を追い越し、誰もが神経質かつ速足で歩道を進んでいた。熱心な信奉者の三人組を迂回すると、霊の一団が悲しそうに漂って二人とすれ違っていった。オルゾヴァに市場はなく、物品を売り歩く商人もいなかった。公衆に買わせる物は何もなく、あるのは教会からの恩寵の品だけだった。そのギルドに所属しない者にとってオルゾヴァは不安な場所で、そして街路の緊張感はテイサを詮索の目から上手く隠していた。
「ついてこい、この婆!」 テイサが不自由な片脚で故意につまずき、タージクは命令した。この計画において彼女の変装は不可欠だった。テイサが必要とした記録は聖堂そのものの内にあるが、彼女自身でそれを利用するのは人目を引きすぎる。そこに忍び込むために彼女は友人のタージクを必要とした。更にはこの良い信頼を示すことで将来的にギルド間の良い同盟に繋がれば何よりだった。
教会の主要部を占める建物の端近くに、ボロス軍の出張拘置所があった。タージクは正面扉を通って彼女を案内し、そのボロスの騎士へと頷く数人の護衛を通り過ぎた。タージクは彼らへと頷き返し、独房が並ぶ長い棟へとテイサを率いて急ぎ足で下りていった。主要拘置所への移送を待つ犯罪者が何人かおり、その虚ろな目がテイサを布越しにじっと見つめた。彼女は目を丸くした。
タージクは彼女を率いてねじれた螺旋階段を下り、湿った地下の独房区画へと向かった。ここに降ろされた囚人はおらず、二人の道を照らす明かりもなかった。タージクは進み、テイサは布を引き上げた。彼は松明を灯し、彼女を最下部の独房へ入れると背後の扉を閉ざした。
「先程、婆呼ばわりしたことをお許し下さい」 騎士はそう言って、テイサの枷を外すべく粗野だが優しい掌を動かした。
「いいえ、良いのです。厳密に解釈しますと私は年老いておりますから」
タージクはきまりが悪そうに微笑むと、テイサの両手首の枷を開錠した。彼女は自由になった両腕を伸ばし、周囲の何もない独房を調べるように見た。
彼女は浅くため息をついた。「何か杖になる物はありますか?」
タージクは剣を抜いて彼女へと手渡した。その騎士はにやりと笑った。「これは歩くのを助けるだけではありませんぞ。瓶を開ける道具にもなりますし、時には人をも殺せます」テイサはその柄を握りしめ、刃を間に合わせの歩行杖として使用した。そして壁まで移動し、独房の端の煉瓦を叩いた。
「降りる道は上手く隠せたと思います。この入口を発見できた者もおりません」タージクは誇らしく言って、扉を隠しているであろう壁の一部を指し示した。何日もの不眠の作業によって、ボロスの独房からオブゼダートの記録室へと繋がる長さ三百束の魔法的通路が掘られていた。
《軍勢の刃、タージク》 アート:James Ryman |
タージクは薄暗く照らされた独房の壁から突き出た一つの石を引き抜いた。「私自身で開けられますが、それともまず貴女の方法が有効かどうかを確認されますか?」
「生けるギルドパクトによって口頭にて確認されたいかなる法も、彼がその確認を伝えた人物によっては破壊できません」 彼女は布の覆いと、街路でまとっていた変装を解きながら言った。「私に必要なのは、彼が断言した法と、それが明白に現れていると直接確認することだけです。私は二十程の細かな法を確認しました。彼はかつてない程苛立っていました」 テイサは微笑んだ。「貴重なことです」
タージクは彼女へと笑みを返し、壁を軽く叩いて自身が築いた入口へとテイサを案内した。天井は低かった――それもそうだ、彼はそれを素早く秘密裡に掘り抜いたのだ――そして二人の松明は通路の終点の壁をわずかに照らしていた。
テイサは身をかがめて片手を壁につき、暗い小道を下っていった。彼女の新たな杖は岩に音をたて、前方の暗闇へとこだまを送っていた。タージクは背後で壁を閉ざすと、窮屈な通路の中で素早くテイサの隣についた。
《ならず者の道》 アート:Christine Choi |
「タージク、これ以上は良いのですよ」 テイサは言った。「幽霊議員は貴方には特段何かをした訳ではありませんのに」
「貴女は力ある指導者であり仲間です。ですがその才能はオブゼダートに押えつけられ、浪費されておりますゆえ」
「勿体ない言葉です、タージク」
「それに、私も幽霊というものが心から嫌いでしてな」 彼は暴露するように言った。「悪気はありませんぞ」
「お気になさらずに」 テイサは通路の壁に手を滑らせた。「あの死人どもは貴方に憎まれて当然です」
二人は通路の終点に達した。テイサは押し黙り、記憶から暗唱した。「方針及び手続の項目十二、条項四」 拝借した法魔術の振動が声にうねり、彼女の心臓が跳ねた。「ギルドが公務上認めた代表者は公的令状を使用し、第一ギルドが所有する住居もしくは事業所から第二ギルドへの通過を認められる」
タージクは彼女へと、あらかじめ調達していた一枚の紙を手渡した。それは彼の手には小さく見えた。テイサはその令状を石へ向けて掲げ、壁がわずかに震えるのを感じた。
壁が自動で回転し、彼女は下がった。煉瓦が内側へと畳まれ、その背後に漆黒の空間が見えた。埃と砂塵が床に落ち、帳簿と記録が並んだ暗い部屋が二人の前に現れた。テイサは悶えた。
「う......」 彼女は縮み上がった。「法魔術というは奇妙なものです」
「いかなるものですか?」 騎士は尋ねた。テイサは顔をしかめて見上げた。
「べたついて生ぬるい。逃げ出せない家族の夕食のようなものです」 彼女は震えを振り払った。
タージクは偏見なく言った。「アゾリウスに関する表現のうち、私がこれまでに聞いた中で最も適格なものですな」
テイサはひとつ素早く鼻で笑い、タージクへと剣を返した。「気をつけて下さい。警報を鳴らす呪文があるかもしれません」 大特使は警告し、書棚の壁に掌を当てて入室した。彼女と騎士の背後で封をするように入口が閉まった。
記録庫内は漆黒の闇だった。無数の本が積み重ねられた中、彼らの松明だけが暖かく輝いていた。テイサは静かに立って暗唱した。「安全供給及び規制法、第十四項目。記録されたすべての安全管理法案は検査及び実施の前にアゾリウス評議会文書管理局及び情報局によって承認を得たものでなければならない。規定に違反したものは今後の調査の対象に選ばれる」
小さな糸が宙に現れ、松明の光に銀色のゆらめきを反射した。
「あれです。決して触らず、私について来て下さい」 テイサがそう教えると、タージクは剣を再び手渡した。そして彼女は本棚の間を進み、注意深く身を屈めながらきらめく魔術のもつれた隙間を縫って歩いた。
光る糸を後にし、二人の前では何千もの宝石がはめ込まれた不気味な水晶の扉へと松明の光が投げかけられていた。いかなる職人がこの扉を作り上げ、芸術的な量を遥かに越えた宝石で飾ろうと意図したのだろうか。何を意図して、無人の部屋にここまで大がかりに富を必死に誇示しようとしたのだろうか。
《神無き祭殿》 アート:Cliff Childs |
「これほど悪趣味なものを見たのは初めてですぞ」 その兵士は無感情に扉を見つめた。
「これよりオブゼダートの聖域に入ります。内部は更に酷いものです、信じて下さい」 テイサは言って、微笑みとともに新調したナイフを掲げた。「次の小文は、私が書いたものです」
彼女は暗唱しながら、ひるむことなく上腕の頂点を浅く切り裂いた。「オルゾヴニア第十二項目。オルゾフが承認する執政者は身分証明をもってオブゼダートの部屋への入室を認められる」
テイサは膝をつき、自身の血を扉の底の隅へと慎重に塗りつけた。
「何故そこまで下に?」 タージクは尋ねた。
テイサは肩をすくめた。「高額な扉ですから」
血は素早く吸い込まれ、その構造深くにある鍵が開けられた。テイサは宝石で覆われた扉を開け始めた。
「あの死人の物あさりども、所有物は全部手放したなんて言っておいて」 扉をこじあけつつ、テイサは不平を零した。タージクは手助けをしようと動いたが、テイサは思案に暮れながら続けた。「伯父様は仰っていたと思います、死体は全て火葬されたと。よい、しょ!」
扉が勢いよく開き、騎士は恐怖に息をのんだ。
煌びやかで、黄金とベルベットを纏う、硬直した死体。それが何十体と、部屋の壁に並ぶ玉座にもたれかかっていた。あらゆるオブゼダートの総帥が男も女も、ミイラ化したかつてのその器が物言わず保存されて座し、それぞれが頭からつま先まで、間違いなく生前に手にしたのであろう全ての宝石に覆われていた。皮膚が張り付いた骸骨を大きくたわんだ衣服が覆い、ダイアモンドと黒玉がその空洞の目にはめ込まれていた。数体ではオルゾフに典型的な奇形が他よりも明白だった。彼らのローブの黒いベルベットは硬直した古い皮膚に映えるようにかすかに輝き、それらが覆う屍の、肉のない骨の指には何十もの指輪が連なっていた。屍がもたれかかる玉座は黒檀と黒曜石製で、煌くダイアモンドが埋め込まれ磨かれた床に照らし出されていた。
タージクは足を止め、オブゼダートの部屋の壁にはめ込まれた棚の列に横たわる何十もの、また別の死体を見上げた。ダイアモンドの精巧なモザイクで覆われた天井へ近づくごとに、死体の古さとその所有物の数は劇的に増した。タージクの松明の光は周囲で際限なく反射し、テイサは無人の広間の中央へと大胆に歩いていった。彼女の視線は床をかすめた。宝石の間の僅かな空間はぎらつく黄金と白金で満たされていた。陰惨な玉座を除いて椅子はなく、空気には酢と保存液の匂いがしみついていた。
《オルゾフの聖堂》 アート:John Avon |
比較的最近の死骸が部屋の向こう側で、薬品と体液と暗黒の魔術の悪臭を発していた。テイサはその傍で僅かに立ち止まり、呟いた。「ごきげんよう、伯父様」
タージクはうめいた。「空の天使達よ、これが家族の再会とは」
「警告しましたよ、中は更に酷いと」 テイサは辛辣に言うと部屋の中央に剣を置き、床にはめ込まれた取手を持ち上げた。そして足元から宝石で飾られた櫃を引き上げた。
タージクの表情には不快感がしみ着いていた。「彼らは動かない、そう仰って頂けますか」
「野蛮なことを仰らないで」
「貴女は家族を『物あさり』と呼んだではないですか。魔法的に死体を保存していると」
「ええ、原則的には確かにそうだと言えます。ですが見栄えは少々派手ですね」 テイサは引き上げた宝石の櫃前面の留め金から手で埃を払った。
「記録はその中にあるのですかな?」 タージクが尋ねた。テイサは頷き、それを開くと崩れかけの記録書を華美な床に置いた。彼女は優美に頁をめくり、喜ばしい認識に微笑んだ。そして立ち上がり、後ろへ下がった。
「ここでは何も起こらない」 テイサは囁き、顔を上げて記憶から暗唱を開始した。彼女の注意は目の前のぼんやりと輝く箱に集中していた。
「ラヴニカギルド連合の命令により、第一ギルドに対する第二ギルドの故意の地価上昇及び拡大は武力攻撃としてみなされるものとする。このような転覆の証拠が第三ギルドの代表者によって発見された場合、それは差し押さえられるとともに生けるギルドパクトによる調査へと委託される。ボロス軍のタージク殿、目の前に何が見えますか?」
「骸骨とそれに貼り付いたままの皮膚ではなく?」
テイサは苛立ちとともに彼を見た。「床に広げた本の内容です」
「これは失礼を。あの骸骨は気が散りますな」 タージクは膝をつき、松明を近づけすぎないよう注意しながら床の頁に素早く目を通した。それはオルゾフの所得についての帳簿らしかった。そっと頁をめくると消された数字、交友の一覧、人名とわかるもの、また宝物庫の場所があった。
「明らかに、何度も編集されたとても古い帳簿ですな。これが恐らく貴女が探していた証拠でありましょう、我が胃袋がそう告げております」
テイサは心からの笑みを浮かべた。
「ラヴニカギルド新協定に基づき、貴方は摘発の権利と、生けるギルドパクトへの贈収賄の証人として出席する義務を負います」 テイサは喜びの涙とともに言った。自身の言葉が持つ法の力から、魔法が織り上げられる疼きを感じた。喜びに心臓が跳ねた。
タージクは床からその記録書を持ち上げようとした。
もう一度。
テイサの笑みが消え去った。
埃だらけの崩れそうな頁は今やダイアモンドの床の一部と化したかのように、頑強かつ毅然としていた。タージクは松明を置き、力任せに本の表紙を掴むと、全力と途方もない意志をもって本をその場から動かそうとした。テイサの鼓動は静まっていた。タージクは記録書を持ち上げようと奮闘しながら、鉄のように強固なボロスの魔術を呼び起こし、テイサもそれを感じた。だがどれほど力を込めて試そうとも、彼はそれを持ち上げることはできなかった。
テイサはかぶりを振った。
「わかりません。機能する筈です。私がその法を記述し、ギルドパクトによって確かなものとなりました。機能する筈なのですが」
タージクは絶望的な不安とともに特使を見た。テイサは疑念に胸が締めつけられるのを感じた。彼女は目を閉じて片手を頭にあて、全集中を傾けて法の知識を漁った。そして真実に行き当たり、目を開けるとその表情に恐怖が広がった。彼女はローブをはだけ、腰に下げたナイフを見せた。
「これを盗んでみて下さい」彼女は言った。ナイフを示すテイサをタージクは困惑の目で見た。決意から彼女は眉間に皺を寄せた。「窃盗は個人資産の侵害にあたり、告発をもって司法判決に委ねられます!」 テイサはその法の声明へと可能な限りの力を織り込み、声を上げた。
タージクは立ち上がると彼女に近づき、その靴底がダイアモンドの床に音を立てた。彼は造作もなくナイフの柄を握り、テイサは息をのんだ。彼はそれを彼女のベルトから取り去った。オルゾフの大特使は恐怖に凍り付いた。
「この部屋では法が破れる」 彼女は息を詰まらせた。その灰色の瞳が白くなるほどに見開かれ、無人のけばけばしい小部屋を恐怖とともに見渡した。
「この部屋では法が破れる、というのはいかなる意味ですかな?」タージクが尋ねた。テイサは息を詰まらせながら答えた。「この部屋ではギルドパクトは適応されないのです! この場所の何かが直接ラヴニカの法を操作しています」
「オブゼダートがどうやって!? あいつらは死んだのに! 魔法なんて使えないのに!」
「これは古いの! 私よりも、議員の誰よりもきっと古い。古すぎる、私にもわからない!」
「ああ、だからお前は愚かな娘なのだ」
テイサは息をのんだ。タージクは盗んだナイフを咄嗟の防御に掲げた。その声は何処からともなく発せられていた。小部屋にはボロスとオルゾフの速まった呼吸だけが不気味に響いていた。テイサが虚空へと唸り声を上げ、その静寂は唐突に破られた。「お祖父様」
松明の光の中、幽霊の姿が奇妙に輝くと、音もなく浮かび上がって孫娘へと近づいた。咎める親のようなしかめっ面がその顔にあった。
「孫娘よ、我らの類に法は意味を成さない。このことは何世紀にも渡って言ってきたのだがな」
「オブゼダートの全て、我らがギルドの機能全てが法の目にとっては誤り、ですか」
彼女は挫折感に震えた。身体のあらゆる筋肉が戦い、突き刺し、剥ぎ、殺したいと疼いた。だがそれは叶わないと知っていた。カルロフは恩着せがましい溜息の真似をした。幽霊になった者は呼吸をする必要などないのは明白――それは溜息の悲しい紛い物だった。
「テイサ、その一時の癇癪でお前を罰することになるとは悲しいことだ。お前にはとても失望させられた」
「私は子供ではありません!」
「お前は我が意思に背いた」
「この部屋では何も服従できません!」 部屋全体を示すように腕を振り上げながら、テイサは断言した。
「我等に服従することはできる」 カルロフは鉄の信念をもってテイサの言葉を覆した。「オブゼダートよ、直ちにこの場に集合せよ」
何十体もの幽霊が床の下から素早く立ちのぼり、タージクは驚きに声を上げた。死して長いオルゾフの、肥満して不恰好な身体がタージクの足元から立ち上がり、彼の皮膚を冷たくかすめた。その衝撃に彼は立ったまま揺すぶられ、松明が床に落ちた。死者の作法を知るテイサはその召喚の間、無言で立っていた。部屋の室温は劇的に低下し、先程のテイサの喜びの涙は頬で凍り付いた。
カルロフはオブゼダートの他の幽霊たちよりも僅かに上へと浮かび上がった。
「オルゾフの大特使は議会を打倒しようとしておる。我等はこの無礼をいかにすべきか?」
幽霊達は怒りに叫んだ。異質で気味の悪い音がテイサとタージクを身体の芯まで震わせた。
《幽霊議員オブゼダート》 アート:Svetlin Velinov |
「スラルを呼び、このボロスを我等の地下牢に」 カルロフが命じた。一体のスラルが前もって開かれた扉から素早くよろめき現れ、タージクの手首を掴んだ。戦うべきか判断しかねて、その兵士はテイサを振り返った。彼女は僅かにかぶりを振って返答とした。ボロス兵は捕獲者とともに去り、その背後で分厚い扉が閉じられた。
テイサは床の松明の光で僅かに照らされていた。部屋のあらゆる場所から、何十もの幽霊が彼女を見下ろしていた。カルロフが彼女へと近づき、不機嫌なその顔の皺は更に深くなっていた。
「オブゼダートの命により、お前の弁護士の地位を剥奪する」
テイサの心臓がきしんだ。「そんなことは!」
「ここでは可能だ。議会はお前が存在する限り、法の実践を禁ずる」カルロフは公然と言い放った。
テイサの頭がぐらついた。「これ以上実践するものなどありません! 弁護士の地位を剥奪できるのはアゾリウス評議会だけ――」
「我等は我等が望む通りに。常にそうしていた通りに」
自分の人生が。成し遂げてきたものが。それが終わった。テイサは床に座り込み、両腕で自身を支えた。「貴方はこれを企んでいた......」
「弁護士の地位を剥奪することを? 当然だ、うぬぼれた小さな愚か者よ。取り戻したいと思うならば、身の程をわきまえ、血を思い知るがよい」
カルロフは太った半透明の手を曲げた。
「お前のもう一つの地位、大特使については直ちに話し合うことになろう。オルゾヴァの塔で会おう、良いな?」 カルロフは微笑み、記録部屋の向こうの扉を示した。
ダイアモンドの床に拳を握りしめ、彼女は上体を持ち上げた。「私が自分の力で得たものを奪い取ることなどできません」
カルロフは微笑んだ。「私はできる。オブゼダートこそ最上の存在とお前がみなさぬ限りは。お前には一つの地位を与えた。お前は我らに負うのだ、疑いなき奉仕を」 彼は手を掲げて幽霊の指輪を見せた。
テイサは直接それを通して宝石の床を見た。
カルロフはそれを受け止めた。
「生意気な小娘だ」
「私は百十二歳ですが」 大特使は怒りに渦巻いていた。
カルロフはゆっくりと膝をつき、その顔を彼女の耳に近づけた。
彼は年老いて震えた息遣いを真似し、歯を通す音を立てた。
「お前は小物だ」
そして彼女はそうだった。
「わかっておるだろうが、塔はこの七階ほど上にある。私を待たせないで欲しいものだな」浮かび上がって天井へと消えながら、叱るようにその幽霊は言った。
テイサは一人残された。消えかけた松明の火がタージクの剣を照らし出していた。彼女は溜息をついた。大特使の地位は決して賜物ではなかった。それは自分を縛り付ける手段だったのだ。
彼女、オルゾフ組のテイサ・カルロフは債務を負った。
彼女はその剣を掴み、
杖として自身を支え、しっかりと立ち上がった。
そして階段へと向かって歩き出した。
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