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Making Magic

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温故 vs 知新

Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru

2012年10月15日

原文はこちら

 先週、お便りコラムを書いた中でラヴニカへの回帰のデザインに関する質問に答えた。もっとも多かった質問の一つが、ラヴニカでプレイヤーに愛されていたものを再び捉え直すことと、新しい何かを作ることとのバランスをどう取ったのかというものだった。私はこの対立についてこれまでにも少しだけ語ってきたが、このことだけを取り上げて一本のコラムにできると判断した。今回は、この温故と知新の対立について語ることにしよう。

プレイヤーの声を聞け

 この対立を「温故 vs 知新」と呼ぶことにした。まずはここで使っている2つの単語の定義から始めよう。

温故

 人間は安心の生き物である。つまり、我々はすでに知っているものを好むのだ。なぜか? それは、我々の脳に深く刻まれている。なぜか? 我々が種として生き残るために、命の危険があるものを避ける必要がある。それでは、命の危険があるもの――種の絶滅の危険があるものとは何か? 未知なるものだ。

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 例えば、洞窟に住んでいた時代の話をしよう。生き延びることは非常に重要だった。木の実のように無難なものでも、生命に支障を来す場合がある。昨日食べた同じ木の実を食べる理由は? それらの木の実を食べても死ななかったからである。生き延びるために、我々の脳は既知のものを安心できると感じて求め、そして新しいものを奇妙だと感じて恐れるのだ。これは、安全のためなのである。

 マジックのデザインの話にすると、この欲求はプレイヤーにかつて楽しんだものを再訪したいという気持ちを起こさせる。私がもっともよく聞かれる質問に、「[個人的に好きなメカニズム]の再録はいつですか?」というものがある。かつて、我々はキーワード・メカニズムを使い捨てにできる、一度使ったらそのまま捨てるものだと考えていた。時を経て、キーワード・メカニズムは何度も何度も使える便利な道具だと気がついたのだ。実際、我々は今、ブロックごとにある努力をするようになった。まあ、全てのブロックではないことは認めるが、キーワード・メカニズムを1つ再利用するという努力だ。

 現在、我々はしばしば昔のメカニズムやカードや設定をセットの売りとして再利用している。我々がそれにこだわるのは、このなじみへの欲求が古いものをプレイヤーにとって魅力的なものにしていると理解したからである(正確に言うなら、彼らが好きだった古いもの、だ。毒の実を知っていても、また毒の実を食べたいとは思わないものだ)。

 温故はより深い層に関わっているということを印しておこう。マジックは新しい次元の探求と新しいものの発見を主題としているが、それと同時に、諸君がマジックをプレイし続けていると思える、充分に近いものでもある。毎年違う外見に飾っているが、その核の部分でマジックはやはり同じゲームなのだ。毎年、緑には《巨大化》系の効果があり、土地を探す能力がある。赤は直接ダメージを与え、アーティファクトを破壊する。色には維持されなければならない特徴があり、それはプレイヤーが毎年の秋に新しいセットに触れた時、よく知った土俵にいるという充分な安定性を求めているからである。

 なじみを求める思いというのは、非常に強いものなのだ。

知新

 好奇心は人間の持つ強力な感情であり、やはり脳に深く刻まれている。なぜそれが必要なのか? それは、適応力が重要だからである。生き残るためには、必要に応じて変わっていく能力が必要である。そのために、我々にとって何か情報が必要であれば、我々の脳はその答えを探すように我々を誘導するのだ。

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 洞窟生活をしていた時代に、人類は元から火の使い方を知っていたわけではない。おそらく、ある日、稲妻が樹を打ち、燃え上がらせたのだろうと思う。そして人類の1人が近づき、その奇妙な存在についてもっと知りたいと思ったのだろう。実験から、それを明かりと熱として使えることを知った。さらに実験を重ね、例えば肉料理に使う方法を見つけ出した。人類という種として、我々は火を手に入れたことによって飛躍的に豊かになった。しかし、もし誰かがこの存在について探求し実験しなければ、そんなことは起こらなかっただろう。

 マジックのデザインの話にすると、知新はリチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldがマジックを作った時に意識した中心的なものである。マジックは「箱よりも大きな」ゲームとして作られた。つまり、発見が原動力だったのだ。私はマジックの人気がある理由についてしばしば語るが(このコラムなどはそのいい例だ(英語))、私が説明することは「さくさくハッシュポテト効果」と呼んでいるものだ。(以下の文は上記のコラムからの引用である)

 私はハッシュポテトが好きだ。さくさくの外側の部分が一番だ。美味しい外側の部分を食べてしまうと、内側は一段落ちる。ああ、私はポテトが好きで、内側の部分も食べるけれど、外側のさくさくの部分を食べた後だと興味はなくなっていく。

 私の見解では、ゲームというのはこのさくさくハッシュポテトみたいなものだ。さくさくの外側の部分はそのゲームにおける発見の部分。新しいゲームを学ぶ上で一番楽しい部分は、そのゲームを理解することだ。しかし同時に、重要な部分をも見つけ出してしまう(知っての通り、○×三目並べでは真ん中のマスを押さえるのが重要で、オセロでは角を取るのが重要だ)。そして、その瞬間から、ゲームは戦術ではなく戦略のものになっていく。記憶が必要になる。ゲームの序盤は手順を暗記するものになる。そしてやがて負けないような手順を身につけていくのだ。

 諸君がこれまでプレイしてきたゲームを思い返してみれば、この流れは見いだせるだろう。楽しんだゲームでもうやっていないものについて考えてみるといい。なぜプレイしなくなったのか? 面白くなくなったから? これは私の持論だが、ゲームが楽しくなくなるのはその発見の過程で燃え尽きたからである。つまり、ゲームの中にはこの過程をより巧く取り扱っているものがある。非常に長い時間残ってきた古典ゲームは存在するが、それらのゲームを続けているプレイヤーは楽しみ方を根本的に切り替える必要がある。始めた時と同じぐらい楽しめるようになるには、多大な努力が必要である。他のプレイヤーよりもより上達することに重きを置きがちである(公平を期すために言うと、これはマジックでも起こっているが、それはずっとずっとゆっくりとしたペースである)。そのゲームは直感のものから知性のものになっていっているのだ。

 これはマジックの最大の特徴につながる。さくさくハッシュポテトの表現を使うなら、さくさく部分が再生するようなものだ。マジックには新しいカードが増え続けているので、起こっていることが変化し続けている。発見の過程には何日も、何週間も、何ヶ月もかかり、別のゲームが始まればまたマジックは永遠に変化し続ける。マジックは変わり続けるので、マジックを本当の意味で理解することはできない。ハッシュポテトの内側を食べさせられることはないのだ。そして、内側を食べたとしても、ふたたびさくさくの外側を食べるようになるのは時間の問題だということはわかっているのだ。

 マジックがそれだけ偉大なゲームなのはなぜか? それは、マジックが常に進化し続け、プレイヤーに緊張感を保ち続けさせているからである。


 マジックの最大の長所の一つは、常時知新し続けていることである。マジック・プレイヤーの平均的なプレイ時間は他のほとんどのゲームと比べ、途方も無いものである。この、新しいものを発見し続けるという必要性がプレイヤーを他のゲームのようにはマジックに飽きさせないのだと私は信じている。

 新しいセットが世に出る度、プレイヤーはそのセットの新味が何なのかを知りたいと思うものだ。新しいメカニズムは何で、目を惹く新しいカードは何か? このセットで新しくできるようになることは何か? そして、どう知新しているのか?

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 首席デザイナーとして、私は新しいものを作る必要性に常時意識を向けている。私はまた、新しいものが無尽蔵にあるわけではないことを踏まえ、新しいものを使いすぎないようにする役目も担っている。そう、有限なのだ(新しい要素について語っているのであり、古いものを新しい方法で組み合わせて新味を持たせることの話をしているわけではないことは書いておくべきだろう。これも数学的には有限かも知れないが、使い切る危険性については恐れていない)。セットごとに、我々は新しい知新のしかたを探しているのだ。

 この、知新への欲求は非常に強いものなのだ。

脳内対立

 さて、対立の両陣営を定義したところで、この対立そのものの話をしよう。諸君の脳の一部は「知っているものにしがみつけ」と言い、また別の一部は「新しいものを探し出せ」と言う。この2つの欲求はお互いに矛盾している。それでは、デザイナーはどうすべきか?

 私はしばしば、ゲーム・デザイナーは人間の本質にそぐわない衝動に耐える必要があると語ってきた。私のよく言うように、人間の本質に逆らうのは最初から無謀な戦いなのである。それでは、対立の両陣営が人間の本質であるなら、どうなるか? 2つの止め得ない力が正面から衝突したら何が起こるのか?

 ラヴニカへの回帰が出たばかりなので、このセットをこの対立の例として使うことにしよう。まずは温故の側だ。言葉で言うよりも、ラヴニカ世界の人気を示しているビデオを見てもらうことにしよう。

 これから見てもらうのは、この4月にPAXイーストで「ラヴニカへの回帰」という名前を公開したビデオだ。このビデオの出だしでマジックのクリエイティブ・ディレクターであるブレイディ・ドマーマス/Brady Dommermuthがスライドを見せる。このスライドは画面にないので、これからここでお見せしよう。

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 このスライドには秋のセットの名前と、ジェイスと、ニヴ=ミゼットが描かれていた。これで全てだ。反応はビデオを見てもらえばわかるだろう。


埋め込み動画は、スマートフォン版では非表示となっています。
下記リンクから動画をご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=v1iUrzcu9FA

 温故が強力なツールであることは見ての通りだ。旧ラヴニカ・ブロックは非常に愛されていて、その次元に戻るという情報だけでファン達は非常に強い反応を見せてくれた。これはつまり、ゲームでも、開発部でも、非常に神聖な場所にいると言ってもいい。もし我々がラヴニカ次元に戻るなら、その残されている足跡は大きいのだ。

 知新の圧力はラヴニカへの回帰に限ったものではない。ここまで言ってきた通り、プレイヤーはどのセットでも何が新しいのかを知りたがるものだ。なじみのある次元に戻る場合でも、プレイヤーはやはり何か新しいものを望むものなのである。

 それでは、温故と知新のバランスをどうやってとったのかについて語ろう。

#1: 望まれていることを知る

 ラヴニカへの回帰のデザインにおいて一番最初にやったことの1つが、旧ラヴニカを定義づけていたすべてのもののリストアップである。リストができたら、次に我々はそれを1つずつ検討していった。それぞれについて考えたことは、「プレイヤーはこれをラヴニカを定義づけるものだと考えているだろうか」ということだった。

 このリストからいくつか取り上げてみよう。

ギルドの指導者

 ラヴニカ・ブロックでは、10個のギルドを差別化するのに尽力した。その方法の1つが、各ギルドにおいて同じ役割を果たす存在をギルドごとに変えるというものである。その差別化のためのサイクルの1つに、ギルドの指導者があった。各ギルドは誰かに指導されているのだ。このギルドの指導者は元々レアで、今は神話レアの(神話レアというレアリティはアラーラの断片・ブロックで始まったものである)伝説のクリーチャーである。

 ラヴニカに回帰したとき、プレイヤーはギルドの指導者がいるものだと予想するだろうか? もちろん! ギルドは今回も中心にあり、誰かがそれを指導しているのだ。加えて、統率者戦の盛り上がりも伝説のクリーチャーを入れる理由になった。つまり、より魅力的なキャラクターをカードにするべきだということである。ギルドの指導者は、当然、セットに入ることになった。

混成マナ

 ラヴニカ・ブロックはマジックに混成マナを導入した。各混成マナは対応するギルドに関連づけられていたが、テーマ的にはそれほどの繋がりはなかった。混成マナなしでギルドは存在できるか? もちろん。プレイヤーは混成マナが戻ってくると予想しているか? この質問はそれほど明確な答えはなかった。

 我々は各セットごとに市場調査を行っており、その結果、ラヴニカ全体でもっとも人気が高いのは混成マナだということがわかった。金色カードよりも高いのだ。また、混成マナは最初に現れたラヴニカと強く結びつけられている。しばらく考えた後で、我々はこれを使うが、その頻度は旧ラヴニカ・ブロックと同じく少しだけにする、ということにした。つまり、垂直サイクル1つ(コモン1枚、アンコモン1枚、レア1枚)である。

戦場に出たときの効果を持つオーラ

 これはリチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldが旧ラヴニカ・セットに入れたコモンのサイクルである(《信仰の足枷》《空想の飛行》《不死の断片》《感電の弧炎》《鉄の樹の拳》)。これらのカードはラヴニカのリミテッドに多大な影響を及ぼした。これらはラヴニカを定義づけているものだろうか? それほどではない。これらはリミテッドに影響を与えたが、ギルドとは何の関係も持っていなかった。

 我々は、新しいものを作るための場所を空ける必要があってかつこれを再利用したいと思ったらどうするかを自問した。最後に、我々は、このサイクルが戻ってこなかったときにプレイヤーは能動的に悲しむかということを自問した。その答えは「ノー」だった。ギルドの指導者がいなかったら、プレイヤーは一揆を起こすことだろう。混成マナがなければ、かなりのプレイヤーは不快感を覚えることだろう。戦場に出たときの効果を持つオーラがなくても、ほとんどは気づきすらしないことだろう。

 温故の中には、プレイヤーが想像するだろうと思うことを戻すことが含まれる。知新の中には、新しいことをする場所を作るために物事を切り捨てることが含まれるのだ。

#2: 古い酒を新しい革袋に

 どの要素を戻すかを決めたら、次はそれをどうやって実現したいかである。ショックランドのように全く同じ形で戻ってくるものもある(イラストは変わっているが)。ギルドの指導者のようによく似た形で戻ってくるものもある。あるいは、新しい調整を受けて戻ってくるものもある。

 これの最高の例がギルド魔道士の新しいサイクルだ。別のギルド魔道士のサイクルが必要だと判断し、我々は混成マナを戻すことにした。ギルド魔道士を以前のものとよく似た形で戻すこともできたが、そうするのは単に温故だけに拠ることになる。セットを輝かせるために、鍵となるこれらの要素にも知新が必要だと思ったのだ。

 始めに、我々は異なった調整を加えた、混成ギルド魔道士から始めた。ラヴニカ・ブロックでは、各ギルド魔道士は2つの起動型能力を持っており、それぞれ別の色のものだった。それぞれの起動は色だけが違う同じ量のマナを必要とするものだった。最初の変更点は、この起動をばらばらにすることだった。2つの同じ重さの起動型能力を持つのではなく、1つは軽く、1つは重いものにするというのだ。これによって、このカードは序盤でも終盤でも使えるようになる。

 その次に、軽い起動型能力と重い起動型能力を調整し、それぞれがそれぞれの色というのではなく、両方とも両方の色を使うようにしたのだ。その後、デベロップ・チームはこのカードを混成ではなく金色に変更した。

 ギルド魔道士は温故と知新の結びつきの1つの姿を見せていると思う。温故と言えることを、知新と言える手段で行なっているのだ。これで、プレイヤーたちは発見すべき新しい要素を持つ、なじみのあるカードを見ることになる。

 ここでの重要な教訓は、温故と知新は様々な方法で協力できるということである。デザイナーやデベロッパーの重要な仕事は、両方が力を示せる領域を見つけ出すことなのだ。

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#3: 自然に振る舞う新しいものを与えよ

 次の技は、過去にあってもおかしくなかった、実際には存在しなかったものを見つけるということである。知新でありかつ温故であるためのもう一つの方法は、環境の中にごく自然にあるようで、かつ実際には存在しなかったことをする、ということである。ラヴニカへの回帰でのその一番の例は、魔除けである。

 ラヴニカへの回帰のプレビュー記事でも書いたとおり、私は旧ラヴニカ・ブロックで存在し得たのに存在しなかった10枚サイクルを探すのに躍起になっていた。取れなかった中で最も低いところに生っていた実は何だろう? その答えは私には明白だった。魔除け(3つの選択肢を持つモードを持つ呪文)だ。

 魔除けは常にサイクルで存在しており、色に関連している。これまでに単色の魔除けと3色の魔除けを作ってきたが、2色の魔除けは作ったことがなかった。当然、2色のギルドを中心に定義づけられた世界以上に2色の魔除けを投入するのにふさわしいセットは存在しない。

 ここでの技は、ギルドと魔除けという2つの異なる温故のものを初めて組み合わせることで知新できるということだ。それらは実際には存在しなかったが、存在していてもおかしくないと思わせるものだった。どちらも人気高く斬新であり、これもまた温故と知新を組み合わせる方法なのである。

#4: 未知のもので既知のものを包め

 ラヴニカへの回帰・ブロックの最大の知新は、セットそのものではなくブロック構造にある。旧ラヴニカ・ブロックは各セットに存在するギルドを4/3/3に絞るという知新をなした。当時、それは非常に独創的なアイデアだったが、ラヴニカが成功したのでそれは想像できる選択肢になった。

 ラヴニカへの回帰という中には、プレイヤーが予想しているものを与える方法を見付けるということがある。ギルドをどう分け、ブロックを通してどう見せていくか、プレイヤーの予想を裏切らなければならない。これは、いくつかの重要な変更によって達成された。

大/大/小:

 旧ラヴニカ・ブロックは当時マジックの標準的なブロック構造に従っていた。秋の大型セット、それに続く冬の小型セット、春の小型セットというものだ。その後、我々は大/小/大という組み合わせはやったが、冬の大型セットというのはやったことがない。大/大から始める理由は、2つのセットで10個のギルドを登場させるためである。これによってもう一つの変更の準備がなされたのだが、その変更については次に触れる。

ドラフトの中抜け:

 ラヴニカへの回帰・セットは、これまで我々がやったことのない別のことをやる予定である。秋にドラフトで使われた後、冬はドラフトから外れ、そして春には再びドラフトで使われるのだ。これまでも大型セットでドラフトの初期化はしたが(シャドウムーアやエルドラージ覚醒、アヴァシンの帰還)、一旦ドラフトから取り除かれたセットを再びドラフトに戻した例は存在しない。

1個のセットに10個のギルド:

 もう一つの大きな変更は、10個のギルドを2個の大型セットに入れたことにより、全てのギルドにもう少し触れるというセットを作ることができたということである。ラヴニカ・ブロックでは、ギルドに1回触れていればそれでよく(ディセンションにあった金色の分割カード10枚のサイクルは例外だ)、それ以上のカードはなかった。ラヴニカへの回帰では、ギルドを強化するチャンスが誰にももう一回あるのだ。

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 これらの変更はどれもギルドの構造をゆがめるものではない。実際、ギルドが前回持っていた問題を解決するものですらある。例えば、旧ラヴニカ・ブロックでは、諸君の好きなギルドが秋セットに存在しなかったなら、自分の好きなギルドでの2色デッキを組む機会は存在しなかった。今回、別々にドラフトされる大型セット2つに分けたことによって、どのギルドにも2色デッキをドラフトする機会が与えられたのだ。

 知新を微視から巨視に向けると、部分部分が非常に温故的でありながらブロック全体を斬新なものにすることができるのだ。

2つの偉大な味

 今日の重要な教訓は、すべての対立が自己矛盾するものではないということだ。どう混ぜ合わせ、どう活用するかというところに知恵を回せば、温故と知新の両方を組み合わせる方法を見付けることができる。それが私の今回の本題である。

 いつも通り、諸君からの意見を募集している。諸君の見解をフォーラムやメール、ソーシャルメディア(TwitterTumblrGoogle+)で教えて欲しい。

 それではまた次回、私のお気に入りの記事の一つを見返すときにお会いしよう。

 その日まで、両極端の両方があなたとともにありますように。

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