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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

物語的価値

Mark Rosewater
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2018年7月9日

 

 私がゲームデザインにおける大きなブレイクスルーをビデオゲームの途中で見つけることはめったにないが、何事にもはじめてのときというのはあるはずだ。興味深いことに、そのとき私はビデオゲームをプレイしてすらいなかった。私は、上の娘レイチェル/Rachelがリコリスキャンディを得ていたところを見ていただけである。少し時間を巻き戻してみよう。

 年に1度、私は家族と一緒に、室内の親水公園に出かけている。そこはホテルでもあり、家からは1時間半ほどの距離にある。親水公園以外にも、そのホテルには子供向けの施設があり、そこそこ大きなゲームコーナーが併設されている。最近のゲームコーナーによくある通り、「ゲーム」(ここでかぎかっこをつけているのは、それらは実際のゲームとは程遠いものであり、プレイヤーがほとんど影響を与えられないような無作為なものだからである)の多くは、さまざまな賞品に引き換えられるチケットを出すようになっている。

 チケットの引換率はかなり悪く、実際に価値があるといえるようなものに引き換えるにはありえないほどのチケットが必要である。ほとんどの場合、子どもたちは少しのキャンディや小さな記念品のようなおもちゃを手に入れるだけに終わるのだ。子供たちは3人とも、いつもチケットに夢中になり、楽しいビデオゲームをすることではなく、大量のチケットを手に入れられる可能性がある「ゲーム」をする。大抵、子供たちは100枚程度のチケットを手にして、明日には忘れてしまうようなおもちゃ(その前に壊れるかもしれない)と、少しのリコリスキャンディと交換することになる。しかし、この日はレイチェルがジャックポットを当てた。

 私は彼女の嬉しそうな叫びを聞き、そして、そのゲームのカウンターが大きな4桁の数字からカウントダウンされ、大量のチケットを吐き出すのを見たのだった。最近のゲームコーナーでは「チケット」を記録するカードを使うことが多いが、そこはまだその形式になっておらず、何百枚ものチケットをチケットカウンターまで持っていって賞品を受け取る必要があった。レイチェルは他の「ゲーム」でもうまくいき、最終的にこれまで手にしたことがないほどの量のチケットを手に入れた。

 やがて、彼女のお金が尽きて、チケットを交換に出す時期が訪れた。大勝利はしていたが、それでもまともな賞品を手に入れるために必要なチケット数には遠く及ばない。安物の動物のぬいぐるみ、その他いろいろな中程度の賞品となら交換できる。彼女はあらゆる選択肢を考慮し、そして私の想像していなかったことをしたのだった。一番安い賞品の1つに、個包装されたさくらんぼのリコリスキャンディ1個、というものがあった。彼女は、これがチケット何枚なのかを尋ねた。答えは、10枚ぐらいだった。レイチェルは、「わかった。じゃあこれ全部リコリスにしたい」と言ったのだ。

 カウンターの女性は、レイチェルの言うとおりにするとリコリスキャンディの量がすごいことになるので、間違っていないか確認するために聞き直した。レイチェルは間違いないと答えた。女性は問題ないと答えた。そして、彼女はバックルームから、大量のリコリスキャンディを持って戻ってきた。レイチェルは個包装されたリコリスキャンディが入った大箱を2個半手に入れることになった。彼女は満面の笑みを浮かべ、ゲームコーナーを後にしたのだった。

 家に帰っている間、私はレイチェルが今やったことについて考えていた。今手に入れたリコリスキャンディをすべて食べることはできない。実際、家にはレイチェルがいつでも食べられるリコリスキャンディの入ったバッグが置いてあったが、我々がそれを買ってから彼女は手を触れたこともないのだ。そのとき、私は、リコリスキャンディそのものが重要なのではなく、リコリスキャンディを手に入れたという出来事が重要なのだということに気がついた。レイチェルは今までになかったこと(ジャックポットを当てたこと)を体験し、そしてそれについて話すときの物語を高めるためにその体験を最大のものにしようとしたのだ。

 2時間かそこらで忘れてしまうような動物のぬいぐるみを手に入れることは、彼女の物語の締めくくりにふさわしいものではない。彼女は、この出来事の終わりを印象的なものにする何かをしたいと考えたのだ。振り返ってみると、彼女は手に入れたリコリスキャンディと一緒に自撮りをし、そしてそれを彼女のSNSアカウントに投稿していた。彼女がこの日手に入れた賞品は、即座にSNSで、また後々その話をするときにも価値を持つ、物語だったのだ。

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 この出来事があって、私は自分の人生の中でのある記憶を思い返した。若い頃、私はソフトボールをしていた。(ソフトボールは野球と似たスポーツだが、ボールが大きくて柔らかいという違いがある。子供たちが野球の代わりにプレイすることが多い。)私は及第点のプレイヤーだったが、特にその競技に秀でていたというわけではなかった。打者としてはおよそ半分の確率で一塁に出ていて、その多くはフォアボールだった。(ピッチャーのコントロールが悪く、私は自動的に一塁に進むことができたのだ。)ソフトボールをやっていた時期を通して、二塁打を打ったのは10回前後だったと思う。

 シーズンの終わりごろで、私のチームはすでに優勝争いから脱落していた。我々が楽しみのためにプレイするようになっていた中で、私は素晴らしいヒットを放ってボールは外野深くに飛んでいった。私は一塁に走った。ボールはまだ外野にあり、誰も拾っていなかった。私は二塁に走った。相手チームの選手がボールに向かって走っているのは目に入ったが、まだまだ遠かったので私は三塁に向かった。私の視界の端に、ボールに向かっていた選手がボールを拾い上げ、まさに投げようとしている姿が見えた。本能は止まれと言っていたが、私はその声を無視し、三塁を蹴ってホームにヘッドスライディングをしたのだ。

 戦術的には、大間違いをしでかした。三塁打で充分なのだ。ノーアウトだったので、次の打者に打点が付く可能性は非常に高かった。では、なぜ私は走ったのか。私が走ったのは、それが私の人生で唯一のホームランの機会だったからである。私はそれまで三塁打を打ったこともなく、もう一度そんな機会が訪れることは期待できなかった。ついているとわかっていた。そのときの私は、そのゲームでチームが勝利することよりも、ホームランの機会を掴むほうを選んだのだ。

 二塁を離れてから全力で走っていたので、私とボールはほぼ同時にホームベースに到達した。投球が少しそれていたので、私のほうが一瞬早くベースにつくことができたのだった。これが私の人生唯一のホームランのあらましである。

 この2つの話の共通点はなにか。それは、レイチェルも私も経験することを優先したということである。個人的な話には、自分の行動に影響を与えるだけの価値があるものなのだ。後にその話をできるかどうかに基づいて人々が選択するというのは、興味深い概念である。これを「物語的価値」と呼ぼう。

 私にとっての次の一歩は、この考えをゲームデザインに適用することであった。ゲームにおいて、物語的価値はどういう意味を持つか。そもそも、ゲームとは経験を作り出すためのものである。私は常々、感情的共鳴を引き出し、楽しさという感覚を再現しようとすることについて語ってきた。物語的価値は、ゲームデザイナーが使えるそのための道具の1つだと捉えられるものなのだ。

 これについて考えを巡らせた後で、私は、ゲームデザイナーが自分のゲームで物語的価値を最大限にするためにできる7つのことをまとめた。

#1:プレイヤーが予想外の方法で使うことができるだけの柔軟性を持つ要素を作ること

 物語的価値を促進するための1つめの技は、プレイヤーに、自分自身だけのものだと感じられるようなことをしたと感じる瞬間を作り出すことができるような柔軟性を与えることである。通常、これは要素をデザイナーが意図していたのと違うと思われる方法で使うことに繋がることになる。ゲームの要素に新しい意味を与えたことは、まさに語るべき重大な物語なのだ。「ゲーム(デザイナー)は、プレイヤーがAをするものだと思っていた。でも僕はBをしたんだ。」

 これを達成するための鍵は、メカニズムを想定される使い方が明白に伝わるような焦点の定まったものにすること、しかしその一方でプレイヤーが他の使い方を見つけることができるだけの自由度があるようにすることである。マジックのメカニズムでは、これを達成するのは非常に簡単である。私の好きな例として、私が初めてデザインのリードを務めた『テンペスト』のあるカードがある。そのセットで、私は《白兵戦》というカードをデザインした。

 このデザインは、あまりコンバット・トリックを使わず、大型クリーチャーを使うデッキのためのものだという考えに基づいていた。このエンチャントは、「もう技は充分だ、殴り合おうぜ」という意思表示としてプレイするものなのだ。カード名と概念は明らかに、コンバット・トリックを封じることを意図していた。

 しかしこれが最終的に競技で使われたのは、コンバット・トリックとは何の関係もない相互作用を利用する目的だったのだ。これを使ったデッキは赤単色デッキで、《赤の防御円》というカードがその天敵だった。赤の発生源がダメージを与えようとすると、対戦相手は1マナを支払ってそれをすべて軽減してしまうことができるのだ。それはエンチャントだったので、その赤デッキには破壊する方法がなかった。《白兵戦》の効果は戦闘中ずっと働くので、ダメージが割り振られる時点でも有効であり、ダメージを止めるために《赤の防御円》を起動するのは(当時は)そのタイミングなので、つまるところ完璧な回答になっていたのだ。

 この抜け穴を見つけた人物(誰だかは知らないが)は、「システムを破壊する」という語るべき重大な物語を手に入れたのである。このカードを、意図されていなかった使い方で使ったのだ。マジックにおける唯一の当事者意識感を与え、そして不可能なことはないのだという感覚をもたらした。ゲームデザイナーとして、これは自分のゲームに組み込むべき重大なものである。

#2:予想外の方法で組み合わせることができる自由度の高い要素を作ること

 実際は、この2つ目の技は、1つ目の技の変種にすぎない。単一の要素がすべての役目を果たすようにするのではなく、複数の要素の間の相互作用が同じような効果をもたらすようにするのだ。このバージョンの利点は、プレイヤーが2つの要素を組み合わせることを選ぶので、当事者意識を感じさせるのが簡単だということである。マジックはカードが基本単位であり、ゲームの本質から言って組み合わせなければならないものなので、これを達成するのが非常に簡単なのだ。

 これを有効にするための鍵は、能力の重なりを最大にするように個々の要素の自由度を可能な限り高くデザインすることである。通常、セット内では、我々は重ねたいサブテーマに焦点を当てることでこの組み合わせを最大限にしている。しかしながら、セット内のものは組み合わせて使うように作られていると受け取られるものなので、最大の物語が生まれるのはセット間の組み合わせによってなのである。

 マジックにおける私のお気に入りの例は、遠い昔、『アイスエイジ』で《Illusions of Grandeur》を作ったときのことが挙げられる。

 これはトップダウンで幻影を表したカードで、青が防御的にゲームを長引かせるようにデザインされたものである。(このカードの効果は今は青のカラー・パイに属するものではないということはいい添えておくべきだろう。)

 その5年後、『ウルザズ・デスティニー』で、私はこのカードをデザインした。

 私が《寄付》を作ったのは、ジョニーとして、弱点をうまく対処することができるように組まれていないデッキを使っている対戦相手に、弱点を持つクリーチャーを押し付けるデッキを組むのが好きだったからである。それから、誰か(確かミシェル・ブッシュ/Michelle Bushというプレイヤーだったはず)が、《Illusions of Grandeur》を対戦相手に渡せば、先にライフを得させることなくライフを20点失わせることができるということを指摘してくるまで、そう時間はかからなかった。

 トリックス/Trixと呼ばれたそのデッキ(当時、コンボデッキの名前はこういう面白いものだった)は台風の目になり、ミシェルはこの発見をしたという物語によって永遠となったのだった。

 《寄付》を、特に《Illusions of Grandeur》と組み合わせて使うように意図したことは全くないが、自軍の何かを対戦相手に与えるという自由度は、カードに組み込まれている多くの弱点と相性がいいということはわかっていた。プレイヤーが賢い使い方を見つけて活用するであろう道具を作ったのは、発見の物語を作るためなのである。

#3:印象的な瞬間を作ることができるようになる無限の挑戦の中でデザインすること

 次の技は、無限の可能性を持つ要素を作ることである。それはつまり、プレイヤーが可能な限り何度もできるようにするということを意味する。通常のゲームではそれほどできるものでなくてもよく、可能性が出たときにだけできればいいのだ。

 マジックにおいては、通例、これは好きな回数だけ起動できる能力を持たせるということになる。理想的には、起動すればするほど比例して強くなる能力であるべきである。マジックに関する私の好きな例は、私の個人的な話と結びついたものだ。

 2011年、私は世界選手権に立ち会っていた。私の仕事の1つが、大乱闘戦多人数戦でプレイし、デッキに入れてあることを誰も知らない、次のセットからのプレビュー・カードをそっと公開することだった。そのカードは《カメレオンの巨像》で、それが出たのは特にそっとというものではなかった。

 そのゲームの中盤に、私はそれに《ロクソドンの戦槌》を2枚装備させ(当時は絆魂が2つつけば効果は累積した)、さまざまな技を駆使してパワーを8回倍にし、そして27648点のダメージを与えて55296点のライフを得たのだ。それでゲームに勝てたかというと、勝てなかった。次のラウンドに進める上位2人に入ることもできなかったのだが、それは重要ではない。私がこの話を何百回も話してきた中で、そのゲームの結末が話題になったことはなかったのだ。(詳しく知りたい諸君は、こちらでその全てを読むことができる:リンク先は英語。)

 《カメレオンの巨像》は、ここで言う無限の挑戦のまさに好例である。起動するたびに、これのパワーとタフネスが倍になる。つまり、使う回数が増えるほど、どんどん強力になっていくということである。ほとんどの 場合はもうちょっとだけ大きくするだけだが、この話の場合、このカードは伝説に残るような可能性を開いたのだ。

#4:達成することが勲章になるようなほぼ不可能な課題を作ること

 この技は3つ目のものと似ているが、少し異なっている。毎ゲームできることを1ゲームで大量にやるのとは違い、1回するだけでも非常に難しいものを作るので、プレイヤーがそれを達成したら、それだけで語るべき物語になるのだ。この技の鍵になるのは、大多数のプレイヤーが達成できないものであるとしても、ほとんどのプレイヤーが可能性には気づけるものにすることである。ただし、難易度はいろいろとあり得る。簡単にすればするほど多くのプレイヤーがそれを達成することになるが、難しくすればするほど成功したときの物語は素晴らしいものになるのだ。

 マジックの例を挙げるなら、2つ目の銀枠セット、『Unhinged』からになる。このセットでは分数を扱っていたので、私はこんなカードを作った。

 《Little Girl》は特に強いカードではない。白マナ0.5個で唱えられる{1/2}/{1/2}クリーチャーは実際とても弱いのだが、1つの課題を提示していた。フレイバー的にもメカニズム的に弱いクリーチャーがいる。これで勝利することができるか。この課題を非常に自由度の高いものにしていることに注意してもらいたい。フレイバー的に弱いクリーチャーを作ったが、それで何をするかはプレイヤーに委ねられているのだ。

 《Little Girl》で勝利するというのはどういうことだろうか。{1/2}点のダメージを与えてさえいればいいのだろうか。勝利するための最後のダメージを与えればいいのだろうか。20点すべてのダメージを《Little Girl》が与えなければならないのだろうか。この課題をどう捉えるかをプレイヤーの自己決定に任せ、その自分で定めた課題を達成したときに自分で報酬を手に入れられるようにしたのだ。

 私がウィザーズに入社する前、私は身内のマジックのサークル内で、最もおかしな方法で勝つことを目指すジョニーなデッキビルダーとして知られていた。私の物語の多くは、不可能に聞こえることをどう取り上げ、そしてどうやってそれで勝ったかということを語ったものだ。《Little Girl》は、他のプレイヤーにそれと同じことをしてもらおうというだけのことだったのだ。

#5:他の勝利条件を作ること

 プレイヤーの物語的価値を作るもう1つの方法が、ゲームに普通の勝利条件以外で勝てるようにすることである。先述の4つ目の技と同様に、その勝利条件はそう簡単ではないだろうし、おそらく簡単であるべきではない。ただ、通常と違う形で物事を行なえるという展望を提供しなければならないだけなのだ。通常、非常にフレイバーに富んでいるということはこの種の行為に関して大きな利点である。

 マジックからの私の例は、毒カウンターだ。1994年のセット『レジェンド』で、2枚のカードによって新しい勝利方法がマジックにもたらされた。

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 普通は、対戦相手のライフを0まで減らすことで勝利するが、毒では対戦相手にカウンターを与えることで勝利する。毒カウンターを10個持たせれば勝ちになるのだ。《地獄の蠍》をパックから引いて衝撃を受けたことを覚えている。そのカードは最悪だったが、そんなことは気にしなかった。それまで見たことがなかった課題を提示してくれており、即座に心奪われたのだ。私は毒カウンターを、私を最もマジックに引き込んだものの1つだと位置づけている。この技は非常に強力で、実際、マジックは2年に1度ほど代替勝利条件を作ろうとしているほどである。

#6:プレイヤーに、結果に影響を及ぼすような他の人とのやりとりをできるようにすること

 物語を作るための最善の方法の1つが、プレイヤーに他の人とのやりとりをさせることである。人間は、お互いにやり取りをしたことに関する物語をするのが好きなのだ。この技の鍵は、たとえ小なりといえど、そのやりとりがゲームに影響を及ぼすようにすることである。そうすることで、その物語は両方の人と、ゲームにもたらした影響についてのものになるのだ。

 これに関するマジックの例として、去年の銀枠セット、『Unstable』を挙げよう。マジックにさらなる無作為を取り込む方法を探していた私は、人間というのは無作為の元にするのにいい存在であるということに気がついた。そこで、私は「外部協力者」と呼ぶものを使う一連のカードを作ったのだ。それぞれについて、そのゲームに参加していない誰かを巻き込み、そのゲームに関するいくつかの決定をしてもらわなければならない。

 当時開発部内では、それらのカードを採用するかどうかについてかなりの議論があったが、それが素晴らしい物語になる瞬間を生み出すのだと私は強く主張した。そして、私が正しかったのだ。『Unstable』に外部協力者カードは7枚だけあり、私はその全てについての物語を語ってきた。

 興味深いことに、私が最も多く語った『Unstable』の物語はそのカードの中の1枚である《〈なんとか隷属機〉》に関するものだった。(その物語についてはこちらで読むことができる。)そして、それは私がプレイしていたゲームに関するものですらないのだ。

#7:プレイヤーが、創造性を発揮する機会となるカスタマイズをできるようにすること

 最後の技は、ゲーム内にプレイヤーがカスタマイズできる効果を作ることである。プレイヤーに何かを選ばせ(あるいは大きな選択肢集団の中から何かを選ばせ)、自分自身の体験を作ることができるようにするのだ。プレイヤーが物語的価値を求めることは、彼ら自身だけの選択をすることに導くことになる。

 マジックでの例は、これも『Unstable』からのものになる。

 クリーチャーに対策するコモンの青のカードが必要だったので、《脱水》系のカードを作ることにした。『Unstable』は銀枠の商品なので、黒枠ではしないような要素を追加する必要があった。銀枠セットでは、青は会話を扱うという小テーマがあり、『Unstable』ではあまりそれを扱ってこなかったということに気がついていた。

 発声することでエンチャントされたクリーチャーをタップする単語というのはどうだろうか。その単語を発声する以外にコストが必要なければ、アンタップできないというのと似たことになる。問題は、その単語をどうするかだった。私はさまざまな単語を試したが、最終的には、どんな単語を選んだとしてもそれがすべての人にとって面白いものにはならないということに気がついた。そこで、呪文を唱えたプレイヤーに単語を選ばせることにしたのだ。このカードが何度もプレイされているのを見て気がついたのは、プレイヤーは対戦相手が面白さを見つけ出すような単語を見つけることに尽力するということであった。

 単語を選択することを完全に自由にしたことによって、対戦相手との間に楽しい瞬間を作りうるものを選ぶ可能性を高めたことになる。これは物語に繋がりうるようなことである。

物語は進む

 物語的価値はゲームのあらゆる要素を評価するものではないが、要素の中にはこれで評価すべきものも存在する。ゲームを組み上げるとき、最終的な体験をどうするかを調整するところが大量にあるということを意識する必要がある。特定の選択をすることで、プレイヤーが物語を作ることに繋がる選択を最大にすることができ、それはプレイヤーがそのゲームにどれだけ惚れ込むかに影響するのだ。

 この種の記事を書くことはあまりないので、いつも以上に諸君の反響に注目している。メール、各ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+Instagram)で(英語で)聞かせてくれたまえ。

 それではまた次回、諸君がこれまで質問したことのない誰かに質問できるようにする日にお会いしよう。

 その日まで、多くの語るべき物語があなたとともにありますように。

(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)

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