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Magic Story -未踏世界の物語-
今から通るぞ!
今から通るぞ!
Kelly Digges / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2014年7月30日
フィズは塹壕から頭を突き出し、心ゆくまで見た。オークの略奪隊は手堅い隊形で戦っており、彼女の仲間のゴブリン数百体が突撃隊と地雷除去隊として彼らの前衛で突撃した。爆弾が爆発し、矢が飛び、何十体というゴブリンが倒れた。
おそらく、彼らのうち幾らかはその戦いを生き残っただろう。たまに、そういうことがある。
そして空腹になった彼らは戻ってくるのだ。
そのためにフィズがいるのだった。
《泡立つ大釜》 アート:Eric Deschamps |
フィズは生まれつき戦士ではなかった。巣穴にいた頃、三十五人(くらい)の兄弟姉妹がネズミの食べ残しと一番美味しい岩を取り合って争っている間に、フィズは隅に隠れてアルマジロを甲羅ごと煮ていた。もしくはいい歯ごたえのあるカエルの骨を焼いていた。
オークの将軍ラズガーがゴブリンの部族を戦争へと徴収した時、フィズは不承不承頭に混ぜ鉢をかぶって結び、料理ナイフをベルトに下げて兵隊に加わった。だが司令官が彼女の比類のない才能に気付くまで長くはかからなかった。そして彼女はすぐに第99ゴブリン歩兵隊(古き良きグラーグ尾根消耗品部隊)を去り、比較的安全な野戦調理部隊に居場所を得た。
この日、彼女はその得意料理、濃厚であぶくを立てる「周りのもの全部入りスープ」を煮ていた。彼女は材料入れから柄杓でブーツを一つ引っかけると噛みちぎって入れた。彼女は顔をしかめると、それを後ろに放り投げて戻し、粉末山羊を振って味つけをし、かき混ぜた。
彼女はもう一度味見をした。まだ何かが必要だ......
「入るでありまぁぁぁぁぁっっっっす!」
バッシャァァァン!
「あちっ!」 彼女のスープにたった今飛び込んだゴブリンの伝令が声を上げた。「あち、あち、あちっっ!」
彼女は彼の耳を掴み、スープから引っぱり上げて、彼を大鍋の横に置くと味見をした。
完璧!
「野戦調理士フィズ?」 その伝令は尋ねた。
フィズは柄杓を手に持ったまま敬礼した。伝令へとスープの飛沫が飛んだ。
「将軍からの伝言であります」 伝令はそう言って、びしょ濡れになった羊皮紙を渡した。
フィズはそれを受け取り、大鍋の上で絞り、広げ、読んだ。彼女の目が見開かれた。
「ラズガー将軍は昼食をお望みだ......」
伝令はあくびをした。
「......今すぐ......」
伝令はフィズに掴まれた耳をこすった。
「......将軍の天幕まで......」
伝令は鼻についたスープを舐めて、満足げに頷いた。
「......戦場を越えて......」
伝令は頭をかいた。
「......戦いの真ん中に?!」
伝令は肩をすくめた。
「読めませんでしたので」 彼は元気よく言った。「だからこそ私が伝令となったのであります! 機密保持、と言われております」
不幸なことに、フィズには読めた。将軍の筆跡は極めて特徴的だった。昼食、今すぐ、彼の天幕まで、戦場の反対側の。そして届いた時まで、熱いままならばなおよい。
彼女は再び塹壕の壁から、戦いの恐ろしくも酷い混乱を覗き見た。そこを生きて、スープをこぼすことなく通り抜けることは決してできないだろう。
フィズは背筋を伸ばした。どんなことだって起こりうる、絶対にないなんてことはない。母はそう言っていた。これはチャンスだった。今日は彼女の日。彼女はこのために生まれたのだ。
彼女は敬礼した。
「将軍にお伝え下さい、私は向かいますと」
「ん?」 伝令は言った。「私はここに残るであります。貴女がお伝え下さい」 彼は椀を掴むと、大鍋の中身で満たした。「私は昼食休憩を取りますゆえ」
フィズは壁から弾薬帯を手に取り、そこに塩、こしょう、二種類の甲虫の殻が入った小瓶を差した。常々言っているように、スパイスは人生のスパイスなのだ。
彼女は最後にもう一度スープを味見し、燃えさしから大鍋を引っぱり出し、うめきとともにそれを持ち上げた。彼女は戦場を横切らなければならないだろう、だがまずは塹壕の中を行ける限り進むつもりだった。これは、全くもって、重要な任務なのだ。
フィズは塹壕を駆け降りた。スープを手に、一滴もこぼさないように。岩と矢が降り注いだ。幾つかはスープに落ちた。それでよかった――風味を加えてくれるだろう。
彼女は混乱の中を走り抜け、他のゴブリン達を跳び越え、オークの脚の間を駆け、そして彼女を追いかけて狭い塹壕を下ってくる驚きの叫び声を無視した。
前方にはびくびくした、うろつくゴブリンがひしめき塞いでいた。彼女は速度を落とし、立ち止まった。
「あのー、ちょっといい?」 彼女は言った。「私、将軍からの緊急の任務なんだけど」
誰も動かなかった。一人のゴブリンが彼女に鼻を向けた。彼女は肩で押して通ろうとした。
「どいて!」 彼女は言った。誰もどかなかった。
フィズは深呼吸をした。
「熱いスープが通るわよ!」
《熱いスープ》 アート:David Palumbo |
ゴブリン達は悲鳴を上げて彼女の前から散った。そして彼女は前方へと走った......
......誰かの足につまずくまで。スープの大鍋は彼女の手を離れ、宙に投げ出された。彼女は飛びついて熱い大鍋を掴み、荒々しく着地したがこぼした量は椀一杯ほどで済んだ。
彼女は立ち上がり、土埃を払うと周囲を見た。背後に、彼女へと大災害を引き起こしそうになった原因、ゴブリンの地雷敷設士がいた。
《ゴブリンのドカーン物取扱者》 アート:Kev Walker |
その地雷敷設士は塹壕の中央に座っていた。彼は舌を噛みながら集中し、こてを使って緩い泥を固めていた――カーン! 泥の山がわずかに覆っているのは......
あれは爆弾? そう――そうだ。泥の山から導火線が伸びていた、燃えながら。
カーン!
「何を......してるの?」 フィズは尋ね、後ずさった。
「掘ってるんだ」地雷敷設士は言った。「爆弾を仕掛ける」
「私達の塹壕に?」
カーン!
彼は肩をすくめた。「どっか別の所だよ」
「そう......それは、どのくらいで......?」
「何が?」 彼は言った。
今や、導火線はかなり短くなっていった。
「気にしないで」 フィズは言った。「あ......あなたはとっても忙しいみたいだし」
カーン!
フィズは走った。
爆発音はすさまじかった。彼女の両耳も破裂しそうになり、泥が周囲に降り注いだ。ああ、だいたいは泥が。
フィズは角を曲がり、滑りこむように止まった、一列になったゴブリン達が、巨大な、熱い大釜を運んでいた。これが昼食の分隊だろうか? 将軍はこんなにも沢山のスープを注文したのだろうか?
「燃えさし運び、構え!」 見えない位置にいるらしき軍曹が声を上げた。
《燃えさし運び》 アート:Steve Prescott |
え、ちょっと。
フィズは後ずさり始めた。だが背後に並んでいた巨大な釜を運ぶ別のゴブリンにぶつかった。フィズは振り返って謝ると、石炭がそのゴブリンの鼻面にこぼれ落ちた。彼女は吼えてフィズを睨みつけた。
「燃えさし運び隊......攻撃ぃぃぃぃぃぃ!」
うーん、どうにかして戦場を横切らないと......
背後のゴブリンがフィズの背中を押した。フィズは肩をすくめ、スープの大鍋を持ち上げると、タラップを駆け上がって燃えさし運び達とともに塹壕の端を越えた。
爆弾が爆発した。ゴブリン達は縮こまった。オーク達は声を上げた。遠くに、ぎらぎらした鎧を着た人間が突撃し、輝く剣や長くて意地悪な槍を振るっていた。その中程、大きくて汚れた天幕の上で将軍の長旗が揺れながら立っていた。もう近くまで来た!
彼女の周囲で、燃えさし投げ達は不満そうな声とともに荷物を投げ出した。そして熱い石炭が降り注ぎ、時々悲鳴を上げた。数人の幸運な者達は――比較的幸運というだけだが――任務に成功し、それは敵の悲鳴となった。
フィズは燃えさし投げ達の熱い破壊跡を横切り、走り続けた。
ゴブリンが彼女の周囲でもたついた。オークは命令を叫んだ。か細く弱々しい、人間の話し声はかろうじて聞こえるくらいだった。だが人間達は声の限りに叫んでいたと彼女にはわかっていた。
怒りに頬を膨らませながら、フィズは立ち止まって息をついた。巨大な爆発跡の中、ゴブリンの不正規隊の一団がちぢこまっていた。
「それ、メシ?」 一人が尋ねた。
「あなたのじゃない」 フィズは言った。彼女は胸を張った。「これは将軍の昼食なのよ」
「おおおお、将軍」 別のゴブリンが言った。「あいつは一回、おいら達を送り込んで死なせようとした。もし俺達がスープを盗んだならどうなる?」
「あいつはお前のはらわたを抜いて、八つ裂きにして、で......で......煮ちまうな!」
「少なくともそうしたらオレは飯が食えるな」 三番目のゴブリンがこぼした。
不正規兵達はフィズとスープ鍋を取り囲んだ。
「将軍の昼食を取られるわけにはいかないの」 フィズは言った。「わ......私が許さない。考えなさい、考え......」
「家にいる子供や恋人のことを考えろ!」 爆発するような声が上がった。
そこに、爆発跡の端に、剣を高く掲げて勇ましい影が立っていた。
《ゴブリンの熟練扇動者》 アート:Svetlin Velinov |
「そいつらが、沢山の食べものがある温かくて安全な巣の中にいられるのは。 『戦争に行かなくて済んで嬉しい』、そいつらはきっとそう思っているだろう。それは何故だ?」
彼は息をついた。フィズは息をのんだ。不正規兵達は期待に身を乗り出した。
「あー、ちょっと待て」 彼はそう言って頭をかいた。「ド忘れした」
不正規兵達は互いの顔を見合わせた。
「ですが、つまり......?」 フィズは言った。
「そうだ! つまり」 彼は言った。「つまり......ん、俺が言いたいのは......ん、皆一緒に頑張ろう、あいつらが俺達を団結させるからこそ、たぶん、俺達はめいめい縛り首にならない。それとも......何か。何にせよ、ある偉大なる将軍はかつてこう言った......」
彼はその剣を高く掲げ、人間の塹壕を指した。
「俺以外の全員――突撃!」
不正規兵達は歓声を上げ、敵の前線へと駆けていった。フィズは単純に押し流された。
「ちょっと、待って、私は――」
彼女は来た道を戻ろうとしたが、ゴブリン達に取り囲まれていた。その背後に、彼らを鼓舞したゴブリン本人が、先程避難していた爆発跡の中に縮こまっていた。
彼らは吠えたける暴徒となって走り、フィズを引っ張っていった。彼女のスープは危険なほどにふらついた。そして彼らは敵の塹壕の縁を越えた。フィズはうめく非正規兵達の山に着地した。彼女は伏せたが、不正規兵達は塹壕全体へと走っていった。
フィズは周囲を見た。その塹壕はまっすぐで手際よく掘られており、高い壁はほんの少しも傾いていなかった。彼女は必死に出口を捜し、だがすぐに靴音が近づくのを、そして人間のキーキーいう声を聞いた。他に選択肢はなく、彼女は大鍋を置いてその後ろに隠れた。
「――何で悩んだのかすらわからん」 その一人が言った。「奴らの戦い方、それに奴らは放っておけば同士討ちをするだろう」
「それは正確ではありません」 別の人間が言った。更に高い声だった。女性だろうか?「奴らは鼠のように殖え、狂犬のように戦います。オークの配下として、奴らは西方全域を踏み荒らすでしょう」
「山岳地帯に向かい、奴らを皆殺しにするべきだ」 今もまだ近づきながら、最初の声が言った。「巣穴から引きずり出して――」
フィズは怒りで煮えくりかえった。人間達は角を曲がり、最初の兵士が姿を現した。
「おっ、昼飯隊がもう来たみたいだぞ」
これはいけない。まずいまずいまずいまずいまずい。
「大丈夫?」 二番目の兵士が言った。「いい匂いはしないんだけど」
「腹減りすぎて気にならないよ」 最初の兵士が言った。
椀の鳴る音。液体を注ぐ音。フィズは大鍋の端から覗き見た。その人間はスプーンを掲げ、フィズのお得意のスープで溢れさせて、息を吹きかけて冷まし、そして口に入れた。
彼の顔が赤くなり、緑になり、紫になった。彼はぶっ倒れた。
二番目の兵士が恐怖に後ずさった。
「毒攻撃だ!」 彼女は叫んだ。「防護呪文を、早く!」彼女は塹壕を駆け降りていった。
フィズは大鍋の背後から這い出した。その兵士は痙攣を止めていた。
「あんたを巣穴から引きずり出してやるよ」 フィズはぼそりと言った。「間抜け」
その人間の胸当ての上に立ち、彼女はようやく重い大鍋を塹壕の外まで持ち上げることができた。そしてその次に彼女も上がった。
戦闘は我々が優勢のように見えた。だが急がねばならなかった。まだ距離はあり、彼女が思ったよりも左方向遠くに、将軍の天幕があった。彼女は走り出した。
彼女は前線でも戦いの終わった、静かな辺りを駆け抜けた。彼女は泥の山の上に登ると、いいものを見た。
そこには、半ば空気の抜けたゴブリン気球カエルが地面に座っていた。そのカエルは満足そうに息を鳴らしていた。その隣にゴンドラが横たわり、乗組員のゴブリンが二人、どちらの失敗かでもめていた。
「ちょっといい?」 フィズは言った。
両方のゴブリンが振り向いた。
「私、将軍のためにとっても重要な任務の最中なの」 フィズは言った。「今すぐに、閣下の天幕まで行かないといけない。私をそこへ連れてって。そうすれば貴方たちにも褒賞がきっと......何かあるわよ、たぶん!」
ゴブリン達は肩をすくめた。
「ここで持ち場にいた方がいいと思う、人間が戻って来るだろうし」 一人が言った。
「それは......スープ?」 もう一人が言った。
「その通り」 フィズは言った。「行って!」
「聞いただろ!」 最初の乗組員ゴブリンが言った。「カエルをふくらませろ!」
「俺はここで待ってるよ」 もう一人が言った。
彼らは多くの不平をこぼしながらも大慌てでカエルを膨らませた。そしてカエルの涎をほんの少しスープに入れ、気球は宙に浮かび上がり始めた。
《ゴブリン気球部隊》 アート:Lars Grant-West |
「乗れ!」 ゴブリンの一体が言った。ゴンドラがわずかに地面から離れた。
「時間がないの!」 フィズは言った。「急いで着地しないといけない」
彼女はぶら下がったロープを片方の腕に巻き、それを輪にしてスープ鍋にかけ、掴まった。
「こりゃあ」 別のゴブリンが上から彼女に声をかけた。「ここまで変なものは見たことないぞ」
ラズガー将軍は天幕の中、とても不機嫌な空腹を増しながら、戦況の地図に集中しようとしていた。
胃袋が、戦場の喧騒を越えるほどに大きく鳴った。
「俺のスープはどこだ?」 彼は怒鳴った。
「わわわわわ、私は伝令を送りました」 彼のゴブリンの副官、ヨートがそう言って這いつくばった。彼は実に哀れを誘う存在で、ラズガーはその様子を気に入っていた。
「一人だけか?」 ラズガーは声を上げた。
「も、もももも申し訳ございません、閣下!」 ヨートが言った。「もっと送ります。何十人も! ですが将軍は仰いました、最高のものをと、そしてフィズは――」 彼は喋るのを止め、耳を傾けた。「この音は?」
ゴブリンはオークよりも耳が鋭い――彼らの、とても稀な長所だ。繁殖の速さは別にして――そのため、ラグザーがそれを聞くまでには一瞬かかった。
「通りまぁぁぁぁぁーーーーーーーーっっっっす!」
ヨートが天幕の側面を開けると、おかしな光景があった。軍属のゴブリンが一人、ばかでかい大鍋を抱え、ゴブリン気球カエルからぶら下がっていた。
そのゴブリンは天幕の中へと滑り込み、全身をふらつかせながら、地図の山の上に呻きとともに着地した。スープの大鍋が将軍の目の前の地面に音をたてて置かれ、中身がわずかに跳ねた。それは今も煮え立つほどに熱かった。
そのゴブリン調理士は地図の山から這い降りて、敬礼をした。彼女はラズガーの腿の半ばほどの背丈だった。
「野戦調理士フィズ、命令ありました任務にて参りました!」 彼女は声を上げた。
「楽にしていい」 将軍は言った。「それでは野戦調理士よ。噂通りの味かどうかを試させてもらおう......」
彼は大鍋をそのまま持ち上げ、唇まで持っていくと、飲み始めた。それは彼の喉を焦がし、腹を満たすと彼の目に涙が浮かんだ。良いスープが必ずそうさせるように。
味は筆舌に尽くしがたいものだった。靴、泥、鼠、ゴブリンの汗が加わり、カエルの涎を一滴、そして......
彼は飲むのを止めた。
「これは甲虫の殻か?」
「はい、将軍」 調理士が言った。「赤いものと、ぴかぴかしたものです」
彼はスープの残りを飲み干し、音を立てて大鍋を置くと袖で口元をぬぐった。
ゴブリンの調理人は心配そうに待っていた。
「素晴らしい働きだった......首席野戦調理士よ」
新たに昇進した調理人は誇らしげに微笑んだ。彼女を首席野戦調理士に昇進させたばかりのその将軍は料理を満喫しただけでなく、彼女を幸せにもしたようだった。
「うむ」 彼は言った。「実に美味であった」
彼は今も荒れ狂う戦場を睨みつけた。彼らは勝利しつつある、だが掃討には長い時間がかかりそうだった。
「さて」 彼は言った。「もう一杯いけそうなのだがな」
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